ID:MmkZHrQ0氏;柊かがみ法律事務所

1.お正月の小さな事件

 1月2日。
 東京、秋葉原。
 そのど真ん中に居を構える柊かがみ法律事務所。
 その主である柊かがみは、自室でパソコンに向かってなにやら打ち込んでいた。

 今日は、事務所は閉めている。裁判所はお役所であるから年末年始は閉庁しているし、当番弁護士の当番日でもなかったから、よほどのことでない限り仕事が入ることはない。雇っている若手弁護士(自分自身も若手弁護士であるが)や事務員たちにも全員休暇を与えていた。
 かがみがそこにいる理由は、そこが事務所兼自宅であるからだ。
 正月は実家に帰省するのが普通なのだろうが、彼女の実家は神社で正月は多忙である。臨時巫女として手伝うのならともかく、ただ帰省するだけなら、邪魔なだけだ。
 遠いわけでもないし、いつでも帰れるのだから、ことさら帰省にこだわる必要もなかった。
 正月だからといってこの街から喧騒がなくなるわけもないが、すっかり慣れた。というか、それに慣れない限り、ここで弁護士などやってられない。

 彼女は、20代で独立開業したやり手弁護士として、そして、オタク文化に理解のある弁護士として業界では有名だった。
 それゆえ、秋葉原ではオタクの味方として一種のカリスマであった。
 秋葉原にあまたいるカメコたちでさえ事務所の入り口に掲げられている「写真撮影厳禁」の看板に素直に従うほどだし、事務所の建物も同人関連の企業から格安で借り受けている物件だった。
 当然、テレビ取材などの申し込みもあるのだが、全部断っている。彼女は別に有名になりたくて弁護士をやっているわけではない。
 困っている人には偏見なく救いの手を。そのポリシーに基づいて仕事をこなしてきただけだ。

 パソコンに打ち込んでいるのは、とある裁判での被告弁護人側の主張の草稿だった。
 かがみは、著作権侵害で訴えられた同人関連企業の弁護を引き受けていた。その公判が近いのだ。
 過去に何度かその類の弁護を引き受けたことがあったが、裁判では連戦連敗。やはり、著作権法の壁は厚い。
 それでも、その主張は鋭く洗練されたもので、知的財産法学会や、知的財産問題を専門に扱う弁護士たち、そして、知財高裁の裁判官にも、彼女は一目おかれていた。
 それに加えてオタクの味方という評判もあり、その手の弁護を頼まれることは多かった。この分野で一定程度以上の腕前をもつ弁護士の中では、弁護報酬が格安だということもあるのだろうが。

 ピンポーン。

 インターホンが鳴った。
 事務所側ではなく、自宅側の玄関だ。
 相手を確認するまでもなくドアをあける。正月にここをたずねてくるような人物など限られているから。
「あけおめ~、かがみん」
 予想どおり、長年の友人である泉こなたの姿がそこにあった。
「おめでと。相変わらずね、あんたは」
 こなたは、大きな袋をたくさん抱えている。いわゆる福袋だ。
 こなた御用達の数々の店で買い込んできたものなのだろう。
「今年も戦利品でほくほくなのだよ。疲れたから、ちょっと休ませて~」
「はいはい」
 こなたは、部屋に上がりこむと、荷物をその辺において、ソファーに腰をかけた。
 かがみがお茶を出す。
「ありがとさん。調子はどうだね、かがみん?」
「まあ、悪くないわ。そういうこなたはどうなのよ?」
「実は、原稿の締め切りが近いんだけどね」
 こなたは、人気のラノベ作家だった。
「こんなとこでだべってないで、さっさと帰らんか」
「ツッコミの切れ味は鈍ってないね、かがみん」
「あんたのボケ具合もね」
 ボケに切れ味なる概念が当てはまるのかどうかは、微妙なところだが。

 トゥルルルル……。

 電話が鳴った。
「はい。柊です」
『ああ、よかった。今日もいたのね』
「先輩。どうかしました?」
 電話の相手は、かがみが過去に世話になった先輩弁護士だった。
『ちょっとお願いしたいことがあるのよ』
 内容を聞く。
 痴漢容疑で近くの警察署にいる男への面会要請だった。
「今日の当番弁護士は、先輩だったはずですけど」
『そうなんだけどさ。まだ逮捕されてるわけじゃなくて任意同行だから、厳密にいえば当番弁護士の対象外なのよね。まあ、何もなかったら手弁当で行ってもいいんだけど、今ちょっと仕事がつまっちゃってて』
「そういえば、先輩は大きな事件を抱えてましたね」
『そうなのよ。それに、任意同行ってところが気にならない?』
 先輩の意味ありげな口調に、かがみの脳は素早く推論を働かせた。
「冤罪の疑いあり、ですか?」
『さすが、かがみちゃんね。そもそも、任意同行なのに当番弁護士に連絡があること自体、普通じゃないでしょ?』
 逮捕された当人またはその親族等が弁護士を呼んでくれといわない限り、警察には当番弁護士に連絡する義理はない。それなのに、任意同行の段階で早々に連絡してきたということは、暗に何かを示唆していると勘ぐるのも的外れではないだろう。
 逮捕してしまったあとで冤罪だと判明すれば警察にとって汚点になる。
 かといって、冤罪であるという確証を固めるにも手間がかかる。痴漢被害を主張する女性に対して、確証もないのに、あんた嘘ついてるでしょとはなかなかいいづらい。警察は公権力であるゆえに「国民」に対してはいろいろと気を使わねばならないのだ。
 ならば、絡め手のアプローチで女性側を揺さぶるのも一つの手段ではある。もちろん、警察は警察で冤罪であるという確証を固めるために動いてはいるだろうが、手段は多いに越したことない。
「そうですね」
『痴漢の疑いがかかってるのはいわゆるオタク。そして、冤罪疑惑あり。こういうのは、かがみちゃんの得意分野よね?』
 過去にその手の冤罪事件にかかわったことは何度かあった。
 ひ弱なオタクを狙った痴漢容疑での虚偽告訴。面白半分でそんな馬鹿なことをする女子高生・女子大生は少数ながら存在した。
 未成年者に対しては説教ぐらいですませたが、20歳を越えた女子大生を相手に慰謝料をふんだくってやったこともある(微々たる金額ではあったが)。そのときは、被害者のオタク男子に土下座で感謝されて、苦笑したものだ。
「分かりました。引き受けます」
 警察の思惑に乗せられているようでシャクだが、だからといって、冤罪被害を放置するわけにもいかない。
 警察には貸しということにしておけばいい。商売柄、警察との関わりは今後もあるはずだから。

 受話器を置く。
「ごめん、こなた。急な仕事が入っちゃったわ」
「オタクの味方かがみんの出番かね?」
「その言い方はやめい。私は仕事をしてるだけなんだから」
「仕事人を気取るかがみん、萌え~」
「あのなぁ」
「ツンデレ弁護士かがみん。いいねぇ。書いてみようかな。ディープなマニアには売れそうだし」
「やめてくれ」
 かがみも、こなたが本気でないことは分かっている。
 こなたの作風は、ティーネイジャーから30代までの幅広い一般層を主要なターゲットとしつつ、男女を問わぬあらゆる分野のオタク層にウケる要素をちりばめていくというもので、それこそがベストセラーを連発する秘訣でもあった。
「冗談だよ、かがみん。まあ、仕事なら仕方ないね。邪魔者は退散するとしよう」
 こなたは、おもむろに荷物を手にとった。
 かがみは、こなたが出たあとに続いて、玄関に鍵をかけた。
「体を壊さない程度に頑張ってくれたまえ」
「あんがと」
 かがみは軽く答え、そして、さっそうと歩き去っていった。
 その後姿は、女のこなたから見ても、惚れ惚れするほどかっこよかった。

「うーん、やっぱり、書いてみようかな。『みこみこ弁護士かがみん』でもいいかも……」
 そんなつぶやきが、街の喧騒の中にかき消されていった。



2.黒歴史を思い出した日

 秋葉原に居を構える柊かがみ法律事務所。
 大きな仕事もない通常業務体制。そんなある日のこと。
 事務所にやってきたのは、この街には似つかわしくない中年の女性だった。

 話を聞く。
 彼女は、この秋葉原の近くで起きた交通事故で、息子を亡くしていた。
 ただ、死因にどうしても納得がいかない。
 事故現場に居合わせた友人たちの証言では、意識はしっかりあったし、あれぐらいのケガで死ぬとは思えない、とのことだった。
 しかし、病院は、死因については簡単に書かれた紙切れを渡してきただけで、詳しい説明は一切してくれなかった。
 ここまで聞けば、かがみにも依頼人がいいたいことは分かった。
 搬送先病院での措置に過失があった可能性、つまり、医療過誤の疑いだ。

「ご依頼の趣旨は分かりました。でも、どうして当事務所に? あなたも息子さんも住居はここからは遠いようですが」
「柊先生のことは、息子がよく話していましたので」
 秋葉原に集うオタクの間では、かがみは有名人だ。
 こういうことも珍しくはない。
「そうですか。それはともかく、確認しますけれども、息子さんの死の真相をどうしても解明したい。そういうことでよろしいですね?」
「はい。私は本当のことが知りたいだけなんです」
「分かりました。私は医療過誤事件は不得手なので、知り合いの弁護士を紹介します。ちょっとお待ちください」

 かがみは、電話をとると、とある番号をプッシュした。
「こちら、柊かがみ法律事務所と申します。○○さんはいらっしゃいますか?」

 ○○さん──その単語に、事務所に雇われている若手弁護士や事務員たちが、一斉に顔をあげた。
 その名は、かがみと交際して三日で破局したという最短記録をもつ男のものであった。
 エリート意識丸出しで、オタクなんて最下層民のごとく見下すような鼻持ちならない弁護士。弁護活動でも、金になる事件しか扱わない。テレビドラマに出てくる悪役弁護士が似合いそうなやつだ。
 かがみにとって、そんな男と三日間だけとはいえ交際していた事実は、忘却の彼方に追いやりたい黒歴史であるはずだった。
 それでも躊躇なく電話をかけたのは、その男の弁護の腕だけは確かだったから。

 男が電話に出た。
『君から電話とは珍しいね。復縁したいという申し出だと嬉しいんだけど』
「そんなわけないでしょ。あんたの好きなビジネスの話よ」
『ほう。どんな内容かな?』
 かがみが簡潔に説明すると、男はすぐに反応した。
「あの病院か。あそこは、過去にも医療過誤で問題になったことがある。医師の過密労働なんてどこでも聞く話だが、あそこは特に酷い。まあ、そんな病院を救急搬送先に指定せざるをえないほど、医療崩壊が進んでいるということでもあるがね」
『引き受けてくれるかしら?』
「報酬次第だね」
『ぶんどった賠償金の中から、好きなだけ持ってけばいいわ。依頼人の目的は、あくまでも真相解明。忘れないでよね』
「分かってるよ。そこをしっかりやらないと、賠償金もとれないからね。その辺は手抜きはしないさ」
『よろしく頼むわよ』
「ほかならぬ柊さんの頼みだ。引き受けよう。ところで、今度、一日ぐらいデートなんてどうかな?」
『お断りよ。私だって暇じゃないんだから』
 そのセリフを最後に、電話を切る。

 連絡先と地図、そして簡単な紹介状を書いて、依頼人に手渡す。
「柊からの紹介だといえばすぐに分かるはずです。鼻持ちならない男ですけど、腕前だけは確かですから」
「ありがとうございます。何かお礼を……」
「そんな、いいですよ。他の弁護士を紹介しただけですから、相談料をとるほどのことでもないですし」
「いえいえ、是非ともお礼をさせてください」
 押し問答のすえ、結局、規定の相談料を受け取ることになった。

「ありがとうございました」
 依頼人は何度も何度も頭を下げた。
「頑張ってくださいね」
 かがみは、そういって依頼人を送り出した。

「さぁて、仕事仕事」
 かがみは、わざとらしくそういって、机についた。

 誰もさきほどの電話の相手である男のことは口には出さない。
 仕事のこと以外誰も一言も発しない微妙な雰囲気がただよう。
 その雰囲気は、その日一日、事務所を支配していた。



3.孤独な戦い

(心神喪失及び心神耗弱)
第39条 心神喪失者の行為は、罰しない。
2 心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。

 その条文の意味を、柊かがみは充分に理解しているつもりではあった。
 刑法の考え方の一つとして自由意思で行なった行為に対しては自ら責任を負うべきだというものがあり、また、刑法の目的の一つには犯罪者の更生がある。
 心神喪失者には自分で自分を制御する能力はなく、自由意思による行為などありえない。そして、そもそも更生できる能力すらないのだ。
 そういう人間に対して必要なのは、きちんと「治療」することだ。効果のない無意味な刑罰を科すことではない。
 「治療」が不可能なのなら社会に損害を与えないように永久に隔離するしかないが、それは現行の法体系が認めるところではなかった(そういう法制度を整えようという主張は存在するが)。
 どちらにしても、「目には目を」の応報主義は、日本刑法の採るところではない。
 分かってはいるつもりだった。
 でも、その重みを噛み締める日がこようとは……。

 秋葉原で起きた連続殺傷事件。死傷者は34名。過去最悪だった。
 警察が拳銃を使わなかったことを非難するマスコミもあったが、馬鹿な主張だった。あんな人ごみで拳銃なんか使ったら、流れ弾で余計な被害を出すだけだ。拳銃は百発百中ではないのだから。
 それはともかく、親から要請されて容疑者に面会にいった当番弁護士は、まともにコミュニケーションがとれずに退散することとなった。
 この手の案件を進んで引き受けたがる弁護士はそうそうおらず、結局のところ、秋葉原を縄張りとするかがみが引き受けざるをえなかった。

 まっとうにコミュニケーションがとれない容疑者。
 彼の人生のほとんどを埋め尽くす精神病院への通院歴。
 刑事裁判の争点はただひとつしかありえない。すなわち、刑法第39条の要件に該当するか否か。
 容疑者に面会したかがみは確信した。
 彼に必要なのは、刑罰ではなく治療だと。

 山と積まれた紙の山に目をやる。
 おまえは殺人者の味方をするのかとか、おまえも殺人者の仲間だとか、その他いわれのない誹謗中傷が書かれた手紙の山だった。
 刑事弁護の意義を理解しない者は、一般市民には多い。
 身に危険が及ばないとも限らないので、雇っている若手弁護士や事務員には一ヶ月の有給休暇を与えて帰らせた。
 そんな状況を見て、所轄の警察署の顔見知りの誰かが気を利かせたのだろう。事務所には警察官が警備につき、かがみが出歩くときは護衛にもついてくれた。
 刑事事件では対立する関係である警察が進んでこんなことをしてくれるのも、彼女の人柄によるところが大きい。

 司法は民主主義に屈してはならない。ましてや、世論に屈するなどもってのほかだ。司法の独立とはそういうことである。
 しかし、そんな気概をもつ裁判官や検察官はすっかり少なくなっているようにも思われる。
 そして、この事件では、素人が法の理念や意義を理解しないまま法的判断まで下してしまうという裁判員制度の問題点が噴出しそうだった。
 心神喪失該当性の判断は、事実判断ではなく法的判断であるから。

 それでも、後に退くわけにはいかない。
 孤独な戦いになるが、できることをできるだけやらねばならない。
 まずは、手元に武器をそろえることだ。

 かがみは、電話を手にとった。
 プッシュした番号は、とある総合病院のもの。
「こちら、柊かがみ法律事務所と申します。精神科の高良先生はいらっしゃいますでしょうか?」
 しばらくして、
『はい。お電話、変わりました。高良です』
「あっ、みゆき。久しぶりね」
『お久しぶりです、かがみさん。いろいろと大変そうですけど、大丈夫でしょうか?』
「まあ、なんとかやってるわよ。これも仕事だしね」
『ご用件は、そのお仕事に関係することですね?』
 さすがに、鋭い。
「その通りよ。単刀直入にいうと、精神鑑定をお願いしたいの。検察でも既にやってるし、裁判所も職権でやるかもしれないけど、弁護側としても証拠として提出したいのよ」
『分かりました。でも、私がすることは、客観的に鑑定することだけです。その結果に対する法的評価は、私の職分ではありません』
「分かってるわよ。そこまでみゆきに押し付ける気なんてないから。じゃあ、日程はこちらで調整してから連絡するわ。巻き込んじゃってごめんね」
 裁判所に提出する鑑定書を作れば、法廷に召喚されて尋問を受ける可能性もある。
『いえいえ、これも私の仕事ですから。かがみさんも、あまり無理はなさらないでくださいね』
「ありがと。恩に着るわ」
 電話を切る。
 やはり、持つべきものは友人だと、つくづく実感した。

 かがみの戦いは、まだ始まったばかりであった。

終わり
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