ID:qHe > g6U0氏:月下の狂走曲

狼男の伝説のように満月が人を狂わすという話はよくあるが、満月ははたしてスピード狂の血をも目覚めさせるものなのだろうか?



 助手席からスピードメーターを見ると、時速200kmを超えたところだった。
「後続、脱落します」
 運転席の上司、成実ゆいにそう告げる。
「了解。無理せずついてきてって言っといて」
「了解です」
 警察無線でその旨を後続車に伝える。
 後続のパトカー2台は国産車ベースであり、スピードリミッターの解除はしてない。設定をいじって200kmまでは出せるようにしてあるが、それが上限だった。
 それゆえ、200kmに近づいた段階で無理な追跡はしない運用になっている。これは無理な追跡で一般車を巻き込むような事故を誘発しないためでもある。
 しかし、埼玉県警高速道路交通警察隊の中では数少ない外車ベースであるこのパトカーだけは、スピードリミッターがついていない。制限速度超過車追跡仕様車──隊の中では「成実専用車」と通称されていた。
「久々に骨のある族だねぇ」
 彼女はまるで世間話でもするかのような軽い口調でそう言った。


 成実専用車は、現在、サイレンをけたたましく鳴らしながら、暴走族の集団を追跡中であった。
 既に、減速して最寄のパーキングエリアに入るように三度通告していたが、応じる気配はまったくない

族の車の加速はとどまるところを知らない。
 彼女はさらにアクセルを踏み込んだ。メーターが指し示す速度は、250kmに迫っていた。
「ところで、ナンバープレートは撮れたかい?」
「後ろの3両は撮れたはずです。スピードも継続的に計測中です」
 車載のビデオカメラと速度測定器は正常に動作している。デジカメでも何枚か写真は撮っている。証拠は充分なはずだ。
「了解。じゃあ、もっと近寄って前の車も捕捉しようかね?」
「危険なのでやめた方がいいと思います」
 真夜中の高速道路。一般車両の通行はほとんどないとはいえ、トラックはちらほら見受けられる。
 暴走する族の集団の中に無理に突入すれば、事故を誘発することにもなりかねない。
「そうかい? まあ、愛すべきお偉いさんたちに冷や汗かかせるのもなんだし、自重しようかな」
 既に部下は冷や汗をかいているのだが……。
 自分でハンドルを握っているなら、また違っていたかもしれない。時速何百kmでコースを駆け回るレーサーも、他のレーサーが運転する車の助手席に乗って同じコースを回ると、恐怖のあまり嘔吐することがあると聞く。今の状態はそれに近い。
 どれだけの速度になろうとも、族の最後尾車両との車間距離はぴたりと維持されていた。この辺のテクニックは、やはりさすがだとしかいいようがない。
 彼女はトラックをすいすいとかわしつつ、追跡を続けていた。軽く鼻歌を歌いながら、実に楽しそうだ。
 メーターは295kmを超え、まだ上がり続けている。
「300行っちゃうよ♪」
 これで人妻なのだから恐ろしい。この暴走女を妻に選んだ男の顔を一度見てみたい。


 それでも、彼女の若いころを知る者たちはみな口をそろえてこう言う。
「若いころに比べればマシになった」
 若いころは、速度違反車や追い越し車を見つけると、二重人格かと疑うぐらいに性格まで豹変していたそうだ。

時速300km超えで突っ走った時間は1分にも満たなかったが、感覚としては長く感じられた。
 ふと気づくと、徐々に減速している。族たちが速度を落とし始めたのだ。
「次の次のインターチェンジあたりで降りる気だね」
 警察無線を手に取った。
 各警察署の応援も受けて、阻止線を張れるように各インターチェンジにパトカーを集結させている。そこに連絡をつける。さらに後続車にも連絡をとらねばならない。

 インターチェンジの料金所に続く道を減速しながら突き進む。
 料金所をパトカーでふさがれた族はUターンして逃げようとしたが、彼女は巧みなドライビングテクニックで牽制して逃がさない。
 やがて、後続のパトカーもやってきて、族の車両を完全に封じ込めた。
 車から降りてなお逃走しようとする族たちをほぼ総出で捕縛する。

「うーん。今日はお月さんがきれいだねぇ」
 彼女はパトカーの横で、脳天気にそんなことをいいながら、腕を伸ばして体をほぐしていた。
 今日は快晴。きれいな満月が空に浮かんでいる。
 とはいっても、公務遂行中とあっては、それを愛でてる暇はない。
 手錠をかけた族をパトカーに押し込む。
 と、その族が彼女を見て、
「あっ、てめー、ナル公じゃねぇか!」
 そう叫んだ。
「おや、いっちゃんじゃないか。君、まだ族なんてやってたのかい? いい歳なんだからいい加減就職しなよ」
 交通畑の経歴が長いと、顔見知りの族というのも珍しいものではない。
「うるせぇー! 余計なお世話だ!」



 族を乗せての復路は、追跡時の暴走ぶりが嘘のように法定速度運行だった。


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