ID:Kor > WA0氏:Another one

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四人が心霊スポットと呼ばれる廃屋の前に立ったのは、夏休み二週間前の日曜日の昼下がりである。夜でないのはつかさの強い要望による。 心霊スポットと呼ばれるだけあって街中ではないが、周辺には普通に民家もあり、コンビニもあり、一見すると恐怖をかき立てる要素は特に感じられない。つかさも多少は安心したらしい。 これは、こなたがネットサーフィンで見つけた場所である。木曜の昼休みに三人を誘った。 そんな暇があったら勉強しろと父親より厳しいかがみと、ホラーが苦手のつかさの反対で多少押され気味になったが、昼間なら怖くないということでまずつかさを崩した。 続いて、みゆきを引き入れた。話を始めてから少なからず興味はあったようなので、言葉巧みに勧誘して味方にすることに成功した。 多数決で引き下がるかがみではないが、みゆきも賛成派にまわったとなると、流石のかがみも強く反対はしなくなる。 ドジっ娘属性があるとはいえ精神的に最も大人で、信頼できるみゆきまでこなたに篭絡されたとなると、何となく反対しづらいのである。 それに、かがみも人並みに好奇心はある。 こなたは、周囲を味方につけ、かつかがみの好奇心を巧みに煽り立て、結局三人を引きこんだのである。 但し、その分土曜日は柊家で宿題を済ませ、同時にみっちりと勉強させられてはいる。 こなたもつかさも最後にはすっかりダウンしてしまい、傍らの菓子に手をつける気力も失っていた。 「思ったより平気かもー。もっと凄いのかと思ってたよ」 「そうですね。周りに普通に民家もありますし、心霊スポットという感じもあまりしないですね」 「よーし、オルテガ! マッシュ! ジェットストリームアタックを仕掛けるぞ!」 「何よそれ」 「あ、駄目だ、私ら四人だから一人足りないや」 「何の話だか知らないけど、さっさと行くわよ」 「ノリ悪いなぁ。まぁいっか、突入!」  それでも中に入ると薄暗く、壁は汚れ、廃屋独特の不気味さは持ち合わせており、つかさはかがみの袖を握って離さない。 「や、やっぱり、ちょっと怖いかも……」 「うーん……昼間だというのにこの雰囲気……さすが廃墟って感じはあるねぇ」  無人になったのがいつからかは分からないが、人の住んでいたような気配は全く無く殺風景な部屋ばかりである。 「きゃあ!?」 「のぉわ!?」  いきなりみゆきに抱きつかれてこなたも妙な声を上げた。 「おおぅ、何と豊満な……」 「い、今、そこで何か物音が……」 「物音?」  かがみは怖がりもせずにみゆきが示した部屋を覗いた。四人が今まで入っていてたった今出てきた部屋である。 「つかさ、何してんの?」 「メールが来たの。迷惑メール」 「メールねぇ。みゆき、物音ってどんな感じ?」 「えーと……こう、ブーンといった感じの……」 「こんな感じ?」  かがみが自分の携帯のバイブレータを鳴らした。 「あ、そ、そうです。そんな感じの……というかそのまんまです」 「つかさの携帯の、マナーモードのバイブレータの音じゃないの?」 「そ、そうみたいですね……」 「う~ん、やっぱり大きいことは良いことだ……巨乳ドジっ子……いいねぇ……鼻血出そう……」  廃屋の不気味な空気を堪能して出てきた後、またみゆきが慌てだした。 「あ、あれ……」 「んー? どうしたのみゆきさん」 「携帯電話が……。落としてしまったようです」 「さっきこなたに抱きついた時じゃないの?」 「そうかも知れません……」 「じゃー私見てくるよ。みゆきさん怖いでしょ」 「え、でも……」 「私も行って来るわ。つかさはここでみゆきの携帯に電話しといて」 「うん」 「すみません……」  こなたに抱きついた場所には無かったため、二手に分かれてあちこち部屋を覗いて回る。 「意外に見つからないわね」 「私二階行ってみるよー」 「おぅ」  かがみは一階、こなたは二階を回るという形になった。しかしかがみの言う通り意外に見つからない。 「ふんふん……」  こなたは鼻歌など歌いながら部屋を見て回り、ある一室に入った。  そこでふと目に入ったのは、こなたの身長ほどある鏡である。さっきも見て、「吸血鬼って映らないんだよねー」等といってつかさを怖がらせたのを思い出した。  南側に窓があり、鏡は北側の壁の側に置かれていて太陽を映し、後は床に転がったキャスター付きの椅子も片隅に映っている。  殺風景な部屋が多い中、ぽつんと妙に不自然に残された印象がある。こなたは何となく気になって鏡を見つめた。 (……あれ?)  何秒か、何分か、いつの間にか見入っていたらしい。気がついたら鏡の前にしゃがんでぼーっとしていた。 (やれやれ、かがみに見られてたら怒られてたよ)  そう思い頭をかきながら部屋を出ようとして、足が止まった。  こればかりは、こなたはおろか、かがみでも唖然とするに違いない。  さっき入ってきたはずの出入り口が、無い。  出入り口があったはずのところには、しっかりと壁がある。廃屋とは言え、触れてみても、押してみても、びくともしない。  周囲の壁と比較しても、その汚れ具合などからして、どう見ても周囲の壁と全く変わらない。  それからゆっくり部屋の中を見渡すが、勿論出入り口など無い。  密室である。 「……え」  徐々にこなたはこの異常事態を呑み込み始めた。 「……どういうこと?」  呟きながら意味もなく部屋の中を歩き回り、何度も見回し、壁を押し、叩き、また見回す。  窓に手をかけるが、鍵がすっかり固くなってしまっていて開かない。  窓から外を見回すと、ごく平凡な民家が立ち並び、道路が見える。……が、異常に人がいない。車が全く通らない。  見下ろすと、玄関前で待っているはずの二人がいない。 「……えっ」  それまでほとんど呆然としていたこなただが、額に嫌な汗が流れ始めた。乱暴に窓ガラスをばんばん叩く。 「ねぇ、つかさ! みゆきさーん! どこ行ったのー!!」  その声に反応するものは無く、かなり強く叩いているはずのガラスはこなたの平手をしっかり跳ね返し続ける。  ふらふらと二歩、三歩窓辺から離れる。振り向いても依然密室のままである。 「かがみー!!」  必死で叫んだ。聞こえないはずが無いが全く反応が無い。  携帯を出してかがみに、またみゆきに電話中だから繋がるはずのないつかさ、そして携帯を落としているみゆきにまで電話をかける。  かがみは電話に出ず、後者二人も無論出るはずがない。しかしこなたは混乱してつかさ、みゆきにも何度も電話をかけ続けた。  更に父やゆたかがいるはずの自宅、柊家、パトリシア等、電話帳に入っているだけのところに電話をかけ、110番にまでかけた。それでも誰も出ない。アンテナが三本立っているのを十数回も確認した後、こなたは足が震え始めた。  遂には力任せに壁を蹴飛ばした。格闘技を習っていたとは言えこなたは小柄であり、その膂力は壁を破壊するには遠い。  やがてそれにも疲れ、肩で息をしつつまた部屋の中を見回す。  そして、ふと鏡に目が止まった。  違和感を覚えてから異変に気付くまで数秒掛かった。  鏡に映っているこなたは、肩も揺らさず、汗もかいていなかった。得意げな笑みさえ浮かべていた。  こなた自身は知らないが、鏡に映ったその顔は、普段こなたがかがみをからかう時の悪戯っぽい顔だった。  こなたはこの時はっきりと、顔から血の気が引く感覚というものを覚えた。  それに対し鏡に映っている自分は相変わらず余裕の笑みである。  こなたは足の痛みも疲れも忘れ、しかし鏡に映る自分と視線を外すことが出来ず、足の震えが止まらない。  更にはカチカチと歯を鳴らし始めた。血の気が引く感覚も初めてだが、恐怖で歯を鳴らすのも初めてである。  と、鏡の自分が口の端を上げ、半歩踏み出した。  それを見て、ざざっと後ずさりをした。既に恐怖で思考は止まっているが、近寄ってくる自分から離れたいと身体が反応したらしい。  更に一歩後ずさりしようとして、転がっていた椅子に躓いて尻餅をついた。鏡の自分は後ずさりしていないから当然転んでいない。  鏡の中からこなたを見下ろし、また半歩進んだ。  ゆっくりと右手(こなたにとっては左手にあたる)をこなたに向かって伸ばし始めた。  次の瞬間、鏡が派手に砕けた。  尻餅をついた拍子に手をかけていた椅子を鏡に投げつけたのである。夢中だった。投げつけたということさえ覚えておらず、手に椅子を掴んだ感覚が残っていることからやっと自分が椅子をぶん投げたということを悟った。  床に散らばった大小の破片を呆然と見つめていると、不意に待ち望んでいた声がした。 「こなたー! 見つけたわよー!」  はっとして声の方を向くと、出入り口がある。そこには先程まで何度も蹴飛ばしていたはずの壁は無い。 (助かった……?)  そのまま後ろに倒れこみたかったが、この部屋から一刻も早く出たいという思いから、だるい身体を何とか持ち上げた。 「こなたー! 聞いてるのー!?」 「あぁ~い、今行くよぅ……」  かがみにはいつも通りのだるい声に聞こえたが、こなたは心底疲労している。  部屋から出ようとしながら恐る恐る足元を見ると、疲労困憊の自分が映っている。  外に出てからふと携帯を見ると、みゆきの携帯を探し始めて五分経っていなかった。  そのままコンビニに寄る。こなたは清涼飲料水を一本買った。色々あって喉が渇いて仕方が無かったからである。 (疲れたよ……)  つかさが何やら欲しいものを探している間に一足先に出て、ジュースを一口飲んだ。  そして店内を覗くと、つかさがかがみに急かされて慌てている。 (確かに、いつもの光景だよねぇ……。戻ってこれて良かったぁ……) 「……ありゃ?」  視界が湯気に覆われている。湯気の向こうに半分曇った鏡。横には湯船。  紛れも無く自宅の風呂である。 「……はぁ?」  間抜けな言葉しか出てこないが無理も無い。今、自分はコンビニの前にいたはずではないか?  窓の外は既に暗い。 (……どういうこと?)  これは最早みゆきがボーっとするのとはレベルが違う。数時間もボーっとするなど病気もいいとこだ。 (いや、待て待て。思い出せー……)  心霊スポットと言われる廃屋で奇妙体験をし、ふらふらになってコンビニで一息ついて……。 (……それで?)  それで。終わりである。  そこまでですっぱり途切れている。かがみ達とはどこで別れた? その前にカラオケでも寄った? ゲマズでも行った? 夕食は何だった? それ以前に夕食なんて食べた?  見事なまでに記憶が抜け落ちている。思わず頭を抱えた。  触れた髪の毛は、察するに既に洗った後と思われる。身体も汗でべとべとした感覚は無く、やはり洗い終えているようだ。  誰が洗った? 自分以外にいない。流石に父とは一緒に入っていない。  混乱する頭で風呂から上がると、居間に父がいた。 「おー、今日は結構長風呂だったなぁ。それじゃ俺も入るかな」  時計は九時を指そうとしている。いつから風呂に入った? 「そんなに長かった?」 「んー。いつもに比べたら少し長かったな。まぁたまにはゆっくり浸かるのも良いもんだよなぁ。俺も今日はゆっくりするかなぁ」  そうじろうは先日文章を一本書き上げたため機嫌が良く、多少時間もある。嬉しそうに居間を出て行った。  台所を見ると、流石に洗い物は終わっている。今日の食事当番はゆたかの筈だ。  そこに丁度ゆたかが下りてきた。既に寝巻き姿なとこを見ると一番風呂はゆたかだったようだ。 「あ、お姉ちゃんお風呂上がったんだね」 「おー。牛乳飲む? 胸も大っきくなるかもよー」 「うぅ……本当に大きくなるかな?」 「いやー、でもゆーちゃんは小さい方が良いか。そっち方面担当だしね」 「担当?」  いつも通りの会話をしつつ、今日の夕食は何だったかを如何にしてさりげなく聞こうかと策を巡らす。と思っていたら幸運にも向こうから切り出した。 「そう言えば、今日ちょっと失敗しちゃったんだよね」 「何が?」 「ほら、ロールキャベツが……」 (ロールキャベツ……)  覚えていない。 「ま、まぁ、物事は経験だよ。その内上手くなるって」 「うん、頑張るね」  こなたの声が些か虚ろなことに、幸いゆたかは気付かなかった。  翌朝、あまりすっきりしない目覚めを迎えた。昨夜はろくにネットも繋がず早々に寝たのだが、やはり昨日の不可解な現象が尾を引いているに違いない。  だらしなく大欠伸しながら階段を下りて朝食をとり、登校の準備を始めた。 (あーやばい、ちょっと寝癖ついちゃってるかな)  ぼりぼりと無造作に頭をかきながら洗面所に立った。  今度は学校のトイレだった。手を洗う水道の前で、ぽけ~っとしている自分に気付いた。 (……あれ?)  蛇口から水が出て、こなたの指先を濡らし続けている。その冷たさに徐々にこなたは冷静になってきた。ここは間違いなく学校のトイレ。用を足した直後だろうか。  手を拭いて携帯を見ると、もうすぐ三時間目が始まる。そこにチャイムが鳴り響いた。 「や、やば……」  慌てて教室に戻る。前の時間はどうしていた? 一時間目は? 登校中にかがみとつかさとはどんな話をした?  覚えていない。  その日の五時間目の前から夕食直前まで。入浴中から入浴直後まで。時間の幅が長くなったり短くなったりしながら、記憶が飛んだ。  翌日も、翌々日も、気がつくと数分、一時間、時に数時間が記憶から消えている。  気を付けていたつもりだったが、しょっちゅう一緒にいる親友達はすぐに気付き始めたらしい。  水曜の放課後、下校しようと校門を出て少ししたところでつかさが携帯を忘れたことに気付き、慌てて学校に引き返した。  みゆきは委員会の仕事で今日は残らなければならないが、かがみは一足先に終えている。  手伝おうと言ったがみゆきは「大した量ではありませんし、平気です。それにこれは私の分担ですし」と断っていた。 「ねぇ、こなた」 「んー?」 「あんたさ、最近少し変じゃない?」  不意打ちである。 「変って?」 「お昼も口数減ってきてるし、時々ボーっとしてるし。何かあったの? つかさもみゆきも心配してるんだから」 (あちゃー……)  心配してくれているということにぐっと胸が詰まると同時に、自分の事情を告げるべきかどうか俄かに混乱せざるを得ない。 「何か悩みでもあるの? 解決してあげられるかどうかは……ってか、私別に大したこと出来ないけど……悩みとかってさ、話せば楽になるものでしょ?」 「……」 「その……さ、話すだけ……話してみない? 喋れば少しはさっぱりすると思うしさ……」 (ま、参ったなぁ……)  その悩みがおよそ尋常なことではないのである。話してかがみ達にまで何かあったらと思うと到底話す気にはなれない。  話さなければ心配をかけてしまうが、親友にこんな怪奇現象を体験させるかもしれないという危険性と、心配させること、どちらを与えるかとなると秤にかける必要も無い。 「いやー、別に何も無いって。ホント」 「……」  無口のままでいるわけにもいかず、咄嗟に適当なことを言ったが、当然かがみは信用していないようで、半分睨みつけるようにしていたが、ふっと視線を逸らした。  頼りにされていないと思ったのか、悩みを打ち明けられるほどの仲ではないという烙印を押されたと勘違いしたのか。  両者無言のままでいると、つかさが戻ってきた。こなたは重い空気がほんの少しだけ解消されてほっとしたが、別れるまでかがみは終止口数が少なかった。  更に翌日、今度は一時間目と二時間目の間につかさがこなたの席までやってきた。 「ねぇ、こなちゃん」 「んー?」 「こなちゃんさぁ、体調悪いの? それとも悩みか何かあるの?」  つかさも来たかー、と内心頭を抱えたい思いだが、それは極力顔には出さない。 「昨日お姉ちゃんもこなちゃんに聞いたんだよね?」 「あー、かがみから聞いたの」 「うん。お姉ちゃんがっかりしてたんだよ。こなちゃんに信用されてないのかなぁって言って」 (やっぱりそうきたかー。道理で今朝も口数少なかったわけだ)  今日は朝のことは覚えている。その代わり昨夜寝る前に歯磨きしてから今朝顔を洗うまで、一晩丸ごと記憶が飛んでいるが。  そこにみゆきもやってきた。 「こなちゃん……ホントに何もないの?」 「泉さん……」  みゆきは何の話をしてるのか大体分かっていたらしい。こなたは窮した。このままでは何もかもぎこちなくなってしまう。自分のせいでそんな空気をつくるわけにはいかない。 (流石に、これ以上はねぇ……)  こなたは観念した。 「……まぁ、そんな顔しないで。実はねー、皆の言う通り、ちょっと立て込んでるんだよね」 「こなちゃん……」 「でもさー、これが……何て言うのか、色んな意味でただ事じゃないんだよね」  二人の顔がいよいよ不安げになるのを見て素早く続ける。 「ただ事じゃなくて、ちょーっとばっかし大事だからさ、皆を巻き込みたくないんだよね」 「おおごと……なんですか?」 「まーね」  顔だけは笑みを絶やさないように努力する。 「でも詳しいことは言えないや。心配かけて申し訳ないけどさ……」 「私達で力になれることってないの?」 「それじゃ、ちょっと無茶言うけどさ、今まで通りにしてて欲しいなー。皆が楽しそうにしてるのを見てれば、私も気が楽になるからさ」 「……はい。泉さんが元気になるのでしたら」 「でもこなちゃん、ホントに無理はしないでね」 「あはは、ありがと」  次いで二時間目と三時間目の間。トイレに行こうと思ったらかがみと会った。 「こなた。つかさから聞いたわよ」  さっきの休憩時間、話をした後につかさがすぐ教室を出て行ったのは、かがみにいち早く伝えにいったためのようだ。 「むぅ、地獄耳め」 「うるさいわね。……絶対に無理はしないでよ?」 「うん。ありがとね」  思い切ってある程度まで話した事は正解だったようである。少しだけ空気が軽くなった気がする。 『悩みがある』と明言されたことでかえって良い雰囲気になったというのは妙な感じでもあるが、かがみ達にしてみれば「信頼されていない」のではない、ということだけは分かったのが嬉しかったのである。 (とは言え、どうしたものやら……)  窓の外を見た。良い天気だ。 (間違いなくあの廃墟に行ったのが原因なんだよなー。こんなことになったのもあの日からだし……)  鏡をぶち割ったのも不味かったんだろうなー、などと思いつつも、他にあの部屋から出る手段も無かった。 「……あ」 「は?」  こなたが窓の外の一点に視線を止めて動かなくなったのを見て、かがみもその視線の先を見る。視線の先は青空があるだけだ。  こなたが一瞬ぶるっと震え、鳥肌が立ったが、かがみがこなたに向き直った時には震えは治まっている。但し制服の下では鳥肌が立ったままだ。 「ちょっとこなた、どうしたのよ?」 「……あのさ、かがみん。私最近ボーっとすることがあるって言ってたよね」 「そうね。何かいきなりぽけーっとして、私達が何回か話しかけても反応しないことだってあったし」 「ボーっとする前と後で、何か変なこと言ったりとかしてない?」 「んー……そうね……。そうそう、一昨日だったかな。あんたお昼に、午後に数学あるんだけど宿題やってないからちょっと見せて、とか言ってたのよね」 「それで?」 「でもあんた、私が宿題持ってきてやったら、『宿題? 数学の? あったっけ?』なんて聞き返してきたじゃない。ほんの数分前のことなのに」 「……」 「後で聞いたら、私が宿題とりに行ってる間にあんた、手洗い場行ってそこでボーっとしてて、つかさに身体揺さぶられてやっと我に返ったって聞いたわよ」 「……そっか」  こなたは腕組をして真剣な顔で何か考え始めた。ここ一週間のことを次々に思い出し、整理していく。途切れ途切れの記憶を必死に辿り、繋ぎ合わせる。  一方かがみは、今まで見たことのない、こなたの真に真面目な顔を前に、声がかけられない。  そのまま休み時間が終わろうとしていた時、こなたがやっと顔を上げた。 「あのさ、一つ頼みがあるんだけど」 「頼み?」 「うん。まぁ難しいことじゃないけどね」  また翌週、今度は水曜日の放課後。受験対策のため内容が濃くなった授業が終わり、ぐったりと机に突っ伏す。  早々にかがみがこなたのクラスにやってきた。つかさは先生に質問に行っており、みゆきはトイレに行っている。 「おーい、こなた」 「んー……」 「ねぇ、今日ゲマズ寄ってかない? 私買うものあるんだけど」 「かがみが? 珍しいねぇ」 「……そうか? あぁそうそう、それからさ」 「ん?」  かがみは某雑誌を取り出した。 「これ見て、これ。先月のコンプなんだけどさ」 「ん。かがみがコンプ持ってるなんて珍しいこともあるもんだ」  予め付箋紙でもはさんでおいたらしく、かがみは一発で目的のページを開いた。だるそうに頭を上げて、そのページを覗き込む。 「あ……」  そこに見たのは、紙面にセロハンテープで貼り付けられた薄い鏡だった。  鏡を見て、こなたが一瞬硬直し、そしてふらっと頭が揺れた。 「こ、こなた……?」  前のめりになって机に頭をぶつけそうになるところをかがみが慌てて支える。 「ちょっとこなた、しっかりしなさいよ!」  そのまま肩を揺さぶり、周囲の注目を浴びない程度にこなたを叱咤する。こなたは目の焦点が合っていないようで視線が宙を舞っている。  漸く首に力が戻り、自力で頭を支えられるようになったのを確認して、かがみは肩から手を離した。同時に徐々に目に光が戻ってくる。 「……んぁ?」  そして半開きの口から出たのは、何とも間抜けな声。そしてぼんやりした目でやっとかがみの顔に焦点が合った。  かがみは不安を押し殺し、何食わぬ顔で再度聞いた。 「ねぇ、今日ゲマズ寄ってかない? 私買うものあるんだけど」 「ゲマズ……」  ゲマズ、ゲマズと二度三度ぶつぶつ言った後、はっと思い出し、しかしゆっくり言った。 「あぁごめん、今日英語の宿題が多くて、やらなきゃいけないから帰るね」  それを聞いたかがみは、驚いて腰を抜かすとか、開いた口が塞がらないとか、そんなことはなく、安心したようにふっと息をついた。  先月号の某雑誌を閉じるのを見て、こなたが尋ねた。 「……二回質問した?」 「したわよ。一回目は全然違うこと言ってたわ。尤も今の台詞が普段から出て欲しいものだけどね」 「そっか……」  先週かがみに頼んだのはこのことである。  こなたは先週、はっと閃いた。廊下の窓に映った蛍光灯がヒントになった。  記憶が飛ぶ時に一定の法則があるという事実に気付いたのである。  最初に記憶が飛んだのは廃屋から出てきて、コンビニの前にいた時からその夜の入浴中まで。  コンビニの『ガラスを見た』時から風呂の『鏡を見た』時まで。  二度目は翌日、顔を洗おうと洗面所に行って『鏡を見た』時から学校のトイレで『鏡を見た』時まで。  更に言うなら、『鏡やガラスに映った自分を見』て、その『映った自分と目があった』時。  最後に記憶に残っているのは鏡やガラス、テレビを消したあとの黒い画面、PCの電源が付いていない時のディスプレイなどだった。  意識が戻って最初に見るのは、同じく鏡などに映った自分の呆けた顔だった。  即ち、『鏡などに映った自分を見る』ことが記憶切り替わりのスイッチだったのである。 (いや、違うな。記憶って言うか……)  かがみ達の話では、ボーっとした後も色々忘れてたりはするものの、普段通りにしていると聞く。無意識のうちにそんな器用なことが出来るわけはない。確かに誰かが、かがみ達の言葉に応答しているのだ。それは誰か?  二重人格などは各個で記憶を別々に持っていたりもするようだが、今回ははっきりと心当たりがある。  記憶が飛んでいる間、いつも通りのこなたを演じているのは、ほぼ間違いなく一人しかいない。  廃屋の鏡の中で悪戯っぽい顔をしていた人物。  殆ど呆然とし、一瞬恐怖が蘇ったこなただが、すぐに一計を思いついた。  記憶が別々になるのなら、本当の自分と特定の人物しか知らないことを予め決めておき、不意にそれを勘合札のように合わせてもらえば良い。  それが合うなら、本当の自分。合わないなら、かの人物。  今回の質問は、『ねぇ、今日ゲマズ寄ってかない? 私買うものあるんだけど』。本来かがみはゲマズに用があることはまず無い。  それに対するこなたの返答は、『あぁごめん、今日英語の宿題が多くて、やらなきゃいけないから帰るね』。  こちらは前者以上にあり得ない台詞だが、これが打ち合わせた答えだった。  これ以外の返答なら、一字一句間違っていても、さりげなく自分に鏡を見せる。そのように打ち合わせをしたのである。  正しい返答をした時は、紛れも無くこの打ち合わせをした真の自分。  異なる返答なら、別の人物。だから、鏡を見て入れ替わる。  咄嗟に思いついたとは考えられないほどに巧妙な技術である。これなら、少なくとも平日は一日一度は記憶が戻ることになる。  今回は取り敢えず上手くいくかどうか一度試すつもりだったため、あえて少し間を空けた。こなたは翌週のいつの時間か、ランダムでこの応答をするようにかがみに頼んでいた。  但し、かの人物も、これでこなたがスイッチ切り替わりの原則に気付き、その対策を考え付いたことを知ったかもしれない。  となると、かがみとの確認応答も強引に振り切って逃げたりなど、自分の身体を使って暴走されかねない。質問は今後さりげなく、かつ鏡を見せるタイミングも気をつけなければならないだろう。  また、極力入れ替わらないようにすること自体が重要になる。PCやテレビも、自分が映りこまないように斜めに見たり、若しくは画面に映った自分に気を取られないようにテレビの内容などに集中しないといけないだろう。  風呂や洗面所の鏡は強敵だし、電車やバスの窓もある。至る所に『映る』ものがある。  しかし、かの人物に乗っ取られないためにも、やる他は無い。 「んじゃかがみ、質問変えるよ」 「わかったわ。何にする?」 「んーとね……」  質問と答えをよりさりげないものに変え、再度打ち合わせた。 「……あのさ」 「ん?」 「これがどういう意味なのかはわからないけどさ、ただ事ではないらしい、ってことだけはよーくわかったわ」 「まーね」 「つかさとみゆきには教えなくていいの?」 「うーん……つかさはこういう演技とか出来なさそうだし、かと言ってみゆきさんに教えてつかさだけ蚊帳の外ってのも可哀想だし……取り敢えずかがみだけってことで。でもかがみがこれ出来なかったりとか、何かあったらその時はかがみに任せるよ」 「わかった。……ホントに大丈夫なのよね?」 「だーいじょうぶだって。今回の実験も上手くいったし。まぁちょっと持久戦になりそうだけどね」 「それならいいんだけど……本っ当に無理しないでよ?」 「うーん、かがみん優しいなぁ」 「う、うるさいわね! そ、そりゃ、友達だし……」  内心目の奥が熱くなっていたのを何とか誤魔化した。しかし泣いている暇は無い。何しろこれは応急措置であり解決策ではない。これからが勝負なのである。  決着をつけるには、かがみの家でお祓いでもしてもらうとか、そういうことになるのだろう。 「ねーかがみ、今度の土日お父さんとか家にいる?」 「ん? えーっと……日曜日にはいるわね」 「んじゃ、もしかしたら日曜に行くかもしんない」 「そ。お父さんに伝えとくわ」 「あ、いや。それはまだいいや。土曜日の夜辺りにでも連絡するからそれからで。……もし連絡なかったら、悪いけど」 「良いわよ。あんたの家に乗り込んでって、これでもかってくらい鏡見せてやるから」 「……ありがと。ごめんね」 「別に良いわよ。その代わり、早く解決しなさいよ」  土曜には一度あの廃屋に行くつもりである。といっても中に入ってまた出られなくなったら元も子もないから、中に入るかどうかは迷っている。だが何かしていないと落ち着かない。  その夜、PCのディスプレイに細心の注意を払いつつ電源を入れ、あの廃屋についての情報を集めようとしていたが、どうも目ぼしい情報が見つからない。  聞いたことの無い心霊スポットの名が飛び交う2ch等でもあの廃屋に関する情報がなく、首を傾げる。  そこで、あの廃屋の情報を得た時の検索語句やサイトを思い返しつつ、記憶を辿ってあの時のサイトを探した。  しかし見つからない。何気なく見つけたものだからはっきり覚えていないのもあるが、それにしても情報が無さ過ぎる。 (おっかしーなー。そんなにマイナーなとこなのかな)  不審に思いつつ何気なくマイコンピュータを開くと、Dドライブに『無題.txt』というのがある。  PC内はそこそこしっかり整頓しているから、題名が無題のものはないはずである。  ないはずのものがある、ということは、可能性は一つしかない。 「……」  一つ深呼吸し、腹を括ってダブルクリックした。一行だけ書かれていた。 『ゆるさない』  行動を起こし始めたのは、自分だけではなかったようだ。  十時に布団に入ったのは久し振りだが、結局日にちが変わるまでは寝付けなかった。  土曜日は朝から雨で、廃屋を訪れる気が薄れていた。そもそも行っても中に入るつもりはないし、近隣の人に話を聞くのも億劫だ。  細心の注意により水曜から一度も記憶が飛んでいない。良い傾向だが気が抜けない。反射するものはいくらでもあるのだ。  映るものに注意しつつPCで般若心経など聞きながら漫画を読むことにしたが、面白くない。  あのテキストファイルの五文字は、明らかにこなたに何やら害を与える意志がある。もしかしたら記憶が無い時に刃物でも持ち出しかねない。 (そんなことはさせないけどね……)  冷や汗が額に滲んだが、同時に若干の闘志も生まれた。 (ありゃ?)  いつの間にか布団に顔を埋めてうとうとしていたらしい。雨で気温がそんなに高くないせいもあって程よく眠れる状況だ。  時計は十一時を指している。一時間半ほど眠っていたようだ。雨も小降りになっている。  鏡を見たわけではないからこれは普通の昼寝だ、ということを記憶を辿って確認する。  後半日。明日は柊家に赴いて相談する。何かしら解決のヒントは得られるに違いない。だから少なくとも後半日は入れ替わるわけにはいかない。 (万が一のために、今のうちにかがみに連絡しとくか)  そう思って携帯に手を伸ばすと、携帯が鳴った。 「うおぅ」  漫画のような展開だがこういうこともあるのか、と思って見ると、つかさからだ。 「もしもし~」 「こ、こなちゃぁん!」 「あぇ?」  いきなり泣き声だ。 「お、お、お姉ちゃんが……」  泣いて声が詰まっている。 「つかさ、どうしたの? お姉ちゃんってかがみのこと? かがみがどうかしたの?」 「お、お姉ちゃんが……死んじゃったよぉ……」  息も思考も一瞬止まったが、つかさの涙声ですぐに引き戻された。 「……ほ、ホントに……? 何で……」 「お、お姉ちゃんが、トイレに行くって言って、でも、なかなか帰ってこないから、私が、見に行ったの。そ、そしたら、お姉ちゃんが、洗面所で、死んでたの」 (洗面所……)  洗面所には普通鏡がある。 「お、お姉ちゃんが、『もしかしたら近いうちに私に何かあるかも知れない。もし何かあったら、まずこなたに連絡しなさい』ってね、言ってて、でね、今、こなちゃんに……」  携帯を持つ手にぐっと力が籠った。かがみはこなたの『ただならぬ事』が自分に降りかかるかもしれないことを予測していたのだ。それを見越して付き合ってくれていたのだ。  心中で何度もかがみに謝罪しながら、低い声で言った。 「待ってつかさ。ホントに死んだの? 脈も無いの?」 「え……」 「いい、つかさ。落ち着いて。ゆっくり深呼吸して。……もう一回。……そう、落ち着いた? そしたら、かがみの胸に耳当ててみて」 「う、うん」  不意に恐ろしいほど冷静になったこなたの声に、つかさは引き込まれる様に指示に従ったらしい。やがて少し明るい涙声がした。 「う、動いてるよ。生きてるよぉ」  それを聞いただけでこなたも魂が抜けたように手から力が抜け、携帯を落としそうにさえなったが、自身も一つ深呼吸をして今の状況を尋ねる。 「お父さんとかはいないんだよね?」 「うん、皆いない。私とかがみお姉ちゃんだけ。皆お仕事があってさっき出掛けたの」 「いつ頃帰ってくるの?」 「晩御飯の時まで来ないよぉ」 「わかった。じゃあ、まずかがみを部屋にでも運んであげて。それで私から連絡があるまでかがみの側にいてあげて。救急車とか警察は呼ばなくても大丈夫だから」 「だ、大丈夫なの?」 「大丈夫だから。信じて。ね?」 「う、うん」 「それともう一つ。鏡とかは絶対見ないでね」 「お姉ちゃんを?」 「そうじゃなくて、鏡ね。映るやつ。洗面所にもあるでしょ。他にも、窓ガラスとか、水面とか、テレビとか、自分が映っちゃうものは絶対見ないで」 「な、何で?」 「いいから。つかさはうっかりが多いけどさ、こればっかりは絶対に守って。いい、絶対、ぜ~ったいだからね。鏡とかに映った自分を絶対見ちゃだめだから」 「わ、わかった。気をつけるよ」 「気をつけるだけじゃ駄目!」 「えっ」 「絶対!! 絶対駄目だからね!! わかった、絶対だよ!!」 「う……」 「これを守らないと、私と連絡が取れなくなっちゃうかも知れないから。かがみが助けられなくなっちゃうかもしれないんだよ。それでもいいの!?」 「そ、そんなの嫌だよ」 「それなら、私が言ったこと、絶対守ってね! わかった!?」  洟をすする音が聞こえ、一拍おいてから、凛とした声が返ってきた。 「こなちゃん、わかったよ。約束する。待ってるから」 「うん、待ってて。私も、絶対何とかしてみせるから。後携帯の画面にも気をつけてね。斜めから見れば自分が映らないから大丈夫」 「うん!」  電話を切ると、すぐさまみゆきにも電話をかけた。 「もしもし、泉さんですか?」 「あーみゆきさん。今時間ある? なくてもちょっと作って欲しいんだけど」 「大丈夫ですよ。何ですか?」 「今非常事態が発生したんだけどさ、是非みゆきさんの助けが要るの」 「非常事態……ですか?」 「そ。まず、この電話を切ったら、つかさに電話して欲しいの。ただ電話するだけでいいから。詳しいことはつかさにその時に聞いて」 「は、はい」 「それで二つ目。それから一時間毎に……いや、三十分毎に、つかさに電話をかけて欲しいんだけど」 「三十分毎ですね。わかりました」  これは、誤ってつかさが鏡などを見たときのための対処である。もし連絡が取れなくなったら、すぐさま柊家に向かうように頼んだ。みゆきもうっかりが少なくないが、一度真剣になれば誰よりも信頼できる。きっとやり遂げてくれるに違いないという思いがあった。  こなたのただならぬ覇気を鋭く感じ取ったらしく、既にみゆきの声は毅然としたものになっていた。 「さっきも言った通り、非常事態だから、うっかり忘れたってのは許されないから。ホントにお願いね」 「わかりました」 「そして三つ目、これはもっと重要なことなんだけど、鏡とか、ガラスとか、テレビとか、自分の姿が映るものは絶対見ないで」 「自分が映るもの……ですか?」 「そ。映るものって周りにいくらでもあるから大変だと思うけど、これは一番重要なことだから。絶対守ってね。かがみん家行く時なんかは特に厳しいと思うけど、お願い」 「わかりました。……泉さん」 「ん?」 「何があったのかわかりませんが……泉さんも気をつけて下さいね」 「……うん。休日だってのにいきなり変なこと頼んでごめんね」 「そんなことありません。私は大丈夫ですから。……さぁ、非常事態なんですから」 「うん。じゃあよろしくね」 「はい」  電話を切った。つかさの時より言葉が少なくて済んだのは、やはりみゆきが精神的に大人だからだろう。理由も聞かず承諾してくれた親友に感謝しつつ、携帯と財布を握って部屋を飛び出した。 「おとーさーん、ちょっと出掛けてくる! お昼は適当に済ませるから!」 「えー?」  どこ行くんだ、と聞く前にこなたは家を飛び出していた。父やゆたかにも害が及ぶかもしれないが、伝える時間も惜しかった。  今日は朝から雨模様だし、二人とも外に出る用事もないようである。万が一のことがあっても、外からはそれはわからないだろう。その方が良い。誰にもばれないほうが良い。  仮に気付かれて救急車で運ばれても、最新の医療は、幽霊相手の医療技術を持っていないだろう。 (そんなことになる前に……!!)  冷静に考えれば、夜まで待って、かがみの親にでも相談する方がはるかに安全だったはずである。冷静な指示を出したように見えてこなたも相当熱くなっていたのは間違いない。  事実廃屋に向かう途中、こなたは恐怖ではなく怒りしかなかった。 (多分)この世のものではない癖に、自分はおろか、よりによって親友達に害を及ぼすなんて、と頭は沸騰寸前だ。  廃屋の前に立った時、流石に一度立ち止まったが、力強く踏み込んだ。雨の日の廃屋は暗くて一層不気味だった。  二階に上がり、あの部屋に入った。床には椅子が転がり、鏡が散乱したままだ。  その破片のうち大きい一つに目が止まった。  人を小馬鹿にしたような顔の自分が映っている。  隣の小さい鏡も、更にその隣の細長い鏡も、全て憎たらしいばかりに微笑している。 「あんたの鏡ぶっ壊したの、私でしょ。憎たらしいなら、私だけに仕返しに来てよ」  怒りでこなたの小さい拳が震えている。鏡の中のこなたは相変わらずにやにやと不敵な笑みを崩さない。 「……かがみ返してよ。あんたにとってのこれと」  と、視線を合わせているやや大きめの破片の中に居るこなた自身を指差す。 「同じくらい大切な友達なんだよ。返してよ……」  と、不意に鏡の中の人物の口が動いた。  突然のことの上に一言だったため、読み取れなかった。 「な、何?」  慌てて鏡に向かって聞く。するとまた口が動いた。 「……?」  読唇術など習得していないため、やはり読み取れない。鏡の中の人物がむっと不機嫌そうな顔になった。  今度は鏡の中からこなたを指差して一文字ずつパクパクと口を動かした。 「な、お、し、て……『直して』?」  途端にまた不敵な笑みに戻る。今すぐ直せと言うことだろうか。そう言われてもこなたは当然そんな技術などはない。  この破片を全部拾い集めるのも困難ならば、職人でも完全修復は困難だろう。しかしこなたは素早く部屋を飛び出し、すぐに戻ってきた。  その手には近くのコンビニで買ったセロハンテープ。 「これで文句ないでしょ。不満なら後でスティックのりでもアロンアルファでも使ってやるから」  セロハンテープを示し、半ば喧嘩をふっかけるような口調で言ってやったが、依然として不敵な笑みを崩さない。逆に言えばセロハンテープでも良いという意思表示でもあるようだ。  特に口元が動かないのを見ると、ガラスの破片の上に座り込まないように床を適当に吹いてから座り、大きい破片を二つ三つ引っ張ってきた。  いつの間にか出入り口がなくなり、あの時と同じように四方が壁に囲まれている。 「……そんなことしなくても、逃げやしないよ」  非常に難解なパズルゲームの開始だ。  端と思われる部分を重点的に拾い、大きい破片同士でくっつきそうなのを探すという、王道ながら気の遠くなるような単純作業が続く。  完成されるのが目的のパズルではないから、破片が二つくっつけるだけでも相当な手間がかかる。  それでもこなたは黙々とパズルを続けた。  破片によって指に傷がつくと、その傷から血を少し吸ってセロハンテープで巻いた。  いつしか両手とも、巻かれたセロハンテープでつやつやしてしまっていた。  同時に、すっかり粉砕されていた鏡は少しずつ元の形を取り戻していった。  こなたがうなだれてしまった時、その目の前には九割方形作られた鏡があった。ここまで出来たのは奇跡的ともいえた。  しかし後の破片はいずれも小さく、豆粒のようなものや細長くてどこにでもあてはまりそうなもの、更には蚤のように小さいものしかない。  無理矢理繋げ合わせるのも難しいし、蚤のような破片などは全て集めるのも不可能だろう。  それでも最後の気力を振り絞り、粉のような破片をかき集める。  その時、三角形の破片に触れてしまい、痛みに手を引っ込めた。細菌が入らないようにと傷口を少し絞ったが、セロハンテープを拾おうとして手が止まった。  今集めた破片は、全部合わせても一円玉程の面積も再現できそうにない。  遂に、傷口を押さえている手にぼろぼろと涙をこぼし始めた。最後の気力は小さい破片一つで途切れてしまった。  肩を震わせ、嗚咽した。これほどまでに泣くのは何時以来かこなたも覚えていない。 「無理、だよ……」  無理なことは最初からわかっていることだ。その無理を押し通して親友を救おうとしたが、無理なものは無理だった。 「お願い……許して……」  力なく呟いた。これ以上続ける体力も気力も尽きていた。昼食もとらず、冷たい床に体温を奪われながら数時間無数の破片を睨みつけていて、最早疲労困憊だった。  出入り口を封鎖され、電波も届かないはずの密閉空間に、こなたの携帯の着信音が響いた。  驚いて画面を見ると、つかさからだ。急いで電話に出る。 「こなちゃん!!」  涙声だが大きい声がして、思わず顔を離した。 「お、お、お姉ちゃんが、目を覚ましたよぉ!!」 「……え」  一瞬言っている意味が理解出来なかった。つかさの言葉がゆっくりとこなたの脳に染み渡り、やっと理解したとき、別の声がした。 「もしもし、こなた? 私」 「かがみん……」  ふと見ると、出入り口があった。手元に目を落とすと、つぎはぎの鏡に涙で濡れた自分の顔が映っていた。 「おいこなたー、聞いてるの?」 「あ……」 「もしもーし。おーい。聞いてるかー?」 「かがみん……」 「お。返事くらい……」 「よかった……」 「え?」  また涙が溢れた。そのまま二、三分またぼろぼろと泣き続け、電話の向こうのかがみを困惑させたが、何とか落ち着きを取り戻した。 「……体は何ともないの?」 「まーね」 「詳しいことは明日話すよ。全部明日話すから」 「勿論そのつもりよ。一から十まで、全っ部話してもらうからね」  通話を終えた。まだ正午にもなっていなかった。 「ただいまー」 「おぅ、お帰り」  昼食の良い匂いに、それまで抑制されていた食欲が一気に湧き出て、腹の虫が鳴った。 (っと、やばい。これ見られたらお父さんびっくりしちゃうよ)  と、指に巻いたセロハンテープをはがそうとして、あっと驚いた。  傷など全くなかった。はがしても、いつも通りの柔らかい皮膚がある。傷跡もなかった。  妙なもので、すぐに夢だと分かった。同時に、夢の中で対峙している自分の姿をしたものが、例の人物だということも何故か理解していた。  ただ少し違うのは、その人物が昼間と違いばつの悪そうな顔で頭をかいている点だ。 「いやー、ホント悪気はなかったんだけどさ」 「は?」 「だってさ。一人であそこにいたらやっぱ暇じゃん? だからちょっとからかっただけなんだよね」 「は?」 「そしたらまさか鏡ぶっ壊されるなんてさぁ」 「ちょ、ちょっと待った。からかったってどういうこと?」 「いや、悪戯心と言うか。ねぇ」 「……つまり、あんたのお遊びで閉じ込められて死ぬ思いしたってわけ?」 「いやー、まー、そうだといえばそうかな? あははは」  俄かに昼間と同様の怒りがこみ上げてきて、こなたは飛び掛った。 「おわっ!? ちょ、ちょっと、うひゃはは、くすぐったい!」 「うるさーい! くらえー!」 「ごめん、ごめんって! そ、そっちだって私の鏡ぶっ壊したじゃん!」 「あんたが余計なことしなけりゃ割りはしなかったっての!」 「いや、だからまさか、ってくすぐったい、許してー!」  暫くいじめてやった後解放してやった。相手は息も絶え絶えだ。 「はひぃ……」 「全くもぅ。もうこんなことしないでよ」 「し、しないってば。お詫びにそれあげるからさ」 「それって?」  前日までと違い良い目覚めだった。疲労もあって早めに寝たことと全て解決したことが影響しているのはいうまでもない。  もぞもぞと起きてPCのディスプレイを見ると自分の顔が映った。しかし意識が飛ぶこともなく、眠そうな自分の顔がいつまでも映ったままだ。  キーボードの隣に三センチ四方くらいの鏡の破片が置いてあった。  いつ、誰がこんなものを置いたのだろう。  翌日午後、柊家にて、みゆきも呼んで、一連の出来事を全て話した。 「嘘みたいだけど、ホントの話だから」 「そんなことがあったんだぁ……」 「なるほどねー。確かにただごとじゃなかったみたいね」 「でも、皆さん無事で良かったです」 「いや。結局かがみを巻き込んじゃったわけだし。ホントごめん」  テーブルに頭がつくほど頭を下げた。 「そ、そんな改まって謝らなくても良いって。何とかなったわけだし」 「あ、こなちゃん、髪の毛がお茶に入っちゃうよ」 「あ」  アホ毛が対面のかがみのお茶に入りそうになっていた。 「なーにやってんのよ」 「いや、かがみん、これを通じて私の愛がそのお茶に」 「やめんかい」 「まぁ、それはともかく」  ポケットから取り出したのは、四つのお守りである。 「お守りですか?」 「そ」  今日の午前中に作ったものだ。  まず金のこで鏡の破片を四分割し、次に粉末を洗い落としてよく拭いた後綿で包み、最後に布を使って外側の入れ物を作ったのである。 「私の愛が籠ってるから、ご利益はないかもしれないけど、ちょっとした厄除けにはなると思うから」 「わぁ。こなちゃんありがと」 「ありがとうございます」 「へー、上手いじゃない」 「かがみも練習すれば、これくらいパパっと作れるようになるって」 「よ、余計なお世話よ!」  約二週間ぶりの明るい雰囲気だった。  受験も近くなった晩秋、鞄にその手製のお守りをつけていたつかさだが、登校中に一度紐がほどけて落ちたことがある。  拾ったは良いが、慌ててしまいなかなか結び付けられず、呆れられたかがみに結び付けてもらった。  そして、既に青に信号が変わった横断歩道を渡ろうと一歩足を踏み出しかけたその瞬間、二人の目の前をわき見運転のトラックが速度を落とさず通過していき、電柱に衝突した。  怪我人は運転手だけで、運転手も骨折などの大怪我はしたものの命に別状はなかった。  偶然か霊験かは不明だが、親友がそのお守りによって一度助かったのは事実である。  勿論、今でも四人ともお守りは持ち歩いている。  四人とも大学に合格して、合格祝いということで街で遊んだ後、不意に思い出してあの廃屋を(入る気はないが)もう一度見に行こう、という話になったことがある。  しかし、その廃屋はどこにもなかった。  だけでなく、どう歩いても、そのような地区すら見当たらなかった。  廃屋の近辺にあった家々も、清涼飲料やセロハンテープを買ったコンビニも見当たらなかった。  帰ってから地図を開いても、グーグルアースで見ても、それらしい地区などなかった。  お守りの中にある小さな鏡の破片が、四人の元に残っているだけである。
 四人が心霊スポットと呼ばれる廃屋の前に立ったのは、夏休み二週間前の日曜日の昼下がりである。夜でないのはつかさの強い要望による。  心霊スポットと呼ばれるだけあって街中ではないが、周辺には普通に民家もあり、コンビニもあり、一見すると恐怖をかき立てる要素は特に感じられない。つかさも多少は安心したらしい。  これは、こなたがネットサーフィンで見つけた場所である。木曜の昼休みに三人を誘った。  そんな暇があったら勉強しろと父親より厳しいかがみと、ホラーが苦手のつかさの反対で多少押され気味になったが、昼間なら怖くないということでまずつかさを崩した。  続いて、みゆきを引き入れた。話を始めてから少なからず興味はあったようなので、言葉巧みに勧誘して味方にすることに成功した。  多数決で引き下がるかがみではないが、みゆきも賛成派にまわったとなると、流石のかがみも強く反対はしなくなる。  ドジっ娘属性があるとはいえ精神的に最も大人で、信頼できるみゆきまでこなたに篭絡されたとなると、何となく反対しづらいのである。  それに、かがみも人並みに好奇心はある。  こなたは、周囲を味方につけ、かつかがみの好奇心を巧みに煽り立て、結局三人を引きこんだのである。  但し、その分土曜日は柊家で宿題を済ませ、同時にみっちりと勉強させられてはいる。  こなたもつかさも最後にはすっかりダウンしてしまい、傍らの菓子に手をつける気力も失っていた。 「思ったより平気かもー。もっと凄いのかと思ってたよ」 「そうですね。周りに普通に民家もありますし、心霊スポットという感じもあまりしないですね」 「よーし、オルテガ! マッシュ! ジェットストリームアタックを仕掛けるぞ!」 「何よそれ」 「あ、駄目だ、私ら四人だから一人足りないや」 「何の話だか知らないけど、さっさと行くわよ」 「ノリ悪いなぁ。まぁいっか、突入!」  それでも中に入ると薄暗く、壁は汚れ、廃屋独特の不気味さは持ち合わせており、つかさはかがみの袖を握って離さない。 「や、やっぱり、ちょっと怖いかも……」 「うーん……昼間だというのにこの雰囲気……さすが廃墟って感じはあるねぇ」  無人になったのがいつからかは分からないが、人の住んでいたような気配は全く無く殺風景な部屋ばかりである。 「きゃあ!?」 「のぉわ!?」  いきなりみゆきに抱きつかれてこなたも妙な声を上げた。 「おおぅ、何と豊満な……」 「い、今、そこで何か物音が……」 「物音?」  かがみは怖がりもせずにみゆきが示した部屋を覗いた。四人が今まで入っていてたった今出てきた部屋である。 「つかさ、何してんの?」 「メールが来たの。迷惑メール」 「メールねぇ。みゆき、物音ってどんな感じ?」 「えーと……こう、ブーンといった感じの……」 「こんな感じ?」  かがみが自分の携帯のバイブレータを鳴らした。 「あ、そ、そうです。そんな感じの……というかそのまんまです」 「つかさの携帯の、マナーモードのバイブレータの音じゃないの?」 「そ、そうみたいですね……」 「う~ん、やっぱり大きいことは良いことだ……巨乳ドジっ子……いいねぇ……鼻血出そう……」  廃屋の不気味な空気を堪能して出てきた後、またみゆきが慌てだした。 「あ、あれ……」 「んー? どうしたのみゆきさん」 「携帯電話が……。落としてしまったようです」 「さっきこなたに抱きついた時じゃないの?」 「そうかも知れません……」 「じゃー私見てくるよ。みゆきさん怖いでしょ」 「え、でも……」 「私も行って来るわ。つかさはここでみゆきの携帯に電話しといて」 「うん」 「すみません……」  こなたに抱きついた場所には無かったため、二手に分かれてあちこち部屋を覗いて回る。 「意外に見つからないわね」 「私二階行ってみるよー」 「おぅ」  かがみは一階、こなたは二階を回るという形になった。しかしかがみの言う通り意外に見つからない。 「ふんふん……」  こなたは鼻歌など歌いながら部屋を見て回り、ある一室に入った。  そこでふと目に入ったのは、こなたの身長ほどある鏡である。さっきも見て、「吸血鬼って映らないんだよねー」等といってつかさを怖がらせたのを思い出した。  南側に窓があり、鏡は北側の壁の側に置かれていて太陽を映し、後は床に転がったキャスター付きの椅子も片隅に映っている。  殺風景な部屋が多い中、ぽつんと妙に不自然に残された印象がある。こなたは何となく気になって鏡を見つめた。 (……あれ?)  何秒か、何分か、いつの間にか見入っていたらしい。気がついたら鏡の前にしゃがんでぼーっとしていた。 (やれやれ、かがみに見られてたら怒られてたよ)  そう思い頭をかきながら部屋を出ようとして、足が止まった。  こればかりは、こなたはおろか、かがみでも唖然とするに違いない。  さっき入ってきたはずの出入り口が、無い。  出入り口があったはずのところには、しっかりと壁がある。廃屋とは言え、触れてみても、押してみても、びくともしない。  周囲の壁と比較しても、その汚れ具合などからして、どう見ても周囲の壁と全く変わらない。  それからゆっくり部屋の中を見渡すが、勿論出入り口など無い。  密室である。 「……え」  徐々にこなたはこの異常事態を呑み込み始めた。 「……どういうこと?」  呟きながら意味もなく部屋の中を歩き回り、何度も見回し、壁を押し、叩き、また見回す。  窓に手をかけるが、鍵がすっかり固くなってしまっていて開かない。  窓から外を見回すと、ごく平凡な民家が立ち並び、道路が見える。……が、異常に人がいない。車が全く通らない。  見下ろすと、玄関前で待っているはずの二人がいない。 「……えっ」  それまでほとんど呆然としていたこなただが、額に嫌な汗が流れ始めた。乱暴に窓ガラスをばんばん叩く。 「ねぇ、つかさ! みゆきさーん! どこ行ったのー!!」  その声に反応するものは無く、かなり強く叩いているはずのガラスはこなたの平手をしっかり跳ね返し続ける。  ふらふらと二歩、三歩窓辺から離れる。振り向いても依然密室のままである。 「かがみー!!」  必死で叫んだ。聞こえないはずが無いが全く反応が無い。  携帯を出してかがみに、またみゆきに電話中だから繋がるはずのないつかさ、そして携帯を落としているみゆきにまで電話をかける。  かがみは電話に出ず、後者二人も無論出るはずがない。しかしこなたは混乱してつかさ、みゆきにも何度も電話をかけ続けた。  更に父やゆたかがいるはずの自宅、柊家、パトリシア等、電話帳に入っているだけのところに電話をかけ、110番にまでかけた。それでも誰も出ない。アンテナが三本立っているのを十数回も確認した後、こなたは足が震え始めた。  遂には力任せに壁を蹴飛ばした。格闘技を習っていたとは言えこなたは小柄であり、その膂力は壁を破壊するには遠い。  やがてそれにも疲れ、肩で息をしつつまた部屋の中を見回す。  そして、ふと鏡に目が止まった。  違和感を覚えてから異変に気付くまで数秒掛かった。  鏡に映っているこなたは、肩も揺らさず、汗もかいていなかった。得意げな笑みさえ浮かべていた。  こなた自身は知らないが、鏡に映ったその顔は、普段こなたがかがみをからかう時の悪戯っぽい顔だった。  こなたはこの時はっきりと、顔から血の気が引く感覚というものを覚えた。  それに対し鏡に映っている自分は相変わらず余裕の笑みである。  こなたは足の痛みも疲れも忘れ、しかし鏡に映る自分と視線を外すことが出来ず、足の震えが止まらない。  更にはカチカチと歯を鳴らし始めた。血の気が引く感覚も初めてだが、恐怖で歯を鳴らすのも初めてである。  と、鏡の自分が口の端を上げ、半歩踏み出した。  それを見て、ざざっと後ずさりをした。既に恐怖で思考は止まっているが、近寄ってくる自分から離れたいと身体が反応したらしい。  更に一歩後ずさりしようとして、転がっていた椅子に躓いて尻餅をついた。鏡の自分は後ずさりしていないから当然転んでいない。  鏡の中からこなたを見下ろし、また半歩進んだ。  ゆっくりと右手(こなたにとっては左手にあたる)をこなたに向かって伸ばし始めた。  次の瞬間、鏡が派手に砕けた。  尻餅をついた拍子に手をかけていた椅子を鏡に投げつけたのである。夢中だった。投げつけたということさえ覚えておらず、手に椅子を掴んだ感覚が残っていることからやっと自分が椅子をぶん投げたということを悟った。  床に散らばった大小の破片を呆然と見つめていると、不意に待ち望んでいた声がした。 「こなたー! 見つけたわよー!」  はっとして声の方を向くと、出入り口がある。そこには先程まで何度も蹴飛ばしていたはずの壁は無い。 (助かった……?)  そのまま後ろに倒れこみたかったが、この部屋から一刻も早く出たいという思いから、だるい身体を何とか持ち上げた。 「こなたー! 聞いてるのー!?」 「あぁ~い、今行くよぅ……」  かがみにはいつも通りのだるい声に聞こえたが、こなたは心底疲労している。  部屋から出ようとしながら恐る恐る足元を見ると、疲労困憊の自分が映っている。  外に出てからふと携帯を見ると、みゆきの携帯を探し始めて五分経っていなかった。  そのままコンビニに寄る。こなたは清涼飲料水を一本買った。色々あって喉が渇いて仕方が無かったからである。 (疲れたよ……)  つかさが何やら欲しいものを探している間に一足先に出て、ジュースを一口飲んだ。  そして店内を覗くと、つかさがかがみに急かされて慌てている。 (確かに、いつもの光景だよねぇ……。戻ってこれて良かったぁ……) 「……ありゃ?」  視界が湯気に覆われている。湯気の向こうに半分曇った鏡。横には湯船。  紛れも無く自宅の風呂である。 「……はぁ?」  間抜けな言葉しか出てこないが無理も無い。今、自分はコンビニの前にいたはずではないか?  窓の外は既に暗い。 (……どういうこと?)  これは最早みゆきがボーっとするのとはレベルが違う。数時間もボーっとするなど病気もいいとこだ。 (いや、待て待て。思い出せー……)  心霊スポットと言われる廃屋で奇妙体験をし、ふらふらになってコンビニで一息ついて……。 (……それで?)  それで。終わりである。  そこまでですっぱり途切れている。かがみ達とはどこで別れた? その前にカラオケでも寄った? ゲマズでも行った? 夕食は何だった? それ以前に夕食なんて食べた?  見事なまでに記憶が抜け落ちている。思わず頭を抱えた。  触れた髪の毛は、察するに既に洗った後と思われる。身体も汗でべとべとした感覚は無く、やはり洗い終えているようだ。  誰が洗った? 自分以外にいない。流石に父とは一緒に入っていない。  混乱する頭で風呂から上がると、居間に父がいた。 「おー、今日は結構長風呂だったなぁ。それじゃ俺も入るかな」  時計は九時を指そうとしている。いつから風呂に入った? 「そんなに長かった?」 「んー。いつもに比べたら少し長かったな。まぁたまにはゆっくり浸かるのも良いもんだよなぁ。俺も今日はゆっくりするかなぁ」  そうじろうは先日文章を一本書き上げたため機嫌が良く、多少時間もある。嬉しそうに居間を出て行った。  台所を見ると、流石に洗い物は終わっている。今日の食事当番はゆたかの筈だ。  そこに丁度ゆたかが下りてきた。既に寝巻き姿なとこを見ると一番風呂はゆたかだったようだ。 「あ、お姉ちゃんお風呂上がったんだね」 「おー。牛乳飲む? 胸も大っきくなるかもよー」 「うぅ……本当に大きくなるかな?」 「いやー、でもゆーちゃんは小さい方が良いか。そっち方面担当だしね」 「担当?」  いつも通りの会話をしつつ、今日の夕食は何だったかを如何にしてさりげなく聞こうかと策を巡らす。と思っていたら幸運にも向こうから切り出した。 「そう言えば、今日ちょっと失敗しちゃったんだよね」 「何が?」 「ほら、ロールキャベツが……」 (ロールキャベツ……)  覚えていない。 「ま、まぁ、物事は経験だよ。その内上手くなるって」 「うん、頑張るね」  こなたの声が些か虚ろなことに、幸いゆたかは気付かなかった。  翌朝、あまりすっきりしない目覚めを迎えた。昨夜はろくにネットも繋がず早々に寝たのだが、やはり昨日の不可解な現象が尾を引いているに違いない。  だらしなく大欠伸しながら階段を下りて朝食をとり、登校の準備を始めた。 (あーやばい、ちょっと寝癖ついちゃってるかな)  ぼりぼりと無造作に頭をかきながら洗面所に立った。  今度は学校のトイレだった。手を洗う水道の前で、ぽけ~っとしている自分に気付いた。 (……あれ?)  蛇口から水が出て、こなたの指先を濡らし続けている。その冷たさに徐々にこなたは冷静になってきた。ここは間違いなく学校のトイレ。用を足した直後だろうか。  手を拭いて携帯を見ると、もうすぐ三時間目が始まる。そこにチャイムが鳴り響いた。 「や、やば……」  慌てて教室に戻る。前の時間はどうしていた? 一時間目は? 登校中にかがみとつかさとはどんな話をした?  覚えていない。  その日の五時間目の前から夕食直前まで。入浴中から入浴直後まで。時間の幅が長くなったり短くなったりしながら、記憶が飛んだ。  翌日も、翌々日も、気がつくと数分、一時間、時に数時間が記憶から消えている。  気を付けていたつもりだったが、しょっちゅう一緒にいる親友達はすぐに気付き始めたらしい。  水曜の放課後、下校しようと校門を出て少ししたところでつかさが携帯を忘れたことに気付き、慌てて学校に引き返した。  みゆきは委員会の仕事で今日は残らなければならないが、かがみは一足先に終えている。  手伝おうと言ったがみゆきは「大した量ではありませんし、平気です。それにこれは私の分担ですし」と断っていた。 「ねぇ、こなた」 「んー?」 「あんたさ、最近少し変じゃない?」  不意打ちである。 「変って?」 「お昼も口数減ってきてるし、時々ボーっとしてるし。何かあったの? つかさもみゆきも心配してるんだから」 (あちゃー……)  心配してくれているということにぐっと胸が詰まると同時に、自分の事情を告げるべきかどうか俄かに混乱せざるを得ない。 「何か悩みでもあるの? 解決してあげられるかどうかは……ってか、私別に大したこと出来ないけど……悩みとかってさ、話せば楽になるものでしょ?」 「……」 「その……さ、話すだけ……話してみない? 喋れば少しはさっぱりすると思うしさ……」 (ま、参ったなぁ……)  その悩みがおよそ尋常なことではないのである。話してかがみ達にまで何かあったらと思うと到底話す気にはなれない。  話さなければ心配をかけてしまうが、親友にこんな怪奇現象を体験させるかもしれないという危険性と、心配させること、どちらを与えるかとなると秤にかける必要も無い。 「いやー、別に何も無いって。ホント」 「……」  無口のままでいるわけにもいかず、咄嗟に適当なことを言ったが、当然かがみは信用していないようで、半分睨みつけるようにしていたが、ふっと視線を逸らした。  頼りにされていないと思ったのか、悩みを打ち明けられるほどの仲ではないという烙印を押されたと勘違いしたのか。  両者無言のままでいると、つかさが戻ってきた。こなたは重い空気がほんの少しだけ解消されてほっとしたが、別れるまでかがみは終止口数が少なかった。  更に翌日、今度は一時間目と二時間目の間につかさがこなたの席までやってきた。 「ねぇ、こなちゃん」 「んー?」 「こなちゃんさぁ、体調悪いの? それとも悩みか何かあるの?」  つかさも来たかー、と内心頭を抱えたい思いだが、それは極力顔には出さない。 「昨日お姉ちゃんもこなちゃんに聞いたんだよね?」 「あー、かがみから聞いたの」 「うん。お姉ちゃんがっかりしてたんだよ。こなちゃんに信用されてないのかなぁって言って」 (やっぱりそうきたかー。道理で今朝も口数少なかったわけだ)  今日は朝のことは覚えている。その代わり昨夜寝る前に歯磨きしてから今朝顔を洗うまで、一晩丸ごと記憶が飛んでいるが。  そこにみゆきもやってきた。 「こなちゃん……ホントに何もないの?」 「泉さん……」  みゆきは何の話をしてるのか大体分かっていたらしい。こなたは窮した。このままでは何もかもぎこちなくなってしまう。自分のせいでそんな空気をつくるわけにはいかない。 (流石に、これ以上はねぇ……)  こなたは観念した。 「……まぁ、そんな顔しないで。実はねー、皆の言う通り、ちょっと立て込んでるんだよね」 「こなちゃん……」 「でもさー、これが……何て言うのか、色んな意味でただ事じゃないんだよね」  二人の顔がいよいよ不安げになるのを見て素早く続ける。 「ただ事じゃなくて、ちょーっとばっかし大事だからさ、皆を巻き込みたくないんだよね」 「おおごと……なんですか?」 「まーね」  顔だけは笑みを絶やさないように努力する。 「でも詳しいことは言えないや。心配かけて申し訳ないけどさ……」 「私達で力になれることってないの?」 「それじゃ、ちょっと無茶言うけどさ、今まで通りにしてて欲しいなー。皆が楽しそうにしてるのを見てれば、私も気が楽になるからさ」 「……はい。泉さんが元気になるのでしたら」 「でもこなちゃん、ホントに無理はしないでね」 「あはは、ありがと」  次いで二時間目と三時間目の間。トイレに行こうと思ったらかがみと会った。 「こなた。つかさから聞いたわよ」  さっきの休憩時間、話をした後につかさがすぐ教室を出て行ったのは、かがみにいち早く伝えにいったためのようだ。 「むぅ、地獄耳め」 「うるさいわね。……絶対に無理はしないでよ?」 「うん。ありがとね」  思い切ってある程度まで話した事は正解だったようである。少しだけ空気が軽くなった気がする。 『悩みがある』と明言されたことでかえって良い雰囲気になったというのは妙な感じでもあるが、かがみ達にしてみれば「信頼されていない」のではない、ということだけは分かったのが嬉しかったのである。 (とは言え、どうしたものやら……)  窓の外を見た。良い天気だ。 (間違いなくあの廃墟に行ったのが原因なんだよなー。こんなことになったのもあの日からだし……)  鏡をぶち割ったのも不味かったんだろうなー、などと思いつつも、他にあの部屋から出る手段も無かった。 「……あ」 「は?」  こなたが窓の外の一点に視線を止めて動かなくなったのを見て、かがみもその視線の先を見る。視線の先は青空があるだけだ。  こなたが一瞬ぶるっと震え、鳥肌が立ったが、かがみがこなたに向き直った時には震えは治まっている。但し制服の下では鳥肌が立ったままだ。 「ちょっとこなた、どうしたのよ?」 「……あのさ、かがみん。私最近ボーっとすることがあるって言ってたよね」 「そうね。何かいきなりぽけーっとして、私達が何回か話しかけても反応しないことだってあったし」 「ボーっとする前と後で、何か変なこと言ったりとかしてない?」 「んー……そうね……。そうそう、一昨日だったかな。あんたお昼に、午後に数学あるんだけど宿題やってないからちょっと見せて、とか言ってたのよね」 「それで?」 「でもあんた、私が宿題持ってきてやったら、『宿題? 数学の? あったっけ?』なんて聞き返してきたじゃない。ほんの数分前のことなのに」 「……」 「後で聞いたら、私が宿題とりに行ってる間にあんた、手洗い場行ってそこでボーっとしてて、つかさに身体揺さぶられてやっと我に返ったって聞いたわよ」 「……そっか」  こなたは腕組をして真剣な顔で何か考え始めた。ここ一週間のことを次々に思い出し、整理していく。途切れ途切れの記憶を必死に辿り、繋ぎ合わせる。  一方かがみは、今まで見たことのない、こなたの真に真面目な顔を前に、声がかけられない。  そのまま休み時間が終わろうとしていた時、こなたがやっと顔を上げた。 「あのさ、一つ頼みがあるんだけど」 「頼み?」 「うん。まぁ難しいことじゃないけどね」  また翌週、今度は水曜日の放課後。受験対策のため内容が濃くなった授業が終わり、ぐったりと机に突っ伏す。  早々にかがみがこなたのクラスにやってきた。つかさは先生に質問に行っており、みゆきはトイレに行っている。 「おーい、こなた」 「んー……」 「ねぇ、今日ゲマズ寄ってかない? 私買うものあるんだけど」 「かがみが? 珍しいねぇ」 「……そうか? あぁそうそう、それからさ」 「ん?」  かがみは某雑誌を取り出した。 「これ見て、これ。先月のコンプなんだけどさ」 「ん。かがみがコンプ持ってるなんて珍しいこともあるもんだ」  予め付箋紙でもはさんでおいたらしく、かがみは一発で目的のページを開いた。だるそうに頭を上げて、そのページを覗き込む。 「あ……」  そこに見たのは、紙面にセロハンテープで貼り付けられた薄い鏡だった。  鏡を見て、こなたが一瞬硬直し、そしてふらっと頭が揺れた。 「こ、こなた……?」  前のめりになって机に頭をぶつけそうになるところをかがみが慌てて支える。 「ちょっとこなた、しっかりしなさいよ!」  そのまま肩を揺さぶり、周囲の注目を浴びない程度にこなたを叱咤する。こなたは目の焦点が合っていないようで視線が宙を舞っている。  漸く首に力が戻り、自力で頭を支えられるようになったのを確認して、かがみは肩から手を離した。同時に徐々に目に光が戻ってくる。 「……んぁ?」  そして半開きの口から出たのは、何とも間抜けな声。そしてぼんやりした目でやっとかがみの顔に焦点が合った。  かがみは不安を押し殺し、何食わぬ顔で再度聞いた。 「ねぇ、今日ゲマズ寄ってかない? 私買うものあるんだけど」 「ゲマズ……」  ゲマズ、ゲマズと二度三度ぶつぶつ言った後、はっと思い出し、しかしゆっくり言った。 「あぁごめん、今日英語の宿題が多くて、やらなきゃいけないから帰るね」  それを聞いたかがみは、驚いて腰を抜かすとか、開いた口が塞がらないとか、そんなことはなく、安心したようにふっと息をついた。  先月号の某雑誌を閉じるのを見て、こなたが尋ねた。 「……二回質問した?」 「したわよ。一回目は全然違うこと言ってたわ。尤も今の台詞が普段から出て欲しいものだけどね」 「そっか……」  先週かがみに頼んだのはこのことである。  こなたは先週、はっと閃いた。廊下の窓に映った蛍光灯がヒントになった。  記憶が飛ぶ時に一定の法則があるという事実に気付いたのである。  最初に記憶が飛んだのは廃屋から出てきて、コンビニの前にいた時からその夜の入浴中まで。  コンビニの『ガラスを見た』時から風呂の『鏡を見た』時まで。  二度目は翌日、顔を洗おうと洗面所に行って『鏡を見た』時から学校のトイレで『鏡を見た』時まで。  更に言うなら、『鏡やガラスに映った自分を見』て、その『映った自分と目があった』時。  最後に記憶に残っているのは鏡やガラス、テレビを消したあとの黒い画面、PCの電源が付いていない時のディスプレイなどだった。  意識が戻って最初に見るのは、同じく鏡などに映った自分の呆けた顔だった。  即ち、『鏡などに映った自分を見る』ことが記憶切り替わりのスイッチだったのである。 (いや、違うな。記憶って言うか……)  かがみ達の話では、ボーっとした後も色々忘れてたりはするものの、普段通りにしていると聞く。無意識のうちにそんな器用なことが出来るわけはない。確かに誰かが、かがみ達の言葉に応答しているのだ。それは誰か?  二重人格などは各個で記憶を別々に持っていたりもするようだが、今回ははっきりと心当たりがある。  記憶が飛んでいる間、いつも通りのこなたを演じているのは、ほぼ間違いなく一人しかいない。  廃屋の鏡の中で悪戯っぽい顔をしていた人物。  殆ど呆然とし、一瞬恐怖が蘇ったこなただが、すぐに一計を思いついた。  記憶が別々になるのなら、本当の自分と特定の人物しか知らないことを予め決めておき、不意にそれを勘合札のように合わせてもらえば良い。  それが合うなら、本当の自分。合わないなら、かの人物。  今回の質問は、『ねぇ、今日ゲマズ寄ってかない? 私買うものあるんだけど』。本来かがみはゲマズに用があることはまず無い。  それに対するこなたの返答は、『あぁごめん、今日英語の宿題が多くて、やらなきゃいけないから帰るね』。  こちらは前者以上にあり得ない台詞だが、これが打ち合わせた答えだった。  これ以外の返答なら、一字一句間違っていても、さりげなく自分に鏡を見せる。そのように打ち合わせをしたのである。  正しい返答をした時は、紛れも無くこの打ち合わせをした真の自分。  異なる返答なら、別の人物。だから、鏡を見て入れ替わる。  咄嗟に思いついたとは考えられないほどに巧妙な技術である。これなら、少なくとも平日は一日一度は記憶が戻ることになる。  今回は取り敢えず上手くいくかどうか一度試すつもりだったため、あえて少し間を空けた。こなたは翌週のいつの時間か、ランダムでこの応答をするようにかがみに頼んでいた。  但し、かの人物も、これでこなたがスイッチ切り替わりの原則に気付き、その対策を考え付いたことを知ったかもしれない。  となると、かがみとの確認応答も強引に振り切って逃げたりなど、自分の身体を使って暴走されかねない。質問は今後さりげなく、かつ鏡を見せるタイミングも気をつけなければならないだろう。  また、極力入れ替わらないようにすること自体が重要になる。PCやテレビも、自分が映りこまないように斜めに見たり、若しくは画面に映った自分に気を取られないようにテレビの内容などに集中しないといけないだろう。  風呂や洗面所の鏡は強敵だし、電車やバスの窓もある。至る所に『映る』ものがある。  しかし、かの人物に乗っ取られないためにも、やる他は無い。 「んじゃかがみ、質問変えるよ」 「わかったわ。何にする?」 「んーとね……」  質問と答えをよりさりげないものに変え、再度打ち合わせた。 「……あのさ」 「ん?」 「これがどういう意味なのかはわからないけどさ、ただ事ではないらしい、ってことだけはよーくわかったわ」 「まーね」 「つかさとみゆきには教えなくていいの?」 「うーん……つかさはこういう演技とか出来なさそうだし、かと言ってみゆきさんに教えてつかさだけ蚊帳の外ってのも可哀想だし……取り敢えずかがみだけってことで。でもかがみがこれ出来なかったりとか、何かあったらその時はかがみに任せるよ」 「わかった。……ホントに大丈夫なのよね?」 「だーいじょうぶだって。今回の実験も上手くいったし。まぁちょっと持久戦になりそうだけどね」 「それならいいんだけど……本っ当に無理しないでよ?」 「うーん、かがみん優しいなぁ」 「う、うるさいわね! そ、そりゃ、友達だし……」  内心目の奥が熱くなっていたのを何とか誤魔化した。しかし泣いている暇は無い。何しろこれは応急措置であり解決策ではない。これからが勝負なのである。  決着をつけるには、かがみの家でお祓いでもしてもらうとか、そういうことになるのだろう。 「ねーかがみ、今度の土日お父さんとか家にいる?」 「ん? えーっと……日曜日にはいるわね」 「んじゃ、もしかしたら日曜に行くかもしんない」 「そ。お父さんに伝えとくわ」 「あ、いや。それはまだいいや。土曜日の夜辺りにでも連絡するからそれからで。……もし連絡なかったら、悪いけど」 「良いわよ。あんたの家に乗り込んでって、これでもかってくらい鏡見せてやるから」 「……ありがと。ごめんね」 「別に良いわよ。その代わり、早く解決しなさいよ」  土曜には一度あの廃屋に行くつもりである。といっても中に入ってまた出られなくなったら元も子もないから、中に入るかどうかは迷っている。だが何かしていないと落ち着かない。  その夜、PCのディスプレイに細心の注意を払いつつ電源を入れ、あの廃屋についての情報を集めようとしていたが、どうも目ぼしい情報が見つからない。  聞いたことの無い心霊スポットの名が飛び交う2ch等でもあの廃屋に関する情報がなく、首を傾げる。  そこで、あの廃屋の情報を得た時の検索語句やサイトを思い返しつつ、記憶を辿ってあの時のサイトを探した。  しかし見つからない。何気なく見つけたものだからはっきり覚えていないのもあるが、それにしても情報が無さ過ぎる。 (おっかしーなー。そんなにマイナーなとこなのかな)  不審に思いつつ何気なくマイコンピュータを開くと、Dドライブに『無題.txt』というのがある。  PC内はそこそこしっかり整頓しているから、題名が無題のものはないはずである。  ないはずのものがある、ということは、可能性は一つしかない。 「……」  一つ深呼吸し、腹を括ってダブルクリックした。一行だけ書かれていた。 『ゆるさない』  行動を起こし始めたのは、自分だけではなかったようだ。  十時に布団に入ったのは久し振りだが、結局日にちが変わるまでは寝付けなかった。  土曜日は朝から雨で、廃屋を訪れる気が薄れていた。そもそも行っても中に入るつもりはないし、近隣の人に話を聞くのも億劫だ。  細心の注意により水曜から一度も記憶が飛んでいない。良い傾向だが気が抜けない。反射するものはいくらでもあるのだ。  映るものに注意しつつPCで般若心経など聞きながら漫画を読むことにしたが、面白くない。  あのテキストファイルの五文字は、明らかにこなたに何やら害を与える意志がある。もしかしたら記憶が無い時に刃物でも持ち出しかねない。 (そんなことはさせないけどね……)  冷や汗が額に滲んだが、同時に若干の闘志も生まれた。 (ありゃ?)  いつの間にか布団に顔を埋めてうとうとしていたらしい。雨で気温がそんなに高くないせいもあって程よく眠れる状況だ。  時計は十一時を指している。一時間半ほど眠っていたようだ。雨も小降りになっている。  鏡を見たわけではないからこれは普通の昼寝だ、ということを記憶を辿って確認する。  後半日。明日は柊家に赴いて相談する。何かしら解決のヒントは得られるに違いない。だから少なくとも後半日は入れ替わるわけにはいかない。 (万が一のために、今のうちにかがみに連絡しとくか)  そう思って携帯に手を伸ばすと、携帯が鳴った。 「うおぅ」  漫画のような展開だがこういうこともあるのか、と思って見ると、つかさからだ。 「もしもし~」 「こ、こなちゃぁん!」 「あぇ?」  いきなり泣き声だ。 「お、お、お姉ちゃんが……」  泣いて声が詰まっている。 「つかさ、どうしたの? お姉ちゃんってかがみのこと? かがみがどうかしたの?」 「お、お姉ちゃんが……死んじゃったよぉ……」  息も思考も一瞬止まったが、つかさの涙声ですぐに引き戻された。 「……ほ、ホントに……? 何で……」 「お、お姉ちゃんが、トイレに行くって言って、でも、なかなか帰ってこないから、私が、見に行ったの。そ、そしたら、お姉ちゃんが、洗面所で、死んでたの」 (洗面所……)  洗面所には普通鏡がある。 「お、お姉ちゃんが、『もしかしたら近いうちに私に何かあるかも知れない。もし何かあったら、まずこなたに連絡しなさい』ってね、言ってて、でね、今、こなちゃんに……」  携帯を持つ手にぐっと力が籠った。かがみはこなたの『ただならぬ事』が自分に降りかかるかもしれないことを予測していたのだ。それを見越して付き合ってくれていたのだ。  心中で何度もかがみに謝罪しながら、低い声で言った。 「待ってつかさ。ホントに死んだの? 脈も無いの?」 「え……」 「いい、つかさ。落ち着いて。ゆっくり深呼吸して。……もう一回。……そう、落ち着いた? そしたら、かがみの胸に耳当ててみて」 「う、うん」  不意に恐ろしいほど冷静になったこなたの声に、つかさは引き込まれる様に指示に従ったらしい。やがて少し明るい涙声がした。 「う、動いてるよ。生きてるよぉ」  それを聞いただけでこなたも魂が抜けたように手から力が抜け、携帯を落としそうにさえなったが、自身も一つ深呼吸をして今の状況を尋ねる。 「お父さんとかはいないんだよね?」 「うん、皆いない。私とかがみお姉ちゃんだけ。皆お仕事があってさっき出掛けたの」 「いつ頃帰ってくるの?」 「晩御飯の時まで来ないよぉ」 「わかった。じゃあ、まずかがみを部屋にでも運んであげて。それで私から連絡があるまでかがみの側にいてあげて。救急車とか警察は呼ばなくても大丈夫だから」 「だ、大丈夫なの?」 「大丈夫だから。信じて。ね?」 「う、うん」 「それともう一つ。鏡とかは絶対見ないでね」 「お姉ちゃんを?」 「そうじゃなくて、鏡ね。映るやつ。洗面所にもあるでしょ。他にも、窓ガラスとか、水面とか、テレビとか、自分が映っちゃうものは絶対見ないで」 「な、何で?」 「いいから。つかさはうっかりが多いけどさ、こればっかりは絶対に守って。いい、絶対、ぜ~ったいだからね。鏡とかに映った自分を絶対見ちゃだめだから」 「わ、わかった。気をつけるよ」 「気をつけるだけじゃ駄目!」 「えっ」 「絶対!! 絶対駄目だからね!! わかった、絶対だよ!!」 「う……」 「これを守らないと、私と連絡が取れなくなっちゃうかも知れないから。かがみが助けられなくなっちゃうかもしれないんだよ。それでもいいの!?」 「そ、そんなの嫌だよ」 「それなら、私が言ったこと、絶対守ってね! わかった!?」  洟をすする音が聞こえ、一拍おいてから、凛とした声が返ってきた。 「こなちゃん、わかったよ。約束する。待ってるから」 「うん、待ってて。私も、絶対何とかしてみせるから。後携帯の画面にも気をつけてね。斜めから見れば自分が映らないから大丈夫」 「うん!」  電話を切ると、すぐさまみゆきにも電話をかけた。 「もしもし、泉さんですか?」 「あーみゆきさん。今時間ある? なくてもちょっと作って欲しいんだけど」 「大丈夫ですよ。何ですか?」 「今非常事態が発生したんだけどさ、是非みゆきさんの助けが要るの」 「非常事態……ですか?」 「そ。まず、この電話を切ったら、つかさに電話して欲しいの。ただ電話するだけでいいから。詳しいことはつかさにその時に聞いて」 「は、はい」 「それで二つ目。それから一時間毎に……いや、三十分毎に、つかさに電話をかけて欲しいんだけど」 「三十分毎ですね。わかりました」  これは、誤ってつかさが鏡などを見たときのための対処である。もし連絡が取れなくなったら、すぐさま柊家に向かうように頼んだ。みゆきもうっかりが少なくないが、一度真剣になれば誰よりも信頼できる。きっとやり遂げてくれるに違いないという思いがあった。  こなたのただならぬ覇気を鋭く感じ取ったらしく、既にみゆきの声は毅然としたものになっていた。 「さっきも言った通り、非常事態だから、うっかり忘れたってのは許されないから。ホントにお願いね」 「わかりました」 「そして三つ目、これはもっと重要なことなんだけど、鏡とか、ガラスとか、テレビとか、自分の姿が映るものは絶対見ないで」 「自分が映るもの……ですか?」 「そ。映るものって周りにいくらでもあるから大変だと思うけど、これは一番重要なことだから。絶対守ってね。かがみん家行く時なんかは特に厳しいと思うけど、お願い」 「わかりました。……泉さん」 「ん?」 「何があったのかわかりませんが……泉さんも気をつけて下さいね」 「……うん。休日だってのにいきなり変なこと頼んでごめんね」 「そんなことありません。私は大丈夫ですから。……さぁ、非常事態なんですから」 「うん。じゃあよろしくね」 「はい」  電話を切った。つかさの時より言葉が少なくて済んだのは、やはりみゆきが精神的に大人だからだろう。理由も聞かず承諾してくれた親友に感謝しつつ、携帯と財布を握って部屋を飛び出した。 「おとーさーん、ちょっと出掛けてくる! お昼は適当に済ませるから!」 「えー?」  どこ行くんだ、と聞く前にこなたは家を飛び出していた。父やゆたかにも害が及ぶかもしれないが、伝える時間も惜しかった。  今日は朝から雨模様だし、二人とも外に出る用事もないようである。万が一のことがあっても、外からはそれはわからないだろう。その方が良い。誰にもばれないほうが良い。  仮に気付かれて救急車で運ばれても、最新の医療は、幽霊相手の医療技術を持っていないだろう。 (そんなことになる前に……!!)  冷静に考えれば、夜まで待って、かがみの親にでも相談する方がはるかに安全だったはずである。冷静な指示を出したように見えてこなたも相当熱くなっていたのは間違いない。  事実廃屋に向かう途中、こなたは恐怖ではなく怒りしかなかった。 (多分)この世のものではない癖に、自分はおろか、よりによって親友達に害を及ぼすなんて、と頭は沸騰寸前だ。  廃屋の前に立った時、流石に一度立ち止まったが、力強く踏み込んだ。雨の日の廃屋は暗くて一層不気味だった。  二階に上がり、あの部屋に入った。床には椅子が転がり、鏡が散乱したままだ。  その破片のうち大きい一つに目が止まった。  人を小馬鹿にしたような顔の自分が映っている。  隣の小さい鏡も、更にその隣の細長い鏡も、全て憎たらしいばかりに微笑している。 「あんたの鏡ぶっ壊したの、私でしょ。憎たらしいなら、私だけに仕返しに来てよ」  怒りでこなたの小さい拳が震えている。鏡の中のこなたは相変わらずにやにやと不敵な笑みを崩さない。 「……かがみ返してよ。あんたにとってのこれと」  と、視線を合わせているやや大きめの破片の中に居るこなた自身を指差す。 「同じくらい大切な友達なんだよ。返してよ……」  と、不意に鏡の中の人物の口が動いた。  突然のことの上に一言だったため、読み取れなかった。 「な、何?」  慌てて鏡に向かって聞く。するとまた口が動いた。 「……?」  読唇術など習得していないため、やはり読み取れない。鏡の中の人物がむっと不機嫌そうな顔になった。  今度は鏡の中からこなたを指差して一文字ずつパクパクと口を動かした。 「な、お、し、て……『直して』?」  途端にまた不敵な笑みに戻る。今すぐ直せと言うことだろうか。そう言われてもこなたは当然そんな技術などはない。  この破片を全部拾い集めるのも困難ならば、職人でも完全修復は困難だろう。しかしこなたは素早く部屋を飛び出し、すぐに戻ってきた。  その手には近くのコンビニで買ったセロハンテープ。 「これで文句ないでしょ。不満なら後でスティックのりでもアロンアルファでも使ってやるから」  セロハンテープを示し、半ば喧嘩をふっかけるような口調で言ってやったが、依然として不敵な笑みを崩さない。逆に言えばセロハンテープでも良いという意思表示でもあるようだ。  特に口元が動かないのを見ると、ガラスの破片の上に座り込まないように床を適当に吹いてから座り、大きい破片を二つ三つ引っ張ってきた。  いつの間にか出入り口がなくなり、あの時と同じように四方が壁に囲まれている。 「……そんなことしなくても、逃げやしないよ」  非常に難解なパズルゲームの開始だ。  端と思われる部分を重点的に拾い、大きい破片同士でくっつきそうなのを探すという、王道ながら気の遠くなるような単純作業が続く。  完成されるのが目的のパズルではないから、破片が二つくっつけるだけでも相当な手間がかかる。  それでもこなたは黙々とパズルを続けた。  破片によって指に傷がつくと、その傷から血を少し吸ってセロハンテープで巻いた。  いつしか両手とも、巻かれたセロハンテープでつやつやしてしまっていた。  同時に、すっかり粉砕されていた鏡は少しずつ元の形を取り戻していった。  こなたがうなだれてしまった時、その目の前には九割方形作られた鏡があった。ここまで出来たのは奇跡的ともいえた。  しかし後の破片はいずれも小さく、豆粒のようなものや細長くてどこにでもあてはまりそうなもの、更には蚤のように小さいものしかない。  無理矢理繋げ合わせるのも難しいし、蚤のような破片などは全て集めるのも不可能だろう。  それでも最後の気力を振り絞り、粉のような破片をかき集める。  その時、三角形の破片に触れてしまい、痛みに手を引っ込めた。細菌が入らないようにと傷口を少し絞ったが、セロハンテープを拾おうとして手が止まった。  今集めた破片は、全部合わせても一円玉程の面積も再現できそうにない。  遂に、傷口を押さえている手にぼろぼろと涙をこぼし始めた。最後の気力は小さい破片一つで途切れてしまった。  肩を震わせ、嗚咽した。これほどまでに泣くのは何時以来かこなたも覚えていない。 「無理、だよ……」  無理なことは最初からわかっていることだ。その無理を押し通して親友を救おうとしたが、無理なものは無理だった。 「お願い……許して……」  力なく呟いた。これ以上続ける体力も気力も尽きていた。昼食もとらず、冷たい床に体温を奪われながら数時間無数の破片を睨みつけていて、最早疲労困憊だった。  出入り口を封鎖され、電波も届かないはずの密閉空間に、こなたの携帯の着信音が響いた。  驚いて画面を見ると、つかさからだ。急いで電話に出る。 「こなちゃん!!」  涙声だが大きい声がして、思わず顔を離した。 「お、お、お姉ちゃんが、目を覚ましたよぉ!!」 「……え」  一瞬言っている意味が理解出来なかった。つかさの言葉がゆっくりとこなたの脳に染み渡り、やっと理解したとき、別の声がした。 「もしもし、こなた? 私」 「かがみん……」  ふと見ると、出入り口があった。手元に目を落とすと、つぎはぎの鏡に涙で濡れた自分の顔が映っていた。 「おいこなたー、聞いてるの?」 「あ……」 「もしもーし。おーい。聞いてるかー?」 「かがみん……」 「お。返事くらい……」 「よかった……」 「え?」  また涙が溢れた。そのまま二、三分またぼろぼろと泣き続け、電話の向こうのかがみを困惑させたが、何とか落ち着きを取り戻した。 「……体は何ともないの?」 「まーね」 「詳しいことは明日話すよ。全部明日話すから」 「勿論そのつもりよ。一から十まで、全っ部話してもらうからね」  通話を終えた。まだ正午にもなっていなかった。 「ただいまー」 「おぅ、お帰り」  昼食の良い匂いに、それまで抑制されていた食欲が一気に湧き出て、腹の虫が鳴った。 (っと、やばい。これ見られたらお父さんびっくりしちゃうよ)  と、指に巻いたセロハンテープをはがそうとして、あっと驚いた。  傷など全くなかった。はがしても、いつも通りの柔らかい皮膚がある。傷跡もなかった。  妙なもので、すぐに夢だと分かった。同時に、夢の中で対峙している自分の姿をしたものが、例の人物だということも何故か理解していた。  ただ少し違うのは、その人物が昼間と違いばつの悪そうな顔で頭をかいている点だ。 「いやー、ホント悪気はなかったんだけどさ」 「は?」 「だってさ。一人であそこにいたらやっぱ暇じゃん? だからちょっとからかっただけなんだよね」 「は?」 「そしたらまさか鏡ぶっ壊されるなんてさぁ」 「ちょ、ちょっと待った。からかったってどういうこと?」 「いや、悪戯心と言うか。ねぇ」 「……つまり、あんたのお遊びで閉じ込められて死ぬ思いしたってわけ?」 「いやー、まー、そうだといえばそうかな? あははは」  俄かに昼間と同様の怒りがこみ上げてきて、こなたは飛び掛った。 「おわっ!? ちょ、ちょっと、うひゃはは、くすぐったい!」 「うるさーい! くらえー!」 「ごめん、ごめんって! そ、そっちだって私の鏡ぶっ壊したじゃん!」 「あんたが余計なことしなけりゃ割りはしなかったっての!」 「いや、だからまさか、ってくすぐったい、許してー!」  暫くいじめてやった後解放してやった。相手は息も絶え絶えだ。 「はひぃ……」 「全くもぅ。もうこんなことしないでよ」 「し、しないってば。お詫びにそれあげるからさ」 「それって?」  前日までと違い良い目覚めだった。疲労もあって早めに寝たことと全て解決したことが影響しているのはいうまでもない。  もぞもぞと起きてPCのディスプレイを見ると自分の顔が映った。しかし意識が飛ぶこともなく、眠そうな自分の顔がいつまでも映ったままだ。  キーボードの隣に三センチ四方くらいの鏡の破片が置いてあった。  いつ、誰がこんなものを置いたのだろう。  翌日午後、柊家にて、みゆきも呼んで、一連の出来事を全て話した。 「嘘みたいだけど、ホントの話だから」 「そんなことがあったんだぁ……」 「なるほどねー。確かにただごとじゃなかったみたいね」 「でも、皆さん無事で良かったです」 「いや。結局かがみを巻き込んじゃったわけだし。ホントごめん」  テーブルに頭がつくほど頭を下げた。 「そ、そんな改まって謝らなくても良いって。何とかなったわけだし」 「あ、こなちゃん、髪の毛がお茶に入っちゃうよ」 「あ」  アホ毛が対面のかがみのお茶に入りそうになっていた。 「なーにやってんのよ」 「いや、かがみん、これを通じて私の愛がそのお茶に」 「やめんかい」 「まぁ、それはともかく」  ポケットから取り出したのは、四つのお守りである。 「お守りですか?」 「そ」  今日の午前中に作ったものだ。  まず金のこで鏡の破片を四分割し、次に粉末を洗い落としてよく拭いた後綿で包み、最後に布を使って外側の入れ物を作ったのである。 「私の愛が籠ってるから、ご利益はないかもしれないけど、ちょっとした厄除けにはなると思うから」 「わぁ。こなちゃんありがと」 「ありがとうございます」 「へー、上手いじゃない」 「かがみも練習すれば、これくらいパパっと作れるようになるって」 「よ、余計なお世話よ!」  約二週間ぶりの明るい雰囲気だった。  受験も近くなった晩秋、鞄にその手製のお守りをつけていたつかさだが、登校中に一度紐がほどけて落ちたことがある。  拾ったは良いが、慌ててしまいなかなか結び付けられず、呆れられたかがみに結び付けてもらった。  そして、既に青に信号が変わった横断歩道を渡ろうと一歩足を踏み出しかけたその瞬間、二人の目の前をわき見運転のトラックが速度を落とさず通過していき、電柱に衝突した。  怪我人は運転手だけで、運転手も骨折などの大怪我はしたものの命に別状はなかった。  偶然か霊験かは不明だが、親友がそのお守りによって一度助かったのは事実である。  勿論、今でも四人ともお守りは持ち歩いている。  四人とも大学に合格して、合格祝いということで街で遊んだ後、不意に思い出してあの廃屋を(入る気はないが)もう一度見に行こう、という話になったことがある。  しかし、その廃屋はどこにもなかった。  だけでなく、どう歩いても、そのような地区すら見当たらなかった。  廃屋の近辺にあった家々も、清涼飲料やセロハンテープを買ったコンビニも見当たらなかった。  帰ってから地図を開いても、グーグルアースで見ても、それらしい地区などなかった。  お守りの中にある小さな鏡の破片が、四人の元に残っているだけである。

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