「追憶のかなたへ。」 ID:yRZiGlX8O氏

男はうなだれていた。
そして、苛立っていた。

雨が降っていなかったら、綺麗な夕焼けを見ながら歩いて旅館に向かうはずだったのに。

むしろ、美しい夕焼けを見ながらあれこれ思案するのが、この旅の目的の一つだったのはずなのに。

男はこの海岸沿いの長い道から見る夕陽がとても好きだった。

なのに。なのに。
いつもなら雨の日は引き込もるには最良の環境として好ましかったのに。

なのに。なのに。
久しぶりの旅なのに。何故に雨が降る。俺が何をした。何をしたと言うのだ。


前髪から鼻の頭に伝う。空を仰いで溜め息を吐くと口の中に雨粒がはいってくる。


こんな風が強い雨の日に女子高生でもいたら、透けるし、捲れるし、最高なのになぁ…。


タクシーでも拾って、さっさと旅館に行って、さっさと温泉にでも入ろう。


手を上げる。通り過ぎる。
すでに客が乗ってるみたいだ。

手を上げる。止まる。開く。

「すいません、トランクいいですか?荷物があるもので…。」

渋々、運転手が出てきてスーツケースをトランクに入れた。

「どちらまで?」
行き先を告げる。
動き出す車体。
溜め息ともたれかかる身体。
無口な運転手。
運転手は変にフレンドリーなのよりは無口な方がいい。


……。
雨のタクシーか…、これは良い題材になるぞ。
思考を巡らす。

「……さんからリクエストをいただたきましたぁ~。それでは、どうぞ!!」

カーラジオから陽気な声と共にイントロが流れてきた。当時、一夏を彩ったその年一番のヒットソングだ。

運転手もハンドルを握る手の中指でリズムをとっているのが見える。

当時から流行ものには滅法弱い、というかあまり興味が無い男もその曲は知っている。

不意に彼の思い出のスイッチが入り、思考は追憶の海へと連れていかれた――


「わぁ、綺麗。今まで見た海景色で一番だわ、こりゃ。……ちょっと、何のそのそ歩いてるのよ、もっとシャキッとしなさい!シャキッと!」
「なぁ…もうタクシーでも使わないかぁ?まだまだ旅館へは遠いんだし、見ろよ。この海岸通り。歩いていくには面倒くさすぎるよ。」
「全く、一日中画面に向かってなんだか訳の分からない事ばっかしてるんだからたまには美しい景色みて、感性養わないと良い作品なんて描けないわよ。ほらほら。」
「はぁ~…。はいはいっと。」


…。
―君と見ていた海は
もう戻れないの空の下
太陽は彼女の命を
眩しい位に輝かせて
嬉しそうに歩く君の後ろ姿―


「…さん、お客さん?お客さん!着きましたよ。」

……!!
「あ、あぁ、いや申し訳ない。ついぼうっとしていたもので。」



来なれた旅館のたたずまい。いつも変わらないそれが、老舗の良さだ。いつの時も変わり逝く時の中で同じ様に迎えてくれる。

「いらっしゃいませ、先生。お待ちしておりました。」
「あぁ、久しぶりですね。女将さん。またお世話になるよ。」
「それでは、『いつもの』お部屋の方に案内させていただきます。あ、お荷物お持ち致しますね。」



「それではごゆっくり」


豪華な部屋ではない。
しかし、2人部屋。
初めて来た時から、毎回この部屋。
いつもなら窓際の椅子に座ると、本来なら綺麗な海が広がっているはずだったが、あいにく閉切られた窓が雨を叩いている。


原稿用紙を束をテーブルに置き、男は一枚の裏に思い付いた言葉を書き出していった。

雨、タクシー、ラジオ。

それだけ書き残し、作家は浴衣に着替えて部屋を出ていった。


約三時間後。男は温泉と食事を終えて部屋に帰って来た。既に布団が敷かれていた。

男はごろん、と布団に寝転がるとテレビの横の小機械に小銭を入れ、鞄から読みかけのライトノベライズを取りだし、紙面と画面を器用にどっちつかずで見ていたがやがて、疲れていたのか夜も更けぬうちに就寝してしまった。

真夜中、雨音は一層強くなっていた。



朝早く、男は既に起床し朝風呂を終えていた。

昨日の雨足は何処へと、
今日は快晴に間違いない。

男は周辺の散策に出た。


歩きなれた街のもう何度となく歩いた道。

しかし、彼女と一緒に歩いたのはたったの2度だけ。

朝日が昇る前のまだ誰もいない町並。
それが頭に蘇らせるのは帰れない日々の真昼。

それは初めてこの道を歩いた時―


「それでね、そん時に私は言ってやっ……、ん?どうしたの?」
「え?あぁ、そういやアニメの録画忘れて来たなぁって思って。」
「はぁ、もう…。せっかく旅行に来たのに、そんな事ばっかり…。もういい加減にしてよ。」
「あ、あぁ…。」
「もう…。……あ、そういえば、旅館の女将さん、私達を見て『親子ですか~?』って。笑っちゃうよね。そうだ、あのまま黙ってたら子供料金でいけたかな?」
「ああ。まず100%子供料金でいけたな。ハハハハ。」
「あ、ひっどーい。ウフフフ」


―僕だけが夏を追い越して
君だけがいつも微笑んでた、あの頃
僕だけが夏に止どまって
君だけがいつも微笑んでる、今でも―


男は足を止めた。
ふと振り向いた。
また歩きだした。

辿り着いたのは海が見渡せる丘。
朝日が昇りかけていて、映える海はまるで天国に続く草原の様に見えた。

男にとってこの丘は大事な場所だ。
風にたなびく草木が
また彼を追憶の海へと誘った―

1度目のこの丘。
2人は幼馴染みのままだった。
ただの旅行。
付き合ってたのかどうかもわからない微妙な関係だった。

2度目のこの丘。
2人が幼馴染みじゃなくなった場所。


「すご~い。見てよ、船が小さく見えるよ。」
「うん」
「ここ絶景スポットだね。穴場だよ、穴場。」
「うん」
「聞いてる?」
「うん」
「1+9は?」
「うん」
「はぁ~…。どうしたの、今度は?アニメ?それとも変なゲームの事?」
「ちょちょちょ、馬鹿にするなよ。おまえにそれら良さが分からんのか。」
「分からないわよ。そんなんだからいつまでもそんなんなのよ……はぁ、全く呆れちゃうわ。」
「そんなんってなんだよ、そんなんって!!」
「そんなんはそんなんよ。」
「第一な、いつまでたってもおまえが俺と一緒になってくれないから俺はそういうものにハマったんだ!!」
「は…?何?私のせいって訳?」
「そ、そうだ。おまえのせいだ。」
「………。」
「………。」
「……じゃあ、私が付き合えば止めるの?」
「それは……付き合ってみなければ分からない!!」
「はぁ~~つくづく呆れちゃうわ…。」


それは男が人生でたった1度、女性に告白した瞬間だった。

いや、今思えばあれはないよなぁ……。

男は自分が過去の自分を思い出して無意識にニヤついているのに気付いた。

辺りを気にして誰もいないことに胸を撫で下ろすと、名残惜しそうにその場をあとにした。


―君が愛した丘は
遥かなるあの陽炎
君がここにいたら
きっと喜んでいただろう
海を越え見える朝焼けを―



男は旅館に戻ると時を忘れてペンを震わせた。
ただ一心不乱に。


……そういえば、初めてキスをしたのも彼女を抱いたのもこの部屋だった。

この部屋には思い出があまりにも溢れている…。


男は孤独だった。
たった独りという訳ではなかったが、仕事柄、趣味柄、性格柄、孤独な方が楽だった。だけど初めて孤独じゃない自分を知った。
男は孤独だった、その時までは。


―細い体を抱き寄せて
重なり合って君の中に溶けてゆく
何度も何度も繰り返し君を確かめた
降りやまない孤独の
雨の様な哀しみの中で
ただ一緒に濡れてくれたのは
想えば、振り返ればいつもいつも、君だった―


男はいつの間にか眠ってしまった。
寝顔の頬に伝うのは雨だ。
たった一粒の。


真夜中、男は目覚めた。
そして、男は書き続けた。
三日三晩、原稿用紙に向かった。

作家は書き続けた。
何かを降り払うように。
何かを取り戻すかのように。

そして、書きあげた。完成させた…
あるところに1人のしがない作家がいた、幼馴染みに恋をして、結婚して、子供が出来て、幸せの絶頂で妻が病気で倒れ…

しかし、もうダメだという時に助かるのだ。

そんなありふれた創られたストーリー。
ハッピーエンド、だけど何故か男は悲しかった。

眠気に襲われながらも男は何となく娘の携帯に電話をかけた。繋がるはずはない、常に携帯は不携帯なのだから……が珍しく繋がった。

今日は友達の家に泊まりに行くと言う。
じゃあ、そそうのないようにな、とだけ告げて電話を切った。

男は天井を見上げ思案を巡らした。そして程なく男は三日ぶりの眠りについた………。


男は夢を見た―

酷く懐かしい温もりの様な夢
まるで追憶の深海にいる様な
時間軸も関係なく想い出ばかりが映る。


幼い君。
―何故か、かくれんぼはいつもすぐに君に見つけられていたな。俺も鬼になると君だけは最初に見つけようとしていた。

哀しみの顔色をした君。
―もう何処か遠くへ行ってしまいたい、なんて泣いていたよな。俺はやせた手を握る事しか出来なかった。

春の嵐に吹かれる君。
―あの頃は些細な、心の青さ故の悩みにもがいていたよな、何気ない優しさで傍にいてくれた。

残りを告げられた君。
―秋の朝もや煙る中、車椅子に君を乗せ病院の裏庭を歩いた。疲れた顔で俯いていた。無理に微笑んで、「大丈夫だよ」って、ただただ震える肩が悲しかった。

巡り巡り巡り巡る。
落ちては昇り、進んでは戻る。

どうか行かないで、行かないで、行かないで…。


その先に彼が見た情景は。

夕暮れを背にこちらに手を振っている。
胸が熱くなる。
もう1人の愛しき人の姿。


…彼は娘の名を呟いた。
そこで目覚めた。
……それからさらに三日後、男は旅館を後にした。

「またのお越しをお待ちしております。」
「あぁ、また次回作を書く時にまた来るよ。」


娘へのおみやげは、下手に何か買って帰るよりは秋葉原で一つギャルゲーでも買って帰った方が無難に思えたので、そうする事にした。

家に着くと、彼は書斎の机の上に書きあげた原稿用紙の束をおいた。


―ある所に1人のしがない作家がいて、幼馴染みに恋をして、結婚して、子供が生まれ、しかし妻は病気にかかってしまう、そして妻は死んでしまう……。


しかし、残された作家と子供は力強く生きていく。

そんなよくありふれた典型的なストーリー。
しかし、のちにこの作家の代表作として世間に知れ渡る作品。

―時よ、彼女の命を
奪わないで、あと少しだけ―

そんな言葉で終えられていたものが

―愛しき人よ、君の細い体を抱き締める―

で終わるように書きかえられている。


男はその作品を自分で読み返し終えると、
男は空欄のままのタイトルにこう記した


『追憶の彼方へ。』


少し考え、消しゴムで消して、書きかえた





『追憶のかなたへ。』


あぁ、さすがは作家だ。
本当に
本当に

上手いタイトルだ。

―終―
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