ID:OkanQNUo氏:ほされる

 ある日の夕方。
 今日はみゆきさんと俺が夕食の当番だったが、彼女は他の用事ができたため代打のみさおと組むことになった。
 みさおは鍋に煮干を投入しながらつぶやく。
「いやー恥ずかしい話、小さい頃からコレをそのまま“ニボシ”って覚えてたから、最近までニボシって名前の魚だと思ってたよ」
 袋に印刷された名称や原材料の表示を感慨深げに見ていた。
「あー、あるある。俺はガキの頃、“ニ”という名前の魚の干物だと思ってた」
「わはは、あるよなー。有名な絵で“ムンクの叫び”ってあるじゃん? あれもそういうタイトルじゃなくてムンクって画家の“叫び”って絵なんだってなー」
「あったあった、そういう間違い。“ヒチコックの鳥”って映画があるが、そんな名前の鳥の怪物が出てくるんじゃなくヒチコックって監督の“鳥”って映画なんだよな」
「!! そーなんだよなー、続けて言うから紛らわしいよな。間違えるよなぁー、わかるわかる!」
 共感得られたことが嬉しくてたまらないのか、みさおは油揚げや野菜を刻みながらはしゃいでいた。
「この前、泉が俺のことセバスチャンと呼んだんだが、はじめはセバスって人をちゃん付け……ん? どうした?」
 苦笑していたらみさおの手は止まり、俯いていた。
「……やっぱり雑談ってこうだよな」
 目を潤ませていた。
「何かあったのか?」
 地雷か? 発作かと身構えてしまう。
「あ……うん。夏休み入る前、学校で弁当食べてたときも友達とさっきみたいな話してたんだけど『ホントに恥ずかしいヤツだな』って言われてなー」
「うわ、直球」
「私、この歯の件があったから今みたいにコンロの前に立つことなかなかできなかったんだ。最近になってどうにか乗り越えたから、こうして味噌汁とか作れるようになってさ」
 鍋から出し殻を取り出しながら、この前のこなたのように誇らしげに、そしてどこか寂しげに語った。
 発作起こしたとき、コンロで焼いたドライバーとか言ってたな。そこに立つと、とてつもない恐怖の記憶を呼び覚ましてしまったのだろう。
「じゃあ、ニボシの間違いに気づく機会も最近までなかったわけだ」
「そうなんだー。あいつは事情知らねんだからあれが普通の反応なんだろうけど、私が家事とか怠けてたってバカにされたみたいで悔しくてなー」
「そうか……怠けるもへったくれもなかったんだろうに。乗り越えるの大変だったんだろ?」
 発作の光景を考えると、克服が相当な苦難だったのは想像に難くない。
「あー。でも、確かに料理なんてできて当たり前のことなんだし、その当たり前のことができるようになったぐらいで有頂天になってたんだから確かに恥ずかしいヤツなんだよな、私」
「いや、そんなことないだろ。普通なら立ちはだかることのない高いハードルを乗り越えたんだから立派だって」
「……ありがとなー」
 その言葉も寂しげだった。
 俺なんかじゃなく、その友達にこそ褒めてもらいたかったんだろう。
 共感得られないってのは寂しいことだな。
 しばらく作業を続けていたら、みさおは出し殻を甘辛に炒めながらつぶやいた。
「あのときの弁当のおかず、なんとかコンロの前に立てるようになって初めて作った料理だったんだ」
「……! でも、事情はヘビーすぎてその場では話せないか」
「そうなんだー、弁当食ってんだから食欲失せること話すわけにもいかねーし。だから空気入れ替えようと思ってムンクの話に切り替えたら、そうなんだって感心されてさ。嬉しくて更にあれこれ喋ってたら、ちょっとからかっただけなのに大喜びしたって引かれちゃってなー」
「掛け合いってのは難しいもんだな」
「うんうん、すっげー難しい。おまけに、通りすがりのヤツに施設育ちは非常識だの世間知らずだのとバカにされてさ。私がたまたまズボラだっただけで、高良さんみたいにしっかりしてる人やチビっ子みたいに物知りな奴だっていくらでもいるんだって言い返したけど、墓穴掘ってどうするって友達から突っ込まれたし~」
 あ~また落ち込んでく。
「ひどいな、ほんとに友達かそいつ」
 みゆきさんならうまいフォローできるんだろうな。その友達なりの思いやりで、ちょっとしたからかいで元気付けようとしたとかなんとか。
「あ、うんうん! 突っ込みきついとこあるけどあいつは基本的にいいヤツなんだってヴぁ、世間知らずとか言った奴フルボッコにしてくれたし」
「……そうか」
「それにツンデレっての? 顔真っ赤にして髪の毛くるくるいじりながら強がり言うのがすっげー可愛いんだぜぇ~」
 以下、ノロケ話のようにその友達のいいところを熱弁された。
「結局は友達自慢かよ」
 苦笑して調理を再開したとき、食堂と繋がった共同スペースから、ぱんぱかぱーん! などと口頭でのファンファーレが聞こえた。
「聞~ておどろけー!! ドラマ出演が決まったよ――――ん!!」
 小柄な少女が、そこにいた他の子と手を取り合ってはしゃいでいた。
「ん? 見かけない顔だけど新入り?」
「いや、ここの子、小神あきらってんだ。最近は新しい企画のオーディションだかでここ離れてたんだ。テレビで見たことねえ? 3歳のころから子役やってたんだとさ」
「……知らない」
「まー、チョイ役が多かったからしょーがねっか。それに最近は……」
 と、そこで鍋が噴きはじめ話は中断した。
料理が出来上がり皆で席に就く。
 そう、皆だった。
 こなたの姿を確認した。今日は調子がいいのか口にするときもさほど無理してるようには見えず安堵した。
 みさおも思うことは同じらしく、隣の子と会話もしているこなたを嬉しそうに見守っていた。
 そして俺の視線に気付いたみさおは下唇を突き出した妙な表情でサムズアップしてきた。
 表情の意図はよく分からないが、とりあえずサムズアップを返しておく。
 あきらは俺の隣に座っていた。ゲームの話をしてたので、それに関し思い出とかあるかと話を振ると、パァと顔をほころばせた。
 地雷を踏んでしまったわけではなさそうだが、それどころでない事態が発生した。
 客観的に見るとあきらは元気よく挙手し楽しそうに答えてるだけなんだろうけど、振り上げたあきらの手は激しい折檻の記憶を呼び覚まし、更にはマウントポジションになってボコボコに殴られた記憶まで蘇り反射的に身をすくめてしまう。
 こんなちっこい子にビビってしまうってのも情けない話だが、この反射は染み着いてしまってどうにもならない。
 堪えろ堪えろ、こういうふうにテンション高くリアクションする人はいくらでもいる。配慮なんぞ求めてたらキリがない……。
 食後、あきらの今後についての詳しい話になる。
 新しく始まるTVドラマの関連番組となるラジオ番組のナビゲーターを勤め、しばらくしてドラマの放映が始まったらその番組内の1コーナーとしてTV進出するとのこと。
 そして中盤からはドラマ本編にも出るという。
 その話を聞いて他の子が不安げにあきらの腕を見た。
「あ……うん。手首、初めは袖の長い衣装でごまかすけど、劇中の衣替えに合わせてこっちの衣装も変えるからそれまでに消してくれってさ。だけど……」
 言葉を濁したあきらにつかさとみさおがフォローを入れる。
「あきらちゃん、私は後でいいよ」
「そーそー、チャンス逃すことねーって」
 ふたりの共通項と手首という単語でピンと来てしまった。
 クーラーなんてないので暑いのに、あきらだけ長袖のシャツを着て、おまけに袖口もしっかりと止めていた。
 彼女も目立つ傷を抱えている。おそらく、追い詰められ自らを傷つける方向に向かってしまったのだろう。
 その治療の優先順位が変わったということか。
 あきらは泣きながらふたりに抱きつき、その様をひよりをはじめとする足長お姉さん達が温かい目で見ていた。
 その光景に、俺も稼いで少しでも助けになれるようになろうという考えが浮かぶ。
 俺も新聞配達でもするかな、そういう奨学金もあることだし。
 そういえば近所のペットショップでバイト募集してたっけ。
 ボロ雑巾のようにこき使われるかもしれないが、足長おじさんならぬお兄さんとして頑張ろう。
 などと考えていたら、みさおはあの八重歯を覗かせはにかみながら更なるフォローを入れた。
「白石がさ、私の歯、小悪魔チックで可愛いって言ってくれたんだー。だから私はこのままでもいいかなって思ったんだってヴぁ!?」
 あきらは、あの小柄な体に不似合いな怒気を立ち上らせた。
「あぁん? そりゃ結構なこって、アン○リーバボーで使えそうなメディア受けするいい展開だよな。そりゃそーだよな、みさお姉ちゃんみたいに褒めてくれる人がいるわけじゃないし、つかさ姉ちゃんみたいに皆のため自己犠牲で切ったんじゃない。どうせ私はメンヘラ気取りの構ってチャンだよ!」
 絡み、わめき、暴れだし、みゆきさんがなだめに入った。
「あきらちゃんは傷跡を見せびらかして同情引いたりはしてなかったんですけど、世間ではブログに傷の写真貼ったり依存心に満ちた自分語りする手合いが植えつけた偏見がひどくて、あの子は酷くバッシングされてたんですよ。そういうスキャンダルで仕事がなくなった矢先に親が起こした問題が発覚して養育できなくなってここに保護されたんです」
「いや、暢気に解説してる場合じゃないでしょ園長先生」
 あきらの豹変ぶりに恐れおののいてたら、凶暴な目つきの矛先は俺に移った。
「目ぇ、小っちゃ!」
「おい白石ぃ」
「は、はいぃ!?」
「私のアシスタントやれぇ」
「え?」
 女の細腕、しかも袖口から痛々しい傷跡が見えるにもかかわらず物凄い腕力で掴みかかってきた。
「仕事とか居場所とか、ここ以外にもあったほうがいいだろ」
「え? え?」
 ドラマの企画書を突きつけられた。
『女の子を中心とした、ゆるゆるーな、何でもない女子高生の日常を面白おかしく描く、「あ、それよくあるよねーー」と言った共感できる出来事を素直に描いた生活芝居』だ、そうだ。
共感、か、ややこしい境遇の俺らにはなかなか得られないものだ。
「私が出る番組、ドラマの方まだ脚本できてないどころか、キャラも設定も全然固まってないんだとさ。これから新人を大量に登用して、そいつらの特徴とか身の上話をヒントに設定とか固めるんだとよ」
 泥縄というか行き当たりばったりというか、ずいぶんといい加減な話だ。
 それでも、ぶら下がったチャンスにはすがりつくほかないのだろう。
 くるりと皆に向き合ったあきらはさっきまでの凶暴さが嘘のように愛嬌を振りまいた。
「だからみんなもオーディション受けてみない? ウチらみんなアク強いからキャラの味付けにはちょうどいいかも。業界入ったら高級な料理食べたり温泉行ったりできるよー」
「なんちゅう勧誘だ」
「あ゛? 私がこの業界入ろうとしたきっかけはそうだったんだよ悪いか!」
 凄まれ思わず目を逸らすと、この提案をまんざらではなさそうにしている者が数名見えた。

「将来女優になるってのもいいなー、映画とか」
 などとこなたが呟き興味しんしんで見ている企画書の表紙が目に入った。
 ドラマのタイトルは『Lucky Star』だそうだ。
 うだつの上がらねえ崩壊家庭出身にやっと巡ってきた幸運か、それとも破滅の罠か?

 俺、いや、俺たちの明日はどっちだ……。


監督「プロデューサーも無茶な企画を通したものだ、などとぼやいていても仕方ないか。さて面談面談、緊張しないで色々話聞かせてよ新人さん」
新人一同「「「「「「「「「はいっ!」」」」」」」」」




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  • うわぁ何この壮大さ -- 名無しさん (2011-01-07 22:00:20)

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最終更新:2011年01月07日 22:00
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