2030年 4月14日


 新兵基礎訓練施設で迎える最後の朝が訪れた。
「ねむっ」
 有坂大輔は個人に割り当てられる1DKの個室の天井をぼんやりと見つめ、ようやく意識が鮮明になり始めた頃合いを見計らってベッドから足を下す。

 枕元の時計を確認すると時刻は04:47になっている。訓練兵、正規兵問わず起床は05:00と決まっているが、大輔は基本的に1尾分前には起きて支度を整えるようにしている。

 寝間着代わりのシャツを軍指定の物に着替え、洗面台で顔を洗う。洗顔と歯磨きを終え、タオルで水気を拭った顔を鏡に向けると、いやにごつい自分の顔が映り込む。
 魅力的な顔ではないと、自分でもそう思う。眉の形も目の配置もいいが、四角い顔に配置されたほかのパーツが些か大きく、そして大雑把に過ぎる。昔からコンプレックスの種である自身の顔から目を逸らし、大輔は洗面台を離れた。海兵隊にいる父親は「勇ましい顔立ち」と表現しているが、それが世辞なのではないかとすらこの頃は思っている。

 訓練期間初期の、プライバシー無視のすし詰め宿舎の頃に叩き込まれた基本に従い、ベッドメイキングを行う。シーツをしっかり伸ばし、毛布も皺なく規定通りに畳む。ベッドを整頓し終えたら、窓を覆っていたカーテンを開けた。

 差し込んだ朝日が、デスクと本棚、ベッドを並べただけの自室を明るく染め上げた。フローリングの床は、改修を受けてから10年の間に蓄積した小傷まみれになっている。壁紙にしたって劣化のせいで些か黄ばんでいて、お世辞にも清潔な空間とは言い難い。
しかしこの部屋は、徴兵に従い移転してきて以来、半年の訓練期間を過ごしてきた部屋なのだ。訓練で流した汗と苦労が染みついた自室を見回した大輔は、最後に壁にかけたハンガーへ目を留める。

 濃緑色のそれは、学兵が身に着ける新品の軍服だ。襟と肩には訓練期間終了と同時に与えられる一等兵の階級章が取り付けられていて、胸元にはSの文字をかたどった学生徽章が輝いている。

 ハンガーを掴み、シャツとスラックスを身に着ける。あらかじめ採寸しておいただけあって肌に馴染むようだ。指定のベルトを巻いてネクタイを結び、上着にも袖を通した。

 できれば避けて通りたい鏡の前に再度立ち、衣服の乱れを確認する。不自然がないことを確かめて、最後の仕上げを行うことにした。

 荷物は昨晩の内にまとめておいた。個人的な参考書といくつかの小物のほかには、規定数通りの衣服や装備品を詰め込んだバッグの口を開き、一番上に置いてあるホルスターを手にした。

 ずっしりと重いナイロンホルスターの中には、新兵教練終了と同時に配られる拳銃が収まっている。一昔前では新兵個人個人に配布するなど安全面からしてもあり得ない話だったが、近年では精神鑑定などが必修となっていることもあり、拳銃は全員配布が基本になりつつある。
 固定具を外して、SIG P220自動拳銃を抜き取る。現在国連軍では2種の拳銃が使われている。H&K USP.45、SIG P220の2つで、どれか一つを選べることになっている。

 薄い弾倉に8発の45口径徹甲弾を確かめ、ホルスターごと拳銃を右腰の弾帯に吊るす。予備弾倉2つを収めたポーチは左に吊るして、大輔は再度時計を見た。
 時刻は04:58。普段なら05:00時の起床音声を待つところだが、今日はそれが鳴る予定はない。ここで生活している学兵が正規部隊へと送り込まれる、いわば転属予定日であり、公共移動手段に間に合うのならばあとは学兵個人個人にすべてが一任されることになっているからだ。

 どうしようかと、軍服のポケットから端末を取り出す。起動してパスを打ち込むと、メールボックスに50件近い着信があった。どれもが同期メンバーからのあいさつメールで、ほとんどかかわりのなかったものからのメールもある。しかし中には、親しくしていた友人や、大輔にとって「特別な人物」からのメールがある。あとで返信しておくべきだろう。

 とりあえず必ずきちんとした返信をしなければならないメールを別フォルダに振り分け、そうでない、一斉送信系のメールはいくつか区分にまとめて軽い別れのメッセージを送る。そうする間に時間は過ぎ、気が付けば05:14分になっていた。

「そろそろでないといかんかなぁ」

 つぶやいてみる。大輔の移動先に間に合わせるにはあと30分は余裕があるが、まあ早く出るのもいいだろう。時間が余るようなら喫茶店にでもしけこめばいい。

「となれば、早く出てしまおう」

 バッグを担いで部屋のキーを手にする。半年を過ごした自室をちらりと一瞥し部屋を出ると、鍵をかけて階段へと向かう。エレベーターを使ってもいいのだが、最近は小さなことでも体を動かすようにしていた。

 典型的なアパートといった造りの宿舎は閑散とした雰囲気に包まれていた。早めに出ないと間に合わない着任地へ向かう学兵たちがすでにここを発ったからだろう。

 真新しいブーツがコツコツと音を立て、一階へとたどり着くと、エントランス横の管理人室の前に、壮年の白人男性が立っていた。予備役兵の制服に、一等軍曹の階級章。

「ガ二ー、おはようございます」

 ガ二ーとは、一等軍曹であるこの男性のあだ名だ。半年を見守ってくれた管理人でもあり、訓練教官でもあったガニーは、大輔を見るや野太い笑みを浮かべた。

「おはよう、ダイスケ。今日が始まりの日だな」

 彼は先に出て行った学兵から回収したらしいキーを収めた箱を脇に抱え、そう肩を竦める。大輔はガニーに近づき、形式通りの敬礼を行う。

「志願先は海兵隊だったか?」
「はい、陸軍よりは海兵隊の方が、誰かの役に立てると思いましたから」

 そうか、とガニーは思案する表情になり、顎に手をやる。身長190近い彼の腕は木の幹のように太く、顎周りもがっしりしていた。

「海兵隊は非常に厳しいぞ。先陣切って敵地に乗り込む部隊だ、地獄を見ることになる」
「それも、覚悟の上です。親父も海兵隊員、祖父も海兵でしたし」
「そうか、納得づくならいいのだがな。『彼女』を泣かせることはするなよ?」

 かつて最前線を戦い抜いたという男の声には、奇妙な重みがある。彼女、というワードのせいかもしれなかったが、それでも大輔は頷いていた。

「善処します」
「よろしい、ならばさっそく行動しなさい。早く動いて損はない」

 再度敬礼を捧げ、キーを返して大輔は歩き出した。




同時刻 海兵隊訓練基地 

 1960年の夏、突如として太平洋上に現出した新大陸、そしてその上に佇立する異世界との門――ゲートは、地球人類に数世紀分も先進した科学技術をもたらしたが、それがのちに半世紀以上も継続する異星人との戦争に自分たちを巻き込んだ災厄だと、誰が気づいただろうか。

 宇宙へと舞い上がる巨大な輸送船、ワープ・システムや転移装置と呼ばれる超長距離航行技術、70を超える移民惑星群、すさまじい発展を見せる医療技術。文明人を自負する地球人類が眩暈を起こすほどのオーバーテクノロジーの海。これだけの恩恵を受けたとはいえ、60年の戦乱は割に合わないというよりない。
 ゲートの向こうで5世紀近くにわたり戦乱とは無縁の平穏を謳歌し続けた現地人類(驚いたことに、遺伝子配列すら地球人と同じ)との交流が始まって10年の節目に、レギオンと呼ばれる異星人たちは牙をむいた。

 テラートと呼ばれる本星と外周植民惑星で生活する異世界側の人類は、5世紀の平穏の間に戦闘にまつわるすべてを失っていた。そんな彼らが、突如として辺境惑星を襲撃し、惑星もろとも住民を焼き払った異星人の軍事的侵略対応できるわけもなく、臨時編成された米ロ中心の国際派遣軍が非武装輸送船に申し訳程度の火器を乗せ、投入されたのが記録上での初戦だ。

 結末は語るまでもない。非武装の輸送船は惑星にたどり着く前に半数以上が撃沈され、ようやく兵員を下したとて、陸を埋め尽くさんばかりの敵兵力の前に援護なしに下された歩兵隊には、宇宙と陸に差があるわけもなく、虐殺された彼らの内、帰還したのは1割にも満たなかった。

 初戦で敗走という名の虐殺を受けた人類がとる道は一つだった。地球人類の兵器開発技術と、テラート側の先進技術を急ピッチで融合させ、まがりにも宇宙軍と陸上攻撃部隊を用意するころには、7つの惑星と400億の人命が喪失されていた。


 開戦から60年。
 それほど長く僕ら人類は戦ってきたのだ、と開戦60年の特集番組を垂れ流すホログラフテレビを見ながらふと思った。
 開戦から喪失された夥しい量の死者の冥福を祈る旨と、現在の国連軍の状況を懇切丁寧に解説する専門家とやらの声。デスクと椅子が並んだだけの小ざっぱりした教官室には、その程度の音しかない。

 というのも、施設に学兵が到着するのは、早くともあと3時間はかかるからだ。今の時刻は05:00時。この駐屯地に設けられた滑走路へ学兵を輸送する輸送機は、08:00にここへ到着するはずだ。

 まあ、あくまで予定に過ぎない。学兵たちの集合度合次第で遅れるのはままあることだ。しかし、到着が早まることは絶対にない。
 テレビから目を逸らし、僕は入れたてのコーヒーカップへと目を落とす。黒い水面には、移動とそれに伴う書類の山を始末したばかりのやつれた顔が映り込んでいた。

「ボーナスもらわんと割に合わんよなぁ……」

 この訓練基地へ送られてくる学兵の数は2000人。教官の数はおよそ50人。補佐の新卒の元学兵(あくまで教官ではなく補佐)はおよそ100名。つまり単純に考えても教官一人につき40人を見る計算になる。
 2000人の学兵は500名ずつに振り分けられて、4分割された訓練基地の施設に分散される。そしてそれぞれに教官を割り振り、訓練計画に沿って進めていくのだ。

 訓練システムについてだが、教官一人につき名を担当し、教官2名で1セットとなる。そこに補佐要員や各教科の担当訓練官(これは教官ではない)を動員して、いくつかの科目ごとに訓練を回すことになっている。カリキュラムは自動作成で、いわば学校の学業が訓練にすり替わるだけだ。

 僕とペアを組む教官は、無論のこと副官であるアリシア。補佐につける新卒学兵は、知り合いを一人呼び寄せておいた。もう一人あてがわれるのが誰かは僕も知らない。

 とはいえ案じてもなるようにしかならないのが現実だ。僕はデスクから煙草をとり、火をつけてコーヒーを啜る。ほかの教官たちは、訓練機材や配布装備の確認のためにいま倉庫で書面と格闘している。そんな中僕がここでこうしていられるのは、ひとえに分遣された貸出物という立場と、これまでの海兵生活で培った人脈や功績のおかげに相違ない。

「役得とはこのことか」

 砂糖なしのコーヒーを飲み下し、僕はつぶやいた。しばらくぼんやりとテレビを見つめて時間をつぶしていたが、どこの放送局へ回しても開戦の特集60年番組ばかりで、僕は自分のPCへと手を伸ばした。

 起動と同時にパスを打ち込み、僕の個人画面を呼び出す。デスクトップに浮かぶいくつかのファイルアイコンの中には、各種書類のテンプレートや僕宛て命令書類のデータ、そしてここでの訓練予定表などが収まっている。
 その中から訓練予定表を呼び出し、僕は今日の訓練予定に目を通す。

 08:00 兵員輸送機現着
 08:15 総員整列および点呼
 08:25 割り振り 完了後は20kmランニング
 以降筋肉トレーニングセット1 、セット2を行わせたのちクラス分けを行い宿舎へ移動。
 12:30 昼食(教官はこの間に各宿舎へ抜き打ち検査)
 13:00 座学

 初日から詰め込み作業だ。
 翌日からも同じようなもので、休みをほとんどいれずに体力錬成をこなさせる。筋トレ、ランニング、装具付での交戦演習、そして行軍。

 基礎訓練行程を終え、体力がようやく並みの兵隊程度に出来上がった学生兵士たちにはかなりハードなメニューに仕上がっていたが、練度を上げるという計画前提がある手前、限られた時間の中ではこうする以外に手はない。

 会議においてその結論が出されたのは着任の10日の初回でのことであり、4日の間に急ピッチで練り上げられた計画だ。まだいくつか穴はあるが、少なくともひと月分の錬成計画には支障はない。翌日の計画にも目を通そうとしたとき、自動式のドアがスライドする気配と共に、数名の教官たちが教官室に入り込んできた。

「備品確認完了しました、大尉」

 その中の一人のアリシアが敬礼し、後ろの3名も同じく敬礼する。教官にあてがわれた兵士の中では僕が最上級であり、上官への敬礼は基本的に義務だった。

「そうか、ご苦労様。新兵到着までに宿舎の確認をしようか」
「そちらには補佐要員を回しました。教官組にはすでに2時間の休憩を……勝手にすみません」

 いつものことながらアリシアは手回しがいい。僕はコーヒーを啜り、煙草を取り出して咥える。

「いや、手間が省けたよ、ありがとう。じゃあみんな休憩してくれ」

 僕が言うと、アリシアの後ろで控えていた3人が敬礼と共に自分のデスクへと向かう。まだ目を通すべき書類が残っているからだろう。

「大尉、おタバコは体によくありませんよ」

 僕の隣の自席へと腰掛け、自分の分の紅茶を用意しながらアリシアがたしなめる。僕はそれを聞き流し、デスクの上に置いた煙草の箱を引き出しへと放り込んだ。

「まだ今日1本目だよ」
「吸わないに越したことはありません」

 にべもない切り返しに僕は閉口しながら、ほんの少しだけ残ったコーヒーを飲み干した。容器をデスクに置いてPCの操作に戻ると、アリシアが新しいコーヒーを用意してくれる。

「何を見ているんですか?」
「今日と明日の訓練予定表だよ。ずいぶん無理やり組み込んだから、一応目を通さないと」
「時間がないからとはいえ、学兵の皆さんには無理をさせますからね……」
「本当ならこのメニューで9か月は欲しいけど、まあしかたがないよ」

 負け戦だもの、と僕が言うより早く、またも教官室のドアが開いて残りの教官の半数以上が戻ってくる。その一人一人に敬礼を返す間に、淹れたてのコーヒーが僕の目の前に置かれていた。

「今回の新兵の中に、僕らの選抜基準に達する兵士がいればいいんだけど……」

 いくつか与えられた任務の一つを思い出して、僕は気が重くなるのを感じた。練度上昇や魔導兵小隊のほかに、計画に選抜された全訓練基地から合計で700の成績優秀者を出すことも、ノルマの一つになっている。

「いなかったら、どうするおつもりですか」
「簡単さ、基準に達するようにしごきあげるんだ」

  • 感想あればどーぞ、なくてもどーぞ、とりあえずどーぞ -- 変人剣士 (2012-07-09 22:40:40)
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最終更新:2012年07月09日 22:40