ID:+AnOJenx0氏:事変

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 心変わりなんて簡単にしてしまうものである。  「親切」を「偽善」に変えることは容易い。例え誰かが自分をどんなに慕ってくれたって、どんなに助けてくれたって、「あいつはお前を出世のための道具としか捕らえてない」と一言耳に吹き込まれてしまえば、そいつのことを信用することなんてできなくなってしまうだろう。  「偽善」を「親切」に変えることも容易い。例え誰かが出世に利用しようと自分にいい顔で近寄ってきたところで、「あいつは誰にでもああやって優しくしてやってるいいやつなんだ」と一言耳に吹き込まれてしまえば、そいつのことを簡単に信用してしまうだろう。    何よりも恐ろしいのは、心変わりの媒体となった情報の「真偽性」が問われないことである。 【 事変 】 「この中の誰かが盗った……とは考えたくないですが」  口火を切ったのはみゆきだ。右手を頬に当て、おずおずと話した彼女に視線を向けたのは、こなた、つかさ、日下部、峰岸、そして私の五人。皆が皆いい顔をせず―――特に私に関しては一番怖い顔をしていたのだろう―――そちらを向いたので、みゆきは「す、すみません……」と小さな声で言った後、顔を俯けてまた押し黙ってしまった。  事件は至って単純だ。私の財布の中にあった三万円。それがこなたの部屋に集まってからのこの三時間のうちに、きれいさっぱり無くなってしまったのである。百円二百円程度ならまだしも、数万円単位に上ってしまっている以上大問題である。先ほどまで部屋の中のありとあらゆるところを六人全員で探していたのだが、見つかるはずもなく。気づけば誰が指示したわけでもないのに、部屋の机を中心に座り込んで、皆押し黙っていた。  みゆきの言ったこと。それはこの中の六人、誰もが考えたくもないことなのかもしれないこと。しかし、残念ながら私は既にそうとしか考えられない状況に陥ってしまっていた。この部屋についてから、財布は外に持ち出されてはいない。しかし、中の三万円だけが、この部屋から喪失している。三万円がないことを発見するまで財布は開いてすらいないのだから、落っことしてしまったとも考えられない。この捻じ曲げようのない事実から打ち出される合理的判断、そこにお金が無くなってしまったことに対する哀しみ、怒り、焦りといった感情も相まって、私の思考はそれだけに凝り固まってしまっているのである。凝り固まった思考は私の中に「猜疑心」という太い芯をつくってしまったようだ。  しかしそんな思考を表に出すことを私はためらった。珍しく真剣な、しかし棘を感じさせないような表情のこなた。先ほどの発言の後から変わることなく、俯いたままのみゆき。困ったようにきょろきょろと視線を泳がせるつかさ。口をへの字に曲げて、険しい表情を浮かべる日下部。重たい空気に押しつぶされてしまうかのように、身を屈めて小さくなっている峰岸。私の視界に入っている五人の様子を見ていると、疑わしさと同時に潔白さも感じてしまう。私は、犯人でないものを犯人扱いしてしまうことが何よりも怖かった。闇雲に人を疑っていては、見えているものさえ見えなくなることは無論だ。そして当然のことだが、潔白のものを犯人扱いして信用を失うようなこともしたくない。私の「良心」が「猜疑心」をわずかに上回っているおかげで、私はほかの者同様に押し黙るという行動をとることができていた。  続く沈黙。部屋に充満する重たい空気が、ここに存在している表情をくぐもらせる。夏のむしむしした暑さを避けるために稼動させている冷房の空気が嫌に冷たく、そして妙に澄んだ匂いがする。副産物として生まれているうなり声のような音が、唯一耳に入り込んでくる。  今すぐにでも、この「猜疑心」を外に出してもよかった。だが犯人を特定するには、誰かを疑うには、情報があまりに少なすぎていた。私は自分の中でぐつぐつと煮えたぎっているこの感情を表に出す機会を虎視眈々と狙っていた。 三分ほど経ったところで、私の左隣に胡坐をかいて座っていたこなたが、物憂げにたまった息を吐き出す。ほへぇという緊張感のない音が不要な位に響く。部屋の中で起こった小さな変化に皆が目をやったところで、 「疑いたくはないけどさ、もし誰か持ってるんだったら早く出しちゃったほうがいいよ~。かがみん怒ると怖いしさ~」  そう言った。いつも通り。冗談ともとれるようなこなたの口調は毎度ながらに一切の棘を感じない。  しかしこの瞬間、私の猜疑心が、私に行動を起こさせる。 「こなた」 「ん?何?」 「……あんたのポケットの中、確認してもいい?」  私の声は震える様子も上擦る様子も無かった。極めて冷静を装って、私はカードを切った。正面に座っていたつかさが驚いた顔を向けるが、私はそれに反応することもなく、曇った目をこなたに向け続けた。 「……疑ってるの?」  同時にこなたの表情も複雑に変化する。呟くように発せられた言葉は私の良心を刺激した。私と同様に、こなたも曇った表情を見せ始める。しかし、私は自分の打ち出した合理的な判断を信じてさらに言葉を紡ぎ出す。 「あんた個人を疑っているわけじゃない。「言いだしっぺが一番怪しい」っていうでしょ?沈黙の口火を切ったのがあんただったから、それだけよ」  実際のところ、私はこなたをそれほど疑ってもいなかった―――といっても完全に信用できる状態ではないのだが―――。「言いだしっぺが一番怪しい」。安い推理小説などにありがちな文句だが、このような状態に陥った時はこの行動が定石だと言えるはずだ。ただ単純に切るべきカードを切っただけであり、闇雲に猜疑心をぶつけるような悪行だとは、私は毛頭思っていない。 「ふぅん」  ま、いいけどね。続けてこなたはそう言った後、ゆっくりと立ち上がると、自分の服についているポケットをすべて裏返してみせた。単純だがじつにわかりやすく潔白を示す手段であり、同時にこなたらしいとも感じる。 「私は盗んでないよ、かがみ」  すべてのポケットが裏返ったのを確認し、くるりと一回転まわってからこなたはそう言った。罪悪感を持ってはいなかったのだが、言葉を放った時のこなたの表情が目に入った瞬間、私の良心からずきりという音が響いたのを私は感じた。言葉選びを忘れた私は、 「ん」  と言葉にもならない頷きをして、こなたから曇った目を逸らした。私の対応のせいか、自分が一番初めに疑いをかけられたせいか、はたまた重たい空気のせいかは知らないが、こなたはいつものような飄々とした表情をバッサリと切り捨ててしまったようである。しかし、私が納得したと言うことは理解してくれたようで、ポケットをすべて中に仕舞い込むと、またゆっくりと腰を下ろした。  一枚目のカードを切ることに成功したおかげで、幾分か次のカードを切りやすくはなった。私はこなたから逸らした曇った目を右隣の人物――峰岸に目を向ける。 「峰岸、あんたの番」  こなたに告げた時よりも気分が幾分楽なのは、こなたに疑いをかけたことで、自分の猜疑心を一度表に出したからだろうか?私は先程よりも少し身の丈にあった「冷酷さ」というマントを纏って、峰岸に向かって言葉を発した。 「柊ちゃん、私も犯人候補にあがってるの?」  峰岸は困ったように笑いながら、そう返す。被疑への応対が、こなたよりも幾分余裕があるように感じられた。いつもは安心できる笑顔だが、今については形容しがたいものを感じてしまう。 「隣に座ってたからよ。近くに座っている人の方が犯行は行いやすい、でしょ?」  ここでも私は合理的判断に従った。猜疑心を表に出しながらも、良心を庇う余裕はまだ持ち合わせているようである。あくまで峰岸という個人に疑いをかけたわけではない事を切に主張した。  私の意図が伝わったか伝わらないかはさておき、峰岸も素直に従った。こなた同様、ゆっくりと立ち上がると、両手を真横に広げ、私に身体を預けた。    そして果たして峰岸も、潔白であった。 「お姉ちゃん……もういいでしょ……?」  峰岸が腰を下ろし、私が曇った目を逸らしたあたりで、声をあげたのは正面に座っていたつかさである。困惑の混ざったその言葉は蚊の鳴くように小さなものであったが、私の中では確かに、はっきりと、大きく響いた。膨張しつつあった猜疑心が瞬間表に出ることを拒み始め、小さくなりつつあった私の良心は、ここぞとばかりに音を立てる。 「きっと誰も盗んでないよ……そんな風に人を疑うなんてよくないよぉ……」  つかさの声が上ずり始めたのは、感情を表に出さないようにせき止めていたダムが崩れ始めているからなのかもしれない。とめどなく溢れる小さな言葉の数々には、マイナスにベクトルが傾いた感情が隠されることなく含まれていた。  こなたを疑った。峰岸を疑った。みゆきも日下部もまだ疑っている。しかし、つかさの発した言葉は私の猜疑心を確かに怯ませた。疑うのはよくない。この中に犯人は誰もいない。そして私自身、これ以上はもう疑いたくない。そんな感情でさえ、ふつふつと浮き上がってでてきそうである。  思えばつかさはこういう子だった。騙されやすい、鵜呑みにすると私はよく言っていたのだが、つかさは決して人を疑おうとしなかった。猜疑心を表に出さない。仮に誰かが原因だったとしても、彼女は怒らなかった。「わざとじゃないもんね」。そう言って、必ずその人のことを考えていた。  私にはこういった配慮が足りない。つかさの言うことは確かに正しい。もう一度部屋を探してみよう。曇りがかった瞳を一度透明なものに戻そうと目を閉じる。少し考えを落ち着かせようと大きく息を吸う。 「続けるべきだよ、かがみ」  しかしそんな中耳が捉えたのは、抑揚のほとんど感じられないこなたの言葉だった。 「こな、ちゃん……?」 「この中に犯人はいないんでしょ?なら全員調べても問題ないじゃん」  驚愕。意外。そんな単純な感情を頭に巡らせながら私は目をゆっくりと開ける。中心に映ったのは、機会的に口を動かして言葉を紡ぎ出すこなたの姿。いつものような飄々とした笑顔でも、先程のように複雑に変化していた顔でもない。「人形」と比喩することがおそらく最も正しいだろう「無表情」。こなたの顔を覆っていたのはそんな簡単で、しかし絶対的なものであった。  その瞳は、私と同じように曇りがかって。しかし、ぶれることなく真っすぐとつかさを見据えている。 「なんで……なんでこんなことさせたいの!?」 「なんでやめさせたいの?」  つかさの震える声にも、容赦なく切り返す。こなたの「冷酷さ」は私のものよりもずっとその小さな身の丈に合うものであった。カードを切るその顔に一切の迷いも感じられない。 「つかさ、私たちは誰も盗ってないんでしょ?でもかがみは私たちを疑ってる……しょうがないよね、大事なお金がなくなっちゃったんだもん。疑いたくもなるよね」  見据えられていたのはつかさであったが、その言葉はつかさではなく、私を捕えた。平坦に流れ出る抑揚のないそれは、私が表に出していた猜疑心を縄で縛って締めつける。心の奥に戻ろうとしていたこいつを吊るしあげ、晒してやるかのように。 「かがみの疑いたい気持ちは、全員が潔白であることを示さなくちゃ、無くなんないよ。今やめたら……ダメだよね?」 「こなちゃん!」 「それとも……」  冷酷に。確かに。こなたの声はトーンを下げる。 「つかさは誰が盗ったか知ってるから、そんなこと言ってるのかな?」  つかさは最後に小さい、小さい悲鳴を上げ、それきり何も言わなくなった。 「さ、続けよ、かがみ」  こなたはまだ冷静だった。彼女の行動は確かに正しいものである。私の猜疑心を「処刑」する。そのための一番確かな手段をひたすらに遂行しようとしたのである。  しかし、こなたの行動を私は受け入れることを拒んだ。それは表に縛り上げられた猜疑心が、ひたすらに心の奥に戻りたがっているから。そして、心の奥に閉じ込められた良心が、ひたすらに表に出たがっているから。 「かがみ」  しかし、この猜疑心を心の奥にしまうことはもう許されていない。良心がどんなに大きな音を立てて扉を叩いても、今、私が表に出しているのは猜疑心であるのだから。 「……日下部」 「続けんのか?」  視界に入る日下部に強く、鋭く、そして険しい瞳。 「……こなたの言う通りよ、あんたたちが全員潔白だと、言いきれるのなら続けるべきじゃない?」  それでも私は、もう引き下がることなんて、できなかった。  日下部も、続けてみゆきも、私の指示に素直に従った。そして、この二人を調べ切っても、やはり三万円は出てこなかった。  「後は……」  私は再びその目を自分の真正面に向けた。頭を傾け、あれきり俯いたままになってしまっているつかさにもう一度目を向ける。思いだしたかの様に、再び良心が激しくドアを叩き始めた。  できればつかさに疑いをかける前に三万円が見つかって欲しかった。あわよくば、ここまでの誰かが盗っていたことになった方が私の気持ち的にも楽だったのかもしれない。誰も盗ってなんていない。疑うことなんてやめよう。懇願したつかさの姿が脳裏から離れず、私はその後の一言を発することができずにいた。 「かがみ」  こなたの声。相も変わらず抑揚のないそれは、私の猜疑心を縛りあげた縄をより締めつける。合理的に考えれば、今一番犯人である可能性が高いのはつかさで間違いない。しかし、そこまでわかっていても、こなたの押しの一手が合っても、私は動けずにいた。 「かがみったら」 「つかささんは……盗ってないと思いますよ」  私の身体を、金縛りのようなものから解放してくれたのは、みゆきの声であった。ふいと顔をあげ、表情に見せたのはひとかけらの、しかし強い勇気。耳を疑う私の方にそれを向け、みゆきは続ける。 「皆さんだって知っているはずです。つかささんは嘘をつきません。人を疑いません。いつものつかささんを見ていればわかると思います。少なくても私はそう思います。……そんなつかささんが、ましてや大好きなかがみさんのお金を黙って盗ったなんて思えません……かがみさんだって辛くありませんか?妹であるつかささんを疑うなんて」 「そうね……ひーちゃんはやってないと私も思うよ」  みゆきの言葉に、続くのは峰岸の言葉。 「ううん……ひーちゃんだけじゃない。泉ちゃん、高良ちゃん、みさちゃん……みんな柊ちゃんが大好きだもん。誰もそんなことしないんじゃない……?最初から皆を疑うことが間違いだったんだって……。きっとつかさちゃんを調べたって三万円は出てきたりしない。もうこんなことやめて……もう一回部屋の中を探さない?」  みゆきの表情から感じるものが、強い勇気だとすれば、峰岸の表情から感じるものは深い慈悲だった。二人の言葉は小さな石となり、私の心の中に投じられ、小さな波紋を起こした。  辛かったから。やめたかったから。これ以上人を疑いたくなかったから。猜疑心を締めあげられても、動けなかったのはそれだった。冷酷にカードを切った?合理論だから疑っているわけじゃない?そんなのは嘘だ。私の今にまで行ったことはすべて、悪行と言っても過言ではないだろう。人を疑うこと、それはとても辛いことで、いけないことだった。  良心が扉をこじあけ、縛り上げられた猜疑心の横に並ぶ。もうよそう。やめよう。二人の言葉を聞いて確かにそう感じた。今、それを許していないのは、私の猜疑心じゃない…… 「かがみ、でも、続けるんでしょ?」 「こなた……もういいわ、やめましょう」  私は、ゆっくりと、しかしはっきりと、言葉を発した。 「なんで?……もしかしてみゆきさんと峰岸さんの言葉を聞いたから?……でも今はつかさが犯人の可能性が一番高いんだよ?」 「こなた……犯人が誰とかそうじゃないの」 「何を言ってるの?違うよ、騙されてるんだよ!」  こなたの声調が少しずつ大きくなってくる。思わず私は重たい空気と言葉を飲み込む。 「大体、つかさが疑われそうになった瞬間にみゆきさんと峰岸さんがそんなこと言うの?自分たちも疑われたのに、そんな風にかばうの?もしかしたらつかさが犯人かもしれないのに?ねえ……」 「こなた……」 「もしかして、三人でグルになってお金を取ろうとしてるんじゃないの!?だから、つかさばっかり庇って」 「おいちびっ子!!」  言葉をまくしたてるこなたを一声で止めたのは日下部の声。張りつめた空気が一度吹き飛んだかのように感じる。 「誰かを疑ってんのは、もうちびっ子だけだよ。どうしてそんなにつかさを疑ってるんだ?」  強気な口調で、しかしまるでいつもと変わらないかのように話す日下部に、こなたはきっと顔を向けている。悲しみと怒りが混じったその顔を見ても、日下部はすんなり言いきった。 「もしかして、自分が最初に疑われたから、嫉妬してるだけなんじゃねぇの?」  静寂に響いた日下部の声を上書きするかのように、突然大きな音が拡散した。部屋の中心の机に、こなたの小さな左手が叩き下ろされた。言葉にするのは簡単だが、この場にいる全員の意識をそちらに集中させるには十分なものである。 「嫉妬するに決まってんじゃん!!!自分が犯人じゃないのに真っ先に疑われて!!!犯人かもしれない人が疑われないなんてさ!!!!」  続いて響いたのはこなたの怒声………いや、悲鳴だった。「冷酷さ」なんてとうに放り出しており、そこにいるのは、ありのままのこなた。 「私の時は、誰もそんなこと言わなかったじゃん!!!それって私が犯人っぽかったから!!?かがみが私を最初に疑ったのもわたしが犯人っぽかったから!?」  痛いくらいに響くこなたの声は部屋中を支配し続ける。 「こんな風に私たちの友情を崩されて!!!それでも自分は友情を笠に着て守られて!!!!疑いたくはないけど……でもそうだと思うと!!!許せないんだよ!!!……もしかしたら、犯人はいないかもしれないよ、っていうかいない方がいいよ。でももしかしたら……いるかもしれないじゃん!!!そんな……汚い奴がさ!!」  こなたの心はもう壊れていた。裂けんばかりに、心に溜まったものをそのまま吐き出し続けた。目からは熱い雫がとめどなく溢れ、振り下ろしてそのままの左手が、小さく震えていた。 「だから!!!」 「こなた!!!」  こなたがしていたことは悪行なんかじゃなかった。こなたは自分の為に、みんなの為に、なによりも私の為に、「正義」を貫こうとしただけだった。疑うことは悪くない。悪いのは疑いを引き起こした犯人なんだ。そんなことをずっと、こなたは心の中で響かせ続けていたんだろう。  だから、私は大きな声で、叫んだ。こなたの悲鳴をせき止めた。私はこなたの出したSOS信号に、答えなくてはならない。こなたの「正義」を否定せず、肯定してやらねばならない。 「わかった……もうわかったから……つかさ」 「え………?」  私の声で、顔をあげるつかさ。そして気づくのは、涙を流していたのが、こなただけではなかったこと。つかさもまた、沈黙を貫きとおす中で、様々な思いが自分の内側をめぐり、そして溢れだしてしまったのだろう。  私はゆっくりとつかさに近づいて、両肩にそっと手をおく。 「ごめんね、つかさ。これから私の言うことを聞いて欲しい」 「………」 「私はつかさは疑ってない。……だけど、まだ、もしかしたらこの中に犯人がいて、怖いと思ってる部分もあるの」 「………」 「こなたもね、つかさを疑ってるんじゃなくて、そう思ってたから、あんな風に言ったんだと思う」 「………」 「だから、この中に犯人がいないこと。それだけ……それだけでいいから、確かめさせて、くれない?」 「おねえちゃん………」 「あんたが持ってるはずないわ。それはわかってる……けど、ちょっとだけ協力してほしいの」  強く。強く。 「また、みんなと普通に笑いあえるようになりたいから、ね?」 「……わかった、いいよ、おねえちゃん」  つかさがゆっくりと立ち上がる。私の顔を見ると、にっこりと笑ってくれた。そして、 「こなちゃん……ごめん……」  こなたの方を向くと、小さな声で謝った。 「………ううん、私もつかさにすごくひどいこと言った。……ごめん」  交わされる謝罪。しかしこれで、また少し空気が軽くなる。わだかまりが薄まっていく。もう一度私の方を向いて、にっこりと笑って、そして、両手を水平に広げる。  何もないことなんてわかってる。私は、安心して、つかさに触れた。 「え?」  スカートの右ポケット。  そこにあったものはまぎれもない。  三枚の一万円札。  無音の風にかすかにのって、それは一枚一枚意志が存在するかのように、ひらりひらりと舞った後、そっと地面に着陸した。 「あ、それは……」  嘘だ。 「これは、今日いく前にお母さんが……」  嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。 「つかさ……本当に」 「違うの!これは盗ったやつじゃない!お母さんに頼まれてて……」  嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。 「つかささん……」 「皆聞いて!盗ったやつじゃないの!!お母さんに」  嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。 「おねえちゃん!!!」  嘘だ。 「最低」  一言だけそう言って、私はこなたの部屋を出た。それから一人で、家に帰ったのだが、そこからの記憶がない。 「あら、かがみはもう帰ってたのね」  意識が戻ると、私は自分のベットに横たわっていた。瞼が重たく感じるあたり、眠っていたらしいのだが、お母さんの一言で、目が覚めたみたいだ。日が西日に傾いており、これ以上眠っていることはよくなかったのだが、私はどうも起きたくなかった。 「つかさは?一緒じゃないの?」  子を思う親心ゆえに浴びせかけられる普通の質問。しかし私はそれを答える気分ではなかった。頭も、身体も自分ではどうしようもできないくらいに重たくて、動かすことさえ億劫になっていた。 「かがみ、具合悪いの?」 「……そうっぽい」 「あら、そう……。じゃあ、後で晩御飯持ってきてあげるから、しっかり寝てなさい。それと……」  一瞬間が空き、響く。 「今日つかさに、払い込みの用事を頼んだんだけれど、泉さんのお家にいく前に一緒にいってくれた?」  思考が停止する。瞬間、身体が軽くなり、不可抗力的に上半身を飛びあがらせる。 「え?なにそれ?」 「あら、その様子じゃ言ってないのね。確かにあの子に三万円、預けたはずなのだけれど……」  変わらない声調で浴びせかけられたのは、捻じ曲げることなんてできない、衝撃の真実。 「さ、さん……?」 「まいいわ。後、三万円で思い出したけどかがみ、自分の部屋の机に三万円、置きっぱなしだったわよ!てっきり額が同じだからおいてったのかと思ったのだけれど……」  その後、もう二言三言述べた後、お母さんはまるで平和そうに、私の部屋の扉を閉めた。  誰もいなくなった私の部屋。ちらりと横目で確認すると、机の上から飛び立つ三枚の一万円札。  無音の風にかすかにのって、それは一枚一枚意志が存在するかのように、ひらりひらりと舞った後、そっと地面に着陸した。  どんなものを持ってしても、抑えられなくなってしまった大規模な事件を「事変」と言うらしい。 もしも、この一連の出来事が、すべて私の空想の物語であったならば。私はその作品に「事変」と名付けるだろう。 end **コメント・感想フォーム #comment(below,size=50,nsize=50,vsize=3) - こういうシリアスなのもいいな -- 名無しさん (2015-02-20 00:44:04)
 心変わりなんて簡単にしてしまうものである。  「親切」を「偽善」に変えることは容易い。例え誰かが自分をどんなに慕ってくれたって、どんなに助けてくれたって、「あいつはお前を出世のための道具としか捕らえてない」と一言耳に吹き込まれてしまえば、そいつのことを信用することなんてできなくなってしまうだろう。  「偽善」を「親切」に変えることも容易い。例え誰かが出世に利用しようと自分にいい顔で近寄ってきたところで、「あいつは誰にでもああやって優しくしてやってるいいやつなんだ」と一言耳に吹き込まれてしまえば、そいつのことを簡単に信用してしまうだろう。    何よりも恐ろしいのは、心変わりの媒体となった情報の「真偽性」が問われないことである。 【 事変 】 「この中の誰かが盗った……とは考えたくないですが」  口火を切ったのはみゆきだ。右手を頬に当て、おずおずと話した彼女に視線を向けたのは、こなた、つかさ、日下部、峰岸、そして私の五人。皆が皆いい顔をせず―――特に私に関しては一番怖い顔をしていたのだろう―――そちらを向いたので、みゆきは「す、すみません……」と小さな声で言った後、顔を俯けてまた押し黙ってしまった。  事件は至って単純だ。私の財布の中にあった三万円。それがこなたの部屋に集まってからのこの三時間のうちに、きれいさっぱり無くなってしまったのである。百円二百円程度ならまだしも、数万円単位に上ってしまっている以上大問題である。先ほどまで部屋の中のありとあらゆるところを六人全員で探していたのだが、見つかるはずもなく。気づけば誰が指示したわけでもないのに、部屋の机を中心に座り込んで、皆押し黙っていた。  みゆきの言ったこと。それはこの中の六人、誰もが考えたくもないことなのかもしれないこと。しかし、残念ながら私は既にそうとしか考えられない状況に陥ってしまっていた。この部屋についてから、財布は外に持ち出されてはいない。しかし、中の三万円だけが、この部屋から喪失している。三万円がないことを発見するまで財布は開いてすらいないのだから、落っことしてしまったとも考えられない。この捻じ曲げようのない事実から打ち出される合理的判断、そこにお金が無くなってしまったことに対する哀しみ、怒り、焦りといった感情も相まって、私の思考はそれだけに凝り固まってしまっているのである。凝り固まった思考は私の中に「猜疑心」という太い芯をつくってしまったようだ。  しかしそんな思考を表に出すことを私はためらった。珍しく真剣な、しかし棘を感じさせないような表情のこなた。先ほどの発言の後から変わることなく、俯いたままのみゆき。困ったようにきょろきょろと視線を泳がせるつかさ。口をへの字に曲げて、険しい表情を浮かべる日下部。重たい空気に押しつぶされてしまうかのように、身を屈めて小さくなっている峰岸。私の視界に入っている五人の様子を見ていると、疑わしさと同時に潔白さも感じてしまう。私は、犯人でないものを犯人扱いしてしまうことが何よりも怖かった。闇雲に人を疑っていては、見えているものさえ見えなくなることは無論だ。そして当然のことだが、潔白のものを犯人扱いして信用を失うようなこともしたくない。私の「良心」が「猜疑心」をわずかに上回っているおかげで、私はほかの者同様に押し黙るという行動をとることができていた。  続く沈黙。部屋に充満する重たい空気が、ここに存在している表情をくぐもらせる。夏のむしむしした暑さを避けるために稼動させている冷房の空気が嫌に冷たく、そして妙に澄んだ匂いがする。副産物として生まれているうなり声のような音が、唯一耳に入り込んでくる。  今すぐにでも、この「猜疑心」を外に出してもよかった。だが犯人を特定するには、誰かを疑うには、情報があまりに少なすぎていた。私は自分の中でぐつぐつと煮えたぎっているこの感情を表に出す機会を虎視眈々と狙っていた。 三分ほど経ったところで、私の左隣に胡坐をかいて座っていたこなたが、物憂げにたまった息を吐き出す。ほへぇという緊張感のない音が不要な位に響く。部屋の中で起こった小さな変化に皆が目をやったところで、 「疑いたくはないけどさ、もし誰か持ってるんだったら早く出しちゃったほうがいいよ~。かがみん怒ると怖いしさ~」  そう言った。いつも通り。冗談ともとれるようなこなたの口調は毎度ながらに一切の棘を感じない。  しかしこの瞬間、私の猜疑心が、私に行動を起こさせる。 「こなた」 「ん?何?」 「……あんたのポケットの中、確認してもいい?」  私の声は震える様子も上擦る様子も無かった。極めて冷静を装って、私はカードを切った。正面に座っていたつかさが驚いた顔を向けるが、私はそれに反応することもなく、曇った目をこなたに向け続けた。 「……疑ってるの?」  同時にこなたの表情も複雑に変化する。呟くように発せられた言葉は私の良心を刺激した。私と同様に、こなたも曇った表情を見せ始める。しかし、私は自分の打ち出した合理的な判断を信じてさらに言葉を紡ぎ出す。 「あんた個人を疑っているわけじゃない。「言いだしっぺが一番怪しい」っていうでしょ?沈黙の口火を切ったのがあんただったから、それだけよ」  実際のところ、私はこなたをそれほど疑ってもいなかった―――といっても完全に信用できる状態ではないのだが―――。「言いだしっぺが一番怪しい」。安い推理小説などにありがちな文句だが、このような状態に陥った時はこの行動が定石だと言えるはずだ。ただ単純に切るべきカードを切っただけであり、闇雲に猜疑心をぶつけるような悪行だとは、私は毛頭思っていない。 「ふぅん」  ま、いいけどね。続けてこなたはそう言った後、ゆっくりと立ち上がると、自分の服についているポケットをすべて裏返してみせた。単純だがじつにわかりやすく潔白を示す手段であり、同時にこなたらしいとも感じる。 「私は盗んでないよ、かがみ」  すべてのポケットが裏返ったのを確認し、くるりと一回転まわってからこなたはそう言った。罪悪感を持ってはいなかったのだが、言葉を放った時のこなたの表情が目に入った瞬間、私の良心からずきりという音が響いたのを私は感じた。言葉選びを忘れた私は、 「ん」  と言葉にもならない頷きをして、こなたから曇った目を逸らした。私の対応のせいか、自分が一番初めに疑いをかけられたせいか、はたまた重たい空気のせいかは知らないが、こなたはいつものような飄々とした表情をバッサリと切り捨ててしまったようである。しかし、私が納得したと言うことは理解してくれたようで、ポケットをすべて中に仕舞い込むと、またゆっくりと腰を下ろした。  一枚目のカードを切ることに成功したおかげで、幾分か次のカードを切りやすくはなった。私はこなたから逸らした曇った目を右隣の人物――峰岸に目を向ける。 「峰岸、あんたの番」  こなたに告げた時よりも気分が幾分楽なのは、こなたに疑いをかけたことで、自分の猜疑心を一度表に出したからだろうか?私は先程よりも少し身の丈にあった「冷酷さ」というマントを纏って、峰岸に向かって言葉を発した。 「柊ちゃん、私も犯人候補にあがってるの?」  峰岸は困ったように笑いながら、そう返す。被疑への応対が、こなたよりも幾分余裕があるように感じられた。いつもは安心できる笑顔だが、今については形容しがたいものを感じてしまう。 「隣に座ってたからよ。近くに座っている人の方が犯行は行いやすい、でしょ?」  ここでも私は合理的判断に従った。猜疑心を表に出しながらも、良心を庇う余裕はまだ持ち合わせているようである。あくまで峰岸という個人に疑いをかけたわけではない事を切に主張した。  私の意図が伝わったか伝わらないかはさておき、峰岸も素直に従った。こなた同様、ゆっくりと立ち上がると、両手を真横に広げ、私に身体を預けた。    そして果たして峰岸も、潔白であった。 「お姉ちゃん……もういいでしょ……?」  峰岸が腰を下ろし、私が曇った目を逸らしたあたりで、声をあげたのは正面に座っていたつかさである。困惑の混ざったその言葉は蚊の鳴くように小さなものであったが、私の中では確かに、はっきりと、大きく響いた。膨張しつつあった猜疑心が瞬間表に出ることを拒み始め、小さくなりつつあった私の良心は、ここぞとばかりに音を立てる。 「きっと誰も盗んでないよ……そんな風に人を疑うなんてよくないよぉ……」  つかさの声が上ずり始めたのは、感情を表に出さないようにせき止めていたダムが崩れ始めているからなのかもしれない。とめどなく溢れる小さな言葉の数々には、マイナスにベクトルが傾いた感情が隠されることなく含まれていた。  こなたを疑った。峰岸を疑った。みゆきも日下部もまだ疑っている。しかし、つかさの発した言葉は私の猜疑心を確かに怯ませた。疑うのはよくない。この中に犯人は誰もいない。そして私自身、これ以上はもう疑いたくない。そんな感情でさえ、ふつふつと浮き上がってでてきそうである。  思えばつかさはこういう子だった。騙されやすい、鵜呑みにすると私はよく言っていたのだが、つかさは決して人を疑おうとしなかった。猜疑心を表に出さない。仮に誰かが原因だったとしても、彼女は怒らなかった。「わざとじゃないもんね」。そう言って、必ずその人のことを考えていた。  私にはこういった配慮が足りない。つかさの言うことは確かに正しい。もう一度部屋を探してみよう。曇りがかった瞳を一度透明なものに戻そうと目を閉じる。少し考えを落ち着かせようと大きく息を吸う。 「続けるべきだよ、かがみ」  しかしそんな中耳が捉えたのは、抑揚のほとんど感じられないこなたの言葉だった。 「こな、ちゃん……?」 「この中に犯人はいないんでしょ?なら全員調べても問題ないじゃん」  驚愕。意外。そんな単純な感情を頭に巡らせながら私は目をゆっくりと開ける。中心に映ったのは、機会的に口を動かして言葉を紡ぎ出すこなたの姿。いつものような飄々とした笑顔でも、先程のように複雑に変化していた顔でもない。「人形」と比喩することがおそらく最も正しいだろう「無表情」。こなたの顔を覆っていたのはそんな簡単で、しかし絶対的なものであった。  その瞳は、私と同じように曇りがかって。しかし、ぶれることなく真っすぐとつかさを見据えている。 「なんで……なんでこんなことさせたいの!?」 「なんでやめさせたいの?」  つかさの震える声にも、容赦なく切り返す。こなたの「冷酷さ」は私のものよりもずっとその小さな身の丈に合うものであった。カードを切るその顔に一切の迷いも感じられない。 「つかさ、私たちは誰も盗ってないんでしょ?でもかがみは私たちを疑ってる……しょうがないよね、大事なお金がなくなっちゃったんだもん。疑いたくもなるよね」  見据えられていたのはつかさであったが、その言葉はつかさではなく、私を捕えた。平坦に流れ出る抑揚のないそれは、私が表に出していた猜疑心を縄で縛って締めつける。心の奥に戻ろうとしていたこいつを吊るしあげ、晒してやるかのように。 「かがみの疑いたい気持ちは、全員が潔白であることを示さなくちゃ、無くなんないよ。今やめたら……ダメだよね?」 「こなちゃん!」 「それとも……」  冷酷に。確かに。こなたの声はトーンを下げる。 「つかさは誰が盗ったか知ってるから、そんなこと言ってるのかな?」  つかさは最後に小さい、小さい悲鳴を上げ、それきり何も言わなくなった。 「さ、続けよ、かがみ」  こなたはまだ冷静だった。彼女の行動は確かに正しいものである。私の猜疑心を「処刑」する。そのための一番確かな手段をひたすらに遂行しようとしたのである。  しかし、こなたの行動を私は受け入れることを拒んだ。それは表に縛り上げられた猜疑心が、ひたすらに心の奥に戻りたがっているから。そして、心の奥に閉じ込められた良心が、ひたすらに表に出たがっているから。 「かがみ」  しかし、この猜疑心を心の奥にしまうことはもう許されていない。良心がどんなに大きな音を立てて扉を叩いても、今、私が表に出しているのは猜疑心であるのだから。 「……日下部」 「続けんのか?」  視界に入る日下部に強く、鋭く、そして険しい瞳。 「……こなたの言う通りよ、あんたたちが全員潔白だと、言いきれるのなら続けるべきじゃない?」  それでも私は、もう引き下がることなんて、できなかった。  日下部も、続けてみゆきも、私の指示に素直に従った。そして、この二人を調べ切っても、やはり三万円は出てこなかった。  「後は……」  私は再びその目を自分の真正面に向けた。頭を傾け、あれきり俯いたままになってしまっているつかさにもう一度目を向ける。思いだしたかの様に、再び良心が激しくドアを叩き始めた。  できればつかさに疑いをかける前に三万円が見つかって欲しかった。あわよくば、ここまでの誰かが盗っていたことになった方が私の気持ち的にも楽だったのかもしれない。誰も盗ってなんていない。疑うことなんてやめよう。懇願したつかさの姿が脳裏から離れず、私はその後の一言を発することができずにいた。 「かがみ」  こなたの声。相も変わらず抑揚のないそれは、私の猜疑心を縛りあげた縄をより締めつける。合理的に考えれば、今一番犯人である可能性が高いのはつかさで間違いない。しかし、そこまでわかっていても、こなたの押しの一手が合っても、私は動けずにいた。 「かがみったら」 「つかささんは……盗ってないと思いますよ」  私の身体を、金縛りのようなものから解放してくれたのは、みゆきの声であった。ふいと顔をあげ、表情に見せたのはひとかけらの、しかし強い勇気。耳を疑う私の方にそれを向け、みゆきは続ける。 「皆さんだって知っているはずです。つかささんは嘘をつきません。人を疑いません。いつものつかささんを見ていればわかると思います。少なくても私はそう思います。……そんなつかささんが、ましてや大好きなかがみさんのお金を黙って盗ったなんて思えません……かがみさんだって辛くありませんか?妹であるつかささんを疑うなんて」 「そうね……ひーちゃんはやってないと私も思うよ」  みゆきの言葉に、続くのは峰岸の言葉。 「ううん……ひーちゃんだけじゃない。泉ちゃん、高良ちゃん、みさちゃん……みんな柊ちゃんが大好きだもん。誰もそんなことしないんじゃない……?最初から皆を疑うことが間違いだったんだって……。きっとつかさちゃんを調べたって三万円は出てきたりしない。もうこんなことやめて……もう一回部屋の中を探さない?」  みゆきの表情から感じるものが、強い勇気だとすれば、峰岸の表情から感じるものは深い慈悲だった。二人の言葉は小さな石となり、私の心の中に投じられ、小さな波紋を起こした。  辛かったから。やめたかったから。これ以上人を疑いたくなかったから。猜疑心を締めあげられても、動けなかったのはそれだった。冷酷にカードを切った?合理論だから疑っているわけじゃない?そんなのは嘘だ。私の今にまで行ったことはすべて、悪行と言っても過言ではないだろう。人を疑うこと、それはとても辛いことで、いけないことだった。  良心が扉をこじあけ、縛り上げられた猜疑心の横に並ぶ。もうよそう。やめよう。二人の言葉を聞いて確かにそう感じた。今、それを許していないのは、私の猜疑心じゃない…… 「かがみ、でも、続けるんでしょ?」 「こなた……もういいわ、やめましょう」  私は、ゆっくりと、しかしはっきりと、言葉を発した。 「なんで?……もしかしてみゆきさんと峰岸さんの言葉を聞いたから?……でも今はつかさが犯人の可能性が一番高いんだよ?」 「こなた……犯人が誰とかそうじゃないの」 「何を言ってるの?違うよ、騙されてるんだよ!」  こなたの声調が少しずつ大きくなってくる。思わず私は重たい空気と言葉を飲み込む。 「大体、つかさが疑われそうになった瞬間にみゆきさんと峰岸さんがそんなこと言うの?自分たちも疑われたのに、そんな風にかばうの?もしかしたらつかさが犯人かもしれないのに?ねえ……」 「こなた……」 「もしかして、三人でグルになってお金を取ろうとしてるんじゃないの!?だから、つかさばっかり庇って」 「おいちびっ子!!」  言葉をまくしたてるこなたを一声で止めたのは日下部の声。張りつめた空気が一度吹き飛んだかのように感じる。 「誰かを疑ってんのは、もうちびっ子だけだよ。どうしてそんなにつかさを疑ってるんだ?」  強気な口調で、しかしまるでいつもと変わらないかのように話す日下部に、こなたはきっと顔を向けている。悲しみと怒りが混じったその顔を見ても、日下部はすんなり言いきった。 「もしかして、自分が最初に疑われたから、嫉妬してるだけなんじゃねぇの?」  静寂に響いた日下部の声を上書きするかのように、突然大きな音が拡散した。部屋の中心の机に、こなたの小さな左手が叩き下ろされた。言葉にするのは簡単だが、この場にいる全員の意識をそちらに集中させるには十分なものである。 「嫉妬するに決まってんじゃん!!!自分が犯人じゃないのに真っ先に疑われて!!!犯人かもしれない人が疑われないなんてさ!!!!」  続いて響いたのはこなたの怒声………いや、悲鳴だった。「冷酷さ」なんてとうに放り出しており、そこにいるのは、ありのままのこなた。 「私の時は、誰もそんなこと言わなかったじゃん!!!それって私が犯人っぽかったから!!?かがみが私を最初に疑ったのもわたしが犯人っぽかったから!?」  痛いくらいに響くこなたの声は部屋中を支配し続ける。 「こんな風に私たちの友情を崩されて!!!それでも自分は友情を笠に着て守られて!!!!疑いたくはないけど……でもそうだと思うと!!!許せないんだよ!!!……もしかしたら、犯人はいないかもしれないよ、っていうかいない方がいいよ。でももしかしたら……いるかもしれないじゃん!!!そんな……汚い奴がさ!!」  こなたの心はもう壊れていた。裂けんばかりに、心に溜まったものをそのまま吐き出し続けた。目からは熱い雫がとめどなく溢れ、振り下ろしてそのままの左手が、小さく震えていた。 「だから!!!」 「こなた!!!」  こなたがしていたことは悪行なんかじゃなかった。こなたは自分の為に、みんなの為に、なによりも私の為に、「正義」を貫こうとしただけだった。疑うことは悪くない。悪いのは疑いを引き起こした犯人なんだ。そんなことをずっと、こなたは心の中で響かせ続けていたんだろう。  だから、私は大きな声で、叫んだ。こなたの悲鳴をせき止めた。私はこなたの出したSOS信号に、答えなくてはならない。こなたの「正義」を否定せず、肯定してやらねばならない。 「わかった……もうわかったから……つかさ」 「え………?」  私の声で、顔をあげるつかさ。そして気づくのは、涙を流していたのが、こなただけではなかったこと。つかさもまた、沈黙を貫きとおす中で、様々な思いが自分の内側をめぐり、そして溢れだしてしまったのだろう。  私はゆっくりとつかさに近づいて、両肩にそっと手をおく。 「ごめんね、つかさ。これから私の言うことを聞いて欲しい」 「………」 「私はつかさは疑ってない。……だけど、まだ、もしかしたらこの中に犯人がいて、怖いと思ってる部分もあるの」 「………」 「こなたもね、つかさを疑ってるんじゃなくて、そう思ってたから、あんな風に言ったんだと思う」 「………」 「だから、この中に犯人がいないこと。それだけ……それだけでいいから、確かめさせて、くれない?」 「おねえちゃん………」 「あんたが持ってるはずないわ。それはわかってる……けど、ちょっとだけ協力してほしいの」  強く。強く。 「また、みんなと普通に笑いあえるようになりたいから、ね?」 「……わかった、いいよ、おねえちゃん」  つかさがゆっくりと立ち上がる。私の顔を見ると、にっこりと笑ってくれた。そして、 「こなちゃん……ごめん……」  こなたの方を向くと、小さな声で謝った。 「………ううん、私もつかさにすごくひどいこと言った。……ごめん」  交わされる謝罪。しかしこれで、また少し空気が軽くなる。わだかまりが薄まっていく。もう一度私の方を向いて、にっこりと笑って、そして、両手を水平に広げる。  何もないことなんてわかってる。私は、安心して、つかさに触れた。 「え?」  スカートの右ポケット。  そこにあったものはまぎれもない。  三枚の一万円札。  無音の風にかすかにのって、それは一枚一枚意志が存在するかのように、ひらりひらりと舞った後、そっと地面に着陸した。 「あ、それは……」  嘘だ。 「これは、今日いく前にお母さんが……」  嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。 「つかさ……本当に」 「違うの!これは盗ったやつじゃない!お母さんに頼まれてて……」  嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。 「つかささん……」 「皆聞いて!盗ったやつじゃないの!!お母さんに」  嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。 「おねえちゃん!!!」  嘘だ。 「最低」  一言だけそう言って、私はこなたの部屋を出た。それから一人で、家に帰ったのだが、そこからの記憶がない。 「あら、かがみはもう帰ってたのね」  意識が戻ると、私は自分のベットに横たわっていた。瞼が重たく感じるあたり、眠っていたらしいのだが、お母さんの一言で、目が覚めたみたいだ。日が西日に傾いており、これ以上眠っていることはよくなかったのだが、私はどうも起きたくなかった。 「つかさは?一緒じゃないの?」  子を思う親心ゆえに浴びせかけられる普通の質問。しかし私はそれを答える気分ではなかった。頭も、身体も自分ではどうしようもできないくらいに重たくて、動かすことさえ億劫になっていた。 「かがみ、具合悪いの?」 「……そうっぽい」 「あら、そう……。じゃあ、後で晩御飯持ってきてあげるから、しっかり寝てなさい。それと……」  一瞬間が空き、響く。 「今日つかさに、払い込みの用事を頼んだんだけれど、泉さんのお家にいく前に一緒にいってくれた?」  思考が停止する。瞬間、身体が軽くなり、不可抗力的に上半身を飛びあがらせる。 「え?なにそれ?」 「あら、その様子じゃ言ってないのね。確かにあの子に三万円、預けたはずなのだけれど……」  変わらない声調で浴びせかけられたのは、捻じ曲げることなんてできない、衝撃の真実。 「さ、さん……?」 「まいいわ。後、三万円で思い出したけどかがみ、自分の部屋の机に三万円、置きっぱなしだったわよ!てっきり額が同じだからおいてったのかと思ったのだけれど……」  その後、もう二言三言述べた後、お母さんはまるで平和そうに、私の部屋の扉を閉めた。  誰もいなくなった私の部屋。ちらりと横目で確認すると、机の上から飛び立つ三枚の一万円札。  無音の風にかすかにのって、それは一枚一枚意志が存在するかのように、ひらりひらりと舞った後、そっと地面に着陸した。  どんなものを持ってしても、抑えられなくなってしまった大規模な事件を「事変」と言うらしい。 もしも、この一連の出来事が、すべて私の空想の物語であったならば。私はその作品に「事変」と名付けるだろう。 end **コメント・感想フォーム #comment(below,size=50,nsize=50,vsize=3) - ヤバイ感がひしひしと伝わってくる… &br()が、この手の事は現実世界でもありがちだから気をつけないとな -- 名無しさん (2017-05-17 22:32:40) - こういうシリアスなのもいいな -- 名無しさん (2015-02-20 00:44:04)

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