第一部 二度と還らない普通という名の日常

――人間がどんな生き物か、わかった気がした。
  それはまるで、ころころ変わる山の天気。
  それはまるで、解けそうで解けない知恵の輪。
  それはまるで……ツンデレなかがみ――
 
 
 
《二度と還らない普通という名の日常》
 
 
 
「日下部、全国大会前に風邪引いちゃったらしいわ」
「うそっ。せっかく全国に行けたのに……」
「健康に気を付けているつもりでも病気にはなりますから、仕方ありませんね」

隣のクラス、かがみの友達である日下部みさお。通称みさきち。
陸上部の関東大会で優勝、しかも女子高生の新記録を叩きだして全国大会への切符を手に入れた。
しかし今回『風邪』を引いてしまって入院。今日行われるはずだった全国大会を欠席してしまったのだ。
みさきちは『風邪』が治ったら学校に戻ってくる。そして、『いつも通りの』日常に戻っていくのだろう。
だけど私は、みさきちが『風邪』でないことを知っている。『本当の意味で』『いつも通りの』日常に戻るわけじゃないってことを知っている。
知っているからこそ、私はこの三人に、何も言えないんだ……
 
 
・・・
 
 
――私がそれを知った時は、みさきちが全国大会出場を決めた数日後。かがみと一緒に陸上部の練習を見学してるときだった――
 
 
私達の目の前を、みさきちが全速力で駆けていく。この暑い中を100mも……私には到底できないネ。
そしてゴールの白線を越え、先生がストップウォッチを止めた。
それを横から覗き込んで、私とかがみは同時に歓声をあげる。


「お~! 日下部、やるじゃないっ!」
「すっご……もう私でも適わないや……」
「だけど最近、タイムが下がってきてるんだ。疲れてるのかもしれないな……」

下がってこんなタイムですか……みさきち、あり得ないよ……
すると、みさきちがタオルで汗を拭きながらこっちに歩いてきた。確かに、その顔からは余裕を感じとることはできない。

「はぁ……つ、疲れたってヴぁ……」
「よし。休憩にしようか」

先生は持っていた用紙にタイムを書き込むと、校舎の中へと消えていった。
みさきちといろいろ話したかったけど……地面にへたりこんでいるところを見ると、相当疲れてるみたい。
ここはゆっくりさせてあげるべきだと考え、私達も校舎に入った。
 
それから10分ほど経って、私達はグラウンドに戻ってきた。
だけどそこにいたのは、困り顔で辺りをキョロキョロする先生と他の部員達だけ。肝心のみさきちがいない。

「先生、日下部は?」
「それが……俺が帰ってきた時にはもういなくなってたんだ」
「それなら私達が捜してきます」

そう言って、私達はまた校舎へと戻っていった。
可能性としては、トイレか教室。とりあえず3―Cの教室を目指す。

「……ねえ」
「なに?」
「どういうつもりよ。自分から捜しにいくなんて言って」

自分でも、わからなかったんだ。気が付いたら私の口から言葉が出てたって感じだった。
だけど、そう言ったってかがみは信じてくれなさそうだから適当に返事をした。

「別に。深い意味はないよ。ただ……」
「ただ?」
「……ううん、なんでもない」
「? 変なこなたね」

私の心臓の鼓動が大きく聞こえる。運動をしたわけでもないのに。
なにか……言い知れない不安が、私の中にあったのだ。
根拠のない不安は杞憂だと自分に言い聞かせ、かがみに遅れないよう歩みを進める。
 
 
――それが杞憂ではないと知るのは、それから数十分後のこととなる――
 
 
みさきちがいない。
教室、トイレと見てきたけど……どこにもいないのだ。
さっき『言い知れない不安』を感じていただけに、私の中に焦りが生じる。
私とかがみは二手に別れ、みさきちの捜索を開始。
私は校舎を出て、体育館の裏へと向かった。
理由はない。強いて言うなら勘か、あるいは……
心臓の鼓動が次第に大きくなるのを感じながら、私はひたすら体育館裏を目指して歩いた。
この角を曲がれば、ちょうど体育館の真裏。そう思って歩いていくと……

「げほっ、げほっ!! ごはぁ!!」

ごはぁ!? なにそれ!?
あ、あり得ない咳き込みが体育館裏から!
しかも、なんかビチャビチャとか水音が聞こえてくるし!!

「ふぅ……だいぶ、良くなってきたな……。でも……こりゃ、本番は……諦めた方が良いな……」

え……みさきちの声……?
な、何が起こってるんだろ……。こ、怖いけど……捜してた人がいるんだ……
私は勇気を出して、足を一歩踏み出した。

「み、みさきちー。なにやって……」
「ごふ……ち、ちびっ子……」
 
 
 
……え……?

ど……どーして……?

だ、だってみさきち……さっきまで私ですら追い付けないスピードで走ってたんだよ……?

なのに……
 
 
 
なのになんでみさきちが口から血を吐いてるの!?

なんでみさきちがこんなに苦しそうにしてるの!?
 
 
 
「み、みさきち!!」
「はは……ここ、アタシが気に入ってる場所だったんだけどな……」

ちょ、そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!?
と、とにかく! みさきちを病院に連れて……
いや待て! こんな状態のみさきちを外に連れていったら、学校中がパニックになる!
だからってここに置いておくわけにもいかないし……
そ、そうだ! みさきちから対処法を……
って、無理に喋らせたら逆効果だよ!!
ち、血も拭かなきゃだし……
あ~もう!! どうすりゃいいのさぁぁぁ!!!

「そ、そんなに慌てなくても、もう大丈夫だってヴぁ……。ちょっと前に薬飲んだから……もう、落ち着いてるよ……」

そ、そうなんだ……
みさきちは何事もなかったかのように(いや、あったんだけどさ……)口と両手の血を拭いた。
てゆーか……私があんなにパニックしてたのに、みさきちはいたって冷静だネ……

「みさきち……なんで、こんなに……?」
「ああ……やっぱ説明しねーとダメか……」

もちろんだよ。
こんな大事なコト、説明してくれなきゃ……

「じゃあ……約束してくれ……これは、柊にも……あやのにも、言ってねぇ……。だから……誰にも言わないでくれ……」

背筋が凍るような感覚に、私の身体は震え上がった。
この約束は、まさか……どれだけ考えても、嫌な方向にしか想像がいかない。
だけど……聞かなきゃ始まらない。
錆付いたロボットみたく、私はゆっくりと顔を縦に動かした。

「……アタシな……本当は、不治の病に冒されてるんだ……。発作さえ起きなきゃ……あとはほとんどいつも通りなんだけどな……」

……信じたくなかった。
元気いっぱいのはっちゃけ娘。それがみさきちだったはずなのに。

「……余命、は……?」

私の口は、まるで自分のものじゃないかのように勝手に声を発していた。
その声は、震えてる。私は、今にも泣き出しそうだったのだ。

「……半年くらいだ。卒業まで……いや、年越しまでもたねぇってよ」
「――!!!」

はん……とし……?
……短い……。そんなの……短すぎるよ……!!

私の頬を、熱い涙が伝う。
何年ぶりだろ、本気で悲しんで涙を流したのは。
余命半年……。そんなの……残酷すぎるよ……

「ちびっ子……泣くなってヴぁ。いつかは話さなきゃいけなかったことだからな」
「えぐ……だって……だって……」

私の肩をつかんで、私を慰めてくれるみさきち。
なんで私が泣いてるんだろう。泣きたいのは……本当に辛いのは、みさきちなのに。

「大丈夫だって。今度からは部活もなくなるし、ちょっとくらいは長く生きられるはずだゼ」

私を慰めようと、こんなに優しくしてくれるみさきち。なのに、その命は……堕落した生活を送り続けてる、私なんかよりも……
ああ……神様がいるなら……会ってぶっ飛ばしてやりたいよ……。
なんで私じゃなくて、しっかり頑張ってるみさきちが……
できることなら代わってあげたいと、一瞬思ってしまった。
みさきち『だけ』の運命を嘆いているから……みさきちの本当の苦しみがわからないから、こんな考え方ができるんだ。

私は……偽善者だ。

「……よし、だいぶ収まってきた。じゃ、みんなが待ってるだろーから私は行くゼ。ちびっ子も落ち着いたら来いよな」
「っく……ひあ……」

声を出そうとしても、嗚咽に邪魔されて声が出せない。
頭を縦に振ると、みさきちはきびすを返して体育館裏から出ていった。
もう誰も見ていないと思った瞬間、涙腺の堤防は完全に決壊した。
立てなくなって、地面に膝をついて、空を見上げながら大声で泣いた。
 
 
 
 
 
――人間がどんな生き物か、わかった気がした。
  それはまるで、回りくどい問題の出し方。
  それはまるで、見た目は子供で頭脳は大人。
  それはまるで……人間の心。
  人間は、あまりにも単純すぎて……また、あまりにも複雑すぎる生物なのだ――
 
 
・・・
 
 
「……た、こなたってば!」
「!」

気が付いたら、かがみの顔が目の前にあった。
周りを見てみると、つかさもみゆきさんも不安そうな顔で私を見ている。

「こなちゃん、どうしたの? いきなり黙っちゃって……」
「なにか考え事ですか?」

いけない。思い出してるうちに、もうこんな時間になっちゃってる。
なんとかこの状況を打破しようと、脳みそをフル回転させた。

「いやあ、私が代わりに出たらどうなるかなって思って」
「アンタが? 練習とかしてないから、きっと2位か3位でしょ」
「それ以前に出られませんが……」
「わかってるよ、みゆきさん。もしもの話」

 
 
 
 
 
家に帰ってきてからテレビをつけると、全国大会の優勝者が映っていた。
表彰台の上で優勝トロフィーを受け取ってるところ。
その子の、涙でぐしゃぐしゃの笑顔は、とても輝いていた。
 
 
 
みさきちが出した記録を、打ち破ることができなかったというのに。

 

 

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