らき☆すた殺人事件 ~紅く染まる白銀の世界~

冬休みを目前に控えた陵桜学園。
すでに受験を終えた生徒も多数いるため、休み時間には『冬休みの予定を話し合う生徒』と『受験勉強をする生徒』とにきっぱり別れるのである。
今、3―Bで昼食をとっている六人組のうちの三人――泉こなた、高良みゆき、峰岸あやのは前者であり、もう三人――柊かがみ・つかさ姉妹、日下部みさおは後者だ。

「冬休みはスキーかぁ……いいなぁ……」
「みゆきさんの家の別荘、楽しみだヨ」
「私も。スキーしたことないから、ちょっぴりわくわくしてるの」

受験を終えたこなたとみゆきとあやの。この三人は冬休みを利用して北海道にあるみゆきの別荘に向かう予定だ。

「私達はこれから受験だからねぇ……楽しんで来なさいよ?」
「わかってますよ。かがみさんつかささんも、そして日下部さんも、お勉強頑張ってくださいね」
「うぐ……ぜ、善処するってヴぁ……」

聞いていて、こなたは耳が痛かった。
みゆき、あやの、こなた。この三人の中で、唯一試験に落ちてしまったのがこなたなのである。

「……こなた?」
「絶対……受かってよね……」

声が、身体が、震えている。

「っ……私、みたいな……こんな、辛い思いは……絶対に……しないで……えぐ……」
「こなた……」
「こなちゃん……」
「ちびっ子……」

受験前、みんなで何度も勉強会をしたのだが、こなたは『なんとかなるだろう』と適当にやっていたのだ。
そして、前日に一夜漬けをしたのだが……そんなんで間に合うはずもなく。
結果は受験生360人中359位と惨敗。『なんとかならなかった』のだ。
これにこなたは相当ショックを受けた。まさか、受験に失敗するということがここまで辛いなんて。

「絶対に……ひっく……落ちちゃ……ダメなんだからぁ……」

涙を流してそうお願いするこなたを見て、三人は決意した。

「……もちろんよ。あんたの分まで、しっかり頑張るわ」
「私も、できるかぎりのことをするよ」
「だからちびっ子、アタシ達のことは気にしないで、思いっきり楽しんでこいよ」

三人の決意を聞いても、こなたの涙が止まることはなかった。


・・・


「北海道……?」

一方その頃。1―Dの教室でも、同じような話が進められていた。

「こなたお姉ちゃん達、受験が終わったから遊びに行くんだって。みんなもどう?」

そう提案したのは、こなたの従妹である小早川ゆたか。決して妹ではないので注意。

「でも、泉先輩は確か……」
「Yes……Failしちゃったのデハ……?」

こう尋ね返したのは、親友の田村ひより・パトリシア=マーティンだ。
ちなみに冒頭の「北海道……?」と言っていた人間は岩崎みなみ。ゆたかのもう一人の親友である。

「……実はこの旅行、こなたお姉ちゃんとみなみちゃんのために高良先輩が提案したんだ」
「え……」

みなみが首を傾げる。

「こなたお姉ちゃん、受験に失敗してすごく傷ついちゃって……。それで高良先輩にどうすればいいか聞いてみたら、『それなら慰安旅行がいいでしょう』って」
「さすがミユキ、慰安旅行がホッカイドウなんてスケールがBigデース!」

大袈裟なバンザイに苦笑したが、その発言が『旅行についていく』と言っているに等しいことにゆたかは気付いた。
顔をひよりに向けると、ひよりも顔を縦に振った。

「そういえば、なんで岩崎さんのためでもあるの?」
「アレですよ。アノ事件」
「あ……チェリー……」

みなみの家で飼っていた、シベリアンハスキーのチェリー。
長年に渡って愛されてきたチェリーだが、先日岩崎家で火事が起きたのだ。
炎の中に取り残されたみなみとチェリーを助けに来たのがみゆきだった。
しかしみゆきも、炎のせいで崩れた屋根を防いだ際に片腕を負傷。二人ともを連れていくことはできなかったのだ。
まず親友の命を救おうと、みなみを家のなかから連れ出し、それからチェリーを助けにいくつもりだったのだが……
みゆきが突入する直前に、岩崎家は音をたてて崩れ落ちた。

「高良先輩、チェリーちゃんを助けられなかったことで、悩んでたみたいなんだ。『無理をしてでも、二人とも一緒に連れていけばよかった』って」
「それで岩崎さんへの謝罪を込めた冬休みの旅行を考えてて、泉先輩も一緒にってなったわけだね」

みなみは自分の胸に手を当てた。おそらく、天国にいるチェリーに想いを馳せているのだろう。
そしてみなみはゆっくりと顔をあげ、

「……みゆきさんを恨んではないけど……悲しみが少しでも紛れるなら……」
「私も行くよ。行くなら大勢の方がもっと楽しくなるしね」
「スキーはExperience(経験)したことあるデスから、ミナミとコナタのためにワタシも一肌脱ぐデース!!」

四人全員が旅行に行くことを決定。
こちらは三年生組と違って、その別荘はどんな家なのか、などという話題で盛り上がっていた。
 
 
 
 
 
 
 
「泉さん……不憫です……」
「ええ……勉強会まで開いて、今まで頑張って教えてきたのに……」
「ですが、その勉強会も……泉さんは乗り気ではありませんでしたし……」
「でももう、どうしようもないわね。来年こそ、泉ちゃんが受かってくれるように祈りましょう」
「はい、これからもできる限りのサポートはしていくつもりです」
「それと……小早川ちゃんから聞いたわ。岩崎ちゃんのこと……」
「あれは……本当に、悪いことをしてしまいました……。小早川さんも、田村さんも、パトリシアさんも……皆さんが、チェリーさんを愛していました……」
「でも、腕が動かなかったんだから仕方がないわよ」
「……いえ。本当は……動かそうと思えば、いくらでも動かせたんです」
「え……」
「本当は、傷は浅く、動かすのになんの支障もありませんでした。しかし、私は痛みに負け……」
「……過ぎたことを今さら後悔しても、もう遅いわ。とりあえず、今度の旅行はちゃんとみんなで楽しみましょうよ」
「……はい……」

「まさかリムジンで歓迎とは……さすがみゆきさんの家系だヨ」
「え、と……それは誉め言葉と受け取っていいのでしょうか……」
「もちろんだよ」

こなた達一行を乗せたリムジンは、雪が降り積もった道を走っていた。
冬休みに入り、飛行機を介して北海道に移動。みゆきの別荘はそこからかなり遠いということなので、なんとリムジンを用意してくれていたのだ。
近くには巨大な建物はおろか民家すらない。こんな田舎道を走るリムジンは世界でここくらいだろう。

「一度でいいからこんなことしてみたかったんだよね~」
「泉ちゃん、ボスみたい……」
「泉様と呼びたまえ、峰岸君。……なんちゃって」

最後列の中心を陣取っているこなたは足を組み、左手でブドウジュースの入ったワイングラスを回し、右手で組んだ足の上にいるネコを優しく撫でていた。
まさにマフィアのボスみたいな格好なのだが、こなたの外見がそれを大いに邪魔していた。
ちなみにネコは運転手さんのペットでメープルちゃん(♀)だそうだ。


「はわわ……雪がいっぱい……」
「埼玉はあまり雪降らないデスからネ」

三年生組の前の席には、ゆたかとパトリシア――通称パティが座っていた。
ゆたかは窓にべったりと張りついて、向こう側の真っ白な雪に見入っている。

「パトリシアさんの故郷は雪降るの?」
「Yes! 私のStateは結構イドが高いデスから!」
「イド? ……あ、緯度のことだね。いいなぁ……」
「No……ソンナにいいモノではありまセンよ……。雪カキが面倒デスし、ゴウセツチタイでは停電するコトもしばしばデス……」

たまに降る雪ならキレイなのだろうが、毎年降るような地域にいる人間にとっては迷惑このうえない。
吹雪でワイパーがワイパーの役割を果たさないこともあるし、道路が凍って事故が多発したりする。
さらに冬用のタイヤや防寒具、ストーブに使う灯油に学生のいる家は授業で使うスキーウェアと、出費がかさむのである(作者のぼやき)。

「そ、そうなんだ……大変なんだね……」
「But、久しぶりのSkiingでワクワクしてるデス!」
「私スキーしたことないから、教えてね」
「ハイデス!!」


さらにその前の座席には、ひよりとみなみが座っている。
ゆたかほどでもないが、ひよりも外の雪を見ていた。

「辺り一面、真っ白だね」
「……そう、だね……」

みなみの声が普段以上に小さいことに気付き、ひよりは後ろを向いた。
その肩は、震えていた。

「ほんと……真っ白……チェリー……みたいに……」

チェリーも雪のように真っ白な犬だった。だから思い出してしまったのだろう。
ひよりはみなみの肩をポンと叩き、ささやいた。

「岩崎さん。早く立ち直らなきゃ……」
「う、うん……ちょっと……思い出しちゃっただけだから……」

みなみはそっと眦(まなじり)を拭うと、またいつもの表情に戻った。
はた目にはなにも変わっていないように見えるが、もう一年近くの付き合いなのだ。
最初こそ違いがわからなかったが、今ではみなみの感情がわかるようになった。

「……あ、見えてきましたよ」

みゆきの言葉に前を見てみると、少し遠くに建物が見えていた。


・・・


みゆきの家が所有しているとは言っても、やはり別荘は別荘。そこまでの規模ではなかった。
そこまでの規模ではないが……入り口が左右に二つあり、中心の屋根からは巨大な煙突が伸びている。
別荘の隣には丸太小屋がある。あそこにスキーを置いてあるのだろうか?
みんなが辺りをキョロキョロしている後ろで、みゆきは運転手となにやら話をしていた。

「食料は大量に保管してあります。足りなくなった場合、私までご連絡下さい」
「わかりました」
「滞在期間は四日間でしたね。延長を希望する場合も私までご連絡を」

そう言うと運転手はリムジンに乗り込み、走っていった。
それを見送るとみゆきはみんなの方を向いて言った。

「では、中を案内しますね」


・・・



一通り説明を終えると、大食堂で部屋決めとなった。
この別荘は東館と西館に別れていて、外に出るか中心にあるこの大食堂を通らなければ、反対側への通行は不可能。
そして大食堂の北に部屋が8つ並んでいるのだが、ちょうど真ん中に壁があるせいで4つに分断されてしまっている。
どう考えても、『別荘』なんていうレベルじゃない。

「私、ここがいいな。暖炉があるってだけで暖かみを感じるもの」

あやのが指差したのは、西館の一番東側の部屋だった。
この部屋と対面(東館の一番西側)の部屋だけにはなぜか暖炉があり、その中心にある煙突で排気をする。
その煙突とは、外でも見た、あの煙突である。

「私も暖炉の近くがいいな。なんでかはわからないけど」

こなたは逆側、東館の暖炉がある部屋を指差した。

(もしかしたら……心が暖かいものを求めてるからなのかな……)

ゆたかはこなたの発言をそのように解釈し、ちょっと前に叔父である泉そうじろうに言われた言葉を思い出していた。


――今のこなたは心が弱くなってるから、ゆーちゃんが守ってあげてくれ――


初めて言われた、『守ってくれ』という言葉。
いつもは守られてきたゆたかだが、今日は違うのだ。

「じゃあ、私はこなたお姉ちゃんの隣がいいな」

できるだけ、こなたの近くがいい。そう思ったゆたかは、隣の部屋を借りることにした。

「では、私はその隣でいいでしょうか?」
「私は右端がいいっス!」

二人が順番に、東館の部屋を指していく。

「ゆたかの近くがよかったけど……先輩方がいれば、安心ですね。私はここを」
「私はココデス!」

みなみはあやのの隣、パティはみなみが指差した部屋の隣だ。
異論はないようなので、部屋割りはこれで決定。
西館の左端が空いてしまったが……もともと七人なのだから仕方がない。

「では、お夕飯を作りましょう。どなたか手伝ってくれませんか?」
「私、手伝うわ」
「んじゃ私もー」

あやの、そしてこなたが手を挙げる。
みゆきはあまり料理が得意ではないが、この二人がいればおいしい料理ができるだろう。

「では、皆さんは自室で待っていてくださいね」
『はーい』

みなみとパティが西館に、ひよりとゆたかが東館に向かい、三年生組は台所に入っていった。
みんな楽しそうに会話をしながら大食堂を後にする。
静寂に包まれた大食堂は、どこか不気味な雰囲気が漂っていた。


・・・


翌朝。
空には薄く雲がかかっていて、快晴とは呼べない。
だが、吹雪いているわけではないのでスキーは普通にできる。
朝食を食べた七人は、別荘の隣にある丸太小屋へと移動。みゆきが鍵を開ける。

「おわっ! すごい……」

壁に立て掛けられた無数のスキー板、小屋の端にはたくさんのスキー靴、中心には色とりどりのスキーウェアが並んでいる。
この小屋には、スキーに必要なあらゆるものが揃っていた。ゴーグルや帽子まで完備してある。

「サイズも全てありますから、自分にあったものをお選びください」
「……ここ……一個人の、それも別荘なのよね……」

ここに来てから圧倒されまくりの六人であった。
 
 
 
「遅いデスヨっ!」
「皆さん、大丈夫ですか?」
『は~い……』

スキーウェアの厚さに悪戦苦闘し、スキー靴のキツさに不平を洩らしたり、スキー板が長くて何度も転びながら、なんとかスキー場に辿り着いた。
と言ってもスキー場はなんと別荘の真裏。プライベートビーチならぬプライベートスキー場である。
もっとも、ここまで来るのに疲れ切った五人はツッコむことすらできなかった。
経験者であるみゆきとパティは、ぱぱっと着替えてとっくの前に来ている。
初日は大変なことになりそうだなとみゆきは苦笑。


「まずは平地での動きをご説明します。パトリシアさんもお願いします」
「ハイ!」

二、三時間ほど平地で指導し、全員がしっかり動けるようになってからリフトに乗り、坂の上まで行く。
……だから一個人の別荘の域を越えてるって、これ。

「ううう……意外と高いよぉ……」
「ゆたか、大丈夫……下は雪だから……」

ガクガク震えるゆたかを落ち着かせるため、みなみはゆたかの肩を叩く。
しかしみなみも少しだけ怖かったりする。

「まずは簡単なプルークボーゲンからお教えします」
「ぷるーく?」
「スキー板の先を細くするんです。こう『ハ』の字にして」
「あ、見たことあるっ」
「それはこうやってですね……」


・・・


「あー、楽しかった」
「そうね。スキーってこんなに楽しいことだったのね」

スキーを終え、みんなで大浴場に浸かる中、こなたとあやのがそうこぼす。
スキーの間、終始笑顔だったこなたとみなみ。一時的なものかもしれないが、吹っ切れたようで、みんな安心していた。

「But、コナタとミナミがあそこマでヘタクソだとは思っテませんデシタ」
「「……」」

遠回しも何もないストレートな指摘が、こなたとみなみの胸に突き刺さった。
あやの、ひより、ゆたかは比較的すぐに滑れるようになったのだが……
こなたとみなみだけは、上手く滑れずに何度も何度も転んだのだ。
しかも、一度転んだら誰かの手を借りなければ立ち上がることができない。
普段は運動神経のいい二人だが、意外な一面が垣間見れた気がした。

「お二人とも、そんなに気にしなくていいですよ。これから回数を重ねれば、きっと上手くなりますから」
「よし、絶対に上手くなってやろう! みなみちゃん!」
「はいっ」

二人の背景がメラメラと燃えている。ように見えた。
その背景の向こう側で、ゆたかとひよりは二人会話をしていた。

「へえ、田村さんが今書いてるお話って、殺人事件なんだ」
「うん。でもトリックとかを考えるのがね……。実際に起こってくれればいいんだけど」
「だっ、ダメだよぉ!」

もちろん、冗談で言ったつもりだったが……
まさかゆたかがそこまで怖がるとは思ってなかったので、ひよりは慌ててゆたかに謝った。
急に周りが静かになったためにその会話は周囲に丸聞こえ。しばらくして、大浴場は笑い声に包まれた。
だがしかし、この中に一人、本当に「ヤル」気でいる人物がいることを、他の人間はまだ知る由もなかった……。



・・・


「うう~ん……」

人の出入りができそうなほど大きな窓から日の光が差し込んできた部屋で、ゆたかは上半身を上げ……ようとした。
だが、珍しく目覚めは最悪。身体がだるく、動くことができない。

(風邪……じゃないみたいだけど……なんだろ、コレ……)

今までに感じたことのないだるさに、ゆたかは戸惑う。
病気ではないということは、普段病気がちなゆたかだからこそわかっていた。

(疲れ……なのかな……)

昨日のように激しく動いたことはあまりない。
病気が原因でないのなら、それ以外に考えようがないのだ。

(……とにかく……起きなくちゃ……)

だるくて動かない身体に鞭を打ち、ゆたかはベッドから起き上がった。

(―――!!?)

その瞬間、得体の知れない『なにか』を感じ、ゆたかは身体を震わせた。

「……」

心臓の鼓動が部屋中に響いているようだった。身体の震えが止まらない。
自分は、なにかに恐怖している? だとすれば、何に恐怖を感じているのか?

(……お、落ち着いて……深呼吸、深呼吸……)

息を深く吸い込むと、幾分か身体の震えが治まった。しかし、心臓の鼓動は激しいまま。
とりあえずこの別荘を探検してみよう。そうすれば少しは楽になるかもしれない。着替えてから部屋を出て、大食堂の方へ出てきた。
そういえば、西館の方は行ったことがない。せっかくだからみなみの部屋に行こうと、ゆたかは大食堂の扉に手を掛けたが……

「あれ?」

何度ドアノブを捻っても開かない。どうやら鍵が掛かっているようだ。
ゆたかは鍵の場所を知らない。開けるのは無理かと思った時、

「どうされました?」
「あ……高良先輩」

振り返ると、そこにはみゆきの姿があった。左手にキーホルダーを持っている。

「あの、西館に行こうかなって思ってたんですけど」
「わかりました。今開けますね」

みゆきはキーリングに通された鍵の一つを鍵穴に差し込んだ。
ガチャリという音とともに、大きな扉がゆっくり開く。

「すみません、小早川さん。ここは就寝前に鍵を掛けるんですよ。一応、ですけどね」
「そうなんですか。ありがとうございました」

ゆたかは一礼し、西館へと向かう。
しかし、ゆたかの心臓の鼓動が小さくなることはなかった。

そして今日もスキーをすることにして、食後少ししてからゲレンデへ集合した。
二日連続で疲れているだろうに、誰一人欠けることもなく集合。みんなでリフトに乗り、ゲレンデの上へ。

「じゃあ、昨日の復習からしましょうか。まずみなみさんから」
「え……私から、ですか……?」

昨日はあんまり上手く滑れなかったみなみ。なのになぜ……

「あの、こう言ってはなんですが……下手な方が後から滑ると、待っている人に激突してしまう可能性があるんです」

つまり、誰もいない最初の方が安全、という意味だ。
確かに、誰かにケガをさせてしまうよりはマシだろう。みなみは(しぶしぶ?)了解し、先頭に立った。
ちなみに、恐らく次になるであろうこなたは自分から二番目に移動している。

「まずは……あそこを目指しましょうか」

このゲレンデの左右には松の木の森がある。みゆきが指差したのは、森と森から離れたところに一本だけ生えている木とのラインだった。
なぜあんなところに木があるのか、それはみゆきも知らなかい。ミスだろうか?

「わかりました。では……」

みなみは態勢を整え、ゆっくりと滑り始めた。
順調にスピードをあげ、ゲレンデを滑り降りていく。
滑ること自体はそこまで下手ではない。みなみの問題はスピードのコントロールだ。

「……」

今になって、ゆたかの身体の震えが再発した。心臓も激しく脈打っている。
原因が全くわからない。それだけに、ゆたかの不安はより一層大きくなった。

「みなみさん、あと少しですよー!」

みゆきの声がみなみの耳に届く。顔を上げると、視界にゴールの木が飛び込んできた。
しかし前述した通り、みなみはスピードコントロールが上手くできない。

「と、止まらない……!」

ゴールが近付いているのに、スピードを下げることができない。
このままでは危険だと判断したみなみは、昨日みゆきから聞いたことを試すことにした。

「わ……!!」

とりあえず転んでしまえば動きは止まる。
みなみは恐怖心を捨ててゴール直前で雪の中に飛び込んだ。
転んだ直後は、まだスピードを保ったまま。みなみはゴールの数メートル下まで転がってようやく止まることができた。

「ありゃりゃ……」
「失敗しちゃったわね」
「ですが、転んでくれて良かったです。あのままだったら、スピードが出過ぎてもっと危なくなっていたんですよ」

下方でみなみが立ち上がろうともがくが、全然立ち上がることができない。
しばらくして、疲れたのか救助を待つことにしたのかはわからないが、上を見上げたきり、みなみの動きは止まった。

「では、次は泉さんの番ですね」
「ほーい」

みなみの救助は、時間を短縮するためにもこなたが行った後の方がいい。
そう判断したみゆきは、先にこなたを行かせることにしたのだ。
それまで雪の上で寝転がってなければならないみなみ……ちょっと可哀想である。

「よっ、と……。あ、そうだ。みゆきさん」
「なんですか?」

滑る準備をしたところで、こなたが振り返ってみゆきに尋ねた。

「昨日も気になってたんだけど、あの倉庫に防犯カメラ仕掛けてなかった?」
「あ、はい。ここはシーズン中は一般の方にも解放しているので、一応念のためです」

確かにこれだけの広さ、一家族がたった数日のためだけに使うにはあまりにももったいなさ過ぎる。
本家の者がいない時は使用人を雇っているという話だった。そこら辺は全て使用人に任せているのだろう。

「そっか。じゃあ」
「ゴチャゴチャ言ってナイでサッサと行きやがれデース♪」

なにかを尋ねようとしたこなたの背中をパティがドンと押した。

「へ?」
「あ……」

バランスを崩したこなたは、そのまま斜面を転がり落ちていった。

「おあああぁぁぁあああぁあぁぁあああ!!?」
「はわわっ、お姉ちゃん!!」

悲鳴をあげながら転がる従姉を、ゆたかはオロオロしながら見守ることしかできなかった。
それはみゆきもあやのもひよりも、下から見上げてるみなみも同じだ。
だが、こなたが転がり落ちていく原因を作った人物は……

「No……あまリにベタベタなテンカイデース……」

なぜかがっかりしていた。

「とっ! 止めて!! 誰か止めてぇぇぇぇぇぇ!!」

止まらない。いくら叫んでも止まらない。止まらないったら止まらない。
そしてしばらく転がって、ゴールであるラインから大きく外れ、みなみを大きく越えてからようやく止まった。

「ふええ……」

完全に目を回している。このままここに転がしているのはいろいろな意味で危ないだろう。
二人の救助のためにみゆきが行くことになった。

「では……」

距離からしてみなみの救助が先。みゆきはみなみの方を向いて滑り始めた。
シュテムターンという滑走法で、プルークボーゲンよりもスピードが出るのだ。

「ううん……。あ……あれはみゆきさんかな……?」
 
 
 
それが起きたのは、あのゴールのラインをみゆきが通過した瞬間だった。

『……え……』

その現象を、すぐには理解することなど誰にもできなかった。
 
ごろりと、みゆきの首が宙を舞ったのだ。
 
大量の血液を撒き散らしながら、回転しながら落ちるみゆきの首。大量の血液を吹き出しながら、斜面を滑っていくみゆきの身体。
それはやがてバランスを崩し、雪の中に倒れていった。

「……みゆき……さん……?」

その光景を、一番目の前で見てしまったみなみの顔には、大量の血液がこびり付いていた。
彼女はそのまま、雪の中に落ちていった。

「みっ、みなみちゃん!!」
「岩崎ちゃん!!」

いち早く硬直から抜け出したゆたかとあやのは、気を失ったみなみへと滑り始める。
みゆきと同じ道は危険だと直感した二人は、無意識に木の外側からみなみへと向かった。

「みなみちゃん! みなみちゃん!!」
「あはは……あはははははははははは……!!」

ショックがあまりにも大きすぎたのだろう、みなみはみゆきの首を見つめ、涙を流しながら、ただひたすらに笑っていた。


「泉先輩!」
「コナタ!!」

ひよりとパティも、あの様子を見ていたであろうこなたの方へ滑っていく。
そのこなたはというと、ゆたか・みなみの方を見たまま固まっていた。

「コナタ! 大丈夫デスカ!?」

パティがひよりより早く到着し、こなたの身体に触れた瞬間。
こなたは目を見開いたまま、ゆっくりと後ろに倒れていった。

「しっ! しっかりしてください、先輩!!」
 
 
 
 
楽しかった時間が、地獄へと化した一瞬であった。

みゆきの遺体は今、みゆきの部屋『だった』ところに『置いて』ある。
あのまま気を失ったみなみは、自室で眠り続けている。
いち早くショックから抜け出したあやのとパティは、みゆきが死にいたった原因を調べにゲレンデに出ていた。
他の人達は、みな大食堂に集まっている。

「う……ひっぐ……みゆきさん……えぅ……みゆきさぁぁん……!!」

その大食堂には、こなたの嗚咽のみが響いていた。
ひよりもゆたかも未だショックから抜け出せず、椅子に腰掛けたまま惚けていた。
人ひとりが死んだ。それを簡単に理解できるほど、二人は大人ではない。
と、その時。『ガチャリ』という音に振り返ると、あやのとパティがいた。ゲレンデから戻ってきたのだ。

「みねぎじ……さん……」
「泉ちゃん……。はい、これ」

涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしたこなたに、あやのは真っ白なハンカチを渡した。
それを手に取り、こなたは涙を拭く。しかし涙が止まる気配はない。このハンカチだけじゃ間に合わないかなと、あやのは苦笑した。

「峰岸先輩、パトリシアさん、どうでした……?」

ゆたかがおどおどした様子で問い掛けた。恐怖半分、興味半分といったところか。
するとパティが頭を書きながら、

「Hmm……何から言えばイイのでショウ……」
「結論から言うと……これは、事故なんかじゃないわ」
「え……?」

未だ涙を流し続けているこなたが顔を上げた。

「どういう……意味……?」
「ソレが……ピアノ線が、仕掛けらレていマシた……」
「ちょうど高良ちゃんの首もとにくるようにね……」

ピアノ線の強度はかなり高い。
スキーで、しかもスピードが出るシュテムターンでなら、人の首くらい簡単に切断できるだろう。

「問題なのハ、木の方デス。scar(傷痕)がホトンドありませんデシタ」
「つまり、前から仕掛けられていたわけじゃないの」
「じゃ、じゃあ……」

ひよりが、恐怖に怯えたように呟いた。

「私達の誰かが昨日、そのピアノ線を仕掛けたってことっスか……!?」

二人はその問に答えず、下を向いた。
しかし、それが「肯定」を意味していることは明らかだった。

「……うそ……でしょ……?」

そう震えた声で呟いたのは、こなただった。止まりかけていた涙が再び溢れだす。

「うそだ……うそだよ、そんなの……だって、私達……あんなに仲が良かったのに……。……う……うわあぁぁぁああ!!」
「……お姉ちゃん……」

親友が死んだ。『誰かが殺した』のだ。
事故ならまだ救いようがあったかもしれない。しかし、これはれっきとした殺人事件なのである。
加えて、容疑者は自分たちに絞られた。信じられるはずがないだろう。

「……あは……あははは……」

ゆたかがそう思っていた時。こなたが渇いた笑い声をあげて立ち上がった。

「わかった……私、わかっちゃったよ……」
「わかっちゃったって……」

ひよりの問には答えず、こなたはフラフラになりながら台所に入っていった。

「この中に……犯人がいるんだよね……? ……だったら……」
『!!!』

台所から出てきたこなたに、みんなは驚愕、あるいは戦慄した。
彼女の左手にあったのは、銀色に輝く包丁だった。

「いっ、泉ちゃん……!?」
「みんな殺しちゃえばいいんだ……。そうすれば……みゆきさんを殺した犯人も死ぬよね……?」

――イカれてる。
ゆたかが従姉に抱いた、率直な思いであった。
確かに、みゆきを殺した犯人はこの中にいるだろう。だが、関係のない人間まで巻き込むのは……
……いや、それ以前の問題か。復讐をするなんて、ダメに決まってる!

「あっはは……まずは誰から殺してあげよっかなぁ……」
「ひぃっ!!」

そうは思ったのだが……充血しきっているうえに焦点が定まっていないこなたの瞳を見てしまい、恐怖で身体が動かなくなってしまった。

「そうだなぁ……まずはパティからかなぁ……」
「!!」

パティの方を向いてニタリと笑う。その顔が、パティには悪魔に見えた。
じわりじわりと歩み寄ってくるこなたに後退りをするが、すぐに壁に追い込まれてしまう。

「コ……コナタ……冗談……デスよネ……?」
「あはは……あはははははははははははは……!!」

ダメだ、まったく話を聞いていない。
他の人間に助けを呼ぼうにも、彼女達は完全に竦み上がっている。もう……終わりだ。
自分が刺される瞬間など見たいはずがない。パティは覚悟を決め、目を固く閉じた。
 
 
 
「……?」

いつまで経っても何かが起こる気配がしない。気になって、目を開けてみると……

「――!!」

パティが見たものは、床に落ちていく包丁、倒れゆくこなた、その後ろに立つみなみの姿だった。
その姿から見て、みなみがこなたに手刀を食らわせて気絶させたのであろう。
どう、という音を立ててこなたが床に沈むと同時に、みなみがパティに手を差し伸べた。

「ミ、ミナミ……」
「大丈夫? パトリシアさん」
「Yes……Thanksデース……」

みなみの手を握り返し、パティは命の恩人にお礼の言葉を言った。

「み、みなみちゃん、何時の間に……?」
「ちょっと前に気が付いて、食堂に出てきたら、泉先輩が……」

それから、みなみにあやの達が見てきたこと、この中にみゆきを殺した犯人がいるだろうということを話した。
耳を塞ぎたくなる衝動に駆られながらも、みなみはその全てを聞いた。

「……犯人を……見つけましょう……」

唇を噛みしめながら、みなみは言った。
冷静を装ってはいるのだろうが、彼女の怒りを読み取ることは容易であった。

「今、みんなと一緒に悲しんでいるけど、心の中ではニヤニヤ笑っているんでしょう……? そんなの……不公平です……!」

いつものみなみからは考えられないほど感情的なセリフである。それほど、犯人が憎いのだろう。
そんなみなみの言葉に、その場にいる全員が頷いた。異存はないということだろう。

「……アレっスよね」

そんなみんなを後方から見ていたひよりが、呟く。

「その犯人、名乗り出るつもりないみたいっスね……」

その通りだ。この中に犯人がいるということはほぼ確定している。
ここで名乗り出ずに、みんなと同じように頷いているのだ。自分が犯人であることを隠そうとしているのだろう。

「……コナタ、部屋に持って行きマス……」
「あ、私も……」

この空気に耐えきれなくなったのだろう、パティが自分からそう言って、こなたの体をおぶる。
そのまま食堂を出ていこうとするパティに、ゆたかが走ってついていった。

そして東館廊下……

「信じたくアリマセンね……murder(殺人)が起キてしまった、ナンテ……」
「……そう、だね……」

友達を疑うなんて、本当はしたくない。けれども、友達を疑わなければ、みゆきの魂が報われないのだ。
みゆきの、そしてみんなのためにも、犯人を見つけださなければ。

「but……コナタとミナミで、response(反応)が違いマシタね……」

そうだ。こなたは『犯人が友達の中にいる』と聞いた際に狂ってしまった。
しかしみなみは、幾分か感情的になりながらも自我を保っていたのだ。この差はどこからきたのだろう。

「……それは……」

自分の胸に手を当て、軽く目を伏せてからゆたかは話し始めた。

「こなたお姉ちゃん、いつもは気丈に振る舞っているけど……本当は、すっごく心が弱いんだ」
「that is(つまり)?」
「……お姉ちゃん、小中の頃にひどいいじめを受けてたんだって。友達もいなくって、人間不信に陥ったって、おじさんが……」
「……ひどい、過去だっタんデスネ……」

それだけで、こなたがあそこまで狂ってしまった理由は簡単にわかった。
高校に入ってようやく友達と呼べる人達ができた。絶対の信頼を置いていたに違いない。
それなのに、友達が友達を殺した……。その事実を受け入れたくなかったのだろう。
そう話しているうちに、こなたの部屋に着いた。ドアを開けて中に入る。
今朝起きた状態のままだろう、ゲームや着替えがぶちまけられている。

「……はい、パトリシアさん」
「thanks、ユタカ」

ベッドにかかっていた布団をゆたかが開け、パティがこなたの身体をベッドの中に入れる。
そこで二人は、担ぎ上げてから初めてこなたの顔を見た。

「う……ううん……誰か……誰か、助けてよぉ……」

苦しそうに、そればかり呟いている。昔の、辛かった過去の夢を見ているのだろう。

「もう……やだぁ……! 人間なんか……人間、なんか……!!」
「お姉ちゃん」
「……あ……」

ゆたかが、そっとこなたのおでこを撫でてやると、少しだけこなたの表情が和らいだ気がした。

「大丈夫。お姉ちゃんは、私が絶対に守るから。私はいつまでも、お姉ちゃんの味方だから……」

――こなたお姉ちゃんの本当の笑顔を取り戻すためにも、もうこれ以上、誰も殺させない。
今度は楽しかった頃の夢を見ているのだろうか、微笑んでいるこなたの顔を見て、ゆたかはそう決意した。



・・・


「戻りました~」

こなたを部屋に寝かせてから、ゆたかとパティは大食堂に戻ってきた。
だが顔を上げたのはあやののみで、みなみとひよりは俯いたままだった。

「二人とも。ちょっと話があるんだけど、いいかしら」
「yes、何デスカ?」

パティがそう返すと、ちょっと躊躇するように視線を泳がせる。
やがて意を決したように視線を上げ、

「パトリシアちゃんに小早川ちゃん、犯人捜しを手伝って欲しいの」

二人にそう伝えた。

「田村ちゃんと岩崎ちゃんにも言ったんだけどね? 二人とも嫌そうだから……」

二人が俯いている理由は、あやのが言った通りだろう。
犯人が友達の中にいるとわかっているからこそ、友達を疑いたくないからこそ、二人は乗り気ではないのだだとゆたかは考えた。
隣を見ると、同じようにパティが俯いていることに気が付いた。パティも犯人捜しをする気はないようだ。

「……ダメ、かしら。じゃあ、私一人で――」
「いいえ」

あやのの言葉をゆたかが遮った。
みんなが一斉にゆたかに振り向く。

「私が……お手伝いします。お手伝いさせてください」

彼女の瞳は、いつもの穏やかな表情からは想像できないほど真剣だった。
しかし、ゆたかの身体のことを考えると……

「ゆたか、大丈夫なの……?」
「うん。私はもう、誰にも死んでほしくないんだ。だから、頑張る」

みなみはゆたかの前に歩いて来て、じっとゆたかの瞳を見つめた。
怖くなって、ゆたかは顔を背けようとしたが、途中で思い直して、同じようにみなみの瞳を見つめる。
みなみは、自分を試しているのだろう。友達を疑う覚悟があるかどうか。

「……うん、今のゆたかなら大丈夫」

しきりに頷くと、みなみはゆたかの頭に手を乗せ、撫でてやる。

「守ってあげなきゃって思ってたけど、本当は私なんかよりもずっと強かったんだね」
「そ、そんなことは……」
「協力できることがあったら、なんでも言ってね。……無理、かもしれないけれど……」
「……ありがとう、みなみちゃん」

みゆきが殺されてから初めて、ゆたかは笑った。そしてひよりとパティがなにやら騒いでいることにも気付かず、ゆたかはその笑顔のままみなみに抱きついた。
今、みんなの顔から笑顔が消えている。それもこれも全部殺人が起きたせいだ。犯人を見つけだしさえすれば、少なくともこれ以上誰かが死ぬことはない。
みんなの――そしてこなたの笑顔を取り戻すためにも、自分はできるだけ笑顔でいなくちゃ……

「それで、どうするの?」

そのやり取りが終わったのを見て、あやのがゆたかに尋ねた。

「あの、まずは現場を見てみたいんです」
「わかったわ。行きましょう」

二人は頷くと、東西それぞれの扉から自室に戻り、外出の準備。他のみんなは自室で待機させることにした。
外で落ち合い、丸太小屋に行ってスキーをする格好に着替える。そうしなければ雪に足が埋まってしまい、動き辛くなるのだ。

「……また着替えるのね……」
「あ、すみませんっ」
「いいのよ。私ももう一度見に行こうと思ってたし」

スキーウェアに着替え、スキー靴を履き、スキー板を装着してゲレンデへ。


「ここ、ですね……」

真っ白なゲレンデの一部が、みゆきの血液で紅く染められている。
昨日には響いていた笑い声もなく、ただ冷たい風が吹き抜けるばかりだ。

「ほら、ここ。ここにピアノ線があるの」

木の幹に指を差すあやの。しかし空中の一部分が紅く染まっているのがわかる。そこから辿れば一目瞭然であった。
確かに木の幹から森の方へとピアノ線が伸びている。

「……も、もしかしたら、む、無差別殺人なんじゃないですか……!?」
「え……?」

突然、ゆたかが頭を抱えてそう呟いた。あやのは意味がわからずに首を傾げている。

「だ、だって、スキーの順番なんかわかるわけないじゃないですか! 高良先輩を狙ったとは……!」
「あ……」

確かに。順番を操作なんかしたら怪しまれるのは確実。ということは、犯人の目的は「皆殺し」の可能性もある。

「……小早川ちゃん、気を確かにもって。今は恐がってる場合じゃないわ」
「は、はい……」

あやのに背中を叩かれ、なんとか恐怖心を拭うことができた。
そして周りを見渡し、

「峰岸先輩。昨日って、雪降ってましたっけ?」
「えと……あんまり降ってなかったわ。昨日のスキーの跡はもう隠れてたみたいだけど……」

なぜだろうか。どこか違和感を感じる。
それが何なのかはっきりとしないが、何かがおかしいのはわかっていた。
そして、自分達が登る際に着いたスキー板の跡を見て気が付いた。

「……証拠がなさすぎます」
「え?」
「昨日、このピアノ線を仕掛けたのなら、『間違いなく足跡は残るはず』なんです。だけどゲレンデには私達が今日つけたスキーの跡、みなみちゃんがつけた足跡しかありません」

そう。普通にこのゲレンデを歩くだけだと、かなり足が埋まってしまうのだ。
昨日、みなみが転んだ際に一度だけスキー板が外れたのだが、その時についたスキー靴の足跡はまだ残っている。

「……スキーよ!」
「え……あ!」

突然、何か閃いたように声をあげたあやの。
その言葉の意味が、ゆたかにもしっかりと伝わった。

「スキー板を使えば足跡は消せるわ。犯人は普通にピアノ線を仕掛けたわけじゃなくて、スキー板を履いて証拠を消そうとした」
「それに、スキー板がないと歩きにくいですからね」

スキーの跡に紛らわせておけば、例え今日まで残ったとしてもばれる可能性は少ない。
だが……犯人は決定的な証拠を残したはずだ!

「確か小屋には監視カメラが仕掛けてあったわよね」
「戻って監視カメラの内容を確認しましょう!」

二人はゲレンデを滑り降り、丸太小屋で着替えを開始。それと同時に監視カメラの位置をチェック。
監視カメラは全部で5つ、いずれも死角をフォローする形で仕掛けられていた。実際にスキー板を使っていたなら間違いなく映っているはずだ。
着替えを終えて屋敷に戻り、地図を確認して監視カメラをチェックできる部屋へ。

「ここね」
「モニターがたくさんありますね……」

西館の玄関から入ってすぐ左にそれはあった。屋敷全体は西洋風味で爽やかなのに、ここだけはとても物騒な空間である。
丸太小屋のモニター五台に加えて廊下や食堂にも監視カメラを仕掛けてあるようだった。
当然と言えば当然だが、部屋の中にまでは監視カメラは仕掛けていないようである。

「……これですね。見てみましょう」

ビデオテープを再生にし、昨日の夜から今朝にかけての記録を一つずつ見る。
五つもあるのだ。必ず誰かが映っているはずだと、二人は確信していた。
だが、不審なことは何一つ起こらず、五つ目のビデオが日の出を迎えてしまった……

「う、嘘でしょう……?」
「じゃあ……誰があれを仕掛けたんですか……!?」

二人の問は、誰が答えることもなく虚空へと消えていった。


・・・


「どういうことなのかしら……」

監視室の鍵を締めながら、あやのはそう呟いた。
スキーを使わなければ、間違いなく足跡が――証拠が残るはずなのだ。
その証拠がなくなった。消え失せていたのである。

「足跡を消した……ということでしょうか?」

証拠が残っていないのだから、そう考えることはごく自然だ。
だが、あやのはそれを否定した。

「スキーを使わないで普通に歩いていくなら、足跡はかなり深くなるはずよ。それを偽装するなんて至難の技だわ」

表面を誤魔化すことはできるだろうが、その上を歩けば例えスキーでも崩れてしまう。
偽装の線は薄くなった。だとすれば、一体どうやって……

「……私の部屋で、状況を整理しながら休みましょう。少し頭を使い過ぎなのかもしれないわ」
「……はい」

確かに、少し休んでリフレッシュした方が効率がいいかもしれない。
いち早く事件を解決したいゆたかだったが、あやのの言うことにも一理あると判断し、そのままあやのの部屋にお邪魔する。
ベッドに座るあやの、その前にゆたかは正座した。

「……二日目の最初、スキーの復習をすると言って岩崎ちゃんと泉ちゃんに先に行かせた。
 高良ちゃんは岩崎ちゃんを助けるためにスキーで滑って、死んでしまった。
 そして、これは事故なんかじゃなく、れっきとした殺人」

しばらくの沈黙の後で、あやのが呟くように言った。

「それは、木の幹についた傷が証拠ですね」
「そう。そしておそらく、昨日のスキーが終わった時から今日の朝にかけて、誰かがピアノ線を仕掛けた」

ゆたかの問に答え、具体的な犯行時間を示した。
だとすると、次に二人がすべきことは……この時間帯のアリバイを調べること。

「……でも、アリバイなんて誰にもありませんよね」
「そう、そこが問題なのよ……」

アリバイによって犯人がしぼられてくれば、まだマシなのだ。
だがこの事件については証拠はおろかアリバイすら誰にもない。全員に犯人の可能性があるのだ。

「しかも、スキーで滑る順番を決めたのは高良ちゃん。誰から滑るかなんてわからない」
「多分、皆殺し、です」

『自分も殺されてしまう可能性がある』ということ。
ゆたかはそれを、『自分達も殺される可能性がある』ことを認めた。
彼女をよく知る人間が聞いていたなら、彼女の成長を心から喜んだだろう。
それからあやのは、躊躇っているように視線を泳がせ……やがて決意したようにゆたかの瞳を見つめ、小さな声で言った。

「……私ね、この事件は泉ちゃんと岩崎ちゃんの共犯だと思うの」
「――!!?」

それはゆたかにとって、あまりにも残酷なものだった。
あやのの言う通りだ。みゆきよりも先に滑り、無傷だったことを考えれば……二人が犯人だという答えを出すのはむしろ当たり前。
しかしゆたかの心は、それを認めようとはしなかった。

「ち、違います! だって、みなみちゃんもこなたお姉ちゃんもあんなに悲しんでたじゃないですか!!」
「しー! しー!」
「むぐっ……」

あわててベッドから飛び降りてゆたかの口を塞ぐ。

「……聞こえなかったかしら……」
「あ……すみません」

そう言って、ゆたかとは反対側の壁に振り返る。
隣は確かみなみの部屋。壁一枚を隔てた先にあるだけ。
だからあやのは声を小さくしたのかとゆたかは自分の失言を素直に謝った。

「……ねぇ、小早川ちゃ――ううん、『ゆたかちゃん』」

いきなり名前で呼ばれて、ドキッとした。
それにはなんらかの意図があると確信し、あやのの姿をまじまじと見つめる。

「犯人を捜す立場にある私達が『犯人でない』可能性を拾っちゃダメよ。それを覚悟の上で立候補した。違うの?」

はっとして、自分の胸に手を当てる。
そうだ、自分は間違っていた。この家の中にいる限り、全ての人間が容疑者なのだ。
それを、『自分の大切な人だから』という理由で容疑者から外すというのは、あまりにもひどすぎる。

「……わかりました」
「ふふ、それでいいのよ。小早川ちゃん」

呼び名がもとに戻った。
名前で呼んだのは、ゆたかにわからせるためだったのだろう。
いつの間にか忘れていた数時間前の自分を思い出させ、しかもそれをもう忘れないように釘を差した……そんなところだろう。
だが、あやのの問に肯定を示したものの、ゆたかは『二人は犯人であってほしくない』と願っていた。
個人的な、望みとして。

「……」
「……」

沈黙が部屋を支配する。それ以上の情報が何もないこともあるのだが。

実を言うとゆたかは、あやののことを監視するという目的で『協力する』と言ったのだ。
もしもあやのが犯人なら、『捜査する』という名目で証拠を隠滅することができるからだ。
無論、あやのも内心ではゆたかを疑っているにちがいない。『捜査協力』という名目で証拠を回収……そんなことも考えられる。
お互いに、相手の腹を探りあっているといったところか。

「……あ」

今ごろになって、『部屋で待機してて』とみんなに言ったのを後悔した。
誰も他の人の動向をチェックできない。犯人に自由な時間を与えてしまっている……

「峰岸先輩、みんなを一旦食堂に集めましょう。一人でいる時を与えて、犯人に好き勝手されては困りますから」
「あ、小早川ちゃんも同じ考えだったのね。私もそうしようとしてたわ」

ゆたかが立ち上がると同時にあやのも立ち上がる。
同じ考え……。だとすれば、あやのが犯人であるという線も薄くなった。『あやのが口から出任せを言っていない』限りは。

西館にいるみなみとパティに事の次第を説明し、一緒に食堂まで来てもらうことに。
最初こそ躊躇っていたものの、それで事件が起きないのなら、と了承してくれた。

「……あれ?」

食堂の扉を開いてすぐに、四人の耳にトントンというリズミカルな音が聞こえてきた。
それに加えて、いい匂いが漂ってくる。誰かが台所で食事を作っているようだ。
しかし、誰が?
西館の人間はみんなこの場にいる。だとすれば残るは東館のひよりとこなた。
ひよりは料理はあまり得意ではないと前に言っていた。だとすれば……
扉に手を掛け、開きながら、ゆたかは従姉の名を呼んだ。

「こなたお姉ちゃん……?」
「あ、ゆーちゃん……それにみんなも……」

案の定、部屋で寝ていたはずのこなただった。お玉を持って、味噌汁の味見をしている。
台所の端に、親子丼を盛ったお椀その他のおかずが置いてある。これらをこなた一人で作ったのか。
しかし瞼は完全に開いていない。ただでさえ半眼なのだが、今は一段とひどい。
頭のてっぺんから元気に生えていたアホ毛も、今ではすっかりしおれてしまった。

「お姉ちゃん、いつ起きたの……?」
「んと……一時間くらい前かな。ひよりんからゆーちゃんと峰岸さんが頑張ってるって聞いて、いてもたってもいられなくて……」

味噌汁を人数分――みゆきを加えた七人分のお碗にそそぐ。
それに口を挟む人は誰もいなかった。

「私特製のお味噌汁だよ。これで頑張ってね」

本当は辛いはずなのに、精一杯の笑顔を自分達に向けてくる。
こなたの努力に心から感謝しながら、ゆたかは東館に残るひよりを呼びに台所を出た。


・・・


「ふ~、おいしかった」

こなたが作った料理を皆が平らげる。味もピカイチだったし、なにより『残したらこなたがどうなるか』……
ちょっとした恐怖も感じながらの食事であった。

「……それで、これからどうするの? 犯人探しは……」

こなたが心配しているような声で尋ねてきた。
確かに一日中働きっぱなしではよくない。もう遅くなってきたし、今日は休んだ方がいいかもしれない。

「そういえば泉ちゃんと田村ちゃんには言ってなかったけれど、夜までみんなにここにいてもらうことにしたわ。お互いがお互いを監視するって意味も込めて」
「同じ理由で、お風呂もみんなで入りましょう。それからここに戻ってきて、誰かが『眠りたい』と言った時に一斉に解散。これならもう誰も死なないはずだよ」
「Hmm……lockを忘れないヨウにしなくテハ……」

そう。この作戦は、部屋に戻った際に鍵を締め忘れた瞬間に効力を失う。それだけは忘れないで、と二人はみんなに釘を差した。

「鍵、どうするっスか? 高良先輩は自分で持ってたんスよね」

みゆきが寝る前には必ずしていたという食堂の施錠。防犯のことも考えて、鍵は掛けておいた方がいいのだろうが……
みゆき亡き今、テーブルの上にあるこのマスターキーを管理する人間が必要なのだ。

「私がするね。その方がいいと思うし」

それに反論する者は誰もいなかった。
それから六人は、常に明るくいようと心がけた。
こなたお得意のオタク談義が炸裂し、約三名が頭からどでかいクエスチョンマークを出したり。
ひよりの妄想に火が点いたのか、みなみとゆたか、あやのとこなたに姉妹役をやってもらってデッサンをしたり。
そうこうしてるうちにいい時間となり、六人での入浴を済ませ、また雑談。時間はあっという間に過ぎていった。

「ふぁ……」
「ゆたか……眠いの……?」

小さくあくびをしたゆたかを見て、みなみがそう口にする。
ゆたかは普段から寝るのが早いうえに、今日はかなり頑張ったのだ。無理もないだろう。

「もう今日はお開きにする? あまり無理したら、ゆーちゃんが倒れちゃうもん」

『倒れそうなのはアンタだ』とツッコめる人間は誰もおらず。そのままスルーすることにした。

「うん……ごめんね、みんな……」

実際、彼女が悪いわけではないのだが、これが彼女の性格だということはみんなが知っていた。
気が利いて、思いやりがあって、時にはドジっちゃうこともあるけれど、とてもしっかりした女の子。それが、小早川ゆたかという人間。
自ら犯人探しを引き受けた、心優しき小さな探偵さん。そんなゆたかを責めるような人間は、ここにはいないのだ。
だが、船を漕ぎはじめているこの状態でマスターキーを預けるのはいささか不安だ。

「あー……じゃあ、部屋までは私が持ってくっス。途中で落とされちゃ困るから」
「OK、デハ頼みましたデース」

左右それぞれの扉から三人ずつ出て、鍵を締める音を最後に食堂は静寂で満たされた。
 
 
 
「じゃあ、鍵はちゃんと掛けてねー」
「うん……おやすみ……」

微妙に噛み合っていない会話をしながら、ひよりはマスターキーを机に置き、ゆたかの部屋を出ていった。
それを見届けると、ゆたかは寝呆け眼で鍵を締めてベッドに飛び込んだ。

「……」

異様なまでに眠い。ここまで眠くなったのは久しぶりだ。
例えるなら、病気になった時、病院でもらった薬を飲んだ後のような……
……薬?

(……まさ……か……)

その結論を弾き出した時、ゆたかの意識は夢の中へと誘われていった。



(……犯人の見当がまったくつかないわ……)

ところかわって西館、あやのは部屋の中を行ったり来たりしていた。
犯人の可能性が一番高いのはこなたとみなみ。それは揺るぎない。
だが、それ以上でも以下でもないのだ。犯人の証拠があるわけでも、他に容疑者が上がったわけでもない。

(せめて……せめてあのピアノ線を仕掛けた方法がわかれば……)

それさえわかれば犯人を絞るのもおのずと楽になっていく。
しかしいくら考えても答えは見つからない。

「……はぁ……」

小さくため息をつき、室内の空気を入れ替えるために窓を開けた。
外はちらほらと雪が降り始めている。あんな惨事が起こらなければ、とてもキレイに見えていただろうに……

「……雪……足跡……」

自室から漏れ出た光のおかげで僅かに見える雪を見ながらぶつぶつと呟く。
何かが閃きそうなのだ。見落としていたかもしれない、何かを……

「……わかったわ! それならアレも頷ける……!!」

ポンと手を打ってから、窓を閉めて部屋の中央へと戻ってきた。

「だとすると……犯人は『あの二人』のどちらか、もしくは共犯……。……そうだわ。立証させるためにも、明日頼んでみ……」

その時だった。

「ッ!!?」

頭に鈍い痛みが走った。立っていることすらままならなくなり、地面に方膝をつく。
犯人の顔を見ようと振り返り……驚愕した。

「や、やっぱり……! やっぱり、『アナタ』が犯人だったのね!? そ、それよりも……『ドコ』から入って来たの!?」

その問に答えることなく、持っていたハンマーで更にあやのの頭を殴る。
いくら血が飛び散っても、いくらあやのが悲鳴をあげても、ただひたすらに殴り続ける。

「……お、願イ……どうシて……こんナ……こト……を……」

虫の息となりかけたあやのの耳の口元を近付け、ぼそりと何かを呟く。
その言葉の意味を理解した瞬間、あやのは目を見開いた。

「そン、な……!? そんな……理由……で……」

言い切るが早いか、ハンマーの一撃が彼女を襲った。
何かが潰れたような嫌な音が響き、その部屋にいる『生きた』人間は一人となった。

「……あは……あはは……あははははははははははははは!!」
 
 
 
狂気が宿る彼女の瞳は、それとは裏腹に、うっすらと濡れていた。
それが目の中から溢れだし、頬を伝って事切れたあやのに墜ちていく。
 
 
流した涙は、懺悔か。それとも、怨恨か……


「ん……」

だんだんと意識がはっきりとしてきた。目を軽く擦って上半身をあげる。
しかし、目が開かない。開けようと努力をするのだが、どうしても一瞬で閉じてしまうのだ。
昨日の朝のように身体がダルく、この姿勢をとっているだけでも疲れてしまう。
加えて、なぜか頭がガンガンする。とてもではないがまともな思考ができなかった。

(な……なに……? 身体が……動かない……)

重力に逆らえるわけもなく、ゆたかの身体は再びベッドに沈んでしまった。
 
 
 
結局、ゆたかが動けるようになったのはそれから数十分が経ってからだった。

「なんだったんだろ……」

そう呟いたところでわかるはずもなく。仕方なく考えるのをやめて着替えを済ませ、マスターキーを持って部屋の外へ。
携帯で時刻を確認すると、すでに8時を回っていた。早く食堂の鍵を開けなくては厨房に入ることすらできない。
こなたとひよりが健在なのを確認し、鍵を開けて食堂に入り、そのまま西館へ向かう。

(峰岸先輩、もう起きてるかな……)

起きるのが遅れてしまい、捜査の時間が少なくなってしまった。謝るべきだろうか。
とりあえず、東館の人間が健在であったということを報告しなければ。

「峰岸先輩。開けてください、小早川です」

声でわかるとは思うが、何かあったら嫌なので名乗ってからノックをする。
しかし、声が帰ってくることはおろか物音一つしない。
もしかしたら、まだ寝ているのではないか。そう思って踵を返した時、

「……ん……?」

扉の下が、赤黒く染まっていることに気が付いた。
ひざまずいてそれに指をつけてみるが、変化は起きない。色やこれまでの経験からして、どうやら血が固まったもののようだ。

「……血……!?」

頭をフル回転させ、昨日の記憶を呼び起こす。
昨日、ゲレンデから帰ってきたあと、監視室で一昨日の丸太小屋の中を確認し、あやのの部屋に行って……
その時には、こんな血溜りなんかなかったはずだ!

「峰岸先輩! 開けてください!! 峰岸先輩!! 峰岸先輩!!?」

左手を拳に切り替えて何度も何度も扉をたたく。
ダン、ダンという大きな音に、ゆたかの叫びにも似た声……
これだけの音がすれば、例え寝ていたとしても確実に起きるようなものなのに!

「峰岸先輩!! 峰岸せんぱ……あれ?」

鍵がかかっているだろうから無駄だとは思いつつも、ドアノブに手を掛けてみる。
すると、どういうわけかドアノブがスムーズに動いてしまった。
鍵が、掛かってない……?
いや、そんなのあり得ない。だって自分たちからみんなに『必ず鍵をかけて』と言ったのだ。それを忘れるわけがない。
ならこの『開いてしまったドア』はどう説明付ければいい!?

「峰岸……先輩……?」

熱くなった頭を必死に冷やしてから、慎重に扉を開いた。

「ひっ……!!」

その光景を見て、ゆたかは目を見開いたまま動けなくなった。
血によって紅く染め上げられた部屋、自分の足元に倒れた、あやのの変わり果てた姿……

「うっ……ぷ……!!!」

あまりの光景に嘔吐感を覚え、踵を返してトイレに駆け込んだ。
洗面台に顔を思い切り近付け以下略。

「はぁっ……!! はぁっ……!!」

信じたくなかった。
だが、この目で見てしまったのだ。あやのの変わり果てた姿を。
残酷な事実だけが、少女の双肩に重く重くのしかかっていた。

「ゆたか……どうしたの……?」

いつのまにか後ろにみなみが来ていた。
だが、ゆたかは振り返らない。振り返ることができない。
もうこれ以上、誰も殺させないと誓ったというのに……。いまさらどうやって親友の顔を見ろというのだ。

「み、みなみちゃん……私……私……!!」
「ゆたか……?」
「触らないで!」
「ッ!!」

差し伸べられたみなみの手を払いのけ、自らの両肩を抱くようにして床に座り込んだ。
ゆたかのあり得ない言動と行為に驚き、若干の恐怖を感じた。そしてそれは、ゆたか本人も。

「私には……みんなの友達でいる資格なんかない……! 私なんか……私なんか……!!」

その時、ゆたかの目の前の景色がぐるぐると回った。
回るだけじゃない。形も、色も、なにもかもが溶けるように崩れて……

「ゆたか……!? しっかりして!! ゆたか!!」

昨日までの疲れと、あやのの死という強烈すぎる出来事が重なってしまったのだろう。ゆたかはそのまま、意識を手放した。


・・・


「……ん……」
「あ、気が付いた?」

うっすらと目を開け、最初に飛び込んで来たのは、長い黒髪と眼鏡が印象的な女の子――田村ひよりだった。

「田村……さん……?」
「Meもいるデース」
「私も……」

上半身を起こしてぐるりと辺りを見回す。
ひよりだけではなく、パティにみなみの姿がそこにはあった。
机の上には、自分のバッグが置いてあった。とすると……ここは自分の部屋なのだろう。

「峰岸先輩のこと……見てきた。本当に……『残念』って言葉じゃ足りなさすぎるくらいに……」

そこでひよりの言葉が詰まる。
他の人達だって、あんな死体を見て平気でいられるわけがない。
よく見ると、ここにいる全員の顔が青ざめていた。それほどショックだったのだろう。

「ねえ、ゆたか。もしかして、峰岸先輩が殺されたの、自分のせいだって思ってない?」

みなみの言葉が、胸に突き刺さる。
そうだ。自分がもっとしっかりしていれば、こんな事件は起こらなかったはずなのに……
みなみの手を振り払ったのも、そうした思いが理由だった。

「自分を責メちゃダメデス! ワルイのはCriminalデース!!」
「パトリシアさんの言う通りだよ。悪いのは犯人で、ゆたかはまったく悪くない」

Criminalの意味がわからなかったが、みなみのおかげで『犯人』という意味だということがわかった。
そして、三人がここにいる理由も。
彼女達は自分を励まそうとしてくれているのだ。

『悪いのは犯人』……その言葉に間違いはない。
だがそれでも、阻止できる殺人だったのではないかと負い目を感じてしまう。

「でも、私――」
「だったら」

その胸の内を伝える前に、みなみの言葉が被った。

「犯人を……必ず見つけよう。それが、ゆたかのできる罪滅ぼしだ」

その言葉が、ゆたかの中に巣食っていた闇の感情を浄化してくれた。
今の自分にできることは、こうやって負い目を感じて嘆いていることではない。
みゆき、そしてあやのを殺した犯人を見つけだすこと。
みなみがこの場にいなかったら、自分はどうなっていただろう。ゆたかはちょっとだけ怖くなった。

「小早川さん、ファイトっ」
「自信を持つデス!」
「ありがとう、みんな……」

それぞれの応援の言葉に素直に感謝の言葉を告げた。
だが……この中に犯人がいるという可能性を考えると、手放しでは喜べなかい。

「……そういえば、こなたお姉ちゃんは?」

もう一人の生存者、従姉の泉こなたがこの場にいないことにようやく気付き、誰にともなく尋ねた。

「ああ、泉先輩なら――」
「いぃいやあぁぁあぁぁぁぁあっっ!!」
「ひゃあぁあ!?」

ひよりが答えようとした瞬間、隣の――こなたの部屋から、大きな物音と、奇声ともいうべき悲鳴が聞こえてきた。
あまりの大声に、ゆたかは耳をふさいで縮こまる。

「ひゃぁあぁがぁあぁぁぁあぁぁっ!! 開けてッ!!! 開けてえぇェッ!!!
 誰かっ!! 誰かここを開けてっ!! 開けて私を殺してぇええぇぇええェェッッ!!!」

それは、あまりにも痛々しすぎる言葉だった。

「……コナタ……アヤノが殺さレたの聞いて……Crazyしチゃったデース……」
「危なかったから気絶させて、部屋に閉じ込めておいたんだけど……」
「うあぁぁあああぁあぁぁあああァ!! 殺してッ!! 私を殺してぇええぇぇええッッ!!」

それはおそらく、世界で一番悲しく、切なく、痛々しい願いだろう。
だが……それを『演技かもしれない』と思わければいけない自分が、腹立たしかった。
 
 
 
「うぅぅうううぅう……! 誰でもいいから……私を殺してよぉ……!!」

こなたの叫びが呻きに変わった頃、ゆたかは事件を整理しながら、自室をうろうろと歩き回っていた。
西館で起きた殺人事件。外に足跡がなかったことから、犯人は西館の二人であるということが伺える。
この別荘の中からは、食堂を通らない限り東西の行き来はできない。食堂には鍵をかけたので、西館の二人に間違いはないだろう。

だが、今回の事件には不可解な点があるのだ。

あやのの部屋の鍵がかかっていなかったこと。自分達が言い出したことなのに、それを忘れるのはあり得ない。
だとすれば、犯人が開けたとしか考えられない。
侵入するためにピッキングをしたか、あるいは意図的に鍵を開けたか……
後者の場合、その理由がわからない。だから、鍵を開けて侵入した可能性が高い。
問題は、どうやってこの鍵を開けたのか。
ドアノブは壊れていなかった。無理やりに侵入したわけではない。
ピッキング……とは言っても、そんな高度な技術をこの中の誰かが持っているとは考えにくい。
マスターキーは自分の机の上にあった。それに、鍵をかけていたから侵入されるはずがない。

「……あれ……?」

ふと、違和感を覚えて立ち止まる。
何かとんでもないことを見落としている気がする。昨日の夜から、今日にかけて。

「ん、と……」

昨日の夜、食事をとった後に雑談をして時間を潰した。
みんなで一緒にお風呂に入り、それからまた食堂で雑談して……
それで、眠くなったからお開きにしようとして。食堂に鍵をかけて、部屋に戻って……

(そうだ。田村さんに鍵を運んでもらって……)

部屋のテーブルに鍵を置くところを見た。寝る前にも見たから、ひよりが持ち出したわけではない。
それで、鍵をかけてベッドに飛び込んだ。異様なまでに眠くて、抗えなかった。

「あ、そうだ。私、薬を飲まされたかもしれないって思ったんだっけ」

その異様な眠さは、風邪などの薬を飲んだ時と同じ眠さだった。だから、自分は『なんらかの薬を飲まされた』と結論づけた。
違和感はこれを忘れていたからだったのか、と安堵のため息をつく。
だが、脳内の景色はそのまま朝へと変わった。
もしかしたら、別なことにも違和感を感じているのかもしれない。そのまま脳内で映像を流し続ける。

朝、一度は起きたものの身体が動かず、ベッドに倒れ込んだ。
それから数十分してやっと起き上がれるようになり、着替えを済ませる。
時計を見てすでに8時を回っていたことを知り、早く食堂の鍵を開けなきゃ、と扉を……

「!!?」

……今、とても不吉なものを見た気がする。
脳内の映像を少し巻き戻し、再生。
着替えを済ませ、食堂の鍵を開けるためにドアノブに手を掛けた。そして扉は、『鍵を開けてもいないのに』すんなりと開いた。

「……嘘、だよ……!」

呟いた瞬間、身体から力が抜けて床に膝をついた。

「私……間違いなく鍵をかけたよ!? なのに……なんで鍵が開いてるの!?」

この記憶に偽りはない。あり得ない『矛盾』に、恐怖を感じた。

(……落ち着け……落ち着くんだ、私……)

床に膝をついたまま、深呼吸をする。
今回何度もお世話になっている心を落ち着かせる方法。
しばらくして恐怖が和らぎ、正常な思考ができるようになった。

(鍵をかけたのに、開いていた……ということは、『誰でも鍵を持っていけるようにした』ってことなのかな……)

鍵をかけ忘れたと自分に思い込ませるために、故意に鍵を開けたのだろう。誰が犯人でもおかしくないように。
だとすると犯人は、あやのに疑われていた……

「みなみちゃんとお姉ちゃん……」

まだ断言できたわけではない。
犯人を特定するのは後回しにして、どうやって鍵を手に入れたのかを考えよう。
扉は鍵がかかっていたのだから、正面突破は無理。
他に出入口といえば、窓のみ……

「ああぁあ~~~!!?」

重大な事実に気付き、飛び起きて窓へと駆け寄る。
豪雪地特有である二重窓を、まずは内側、そして外側を開ける。
この間、『鍵を開ける』という行為は一切していない。

「そんな……これじゃあ、誰だって鍵が盗めちゃう……!!」

部屋の鍵には気を付けていたが、窓の鍵はまったく確認していなかった。これは完全に誤算だ。

「私のバカバカバカ!! 窓の鍵さえちゃんとしてれば峰岸先輩は殺されなかったのに!!!」

壁に手をつき、おでこを何度も何度も壁に叩きつける。
あまりの痛さに涙が溢れてきた。けれどゆたかはそれをやめない。
あやのが受けた痛みはこんなものではない。もっと痛くて、もっと怖くて……!!

「ゆーちゃん! ゆーちゃんってば!!」
「はぁ……はぁ……こ、こなたお姉ちゃん……?」

こなたの叫びで我に帰る。
今までおでこを叩きつけていた壁は紅く染まっていた。額を拭ってみると、血が流れていた。

「ゆーちゃん、どうしちゃったの!? 大丈夫!?」
「う、うん! 大丈夫だよ!」

正直言うとあまり大丈夫ではなさそうな血の量だ。
だが手当てはしない。あやのが受けた苦痛とは程遠いが、これは自分が受け入れなければならない罰だから。

「それより、こなたお姉ちゃんの方は大丈夫?」
「うん、だいぶ落ち着いたよ、喉が潰れかけてるけどネ……」

最初は気付かなかったが、確かに声が擦れている。
このままでは声を失ってしまうかもしれない。なんらかの処置をしなければいけないのだが……

「……こなたお姉ちゃん、そこから出たい?」

こなたの部屋の前には家具やらなにやらが積んであり、中からは絶対に開かないようにしてあるのだ。

「出たいんだったら、もう『殺して』なんて言わないで。約束してくれる?」
「……」

壁の向こうから、返事はない。
何を悩んでいるのか気になって声を掛けようとしたところで――

「近くに、いてくれないかな」
「え?」
「私、まだ自分をうまくコントロールできないんだ。だから、その……ぼ、暴走しないように、近くで見ててくれないかな」

受験に落ちたことで心が不安定になり、更にみゆきとあやのの二人の死が追い討ちをかけたのだろう。
今やこなたはガラスのハート。もとより断るつもりはなかったが、断ったらどうなってしまうのか……想像したくもない。

「いいよ。ちょっと待っててね」
「ありがと……」

ちょっと語弊のある言い方だが、こなたはこれくらいのことでお礼を言うような人間ではない。
度重なる不幸が人格にまで影響を及ぼしてしまったのだろうか。一抹の不安を胸に抱きながら部屋を出て、こなたの扉の前にある家具をよろけながらどかしていく。
視界がなぜかぼやけている。頭もはっきりとしていないが、黙々と作業を続ける。
全てをどかし、こなたの部屋のドアノブに手を掛けた。

――生きているだろうか――

ふと、そんな不安を抱いてしまった。
先ほど、自分の行為に驚いて声を掛けてくれたではないか。
大丈夫。こなたお姉ちゃんは、生きてる。
そう自分に言い聞かせ、ドアノブに掛けた手を捻り、扉を開く。

部屋の中は、昨日よりも更にひどい有様だった。
カバンの中身――ゲームや服が部屋中にぶちまけられている。
ベッドのシーツはしわくちゃ、そのベッドに腰掛けているこなたの服も然り。

「ゆ、ゆーちゃん!? その頭……!!」

こなたが動揺しながら、自分の額に指をさしてくる。
言われるまで気が付かなかった。どうやら、まだ額から血が流れているようだ。

「大丈夫だよ、こなたお姉ちゃん」
「だっ、大丈夫なワケ……! は、早く止血しないと!!」
「いいんだよ」

あわてるこなたとは対照的に至極冷静に言い放ち、背中を向ける。

「これは、私に科せられた罰だから。だから、このままでいさせて」
「……ゆーちゃん……」
「さ、行こっ。食堂にみんないるから」
「……」

無言のまま、ゆたかの手を握る。
その力は、いつもの姉からは想像もできないほどに、弱々しかった。


・・・


結局あの後みなみ達に無理やり消毒された。
こなたの監視はみなみ達に任せ、ゆたかはまた自分の部屋へと帰ってきて、再び推理を開始。
鍵は窓から取っていったに違いない。では自分は窓に鍵をかけなかったのか?
答えはなんともいえない。窓を開けた覚えも閉めた覚えもあるが、鍵をかけたかどうかは曖昧なのだ。
このような場合は、最悪のパターンから想像していかなければならないとあやのに教えられた。
あやのからは、たくさんのことを聞いたのに、何も恩返しができなかった。せめてもの罪滅ぼしとして、この事件は自分自身の手で解決しなければ。

「仮に自分は鍵をかけたとして、誰かその鍵をあけられるような人は……」

自分以外に部屋の中に入った人物。それは昨夜、『自分が鍵を持っていく』と言っていた――

「田村、さん……」

その結論に至った時、ゆたかはうずくまって頭を抱えた。
考えれば考えるほど犯人が増え、ますます行き詰まってしまう。

「そうだ、足跡……」

窓から入ってきたのなら、足跡が残っていてもおかしくはない。だが、最初の事件を考えると……
窓を開けて降り積もった雪を見ると、案の定そこに足跡はなかった。

「う~~~~~~ん……」

未だ出てこない証拠、増える容疑者。どうすればいいのか、あれこれ思案するものの……

「やっぱり……行くしかないのかな……」

あやのの部屋。二度と行きたくなかった部屋だが……行かなければならないのだろう。
覚悟を決め、ゆたかはあやのの部屋を目指して歩きだした。


・・・


「うっ……!!」

その部屋に近づいただけでも死臭が漂ってきて嘔吐感を覚えてしまう。
鼻をつまみながら、ゆたかは扉を開けた。
なるべくあやのの死体は見ないようにしたかったが……部屋の中心にいるためそうもいかない。
涙をポロポロと流しながら、ゆたかは辺りを見渡した。

「……あれ……」

血溜まりの部屋の一部分に、白い何かが見えた。
手を伸ばして触れてみると、布のような手触り。血で染まってはいるが、どうやらもとは白いハンカチだったようだ。

「これ……確か峰岸さんの……」

記憶を掘り起こすと、昨日あやのが帰ってきた時にこなたに差し出したハンカチだった。
あやの自身の物では証拠になり得ない。他の証拠を探すために部屋を調べ回る。
が、証拠となりそうなものは何一つ見つからなかった。
諦めて部屋の外へ出た時――

「う……!」

軽い目眩を感じ、床にくずおれる。
やはり一人での長時間労働は無理があったか、身体が言うことをきかない。
それに気分が悪い。一瞬でも気を抜いたら、もどしてしまいそうだった。
誰か手伝ってくれる人が、こうなってしまった時に助けてくれる人が欲しいのだが……

約5分の間、押し寄せてくる嘔吐感に必死に耐えた。
その結果か、だんだんと気分がすっきりとしてくる。身体も動くようになり、立ち上がって食堂を目指した。
情けない話だが、自分だけで捜査を続けることは無理かもしれなかった。
誰かに自分の捜査に協力してもらおう。そうすれば、意外に早く犯人が見つかるかも……
 
食堂にいるみんなにその旨を伝えると、

「私、手伝うよ。ゆたかのためなら、なんでもする」
「私も。ちょっと前まで無能だったから、今度は協力したい」
「私も手伝うよ! 小早川さん一人に押し付けた罪滅ぼしとして!」
「ワタシもデース! 手伝わないホウがおかしいデース!」

案の定、みんなが手伝いを希望した。
これでは意味がない。あれこれ思案した後、

「……パトリシアさん、お願いできる?」
「Of course! ユタカのタメにバリバリ働くデスよー!!」

正直言ってテンションが高いのは苦手だが、なんだか元気を分けてもらえそうな気がした。
何より……パティがこの中で唯一容疑者として上がっていないからだ。

「パティ。ゆーちゃんのこと頼んだよ」
「あんまりゆたかを振り回さないでね……」
「ううん……手伝ってあげたかったのに……」
「皆サンの分マデ頑張るデース!」

パティを連れ、ゆたかは自分の部屋へと向かった。


・・・


「Hmm……それでワタシですカ……」

今まであったこと全てをゆたかから聞き、パティは小さく唸った。

「パトリシアさんは、怖くないの? その……知り合いが、殺人犯だなんて……」
「Yes。ゲンジツトウヒしても仕方ナイですカラ」

パトリシアさんは大人だな、とゆたかは思った。
自分たち以外の誰かが犯人だなんて、ゆたかは今でさえ信じたくないのだから。

「By the way(ところで)、動機のアル人とかいませんカ?」

動機……そういえば考えてもみなかった。
思考をめぐらせ、動機に当たりそうな事柄をリストアップしていく。

「まず、ミナミからネ」
「みなみちゃんは……チェリーちゃんを殺されちゃったこと、かな。高良先輩、頑張ればチェリーちゃんも助けられたって言ってたし、それを聞かれたと思えば……」

思いたくなどないが……想定はしておくべきだ。
しかし、あやのに対しての恨みはないように思える。

「フムフム……次はコナタデス」
「こなたお姉ちゃんは……やっぱり、スタイル、かな。私もちょっと、思うところがあるし……」

だがそうだとしたら、体型的に言えばあやのより先にパティも狙われてもおかしくないはず。本人には言わないが。

「ヒヨリは?」
「田村さんは……同人誌のネタ、なのかな。殺人事件を書きたいって言ってたし。……でも、そんなののために人殺しなんて」
「ケッテイテキな動機がナイですネ……」

これも、犯人を特定するまでにはいかなかった。
無意識のうちに、ゆたかはため息をついていた。

「こんなに頑張ってるのに、犯人が見つからないなんて……」

あまりにも理不尽過ぎる。
この犯人捜しであやのが犠牲になっているというのに。犯人の糸口が見つかってくれてもいいじゃないか。
悔しくて悔しくて、涙が溢れそうになった。

「……ユタカ、キブンテンカンに外の空気を吸いに行きマショウ」
「……うん……」

あまり乗り気ではなかったが、パティに促されて立ち上がり、玄関まで歩いていく。
靴を履き、外に出ると、吐いた息が白くなって現れる。

「やっぱり寒いね……」
「これがギャクに頭の中をスッキリさせテくれマス」

確かに、自分は密閉された空間の中で推理をしていた。
こうやって開かれた場所にいると、心までも開放的な気分になれる。
今日は青空、太陽の光がゲレンデの雪に反射してまぶしいくらいだ。
と、その時――

「What!!?」
「パトリシアさん!?」

ゆたかの隣にいたはずのパティが、ゆたかと同じくらいの身長になってしまった。
見ると、膝の辺りまで足が埋まってしまっている。

「No……フカミにはまったデース……」
「だっ、大丈夫?」
「ヘーキデース。……OK、抜けまシタ」

足を引き抜き、別の場所に体重を預ける。
が、どうやら固い場所だったようであまり深くまでは沈まなかった。

「よかったー」
「Stateでもタマにありまシタから。Butユタカははまりまセンでしたネ?」
「あはは、だって私――」
 
 
 
ゆたかの中で、何かが弾けた。

「――!!」
「ン?」

途中まで言い掛けてからゆたかは振り返り、自分たちが歩いてきた道を見る。


「パトリシアさん。昨日の夜、どんな天気だった?」
「ン~……確か、チョットsnowyデシタが……どうカしましタ?」
「わかった……」

パティの問には答えず、代わりに出てきたのはその言葉だった。

「わかった! 足跡が残ってなかった理由が……!」
「ホントデスか!?」
「うん……。まだ確信はないけど……明日になればわかると思う」

これにより、容疑者は一人に絞られた。
それが引き金となったのか、犯人が使ったと思われるトリックが次々と浮かんでくる。
……だが、まだだ。全ては臆測なだけ。決定的な証拠はない。
たった一つでいい。犯人は、何か重大なことをしでかしたりしていないか……

「!!」

あった。あるではないか。
これは間違いなく、決定的な証拠になる!
明日になり、ゆたかの推理が当たっているか。それにより、全てが決まる。


・・・


翌朝。

「やっぱり……犯人は『あの人』……」

玄関から戻ってきたゆたかは歩きながら呟く。
これで……これで全てがつながったのだ。
ゆたかにとって、それは残酷な宣告でもあったが……殺人を許すわけにはいかない!
歩みを止め、力強い眼差しで眼前の――食堂の扉を見つめた。

「今日が四日目。迎えが来るまでに……決着をつける!!」
食堂の扉が開き、みんなは一斉に振り向いた。
その扉から出てきたのは、小早川ゆたかその人だった。

「ゆーちゃ――」

ゆたかの帰りに、こなたが立ち上がって声を掛けようとしたその時、

「わかったよ、犯人」
『!!!』

全員が息を呑み、周りの人間を見渡す。
この中の、誰が犯人なのか……それがついにわかったのだ。

「それで、ゆたか。犯人は誰なの!?」
「落ち着いて、みなみちゃん」

思わず声を荒げたみなみを諭しながら、四人に歩み寄る。
心を落ち着かせるために、小さく深呼吸をした。

「最初は、本当に犯人がわからなかった。証拠がなさすぎたから」

目を瞑り、まるで昔を思い返すように胸に手を当てる。
『たったの四日間』だけで、本当に……本当に様々なことがあった。

「それで、いろいろと捜査して、犯人がわかった――犯人がわかった後も、ちょっと躊躇したんだ。だってその人は、私の大切な人だから」

唇を噛み締めて、うっすらと目を開ける。その瞳は濡れていた。

「……だけど、もう躊躇わない。『人を殺した』。それは許されることじゃないんだ」

ゆたかの意思に反して、瞳から涙が流れてくる。
だが、ゆたかはそれを気にせずに高く左手を掲げ――

「高良先輩、そして峰岸先輩を殺した犯人は……貴女だよ」

その手を、犯人に向けて振り下ろした。  
 
 
 
 
「こなたお姉ちゃん」
『!!?』

正直、誰も予想していなかった人物の名があげられ、他の三人はこなたを見た。
まばたきの数が尋常ではない。それほど動揺しているのだろうか。

「最初は、こなたお姉ちゃんを容疑者から外してた。最後の最後まで、信じてはいたけど……」

とても悲しそうな瞳でこなたを見つめる。
信じていた姉の無実。それを自分の手でひっくり返すことになろうとは……

「……どう、して」

従妹から犯人として疑われ、こなたが初めて言葉を口にした。

「どうして……私が犯人だと思うの……?」

震えた声で、かすれた声で、本当に小さく呟いた。

「最初は、誰でも犯行ができると思ってた。足跡もなかったし、丸太小屋の監視カメラにも誰も映ってなかったから。
 ……でもこのトリックを思いついてからは、少なくとも高良先輩はこなたお姉ちゃんじゃなきゃ殺せないって気付いたの」
「……あれ? ゆたか、ちょっと待って」

涙を拭きながら説明をするゆたかに、みなみが訊ねてきた。

「足跡が残ってなかったなら、犯人が誰かわかるはずないんじゃ……」
「そういえば……。証拠もないのに犯人って言えないよね」

そう、ひよりの言う通りだ。証拠がないのに犯人を特定などできやしない。
しかし、ゆたかは揺るがなかった。

「普通はそうだけどね。だけどこの場合は『証拠が残ってない』っていうことが証拠なんだ」
「??? リカイに苦しみマース……」
「確かにちょっと複雑かもしれないけど、意外に単純なトリックなんだ。運にもよるけどね」

そう言いながら、ゆたかはポケットの中に手を入れて携帯電話を取り出す。
画面を見て二、三操作し、三人に手渡した。
真っ白の雪が写っている。そこにあったものは……


「足跡が二つ……?」
「昨日の日付だね。でも、これがどうかしたの?」
「右を押して次の写真を見て」

言われた通り、右を押して次の写真へと切り替える。
そこには、先ほどと同じように足跡が写っていた。
ただし、こちらは一つだけ。加えて日付は今日。先ほど撮ってきたばかりのようだ。

「昨日、パトリシアさん『だけが』深みにはまった時、気付いたの。足跡を消したんじゃなくて、ただ単に『残らなかったんじゃないか』って。そしてそれは同じ場所で撮った写真なの」
「――体重デスネ!?」
「「あっ!!」」

パティの言葉に、ゆたかは無言で頷いて肯定を表す。
その瞬間、こなたのまぶたが微かに動いた気がした。

「ここにいる人を軽い順番に並べると、私、こなたお姉ちゃん、田村さん、パトリシアさん、みなみちゃんの順番になるんだ。
 私とこなたお姉ちゃんとの体重はあまり差がなくて、私達二人と田村さんとの体重はかなりの差があるの」

三人に向かって手を伸ばし、携帯を催促する。
ひよりから携帯を返してもらい、最初の写真に戻してまた三人に見せた。

「そして、この写真は私とパトリシアさんが昨日残した足跡なんだ」
「ツマリ……今朝はユタカの足跡は消えテ、私のだけガ残ったというコトですカ?」
「そう。昨日は軽く雪が降ってただけだから、私の足跡だけが消えたの」

この中で極端に体重が軽いこなただからこそできた荒技だった。
天候によっては足跡は残ってしまうから、二日連続で雪が降ってくれたのはかなり幸運だったのだろう。

「私とパトリシアさんの体重にもあんまり差はないから、犯人は小早川さんと泉先輩のどちらか……」
「私は犯人じゃない。つまり、犯人はこなたお姉ちゃんに自動的に決まっちゃうんだ」

この推理の間、こなたはずっと立ち尽くしたままだった。
そのままの状態で、ただ地面だけを見つめている。
反論する気がないのか、自分が犯人と疑われて動揺しているのか……

「でも、スキーの順番はどうしたの? あれは高良先輩が決めたんじゃ……」
「前日のうちに、こなたお姉ちゃんが何か言ったんだと思う。『出来ない人からやった方がいいんじゃないかな』って」
「Butミナミは? ミユキの前に滑っタのですカラ、ミナミが死んでモ」
「あの……そのこと、なんだけど……」

不意にみなみが左手を小さく挙げて呟いた。
顔は赤く、何かを恥ずかしがっているようにも見える。

「じ、実は……泉先輩から、『上手なところを見せるんじゃなくて、ちょっと下手な方が可愛いよ』って言われて……それで……///」
「「!!」」
「……決まりだね。こなたお姉ちゃんが陰で操ってたんだ。ありがとう、みなみちゃん」

顔を更に真っ赤にして縮こまる。
口車に乗ってしまったから、というより、そんな選択をしてしまった自分が恥ずかしいからのようだ。

「……峰岸さんは?」
「え……」

さっきからずっと黙っていたこなたが、突然口を開いた。今にも泣き出してしまいそうな、そんな表情で。

「峰岸さんも……私が、殺したっていうの……?」

その姿を見て、心が痛んだ。これでは自分がこなたをいじめているように思えて……
しかし、可哀想という理由だけでやめるのは、みゆきにもあやのにも、そしてこなた自身にも示しがつかない。
心を鬼にして……自分は、自分のした推理を言うだけだ。

「この部屋割を見てよ」

自分の部屋で書いたであろう部屋割を机の上に置く。
この屋敷の地図に、部屋ごとに自分たちの名前が書かれている。みゆきとあやのの名前は赤い丸で囲まれている。
そしてゆたかは、こなたの部屋とあやのの部屋との間にある暖炉を指差した。



「廊下は区切られてるけど、暖炉を挟んで反対側がすぐ峰岸先輩の部屋。こなたお姉ちゃんは、この暖炉を通って峰岸先輩の部屋に行ったんだ」
『!!?』

予想もしてなかった発想に、推理を聞いていた三人の顔に驚愕の色が浮かぶ。

「この暖炉を使って峰岸先輩の部屋に侵入して、殺した。捜査を混乱させるために、わざわざ鍵を開けて」
「ジブンがcriminalであルことをゴマカスためデスネ?」

パティの問に首を縦に振る。
容疑者の幅を増やすために、部屋の鍵を開けた。こういうことなのだろう。

「だけどそれだけじゃ足りないって思ってたのかな。今度は私の部屋に侵入を試みた」
「誰でもマスターキーをゲットできるように……ゆたかの部屋の鍵を開けるため……」
「『多分』だけど、こなたお姉ちゃんは私に睡眠薬を飲ませた。これが本当ならほぼ確実だよ」

この睡眠薬の話でも、ひよりとみなみが驚愕の色を現わにする。
そういえば、この話はパティにしかしていない。事前に話すべきだったかと少し後悔した。

「鍵が閉まってればそれはそれでよかったんだろうけど、窓の鍵が開いてることに気付いて私の部屋の鍵を開けた。
 暖炉を使ったか、先に鍵を盗んだか、実際はわからない。だとしても、こなたお姉ちゃんが犯人であることに変わりないよ。
 犯人を特定させないために鍵を盗んだんだろうけど、『窓の下に足跡が残ってなかった』ことが証拠になってるからね。逆効果だったみた――」
「違うッ!!」

言い切る前に、こなたの叫びがゆたかの言葉を遮った。
目に涙を湛えながら、声の限りに叫び続ける。

「私は犯人じゃない!! どうして私がみゆきさんと峰岸を殺さなくちゃならないのさ!!?」
「お姉ちゃん……」
「それに! ゆーちゃんの推理には決定的な証拠はないよ!? 私じゃなくてもゆーちゃんの部屋には入れるじゃん!!それで私を犯人扱いしようっていうの!!?」

一気にまくし立てて息が続かなくなったのか、ハァハァと肩で息をするこなた。
できれば自分から認めてほしかったのだが……仕方がない。

「あるよ。証拠」
「!!」
「これがその証拠だよ」

携帯が入っているのとは反対方向のポケットから、血に染まったハンカチを取り出した。

「それは?」
「峰岸先輩の部屋で見つけたハンカチだよ。多分、二日前に峰岸先輩がこなたお姉ちゃんに貸したやつ」
「そっ、それがどうしたっていうのさ!! 峰岸さんのハンカチなんだから峰岸さんの部屋にあって当ぜ――」
「じゃあ、こなたお姉ちゃん」

目を瞑り、小さく息を吸って、覚悟を決める。


 
 
――これで……これで、終わりにしよう。こなたお姉ちゃん――
 
 
「このハンカチ、『いつ』返したの?」
「!!!」

こなたの瞳が、驚愕に大きく見開かれる。
そして、表情が絶望へと変わっていき、だんだんと顔が下がっていった。

「こなたお姉ちゃんはあの日、峰岸先輩からハンカチを受け取った後、そのまま発狂しちゃったはずだよね。
 それから気絶したお姉ちゃんを部屋に運んで、私は峰岸先輩と一緒に捜査した。そして夕飯の時間から、ずっと私達と一緒にいた。
 だから、私達の見てないところで峰岸先輩にハンカチを返すなんてできるはずがないんだ!」

これが最後だと言わんばかりに、力強く言い放つ。
それとほぼ同時に、こなたの身体がくずおれる。観念したのだろう。

「……負けたよ、ゆーちゃん。私なんかよりも一枚も二枚も上手だったネ」
「お姉ちゃん……」
「そのハンカチ、血塗れになっちゃって、持ってたら間違いなく証拠になっちゃうから置いてきたんだけど……逆効果だったみたいだね……ははは……」

沈黙した食堂にこなたの嘲笑が響く。その笑いは自嘲なのか、それとも別の何かなのか……

「あと、もう一つ。ゆーちゃんの部屋の鍵は開いてたよ。上手い具合に睡眠薬が効いてくれたんだネ……」

やはり、こなたは自分に睡眠薬を盛っていた。
その事実もそうだが、『鍵をしめていなかった』自分にも愕然とする。
だが……今は過去を嘆いている場合ではない。

「……お姉ちゃん……どうして? あんなに、仲が良かったじゃない。なのに、なんでそこまでして殺さなくちゃいけないの……?」
「……」

仲のいい六人組。少なくとも、ゆたかの目にはそう見えていた。
仲が悪かったようには、到底見えなかった。二人を殺す動機が見えないのだ。
ただ一つ……最悪の可能性を除けば。
もしこの予想が本当ならば、余りにも悲しすぎる。それだけは、あってほしくない……

「……本当に、わからない?」
「え」
「ゆーちゃん、薄々感付いてるんじゃない? 私が二人を殺した理由」
「――!!!」

予想していた最悪の、更に上を行く最悪の形だった。
そのこなたのセリフが、ゆたかを絶望の底に叩き落とす。

「……なら、なおさらわかんないよ!! わかってたのに、どうして二人を殺したの!!?」
「心の奥ではわかってたよ。だけど、どうしても認められなかった。信じられなかった。二人を……そして私自身をネ」

まさか、そこまで病んでいたなんて……
どうして、姉をわかってやれなかったのだろうか。今更になって、後悔だけがつのる。

「アノ……話がミエナイデス……」

パティの言葉に、今やっと気付いたかのように二人が反応した。みなみとひよりも横で頷いている。
その様子を見て、こなたは立ち上がって近くの椅子に腰掛けた。横顔には哀愁が漂っている。

「最初っから話すけど……私さ、小中の頃、いじめられてたんだよ」
「え……?」
「泉先輩……がですか……?」
「ユタカから聞きまシタ……。ナンデモ、イジメの域をコえていた、ト……」
「そうだよ。靴を隠すとか、そんな生易しいものじゃなかった。『手が滑った』とか言って硫酸を掛けてきたりとか」
「りゅっ、硫酸っスか!?」
「理科の実験でさ。その時はなんとか避けたけど、いつか本気で殺されるんじゃないかって、怯えて過ごしてた」

そう語るこなたは、とても辛そうな顔をしていた。
すべてを知っているゆたかとしては、聞いててとても耳が痛い。こんな話を、本人がしなきゃいけないなんて……

「先生は見て見ぬふり。お父さんには言えるわけもない。唯一の友達だった……心の底から信じてた子からも、『私も被害にあったから』って理由で突き放された。
 その時からだったネ、私が人間を信じられなくなったのは。人間なんて、自分さえよければそれでいいんだよ」

もう誰も、こなたの顔を直視することができなかった。
こなたが余りにも不憫で……可哀想で……

「強い奴は自分より弱い奴を利用する。それでそいつがどうなろうが知ったこっちゃない。
 だから私は、下剋上を図った。学校一の秀才が受けるって言う陵桜学園を目指して頑張った。
 そして私は見事に受かり、秀才のそいつは落ちた。ざまぁみろって思ったよ」

今までの、記憶の中にいるこなたを捜してみても、こんなに汚い言葉を使うこなたはいない。
今目の前にいるのは、こなたであってこなたでない。ゆたかを除く誰もがそう思っていた。

「それで、私は合格発表の日にそいつを呼び寄せた。今までずっと蔑んできた奴に負けた気分はどうだ? ってね。
 最初は、初めて誰かの上に立てた優越感に舞い上がってたよ。だけど、次にそいつが放った言葉が、私をメチャメチャにした……!!」

いつの間にか、こなたの言葉に力がこもっていた。
顔も強ばっていて、まるでその時の光景を思い出しているかのようだ。
そして、次の瞬間――

「うあぁぁぁあぁぁああああああぁぁあああああぁあああ!!」
「きゃあ!!?」

突然、目の前のテーブルを力一杯に蹴りあげた。
その衝撃でテーブルは倒れ、上に乗っていたグラスや食器が床に落ち、音を立てて割れていく。
しかし、こなたの暴走は止まらない。勢いよく立ち上がり、叫びながら後ろの壁を何度も何度も叩きつけた。
その顔は、『鬼』と言っても過言ではないだろう。

「ぁあぁあああぁああ! 今思い出しただけでも虫酸が走る! アンタが!! アタシに!!そんなことを言える権利なんかどこにもねぇんだよぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」

この中でゆたかだけが知っている、暗黒時代のこなたが、そこにいた。
もうムチャクチャだ。こなたらしさなんかどこにもない。キャラ崩壊もいいところだ。
だが、そんなことを言える人間など誰もいない。ただただ、黙ってその光景を見ていることしかできなかった。

「はぁ……はぁ……」

こなたが落ち着いたのはそれからほどなくしてだった。

「ご、ごめんね……私……アイツのことになると……ちょっと……」

壁にもたれかかり、苦しそうに肩で呼吸をしている。あれだけ暴れたのだから、当然といえば当然だろう。
そのタイミングを見計らったかのように、みなみが口を開いた。

「……でも、その話のどこに今回の事件との関連性が……」

今までこなたの過去話しか聞いていないため、肝心の『動機』が見えないのだ。
そんな時、こなたのすぐそばまで歩み寄って、ゆたかが一言。

「信じきれなかったんだよね。二人を……ううん、私達全員を」

ゆたかの言葉に、こなたは首を縦に振ることで肯定を示す。
そして、呼吸を整えてから、再び語り始めた。

「……高校に入学してからも、疑心暗鬼は続いたんだよね。つかさとかがみとみゆきさん、三人と仲良くなったけれど……本気で信じることができなかった」
「裏切られたくないから。例え裏切られても、自分が受ける被害を最小限に食い止めるために」

こなたのセリフに横からゆたかが補足をいれる。
すべてをこなたの口から言わせるのは……あまりに可哀想すぎる。
悲しみを少しでも減らしてあげたいという思いが、自然とゆたかの口を動かしていた。

「私はかなり黒いからネ。全部の事柄を疑ってかかったよ。
 『勉強を見てやるという口実で私を笑うんじゃないか』とか、『楽しそうに笑ってるけれど、本当は早くこの空間から抜け出したいんじゃないか』とか」
「三人だけじゃない。先生とか、峰岸先輩達とか、私達に対しても同じだった。そうでしょ?」
「そ。三年間ずっとだよ。でも、陵桜は私をいじめてくる人はいなかった。だから、信じても大丈夫かなって思い始めた矢先の出来事だった」
「受験に失敗した……。これが、こなたお姉ちゃんをまた黒く染めた」

こなたは答えなかった。だけども、それが肯定を表していることは明らかだった。
数秒の沈黙のあと、こなたが小さくため息をついた。

「多分、今までで最高に黒かったよ。あの時は」
「受験に失敗したことをネタにいじめられるんじゃないか……」
「励ましの言葉も、私を蔑んでるとしか思えなかった。口では『残念だったね』って言ってるけど、心の中じゃ『ざまぁみろ』……そうとしか思えなかった」

やはり、ゆたかの想像が当たってしまった。
疑心暗鬼からくる『思い込み』。これが、こなたの動機だったのだ。

「特に、みゆきさんと峰岸さんがね。あの二人、私達の中でもずば抜けて頭がいいんだよ。
 だから……怖かった。頭が良いからこそ、私を見下すんじゃないか……」
「だから……殺したんんスか……?」
「『やられる前に殺れ』……ってね。これ宇宙の真理だよ」

そんなわけない。それがすべてではないのだ。
だが、こなたの場合……それしか選択肢がなかったのだ。

「正直、みんな殺してやろうって思ってた。みんな殺して、自分も死ぬつもりだった。
 だけど……峰岸さんを殺した後に気付いたんだ。『間違ってたのは私だったんだ』って……」

壁にもたれかかっていたこなたの身体がだんだんと沈んでいく。
もう立っている気力もなくなったのだろう、床に座り込んだ時には、足と手をだらしなく投げ出していた。

「でも、後悔はしてないよ。……というより、出来そうもないや。だって、自分自身を信じれてないんだからさ……」

すべてを語り終え、こなたは悲しそうに天井を見上げた。
人を信じたくても、信じることができない……悲しき少女の、哀しき結末だった。
 
 
 
「……わからない」

そんなこなたを見下ろしながら、みなみは首を横にふる。

「私には、わかりません。なぜ……なぜ、あなたは……」

みなみの問に、こなたは反応しなかった。そのままの態勢で、ただ天井を見つめている。
そして、ゆっくりと目を閉じ……その目の端から、涙が溢れていた。

「……わからなくてもいいよ。どうせ私は……永遠に独りぼっちなんだからさ……」

束の間の静寂が食堂を包み込む。
こなたの嗚咽がそれを破ったのは、数秒後のことだった。
 
 
彼女が流した涙の真意を、理解した者は誰もいない。

ただ一つ、理解できたこと。それは――

 
 
 
 
 
 
 
「ゆーちゃん、みなみちゃん」

迎えのリムジンの中で、こなたが二人に呟いた。
このリムジンは今、みゆきの別荘からふもとに下りてきて、街中へと向かっている。
こなたの要望により、ここから一番近い警察署へと直行しているのだ。

「なんですか……?」
「なぁに? こなたお姉ちゃん」

二人の問いかけに、こなたは窓の外を見つめながら言った。

「二人はさ、信頼しあってるよね」

そこまで聞いて、こなたの言いたいことがわかった。

「あんまり他人を心の底から信じないほうがいいよ。いつかは裏切られるんだからさ」

こちら側からは、その顔を伺うことはできない。
だが……彼女はおそらく、無表情なのだろう。一切の感情もなく、窓の外を見つめ続けているのだろう。

窓の外は真っ白な世界から抜け、豪雪地帯特有の二重玄関の家がぽつりぽつり見え始めている。
その景色を、こなたは何を思いながら見つめているのだろうか……

「……私は、信じ続けますよ。ゆたかを」
「え……」
「みなみちゃん……?」

返事が帰ってくるとは思っていなかったのか、こなたまでも驚きの顔をみなみに向けた。

「例え、ゆたかに騙されたとしても……何か事情があったのだと、私は考えるはずです」

真剣な顔で語るみなみの顔を、こなたは黙って見つめている。
ゆたかはその瞳から感情を読み取ろうとしたが……こなたの瞳の揺れがその邪魔をする。

「泉先輩だって、心の底から信じることができる友達ができたなら……いいえ、もういるはずなんです。それに気付けなかっただけなんです。
 だから、泉先輩もいつか、人を信じれる時が来ます。ここに、そして埼玉に、あなたを信じている人がいるんですから……」

そう言って、優しい笑顔をゆたかに向けた。

「みなみちゃん……」

『こなたが犯人だ』ということをみんなが知って、てっきりこなたを避けるかと思っていた。
しかし、少なくともみなみはそうではなかった。こなたを信じているのは自分だけではないと、この時、ゆたかは初めて理解した。

「……っはは。私、これじゃ完全に悪役だネ」

そう自嘲しながらも、表情はなごやかだった。暗黒時代の面影はもうない。
『今まで自分達が見ていた範囲で』のだが、それはいつものこなたの表情だった。

「負けたよ、二人とも。二人の友情は本物みたいだ」
「こなたお姉ちゃん……?」
「どこまでできるかわからないけど……もう一度、人を信じてみるよ。もう、遅すぎるけどね」

こなたの言葉に、胸が熱くなった。
今まで何度もこなたを慰めてきたけれども、それでも、こなたの凍り付いた心を溶かすことはできなかった。
時間はかかってしまったが……これだけでもう、十分だ。

「そこでさ……お願いがあるんだ」
「お願い?」

目に溜まり始めていた涙を拭い、聞き返す。
するとこなたは、ちょっとだけ悲しそうに眉を細めて二人に言った。

「お父さんとかがみ達が事件のことを聞いたら、間違いなく面会に来ると思うんだ。だから……みんなに、面会に来ないように伝えてくれないかな」
「「え……?」」

予想外の言葉に、ゆたかもみなみも目を丸くした。

「だってさ、みなみちゃんの言い方だと、みんな私のことを信じてくれてるんでしょ? だったら、みんなに会わせる顔がないよ」

こなたの言葉が終わらないまでも、自然と笑みが零れてしまった。
信じる心を、確実に取り戻しつつある。それが嬉しくて、嬉しくて……

「ゆーちゃんとみなみちゃんは許すけど……他の人には、面会に来てほしくないんだ。……ダメ、かな」

こちらを向いた瞳が潤んでいる。まだ、怯えているのだろう。
だが、怯える必要はなにもない。もとより返事はただ一つなのだから。

「それが、泉先輩の望みなら」
「みんなに伝えておくよ」
「……ありがとう、二人とも……」

二人の返事に安心したのか、微笑みを返してくれる。
事件を起こしていた元凶は消え……今度こそ、すべてが終わったのだ。
 
 
 
「着きましたよ」

それから数十分後、リムジンは遂に警察署へと到着した。
リムジンから降りたこなたは、中にいる四人へと振り向く。

「しばらく……お別れっスね」
「サッキ話ハ聞いてまシタ……。ワタシタチは……面会アウトなんデスネ……」
「うん……ごめんね。あんまりたくさん会ってると、こっちも辛いから……」
「いいっスよ。泉先輩の望んだ道なんスから」

しばらく二人を見つめた後、今度はゆたかとみなみに顔を向ける。
ゆたかの瞳から涙が溢れているのを見て、その涙を拭ってやる。

「泣いちゃダメだよ、ゆーちゃん。私は犯罪者なんだからさ」
「……っ……でも……でも……」
「大丈夫だって。死刑とかにならない限りはまた帰ってくるんだし。私はまだ未成年だから、刑が確定したら埼玉に戻るしね」
「……先輩」

完全に『お姉さん』の顔になったこなたを、みなみが優しい笑顔で見つめる。

「もう……大丈夫みたいですね」
「ううん……本当は、怖いよ」

リムジンのドアにもたれ掛かり、晴れ渡った空を見ながらこなたは言う。その肩は微かに震えていた。
だが……それとは対照的に、表情は、いつものこなただった。

「でも……二人に、教えられたからね。少しずつでも、変わっていかなくちゃ」
「……ひっぐ……お姉……ちゃん……」
「じゃあ、私行くね。こんなところにいつまでもリムジンが止まってたら、みんな怪しまれちゃうし」

扉を閉めると、こなたは背を向けて歩き始めた。
小さくなっていく背中を見つめながら、ゆたかは思い出した。
まだ、まだこなたに伝えていないことがある。

「おねぇちゃん!!」

窓を開けて、ゆたかは声の限りに叫んだ。
その声にこなたは立ち止まり……しかし、振り返らない。
それでもいい。例え面と向かわなくてもいい。この声が、届くなら!!

「っ……私、ずっと待ってる! えぐ……時間のある時は……ひっく……必ず会いに行く! だから……だから……!!」

その叫びに、こなたは……
 
 
 
――ありがとう。ゆーちゃん――
 
 
 
左手をあげることで応え、また、歩き始める。

こなたが振り返ることは、遂になかった。


「日下部ー、ミートボールできたー?」
「おー、もうすぐだってヴぁ。妹はどうだ?」
「うん。もうすぐ焼けるよ」

五月二十八日。柊かがみ、柊つかさ、日下部みさおの三人は、台所で料理をしていた。
かがみは鍋を煮込みながら味見、みさおは挽肉を捏ねて手作りミートボールを制作中、つかさはオーブンでケーキの焼き具合を見ている。

「悪いねぇ、何もしないで見てるだけなんて」

そんな三人の後ろから、男の声が聞こえてきた。
泉そうじろう。三人がいるこの家の家主だ。
そんなそうじろうに、かがみが笑顔で振り返る。

「いえいえ。これは好きでやってることですから」
「でも、七回とも俺は見てるだけじゃないか。なんか手伝えることがあれば……」
「いいんだってヴぁ。おじさんはゆっくりしてて」

かがみとみさおの言葉を素直に聞き、そうじろうは机の上の新聞を手に取った。
それぞれがそれぞれの料理に目を落とし、今ここにはいない主賓に思いを馳せる。

(……そっか……あれからもう七年経ったんだ……)
(早いなぁ……元気でやってるかな……)
(……ミートボール、早く食べてぇなぁ……♪)

……失礼。一人だけまったく違うことを考えているようだ。

 
 
 
あの事件の三ヶ月後、四月を越えてから、こなたの刑が確定した。
懲役八年。すなわち八年後の四月になって、ようやく出所できるのだ。
そして、それから七年が過ぎている。あと一年でこなたが出所するのである。

「あと一年、か……」

と、かがみがぽつりと呟く。
長いようで短かったこの七年。三人は、それぞれの道を歩いていた。

かがみは希望通り、弁護士になることができた。まだまだ新人ということで知名度は低いが、これからぐんぐん上がっていくだろう。
つかさも、趣味のお菓子作りを活かしたいと考え、有名パティシエに弟子入り。つい先日、お菓子のコンテストでグランプリに輝いた。
みさおは今まで誰にも進路を説明していなかったのだが、なんと彼女は教育大を選んでいた。現在ではさいたま市で体育教師をしている。
三者三様、さまざまな出来事を経験してきたが、彼女達は他の三人を忘れたことはない。涙で枕を濡らしたことも、少なくなかった。

「来年は、ちびっこも帰ってきての誕生日なんだな」
「主賓がいないと、やっぱり絞まらないよね」

それぞれが職業に就いてからでも、三人はたびたび集まっていた。
中でも、五月二十八日は泉家に、十月二十五日は高良家に、十一月四日は峰岸家に毎年集合している。
その理由は……ズバリ、『誕生日パーティー』である。
今は亡き親友二人と、刑に服しているもう一人の親友。主賓こそいないものの、彼女達の誕生日を祝うため。それが理由だ。

「これ、死ぬまで続けよーね」
「体力とか仕事の都合にもよるけど……まあ、できるだけね」
「……よし、できたゼ。あとは焼くだけだってヴぁ」

出来たばかりのミートボールをフライパンの横に置く。夕飯はまだ先、今焼いてしまっては冷めてしまう。
と同時に、オーブンが『チン♪』という景気のいい音を立てた。

「あ、こっちも終わったよ」

オーブンを開けると、スポンジケーキのいい匂いが部屋中に漂った。
これに生クリームを塗り、イチゴなどでデコレーションして冷やせば完成である。

「……さて、こっちはもうちょっとかしら」

こなたから習った特製の水炊き。こなたの誕生日を祝う時は、かがみが毎回作っているのだ。
鍋の火を弱火にして、かがみがテーブルへとつこうと椅子に手を掛けた時、インターホンが鳴った。

「お、ゆたかちゃんとみなみちゃんね」

毎年集まっている人の中で、現在泉家にいないのは小早川ゆたかと岩崎みなみのみ。
時間帯的にその二人が来たのだと思い、かがみが玄関へ迎えに行く。
ドアを開けると、案の定そこにはゆたかとみなみの二人がいた。

「こんにちは~」
「お久しぶりです、かがみ先輩」
「久しぶり。上がってよ」

二人が来たことを確認し、中に上げる。
ゆたかはもともとこの泉家に居候していたのだが、現在では一人暮らしをしている。
七年前の事件解決を評価され、また周りの人間からも勧められたために警察官に就職したゆたか。体力のないため少し重労働だが、姉のゆいのフォローに助けられている。
みなみは現在とある会社を経営しており、自社ブランドの『Hinyu(ヒニュー)』が世界的に有名となっている。名前の由来は貧乳だとか。

「みんなー、ゆたかちゃんとみなみちゃんが来たわよー」

リビングへと上がり、二人をみんなに紹介する。
中にいるみんなが顔をあげるが、次の瞬間、なぜかみんなが硬直した。

「……? どうかした?」
「ひ、柊……う、後ろ……」
「後ろ?」

みさおに言われ、振り返ってみる。すると……

「やふー、かがみんや」
「……………」

そこにいた人物を見て、かがみはきっかり三秒半、硬直。そして……
 
 
 
「ええええぇぇぇぇ!!?」
「いや、驚きすぎ。遅いし」

『そこにいるはずのない人物』がいて、かがみは思わず数歩後退る。
隣にいるゆたかとみなみも苦笑いしている。全て知っていた、という感じである。
かがみ達が見た人物。それは先ほどまで話していた『泉こなた』その人だった。

「ななな、何でここにいるのよ!!」
「いや~、奇跡的に仮釈放されたんだよネ」
「私の住んでる家で引き取ることになったんです。保護観察も兼ねて」
「泉先輩がドッキリにしたいっていうから、今まで隠していたんです。さっきは隠れてもらってました」

三人の説明を聞いても、あまりに突然な出来事のために開いた口が塞がらないまま。
しばらくその状態だったが、つかさが頭を横に振って意識を現実に戻す。

「仮釈放ってことは、普通に生活できるんだよね!?」
「うん。ゆーちゃんの監視がつくけど、もう犯罪を犯すつもりはないよ」
「そ、そうか……いや、よかった……もう一年待つ必要がなくて……」

こなたの言葉を聞いて、そうじろうがホッと胸を撫で下ろす。

「ゆーちゃん達から、いろいろと聞いてたよ。今日も、私の誕生日パーティを開いててくれたんだよね」
「あっ、そうそう! もうすぐできるからちょっと待ってて!!」
「その前に――」

台所の鍋へと身を翻すかがみを制止し、こなたは床に正座する。
そして……床に頭をつけて、一言。
 
 
 
「ごめんなさい」
 
 
 
あまりにこなたらしくない言動と行動に、みんなの目が点になる。

「私がしたことは、許されることじゃない。それでも、私には謝ることしかできない。本当に……本当にごめんなさい……」

その言葉にこなたの行動の真意を理解し、顔を見合わせる。

「……上げなさいよ。頭」
「え……」

かがみの言葉に、言われた通りに顔をあげる。
そこには、自分に微笑みを向けてくれるみんながいた。

「らしくないわよ。そんなの」
「私達は、親友同士でしょ?」
「確かにちびっこは取り返しのつかないことをした。だけどな、そんなんで親友やめるような人間じゃねぇんだよ」
「あの事件に関しては、俺にだって責任がある。だから、こなた。一人で背負いこもうとするな。その重荷は、俺たちが一緒に持ってやる」
「あ……」

呆然と、四人の顔を見つめ続ける。
その横から、ゆたかとみなみが『ほらね』といった具合に声を掛けた。

「四人は、ずっと待っててくれたんだよ。こなたお姉ちゃんを」
「泉先輩はあの日、『私は永遠に独りぼっちだ』と言いましたね。確かに私達には、先輩の気持ちや辛さはわかりませんが……」
「その思いをわかってあげたい。その辛さを共有したい。そう思うのが、家族なんじゃないかな」
「中学まで、泉先輩の周りには家族と呼べる人達がいなかった。だから、人を信じることを諦めた」

床に座ったままのこなたに歩み寄り、その頭を撫でてやる。
こなたが顔をあげると同時に、ゆたかは満面の笑みで言った。

「でも、今なら大丈夫でしょ? だってこなたお姉ちゃんの周りには、こんなにたくさんの家族がいるんだから」
「あ……あ……」

この言葉に、こなたの心は完全に氷解した。
顔を下げて口元をおさえるこなたの瞳からは、大粒の涙が零れでていた。

「ちょっ、なんで泣いてるのよ!!」

予期せぬ事態に、四人は一斉にこなたに迫る。

「えぐ……だって……だって……」

拭っても拭っても次から次へと溢れてくる涙。
嗚咽と涙と鼻水に邪魔をされながらも、こなたは必死で想いの内を打ち明けた。

「ひっく……初めて……っく……人を信じて……ううっ……良かったって……思ったら……えぐ……嬉しくて……」

人を信じたかったのに、信じることのできない辛さ。
その辛さが終わったことで、こなたの凍り付いた心は一気に溶けたのだ。
その事実に気付いたそうじろうは、最愛の娘を力強く抱き締めた。

「ゴメンな。お前の気持ちに気付いてやれなくて。今更で悪いが……おとーさんの胸、貸すよ。だから今は、思い切り泣け」
「ひっぐ……おとー……さん……」

小さな子供が親にすがりつくように、こなたは父親の服を強く掴んだ。

「えぐ……っ……うあぁぁぁあああぁあぁあああぁあああああぁぁあ!!!」

その父娘を見て、つかさとゆたかの瞳に涙が浮かぶ。
こなたが帰ってきてくれて……本当に、嬉しいのだ。

「……つかさ。ケーキのデコレーション、気合い入れなよ」
「ぐす……うんっ」
 
 
 
その日は、こなたにとって最高の誕生日となった。


以下、作者あとがき
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

今回の話を書いた理由は、『このこなたのような苦しみをみんなに理解して欲しかった』からです。

今までも何度か言ってきましたが、作者もこのこなたと同じ境遇でした。さすがに硫酸を掛けられる、といったことはありませんでしたが。

今でこそいじめはなくなりましたが、人を信じたくても気軽に信じることができない体質になってしまいました。

このような人は、皆さんの近くにもいるかもしれません。

ひねくれ者のネガティブ屋。正直言ってかなりウザイですよね。自分でも思います。

でも、そうしたくてそうしているんじゃありません。『そうしなくちゃならなくなった』場合が大半だと思います。

本当は信じたいのに、傷つくことが怖くて信じることができない辛さ。そのために、ネガティブになってしまったのだと思います。

そういう人を、見放さないで欲しいんです。見捨てないで欲しいんです。

見放せば逆にその人は傷つき、このように重大な事件を起こしてしまうかもしれません。

どうか、彼らを理解してあげて欲しい。それが、作者の願いです。
ツールボックス

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