ID:FnNvyfY0氏:proceed with me, proceed with you.

彼女――――柊かがみは、3年前の夏の出来事を未だに忘れることが出来ない。
その頃の彼女はまだ中学3年生。ちょうど、日下部みさお、峰岸あやのの2人と出会って1年ほど経った暑い夏、彼女が受験勉強に励んでいた頃のことである。


proceed with me, proceed with you.



Ⅰ.

「しかし、つかさも連れてきてなんて、日下部も珍しいこと言うわね……」

彼女――柊かがみは、ストローをくわえたままそう独りごちた。ただし、それは非難や糾弾ではなく、友人の粋な計らいに対する感謝の念をもって。

「まあ、たまにはなー。あやのと2人とか、柊と3人っていうばっかりでもつまんねーじゃん?」
向かい側の席のブラウンの髪の少女が、その大きな瞳を輝かせ高らかに話す。
さらにその隣の、長い髪の少女は、現状に満足しているような笑顔を浮かべている。

「本当は峰岸の発案とかじゃないのね?」
「違うよ?みさちゃんから私に話してきたんだもの」
「むぅ……疑うことねーじゃん……」
「悪い悪い、日下部にしては珍しいと思ってさ」
「まあ、私は優しいからなー。こんなことでわざわざ感謝されてちゃもたねーぜ」
「はいはい、分かった分かった。日下部さん様々ですよ」

同じ言葉を繰り返して、かがみはわざと無関心な風を見せた。
あやのはあやので、そんなかがみの照れ隠しなどとうの昔にお見通しのようで、わざわざその言動に対して注意を促すことをしない。


3人……いや、かがみの双子の妹で、今は席を外しているつかさも含めた4人は、中学3年生の夏を迎えていた。
かがみはバドミントン部のキャプテン、つかさは家庭科部、みさおは――後に高校進学後も続けることになる――陸上部のエース、そしてあやのは美術部の部長。すでにそれぞれの部活を引退し、これからは学業に専念せんとしている時期である。
それなのに、彼女たちは、ともすればモラトリアム人間的とも取られかねないようなシチュエーション、喫茶店での会話に興じていたのであった。
皆が皆、久しぶりに外出向きの服に袖を通し、久々のオフを楽しもうという心意気がありありと見て取れる辺り、やはり嫌々などではなく、今置かれた状況を(これはかがみの主観的な見方でしかないのだが)皆で目いっぱい共有しようという意図があるのだろう。
みさおにはつかさを口実にして自分が遊びたいだけという可能性もあると考えられるのだが、それでも構わないとかがみには思えた。提案の主旨は遵守されているし、かがみとてオフを待ち望んでいたことに変わりはないのだ。

ならば提案とは?
事は夏休み手前、期末試験を終えた、猛暑の続く文月の中頃に遡る。



Ⅱ.

その日も、みさおとあやのは2人、残り少ない部活動を終えて帰途についていた。沙原小学校出身の柊姉妹と、東鷹宮小学校出身のこの2人とでは家の方向は真逆、故に、連れ立って帰るということはついぞない。
彼女の小学校からでも、東中学校に上がる者もいるほどで、地図上での学区分けがかなり中途半端なのである。



「だからさ、私としても、姉ばっかり連れ出すのは申し訳ないと思うわけよ」
みさおは力説する。
「でも、妹ちゃんには妹ちゃんの用事があるんじゃないかな?」
「そりゃそうだけどよ……けっこうアイツも独りでいる時があるだろ?1年ン時は私と同じクラスだったから分かるけどさ」
「そうね、友達がいないわけじゃないとは思うんだけど……」
それはもっともである。ただ数は決して多くはないのだが。
「それに、何だかんだ言って、しょっちゅう妹とも顔合わせてるじゃん?」
「まあ……ちょくちょくお邪魔してるのに、いつまでも他人みたいにしてるわけにもいかないしね」
「だろ?だからさ、4人でどっか出かけようぜ?」
「私は構わないけど……一応受験生だし、柊ちゃん達に時間があるとは限らないよ?」
「分かってるって!そんな遠出するわけでもねーしさ。せいぜい春日部辺りにとどめとくってば」
「分かった。じゃあ私から柊ちゃんに電話しておけばいい?」
「いや、今回は私が電話しとくよ。言い出しっぺは私なんだしさ」
「大丈夫?ちゃんと電話出来る?」
「おいおい、私だってあやのと同い年なんだからさ……さすがにそれはないんじゃね?」
「ほんの冗談だよ。気にしないで」

その夜、みさおは久しぶりに、かがみにダイヤルした。
受験生になってからというもの、学校では仲良くしていても、ひとたび帰宅してしまえば勉強に追われ、どうしても疎遠になりがちなのだ。
みさおもそれなりの常識はあった。疎遠になるのも仕方ないとは考えていたが、それでもこの状況を野放しにしておくのは面白くなかったのである。

「もしもし、鷹宮神社ですが」
「柊さんのお宅でしょうか?かがみさんの友人の日下部という者ですが」
「あ、日下部ちゃん?かがみなら今ちょうど部屋にいるから、ちょっと待っててね……かがみー、かがみー!日下部ちゃんから電話!」
「日下部?分かった、今降りる!」
こっちまで呼び声が聞こえてるよ、とみさおは苦笑した。この声は次女のまつりさんだろう。
「もしもし、今代わった」
「ああ柊?すまん、勉強してた?」
「ちょうど一段落ついたとこだったけどね。どうした?」
「いや、ちょっと提案があるんだけどさ…………」



Ⅲ.

「ごめん、待った?」
席を外していたつかさが戻ってくる。
「大丈夫、しゃべってただけだから」
「うおう、遅いぞ!」
「うるさい。本当に大した時間じゃないでしょ」
かがみは椅子から立ち上がり、つかさを通した。そして再び座り直す。

「でもさすがにここのケーキ、雑誌に取り上げられるだけのことはあるわね」
「うまかったよな……話題になってるから余計にそう感じたのかもしれねーけどさ」
「みさちゃん、それは言い出したらキリがないと思うよ」
「私にも作れるかな?」
「つかさには無理とは言わないけど……でも一朝一夕では作れないんじゃない?」
「私も作ってみたいな」
あやのが珍しく願望を含んだ言い方をする。彼女もまた、料理は好きだった。



「次、どうする?」
明るく、かつ落ち着いた雰囲気の喫茶店を出て、半ば宴会の幹事のような立ち回りのかがみが言う。
「じゃあさ、さっき見つけたクレープ屋なんかどーだ?」
「えっと……確か、クレムリンクレープ?」
「クレバークレープ、よ。どこのロシアよそれ……」
「あはは……ごめん」
「まあ、たまにはド忘れすることもあるから」
それがいささか多すぎやしないか、とかがみは思ったのだが、場の流れとしては口に出すことがはばかられた。
「じゃあ、次はそこにしようかしらね」
「私は賛成。みさちゃんがお勧めしてくれるなんて珍しいね」
「私も食べてみたいな。鷹宮にはないみたいだし、おいしそうだもん」

こうして4人の行脚は続く。

4人の両手には、小さなバッグといくつかの紙袋。華やかな色を放つもの、素朴な風合いを持つもの、素っ気ないビニールの袋。そのどれもが、彼女たちの若さを象徴するかのように、4人に華を添えていた。


Ⅳ.

「でも、今年の夏は、もうこの服を着る時間はないかもしれないわね」
かがみはまた呟いた。今日はやや独り言のような話し方をするな、とあやのは感じた。
「じゃあやっぱり、高校入ってからのお楽しみかな?」
つかさが聞き返す。今日は自然と会話順が決まってきたように、みさおには思えた。
「そうね……どうしてもこれからは忙しくなると思う」
「ある程度は仕方ないんじゃね?私も勉強ばっかりは嫌だけど」
「でも、日下部は陵桜の陸上部に入りたいんだろ?」
「ああ……あやのも陵桜だっけ?」
「私はまだちょっと悩んでる。公立でいい学校があれば、そっちになっちゃうかもしれないし。妹ちゃんは?」
あやのには珍しく、自分の話を無理矢理たらい回しにした。その裏には彼女の苦悩があるのだと感じ、かがみはつかさに視線を移した。
「私もこのままじゃ今の志望校キツいかも……」
つかさはつかさで、やはり焦燥感があるようだ。文化部とは言え毎日部活をして、その後に不慣れな勉強では体力も持つまい。

今日は猛暑とは言え、つかさとみさおはサンダル履きを嫌った。みさおは無用な怪我から足を護るため、つかさは純粋に歩きにくさから転倒してしまうことを避けるため、真逆な考え方が結果的にスニーカーという1つの結論に帰着したのである。
みさおはさらにスカートも嫌い、七分丈の細身のジーンズをよく使っていた。連日の暑さとの、彼女なりの妥協点である。
あやのは相変わらずフェミニンな服装を身に纏い、かがみは彼女にしてみれば珍しく、シンプルなノースリーブとスカートでまとめていた。この辺りは長い付き合いだとむしろ変化が起こっていないことに安心するようになる。
人間の本質的な性[さが]として、変革を渇望する心と安定を望む精神は同居を免れ得ないのだ。



Ⅴ.

「しかし、柊もよく食べるよなー」
「そう?普段と変わらないように思うけど」
クレープを頬張ったままかがみは答える。
「私もちょっと多いと思うな……」
「お姉ちゃん、今日のためにずっとダイエッt「つかさ、余計なことは言わんでいい」
ドスの利いた声色。
「ふーん、見えないところでの努力は凄まじいんだなー」
「日下部も食いつくな。まああんたのことだから分かりきってはいたけどね」
「でも、本当に大変なんじゃない?」
「もう慣れたわよ。これからは運動する機会も減るから特にね」
「走り込めばいいんじゃね?私みたいに」
「あんたの提案は分かるけど……疲れ切って勉強に集中出来ないのはやっぱり嫌なのよ」
「いっそのこと、お姉ちゃんだけ何も食べないとか」
「つかさ、あんたはこれ以上何か言うと墓穴が広がるだけだと思うわ」
「どんだけー」
まだその流行語が世に出る前の話である。一体どこで覚えて来たのやら。

「日下部はこれからどうするつもり?今までのペースで食べるだけ食べてたらさすがにヤバいでしょうに」
「まあなー。高校に入ったらまた陸上部やるんだし、一応現状維持の走り込みだけはするつもり」
「私も考えなくちゃ……元々文化部だから、さして運動量が変わるわけじゃないけどね」
「峰岸さんは大丈夫じゃないかな?」
その根拠は何処から。
「まあ、峰岸は食が細いからね……ヤケ喰いしなけりゃ大丈夫よ」
「ヤケ喰いなんかしないよ?あんまり太ったら怒られちゃうでしょ?」
誰に、とは言わない。みさお・かがみはもちろん、つかさでさえも周知の事実である。
「まあ兄貴だったら、『太ってもあやのはあやのだー』なんて言いそうだけどなー」
「悔しいけど同感ね……生涯破局とかハートブレイクと縁がなさそうだわ」
皆、あやのに悪気がない(であろう)ことは百も承知だった。



Ⅵ.

「どうする?今4時だし、帰るにはまだ間があるけど」
「じゃあさ、」
珍しくみさおが口を挟んだ。
「いっぺん、陵桜まで行かねーか?」
「陵桜まで?確か来週にオープンキャンパスがあったと思うけど……」
「説明会ね。でも確かに来週にあるわよね」
「そりゃそうなんだけどよ、やっぱり自分から行けば士気も上がるじゃん?」
「まあ、ここからならバスに乗るだけだから、私は別に構わないわよ。峰岸は?」
「私も行く。ひょっとしたら進学先になるかもしれないんだしね。妹ちゃんは?」
「私は……」

つかさも悩んでいるようだった。陵桜に上がれるかどうかも怪しいのだ。つかさは恐ろしさのあまりに足がすくむような錯覚を覚えた。
そして、何か腹をくくったように、落ち着いた表情になる。そして、小さいけれども確固とした声で

「行く。」

そう口にした。



その直後、かがみは見てしまった。
向かい合うつかさの真後ろで、みさおがほんの僅かな、してやったりの表情を浮かべているのを。
かがみは思わず、みさおに詰め寄ってしまいそうになった。しかし、その意図を即座に理解し、喉元まで出ていた言葉を何とか飲み込む。これは始めから仕組まれた計画なのだ、と悟ったかがみは、これから先の自分が、今後の自らと妹のために、役者――悲しいかな、時にそれは悪役[ヒール]かもしれないのだ――として在らねばならないという確信を得た。

かがみはあやのの方を見やる。みさおにも自分にも、またつかさにも何ひとつ異存を唱えようとしない辺り、一を聞いて十を知ったのか――そう、10年以上に及ぶ、この世話好き根性の賜物によって――、或いは最初から内通しているのか。いずれにせよ全てを理解していたのであろうことはかがみの目にも明らかであった。



Ⅶ.

4人は連れ立って路線バスに乗り、横向きの座席に全員が並んで座る。理由云々ではない、自然とそうなるのだ。
このバスもまた今後、何度となく利用することになるのだろうか。そうあって欲しいと、迷い無く願っているのは、この奇妙なカルテットのうちの半分。その〔半分〕が、もう[半分]を引き込むことになるのかは、今後の彼女たち次第である。

バス内での会話、それに重苦しい間が空いてしまうことは、4人が4人、皆が恐れたことだった。しかしながら誰一人として、その空気を打破出来るだけの勇気を持ち合わせていない。時間に身を任せることで解決することももちろん可能なのだ。彼女たちはそれに甘んじていた。

結局その懐柔策――しかしそれは根本的解決にはなりえない――にすがりついた4人はバスを降りた。

私立陵桜学園高等部。モダンな――見方によっては未来的なデザインの校舎、強い色彩を持つ特徴的な制服。その2つが、(少なくとも即物的な)陵桜学園の象徴である。そして、県下トップクラスの進学校という誇り。それらは皆、中学生という身分の彼女たちにとってはあまりに大きかった。大きすぎた。しかしながら、その大きさに屈することは許せない。許されない。
だから、というべきなのか。みさおは口を開く。
「なあ、あやの。」
あやのは声を発さずにみさおに向き直る。
「やっぱりさ、みんなで陵桜行こうぜ」

あやのは答えない。無表情を装い、焦りをひた隠しにする。

「つかさ、私達も一緒に陵桜行こう」
今度はかがみが呟いた。

「でもお姉ちゃん、私……」
「このままじゃ、陵桜には進めないわよ」
かがみは冷たく言い放つ。
「でも、私についてきてくれるなら」


「え?」――つかさにはかがみの言葉の意図が掴めない。
「私が、あんたを陵桜に上がらせるとは言わない」
かがみは続ける。
「でも、まだ時間はある」
「お姉ちゃん……」
「私達、いつでも一緒だったでしょ?」
「……うん」
「私だって嫌なのよ。あんたと別々の高校に上がるなんてまっぴらごめんだわ」
「じゃあ……」
お姉ちゃんが志望校を変えれば、とは言わなかった。インモラル、ナンセンス、そんな単語が思い浮かぶほどの教養はつかさにはなかったが、しかし、そこまで無粋な人間でないことは言うまでもない。

「お姉ちゃん。」
「何よ。」
「私、陵桜に行きたい。お姉ちゃんと一緒にいたい。」
つかさははっきりとそう言った。

「うん、その言葉を待ってた。」
「じゃあ、お姉ちゃん……」
「私のシゴキは厳しいわよ?ついて来られる?」


「うん!私、陵桜に行く!」



-EPILOGUE-

その後、かがみは自らの勉強の傍ら、つかさのために独自の計画を組み、つかさを徹底的に鍛え上げることを決心した。
つかさはつかさでまた、それに対して弱音こそ吐いたが、『やめる』とはとうとう口にしなかった。

かがみは陵桜学園高等部に特待生として招かれた。つかさは特待生こそ逃したものの、周囲からは絶望的と見られていた陵桜学園に合格を果たした。結果はどうあれ努力だけは惜しまないのがつかさなのである。

みさおはスポーツ推薦で陵桜学園を専願し、あやのも陵桜に合格。
結果、カルテットは皆、陵桜学園でその居場所を手にした。

あの日のみさおからの発案には、あやのに告げたもの以外の意図も存在していたことがかがみやつかさ達に知れ渡ったのは3年後、高校卒業間近のことである。
偶然に発見された当時の行き先の予定メモに陵桜学園がリストアップされていたことから、かがみにも知れることになったのだ。

志望校を実際に見て来ることで、これからの士気を高めようという、みさおなりの考えである。

あやのだけでなく、つかさまでも陵桜に引き込んだ、真の立役者は他の誰でもない、“日下部みさお”その人だったのであった。
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