そうじろうの収入がなくなったのは、もう随分前のことだった。
彼の仕事に興味を持たない娘は知らなかったが、彼は盗作疑惑をかけられた。
それは真実ではなかったのだが、タイミングが悪かった。
別の理由でクビになった元担当の人間が、腹いせに疑惑を本当にあったことだと認めたのだ。
週刊誌には騒がれ、もともと減っていた仕事はすぐに来なくなった。
それでも急に生活が出来なくなるわけではないし、学費を払うことも可能だ。
娘を私立の高校に通わせ続けることは貯蓄を大きく削ることになるが、中退だけはさせたくなかった。
親戚に借金をするという手段もあるが、それはあくまで最終手段。
盗作疑惑について知る妹やゆいからは心配されたが、大丈夫だと笑って誤魔化した。
苦しいながらも笑顔を絶やさず、娘には今までどおりに振舞い、ちょっとした贅沢もする。
しかしある日、突然の事故によってそうじろうは死んでしまった。
父の死と、それによって見ることになった父の日記によって、こなたは二度のショックを受ける。
「ひとりぼっちになっちゃった……」
友人やゆたか、ゆいなどは必死にこなたを慰めるが、彼女達の言葉は届かない。
「私にとって、本当の家族はお父さんだけだった。他の誰がいたって代わりにはならないよ!」
学校にも行かず、ただ最低限の生きるための動作だけをする毎日。
父の苦しみに気づけなかった自分が嫌いで、それでも死ねないでいる自分が嫌い。
無気力に過ごすこなたを心配して、友人達は何度となく彼女に会いに行った。
「泉さん。亡くなられたお父さんも、そんな風になって欲しいとは思っていないはずですよ」
なんて素晴らしい言葉だろう。
とても綺麗な説得で、まるで心に響かない。
「こなちゃん……。うまく言えないんだけど、このままじゃだめだよ」
わかっている。知っている。私は乗り越えなければいけない。
でも、誰のために?
家族はもういないのに。
感情の火が消えてしまったかのように反応のないこなたに、多くの人間が諦めかけていた。
柊かがみだけが毎日のように通いつめ、こなたが一言でも発するまでは帰ろうとはしなかった。
こなたが部屋に篭ったままの時でさえ、それは変わらなかった。
「ねえ、こなた。クッキー焼いてきたから、よかったら食べて。今度は手伝ってもらわずにできたんだ」
「……いらない」
扉を一枚隔てただけの場所にさえ聞こえるかわからない声で、こなたは呟く。
「わかった。一応キッチンのテーブルに置いておくから」
親身になってくれる友人に対しての言葉は、怒り出してもおかしくない程に適当で、拒絶に満ちている。
かがみの去る足音が聞こえなくなると、おなかの鳴る音が聞こえた。
夕食時にはまだ早かったが、昼間は水しか口にしていないのだ。
こなたは面倒におもいながらも階段を降りると、台所へと向かう。
机に置かれているお菓子を無視して冷蔵庫を開けると、そこには十分な食材が入っていた。
そうじろうが死んで以来こなたは一度も外出をしていないというのに、誰かが補充をしているらしい。
数種類の飲み物に、ヨーグルト、調理済みの小皿に入ったおかずが……いくつだろう。
それ以外にも、チーズなどのすぐに食べられそうな物がいくつもあった。
中央の棚の一番手前には、手作りらしい加工されたチョコレートが見えたが、手は動かなかった。
冷蔵庫から漏れ出す冷気は心地よくて、このまま開け放しておけば凍りつけるような気がする。
「お腹空いたなら、何か作ろうか?」
後ろからの声にこなたが振り向くと、洗濯物を手にしたかがみが立っていた。
ハンガーなどを手にしている姿から察するに、今から家の中に干すらしい。
昨日は掃除、今日は洗濯、夕食の用意はほぼ毎日か。
「……もういいよ」
こなたの呆れたような声に、かがみは何も言わなかった。
「受験がどうとか騒いでたのに、こんな事してたら受かるはずのレベルの大学ですら落ちるよ?」
相手を気遣っているようでいて、追い出すための口実に過ぎない言葉をこなたは紡ぐ。
「かがみは頭がいいと思ってたんだけど、意外にバカだよね。放っておけば時間がなんとかしてくれるのに」
それだけ言い終えると、こなたはまた冷蔵庫の中身に向き直ってかがみに背を向けた。
さすがに怒って出て行くだろう。
あるいは、殴られるかもしれない。
「いい加減にしなさいよ!」
こなたの想像は当たっていた。
きっとかがみは怒りながら、優しく私を抱きしめるのだろうと。まさにその通りだった。
「時間でしか解決できないんだとしても、放って置けるわけないじゃない……」
こなたは涼しさを感じなくなっていた。
冷蔵庫を空けている時間が長すぎたのか、かがみの身体が温かいのか。あるいは心が。
「家族とか、関係ないじゃない。そんな生まれつきの権利が無いと、心配すらしちゃいけないの?」
かがみの抱きしめる力が強まる。
痛い。かがみを悲しませている自分が嫌で、心が痛い。痛い。痛い。
「私はね、そういうのが嫌いなの。全部どうでもいいような振りをしてるのが」
「どうでもいいんだよ。もう何もかも」
「本当にそうなら、私を殺してみなさいよ! 誰がどうなっても関係ないんでしょ?」
「そんな無茶苦茶な……」
「ねえ。分けてくれてもいいじゃない。一緒に泣いて、一緒に苦しんで、そうやって巻き込んでよ。こなた」
こなたが何も言えずにいると、フローリングの床に水滴が落ちた。
僅かに首を傾けると、すぐ傍にあるかがみの泣き顔が見えた。
「……ひどい顔だね。顔芸としてお笑いに出られるくらいだよ」
「――だ、って。こなた。だって、じゅうぶんひどい顔してるじゃない……」
私も?
こなたが自分の顔を指でなぞると、目の前にある顔と同じで、濡れた線が出来ていた。
「それでみ、かがみよりは、ずっとマシだよ」
「鏡見てきなさいよ、バカ」
洗濯物は放り出され、冷蔵庫の扉は開いたままという惨状の部屋で、二人は同時に笑い出した。
「おはよう」
朝になってこなたが声をかけると、かがみはベッドからずり落ちそうになる勢いで距離を取り、落ちた。
「……っ。あんたねぇ、人の寝顔を覗き込むのとかやめなさいよ」
「えー。同じベッドで一夜を過ごしたのに、今更なんで恥ずかしがるのさ」
一夜を過ごす、という言葉より前に顔を赤くしていたかがみは、更に真っ赤になって怒り出す。
「へ、変な風に言わないでよ。あんたがさみしくないようにと思って、隣で眠っただけじゃない」
「……しかし、かがみの記憶にはなくとも、既成事実はもう完了しているのでした。めでたしめでたし」
「なっ!」
かがみは慌てて服の乱れを確認しようとして、ようやく自分が昨日と同じ服であるのに気づいた。
冷蔵庫の前で二人で笑って、抱き合って、泣いて、疲れてこの部屋で眠る。
回想をしてみても、やはり家には連絡をしていなかった。
「ん? そんな深刻な顔しなくても、キスだけにしておいたから大丈夫だよ」
「いや何でもない……っていうかキスはしたって、え、っと、あの、ええっ?」
「冗談、冗談だから。近いって、顔怖いよ。かがみー」
視線を逸らしたこなたの視界に、目覚まし時計が入ってきた。
学校が始まるまで、あまり時間はない。
今日から登校しても構わないが、さすがにもう一日くらいは休みたい気がする。
欠席した日のすべてが沈んだ気分のままだったというのは、あまりに空しい。
どうせ制服も鞄もないかがみは、家に戻っていたら確実に間に合わないだろう。
建国記念日などが休みになるように、今日は休み。二人の記念日にしよう。
うん、それがいい。
こなたはパニック状態のかがみを見ながら、この家族のように大切な親友と最後の休日を過ごそうと決めた。
最終更新:2007年10月19日 15:35