ID:CiT8IZo0氏 柊かがみ法律事務所──かがみと「彼」の無題

柊かがみ法律事務所──かがみと「彼」の無題

 かがみは、破産手続開始通知書を読んで、少しだけ表情を動かした。
 かがみの前には、かがみが顧問弁護士を引き受けているアキバ系中小企業の経営者が座っている。彼の会社が破産したのだ。
 破産申立手続については、かがみが代理人としてすべて執り行なっていた。その結果が裁判所から通知されてきたわけで、別段怪しいところなどありはしない。
 本件の破産管財人の弁護士が、かがみが若かりし頃に三日で振った相手であるというところを除けば……。
 三日で振ったあとも、互いに仕事を融通しあったり、協力して仕事をしたり、ときには法廷で対決することもあったりと、長年何かと係わり合いの多い相手ではあったが、ここまで来ると何か因縁でもあるのか疑いたくなる。

「これから破産手続に入ります。会社の財産の管理権は破産管財人に移ります。破産管財人は、ひらたくいえば裁判所の使い走りみたいなもので、会社の味方ではないので、勘違いしないでくださいね。会社に不利になるようなことがあれば、私が引き続き代理人として破産管財人と交渉等をしますので、何かありましたら御遠慮なく御相談ください」
「分かりました。柊先生には最後の最後までお世話になりっぱなしで本当にすみません」
「いえいえ。これが仕事ですから」



 翌日、さっそく破産管財人がやってきた。
 破産会社の財産状況等に関する書類の引継ぎのためだ。
 破産申立手続の際に用意した書類にその後の経過による修正を加えたものを引き渡し、説明と質疑応答。二人は淡々とそれらをこなしていく。
 その間、事務所内は、仕事以外の一切の会話がない異常な静けさに包まれていた。
 事務所に雇われている事務員・弁護士全員が二人の過去の関係を知っていたが、二人の前でそれを口に出すことはしない。そんなことをしたら、普段は温厚なかがみから背筋が凍りそうになるほどの冷たい視線で睨まれるからだ。

 引継ぎが滞りなく終わったところで、破産管財人の弁護士が初めて仕事以外の話題を口にした。
「いつもそっけないな君は」
「ここは仕事場で、あんたと私は仕事中でしょ」
「相変わらずドライだね」
「あんた、この仕事わざと取ったんじゃないでしょうね?」
「まったくの偶然だよ」
 破産管財人の選任は裁判所の権限であるが、「やらせてくれ」、「やってもいいよ」という弁護士を名簿に予め登録しておいてその中から選び出して打診するというのが実際の運用であった。破産者の顧問弁護士とか、破産者の債権者の顧問弁護士とかいった利害関係者は選任されないことになっている。
 とはいっても、これは東京みたいな弁護士がたくさんいる地域での運用であり、弁護士が少ない地方では破産管財人の選任には苦労してるようだ。
 それはともかく、金にがめつい彼のような弁護士が破産管財人みたいながっぽり儲かるとはいいがたい仕事を引き受けていることは、かがみには意外だった。
 彼にいわせれば、「国選弁護人みたいに赤字確実な仕事に比べればはるかにマシだ。あまり儲かるわけじゃないけど、コンスタントに引き受け続けていれば、そんなに悪い仕事じゃない」ということらしい。ちゃんと実績をあげておけばお国からコンスタントに仕事が回ってくるわけだから、収入源としては悪くはないともいえるのかもしれない。

「まあ、それはともかくとして、せっかくこうして会えたんだ。これからディナーでもどうかな?」
「あんたの奢りならいいわよ」
 かがみは立ち上がった。時計の針は17時を指していた。
「今日の営業は終了。特に急ぎの仕事がない人は帰っていいから」
 かがみは、雇っている事務員・弁護士にそういい残すと、二人で事務所を出ていった。
 そして、二人の姿が見えなくなったのを確認すると、事務所内ではそれまで静けさが嘘のように会話が始まった。もちろん、話題の中心はあの二人の関係にほかならない。



 夜、二人は、都内の高級ホテルの最上階にあるレストランにいた。
 窓の外の夜景が、綺麗だった。
 かがみは、ワイングラスに口をつけた。たぶん、高級なものなんだろう。口当たりがいい。
「そうしてると、男に貢がせてる性悪女みたいだな」
「あんたが勝手に貢いでるだけでしょうが」
「まあ、そうだけどね」
 傍からみれば、どう見てもデート中の男女だが、かがみは意地でもそれを認めようとはしない。
「あんたさ。本当にこれでいいわけ?」
「いいさ。互いに形式にこだわるような歳でもないだろ? 僕は、振られてから長いこと、君との間では仕事関係以外の会話がほとんどない状態が続いた。それが何とかここまでこきづけられたんだ。僕にとっては充分に満足すべき成果さ。どんな形であれ、君を独占していられる時間をもてるようになったのだからね」

 かがみは、外の夜景に視線を向けた。
 正直にいえば、こうして付き合っている分には悪くない相手だ、彼は。
 それでも、三日で振ったのは、物事に対する考え方というか人生に対する考え方というか、そういう根本的なところが全く合わなかったから。
 人生を共に歩むなんて、結婚なんて、絶対に無理。
 それがあのときの結論だったし、その結論は今でも変わらない。
 でも、彼はそれで構わないという。結婚なんて形式にはこだわらない。交際してるんだかしてないんだか分からないような中途半端な状態のままでも構わないと。
 そんな中途半端な状態に至ってしまったのは、かがみが寂しがり屋のくせに意地っ張りだからにほかならない。
 もう四十代も半ばだというのに、何をしてるのかしら、私は……。
 そんな自己嫌悪に駆られてしまう。
 かがみは、視線を彼に戻した。


「なんで、私なの? あんたなら、今だって、若い娘から選び放題じゃない」
「君は僕を振った唯一の女性だから」
 彼はそんなことを平然と言い放った。
「馬鹿じゃないの?」
「冗談さ。そんなに怒らないでくれよ。まあ、若さゆえの魅力なんて歳をとれば衰えるもんだ。それに対して、君には歳をとっても変わらない魅力がある。それが僕を魅了してやまないといったところかな」
「……」

 そういってもらえるのは素直に嬉しい。でも、それがよりによってなんでこの男なんだろうという思いは消えない。
 彼は完全に覚悟を決めて開き直っている。
 それに対して、自分は中途半端な気持ちのまんま宙ぶらりん。
 あのときに、三日でこの男を振ったときに、覚悟は固めていたはずなのに……。
 ますます自己嫌悪に陥りそうになり、かがみは思考を無理やり打ち切った。

「今夜はどうすんのよ?」
「ここのホテルの一室を予約してある。無理強いはしないがね」
「いいわよ。このまま帰る気にもなれないし」

 こうして、二人の夜はふけていく。
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