ID:O1mi2Otc0氏:つかさの旅の終わり(ページ2)

けいこ「ふぅ~」
溜め息のような、深呼吸のような感じだった。恵子さんはゆっくりと目を開けると私を見て驚いた顔をした。
けいこ「あら、いつの間に……ごめんなさい、もう来ていらしたとは」
つかさ「ノックしたけど演奏が始まっていたので……」
けいこ「立たせたままでしたね……さあ、こちらへ」
けいこさんは立ち上がりピアノから離れた。そしてテーブルの席へと向かった。
つかさ「とても良い曲ですね、聴き入ってしまいました、何て言う曲?」
私はけいこさんに案内された席に座った。そしてけいこさんも席に座った。
けいこ「亡き皇女のためのパヴァーヌ」
つかさ「曲の名前ですか、亡き……皇女……とても悲しげな曲でした」
けいこ「ラヴェルの作品……彼が、夫が私に教えてくれた最初の曲……もう逢えない、だけど諦めきれない、切ないわね」
感情が籠もっていた。けいこさんは皇女を亡くなった旦那さんに置き換えて演奏していたのかもしれない。
つかさ「旦那さんもピアノが弾けたのですか」
けいこさんは首を横に振った。
けいこ「ラジオで聴かせてくれた……思い出すわね……」
懐かしむようにピアノの方を見ていた。やっぱり聞いてみたい。けいこさんの過去を。
つかさ「あ、あの~どうやって旦那さんと出会ったの、確か旦那さんの実家は猟友会だったって……憎くなかったの?」
すこし小声で話すとけいこさんは私に目線を移した。
けいこ「猟友会……調べたのね、そうね、何度も裏切られ、追放されてきた、狐だった頃の私は人間を憎んでいた、それを変えたのが彼、竜太よ」
つかさ「どうやって変えたの?」
けいこ「そうね、貴女になら話してもいいでしょう、その前に、遠路疲れたでしょう、軽食を用意しました」
すると部屋の奥から秘書のような女性が食器を持って来た。この人はここに来てからずっとけいこさん側に居る。
つかさ「秘書さんですか、もしかしてこの人もお稲荷さん?」
女性は私の目の前に食器を置いた。サンドイッチと紅茶だった。
女性「始めまして、自己紹介していませんでしたね、私は、会長の秘書で、めぐみと言います、お見知りおきを」
名前しか言わない。やっぱりこの人も……
けいこ「お察しの通りです、彼女は私の親友でもあります、よくここまでついてきてくれました……感謝しています」
めぐみさんは私に一礼すると、また部屋の奥に戻って行った。
けいこ「人間の社会には彼女の方が長く居るので何かと助かっています」
私はサンドイッチを一口食べた。
つかさ「美味しいです、もしかしてけいこさんが?」
けいこさんは頷いた。そして話しだした。
けいこ「あれは……私がまだ狐だった頃、貴女の住んでいる神社をねぐらにしていた頃……仲間とはぐれてしまってね、狐狩りの標的にされてしまった、
    必死に逃げた、でも、銃弾が足に当たってしまった、その時、崖から落ちてしまった、地面が枯葉の層だったおかげで助かった、それに狩人もそれ以上追ってこなかった、
    貴女も知っているわね、大怪我をすると変身が出来なくなるのを」
私は頷いた。
けいこ「また狩人に遭遇してしまうかもしれない、私は怪我した足を引き摺った、血が垂れてしまって跡が残ってしまう、激痛と出血で気が動転してしまってね、
    私はその場に倒れて気絶してしまった……気が付くと私は別の場所に居ました、人間の家の中です、私は布団の上に寝かされ、足の治療が成されていました、
    そのままでしたら私は、野犬や、熊の餌になっていたでしょう、」
それは、私がたかしさんを助けたのとよく似ていた。私はけいこさんの話しを食い入るように聞いていた。
けいこ「部屋に人間が入ってきた、そこには若かりし竜太、しかし私は彼に感謝するどころか憎しみの感情しか湧いてこなかった、隙さえあれば彼の喉元を喰いちぎってやろうと
    思っていた……足の怪我のせいでそれは出来なかった、そんな私の気持ちを知ってか知らずか、彼は献身的に私の治療をしてくれた……」
つかさ「それ……私と同じです、たかしさんを私はひろしさんと間違えて……」
けいこ「人間から見た目は同じ狐……無理もありません、その時のたかしの気持ちは手に取るように分ります……」
けいこさんは一回間を置いてから話しを続けた。
けいこ「足の傷がほぼ癒えた頃でした、彼が部屋でくつろいでいいました、全くの無防備、今なら確実に仕留められる、そう思い彼に近づいた……牙を彼の首元に照準を
合わせた……でも、出来なかった……仲間の復讐、それしか彼を殺す理由がなかった、私の個人的な感情と葛藤している時でした、ラジオからピアノの音色が
聞こえました、ノイズが酷かった音でした……それでも私の耳から心に直接響きました、人間の作った音に意味があるのを初めて気付いた時でした……
『君は音楽がわかるのかい?』……耳をラジオに向けている私に彼はそう聞いてきました……これが彼と私の初めての会話となりました」
つかさ「会話って、けいこさん、狐の姿で言葉を出せたの?」
けいこさんは笑って首を横に振った。
けいこ「ふふ、意思の疎通が初めてできたと言う意味です……それから彼は私に、絵画、彫刻、の写真を見せてくれました、これまで私は人間というのは破壊と消費しかしない
    者かと思っていました、それを全て覆すものでした……数日後、彼は私を人気のいない森に連れて行きました、彼は私を森に帰すつもりなのは直ぐに分りました、
    私を地面に置くと『もう撃たれるなよ、さぁ、もう行きなさい』」……彼の別れの言葉、別れたくなかった、私は彼の目の前で自分のもう一つの姿を見せた」
つかさ「それって、人間に化けたって事、でも、そんな事をしちゃったら、恐がって逃げてしまうかもしれないし……」
けいこさんは立ち上がった。
けいこ「これは懸けでした、そのまま狐のままでも別れるだけ、もし、この姿を見て彼が何かを思ってくれるならば……」
つかさ「その懸け、上手くいったんだね……」
けいこさんは頷いた。
けいこ「……さて、そろそろ貴女のお話をしなければなりませんね」
もうそんな時間なのかな。本当はけいこさんが人間なった経緯も聞きたかった。でも……この話だけでも充分分る。けいこさんが竜太さんを愛したのが。それに芸術が好きな訳も。
つかさ「えっと、移転先の件ですけど、候補地が決まりましたのでこれで……」
私は封筒とけいこさんに差し出した。けいこさんは封筒の中身を見た。
けいこ「……ここで良いのですね」
つかさ「はい、満場一致です!」
けいこさんは微笑んだ。
けいこ「それならば直ぐに手配しましょう」
奥からめぐみさんが来てけいこさんから封筒を受け取った。
けいこ「直ぐに手配を」
めぐみ「はい」
 
めぐみさんはそのまま会長室を出て行った。そしてけいこさんはテーブル席にまた座った。そしてさっきまで笑顔だったのに真面目な顔に豹変した。
けいこ「もう一つ、私は依頼をしましが考えてくれましたか?」
つかさ「はい、私なんかで良ければ……何もお役にたてないかもしれませんけど……」
即答だった。お手伝いはしようとは思っていた。直ぐには答えるつもりは無かった。だけどさっきの話しを聞いたら決心がついた。けいこさんの顔に笑顔が戻った。
もどったけど少し表情が暗かった。
けいこ「一週間前……私は彼らにコンタクトを試みました、しかし、いい返事は来ませんでした、どうすれば良いのか考えあぐねているところです」
つかさ「彼等って、ひろしさんは、ひろしさんは元気でした?」
けいこさんは頷いた。
つかさ「私、私がけいこさんのサポートをしますって言いました?」
けいこさんは首を振った。
けいこ「つかささん、貴女はまだ私を手伝うとは言っていませんでしたので言っていません、これからは堂々と言えます」
つかさ「効果があるかどうかは分りませんけど、私の名前を使っても良いです、逢いたい、それだけでも良いので」
けいこ「そうですね、使わせてもらいます、これで、彼をここに連れて来られるかもしれません」
此処、ここって、東京のど真ん中……
つかさ「あの、最初のコンタクトの時もここに呼んだのですか」
けいこ「そうですけど、何か……」
けいこさんはキョトンとした顔で私を見ていた。
つかさ「私が最初、此処に来た時、けいこさんが恐かった、何か交渉する時は相手の安心できる場所でお話した方が良いと思うけど……
けいこさんは元お稲荷さんだから警戒しているのかも」
けいこ「相手の安心できる場所……」
つかさ「うん、それは向こう側に決めてもらえば……あの神社はもう出て行っちゃったし、私も分らないから」
けいこさんは微笑んだ。
けいこ「素晴らしいですね、早速助言をいただきました、その調子でお願いします」
つかさ「え……」
私は思った事を言っただけなのに……
けいこ「次は必ず交渉の席に来てくれるようにします、その時は同席をお願いします、そのためにも、つかささんの休日を教えていただけませんか?」
つかさ「交代制なので定期じゃないけど、週に二日取れるようになったので……」
私はけいこさんとこれからの事を色々話した。もし、ひろしさん達が本格的に交渉するようになれば週に二日の休みでは足りなくなるとけいこさんは言った。そうなれば
お店のお仕事は出来なくなる。休職するか、一回退職するしかない。報酬の話しもしたけど、今はちゃんと、かえでさんから貰っているから交通費以外は要らない。
そんな細かい話までした。
 
けいこ「今日は良い話ができました、それでは移転の事は私に任せて下さい」
つかさ「はい、お願いします……あ、あの~」
けいこさんは不思議そうに私を見た。
つかさ「もう一度聴きたいのですが……亡き皇女のための……なんでしたっけ?」
けいこさんは微笑むとピアノの方に向かい座った。そして目を閉じて弾き始めた。
 
つかさ「ただいま~」
こなた「お疲れ様~」
家に着いたのは日が変わろうとしていた時刻だった。こなちゃんはもう既に帰ってきていた。
こなた「交渉はどうだった?」
私はにっこり微笑んだ。
こなた「ふ~ん、どうやら上手くいったみたいだね、お茶を淹れるね」
つかさ「もう寝しなだよ、眠れなくなっちゃう」
こなた「それじゃ、ココアを淹れるね」
ココア……そういえばひろしさんに最初に出したのもココアだっけ……思い出しちゃった。
着替えて居間に戻るとこなちゃんが私の買ってきた物をじっと見ていた。
こなた「珍しい物買したね……クラッシック?」
帰りに音楽ショップで思わず買ってしまった。ラヴェルのピアノ曲集。
つかさ「会長……けいこさんが弾いていたから、とっても綺麗な曲、また聴きたくて買っちゃった」
こなた「つかさは影響されやすいね」
つかさ「今度聴かせてあげるよ」
こなた「今度ね……」
こなちゃんはココアを私の目の前に置いた。しばらく沈黙が続く。そう、私はこなちゃんに話さなければならない。
つかさ「あのね……こなちゃん、私……決めたの、けいこさんの仕事、企画を手伝うって……ごめんね」
こなちゃんは黙ったままココアをすすった。何も言わない。どうして……
こなた「……なんで、謝るの……」
ぼっそとした声だった。
つかさ「え、だって、こなちゃんをこの町に呼んでおいて私だけ別の所に行く事になるから……」
こなた「呼んでおいて……違うよ、私はつかさに呼ばれたんじゃない、私の意思で来た、勘違いしないで、」
少し怒り気味の声だった。私は言葉に詰まった。
つかさ「私はあの時、こなちゃんが何も就職が決まっていなかったからただ声を掛けただけだよ……勘違いとかそんな事言わないで」
こなちゃんは更に怒った。
こなた「一人旅なんか行ったからこうなったんだ、あんな狐なんかと会わなければ、私達は地元でもっと楽しく皆で過ごせたんだ!」
つかさ「こなちゃん……」
この時、こなちゃんの思っていた事が初めて分った。こなちゃんは俯いて両手を握って震えていた。
つかさ「ゆきちゃんが言ってた、私が一人で旅をするのは運命だったって、現にお姉ちゃんも家族もこなちゃんだって止めなかった、私自身もこんな出来事に巻き込まれるなんて
    思いもしなかった、でもね、そのおかげでかえでさんに会えた、一度も会っていないけど辻さんも、お稲荷さんの人達も、何より……こなちゃんとこうして
    一緒に働けるなんて……夢みたいだよ」
こなちゃんはまたぼそっとした声で話し始めた。
こなた「……私とひよりんで、無断でかがみ達を主人公にした漫画を描いた時の事覚えているかな、ちょうどつかさが一人旅から帰ってきた時の話しだよ」
つかさ「うん、お姉ちゃん、カンカンに怒っていたね」
こなた「うんん、みゆきさんもかなり怒っていた、みなみちゃんも、ゆーちゃんも、みさきちまで……なんでつかさだけ私を庇ってくれたの、あの漫画はつかさも主人公だった
    って、つかさは知っているでしょ?」
つかさ「私達姉妹が主人公のおふざけの漫画だったね、面白かったよ……なんてね、もし、旅をしていかったらこなちゃんを怒っていたかも……まなちゃんの悪戯好きと
    こなちゃんが重なって、憎むに憎めなかった、それだけだよ……」
こなちゃんは顔を上げて苦笑いをした。
こなた「結局……私は真奈美さんに助けられたって……ふふ、確かにみゆきさんの言うようにこれは運命だったのか……つかさがどんどん遠くに行ってしまうみたいに感じるよ」
つかさ「うんん、私は遠くになんか行かない、皆がいるから」
こなちゃんは笑った。
こなた「お稲荷さんの事、悪く言ってごめん……つかさを見ていたら、うだうだしているのは自分だったのに気が付いた、つかさならお稲荷さんと人間と仲良くできるよ」
つかさ「ありがとう」
こなちゃんのお稲荷さんに対する態度が変わった、なんだから少し希望が出てきた。
こなた「あとはみゆきさんだね」
つかさ「ゆきちゃん?」
こなた「かがみはいいとして……みゆきさんはお稲荷さんをかなり嫌っていると思うよ」
つかさ「そんな風には見えないけど……」
こなた「普段、陰口とか言わない人ほど根っこでは恨みを溜め込むもんだよ、みゆきさん、お稲荷さんの話しになると口数が減るからね……」
そういえば……そう言われるとそんな感じに思ってしまう。
つかさ「私……実はゆきちゃんにこれからいろいろと相談にのってもらうつもりでいたのだけど……」
こなちゃんは溜め息をついた。
こなた「流石のみゆきさんも今度ばかりはどうかな……断るかもしれないよ」
つかさ「お稲荷さん達と会う前にゆきちゃんとお話がしたい」
こなちゃんは大きく欠伸をした。
こなた「ふゎ~ それなら早い方がいいね、明日は店長に報告するんでしょ……明後日、会ってみたら」
つかさ「それだと、お店を休まないと……」
こなた「休んじゃえ……有給たまっているんでしょ」
 
 こなちゃんの後押しもあってゆきちゃんと会うのは三日後になった。ゆきちゃんは行き付けの店に私を招待してくれた。
みゆき「まずはおめでとうと言わせてもらいます」
つかさ「へ?」
ゆきちゃんは私に会うなり思いもしていなかった言葉を言った。
みゆき「かがみさんのご結婚です、挙式は何時になるのですか」
つかさ「……あ、ありがとう……お姉ちゃんから聞いたんだね……ごめん、まだ聞いていない」
みゆき「そうですか、楽しみにしています……そういえば、つかささんと二人だけで会うのは高校時代以来ですね……」
ゆきちゃんとはいつも皆と一緒の時が多かった。こんなにゆっくりお話するのもほんとうに久しぶりかもしれない。ゆきちゃんの行き付けのお店だけあって、お洒落で落ち着いて、
ゆっくりとお話ができそう。どうやって切り出そうかな……
つかさ「柊けいこさんって知ってる?」
私の質問にゆきちゃんは暫く考え込んでいた。
みゆき「私の大学で特別教授をなされています、とても知的で尊敬する一人です」
つかさ「そして、大企業の会長、ホテルのオーナー、いろいろな顔をもっている人だよ」
みゆき「そうですが……それがどうかいたしましたか?」
ゆきちゃんは首を傾げた。
つかさ「私の住んでいる町を再開発するから移転して欲しいって言われた」
みゆき「……それは泉さんから伺っています……良い条件を出してくれたそうですね、私の思った通り誠実な方ですね、それに柊けいこさんの経営するホテルに出店ともなれば
    ステータスも付きます、素晴らしいと思います」
ゆきちゃんもけいこさんを尊敬している。さて、これからが本番だよ。
つかさ「私……けいこさんから個人的に依頼を受けたの、それでゆきちゃんに相談に乗って欲しくて」
みゆき「相談……ですか、私に出来る事なら良いのですが……どのような依頼なのですか?」
つかさ「お稲荷さんと人間が共存できるように……手伝って欲しいって……」
何度か私の話しを聞きながらお茶を飲んでいたゆきちゃんの動きが止まった。
みゆき「ど、どう言う事ですか、なぜ、お稲荷さんの存在を知っているのですか……」
少し声が上擦っている。
つかさ「柊けいこさん……彼女はお稲荷さん……お稲荷さんだった人だよ、旦那さんと知り合って……長寿と引き換えに人間になった……」
ゆきちゃんは私の目を見たまま瞬きもしない。更に話し続けた。
つかさ「けいこさんはね、人間とお稲荷さん仲良くさせたいって、仲良くできから、代わりにお稲荷さんの知識を私達に教えるって言ってた、でも、それはひろしさん達も
けいこさんの計画に賛成してくれないといけないから……」
ゆきちゃんは手に持っていたティーカップを置いた。
みゆき「泉さんの予想が当たってしまいましたか……まさかとは思っていましたが、柊けいこさんがお稲荷さんだった………」
私は頷いた。
つかさ「うん、これから色々な事が起きると思うから、ゆきちゃんの力を借りたくて……」
みゆき「……私の助言は一つしかありません、私は柊けいこさんの計画に反対します、したがって、つかささんの手伝いも出来ません……」
強い口調だった。それに、答えを用意していたみたいに即答だった。
つかさ「反対……するの、お姉ちゃんもこなちゃんもかえでさんも賛成してくれたのに……」
みゆき「柊けいこさんの経営、会社運用、特許……これらの知識はおそらくお稲荷さんの知識を使ったか応用したものでしょう、よく考えて下さい、今までお稲荷さんが私達に
    してきた事を、呪いや、金縛り、催眠術や夢の中にまでも入ってしまいます、そんな事が人間に知れたらどんな事が起きるのか……」
つかさ「それはお稲荷さんだから出来る事だよ、私達人間は魔法なんか使えないから大丈夫だよ」
ゆきちゃんは首を振った。
みゆき「私は彼等が特別な存在だとは思っていません、それらは私達の知らない知識や技術があるのかもしれません、変身するのも同じです、ですから方法さえ分ってしまえば
    私達にも出来ると言う事です、そんな技術や知識を私達が知ってしまったら……考えただけで恐ろしくなります」
ゆきちゃんはお姉ちゃんが呪いで苦しんでいる姿を見た。催眠術で寝てしまっているし。爪を伸ばしてこなちゃんに襲い掛かろうとしている姿も見ている。
だからゆきちゃんは……
つかさ「かえでさんは言った、お稲荷さんの知識を手に入れたら、私達の生活が変わるって……私はひろしさんと別れた直後にとっても綺麗な幻想を見たよ、そのおかげで
    暗闇の階段を一回も踏み外さないで下りる事ができた……多分お稲荷さんの力だと思うよ……私にはその理屈なんて分らない……
    もし、お稲荷さんが特別な存在じゃなかったら、お稲荷さんの知識は教えてもらわなくても何時か、誰かが手に入れてしまう……ゆきちゃん、そう思わない、
    だったら、教えてもらえるなら、教えてもらおうよ」
みゆき「いつか、誰か……」
一言そう言うとゆきちゃんは黙ってしまった。
つかさ「ゆきちゃん、お稲荷さんの事、嫌いなの?」
みゆき「それは……」
急にソワソワしだした。私の目を合わせなくなった。
つかさ「私はたとえ「嫌い」って言ってもゆきちゃんを嫌いになったりしないから、ちゃんと言って……私は、お稲荷さんの知識なんてまったく興味がないの、
    本当はひろしさんに逢いたい、それだけ……私は、只、けいこさんの計画を利用しているだけかもしれない」
ゆきちゃんは暫く考え込んでいた。
みゆき「……真奈美さんは命を懸けてまでつかささんを守りました、その一方、かがみさんを呪い、つかささんまで殺めようとしたたかしさん、とても好き嫌いでは
    表しきれません……本当に同じお稲荷さんなのでしょうか」
そんな風に聞かれるとこっちも困ってしまう。
つかさ「同じお稲荷さんだよ、だけど違う、私とゆきちゃんが違うように……怒ったり、笑ったり、恋をしたり、私達とまったく同じだと思うよ」
ゆきちゃんは微笑んだ。今日会ってはじめてゆきちゃんは笑った。
みゆき「お稲荷さんは私達と同じ、そう考えると整理がつきますね……つかささんは最初からそうだったのですね」
つかさ「そうだったのかな、意識していなかった……」
ゆきちゃんはティーカップを持った。
みゆき「微力ながらお手伝いさせて頂きます」
つかさ「あ、ありがとう、でも、良いの、ゆきちゃんはお稲荷さんの知識は良くないって……」
みゆき「知識や技術に良いも悪いもありません、要は使う人次第です……それにつかささんに言うように、早いか遅いかの違いだけかもしれません、どんなに難しい知識も
    何れは詳らかになるものです……私がどうかしていました、お稲荷さんの会合の時は是非、私も同行させて下さい」
ゆきちゃんが私と一緒に……こんな心強い事なんかない。
つかさ「私、一人でどうやって良いか分らなかった……だからこうしてゆきちゃんに……ありがとう、ありがとう」
わたしはゆきちゃんの手を取って何度もお礼を言った。
みゆき「まだお礼を言うのは速過ぎます、もう少しお話がしたいです、柊けいこさんの事を、彼女は何故人間になったのですか?」
そうだった。まだ何も始まってはいなかった。
つかさ「旦那さんの竜太さんの出会いが何かの切欠になったのはなんとなく分る……そして、彼からいろいろな芸術を観たり聴いたりするうちに
人間への憎しみが消えていったみたいだよ」
みゆき「芸術ですか……そういえば彼女の支援はほんど芸術関係が占めているようですね」
つかさ「あ、そうそう、けいこさんはねピアノも上手なんだよ、ラヴェルの亡き皇女のための……あ、あれ……」
せっかく覚えたのに言葉が出てこない。
みゆき「亡き皇女のためのパヴァーヌ、ですね」
つかさ「さすがゆきちゃん……」
みゆき「この曲のテンポはゆっくりですがかなり難易度が高いようです、みなみさんも最近になってやっと弾けるようになったので……」
つかさ「そうなんだ……そんなの感じさせない演奏だった……とっても綺麗な曲だったよ」
みゆき「そして、哀しげで、優しい響きです……」
ゆきちゃんと音楽のお話をした。今までそんなお話なんかした事なかった。みなみちゃんの演奏も聴いてみたい。そういえばゆたかちゃんやひよりちゃんも最近は
会っていないな。
みゆき「どうしたのですか?」
上の空だったかもしれない。ゆきちゃんの話しを殆ど聞いていなかった。
つかさ「えっ、あ、みなみちゃんの話がでたから、ゆたかちゃんやひよりちゃんにも会いたくなっちゃった」
みゆき「彼女たちも、もう大学生です……」
つかさ「時の流れって早いね……こなちゃんとひよりちゃんの事件が昨日の事みたい」
ゆきちゃんはクスリと笑った。
みゆき「そうですね、近頃、また二人で何か作品を作っているそうですよ」
つかさ「え、そんな風には見えない、こなちゃん、頻繁に実家に帰っていないし……」
みゆき「直接会わなくても、インターネットがありますから」
こなちゃんがいつもノートパソコンを見ているのを思い出した。
つかさ「またお姉ちゃんに怒られなきゃいいけど……」
ゆきちゃんはまた笑った。
みゆき「お二人ともあの件で懲りていると思います」
つかさ「それだと良いのだけれど……」
みゆき「私は嫌いではなかったですよ、現実離れしたコメディ……かがみさん達の性格をよく反映した漫画だったと思います、しかし、いささか表現が過激でした、
    せめて一言、断っていただければ……」
つかさ「うんん、そんな事言ったら、お姉ちゃん、作りかけの漫画を破いちゃったかもしれないよ」
ゆきちゃんは私の目を見ると、小さく頷いて納得したような表情を見せた。
つかさ・みゆき「ふふふ……」
私達は笑った……ゆきちゃんと楽しい会話が続いた。
 
 帰りの電車の中で……私は考えていた。
私が一人旅に出なければ地元で楽しく過ごせた……こなちゃんはそんな事を言っていた。ゆきちゃんとの会話で、こなちゃんと同じ気持ちが今頃になって込み上げてきた。
それじゃ……
私が旅に出なかったから……私の代わりに誰かがお稲荷さんの生贄になっていた、それでお稲荷さんの恨みが消えたかな……消えない、狐狩りは今でも行われている。
もっと人間とお稲荷さんの溝が深まってしまったかも……うんん、今でもそんなに状況は変わっていない。だからけいこさんが計画をした。
結局私は何もしていないのと同じ……人間とお稲荷さんの橋渡しなんて……出来ないよ……
大きな溜め息をついた。
気分晴らしに電車の窓から外の景色を見た。もうそろそろ目的の駅に着きそうだった。
私、ひろしさんと別れるとき、何でもっと強く引き止められなかったのかな。今度会って私は彼に何を言うのかな……「こんにちは」「元気だった?」「逢いたかったよ」……
そんなのは普通すぎるよね、「たかしさんが元気?」久しぶりに会うのにいきなり他人の話からなんて失礼だよ……いっその事……
「人間になって私と一緒になって……」、そんな事、言えるわけがないよね……何千年も生きられるのに……そういえば前にも同じような事を考えていた。
やっぱりダメだ。私は何も変わっていない。これじゃけいこさんの役に立てない。
出てくるのは不安な気持ちばかり。それにひろしさんの事ばかり。
 
 電車から降りて駅を出るといつの間にか神社の入り口の方に足を向けていた。そして神社の入り口で立ち止まった。外はまだ明るい。往復する時間は充分にある。
入り口から階段を見上げた。もう自分からは行かないって決めたのに……しかし足は既に階段を登っていた。
お店が移転してしまえば私達もこの町を離れる。よっぽどの事が無い限りこの神社に来る事はない。それにこの土地はけいこさんの物になる。神社はそのまま残してくれるって
言ったけど。どうなるのかな。この町にお稲荷さんが戻ってくればやっぱりこの神社が拠点になるのかな……
考えても分らないような事ばかりが頭に浮かんでは消えていく。
 
 気が付くともう頂上に着いていた。頂上から町を見下ろした。あの時と全く変わらない風景が広がっている。日も傾いてきた。日が傾いて西日が射し込んで来た。
暗くならないうちにまなちゃんに挨拶して帰ろう……
町の風景を背にして森の中に入っていった。いつもお供えをしていた石の前で止まった。そう、まなちゃんが初めて私の作った稲荷ずしを食べてくれた場所。
そして……もうその先を思い出したくない。
つかさ「まなちゃん……生きていたらどうするの、やっぱりけいこさんの手伝いをする?」
私の声は森の中に吸い込まれて静まり返る。
つかさ「私……まなちゃんに会わなかった方が良かったかのかもしれないね」
『ガサガサ』
後ろから枯葉を踏みつける音……
つかさ「だ、誰?」
後ろを振り返った。
かえで「つかさ……つかさじゃない、何でこんな所に……」
つかさ「か、かえでさん……」
その先の言葉が出なかった。かえでさんは私の言葉を待っていた様に見えたけど、そのまま凍ったように私は動けなかった。
暫くするとかえでさんは私の前に移動した、袋からパンケーキを出すと石の上に置いた。そして腰を下ろすとゆっくり手を合わせて祈り始めた。
 
 どの位経ったか、かえでさんは手を下ろすと腰を下ろしたまま話し始めた。
かえで「こうして浩子の為に祈ってやれるのもあと何日になるかしらね……うんん、つかさと出会ってなければ私はこの神社の入り口にすら近寄らなかった……」
かえでさんは目を開けて供えたパンケーキを見た。
かえで「浩子と夢見たレストラン……夢で終わるかと思っていた、それを現実にしたのはつかさ、貴女よ」
つかさ「私は……おっちょこちょいで、失敗ばかり……そんな事言われても……」
かえで「どうした、いつものつかさらしさがないわよ」
つかさ「私らしいって……いつも目立たなくて、内気で……」
かえでさんは立ち上がった。
かえで「どうゆう心境の変化かしら、初めて会った時のつかさに戻っている」
戻った……始めから私は変わっていない。
つかさ「けいこさんの旦那さん……芸術が好きだった、それをけいこさんに教えた……それで旦那さんを好きになったって……彼女のピアノを聴いていると旦那さんとの
    絆の強さが伝わってくる……私なんて、芸術も教えていないし、何も残せなかった、だから別れちゃったのかもしれない」
かえでさんは呆れた顔をした。
かえで「やれやれ、つかさ、貴女のしている仕事はなんだ」
つかさ「仕事……レストランでスィーツを……」
かえで「言っておくけど、料理もりっぱな『芸術』……私はしっかりと覚えている、つかさが休暇を取った日、ひろしが来て、つかさの作った料理を食べたかったって言った、
    それが何を意味するか分るでしょ」
つかさ「え?」
かえで「妬けるわね……」
つかさ「焼ける、焼けるって何が?」
かえでさんは溜め息をついた。
かえで「鈍いわね、鈍すぎるわよ、まだ分らないの……もういいわ、恥かしくて私からは言えないわ、自分で考えなさい……」
かえでさんは何を言いたかったのかな……
かえで「もう日が暮れるわ、そろそろ帰りましょう」
つかさ「う、うん」
かえでさんは少し怒り気味だった。私はかえでさんの後に付いて歩き始めた。
かえで「……誰!!」
突然立ち止まって森の出口の方に向かって怒鳴った。すると木の陰から男の人が出てきて慌てるようにして階段を降りて行った。
かえで「怪しいわね……」
つかさ「怪しいかな、観光客だったかも、カメラ持っていたみたいだし……」
かえで「どうかしら、スーツを着ていたのが不自然だわ、この神社は観光としてはマイナーすぎる……それに慌てて逃げるなんて」
つかさ「かえでさんが怒鳴ったからだよ、あんなに大きな声だしたら誰だって驚くと思うけど……」
かえで「……そんなに大声は出していないわよ、つかさ時々キツイ事言うわね……」
かえでさんと私はまた歩き出した。そして階段を半分くらい降りたくらいだった。
かえで「柊けいこさんから電話が着たわよ、きっと携帯のメールにも着信していると思うけど一応伝えておくわ……来週の月曜日、本社の会長室に来て欲しいそうよ、
    相手と連絡がついたってね……つかさ、メソメソなんかしていられないわよ」
気合の入った声だった。
つかさ「私……どうして良いか分らない」
かえで「何を今更……って、情けない顔しちゃって……私から言えることは何も無いわ、あえて一言、そんな顔じゃ何をしても失敗するわね、
    ほらはら、ひろしに逢えるわよ、待ち遠しいでしょ?」
つかさ「え、あ……うん」
かえで「そうそう、その顔よ、その顔で当日行きなさい、後は良い事だけを考えなさい、以上」
良い事だけを考える……心の中で何回も繰り返した。
かえでさんは速度を上げて階段を降りていった。
 
 神社の入り口を通ると、こなちゃんの車が停まっていた。車のドアが開いた。
こなた「迎えに来たよ、二人とも乗って」
かえでさんは私の耳元で囁いた。
かえで「私は泉さんに言われて神社に来たのよ……移転とか浩子の事で私もどうして良いのか分らなくてね……」
かえでさんは私の肩をポンと軽く叩いた。そして私にウインクをした。
かえで「泉さん悪いわね、一度店に戻ってくれないかしら」
かえでさんはこなちゃんの車に向かった。
こなた「オーケー、分ったよ、つかさは何もなければ一緒に帰ろう?」
にっこり微笑むこなちゃん。かえでさんのさっきのお話し……今まで悩んでいた事がスーと消えていった。
つかさ「何も無いよ、一緒に帰ろう!」
私も笑顔で返した。
そうだよね……もう悩むのは止めた。
 
 
 そして……その日は来た。
月曜日、それは私の休日。けいこさんはちゃんと私の休日に合わせてくれた。なんとしてもけいこさんの想いをお稲荷さん……ひろしさんに伝えたい。
私にそれが出来るか分らない。だけどやれる事だけはやってみる。
みゆき「こんにちは」
ゆきちゃんも来てくれた。東京駅で待ち合わせをしていた。
つかさ「こんにちは、平日なのに大丈夫なの、大学院の研究って大変なんでしょ?」
ゆきちゃんは大学院で忙しいのに来てくれた。
みゆき「大学院での研究よりこちらの方に興味があります、お稲荷さんの知識……その入り口に居るのですから」
つかさ「まだ教えてくれるって決まったわけじゃないよ……」
ゆきちゃんの目がキラキラと光っている。ゆきちゃんの目的はお稲荷さんの知識だったのか。ゆきちゃんらしい。
みゆき「そうですね……お互い、頑張りましょう!」
つかさ「うん」
私達はホテルに向かって歩き出した。
 
 ホテルに着き、私達はめぐみさんに会長室へ案内された。
めぐみ「どうぞ……」
会長室に入るとけいこさんが部屋の中央に立っていた。
けいこ「お待ちしていました」
けいこさんはゆきちゃんの方を見た。そうだった。初対面だった。けいこさんには事前に連絡しておいた。けいこさんは二つ返事で同行を許可してくれた。
つかさ「あ、こちらが私の親友で高良みゆきさんです……」
みゆき「はじめまして……大学の特別講義、いつも興味深く拝聴させていただきました、よろしくお願いします」
ゆきちゃんは深くお辞儀をした。
けいこ「貴女は……高良さんとは貴女の事でしたか、学長から伺っていますよ、成績優秀……それだけではないものをお持ちだと……」
みゆき「いいえ、私はそのような特別な事などは……」
けいこ「つかささん、貴女は良い友人に恵まれていますね……」
お稲荷さんはここに来るのかな。周りには私達だけしかいないし……私は部屋の周りを見回した。それにけいこさんが気付いた。
けいこ「それではこれから会場に向かいましょう」
つかさ「会場はここじゃないの?」
けいこ「彼らは佐渡島を会場として指定してきました」
みゆき「あの、日本海にある佐渡島ですか?」
けいこさんは頷いた。私とゆきちゃんは顔を見合わせた。
けいこ「佐渡島に私の経営するヘリポートがあります、これから屋上からヘリコプターに乗って向かいます、もちろん帰りも送りますので時間は気にしないで結構です」
改めてけいこさんのスケールの大きさに驚かされた。
つかさ「ひろしさん達、そんな遠い所に引っ越したの……」
けいこ「恐らくそこには住んでいないでしょう、彼らも別の所から来るに違いありません、住処は簡単には明かしてくれません」
めぐみさんが入り口のドアを開けた。そして私達は会長室を出た。
 
つかさ「あの、パイロットはめぐみさん?」
めぐみ「何か不都合でもありますか?」
めぐみさんが操縦席の方に向かっているので思わず言ってしまった。
つかさ「え、不都合とかじゃなくて、操縦している時に変身が解けたら……」
めぐみさんは笑った。
めぐみ「ふふ、その位の時間管理はしています、ご心配なく」
けいこ「私も免許を持っていますので、いざとなれば代わります」
凄い……これがお稲荷さんの本気なのかな。ピアノも上手だし、ヘリコプターも操縦できるなんて……
めぐみ「皆さん、乗ってください」
皆乗り込むとみぐさんはヘッドホンを付けてどこかに無線で連絡した。暫くするとプロペラが回りだしゆっくりと離陸した。ビルの屋上からどんどん離れていく。
けいこ「約2時間で到着します、それまでくつろいでいて下さい」
みゆき「すみません、少し……お話いいでしょうか?」
けいこ「なんでしょうか?」
みゆき「知識を私達に教えてくださるのは大変あり難いです……しかしながら、それを何時、何処で、誰に、が重要になってきます、それを誤れば過去に起きた迫害……
    いいえ、もっと凄惨な出来事が起きてしまうと思います……それに私達、人間側の準備も必要かと思います、知識の独占、濫用がおこれば、
誰のための知識なのか分らなくなってしまいます、柊けいこさんはどのようにお考えですか」
けいこさんは暫く目を閉じていた。
けいこ「そうですね、もう過去の過ちは繰り返したくありません……」
うわー、ゆきちゃんとけいこさんでなんか難しい話しを始めてしまった。話しに付いていけないし、入れない。こなちゃんも連れてくればよかったかな……
ゆきちゃんとけいこさんは真剣な顔で話している。ピクニックや観光に行く訳じゃないよね……自重しなきゃ……
窓の外を見た。今日は快晴、遠くの景色まで良く見える……あれ……あれは東武線……線路を辿っていくと……あの辺りが陸桜学園かも……その先は……実家かな、
胡麻より小さく見える町並み。そのどれかが私の住んでいた実家……小さいな。幼い頃は実家が全ての世界だと思っていたのに。成長していくにつれてどんどん
世界も広がっていく。小学校、中学校、高校……大学……私は専門学校だった……そして社会人。世界が大きくなると私はどんどん小さくなっていく。
空から見える大都会。見え切れないほど大きな世界。そこに居る小さな私。何処に居るのか。居たのかも分らない位……小さいよね。
ひろしさんは私達をカゲロウみたいだって言っていた。何千年も生きるお稲荷さんから見ればそうかもしれない。小さくて、あっと言う間に消えてなくなる……私達。
 
景色は風のように流れていく……もう私の知らない町並みが見えてきた。こうやって景色を見ているのも落ち着いて良いかも。
 
 ヘリポートに着陸すると私達は車に乗り換えた。もちろん運転はめぐみさん。車は郊外を抜けて人里離れた所へと向かってくそして、寂れた小屋の前で車は停まった。
 
めぐみ「到着しました……」
ゆきちゃんとけいこさんは話しに夢中になっているみたい。ヘリポートを降りても二人の会話は終わらなかった。とりあえず私は車を降りた。そして背伸びをした。
つかさ「う~ん」
めぐみ「お二人はもう少し時間が掛かりそうですね、どうですか、先にあの小屋に向かわれては、気配を感じます……もう来ています」
暇を持て余していてもしょうがない。
つかさ「そうですね」
小屋に向かう。そしてドアの前で止まった。このドアの向こうにひろしさんが……ノブを回してゆっくり開けた。男性が一人後ろを向いて立っていた。
小屋の窓を見ているみたいだった。私の気配に気付いたみたい、振り返った。
「柊……つかさ、なぜ、ここに居る……」
驚きの顔で私を見ていた。違う……ひろしさんではない。それじゃこの男性は誰なの。お稲荷さんみたいだけど……それに私の名前を知っていた。
この男性の雰囲気……もしかしてこの人……そうだ、試してみよう。
つかさ「……トカゲの尻尾のお薬、あれから地面に埋めたよ、完成にあと98年もかかっちゃうけどね……」
男性は苦笑いをした。
「……埋めたのか、それならもう完成しているはずだ、埋めるのは2年で良い」
やっぱり……たかしさんだ。
つかさ「ダメだよ、2年でも間に合わなかったよ……あの時、死ぬ気だったの……ダメだよ、そんなの」
涙が出てきた。あの時の情景が思い出されてくる。
たかし「そうだったのかもしれない、あの時の俺は……逆恨みと言うものなのか、君の献身的な介護……ふふ、さすが真奈美が選んだ人だけの事は在る……
    君の姉には本当に申し訳のない事をした、本来なら直接謝罪すべきだった……許してくれとは言えないな……唯一、出来たことは、君の言っていた
    狼に化けるのを実行する事で君に健在を知らせるだけだった」
つかさ「分っている、狼の件はニュースになったから直ぐにわかったよ……もう過ぎたことだよ、お姉ちゃんも恨んでないって言っているし、もう忘れて、
    それより人間に化けているね、もう人間を許してくれたの?」
たかし「……全てを許しているわけじゃない、だが、少なくとも全ての人間を恨む必要もない、そう思っただけだ……もういい加減に涙を流すのは止めろ、
    涙は、愛する人の為に取っておけ」
愛する人……あ、私は涙を拭って辺りを見回した。
たかし「……ひろしか、ひろしは居ない……俺が代理で来た、人間も来る様な事を言っていたが、まさか君だったとは」
つかさ「ひろしさんは、どうして来ないの……私が来るのを知っているのに……」
たかし「さあね、そこまでは知らん、あいつは少し変わった、良くも悪くもな、君のせいかもしれないな……それより、君はけいこの補佐として来たのか」
たかしさんの目つきが変わった。
つかさ「そのつもりだけど……」
たかし「あいつは裏切り者だ、今日の会合もそれをはっきりさせる為に来たのだからな」
そんな、裏切り者なんて、あんなに良い人なのに。
つかさ「裏切りって何、人間と結婚したから、人間になったから?」
たかし「過去に何度もそんな事はあった、それは個人の自由だ」
つかさ「だったら何で……」
たかしさんはドアの方を見た。
たかし「さて、その本人がお出ましだ」
 
ドアが開くとめぐみさんを先頭に、けいこさんとゆきちゃんが入ってきた。
けいこ「おや、もう始まってしまっていますね……私達がモタモタしていたのも確かですが……さあ、席に着きましょう、まずはそれからです」
私とたかしさんは一度離れて席に着いた。たかしさんを対面に私達が横に並ぶ形になっていた。
けいこ「たかし、人間に化けるのをあれほど拒んでいたのに、どうゆう心境の変化ですか」
たかし「さてね、お前に教える義理はない」
優しい言葉のけいこさんに対して、吐き捨てるような口調のたかしさんだった。けいこさんはたかしさんに微笑みかけた。
けいこ「……それも良いでしょう、ところでひろしはどうしました、お頭であるひろしが居なければ話は進みません」
たかし「今日は来られない、俺はその代理で来た……元々俺がお頭の一番候補だった、文句はあるまい」
けいこ「大事な会議よりも優先されるとはひろしは何を考えているのやら……委任状はありますか」
たかし「それは人間の風習だ、我々にはそんなものが無いのは知っているだろう」
けいこ「確かに、しかしこれからはその人間と交渉をしなければなりません、あなた達も少しは慣れた方がいいですよ」
たかし「裏切り者から教わる気はない」
たかしさんの反抗的な態度に対してけいこさんは至って冷静だった。たかしさんの怒りをスポンジみたいに吸収しているみたい。そのせいかもしれないけど、たかしさんは
私と初めて会った時みたいに敵対心むきだしではなかった。
つかさ「あ、あの~さっきから裏切り者って呼んでいるけど、けいこさんは何をしたの?」
ちょっとした間が空いたからさっきから疑問に思っていた事を聞いた。たかしさんはけいこさんを指差してから話しだした。
たかし「こいつは、人間にもう既に我々の知識を教えているではないか、こんな会議など茶番だ、即刻中止を要求する!!」
めぐみ「たかし、それは……」
めぐみさんは立ち上がった。
たかし「めぐみ、おまえも同じだ」
めぐみ「違う、違うの」
たかし「何が違う、こいつは私利私欲の為に……」
けいこ「お止めなさい、私から説明します」
けいこさんは初めて大きな声を出した。たかしさんとめぐみさんは黙ってしまった。その声は威厳があった。恵子さんは自分の席に座った。
けいこ「禁呪を平然と使ったお人とは思えない発言ですね、私の使用している知識や技術は封印されたものではありません」
たかし「う……そ、それは……」
けいこさんは私の記憶を見ているからたかしさんが何をしたのか分っている。
けいこ「貴方がお頭になれなかったのはそのためですね、ひろしは人選を誤りました、確かにこの会議は茶番です、ひろしの出席を強く求めます」
みゆき「柊つかさ、かがみの親友の高良みゆきと申します、私怨なのかもしれませんが、私もたかしさんがお稲荷さんの代表と言うのはいささか抵抗があります」
ゆきちゃんもたかしさんをまだ恨んでいる。このままだと会合自体がダメになっちゃう。何とかしないと。
たかし「……その点に関して言えば何も言えん、次回はお頭に来るように伝えよう」
たかしさんは席を立った。そして小屋の出入り口に歩き出した。このまま退出しちゃうのかもしれない。
つかさ「待ってください」
たかしさんは立ち止まった。
つかさ「あの呪い、もう二度と使わないよね」
たかし「何故禁じられていたのか、それが分った、しかし使ってしまったのは取り返しがつかない」
つかさ「そうだよね、取り返しがつかないよね、それが分っているなら、呪いの恐ろしさを知っているから絶対に使わない……私も小さいとき、危ないから行くなって
    言われた小川があって、それでも興味があるから小川によく遊びに行ったの、そこで足を滑らせて溺れかけちゃった、たまたま通りかかった人に助けてもらったの
    だけど……それ以来、あの小川に行かなくなったから、それと同じだよ、私はたかしさんが代表でもいいと思う」
けいこ「貴女は姉が亡くなっていたとしても同じ事が言えるのですか?」
お姉ちゃんが死んでいたら……心の中で何度も呟いた。
つかさ「分らない、分らないけど、溺れて死んでいたら、私はここに居なかった、でも、私はここに居る、お姉ちゃんも生きている、それ以外考えられない」
けいこ「生きているのが重要と言うことですか……それも良いでしょう、たかし、席に着きなさい、話しの続きをしましょう」
たかしさんは席に戻った。そして、けいこさんとたかしさんの会議が始まった。
 
 けいこさんとたかしさんの会議は平行線を辿った。たかしさんは終始けいこさんの提案を断った。
けいこ「今日はここまでにしましょう、次回に期待します」
たかし「何度話しても無駄のようなきがするがな」
たかしさんは席を立った。
けいこ「私も今日の会議で何かが決まるとは思っていません、たかしさん、仲間に会ったら伝えて下さい、貴方方には三つしか選択肢はないと
    このままの状況を続けるか、人間と共存するか、人間との関係を完全に断ち切るか……人間との関係を断ち切れば貴方方は確実に滅びます、
    このままの状況を続けても結果は同じです、分って頂けますか」
たかしさんはドアに歩きだした。
たかし「話だけは聞いた……そろそろ帰らせてもらうぞ」
つかさ「待ってください」
たかし「まだ何かあるのか、柊つかさ」
私は鞄からCDを取り出したかしさんに渡した。
つかさ「これを、ひろしさんに……」
たかし「音楽か、あいつはそんな物聴かないぞ」
つかさ「それでもいいの、私、ピアノ弾けないし……今の私の心境を音にするとこうなるって」
たかし「ピアノ曲なのか……分った、渡しておこう……」
たかしさんはCDをバックに入れると小屋を出て行った。
けいこ「私達も帰りましょう」
けいこさんとめぐみさんも小屋を出て行った。私も鞄を整理して外に出ようとした。
みゆき「つかささん……」
後ろからゆきちゃんの声、振り向くと俯いて寂しげな姿だった。
みゆき「ごめんなさい……私、つかささんをアドバイスするどころか、乱してしまいました……」
つかさ「何のこと?」
みゆき「たかしさんが帰ろうとした時の話です、私は怒りでいっぱいになって……たかしさんを追い帰そうとしてしましました、かがみさんはもう……
たかしさんを恨んでいないのですね」
つかさ「私に謝らなくていいよ、一番苦しんでいるのは、たかしさんなのかもしれないのだから」
みゆき「私も先ほどそう感じました……」
ゆきちゃんはまた寂しげな姿になった。
つかさ「行こう、けいこさん達が待っているよ」
みゆき「はい……」
 
 帰りのヘリコプターの中、私はけいこさんに聞きたい事があった。
つかさ「あ、あの~けいこさん、今日の会合、私が来るってひろしさんに伝えたのですか?」
けいこ「伝えました」
ひろしさんは私が来るのを知っていた。でも、来なかった。私と会うのより大事な用事があったのかな。そんな大事な事って何だろう。
それとも私の事、嫌いになっちゃったのかな、それとも、忘れちゃったのかな……
みゆき「私の考えなのですが、つかささんが来ると分ったからこそ、ひろしさんはたかしさんを代理にしたのではないでしょうか、次回は来ると思います」
けいこ「次の会合は来週の水曜日です、つかささん、高良さん、大丈夫ですか」
来週の水曜日私は休み。
つかさ「大丈夫です」
みゆき「大丈夫です、しかし、私が参加してよろしいのでしょうか」
けいこ「問題ありません、是非来てください、貴女の論法はとても素晴らしい、参考になります」
みゆき「ありがとうございます」
ゆきちゃんが言っていたのが本当なのかな。信じたい……信じるしかない。そうであって欲しい
けいこ「本社に戻りましたらお食事でもいかがですか」
つかさ「私は明日早番だから、帰らないと……」
けいこ「そうですか……残念です、高良さんはどうですか、もう少し話しをしたいのですが」
みゆき「そうさせて頂きます」
 
 こうして一回目の会合は終わった。けいこさんの一方的な話しで終わった感じがした。たかしさんは終始否定的だった。これはお稲荷さん全員の意見として
考えていいのかな。お稲荷さん達はこのままで良いのかな。それとも完全に私達の前から姿を消しちゃうのかな。もしそうなったら、そうなる前に逢いたい……もう一度……
 
つかさ「ふぅ~」
かえで「どうした、溜め息なんかついちゃって」
私ははっとした、いつの間にか明日の会合の事を考えていた。仕事中は考えないようにしていたのに。週一回のペースで会合はしている。もう三回目になるのに
ひろしさんは一回も出席していない。全てたかしさんが来ていた。
かえでさんは辺りを見回した。更衣室には私達二人だけ。
かえで「先週の会合はどうだった、彼とは逢えた……わけじゃなさそうね、その顔を見て分ったわ」
つかさ「うん……」
かえで「明日も行くのでしょ、ガンバレ としか言えないけど ガンバレ」
つかさ「ありがとう……」
かえで「この店の移転準備も着々と進んでいる、調理器具は全部新調、食器は全て持って行く事になったわ、つかさも持って行きたい物があったら今のうちに言いなさい」
つかさ「うん……」
かえで「ほらほら、また顔が暗くなったぞ、明後日も休みでしょ、こんな時は実家に帰ってみたらどうなの」
つかさ「そのつもりですけど……」
かえで「余計なお世話だったわね、今日一日頼むわよ」
つかさ「は、はい!」
私は気合を振り絞って入れた。
調理器具は新調か。使い慣れた道具は持っていった方が良いかな……
『バタン!!』
勢い良く扉が開いた。
かえで「コラコラ、ノックぐらいしなさい、って、泉さん、何をそんなに慌てて」
こなちゃんは私に走り寄った。息が荒い、走ってきたみたいだった。
こなた「何度も携帯に連絡したのに……どうして出ないの」
私はロッカーを開けて携帯電話を見た。電源が切れていた。昨日充電して電源を切っていたのを忘れていた。
つかさ「ごめん、電源切れてた」
こなた「かがみが大変なんだ」
つかさ「大変って……何?」
こなた「今朝、倒れて病院に搬送されたって、まつりさんから電話があった」
倒れた……お姉ちゃんは妊娠していた……だけどまだお腹も大きくなっていないのに……どうして。
かえで「それは大変ね、つかさ、行ってあげてなさい、今日は休みで良いわよ」
つかさ「あ、ありがとうございます……」
急いで服を着替えた。
こなた「まさか、まさかとは思うけど、呪いって事はないよね?」
つかさ「それは絶対にないよ、私が保証する」
着替えながら私は答えた。
かえで「泉さんも行ってあげなさい、心配でしょう、今日は私がホール長になるわ」
こなた「ありがとう……車で直接行こう、高速使えば電車より早いよ、車で待ってるから」
こなちゃんは飛び出すように更衣室を出た。私も着替えてすぐ後を追った。
 
 こなちゃんの車に乗るとすぐに携帯電話でまつりお姉ちゃんに連絡した。話しによると大学への通学中に突然倒れたそうだった。救急車で病院に運ばれ、今は意識も
戻っていて普通に会話が出来るまでになっていると言っていた。その先は電話では話せないと言う。やっぱり病院に行かないといけない。電話では話せない事、何だろう、
すごく嫌な予感がした。電話を切ると丁度家の近くを通りかかった。こなちゃんは高速道路を使うつもりらしい。家の近く……
つかさ「こなちゃん、ちょっと家に寄ってくれないかな」
こなた「良いよ、それより電話の内容を知りたいな……」
つかさ「家から戻ったら話す……」
こなちゃんは家の前で車を停めた。
 
 家に着くと中には入らずに庭に向かった。そして、スコップを持って地面を掘った。確かこの辺りに埋めたはず……
しばらく掘るとスコップに手ごたえを感じた。あった。手で余計な土を取り除いた。そして壷を土の中から持ち上げた。そう、これはあの時作ったトカゲの尻尾のお薬。
たかしさんはもう薬は完成しているって言っていた。蝋で固めた蓋をゆっくり開けた。壷の中から発酵した漬物のような匂いが立ち込めてきた。そんなに嫌な匂いじゃない。
壷を覗くと。墨の様に真っ黒な液体が溜まっていた。そのまま家の中に入って洗面所で適当な小瓶を探した。そしてその小瓶に壷の液体を入れた。シロップみたいに少し
粘り気があった。小瓶を鞄の中に入れ、壷を片付けると車に戻った。
この薬、たかしさんの怪我のために作ったもの。お姉ちゃんに効くかどうかなんて分らない。だけど、何も無いよりはましだよね。
 
 車が高速に乗り、こなちゃんがスピードを出してきた頃。私はこなちゃんに話した。
つかさ「お姉ちゃん、妊娠しているの……」
こなた「……妊娠……そ、それでどの位経っているの?」
こなちゃんの声が上擦っていた。
つかさ「話しを聞いたのは一ヶ月前だから……それ以上は経っていると思うよ」
こなた「はは、かがみはもっと慎重派だと思ったけど、結婚前に妊娠だって……ははは」
笑っているけどそれは感情が入っていないのは直ぐに分った。
つかさ「まつりお姉ちゃんが言うには、電話では話せない事がお姉ちゃんに起きたみたい……何だろう」
車のスピードが速くなった。制限速度を少し上回っている。普段の私なら注意するけど私も逸る気持ち抑えられなかった。
こなた「少し急ぐよ……」
ゆきちゃんに連絡をしようと携帯電話を取ったけど、その後の動作が出来なかった……そして、病院まで私達は一言も話さなかった。
 
 病院の待合室に家族皆が居た。誰一人として笑顔で私達を迎えてくれなかった。
つかさ「お、お姉ちゃんは……」
誰もお姉ちゃんの話しをしない、黙っているだけだった。それだけで事の重大さが分った。こなちゃんもいつもの元気がない。冗談を言えない状況だった。
いのり「……脳腫瘍……それも悪性……明日の精密検査をしないと分らないけど……あと三ヶ月らしい」
つかさ「うそ、嘘でしょ……どうして、婚約したばっかりなのに」
私はお母さんの方を向いた。お母さんは首を横に振った。
みき「小林さんは、気丈に振舞っていたけど……さっき帰ったわ……」
つかさ「あ、赤ちゃんは、赤ちゃんは無事なの?」
いのり・まつり「赤ちゃん、何のこと?」
二人は顔を見合わせて首を傾げた。
みき「……ごめんなさい、かがみが生理不順だったから……私が間違えたのよ、調べてもらったら妊娠はしていないのが分ったわ」
これは喜べば良いのか、悲しめばいいのか分らない。兎に角お姉ちゃんに会いたい。
つかさ「お姉ちゃんの部屋は?」
まつり「355室……」
つかさ「こなちゃん、行こう!」
私はこなちゃんの手を掴んで行こうとした。
みき「つかさ、かがみには病気の事は……」
つかさ「うん、分ってる、言わないよ」
みき「泉さん……」
こなた「はい……」
小さい声でつぶやいた。
私達は待合室を出た。
 
こなた「ちょっと……待ってくれ……かな」
待合室を出て直ぐだった。こなちゃんは私の手を振り払ってその場に立ち止まった。
つかさ「どうしたの」
こなた「ちょっと……まだ心の準備が、出来ていないよ、つかさは……良いの?」
つかさ「私は……早くお姉ちゃんに会いたい」
こなた「会ってどうすれば、何て声をかける……分らないよ」
つかさ「どうするって……普段通りにしないと、お姉ちゃんにバレちゃうよ……」
こなた「普段通りって、どうするのさ」
つかさ「いつもやっている事……こなちゃんがボケて……」
こなた「そんなの……出来ない」
気付くとこなちゃんの目には涙が溜まっていた。
つかさ「こなちゃん……」
こなた「こんな姿しかかがみには見せられない……黙って……これじゃ黙っていてもバレちゃうよ……」
まなちゃんは突然亡くなった、辻さん、こなちゃんのお母さん、かなたさんも既に亡くなっている。死の予感……今まで私が見てきた死とは全く違う。
恐怖、悲しさ、切なさ……悔しさ……そんな感情が複雑に絡まって湧いてくるのが私にも分る。だけど……
つかさ「でも、ここで私達が行かなかったら……お姉ちゃんはもっと苦しまないといけなくなっちゃうよ」
こなた「つかさは強いな……私は、待合室に居た方がいいみたい」
こなちゃんは私に後ろを向けて戻ろうとした。
強い……以前、ひろしさんにもそう言われた。強くなんかない……
つかさ「私、一人じゃ行けない……だけど、こなちゃんとなら行けるような気がする、仕事を休んでまで来てくれた、きっと、お姉ちゃん喜ぶよ……
    こなちゃんがホール長になった話しをしたら、当然のように誇らしく喜んでいたよ、だから……ね」
こなた「……分った……」
こなちゃんは涙を拭った。
 
病室355号室の前に来た。私はノックをして部屋に入った。お姉ちゃんはベッドに座り本を読んでいた。私に気付くとにっこり微笑んだ。
かがみ「つかさじゃない、仕事はどうしたの……」
つかさ「倒れたって聞いたから、休んで来たよ」
かがみ「バカね、どうせまつり姉さん辺りが二倍も三倍も大袈裟に話したからでしょ、まったく、もう」
お姉ちゃんは元気だった。今すぐにでも家に帰れるような感じだった。
こなた「そんな元気なら来るんじゃなかったかな」
扉の陰に隠れていたこなちゃんが入ってきた。
かがみ「……こなたまで、どうゆう事よ」
お姉ちゃんの表情が変わった。まずい、気付かれちゃう……どうしよう。
こなた「鬼の霍乱を見物にきたよ」
かがみ「なんだと!」
こなた「きゃー、恐い、鬼が怒った……」
こなちゃんは私の後ろに隠れた。
こなた「……なんだ、元気じゃないか、折角きたのだから、もっと病人らしくしないと」
かがみ「何が病人よ、ちょっとした貧血た、明日退院よ、念のため精密検査はするけどね」
明日、退院するのか……それならお姉ちゃんの病気は内緒に出来るのかもしれない。
かがみ「折角来てくれた事だし、中に入りなさいよ、何もおもてなしは出来ないけどね」
私とこなちゃんはお姉ちゃんのベッドの横に椅子を置いて座った。
つかさ「こっちも慌てて来たから、何も持ってきていない……あ、あるある」
私は鞄から小瓶を取り出した。
かがみ「何よ、その黒いのは……」
つかさ「お稲荷さん特製の元気エキスだよ」
かがみ「……まさか、それを私に飲ませようって訳じゃないでしょうね……何か不気味だわ」
私は瓶の蓋を開けてお姉ちゃんに渡した。お姉ちゃんは瓶を受け取った。するとお姉ちゃんは急に私を見て真剣な顔になった。
かがみ「つかさ、私……つかさに言わなければならない事があるの」
ま、まさか、お姉ちゃんは病気の事を既に知ってしまっていた。私は唾を飲んだ。
かがみ「……この前、つかさに妊娠したって言ったけど、あれは間違えだった……ゴメン、お母さんの早合点だったのよ」
つかさ「あ、ああ、あれね……そ、それは残念だったね、お祝いを用意しようかなって思ってて……」
かがみ「……それはそれで良かったのかも、子供はやっぱり大学院を卒業してからでないと……」
こなた「ふ~ん、でも、間違えてしまうような事したのは事実なんだよね……か・が・み」
お姉ちゃんの顔が急に真っ赤になった。
かがみ「ちょ、それは……な、何よ、べ、別に良いじゃない、子供じゃないのよ」
こなた「そうだよね、子供じゃないよね」
こなちゃんはお姉ちゃんの近くに寄った。
こなた「それで……イカガデシタカナ、彼とのお戯れは……是非とも参考にお聞かせ願いたい……」
つかさ「あ、私も聞きたいかも……」
真っ赤なお姉ちゃんの顔がさらに赤くなったような気がした。お姉ちゃんは気を紛らわせる為なのか、手に持っていた小瓶を口に付け、一気に流し込んだ。
かがみ「うげ~何よこのドリンク……何が入っているのよ……苦いと言うか、渋いと言うか」
言えるはずもない。中にトカゲの尻尾が入っていて、二年間も熟成させたなんて……まさか本当に飲むとは思わなかった……
つかさ「景気付けだと思ってくれれば良いよ」
かがみ「水が欲しいわ……」
こなちゃんはコップに入った水を渡した。
こなた「いくらつかさの渡した物とはいっても、得体の知れないものを口にするなんて、さすが悪食だね」
かがみ「こ、こなたが悪いのよ!」
こなた「ふふふ、一気に飲み干してそれはないよ~」
怒鳴るお姉ちゃん。笑うこなちゃん……これは……普段通りのお姉ちゃんとこなちゃん。ごく自然だった。こなちゃんの態度に何ら動揺を感じない。
さっきまであんなに落ち込んでいたのに……
そんなこなちゃんを見ていたら、目頭が熱くなってきた。まずい、まずいよ、私がここで泣いちゃったらこなちゃんの演技が無駄になっちゃう。しっかり……つかさ。
かがみ「どうしたのよ、つかさ、さっきから黙っちゃって……」
どうしよう。今話せば声が震えてしまいそう。でも黙っていても怪しまれちゃう……
こなた「つかさは運転して来たから疲れたんだよ……そうでしょ、一回も休まないで来たし……ね、つかさ」
つかさ「う、うん」
短く返事をした。これが精一杯だった。もちろん運転はこなちゃんがした。もう、こなちゃんに合わせるしかない。
かがみ「ありがとう、疲れたでしょ、でも休まないのは不味いわよ、事故でも起こされたら大変じゃない」
だめ、もうお姉ちゃんの顔を見られない。自分でも涙が零れそうなのが分る。
かがみ「ふぁ~なんだか私も眠くなったわ……」
こなた「今朝倒れたんだから、無理しないで寝なきゃダメだよ」
かがみ「そうね……悪いわね……そうさせてもらうわ」
お姉ちゃんはそのままベッドに横になった。
かがみ「おやすみ、つかさ、こなた」
こなた「おやすみ~」
こなちゃんは私の腕を掴み引っ張るようにして部屋を出た。
 
 待合室の入り口でこなちゃんは腕を放した。
こなた「ここまで来ればかがみに気付かれない……」
つかさ「ご、ごめんなさい……」
こなちゃんは私を見ている。そうだよね。怒っているのかな。もう少しでバレてしまう所だった。
こなた「普段通り……そう言われたからやった、つかさ、ダメじゃないか、言い出しっぺなんだからさ……」
つかさ「私……こなちゃんの演技を見ていたら、もう……普段通りの事が出来なくなるかなって思っていたら……涙が……」
こなた「演技……私は女優じゃないよ、あれは演技なんかじゃない、私は普段通りのかがみと話しをしたかった……だから……」
私達の会話に気付いたのか、お母さんが待合室から出てきた。
みき「早かったわね……」
こなた「かがみのやつ、眠いって言うから……」
お母さんは首を横に振った。
みき「……先生が言われていた……症状が進むと良く眠るようになるって……うう、もうそんなに……」
こなた「つかさ……私はかがみの前で泣かなかったから……今度は私が先だからね……うう、うゎ~」
こなちゃんはお母さんに抱きつき泣いた。
お母さんはまるで自分の娘みたいにこなちゃんをそっと抱きしめた……
この時、初めて分った。こなちゃんはお母さんに自分のお母さんを重ねていたって。そして、お母さんもそれを知っていたのかもしれない。
いのりお姉ちゃん、まつりお姉ちゃんも部屋から出てきてお母さんに駆け寄った。悲しいのは私だけじゃなかった……
それにさっきのこなちゃんとお姉ちゃんの会話、お姉ちゃん、凄く楽しそうだった。
決めた。私は泣かない。最後の時まで。お姉ちゃんには普段通りに接する。それがお姉ちゃんのためになるのなら……
 
 私とこなちゃんは一足先に病院を出た。
こなた「つかさ……会長さんに、お稲荷さんにかがみの病気を治してもらえないかな……」
それは私も考えていた。だからトカゲの尻尾のお薬を試してみた。効果はなかった……
こなた「お稲荷さんの秘伝の知識とやらが役に立つときだと思わない、もし、かがみの病気が治せないような知識なんかだったら、この先の会合なんかやっても無意味だよ」
つかさ「それは、明日の会合で頼むつもりだよ……でも、今、それを私達に教えるかどうかの話しをしているから……教えてもらえるかどうか……」
こなた「別に教えてもらわなくて良い、治してもらえればね、もし、そうしてくれれば私もお稲荷さんの共存に協力してもいいよ、まずは相手の本当の力を知りたい、
    そして、本当に私達と共存して欲しいのなら断らない筈だよ」
こなちゃんは病気を治す方法をお稲荷さん達が知っていると思っている。私もそう思いたい
つかさ「やってみるよ」
こなた「お願い……」
この願いは私も同じだよ……
私達は車に乗り込んだ。
こなた「さて、どこに送ろうか、明日は東京の本社に行くんでしょ、つかさの実家なら近いけど」
つかさ「うん、それでお願い、それでこなちゃんも実家に来ない、一日泊まっていきなよ」
こなた「でも、かがみが入院しているし……迷惑じゃないの?」
つかさ「こんな時だから……こなちゃんに来て欲しい、それに明日は精密検査の結果がどんなでも退院するから、お姉ちゃんの相手になってもらいたい」
こなた「うん……」
こなちゃんは車を走らせた。
 
 次の日、お姉ちゃんの容態が心配……だけど、そう言っていられない。私は約束の時間に本社ビルに向かった。お稲荷さんは毎回場所を変えてきている。
今回は本社ビルの会長室で会合をする事になった。移動する必要がないのでお稲荷さんの代表が来るのを待つことになる。今度こそひろしさんが来ますように……
みゆき「どうしたのですか、元気がないですね、お体の調子が悪いのですか」
こんな時、いつもならゆきちゃんと楽しいお喋りをする。今はお姉ちゃんの事が気がかりでそんな気になれない。それにゆきちゃんにお姉ちゃんの病気の話しをどうやって
するか悩んでいた。
つかさ「実は……」
そうだ。会合でも話さなければならなかった。同じ話しを二回もしたくない。
みゆき「実は……なんですか?」
つかさ「うんん、何でもない……うんん、大事な話しがあるの、だけど今は話せない、会合が始まったら話すから……」
みゆき「大事な、話しですか」
ゆきちゃんはそれ以上聞いてこなかった。会長室にけいこさんが入ってきた。
けいこ「さて、代表者が来ました、席に着いて下さい……つかささん、残念ながら今回も代理のたかしです……そろそろ代表者本人と話したいものです……」
めぐみさんが部屋に入ってくると、その後からたかしさんが入ってきた。めぐみさんとたかしさんはそれぞれの席に着いた。
 
 けいこさんが会合を始めようと席を立った。私はそれに合わせて手を上げた。
けいこ「つかささんどうぞ」
私は席を立った。
つかさ「あ、あの、開始早々申し訳ないのですが……とっても個人的な話しなので……でも、どうしても助けて欲しくて、手をあげました……」
けいこ「個人的な話しであれば会議の後、私が聞きましょう」
つかさ「いいえ、是非ともお稲荷さんにも聞いてもらいたくて……」
けいこ「そうですか、たかしさん良いですね?」
たかしさんは頷いてくれた。
つかさ「あ、ありがとう……実は、私のお姉ちゃ……姉の柊かがみが倒れてしまいました、病名は悪性脳腫瘍……あと三ヶ月の命だそうです……」
みゆき「な、なんですか……そ、そんな話は初めて聞きました……なぜ、もっと早く教えてくれなかったのです」
いつも冷静なゆきちゃんが割り込むように話しに入ってきた。
つかさ「私も昨日分ったの……ごめんなさい……」
けいこ「高良さん静粛に……つかささん、続けて下さい」
つかさ「は、はい……お稲荷さんのお力で治してくれませんか、治してくれれば良いです、そうすれば私の友人がお稲荷さんに協力しても良いって言っています……
    い、いいえ、私からもお願いします、助けて、お姉ちゃんを助けてください……」
思わず感情が入ってしまった。私はそのまま席に着いた。たかしさんは目を閉じて聞いていた。
けいこ「……個人的な話ですね、しかし人の生命がかかっているのは確かです、どうですか、たかし」
たかし「ふっ……柊つかさの友人は我々を試そうと言うのか……悪性脳腫瘍か……確かに今の人間には治せないな」
たかしさんは怒ってしまったのかな。やっぱり調子が良すぎたのかもしれない……。
けいこ「つかささん、私達は今、まさにその話しをしているのです、分っていますよね、軽々しく使うような事は……」
たかし「残念だな、そう言う事だ、諦めてもらおうか……」
みゆき「わ、私からもお願いします、何とかならないのですか」
たかしさんは一瞬私に微笑みかけたような気がした。
たかし「俺は治すことはできないが、柊つかさ、君はもうその方法を手に入れている」
つかさ「え?」
言っている意味が分らない。何で私がそんなのを持っているのかな。
たかし「……俺の教えた薬を使うがいい、一口ほど飲ませてやれば効く筈だ」
つかさ「薬って……トカゲの尻尾の……あれは、昨日飲ませました……だけど効いたようには見えなかった……でもあれって怪我のお薬じゃないの?」
たかしさんは笑った……
たかし「飲ませたのか……ははは……さすが柊つかさ、勘が良いな、あの薬を飲むと強力な催眠作用が出るはずだ、それが出でたなら君の姉は助かる」
そういえばお姉ちゃんはあれを飲んだあと直ぐに寝てしまった。それは病気のせいじゃなかったの……
たかしさんの言葉を素直に受け取られなかった。たかしさんの顔を見ると自信に満ちている……分らない。どっちが本当なの……
突然胸のポケットから振動を感じた。携帯電話が振動している。思わず私は胸に手を当てた。
たかし「……電話が来たようだな、確かめてみるがいい……」
私はけいこさんの顔を見た。
けいこ「電話は部屋の外で受けてください、それだけです……」
つかさ「あ、ありがとう」
私は部屋の外に出た。
 
 部屋の外に出ると直ぐに携帯を取り出した。電話にはこなちゃんの名前が表示してあった。
つかさ「もしもし、こなちゃん?」
こなた『つかさ~!!!』
音が割れんばかりの大きな音が入ってきた。思わず携帯を耳から遠ざけた。その音は悲しさよりも歓喜の叫びに聞こえた。
つかさ「ちょっと、こなちゃん落ち着いて……」
こなた『が落ち着いていられてないよ、かがみがね、かがみが……』
つかさ「病気が治ったんでしょ……」
こなた『ちぇっ、分っちゃったか、つまんないな……』
もっとも、お姉ちゃんに何か悪い事が起きればこなちゃんじゃなくて家族の誰かが電話するはず。いくら私でもそのくらいは分るよ……
つかさ「お姉ちゃんに代われるかな……」
こなた『かがみは退院の手続きをしている所だよ……病院では誤診って事になっているけどさ、私は分るよ、昨日つかさがかがみに飲ませた怪しい薬、あれのせいでしょ』
つかさ「ふふ、分る?」
こなた『凄いよ、お稲荷さん、凄いよ、もう何て言って良いか分らない……お礼のしようがないよ、ありがとう、ありがとう……ううう』
つかさ「ちょっと、泣いているのか笑っているのか分らないよ……」
その薬を作ったのは私、教わったのがお姉ちゃんを呪ったたかしさん……お姉ちゃんは呪うほど恨まれたのに同じ人から命を救われるなんて……運命って分らないね。
こなた『あ、大事な会議だったよね、今日はお祝いだよ……休暇も取ったし、つかさも家に寄ってね、帰りは一緒に帰ろう』
つかさ「うん、そうするよ、それじゃ、またね……」
電話を切った。
……これがお稲荷さんの本気……ありきたりの物を使って、ちょっとした料理の技術だけで不治の病を治すお薬を作ってしまった。
お稲荷さんの知識と言っても、知っているのは金縛りや呪い、ひろしさんと別れた時に見た光の幻影くらいだった。疑っていたわけじゃないけど、
人間離れした魔法、どうせ教えてもらっても人間には使えないと思っていた。
……お姉ちゃんの病気を一夜で完治してしまう薬。これだけでも本物だよ。お稲荷さんと言われた意味が今になってやっと分った。
このお薬が世の中に出回ればどれだけの人が助かるのかな。お稲荷さんと一緒になればそれが出来る。やっぱりなんとしても成功させたい。
 
 会長室の扉。そういえば私、殆ど会合で発言していなかった。けいこさんは何も言っていないけど……
つかさ「よし!」
『ピシャ!』
両手で顔を叩いた。そして、扉をノックして部屋の中に入った。ゆきちゃんがものすごく心配そうに私を見た。私はゆきちゃんに微笑んで小さくVサインを送った。
それをたかしさんは見ていた。
たかし「答えは聞くまでもないな……」
つかさ「ありがとうございます、お姉ちゃん、姉は助かりました……」
私は深くお礼をして席に着いた。
たかし「俺は何もしていない、薬を作ったのは君だ」
つかさ「そうかもしれませんけど、お稲荷さんの知識の凄さを見せ付けられて……奇跡みたいです……それがあんなに簡単に作れるなんて……」
けいこ「たかしの教えたのは知識ではなく作り方……技術です、私達の教えるのは知識です、その知識は恐らく貴方達人間にはその知識を利用する事は出来ないでしょう、
    楽譜を読めても技術や楽器が無ければ音楽を奏でることは出来ないのと同じです」
難しいけど……音楽に例えると何となくイメージは分る。もっとも私は楽譜すら読めないけどね……
たかし「その知識を教える度に、俺たちは何度も命を狙われた……今までは逃げてこられたが、もう逃げる所はない、この星の何処に行っても人ばかりだからな……
    ふふ、南極大陸があるか……あそこは我々でも住むには過酷過ぎる……」
つかさ「今のままでも「狐狩り」で命を狙われちゃう、人間になっている時は良いけど、変身が解けたばかりの時ってとっても弱いって聞いたよ、けいこさんが前に住んでいた
    神社の周りの土地を買ったって言ったよね、そのせいであの町の狐狩りが禁止になったんだよ、だから、知識を教えるとかはもっと後でいいから、取り敢えず、
    神社に戻って安心して住もうよ」
たかしさんは腕を組んで考え込んだ。
ひろしさん達が戻っても私は遠くに行ってしまうのだけど……住んでいる所が分れば会うことができる。
つかさ「あと、聞きたい事があるの、お稲荷さんって全員で何人居るの?」
たかし「……二十人……」
つかさ「その人達全員がたかしさんと同じ意見なの、めぐみさんは私達と一緒に暮らしているでしょ」
たかし「……全てが同じではない……別行動している者もいる」
つかさ「それなら、たかしさんだけじゃなくて、全員呼んで意見を聞かないと、二十人位なら問題ないでしょ」
私はけいこさんを見た。
けいこ「問題ないですね」
つかさ「それじゃ決まり、今度の会合はお稲荷さん全員連れてきて」
たかし「……一度に全員が人間に変身するのは危険だ……それは避けたい」
つかさ「それなら半数が狐の姿でもいいよ、私も、ゆきちゃんも、お稲荷さんの正体は知っているから大丈夫、狐の姿でも私達の言葉は分るよね?」
たかしさんににっこり微笑んだ。
たかし「……考えておこう」
置時計のチャイムが鳴った。丁度三時になった。
けいこ「少し休みますか」
ゆきちゃんは携帯電話を取り出すと直ぐに部屋を出て行った。きっとお姉ちゃんやこなちゃんに電話をしに行ったに違いない。
けいこさんとめぐみさんは部屋の奥に行ってしまった。きっと知識の話しなのかもしれない。たかしさんは窓の外をぼんやりと眺めていた。
私はたかしさんに近寄った。
 
つかさ「ちょっとお話しいいですか?」
たかし「なんだ」
たかしさんは窓の外を見たまま答えた。
つかさ「ひろしさんは何故来てくれないの」
たかしさんは私の方を向いた。
たかし「……全員を呼ぶのはひろしと会いたいからか……」
つかさ「バレちゃった」
苦笑いをした。たかしさんは溜め息をついた。
たかし「これを預かっていた、返すそうだ」
たかしさんは鞄からCDを取り出すと私に渡した。そのCDはこの前私があげたCDだった。
つかさ「これが……ひろしさんの返事……なの」
たかし「そんな悲しい顔をするな、中身は全て携帯プレーヤーに入れたみたいだ、良く見ろ」
良く見るとCDジャケットのフイルムが剥がしてあった。
たかし「ひろしには、女性の誘いを断るのは最低だぞ……そう言ってやった、何も言わなかった……奴の真意は分らんが、今は会いたくないようだな……素直になれば
    俺は君に会わなくて済むのだがな」
つかさ「私が嫌いなの……」
たかし「いいや、そう言う訳じゃない、君を見ていると真奈美の面影が見え隠れする、何故だろうな……」
まさか。私は財布から葉っぱを取り出してたかしさんに見せた。
たかし「それは……」
つかさ「私を騙すためにまなちゃんが私にくれた物だよ……形見だと思ってずっと持っていた、だけど、やっぱりフィアンセだったたかしさんが持っていた方がいいかもしれない」
私は葉っぱをたかしさんに差し出した。たかしさんは腕を伸ばして葉っぱを取ろうとした。
たかし「いや、やめておこう、それは真奈美が君に渡した物だ、大事にしてくれ……それに、彼女を直接思い出すような物は持たないようにしている、思い出だけでいい」
つかさ「だから、神社に戻りたくないの?」
たかし「いいや……あの神社は俺の生まれた故郷でもある……複雑な気持ちだ、土地に執着はしないはずの我々……人間に化けるようになってから少し変わったか」
これ以上まなちゃんの話しをするのはたかしさんには辛いだけかもしれない。
つかさ「私の店が移転するって知っているかな、神社に戻っても、私の店、住む所が遠くになっちゃう」
たかし「すれ違いか……」
つかさ「だから、今度の会合で逢いたい……」
たかしさんは私をニヤニヤした顔で見た。私を冷やかす時のかえでさんやこなちゃんと同じ。
たかし「ふぅ、昔の自分を思い出すな……ひろしが羨ましい」
恥かしい。恥かしいけど、逢いたい気持ちの方が大きかった。
たかし「俺が結婚していればひろしは弟になるはずだったからな……他人事とは思えない、ひろしを連れてくるように説得してみよう」
つかさ「ありがとう……」
私は葉っぱとCDを仕舞った。
たかし「そのCDには何が記録されている」
つかさ「ラヴェルのピアノ曲集だよ」
たかしさんは部屋の中央に置いてあるピアノをじっとみていた。
同じCDを私は持っている。たかしさんにこのCDを渡そうとした時、けいこさん、めぐみさん、ゆきちゃんが戻ってきた。私とたかしさんも席に戻った。
 
けいこ「それでは続きを始め……」
たかし「今日はここまでにしてもらおう、俺の変身が解ける時間を考慮に入れるともうそろそろ限界だ」
けいこさんに割り込むようにたかしさんが話しだした。
けいこ「回復するまでこの部屋で休むがいいでしょう、ここは私達以外の人間は入れさせません、ご安心を」
たかし「いや、会議はここまでだ、柊つかさが言うように仲間を全員連れて皆の意見を聞くことにする、場所は俺の方から知らせる、それでいいか?」
けいこさんとゆきちゃんが私の方を向いてきた。私は頷いた。
けいこ「良いでしょう、皆さんそれぞれ自分の自由意志で決めていただきましょう」
たかしさんは頷くと席を立った。
つかさ「あの、良かったから持って行って下さい」
たかしさんにCDを見せた。
たかし「いいのか、君は聴かないのか」
つかさ「同じ物をもっているので」
たかし「それじゃ貰おう、返さないぞ」
つかさ「うん」
たかしさんはCDを受け取ると部屋を出て行った。
めぐみ「信じられない、たかしが人間の物に興味を持つなんて……人間になるだけでも奇跡的なのに」
めぐみさんはたかしさんの出て行った扉を見ながら驚いていた。けいこさんはそんなめぐみさんを見て微笑んでいる。
けいこ「つかささん、高良さん、予定の時間よりだいぶ早く終わりましたが、この後の予定がなければ軽食などを食べながら雑談でもいかがですか」
ゆきちゃんはソワソワしている。きっとお姉ちゃんに会いたいに違いない。
つかさ「嬉しいですけど……これからお姉ちゃんの退院祝いをするので」
けいこ「そうですか、足止めするのは酷と言うものですね、それではまた次の会合まで……」
つかさ・みゆき「さようなら」
めぐみさんが扉を開いてくれた。お辞儀をして部屋を出た。
 
 私達はゆきちゃんご指定の店に向かっていた。私とたかしさんが話している間にゆきちゃんが予約してくれていた。そして一足先にお姉ちゃんとこなちゃんが向かって
いるとゆきちゃんは言った。私もお姉ちゃんに早く会いたい。自然と歩く速度が上がっていった。
みゆき「つかささん、今回の会合は素晴らしかったです……それに引き換え私は足を引っ張ってばかりです、本来ならけいこさんと会食するのが最善だったと思います、
    私の為に断って頂いたのではありませんか……お恥ずかしながら、私はお稲荷さんの会合に参加すべきではありませんでした」
電車に乗って落ち着くと元気のない声で話し始めた。
つかさ「うんん、お姉ちゃんに早く会いたいのは私も同じだよ、それにね、ゆきちゃんが居なかったらとっくに諦めていたよ、ありがとう」
みゆき「そう言って頂けると嬉しいです……」
つかさ「それより、お稲荷さんの知識は凄いよ、私達の治せない病気を一晩で……」
みゆき「医学を志す者にとりましては、彼等の知識の深さに敬服するしかありません、私は彼等の全ての楽譜を読んでみたい……」
つかさ「ゆきちゃんなら出来そうだね、私なんか興味ないし、分らないよ」
『間もなく〇〇駅、〇〇駅です』
つかさ「降りるのはこの駅だったよね」
みゆき「はい」
 駅を降り、店に向かう途中お姉ちゃん達と合流した。私がお姉ちゃんを見つけ声を掛けようとした時だった。
私を横切りお姉ちゃんに駆け寄るゆきちゃん。お姉ちゃんの手を両手で握った。
みゆき「かがみさん、私は……私は……」
お姉ちゃんはゆきちゃんの突然の行動にただ驚いていた。本当は私が先にそうしたかったのに……
かがみ「ちょ、たった一日の検査入院よ、何そんなに……大袈裟ね……泣くなんて」
お姉ちゃんは周りの人達の目線を気にしながら恥かしそうにゆきちゃんを諭していた。
つかさ「こなちゃん、お姉ちゃんに病気の事言わなかったの?」
少し離れて見ていたこなちゃんは私に近づいた。
こなた「かがみは病気の事は知らない、家族にも言わないように頼んだよ」
つかさ「本当の事、言わなくていいかな……」
こなた「止めておこうよ、少なくとも店が移転して落ち着くまでは……今言っても混乱するだけだよ、かがみは現実主義だから……それにしても、つかさに貰った薬を飲んで、
みゆきさんのあの表情で自分がどうなっていたのか分らないかな……そう言う所がつかさに似て鈍いよ」
つかさ「そうだね……って、酷いこと言っている」
こなた「いいや、褒めているのさ、気の会う双子の姉妹ってね」
こなちゃんはお姉ちゃん達に向かった。
こなた「さてさて、もうすぐ先がみゆきさんご推薦のお店だよ、久しぶりに四人集まったのだから続きは店のなかでしようよ」
みゆき「す、すみませんでした、取り乱してしまいました……」
ゆきちゃんはお姉ちゃんを掴んでいた手を放した。
つかさ「四人集まったの、二年前の夏以来じゃない?」
こなた「そうだよ、その間私は昇進したのだよ」
かがみ「つかさから聞いたわよ、やるじゃない」
こなた「店に入ろう、続きは店の中で」
かがみ「そうね」
こなちゃんは私に小さく手で合図するとお姉ちゃんを店に連れて行った。ゆきちゃんは眼鏡を外してハンカチで目を拭っている。そうだね、ゆきちゃんにも言わないと。
つかさ「ゆきちゃん、お姉ちゃんは自分が病気だったって知らないの、だから当分そのままにしてくれないかな」
みゆき「……はい、それが良いのかもしれません、私自身、未だに信じられないくらいです」
つかさ「もう涙、止まったみたいだね、これから暫くお稲荷さんの事忘れて、四人で楽しくお喋りだよ」
みゆき「はい」
私達も遅れて店に入った。
 
こなた「楽しかったね、久しぶりにかがみをからかって遊べたよ」
つかさ「こなちゃん、小林さんの事ばかり聞いていたね、お姉ちゃん真っ赤になってたね……」
お店で楽しく食事をした後、私とこなちゃんは車で家路を向かっていた。最初は二人で店での会話の内容を振り返っては笑っていた。
高速道路に入ると話しはお稲荷さんの話へと自然と移っていった。
こなた「ふ~ん、お稲荷さんが全員集まって決めるのか……いよいよ大詰めだね」
つかさ「うん……でも……」
こなた「ひろしが来なかった、次も来るかどうか分らない……でしょ、私、ひろしの気持ちが分るような気がする」
つかさ「え、分るの、お、教えて!」
思わず身を乗り出した。
こなた「うわ~凄い食い付き……本当に好きなんだね……」
つかさ「いじわる……知っているくせに……もう聞かない」
そうやってお姉ちゃんと同じように弄って遊ぶこなちゃん。本当は怒ってなんかいなかったけど窓の景色を見て怒っている振りをした。
こなた「……これは私の勝手な考えだからそれだけは言っておくよ、つかさとひろしが別れたのはひろしの一方的だった、ひろしとしては二度と会うつもりはなかったと思う、
    別れのキスなんかするくらいだからね……私としては最後まで……まぁそれはいいや……ところが会長さんがつかさを特使として選んだから突然会う機会ができた、
    ひろしは気が引けていると思う、自分から別れた手前、後ろめたいんだよ」
つかさ「後ろめたい……そんな、私、怒ってなんかいない……会いたくないなら最初からけいこさんの企画に参加していない」
こなちゃんは少しアクセルを踏んだ。
こなた「それが分らない人とも思えないんだけどね……でも、CDを返す所を見ると全く脈がないわけでもなさそう」
つかさ「脈があるの、私、どうすれば良いかな?」
こなた「さぁ……たかしに期待するかないかな……」
つかさ「え~結局分らないの、聞くんじゃなかった、それより、なんで私とひろしさんのキスの事を知っているの?」
今度は本当に怒った。こなちゃんにそっぽを向くように窓の景色を見た。こなちゃんもそれに気が付いたみたいで、それ以上話しかけてこなかった。
もう過ぎたことかもしれないけど、かえでさん、後でみっちり叱らないと。
 
 こなちゃんの車が駐車場に止まった。
こなた「着いたよ……さっきはゴメン……半分はふざけていた、だけどもう半分はつかさを少しでも元気付けようと思って、本当だよ」
私は車を降りた。
つかさ「うんん、私も怒っちゃって……次の会合になれば分ることだから」
こなた「それじゃ、行こう」
次の会合の日はいつになるのかな。その日が来るのが恐い。
私は出来る限りの事をした。その日がどんな形に終わっても悔いはない……かな。
 
つかさ「おはよ~」
スタッフ一同「おはようございます」
一週間後、もうとっくに知らせが来てもいいのにけいこさんからの連絡が来ない。もっともお稲荷さんを全員集めるのだから場所の確保とかが大変なのも分らなくもなかった。
兎に角今日も元気にしなきゃ。私は更衣室に入った。着替えていると外がざわついているのに気が付いた。こなちゃんの声も聞こえる。おかしい、今日のこなちゃんは遅番のはず。
着替え終わって更衣室を出た。
こなた「あ、つかさ!」
私を見つけると駆け足で私に近づいてきた。
つかさ「こなちゃん、店内で走っちゃだめでしょ」
注意をするもこなちゃんは慌てて足をバタバタさせている。なんだろ。この慌て様は……
こなた「た、大変だよ……」
つかさ「大変じゃ分らないよ」
こなちゃんは手に持っていたスマートフォンを私の目の前に出した。
『ワールドホテルの会長の柊けいこが今朝、特捜部により脱税で検挙されました……』
な、何、何のこと……
つかさ「これは?」
こなた「シー、黙って聞いて」
こなちゃんは更にスマートフォンを私に近づけた。スタッフもこなちゃんの周りに集まった。
『脱税は史上最高額になると見られ、余罪があるとして追求をしています、また、柊けいこの秘書、木村めぐみに業務上横領の容疑があり、
全国に指名手配をされました』
画面にはめぐみさんの写真がでかでかと写し出されていた。そして、本社ビルに捜査官が入っていく映像が流れている。
つかさ「な、なんで、何故なの……またこなちゃんの悪戯でしょ……ふふ、こなちゃんったら、もうそんな悪戯……」
こなちゃんは今にも泣きそうな顔になっていた。違う、これは悪戯じゃない……
こなた「これが悪戯だったら、どんなに良かったか……」
つかさ「ね、ねぇ、これからどうなるの、どうなっちゃうの?」
こなた「分らない……」
かえで「おはよう……ど、どうかしたの、皆集まっちゃって……」
かえでさんが出勤してきた。私達の物々しい表情に戸惑っている。
こなちゃんがかえでさんの所に向かおうとした時だった。
『ピンポーン』
従業員出入り口玄関の呼び鈴が鳴った。もちろんまだ開店の時間じゃない。一番近くに居たかえでさんがドアを開けた。
「レストランかえでの店主はご在宅か」
スーツ姿の男性が3人、厳しい表情でかえでさんを見ている。
かえで「私ですけど何か?」
「松本かえでさんですね、ワールドホテルでの契約についてニ、三、伺いたいことがあります、任意同行ねがいますか」
男性は警察手帳を見せた。
こなた「店長、任意だから行く事ない!」
激しい口調で警察手帳を持っていた男性に向かって怒鳴った。
かえでさんはゆっくりこっちの方を向いた。
かえで「任意でも行かない訳にはいかないでしょ……さすがに今日の開店は無理ね、臨時休業とします、店を片付けて各自自宅で待機するように」
こなちゃんを嗜める様に静かで冷静だった。
かえで「分りました」
かえでさんは男性と共に店を出た。私はすぐに窓に移動した。かえでさんは男性達と車に乗ると、車はゆっくりと動き出し走り去った。
こなた「私達、何も悪い事なんかしていない……」
こなちゃんはうな垂れていた。
つかさ「と、とにかくかえでさんの言うように今日はお休みです、生ものは冷蔵庫に、仕込んでしまったものは……勿体無いけどゴミ箱にお願い、用事の済んだ人から帰宅して」
私は更衣室に入った。その後からすぐにこなちゃんが入ってきた。
こなた「嘘だ、これは絶対に何か裏がある、そうだ、そう違いないよ……」
つかさ「こなちゃんは遅番だから店に用はないよね、先に帰っていて良いよ……」
こなた「ちょっと、つかさ聞いてるの、私の言いたいのはね……」
こなちゃんは詰め寄ってきた。
つかさ「こなちゃんの話しを聞いたらかえでさんが戻ってくるの、けいこさんが釈放されるの……」
出そうな涙をこらえながら言った。
こなた「……つ、つかさ……」
つかさ「もう少しだったのに、もう少しで会合の答えが出そうだったのに……脱税って罪は重いのかな……払い直せばいいんだよね、計算間違えだったら許してもらえるよね」
やっぱり我慢できなかった。涙が零れているのが自分でも分った。
こなた「ご、ごめん……ジタバタしてもしょうがないよね、先に帰っているよ、お昼の買い物はしておくから、直接帰ってきて」
つかさ「うん、お疲れ様……」
私服に着替えた私は、事務室に移り、こなちゃんと同じ遅番の人、休暇を取っている人、シフトで休んでいる人に電話をかけて事情を説明した。
電話を全てかけ終えた後、支度中の看板の代わりに『臨時休業』と書いた看板をお客様で入り口に立て掛けた。
あけみ「お先に帰ります……あの、移転はどうなってしまうのでしょうか……」
つかさ「お疲れ様、分らない、まさかこんな事になるなんて……」
あけみ「何かの間違えなら良いのですが……」
最後に残ったスタッフのあけみさんが帰った。静まり返った店内は淋しい。さて、私も帰ろう。駐車場に向かった。
 
つかさ「ただいま」
家に帰ると居間でこなちゃんが熱心にノートパソコンを見ていた。
こなた「おかえり」
パソコンの画面を見ながら返事をした。
つかさ「臨時休業の看板を出しておいたよ、戸締りもOK」
こなた「お疲れ様……的確な判断だったと思うよ」
カタカタとこなちゃんのキーボードを叩く音が響いている。
つかさ「何してるの?」
パソコンをいじっているこなちゃんには普段ならあまり興味はなかったけど、何気なく聞いた。
こなた「ちょっとかがみに今回の事件の事を聞いていた、携帯にメールした」
そういえばお姉ちゃんは弁護士を目指しているのを忘れていた。
つかさ「それで、返事は来たの?」
私は台所でお茶の準備しながら話した。キーボードを叩く音が止まりこなちゃんは私を見た。
こなた「けいこ会長の脱税容疑は捕まえ易いから……いつもこの手でもっと重い罪を暴くのが彼等のやり方だって」
つかさ「もっと重い罪って……けいこさんがそんな事をするはずないよ」
こなた「そう、あの人はそんな事をするように見えない、むしろ……秘書の木村めぐみって人が怪しいな、秘書だから会長の名前を使っていくらでも悪事ができる、
    現に秘書は逃走しているしね……そのおかげで証拠隠滅の可能性があるからけいこ会長の保釈は認められないだろうって……そうかがみから返信がきた」
めぐみさん……あの人もそんな事をするようには見えない。うんん、彼女はけいこさんの親友。
つかさ「その秘書だけどね、彼女もお稲荷さんだよ……けいこさんを裏切るような事はしないと思うのだけど……」
こなた「何だって……それじゃ何で逃げる必要があるのかな……」
つかさ「私はめぐみさんを信じる」
こなちゃんは腕を組んで考え込んでしまった。自分の分とこなちゃんのお茶を持って居間に移動した。テレビのリモコンでテレビをつけた。どのチャンネルも
ワールドホテル会長のスキャンダルの話題で持ち切りだった。こなちゃんもテレビを見ていた。
こなた「そうだろうね、清廉潔白で優良大企業の会長が裏で悪事をしていた……なんて言うのは格好の餌食だ、なんか会長が可愛そうになってきた……
    これじゃ……深夜アニメも中止かもね……」
こなちゃんは溜め息をつくとノートパソコンを閉じ、私の淹れたお茶を一口飲んだ。そしてテレビをつまらなそうに見ていた。
そういえば……二回目の会合の時、めぐみさんから携帯電話に連絡が来たのを思い出した。自分の携帯を取り出し、着信履歴を見てみた……これだ。この番号は……
携帯電話の番号。この番号にかければめぐみさんに通じるかもしれない。話せば何かが分る。
こなた「ん、どうしたの」
つかさ「う、うん、めぐみさんに連絡をとろうかなと思って……」
こなた「バカー!!!」
凄い怒鳴り声。こなちゃんは私の携帯を取り上げると素早く電池を抜いた。何がなんだか分らない。
こなた「盗聴されるよ、つかさの携帯電話もマークされちゃうかもしれない、だめ、そんな事をしたら」
つかさ「ま、まだかけていないよ……」
ほっとした表情すると携帯電話を返してくれた。
こなた「まだ真相が分らないからむやみに会長やその秘書にも連絡を取ろうなんて思っちゃだめだよ、もし会長達が無罪だったらなおさらだよ、会長達に罪を着せようとする
    者達がいるかもしれないから……」
つかさ「……凄いね、こなちゃん、スパイ映画みたい」
こなた「私じゃない、かがみが用心しろってメールで送ってきた、だからつかさが携帯を取り出したから、もしやと思って聞いてみたんだよ……良かった、間に合って」
お姉ちゃん。やっぱり凄い。そんな事ななんて少しも考えていなかった。
つかさ「これから私達の店はどうなるのかな……」
こなた「かがみが言うには、契約は交わしているから会社がつぶれない限り有効だって言ってたけど……あの会長さん以外の下で働きたくないな……それより、
    その秘書と前に何を携帯で話していたの、場合によっては松本さんみたいに任意同行なんてありえるかもよ」
つかさ「お昼はなにが良いかの相談だったような……ってそんな昔の事まで調べられちゃうの?」
こなた「するかどうかは分らないけど、大抵の事ならできるよ……」
つかさ「こなちゃん、詳しいね」
こなた「ちょっと調べれば分るよ……さっきネットで調べたばかりだよ……」
こなちゃんはまたノートパソコンを開いた。テレビはけいこさんの報道ばかりしているのでうんざりみたい。私はテレビを消した。
つかさ「これから町の図書館にいかない?」
こなた「図書館?」
つかさ「うん、私もいろいろ調べたくて」
こなた「メンドクサイ~、つかさだってパソコン持っているでしょ、それで調べればいいじゃん」
つかさ「私はキーボードが苦手だから」
こなた「それなら一人で行けばいいじゃん」
つかさ「一人だと淋しいから、ね、お昼奢るから」
こなちゃんは溜め息をついた。
こなた「それなら行く、車はつかさが出してね」
つかさ「うん」
図書館に行ってもお喋りができるわけでもない。だけど、家に居てテレビを見てもけいこさんの報道ばかり、パソコンにしてもこなちゃん程集中できないし、興味もない。
気を紛らわしたいだけ。
 
 図書館で時間を潰し、昼食を食べ終えた頃、かえでさんから連絡が来た。事情聴取は終わったとの事だった。
話しに寄れば契約の確認とお金の流の確認だった。特に不備はなかったみたいなので直ぐに終わったみたい。とりあえずホッと一息。安心するばかり。
次の日から通常通りにお店を開く事ができた。でも……移転先の準備が滞ってしまい、それにも増して移転準備金を振り込んでもらうはずだったのにそれなかった。
準備資金はけいこさん、会長の個人的なお金だったみたい。資産凍結されてしまいお金も私達が工面しなければならなくなった。
そんんな、まだけいこさん逮捕の混乱が収まらない三日後……
こなた「松本店長、お客様です」
かえで「予約なら泉さん、貴女の仕事のはずよ」
こなた「いえ……店長に直に話したいと……」
かえで「分ったわ、事務所に通してあげて」
こなた「はい……」
こなちゃんは外に出て行った。かえでさんが事務所に入って行って暫くするとこなちゃんが私の所にやってきた。
こなた「つかさ、さっきのお客さん見た?」
小声で話しかけてきた。
つかさ「うんん、見ていない、どうしたの」
こなた「お客さんにしては不自然、スーツ姿にアタッシュケース……どうみても営業マンだよ」
つかさ「ホテルの人が来たんじゃないの、移転の話じゃ?」
こなた「うんん、いつも来ている人じゃない……」
スーツ姿……なんだろう、どこかで見たような気がする……思い出せない。
つかさ「こっちの仕込みも終わったから私も行ってみるよ」
事務室に向かうと自然とこなちゃんも私の後を付いてきた。事務所の扉をノックしようとした時だった。
『バン!!!』
もの凄い勢いで扉が開いた。中からかえでさんが飛び出してきた。私に当たりそうになった。
かえで「塩、塩を持ってきなさい!!!」
私がビックリしている間にこなちゃんは厨房に塩を取りに行きかえでさんに渡した。塩を受け取るとかえでさんは事務室側の出入り口に塩を振りまいた。
かえで「今分ったわ、こんなの絶対に許せない!!」
凄い権幕だった。私達以外にこれほど怒るかえでさんは初めて見た。
こなた「落ち着いて、お客様は居ないけど……落ち着きましょう」
感情的になっているかえでさんと冷静なこなちゃんの表情が対照的だった。そんなこなちゃんのおかげなのか、かえでさんの表情は直ぐに元に戻った。
かえで「仕事が終わったら時間は空いているかしら、つかさ、泉さん」
私とこなちゃんは顔を見合わせた。
つかさ「時間はありますけど……なんでしょうか」
かえで「二人に話があるわ、なるべく三人だけで話せる場所はない、私の家が良いかしら」
内緒のお話なのかな。さっき来たお客さんと関係があるのかな。
こなた「それなら家に来て下さいよ、ね、つかさ」
つかさ「え、あ、うん、そうだね、それが良いかも」
先にこなちゃんに言われてしまった。
かえで「それじゃ、帰りに貴女達の家に寄らせてもらうわ」
かえでさんは事務所に戻って行った。

 

 

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