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 学校の手続きで事務所に入ると電話が鳴った。職員さんは全員手が離せないというのでとりあえず俺が出る。  みゆきさんを出してくれという。女性があれこれわめく後ろでは妙な雄たけびが聞こえた。  この雄たけびは嫌な記憶を喚起する。  みゆきさんを呼び、電話かけてきた人の名を告げると事務所の空気は一転、張り詰めたものになった。 「行ってきなさい」  園長がみゆきさんの背を押し、彼女は不安げに受け取った受話器を耳に当てた。 「あの……園長先生、俺、まずいことしましたか?」 「まずいといえばまずいですが、避けては通れない道ですから。これからは君も当事者になるかもしれません、よく見ておいたほうがいいですね」  他の職員さんも固唾を呑んで見守り、あるものはファイティングポーズを取ってみゆきさんを鼓舞していた。  彼女を見守りながら園長先生の話を聞く。 「苗字こそ違いますが、電話の人は高良さんの母です」 「母!?」 「親の中には、子を散々邪険にしていたのに就職が決まった途端に金の無心をしてくるゲス……失礼。悲しい人がいるんです」 「扶養義務? じ、自分の生活を犠牲にしない範囲と規定されてます。そして、あなたたちの面倒見る余裕なんてまったくないわ」  みゆきさんは震えながらも、それでも力強く言い放った。 「よく言えました。その規定を知らないばかりに親や周囲の人間からあの義務を振りかざされ、歪んだ家庭に縛られる子も少なくないんです。まあ、あんな身内でも扶養する余裕ができるほど給料出せない上に多忙なこの業界にも問題あるんですが」  みゆきさんの、勤めて冷静にしつつも激しい情動のこもった問答は続く。 「本来こういう扶養に関するやり取りは役所の人が間に入り、子の回答を親に伝えはしても連絡先を教えることはないはずなんですが、知り合いを通して嗅ぎ付けてくることがあるんです」 「……俺んとこもそうなるのかな」 「情で動く人間に理屈は通用しませんから覚悟は必要です。いざとなったら我々が守ります。だから、ここにいる間に立ち向かえる力を身につけなさい」  みゆきさんの問答には、兄ばかり優先して自分はないがしろにされ、更には熱出しても放って置かれたといった話が出てきた。  きょうだいの間で異常なまでのえこひいきが行われていたという話を聞いたことがあるが、彼女の家庭もそうだったようだ。 「助け合い? 兄が、私の何を助けてくれました? 私は兄そのものから助けて欲しかった!」 「助けてって……兄が酷い人だったんですか?」 「実質的にはそうなんですが、そう解釈するわけにもいかない厄介な問題があったんです」 「あなたたちが欲しかったのは私じゃない! 兄の世話係でしょう?」  周りの職員がみゆきさんにGJ! と言わんばかりにサムズアップしている中、園長先生が説明する。  電話で聞こえた妙な雄たけびは兄のもので、脳に障害があるという。  親はその兄に過剰に感情移入してしまい、感覚がおかしくなっていた。  そのためか健常児であるみゆきさんに自由を与えず、介護要員としての過酷な教育が行われていた。  しかし、その待遇は障害者がいる家庭に生まれたのだから当たり前だと正当化されていたらしい。  兄は偏った思想に基づき無理矢理普通学級に通わされ、適切な教育を受けられなかった。  その結果、体格は向上しても善悪の判断や自制心といった社会性は育たず、大人にも手におえない乱暴者になってしまったという。 「テレビでは純粋な心を持った天使なんて表現されますが、そういう無難なケースしか放送しないだけなんでしょうね」  障害のせいか教育の問題かは不明だが、兄は要求が満たされたことに笑みは浮かべても世話した人にそれを向け感謝することは一切なかったし、人間的な成長もなかったという。その一方で癇癪起こして暴れ、怪我させることもあった。  こんな兄の世話は、穴の開いたバケツに水を注ぎ続けるような空しいものだったらしい。  こうして彼女は心身の疲労で倒れ、そこでようやく他の大人の目に触れ、児童相談所に連絡が入ったのだった。  障害を持つ本人が一番辛いなどとよく言われるが、健常者として様々な義務や責任を背負わされた上で介護やトラブルの尻拭いをさせられる身内はどうなのか。  介護で忙殺されることのない青春を謳歌してきた大人が親として、または仕事で障害者を介護すること。  子供が青春を謳歌するための時間を犠牲にして、無償で、自分が生んだわけでも自分を生み育ててくれたわけでもない、自分と同じかそれ以上の体格の障害者を介護していくこと。  身内だからと思考停止し、この違いに想像力が回らない人間が多すぎた。 「そういうわけだから、あの子のこと愛がないなんて責めないでやってね」 「……はい」  数々の込み入った説明は、俺が障害者のいる光景をテレビで扱える成功例しか知らず、綺麗ごとを振りかざしてみゆきさんを責める側に立つ可能性を恐れてのことだったらしい。 「好きで障害者に生まれたわけじゃない? 私だって好きで障害者の妹に生まれたわけじゃない! 私の人生は私のものよ!」  みゆきさんは悲痛な声で言い放ち、折れそうな勢いで受話器を叩きつけた。  園長は激しい情動で震える彼女の肩に手を置く。 「頑張った、感動した」  園長の言葉に、彼女はうめくように泣いていた。  園長によれば、親が属する団体が出版した本には、障害児のきょうだいは優しい子に育つと書かれていたそうだ。  だがそれは、きょうだいを介護要員として都合のいいように仕向けているだけであり、押し付けられた幻想に自分を無理矢理当てはめないときょうだいは居場所がなかっただけらしい。  そんな環境で育ったみゆきさんが親に自分の心情を吐露するのはどれほどの勇気が要っただろう。  この施設で炊事などは当番制で、職員さんと入所者が共同で行う作業も多い。  そして今日は俺とみゆきさんが夕食の担当だった。  俺は自炊生活が長かったが、腕前や手際は彼女と比べると雲泥の差だった。  食事抜きが日常茶飯事だったため、親の目を盗んで台所から持ち出した食材やレトルト、そして近所の山林で採取した動植物を、自分の部屋や現地でどうにか食べられるようにする必要があった。  こんな状況下で編み出したした料理のスキルは非常に特殊なもので基礎などまるでできてなかったため、香具師の仕事で食べ物は担当させてもらえなかったのだ。  そんなわけでみゆきさんの助言を受けながら作業は進む。  昨夜のつかさとの一件や事務室の一件をごまかすように、説明にそのつど感謝し、料理の腕前や手際、そしてこれまでに見てきた年少組の甲斐甲斐しい世話なども話題に上げ賞賛していた。  だが、そのネタも尽きてしまい沈黙したとき、みゆきさんが口を開いた。 「昼、嫌なところを見せてしまいましたね」 「すみません、俺が不用意に取り次いでしまって」 「いいんですよ。私のこと軽蔑しますよね、障害がある身内に冷たいって」 「とんでもない。逃げ道の無かった高良さんに比べればずっとずっと楽な方なんだけど、世話で嫌な思いした経験なら俺にもありますから」  俺が通っていた学校でも重度の障害児が編入され、世話係にされた俺はとんでもない苦労をしていたのだ。  俺の発言でみゆきさんは緊張を緩めた。  あの時もそうだった。深刻な被害や負担を蒙った者とそうでない者とでは大きな温度差があり、迂闊に本音は出せなかった。  同じ、または似た経験がないと分かり合えないなんて、言葉ってのは不便なものだな。 「……親は、いつかは立ち向かわねばならなかった相手ですから。それに、ここで職員として働く以上はああいう元保護者から子供達を守らねばなりません」  しばらく作業が続く。 「腕前や手際を褒めてくれましたが、アレは全部、介護と家の手伝いなどを両立させるために編み出した技なんです」 「あ……!」  みゆきさんの数々のスキルもまた、苛酷な環境で編み出さざるを得なかったものだった。  俺の料理同様、肯定的には捉えられず褒められても嬉しくはないようだ。  園長の話では、彼女は自分の希望が介護と衝突したら容赦のない折檻が行われたため、自分自身がしたいことを考えられなくなったという。  折檻されたくない、人に迷惑かけたくない。『たくない』が、彼女の動機の全てになった。  そのうち、誰かの世話をしていないと責められるという強迫観念が植え付けられたそうだ。  子供達を献身的に世話をしているのはそのためらしい。  実際問題としてみゆきさんの手腕は戦力となるため職員として残ってもらっているが、親が強いた介護要員という人生と大差ないレールをたどらせてしまったと園長は悔いていた。  こうして事情を知っていたにもかかわらず、地雷原に踏み込んでしまった己のうかつさに呆れていた。 「園長が……」 「はい」 「一度、はっきりと気持ち伝えておかないとダメですね」 「え?」 「ここに残ってるのは世話以外のことを知らなかったし、知ろうとすることが怖かったからでした。皆が頑張って教えようとしてくれたんですが私は駄目だったんです」  強迫観念がそれほどのものとは。親の教育はまるでカルト教団の洗脳じゃないか。  義憤に駆られたとき、彼女は明るい表情で続けた。 「ですが、ここの仕事は本当にやり甲斐があるからでもあるんです」  きっかけは確かに強迫観念によるものだった。  だが、兄の世話とは様々な意味で違っていた。  ここの子供達は彼女に笑顔を見せ、更に成長してくれた。ここで初めて、やり甲斐というものを感じたそうだ。  おいしいご飯を食べさせてあげたい、褒めてあげたい、添い寝してあげたい、できなかったことをできるようにしてあげたい。  ここには『たい』がたくさんある。 「そういうわけで、本当に自分がしたいことをしてるだけなんです。これから私の『たい』が施設に収まらなくなる日が来るかもしれませんが、今のところ私の『たい』は全てここにあるんです」  俺が知る彼女の笑顔は全て、仕方なくやっているとしたらありえない、演技ではない本物の笑顔だった。  スキルを編み出す際の辛い記憶も相手の笑顔で上書きできて、スキルを肯定的に捉えられるようになったんだろうな。  だが、みゆきさんの笑みに陰りが入る。 「ただ、白石君は昨夜、柊さんと、その……」 「あ、いやその、あの、軽率なことはしてません!」 「わかってます、だけどダメなんです。私、お恥ずかしながら……」  以下、内容が内容なんで非常に婉曲な表現で説明された。  障害の有無とは関係なく、下半身が正常なら成長と共に性欲は芽生える。  しかし自力での処理やTPOをわきまえた判断や自制する能力がない場合、厄介な事態が発生する。  みゆきさんの場合、親がそっち方面のサポートや器具に回す金をケチった結果、倫理的に非常に問題のある事態になり介護を担う彼女にもうひとつの強迫観念が植え付けられたという。  昨夜のつかさとの一件で、彼女が焦燥感に満ちた顔で俺に迫ってきたのはそのためらしい。  これ、れっきとした性的虐待だよな。 「だから私、汚れてしまってるんです」 「と、とんでもない。俺、みゆきさんの手は好きです、働き者の綺麗な手ですよ」  場を和ませようとして、こなたのようについオタクなネタかましてしまった。観察してるうちに伝染ったか? 「あ……ありがとうございます」 「……あれ?」  ただ赤面したところを見ると、ネタはわからず完全に褒め言葉と受け取られたようだ。  まあ、綺麗と感じるのは本当だけど。 「そういうわけで、男の人が来て、世話と同様にこっちの強迫観念も解消するきっかけができたなんて考えてしまったんです」 「……流石にまずいでしょ」  俺の笑顔というか情けない顔で上書きされては困る。  これも、女ばかりだった弊害というべきだろうか。  この人も、完璧じゃないんだな。  そのことに妙な安心感を抱いていたが、気まずい沈黙が続く。 「は……は……くしゅん」  お、話題を変えるいいきっかけだ。 「可愛いくしゃみですね。泉さんの豪快なのとは大違いだ」 「私も昔はあんな感じだったんですよ?」 「そうなんですか? 泉さん、高翌良さんのくしゃみ羨ましがってたけど、加減できないだけにかわいいのはずるいとかなんとか。秘訣教えてあげたらどうです?」 「うーん、本能的なものなんで難しいですね」 「本能?」 「くしゃみに限らず、大きな音を出すと兄はたちまち癇癪起こしたんで、徹底的に静かにするクセがついたんです……」  なんかどんよりとしたオーラをまとい俯いた。 「あー変なスイッチ入ったというかフォローしようとしてまた地雷踏んだ~」 ??「流石に、これは」 みゆき「ええ、わかりますよ、企画にそぐわない話ですし、あの手の団体を怒らせると怖いですから」 ??「そうだよなー、怖いよなー」 みゆき「そうですよね、最近もバリアフリーに改修するのが難しい古い学校に脳性マヒの子を通わせようとして訴訟起こしてましたものね」 ??「うんうん、それそれ」 みゆき「仕方ないですよ」 ??「この前の企画でもそういうの扱ったんですが」 みゆき「ええ」 ??「問題点を克明に扱う筈だったのに、怒らせないようにって考えてたら綺麗ごとのオンパレードになってしまって」 みゆき「仕方ないですよ、お仕事で、生活かかってるんですから」 みのる「ああ、もう危険なボケとフォローがエンドレス……」 **コメント・感想フォーム #comment(below,size=50,nsize=50,vsize=3)
 何この違い  学校の手続きで事務所に入ると電話が鳴った。職員さんは全員手が離せないというのでとりあえず俺が出る。  みゆきさんを出してくれという。女性があれこれわめく後ろでは妙な雄たけびが聞こえた。  この雄たけびは嫌な記憶を喚起する。  みゆきさんを呼び、電話かけてきた人の名を告げると事務所の空気は一転、張り詰めたものになった。 「行ってきなさい」  園長がみゆきさんの背を押し、彼女は不安げに受け取った受話器を耳に当てた。 「あの……園長先生、俺、まずいことしましたか?」 「まずいといえばまずいですが、避けては通れない道ですから。これからは君も当事者になるかもしれません、よく見ておいたほうがいいですね」  他の職員さんも固唾を呑んで見守り、あるものはファイティングポーズを取ってみゆきさんを鼓舞していた。  彼女を見守りながら園長先生の話を聞く。 「苗字こそ違いますが、電話の人は高良さんの母です」 「母!?」 「親の中には、子を散々邪険にしていたのに就職が決まった途端に金の無心をしてくるゲス……失礼。悲しい人がいるんです」 「扶養義務? じ、自分の生活を犠牲にしない範囲と規定されてます。そして、あなたたちの面倒見る余裕なんてまったくないわ」  みゆきさんは震えながらも、それでも力強く言い放った。 「よく言えました。その規定を知らないばかりに親や周囲の人間からあの義務を振りかざされ、歪んだ家庭に縛られる子も少なくないんです。まあ、あんな身内でも扶養する余裕ができるほど給料出せない上に多忙なこの業界にも問題あるんですが」  みゆきさんの、勤めて冷静にしつつも激しい情動のこもった問答は続く。 「本来こういう扶養に関するやり取りは役所の人が間に入り、子の回答を親に伝えはしても連絡先を教えることはないはずなんですが、知り合いを通して嗅ぎ付けてくることがあるんです」 「……俺んとこもそうなるのかな」 「情で動く人間に理屈は通用しませんから覚悟は必要です。いざとなったら我々が守ります。だから、ここにいる間に立ち向かえる力を身につけなさい」  みゆきさんの問答には、兄ばかり優先して自分はないがしろにされ、更には熱出しても放って置かれたといった話が出てきた。  きょうだいの間で異常なまでのえこひいきが行われていたという話を聞いたことがあるが、彼女の家庭もそうだったようだ。 「助け合い? 兄が、私の何を助けてくれました? 私は兄そのものから助けて欲しかった!」 「助けてって……兄が酷い人だったんですか?」 「実質的にはそうなんですが、そう解釈するわけにもいかない厄介な問題があったんです」 「あなたたちが欲しかったのは私じゃない! 兄の世話係でしょう?」  周りの職員がみゆきさんにGJ! と言わんばかりにサムズアップしている中、園長先生が説明する。  電話で聞こえた妙な雄たけびは兄のもので、脳に障害があるという。  親はその兄に過剰に感情移入してしまい、感覚がおかしくなっていた。  そのためか健常児であるみゆきさんに自由を与えず、介護要員としての過酷な教育が行われていた。  しかし、その待遇は障害者がいる家庭に生まれたのだから当たり前だと正当化されていたらしい。  兄は偏った思想に基づき無理矢理普通学級に通わされ、適切な教育を受けられなかった。  その結果、体格は向上しても善悪の判断や自制心といった社会性は育たず、大人にも手におえない乱暴者になってしまったという。 「テレビでは純粋な心を持った天使なんて表現されますが、そういう無難なケースしか放送しないだけなんでしょうね」  障害のせいか教育の問題かは不明だが、兄は要求が満たされたことに笑みは浮かべても世話した人にそれを向け感謝することは一切なかったし、人間的な成長もなかったという。その一方で癇癪起こして暴れ、怪我させることもあった。  こんな兄の世話は、穴の開いたバケツに水を注ぎ続けるような空しいものだったらしい。  こうして彼女は心身の疲労で倒れ、そこでようやく他の大人の目に触れ、児童相談所に連絡が入ったのだった。  障害を持つ本人が一番辛いなどとよく言われるが、健常者として様々な義務や責任を背負わされた上で介護やトラブルの尻拭いをさせられる身内はどうなのか。  介護で忙殺されることのない青春を謳歌してきた大人が親として、または仕事で障害者を介護すること。  子供が青春を謳歌するための時間を犠牲にして、無償で、自分が生んだわけでも自分を生み育ててくれたわけでもない、自分と同じかそれ以上の体格の障害者を介護していくこと。  身内だからと思考停止し、この違いに想像力が回らない人間が多すぎた。 「そういうわけだから、あの子のこと愛がないなんて責めないでやってね」 「……はい」  数々の込み入った説明は、俺が障害者のいる光景をテレビで扱える成功例しか知らず、綺麗ごとを振りかざしてみゆきさんを責める側に立つ可能性を恐れてのことだったらしい。 「好きで障害者に生まれたわけじゃない? 私だって好きで障害者の妹に生まれたわけじゃない! 私の人生は私のものよ!」  みゆきさんは悲痛な声で言い放ち、折れそうな勢いで受話器を叩きつけた。  園長は激しい情動で震える彼女の肩に手を置く。 「頑張った、感動した」  園長の言葉に、彼女はうめくように泣いていた。  園長によれば、親が属する団体が出版した本には、障害児のきょうだいは優しい子に育つと書かれていたそうだ。  だがそれは、きょうだいを介護要員として都合のいいように仕向けているだけであり、押し付けられた幻想に自分を無理矢理当てはめないときょうだいは居場所がなかっただけらしい。  そんな環境で育ったみゆきさんが親に自分の心情を吐露するのはどれほどの勇気が要っただろう。  この施設で炊事などは当番制で、職員さんと入所者が共同で行う作業も多い。  そして今日は俺とみゆきさんが夕食の担当だった。  俺は自炊生活が長かったが、腕前や手際は彼女と比べると雲泥の差だった。  食事抜きが日常茶飯事だったため、親の目を盗んで台所から持ち出した食材やレトルト、そして近所の山林で採取した動植物を、自分の部屋や現地でどうにか食べられるようにする必要があった。  こんな状況下で編み出したした料理のスキルは非常に特殊なもので基礎などまるでできてなかったため、香具師の仕事で食べ物は担当させてもらえなかったのだ。  そんなわけでみゆきさんの助言を受けながら作業は進む。  昨夜のつかさとの一件や事務室の一件をごまかすように、説明にそのつど感謝し、料理の腕前や手際、そしてこれまでに見てきた年少組の甲斐甲斐しい世話なども話題に上げ賞賛していた。  だが、そのネタも尽きてしまい沈黙したとき、みゆきさんが口を開いた。 「昼、嫌なところを見せてしまいましたね」 「すみません、俺が不用意に取り次いでしまって」 「いいんですよ。私のこと軽蔑しますよね、障害がある身内に冷たいって」 「とんでもない。逃げ道の無かった高良さんに比べればずっとずっと楽な方なんだけど、世話で嫌な思いした経験なら俺にもありますから」  俺が通っていた学校でも重度の障害児が編入され、世話係にされた俺はとんでもない苦労をしていたのだ。  俺の発言でみゆきさんは緊張を緩めた。  あの時もそうだった。深刻な被害や負担を蒙った者とそうでない者とでは大きな温度差があり、迂闊に本音は出せなかった。  同じ、または似た経験がないと分かり合えないなんて、言葉ってのは不便なものだな。 「……親は、いつかは立ち向かわねばならなかった相手ですから。それに、ここで職員として働く以上はああいう元保護者から子供達を守らねばなりません」  しばらく作業が続く。 「腕前や手際を褒めてくれましたが、アレは全部、介護と家の手伝いなどを両立させるために編み出した技なんです」 「あ……!」  みゆきさんの数々のスキルもまた、苛酷な環境で編み出さざるを得なかったものだった。  俺の料理同様、肯定的には捉えられず褒められても嬉しくはないようだ。  園長の話では、彼女は自分の希望が介護と衝突したら容赦のない折檻が行われたため、自分自身がしたいことを考えられなくなったという。  折檻されたくない、人に迷惑かけたくない。『たくない』が、彼女の動機の全てになった。  そのうち、誰かの世話をしていないと責められるという強迫観念が植え付けられたそうだ。  子供達を献身的に世話をしているのはそのためらしい。  実際問題としてみゆきさんの手腕は戦力となるため職員として残ってもらっているが、親が強いた介護要員という人生と大差ないレールをたどらせてしまったと園長は悔いていた。  こうして事情を知っていたにもかかわらず、地雷原に踏み込んでしまった己のうかつさに呆れていた。 「園長が……」 「はい」 「一度、はっきりと気持ち伝えておかないとダメですね」 「え?」 「ここに残ってるのは世話以外のことを知らなかったし、知ろうとすることが怖かったからでした。皆が頑張って教えようとしてくれたんですが私は駄目だったんです」  強迫観念がそれほどのものとは。親の教育はまるでカルト教団の洗脳じゃないか。  義憤に駆られたとき、彼女は明るい表情で続けた。 「ですが、ここの仕事は本当にやり甲斐があるからでもあるんです」  きっかけは確かに強迫観念によるものだった。  だが、兄の世話とは様々な意味で違っていた。  ここの子供達は彼女に笑顔を見せ、更に成長してくれた。ここで初めて、やり甲斐というものを感じたそうだ。  おいしいご飯を食べさせてあげたい、褒めてあげたい、添い寝してあげたい、できなかったことをできるようにしてあげたい。  ここには『たい』がたくさんある。 「そういうわけで、本当に自分がしたいことをしてるだけなんです。これから私の『たい』が施設に収まらなくなる日が来るかもしれませんが、今のところ私の『たい』は全てここにあるんです」  俺が知る彼女の笑顔は全て、仕方なくやっているとしたらありえない、演技ではない本物の笑顔だった。  スキルを編み出す際の辛い記憶も相手の笑顔で上書きできて、スキルを肯定的に捉えられるようになったんだろうな。  だが、みゆきさんの笑みに陰りが入る。 「ただ、白石君は昨夜、柊さんと、その……」 「あ、いやその、あの、軽率なことはしてません!」 「わかってます、だけどダメなんです。私、お恥ずかしながら……」  以下、内容が内容なんで非常に婉曲な表現で説明された。  障害の有無とは関係なく、下半身が正常なら成長と共に性欲は芽生える。  しかし自力での処理やTPOをわきまえた判断や自制する能力がない場合、厄介な事態が発生する。  みゆきさんの場合、親がそっち方面のサポートや器具に回す金をケチった結果、倫理的に非常に問題のある事態になり介護を担う彼女にもうひとつの強迫観念が植え付けられたという。  昨夜のつかさとの一件で、彼女が焦燥感に満ちた顔で俺に迫ってきたのはそのためらしい。  これ、れっきとした性的虐待だよな。 「だから私、汚れてしまってるんです」 「と、とんでもない。俺、みゆきさんの手は好きです、働き者の綺麗な手ですよ」  場を和ませようとして、こなたのようについオタクなネタかましてしまった。観察してるうちに伝染ったか? 「あ……ありがとうございます」 「……あれ?」  ただ赤面したところを見ると、ネタはわからず完全に褒め言葉と受け取られたようだ。  まあ、綺麗と感じるのは本当だけど。 「そういうわけで、男の人が来て、世話と同様にこっちの強迫観念も解消するきっかけができたなんて考えてしまったんです」 「……流石にまずいでしょ」  俺の笑顔というか情けない顔で上書きされては困る。  これも、女ばかりだった弊害というべきだろうか。  この人も、完璧じゃないんだな。  そのことに妙な安心感を抱いていたが、気まずい沈黙が続く。 「は……は……くしゅん」  お、話題を変えるいいきっかけだ。 「可愛いくしゃみですね。泉さんの豪快なのとは大違いだ」 「私も昔はあんな感じだったんですよ?」 「そうなんですか? 泉さん、高翌良さんのくしゃみ羨ましがってたけど、加減できないだけにかわいいのはずるいとかなんとか。秘訣教えてあげたらどうです?」 「うーん、本能的なものなんで難しいですね」 「本能?」 「くしゃみに限らず、大きな音を出すと兄はたちまち癇癪起こしたんで、徹底的に静かにするクセがついたんです……」  なんかどんよりとしたオーラをまとい俯いた。 「あー変なスイッチ入ったというかフォローしようとしてまた地雷踏んだ~」 ??「流石に、これは」 みゆき「ええ、わかりますよ、企画にそぐわない話ですし、あの手の団体を怒らせると怖いですから」 ??「そうだよなー、怖いよなー」 みゆき「そうですよね、最近もバリアフリーに改修するのが難しい古い学校に脳性マヒの子を通わせようとして訴訟起こしてましたものね」 ??「うんうん、それそれ」 みゆき「仕方ないですよ」 ??「この前の企画でもそういうの扱ったんですが」 みゆき「ええ」 ??「問題点を克明に扱う筈だったのに、怒らせないようにって考えてたら綺麗ごとのオンパレードになってしまって」 みゆき「仕方ないですよ、お仕事で、生活かかってるんですから」 みのる「ああ、もう危険なボケとフォローがエンドレス……」 **コメント・感想フォーム #comment(below,size=50,nsize=50,vsize=3)

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