泉こなたの消失 第一章

神隠し――。
日本古来の民俗的な事象で、人間がなんの理由も無く突然消えうせる現象のことだ。
神隠しに遭った者には、二度と帰ってこない者、
神隠しにあった場所から自力では辿りつけない場所で発見される者、
不幸にも、後日死体となって発見される者がいる。
ただの子供騙しだろう、と人々は神隠し自体を否定してきた。かくいう私も、そういう人間だった。

しかし、神隠しが存在することを、私は知ってしまった。
しかも、神隠しに遭ったのが自分の身近にいる人間とは予想だにしなかった。

もう、冬の足音が日本列島近くまで聞こえ始めていた日のことであった。










泉こなたの消失
―THE VANISHMENT OF KONATA IZUMI―










全国の飼育小屋のニワトリが、今が朝なのか夜なのか全く把握できずに一日中鳴いているのではないかと思うほどに寒い朝。
私の体内時計も襲い来る寒波によって狂わされたのか、普段より30分も早く目を覚ましてしまった。
毛布に包まったまま伸びを一つし、ベッドからズルズルと滑るように下りる。案の定カーペットに不時着。
カーペットの冷え込み方も尋常ではなく、その冷たさと、予想していた暖かさとのギャップに私は飛び起きた。
半分しか開かない目で携帯電話を探し、こわばった右腕を懸命に伸ばして掴む。
目を擦りながら液晶画面を見ると、新着メールが一件届いていた。

『貸してたラノベ、今日返却キボン!
 忘れないで持ってきておくれよー(=ω=.)』

『ラノベ』やら『キボン』やら、そんな単語を連発する人間といえば、紛れもない、こなただ。
3日前に借りたラノベを今日返す約束になっていたのだ。これは、確認のためのメールだろう。こなたにしては気が利いてるな。
……にしても、送信時間が午前2時38分って……。あいつはホントに睡眠をとってるんだろうか。
そんなことが半分心配で、半分呆れを感じながら、私は顔を洗いに部屋を出た。

――前言撤回。やっぱり部屋は出れなかった。
猛烈に寒い。廊下にアイスクリームの一つでも置いておいたら、常温でも1ヶ月は保存できるんじゃないかと思えるほど寒い。
私は再び布団の中に吸い込まれるように潜り、睡眠と覚醒の間を行ったりきたりしながら、30分を過ごした。

――はずだった。目を覚ますと、そこには制服姿のつかさがいたのだ。
私の脳内の信号は、“危険”の色を濃くして点灯していた。何故か。

本来ならば、つかさが身支度を整えたと同時に家を出発するからだ。

「うひゃあぁっ!?」

我ながら情けない声を上げて布団を跳ね飛ばし、私はすぐさま身支度を始めた。
髪の毛が静電気のせいで大爆発を起こしていた。冬の寝坊、即ち髪の毛の死を意味す。ちょっと大袈裟か。
とにかくあちらこちら好き放題広がった髪の毛を、つかさに協力してもらって何とか梳かした。所要時間、約15分。
勿論、遅刻だ。







「かがみんカワユス」
「るっさいわね」

今朝の遅刻の事情を問いただされ、私が仕方なく理由を教えると、
こなたは満面の笑み(半分私を馬鹿にしてた)で私に言った。ちなみに、上のやりとり、これで4回目。

「二度寝はねー。やっちゃうよねー。寒いもんねー」

こなたがニマニマしながらこちらを見てくる。私はイラッと来たので、その両頬をつねって、引っ張ってやった。

「いだだだだだだ!」
「あんまりしつこいと、この口引き裂いて怪談に登場させるわよ……?」
「怖いっ! かがみん、怖いよ!」

両手を上下左右に動かし、百面相とまでは行かなくとも十面相ぐらいの顔を作ってやる。
こなたは私が力を込めるたびに「うぎゃう!」だの「むぎゅう!」だの、声にならない声を発していた。

「二度寝は、誰でもやってしまうものですよね。私も週末に、二度寝をしてしまいまして……」

みゆきが頬に手を当て、恥ずかしそうに笑った。

「そうよねぇ。やっぱやっちゃうわよねぇ」

私は流石に飽きてきて、こなたの頬から手を離した。こなたが呻き声を上げながら頬を撫でている。

「まぁ、気持ちはわかんなくもないけどね。おー、痛い痛い。かがみ、握力強すぎ」
「リンゴ一個ぐらい握りつぶせるけど」
「ひぃぃっ」
「冗談よ、冗談」

本気でビビっているのか、それとも演技なのか、こなたは肩を抱えて竦みあがっている。
もう一回強くつねってやるか否か、という選択肢を頭の中に浮かべていると、こなたがハッとした顔をして言った。

「そーいやかがみ、私のラノベ」

そこで、私の脳細胞の一部が活性化した。ラノベのことを記憶している細胞が、だ。
朝の一騒動の中で、その記憶だけをポロッと落としてしまったらしい。

「ごめん、忘れた」
「だろうと思ったよ。まぁいいや、別に今すぐ欲しいわけでもないし。ま、思い出したときでいいから持ってきてよ」

悪いわね、と一言こなたに返すと、こなたは「別にいいよ」と表情で私に語りかけた。
遅れた詫びに何か奢ってやるか。こなたの顔を見て、私は思った。







いくら私が勤勉だとはいえ、別に勉強が好きだというわけではない。
授業が終わるのを今か今かと待ちわび、終われば即座に帰る。帰宅部として、当然の心持ちなのではないだろうか。
勉強ばかりじゃ、学生は生きていけるわけがないのだ。いや、そりゃテスト前とかは別だけども。

で、いつも通り自宅に着いた私は、ベッドの上に寝転ぶ。欠伸が出た。
二度寝してまで睡眠時間を稼いだのに、まだ眠り足りないのだろうか。
自分の睡眠欲の強さに少し呆れるが、人間は睡眠欲と食欲には勝てないのだ。つかの間の休息をとらせてもらおう――。



「――かがみ。かがみってば」

聞き慣れた声がして、私が目を開けると、そこにはまつり姉さんの顔がズームアップされて映っていた。

「ちょ、姉さん、何してんの」
「ご飯出来た。何回も呼んだのに、アンタ全然起きないんだもん。このくらい接近しないと起きないでしょ」

まつり姉さんが私の部屋を立ち去ったのを確認してから、私はゆっくりと体を起こした。
何となく頭が重く感じた。少し寝すぎたのだろうか。体に上手く力が入らない。
頭を掻くのと目を擦るのを同時進行させ、部屋の電気のスイッチに指をかける。

そうだ、ご飯の前に、こなたから借りた本を見つけておくか。

私は読んだ本をちゃんと本棚にしまう癖があるので、きっとこなたの本も本棚にあるだろうと踏んだ。
文庫本のスペースを眺め、一冊一冊確認していく。
が、そこにはこなたの本は無かった。机の上も確認したが、見当たらない。
参ったな、どっか見えないとこに落としちゃったか。

「かがみー、早く下りてきなー」

へいへい、今下りますよ。
まつり姉さんの声に少し怒りが込められているような気がしたので、私は電気のスイッチをオフにし、部屋を出た。

食事を終え、再び部屋の扉を開けると、部屋の冷気が一気に押し寄せてきた。
ほんの二十分程度部屋を空けただけだというのに。外ではどれほどの冷気が渦巻いているというのだろう。
それを考えるだけで、少し寒気がした。

三十分ほど部屋を捜しまわったが、こなたの本は姿を現さなかった。
ヤバイな。アイツはほとんどの漫画や本を布教用、保存用、観賞用で3冊持っているとはいえ、無くされたら流石に怒るだろう。
携帯電話を手に取り、謝罪の文を打ってこなたのアドレスにメールを送る。
すると、こなたにしてはかなり早めに返事が帰ってきた。
――怒ったかな?

しかし、メールはこなたからではなかった。『送信エラー』という題名のメールだった。
おかしいな、アドレス変更のメール、来てないんだけど。仕方ない、電話するか。
携帯を耳にあて、こなたの声が聞こえるのを待つ。

『お掛けになった番号は、現在使われておりません――』

何度電話を掛けなおしても、聞こえてくるのは無機質な女性の声だけ。
……機種変更をしたのだろうか? それなら、明日にでも謝ればいいだろう。
特に疑問を持たずに、私は携帯を充電器に接続しなおす。
充電開始の合図を示す短いメロディが流れ、携帯電話に赤いランプが点った。

私は今日出された宿題を手早く片付け、布団にもぐりこんだ。

――明日、こなたはどんな顔をするんだろう。弁償と称して、一冊同じ本を買って行ってやろうか。
――明日の時間割、何だっけ。あぁ、そういえば明日は家庭科か。嫌だなぁ……。
――何か、疲れたなぁ……。あれだけ眠ったのに、また、眠……。

私の意識は、ゆっくりと優しくも暗い闇の中へ吸い込まれていった。














このとき、私はまだ気付いていなかった。

既に彼女の身に何かが起こっていたことを。
私の周りで、何かが確実に変化していたことを。



そして、私の身に危険が迫っているということを。

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最終更新:2008年08月10日 19:15
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