「ありがとう」ID:fVSgkA.o氏

天気は晴天。雲一つ無い空で、太陽が煌びやかに輝いている。
そんな中、人気の少ない路地裏を一人の少女が歩いていた。

「えへへ、近道近道♪」

彼女の名前は柊つかさ。
紫色のショートヘアーが、歩くたびにピョコピョコと動いている。
しかし、彼女のトレードマークである黄色い大きなリボンは無い。
先日、どこかに落としてしまったのだ。

お気に入りのリボンだったため、探しに行こうとしたが
現在はテスト期間であり、一分でも時間が惜しい状況。
そのうえ捜索範囲が広すぎるため、断念してしまった。

が、つかさはあのリボンを諦めることができず
無い時間を振り絞り、付近の捜索を兼ねて、新しいリボンを買いに向かっているのだ。

「う~……ちょっと怖いなぁ……」

怯える素振りを見せながら、周囲を見渡すつかさ。
元々彼女は、こういう場所は滅法苦手なのだが
一分でも時間の惜しいこの状況で、悠長なことは言ってらず
前にリボンを買った店への近道として、この路地裏を利用しているのだ。

何分か歩き、ようやく路地裏の出口が見えようかと思った時
つかさは目に映ったものを見て、思わず足を止めてしまった。

「あれ?」

つかさの瞳に映ったもの。
それは、一匹の犬だった。
犬が気になったつかさは、足早に近づく。
犬の方は接近してくるつかさを、じろじろと見つめていた。

「可愛いねぇ」

犬の目線まで屈み、犬の頭を頭を撫でるつかさ。
この犬は、以前ノートに落書きした犬にどこか似ていた。

(ダンボールの中にいるってことは……)

つかさは考える素振りを見せながら、ダンボールの正面に視線を移す。
そこには『誰か飼ってあげてください』と書き殴られている。
この犬は、捨て犬だった。

「うちで飼ってあげたいけど……」

困惑を露わにした表情で、犬を見下ろすつかさ。
彼女には、最後まで犬の面倒を見切れる自信は無かった。

(でもぉ……)

その場を立ち去ろうとするが、犬の瞳から目を離すことが出来ない。

「そうだ!」

何かを思いついたつかさは、腕にぶら下げていた鞄を漁り始める。
そして、中から一本のソーセージを取り出した。

「はい、どうぞ」

つかさがビニールを破ると共に、身を現すソーセージ。
犬は二、三回臭いを嗅いだ後、勢いよく齧り付いた。
美味しそうにソーセージを食べる犬の姿を見て、つかさは思わず微笑む。

(一本くらいならいいよね)

このソーセージは、家族にお使いを頼まれて購入した物だ。
姉たちに怒られる可能性はあったが、それよりも犬の力になりたいという思いの方が強かった。

ソーセージを食べ終えた犬は、つかさの手をペロペロと舐め始める。
その姿を見たつかさは、満面の笑みを浮かべていた。
しかし、ずっとここに留まっているわけにはいかない。

「それじゃあ私そろそろ行くね」

つかさは犬の頭を撫でながら、立ち上がろうとした。
が、何かを思い出して、再び体を折り曲げた。

「もし黄色い大きなリボンが落ちていたら、私のかもしれないから、あったら私に教えてね」

犬にそう言い残し、つかさはその場を去った。


その後も捜索を続けたが結局見つからず、店にもリボンは置いてなかった。



…………一週間後。

天気は一転して雨。
人気の無い路地裏に、容赦なく降り続けている。
そんな中、傘を差しながら早足で歩く少女が一人。

つかさは、再びあの路地裏に訪れていた。

(大丈夫だよね……)

あの犬の安否。

この一週間、そっと気になっていた。
テスト期間中もそれが原因で集中できず、結局テストは惨敗だった。

でも、今はどうでもいい。
あの犬さえ無事でいてくれれば。
その一心で、つかさは走った。

やがて、犬と出会った地点が見えてくる。

(どうか無事でいて……!!)


あの犬は―――――――――――――いなかった。

「あ……あ……」

犬どころか、ダンボールも無い。
あまりに悲しすぎる現実を見せ付けられたつかさは、大粒の涙を流し始めた。

犬は、保健所に連れて行かれてしまったのだ。
つかさは、テレビでそのような特集を見たことがある。
その時も、随分と心が痛んだ。
しかし、自分で体験した時のその痛みは何倍も重くて――――

その時。

『ハァ……ハァ……』

すぐ近くで、生暖かい吐息が漏れる音がした。

(え……?)

つかさは怯えた表情で、周囲を確認する。
誰もいない。

しかし、吐息は漏れ続ける。
言いようの無い恐怖を感じたつかさは、急ぎ足でその場所を去ろうとする。

すると、吐息はつかさの後を追ってきた。
いや、吐息だけではない。
得体の知れない『何か』が、つかさの背後に迫ってきている。

「やだ……」

顔面蒼白になりながら、その場を逃げ出そうとするつかさ。
その足は、いつの間にか急ぎ足から駆け足になっている。

しかし、『何か』は離れない。
彼女を恐怖で支配し、離れようとしない。

背後の『何か』から逃げるため、必死で走った。
いつの間にか、知らない場所まで来ていた。
それでも走った。

そして気が付いたら、墓場にいた。
墓地。
死を連想させる、嫌な場所。

墓石に雨水が流れ落ち、地面へと染み込んで行く。
そして出来上がった水溜りを、パシャパシャと二つの足音が響いていた。

「はぁ……はぁ……」

全速力で走り続け、既につかさの体力は尽きている。
それでも『何か』は諦めていなかった。

「もう……嫌だよぉぉ……」

つかさ自分の身体に鞭を打ち、『何か』から逃げ続ける。
あまりに弱々しい走りで。

「あっ!!」

やがて、転倒という形で限界が来た。

「痛いよぉ……」

膝を鋭い痛みが貫く。
だが今のつかさには、それを気にしている余裕など無かった。

吐息と足音。
一歩、また一歩と水溜りの上を歩いている。

「いやぁ……来ないでぇ……」

つかさが涙声で呟くが、目の前の『何か』は止まらない。
そしてついに、あと一歩、というところまで来た。

周囲を見回すつかさ。
視線の先にあるのは、雨に濡れたたくさんの墓石。
自分ももうすぐ、あんな風になってしまうのか。
そう思った刹那、腹の底に力が宿った。

「やめてぇええええええええええええええええええええええええ!!!!!!!」

つかさは目を閉じながら、力いっぱいの悲鳴を上げる。
その瞬間、すぐ目の前に居た『何か』が動きを止めた。

「………?」

何も起こらないことに気づいたつかさは、閉じていた目をゆっくりと開けていく。
そこには雨に濡れた墓石以外、何も映らない。
だが、目の前には『何か』が存在している。

『くぅ……?』

つかさを気遣うような声。聞き覚えのある鳴き声。
『何か』はゆっくりとつかさに近づき、擦り剥いた膝を舐める。
この仕草で、ようやくつかさは『何か』の正体に気づいた。

そこにいるのは、犬。
一週間前につかさが出会った、犬。
しかし、姿は見えない。

(ど、どうなってるの?)

理解不能の事態に混乱するつかさ。
けれど、既に恐怖心は無くなっていた。


「ふぅ……」

しばらく座り込んだことにより、つかさ冷静さを取り戻す。
冷静さを取り戻したことで、気付くことが出来た。

犬がいると感じるところだけ、雫が不自然な垂れ方をしている。
恐る恐る手を伸ばすと、ずぶ濡れのふさふさした何かの感触を感じた。

「あっ!!」

触れたことが、引き金になったのか。
目の前で透明だったものが、薄らと色づいていく。
やはりそれは、一週間前に出会った犬の姿だった。

『わん!!』

自分に姿が見えていることが理解したのか、犬は短く吠える。
その姿は半透明。目を凝らさないと見えないだろう。

「まさか……幽霊?」

そうとしか、思えなかった。
信じられない状況ではあるが、それ以外に結論は思いつかない。

(こうして出てきたって事は……)

つかさの表情が、一気に暗くなる。
幽霊となって現れるということは、現実世界では――――

「…………」

止まっていた涙が、再び流れ出す。
そのまま絶望に浸ってしまおうとしたとき、
濡れたスカートが、ぐいぐいと引っ張られた。

「な、なに!?」

不意を突かれたつかさは、驚きながら声を出す。
見ると、犬が頻りにつかさのスカートを引っ張っていた。
その仕草は、自分に付いて来いと言っているようである。

「付いて来てって言ってるの?」

つかさが尋ねながら立ち上がると、返事をするように『わん!』と一回鳴く。
そのまま犬は体を反転させ、ゆっくりと歩いていった。

(戻ってきちゃった……)

犬に連れられて訪れたのは、最初に犬と出会った路地裏。
全速力で走ったのだが、あの墓地とこの路地裏は、思った以上に離れていなかった。

「一体なにがしたいの?」

つかさの言葉に、犬は答えない。
無言で、ただひらすら歩いている。
これ以上尋ねても無駄だと思ったのか、つかさは口を閉じ犬の後を追うのに集中した。

『わんわん!!』

「ここがどうかしたの?」

鳴き声を上げると同時に、犬は止まる。
そこは柔らかい地面で、上手い具合に雨から遮断されていた。

『ハッハッ!!』

突然犬は、地面を掘り始める。
つかさには、犬が何をしたいのか分からなかったが
言葉を発さず、犬が穴を掘り続けるのを眺めていた。

数分経ち、ようやく犬が穴を掘るのをやめる。

「なにがしたか……こ、これ!?」

素っ頓狂な声を上げるつかさ。
掘り出された物を見て、ようやく犬のしたいことが分かった。

「私の……」

犬は掘り出されたものを口に銜え、つかさに差し出す。
口に銜えられたのは、一つのリボン。
つかさが失くしたはずの、黄色い大きなリボンだった。

「まさか……本当に探してくれたの!?」

つかさの問い掛けに、犬は嬉しそうに頷く。

「でも、なんで……」

あの言葉は、ほんの冗談のつもりだった。
しかし、犬はリボンを探してくれた。
つかさには、その理由が理解できなかった。

犬はその場に座り込み、曇りの無い瞳でつかさを見上げている。
まるで、何かを待ってるような―――

「ひょっとして……」

何かを待つ犬の仕草を見て、何となく理解することができた。
ソーセージを食べさせてくれたお礼を、この犬はしたかったのだ。
そのためだけに、幽霊として自分の目の前に出てきてくれたのだ。

ならばつかさも、お礼をしなければならない。
この犬が、期待している通りに。

「犬さん……ありがとう」

言葉を発すると同時に、犬の頭を撫でる。

『わん!!』

犬は嬉しそうに一回鳴くと、ゆっくりと体が消え始め、やがて天へと昇っていった。
いつの間にか空からは雨雲が消え、太陽が顔を見せていた。

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最終更新:2008年03月30日 23:55
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