ID:vtqLC2YnO氏:タイトル不明

夏は嫌いだ。
正確には夏の暑さが嫌いだ。
雨は嫌いだ。
さらに風が強いとなりゃ、殊更に。

まだ俺がここに居着いた頃から、あの2人は爺さんと婆さんだ。
だけど、よく考えてみれば俺の方が年寄りなんだが。


あの頃、散歩はいつも婆さんが連れて行ってくれていた。



お婆さん「あら、奥さんこんにちは。」
向かえの奥さん「あら、こんにちは。」

この人は散歩の時よく会う、向かえの家の奥さんだ。
人間の大人の割には幼く見える。

向かえの奥さん「こんにちは、コロネっ!」


野良だった俺には名前というものはなかったのだが、この奥さんがくれた名前がそれだった。

婆さん「奥さん、お身体は大丈夫なの?」
向かえの奥さん「ええ、最近は調子がいいんですよ。」
婆さん「そうですか、それは良かったわ。困った事が会ったらなんでも言ってね。」
向かえの奥さん「ありがとうございます。じゃ、それでは。」


いつもの河原、いつもの公園、いつもの散歩。


いつもの毎日は当たり前に過ぎて行った。


雨は嫌いだ。
特に雷はどれだけ歳を重ねても怖い。
そんな時は爺さんが家の中へ俺をあげてくれたんだ。

婆さん「お爺さん、泉さんとこの奥さん妊娠したんですって」
爺さん「へぇ、それはめでたいな。」
婆さん「でも、奥さんがあーでしょう?危ないんじゃないかって。」
爺さん「へぇ…。」


雨は嫌いだったけど、家の中で聞く雨の音は悪くはない。


冬は好きだ。
俺が生まれた所は雪が凄く積もるとこだった。
街灯の下、斜めに踊る雪影をよく思い出す。
それに比べりゃここらはあまり雪が積もらない。

冬の足音が聞こえ始めた頃、いつもの様に散歩に行こうとしていた、その時。

婆さん「あら、こんにちは。病院へ行かれるの?」
向かえの旦那さん「ええ、今日から出産の為に入院するんですよ」
婆さん「そうですか!じゃあ次に帰って来る時はもうママですね!!」
向かえの奥さん「え…ええ。そうですよ!!もう玉の様な子を連れて帰ってきますからね」
婆さん「それでは。頑張ってね!」
向かえの奥さん「それでは行って来ます!!それじゃ、コロネ、しばらくね~」

車に乗って向かえの夫婦は行ってしまった。

その排気ガスの嫌な匂いと奥さんの笑顔がどこか物憂げだったことをよく覚えている。

その日から散歩コースに神社が加えられ、毎日婆さんは何かを願っていた。



それからしばらく向かえの奥さんとは会う事がなかった。

やがて春が来て、町に緑色が増え、雨の季節がもうすぐそこまで来ているのが分かって俺は憂鬱だった。

婆さん「お爺さん!!お爺さん!!生まれたんですって!!泉さんとこの奥さん!!!奥さんも赤ちゃんも大丈夫ですって。」
爺さん「おぉ、本当か!!そいつは良かった。良かった…。おいコロネ!やったって!向かえの奥さん、赤ちゃん産んだってよ!」

何を喜んでいるのかはわからないが、とりあえずいい事があったらしいしシッポでも振っておけばいいだろう。




それから2週間後、俺は久しぶりに向かえの奥さんに会った。



その日は、爺さんも婆さんも何故か朝から上機嫌だった。

婆さん「お爺さん、来ましたよ!」
爺さん「おぅおぅ、来たか来たか。」

排気ガスを吐いて車が来た。

向かえの旦那さん「こんにちは~。」
婆さん「いやいや、もうずっと待ってたんだよ~。」

その場にいる誰もが笑っていた。
一人の小さな赤ん坊を中心に笑顔が溢れていた。

向かえの奥さん「ほら、コロネ~!赤ちゃんだよ~。」

確かに子供は可愛い。犬であろうが人間であろうが子供は可愛い。

だけど印象に残ったのは、向かえの奥さんの笑顔だ。この前とは違う、まるでこの雨の季節を吹き飛ばしてくれるくらいに眩しい。生きる命を輝かせる様な笑顔だったな。


それから一つの季節が過ぎ、緑色が陰りを見せて俺の好きな季節が近付いている頃。


そんな時、向かえの一家が散歩に連れて行ってくれた事があった。

近所の公園に。

旦那さんは赤ん坊を抱えて遊具で遊んでいる中、奥さんはずっとベンチに座り、俺は隣りにいた。
向かえの奥さん「ねぇ、コロネ…。死んだら、人はどうなっちゃうのかな…?」

このただの犬である俺がそんな事知る訳がないだろう。

向かえの奥さん「あの子がね、この先小学校にあがって、成長して、夢とか恋なんかに悩む姿を見守られたら…ね。」

なら見守ればいいだろうに。

向かえの奥さん「あの子、私に似ちゃったからきっと将来背の事で悩むんだろうなぁ…。あの子がウェディングドレスを着てる姿をね、最近夢にみるの…。」

奥さんは笑いながら話しているのになんだか悲しそうだった。


向かえの奥さんは俺が理解してるのかも分からないはずなのに、その子の事を話し続けた。旦那には似ないでほしいとか…。

そして、物凄い笑顔を見せてこう言った。

向かえの奥さん「あのね、コロネ。もうね、あんまり私に時間がないんだって。多分、私よりあなたの方があの子を見てられるから…その、成長見守ってあげてね。よろしくね。頼んだぞ~」

そして、頭を撫でてくれた。

向かえの奥さん「あっ!ちょっと、そう君!!ジャングルジムは危ないよ!!ちょっと!!」


奥さんは駆けていった。



いつもの河原、いつもの公園、いつもの散歩。
いつもの毎日は過ぎて行った。

そして、


その日は、爺さんも婆さんも何故か朝から、口数が少なかった。

婆さん「お爺さん、そろそろですよ……。」
爺さん「そうか…。まだ若いのに、子供さんも小さいのにお気の毒にな………。」


排気ガスの吐いて車が動き出した。

鳴らされたクラクションは耳のいい俺には誰よりも突き刺さった。

その場にいた誰もが泣いていた。
一人の命の終焉を前に涙が溢れていた。

婆さん「…コロネ。お別れなんだよ。」

別れは悲しい、犬であろうが人間であろうが別れは悲しい。

だけど、印象に残ったのは、何も知らぬ顔で俺をみて手を振る少女の笑顔だ。まるで、この悲しみの渦を吹き飛ばしてくれるくらいに眩しい笑顔だったな。



それから向かえの奥さんと会う事は二度と無かった。

「いつも」から何か欠けた毎日も、季節が廻り、それがいつもの毎日になっていった。

欠けたものもあるが増えたものもある。


もうほとんど歩けなくなった婆さんに変わり、最近は向かえの旦那て少女が散歩に連れて行ってくれてた。

いつもの河原、いつもの公園、いつもの散歩
いつもの毎日

人の成長は早い。
少女はもう俺よりも背が高くなっている。
奥さんとの約束通り、この子の成長を俺はみてきた。

奥さんがいなくなってからの旦那さんは、苦労しながらなんとかやってるみたいだ。


俺は…夏は嫌いだ。
雨が嫌いだ。雷は特に。冬が好きだ。あと、散歩も好きだ。
俺よく生きたと思う。犬にしては、とても長生きだ。

向かえの少女「…コロネ死んじゃうの?」
婆さん「そうだね。もう十分生きたからね。」
爺さん「病気でもなく、寿命だからな。よく頑張ったな、コロネ。」


少女が頭を撫でてくれた。
まるで奥さんがあの時してくれた様に。

あぁそっくりだ。
そして、優しい子だな……………………。


少女「死んじゃったの……?」
向かえの旦那「……そうだね。でも、お母さんと一緒にいるんじゃないかな……?」
少女「本当?」
向かえの旦那さん「ああ!本当だよ。……ほら、お墓を作ってあげなきゃ…、ね。こなた。」
少女「………うん。」

―終―
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