ID:mWRNTqo0氏:日下部さんと柊の妹

「あー、こんなのわかんねーよ」

私は柊の家にあやのと勉強会に来ていた。
まったく大会前の大事な時期だって言うのに宿題なんか出すなよな。

大会が近いのに最近調子が上がらず、タイムが伸び悩んでいる私はいつも以上にイライラしていた。

「あら、何かいいにおいがするわね」
「ああ、つかさがクッキー焼いてるのよ」
そういえばさっきから食欲をそそる香りが階下から漂ってくる。

コンコン…
「お姉ちゃん、入っていい?」
「いいわよ~」
「クッキー焼いたからよかったら食べてね」
「ちょうど良いから休憩にしましょうか。妹ちゃん、ありがとうね」

柊の妹が持ってきたクッキーと紅茶で一息入れることになった。

私は紅茶を飲みながらクッキーには手をつけなかった。
「日下部、クッキー食べないの?」
「うん、今大会前で体重には気をつけてんだ」
「そうなんだ」
そう言いながら3人はクッキーを食べている。
自分が食べられないのに3人がおいしそうに食べてるのを見ると恨めしくなってきた。
「食べたいんでしょ?一枚くらいならいいんじゃない?」
そう言って柊がクッキーを持ちながら食べさせようとしてくる。
別に柊に悪気があったわけじゃないのはわかってる。
でもその時の私には柊の言葉が大会に向けて体調管理に気をつけている私を馬鹿にしてるように聞こえた。
多分、相当イライラしてたと思う…
「だからいらないってヴぁ」
思わず柊の手を払いのけてしまった。
「あっ…」
柊のもっていたクッキーがフローリングの上に落ちた。
場に何とも言えない気まずい空気が流れる…
「あ、その…」
本当ならすぐ謝るべきだった。
でも言葉が出てこなかった。
「だ、大丈夫だって…ほら、日下部が言ってた3秒ルール、3秒ルール…」
無理やり明るい声を出して、柊が落ちたクッキーを食べる…

悲しそうな顔をして落ちたクッキーを見つめている柊の妹の顔が忘れられなかった。

翌日

「みさちゃん、昨日のこと、やっぱり謝った方がいいと思うな」
「うん、わかってる」
結局あのとき謝る機会を逃してしまった。
そのあとの勉強会は重苦しい雰囲気の中で行われ、誰からともなくすぐにお開きになってしまった。

教室の扉を開けるとすでに柊が自分の席に座っていた。
「あのさ、柊。昨日はゴメンな」
「あ~、いいわよ。私も気が利かないっていうか悪かったし」
「ありがとう。で、妹の方にも謝りたいんだけど…せっかくクッキー焼いてくれたのに食べなかったし」
「そうね。じゃあ昼休みにでも謝りに行こっか」

しかし結局それが実現することはなかった。
今日に限って柊は委員会の仕事があるとかで先生に駆り出されてしまったからだ。
やばっ…どうしよ…一人で行くのもビミョーだしなぁ…
「みさちゃん、謝るんだったら早い方がいいよ」
そう言ってくれるあやのの言葉をもっともだと思いながらも謝りに行く勇気は持てなかった。

午後の授業も終え、部活の時間がやってきた。
とりあえず柊に謝れたことで憂鬱の種は一つ減っていたものの根本的な原因は全く解決していない。
「日下部、またタイム落ちてるぞ」
言われなくても自分の体の感覚でわかる。

あ~なんで苦しい思いしてこんなことしてるんだろう。
もーやめちゃおうかな。

そんなことを考えていると後ろから声をかけられた。
「日下部ー、お前に話があるって人がいるんだけど」
話?練習中に?誰だろ?
「ほーい。今行くぜ」

呼び出された先にいた人物は柊の妹だった。
「えっ!!」
予想外の人物の登場に思わず声が出てしまう。
というか一番2人きりで会ったら気まずい人物だ…
話ってなんだろう…もしかして昨日のこと怒ってんのかな…
柊の妹はおとなしいイメージで切れるとかは想像できないけど切れたら姉より怖かったりして…
それはマズイ…!早く謝んなきゃ…えと…え~
「あの…ごめん。練習中迷惑だった?」
私の動揺は柊の妹には別な風に映ったようだ。
ふう…とりあえず怒ってないようでホッとする。
「あの…話って?もし時間あるようならもうちょっと待っててくんね?あと少しで部活終わるから」
クッキーのこと謝んないといけないし、そのためにもゆっくり話したかった。
「あ、じゃあ待ってます」

部活が終わった後、待っていた柊の妹と二人学校を出る。
あやの以外とこうやって帰るのは想像してなかった。しかも柊の妹と…
「日下部さんってホントに速いんだね。見ててびっくりしちゃったよ~」
感激した様子で目を輝かせて言う。
本音なんだろうけどタイムが落ちている今の私からすれば素直に喜べなかった。
「それで話ってなんだったの?」
「そうそう。これを渡そうと思って」
妹が出してきたのはかわいくラッピングされたチョコレートだった。
「その…お菓子食べないようにしてるのは知ってたけど、これなら小さいし、調べたらチョコレートには集中力とか高める効果があるっていうからこれならいいかなって」
「わざわざ、私のために…?」
「うん!」
といって天使のような笑顔を浮かべる柊の妹。
柊が妹を可愛がる理由が少しわかった気がした。
「これ食べてみてもいい?」
「うん、もちろん」
袋から一つチョコを取り出し口に入れる。
甘い…けど決して甘すぎず絶妙に加減された味が口の中に広がっていく。
「うま…すげーな!柊妹」
今まであやのより料理のうまいやつなんていないと思ってたけど認識を改めなくちゃいけないようだ。
「えへへ、ありがとー」
そういってさっきより輝いた笑顔を見せる柊妹。
いつの間にか憂鬱な気分は晴れ、私も自然に笑顔になっていた。

しばらく談笑しているとふいに柊の妹が言った。
「でもよかった。日下部さん元気そうで」
「え?」
「お姉ちゃん、よく心配してたもん。最近元気なさそうだって」
柊にも心配かけてたのか…確かに最近柊やあやのと話していても心の底から笑ってなかった気がする。
その原因は…それに思い当たったとき思わず一つの疑問が口に出た。
「なぁ、なんで柊妹は調理師になりたいんだ?」
唐突な質問だったと思う。それはどちらかというと私自身に対する問いかけであった。

なんで私は陸上をやっているんだろう…

「うーん、自分が作ったものを誰かが食べてくれて「おいしい!」って言ってくれるのがうれしかったり…」
あー、確かに。私も記録更新したり、入賞したとき「おめでとう」って言われるとうれしい。
「でも…」
んっ?
「一番はやっぱり私自身がお料理好きだから…」
そうだ…
「好きなことをやりたいって思うのに理由はいらないかなって」

風が吹いて私の髪をかきあげた。

小さい頃走るのが好きだった。
見渡す限りの広い草原を息が切れても走り続けた。
走っているときの風と一体化したような疾走感が好きだった。

「みさちゃ~ん、待ってよ」
「遅いぞー、あやの」

よく夕日が沈むまであやのを連れまわして親に怒られた。
そうだ…私は走るのが好きだから陸上をやってるんだ。

「日下部さん、どうしたの?」
「いや…なんかもやもやが晴れたっていうか、出口が見えたっていうか…ありがとな、柊妹!」
「え?何が?」
頭に?マークを浮かべている柊の妹。
そうだ。それよりももっと前に言わなきゃいけないことがあった。
「あの~、クッキーのことごめんな。あんときは、私もイライラしてて」
「ううん、全然いいよ!」
「お詫びに何か一つ言うこと聞くよ」
「え…そんな、悪いよ」
「でも私の気が晴れないからさ」
そういうと柊の妹は難しい顔をしてしばらく考えてから笑顔になりこう言った。
「じゃあ、迷惑じゃなかったら…峰岸さんみたいに日下部さんのこと『みさちゃん』って呼んでもいい?」
そういえば中学の時から顔見知りなのにお互いずっと他人行儀な呼び方だったなー。
というか柊の妹ってずっと呼んでる私って失礼じゃね?
「全然いいぜ。私も柊やちびっこみたいに『つかさ』って呼んでいいか?」
「うん」
そうやって話しているうちに分かれ道にきた。
「じゃあ私こっちだからバイバイ、みさちゃん!」
「おぅ、じゃあなー、ひぃ…、つかさ!」

翌日

「あら?みさちゃん何かいいことあったの?」
朝、出会いがしらにあやのに言われる。
鋭い…あやのにかかるとすぐに私の精神状態は見透かされてしまう。
「なんですぐそんなのわかるんだよー」
「何年付き合ってると思ってるの?それにみさちゃんはわかりやすいわよ」
なんか単純な人間といわれているようで面白くない。

「おはよー、柊」
「おはよう、あれ?なんかいいことでもあったの?」
柊、お前もか…って私そんなにわかりやすいのかな。
「まあなんにしてもみさちゃんが元気になってくれたみたいでよかったわ」
「昨日はごめんね。今日の昼休みつかさのところ謝りに行こうか」
「あっ、そのことなんだけどな…」
その先の言葉は始業のチャイムでかき消されてしまった。

呪文のような数学の公式を聞かされ、眠気と格闘しながらなんとか2時間目が終わった。
「あんた、何寝そうになってるのよ」
「げー、柊。見てたのかよ。しょうがないじゃん。眠いんだから」
「集中力が足りないのよ、あんたの場合」
「あれ?あれ妹ちゃんじゃない?」
「ほんとだ」
あやのに言われて扉の方を見るとつかさがもじもじしながら立っている。
「つかさ~、入ってきなよ」
姉に言われてつかさが申し訳なさげに入ってくる。
「何?今日はどうしたのよ」
「あの、世界史の教科書忘れちゃって」
「え、また?でも私のはさっきこなたが借りてっちゃったよ。いつもは置き勉してるのに小テストに勉強とかで珍しく持って帰ったら今日忘れたんだって」
「え、どうしよう」
「つかさ、私のでよければ貸してやるぜ~」
私が『つかさ』と呼んだことに2人が「えっ?」という反応をする。
「ほんと?ありがと~、みさちゃん」
それに対して、あたかも以前からそう呼び合っていたかのように自然に受け答えるつかさ。
そんな私たちをみてあやのと柊はキョトンとしていた。
「ちょっとあんたたち、いつの間に…」

そんなあやのと柊を横目に私はつかさに目配せをして笑った。
つかさも私の笑みに対して笑顔で返してくれた。
昨日見せてくれたのと同じ、天使を思わせるような笑顔だった。



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