「きっかけのハンカチ」 ID:WCGOJ8YA0氏

すでに午後の9時を過ぎ、空は暗くなっているが星は見えない。がんがんと照らす街灯が恨めしい。

私はみゆきさんの隣を歩きながら家路につく。
会話はない。私が無口だからと言う理由だけではない。
お互いが何もしたくない、と思っているからだ。

今夜は通夜が執り行われた。
誰の通夜かというと、こなた先輩の従姉妹であり、私の親友でもある。
……いや、親友であったと言うべきか。
あぁ、もう親友ではないのか。
私を優しいと言ってしたってくれた。私もそれに応えようと努めた。

ゆたか……

「それではみなみさん、また明日。」
「はい、それでは。」

先輩の家の道を挟んで向かい側、つまり先輩の家の真正面が私の家である。
家に帰るも誰もいない。そう言えば両親は出かけていたのを思い出した。

食欲はないが何も食べないのは良くないと思い、お茶漬けでも食べようかとジャーを開いたが、中には何も無かった。

飼い犬が寄って来た。どうも散歩が済んでいないらしい。
仕方が無いので米をといでジャーにセットし、それから綱を首輪につなげて懐中電灯を持つと家を出た。

相変わらずがんがん照らす街灯のおかげで道は明るく、夜道でも十分に散歩ができる。

さっきまで忙しかったため忘れる事ができていたが、今になってゆたかの事を考えずにはいられなくなった。

今朝もこなたさん、つかささん、かがみさんと一緒に、ゆたかはいつも通りに登校していたそうだ。

バスに乗り、駅に着き、電車を待つ。ここまでがいつもと変わらない日常だった。
ゆたかは電車を待っていた。電車がホームに進入してくる。

ゆたかはふらりと線路に向かった。こなたさんの言うには吸い込まれるように。
そこから後の事は一緒にいた三人の先輩たちはしゃべろうとしない。

警官(ゆいお姉さんではない)の話によると、こなたさんは駅員の制止を押しのけ、
ばらばらになったゆたかの体をかき集めて、それでも全部は集められず、ゆたかの胴体を抱きながら
「ゆうちゃーん、ゆうちゃーん」
と泣いていたと言う。

私は近くを流れる川の土手に来ていた。ここまで来ると街灯は無く、道は暗くて足元が見づらくなった。
懐中電灯の電源をいれると発光ダイオードが鋭い光をはなつ。

川に面した土手の傾斜に腰を下ろす。いつもこうして時間を潰しながら考え事をするのだ。
こいつは私の隣でごろんと舌を出しながら寝転んだ。

ゆたかが自殺したとは思えないし、きっと事故だろう。
だっていつも私に笑顔をみせていてくれたじゃないか。
私がゆたかにハンカチを渡した事は今でも覚えてる。
あのハンカチがまさか私のところに帰ってくるとは思っていなかった。
しかもそのハンカチは友情という不思議な力をまとって帰ってきた。
実はあの時のハンカチは今も持っている。
私だって通夜では泣いたさ。その時に涙を拭いたのはこのハンカチだった。
そのつもりは無かったけど、たまたま通夜に持っていたのがこのハンカチ。
運命の皮肉とでも言える偶然。
ひょっとすると、偶然ではないのかもしれない。
今、このハンカチに宿っている不思議な力は、昔のような奇跡の力じゃない。
悲しみややるせなさ、それから運命に対する怒りや呪い……。

モフモフとこいつは私にすり寄ってくる。励ましてくれているのか。
こいつは私の目を見つめる、そして離す。また見つめる。離す。
こいつの目はゆたかの目と似ていた。今の心理だからこそ、そう見えたのかもしれない。
ゆたかの良く見せていた、私に対する憧れの眼差し。犬のこいつがそんな眼差しをするのだろうか?
それでもこいつの眼差しが、いつも仲良くしていたあのころのゆたかの眼差しと重なって、
そんな思いを振り払おうとこいつと目線をそらしても、その眼差しは心にこびりついてしまったようで振り払えず、
土手に生える芝生に顔をこすりつけて、こびりついたそれをそぎ落とそうとした。
それでも一度こびりついてしまったそれは、そのくらいでは剥ぎ取れなかった。

途方に暮れて起き上がると、またこいつと目が合ってしまった。

「その目で私を見るな」

なんとなくもうろうとする意識の中で、私は握っていた懐中電灯でこいつの腰を殴った。
キュウ、と鳴くもいまいち殴っている感触がなく、こんどはこいつの頭を殴った。
こいつは立っていられず、腰をおとした。
わたしは腹を殴った。足を、首を、肩を、胸を。

こいつは鳴かなくなった。
そこでやっと振り上げていた腕をぎこちなく下げた。うつ伏せになったこいつに抱きついた。

「ごめん」

そっとなでてやる

「ごめん、ごめんね」

懐中電灯はそれでもまだ消えなかった。

「帰ろう?」

綱を引くとのっそりと立ち上がり、数歩歩くと立ち止まった。もう一度引くとまた数歩歩いて立ち止まる。
舌を垂らし、虚ろな瞳はもうゆたかのそれとは似ても似つかない。
私にこびりついた物も消えている。
長い時間をかけて我が家に帰り、こいつをゲージに入れてやった。
餌をやってみたが無関心で、近くにあったジャーキーを与えても、やはり無関心。
強引に口の中に入れてみたが、閉じない口からポトリと落ちた。
仕方なくジャーキーをこいつの口元においておく。

いつのまにか次の日の朝を迎えた。

着替えを済ませて階段を下りると、いつの間にか両親が帰っていて、お母さんが飼い犬が死んだ事を告げた。

学校へ向かう。
はたから見ればいつもどおりのクラス。
クラスメートが一人減っていると言うのに、あまり変化は無いようだった。
ただ、ひよりさんは机に突っ伏したまま動こうとしなかった事だけが、いつもと違うようだった。
私も何もしゃべらない。

そう言えばゆたかがいる時は、昔の時よりよく喋っていた気がする。
それがゆたかがいないと昔に逆戻り。昔の根暗な私になっていた。
昼食時、私はとても空腹だった。そう言えば昨日の昼食から何も食べていなかった。
私はむさぼるように弁当を食べた。
少しだけ気分は良くなった。これからはじまる人生。陰鬱な気分を振り払い、新しい未来へ、新しい自分へ。

次の日、私ははあいつを連れて火葬場に来ていた。
平日なので学校は休んで来てしまったが、今まで一度も欠席した事がないのだし、
今日という一日くらい許されてもいいと思う。
そもそも私一人が休んだって、きっといつもどおりクラスに変化は無いのだろうし。

担当の人は火葬が終了したと伝えると、私たちをホールから連れ出した。
そこにあったもの、いや、いたものは、かつて私になついていたあいつではない。
そいつは見た事のないくらい白くて、たくさんの細い棒切れたちで形作られている。
それなのにそいつを良く見ていると、元は生き物であったと言う事がわかってきて、
あぁ、やっぱりあいつの骨なんだな、と実感できるようになる。

担当の人は、これがしっぽの骨、これがのどの骨と説明するが、私は説明が無くてもおおよそ理解できた。
何年も一緒にいたのだから。

私たちはそれらを箸でついばみながら、骨壷に収めてゆく。
ただ、頭蓋骨(とうがいこつ)は大きくて、骨壷には収まりきらなかった。
担当の人は、失礼しますと言うと、パリンとちゅうちょ無く頭蓋を砕いて、骨壷に強引に押し入れた。
そのかわいていて金属的な音が、おとといの夜、私があいつを殴った事を思い出させた。
音はそれとは別に、ゆたかをも思い出させた。
葬式は明日執り行われる。きっとゆたかもこうされるのだろうな、と。
ただ、ゆたかの場合はこれよりもっと酷い。
火葬される前からすでに…………、ウっと吐き気がした。

家に帰るとあいつの使っていたゲージが見えた。
すぐに私はゲージの解体を始めた。両親は私の行動に呆気にとられていた。
かまわず柵をはずして、中に入っている毛布をたたみ、途中で匂うあいつの匂いを懐かしながら。
それでも私はやめずに、おとといから転がったままだっだジャーキーを、その部屋にあったゴミ箱に突っ込んだ。
おもちゃのぬいぐるみをゴミ袋に詰め込みだすと、お母さんがそれだけは捨てないでと言うので、
仕方なくぬいぐるみを一つだけ袋から出す。
一通り片付け終わると引きずるようにゴミ捨て場に向かった。
思ったよりも重たい袋を持って。

ゴミ捨て場にたどり着いたが、今日はごみの日ではないようで、ひとつもごみは捨てられていなかった。
だからといって、このゴミ袋を持って帰るのも間抜けな気がする。
いけない事とは知りながらも、あいつの物だったこれをここに置いていく事にした。

さぁ帰ろう。新しい我が家へ。
私を待つのは過去の亡霊ではない。
時間は常に流れ、私を待ってくれないから。
次のこと次のことをして時間の流れにうまく乗れなければ、もうすぐたどり着く見た事のない世界は見えてこない。
私は振り返らない。絶対に!
私の期待するものは過去ではなく、いずれ見えるであろう未来を。
きっと歓迎してくれる。きっとうまくやれる。
右足を前へ、左足を前へ、ほら、景色は変り次の景色が私を歓迎する。
私は振り返らない。絶対に!

帰り道、私は踏み切りの中にいた。遮断機がカンカンカンと私に警鐘を鳴らしながら閉じる。
ビルに隠れたカーブの奥から電車が見えた。
私は迫り来る電車と対峙する。

電車は警笛を鳴らして私を威嚇する。邪魔だどけっ、と。
だが私はまだどかない。まだ50メートルほどの開きがある。死ぬつもりはない。
私は電車に向かってほえた。しかし警笛の音でかき消されてしまった。
私が手に持っているのは小さな包み。それは飼い犬のあいつの遺骨とそれを包んだハンカチだった。

ゆたかが死んでしまった。あいつも死んでしまった。でも私は生きている。
あらゆるものを失い、私はこれを期にもう一度やり直す。
今度からはゆたかのように、よく笑う。
今度からはゆたかのように、明るく話す。
今度からはゆたかのように……。

それらを決意して、手に持っていた包みを猛スピードで迫る電車に投げつけた。
包みは間抜けな音を立てて電車に弾かれて、線路の脇に飛んでいった。
私はそれを見てククっと笑った。

そろそろ避けなくてはマズイ。
そう思って力強く地面を蹴ったのだ。電車はさっそうと私のすぐ隣を通過していった。
しかし私は気づいていなかった。反対の線路からも同じく電車が近づいていた。
着地して、すぐに背後からの警笛でもう一つの電車に気がついた。
絶対に振り返らないと決めていたのに、私は後ろを振り返る。、
そこでもう避けられそうに無い所に電車が来ている事を知った。
何とか避けようと思ったのだが、それでも電車の速度はとても速くって、
着地の態勢から動けないまま、がんがん鳴る警笛が私に近づいてきた。

気がつくと私は空を見ていた。
星のない真っ暗な空を。


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