※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

「で、結局スバルちゃんには話したんですか?」

 煙草を咥えたエコーが、資料を慌ただしく捲りながらこちらを盗み見た。僕はそれを気付かなかったことにしてファイルに綴じられた作戦資料と本部からの電文を漁りつつ、

「話したよ、カミンスキィと僕の間にあることは大体」
「へぇ、珍しいですね。大尉が誰かに話すなんて」

 そうだね、と僕は頷いて、新しいファイルを手にする。そこに綴られた文字をざっと通し読みし、必要と思われる項目を抜き取った。

「大体、俺だって仔細は教えてもらえてませんからね」
「そうだったかい?」
「そうですよ。SAS教官時代に聞いたら、大尉はぐらかしたでしょ?」

 そう言えばそうだった。英国に雇われてSASの教育担当をしていた頃、僕の過去に興味を持ったエコーの質問をはぐらかしたのは記憶に残っている。

「自力で調べましたけどね、あの後。1971年11月、アメリカ合衆国の小都市でバイオハザードが発生、カミンスキィと出会ったのもその時、でしょ?」

 そうだ。僕は冷戦最中のアメリカでカミンスキィと出会った。当時KGBの工作員だったカミンスキィの姿と、士官に昇進したての一特殊部隊員だった僕。そして、あの頃の懐かしい記憶に、幾つかの感情と共に刻まれた少女の名を、僕は思い出していた。

 レオナ・パトリック・メイスン。僕が警備要員として配属された極秘研究施設で幼少より被験者の名目で閉じ込められ、しかしその身を嘆くでも世を恨むでもなく、自身を糧に進歩する医薬品が一人でも多くを救えばいいと、そう笑った少女。

 僕とカミンスキィが共に愛し、ある意味で言えばカミンスキィと僕の今を作り上げた彼女の、痩せ細った後ろ姿を思い出した僕は、緩みだした記憶の元栓をきっちり締め直し、案じる目をしたエコーに肩を竦めてみせる。

「大尉の奥さん……レオナさんの事も調べました。細かくはわかりませんでしたけど」
「聞きたいのか?」
「………………知っておきたいとは思います」

 そうか、と僕は嘆息し、熱くなり始めたフィルターを吐き捨てる。新たな一本を咥えた僕は、締めたばかりの記憶の栓を緩め、過去を語る口を開いた。





 米軍特殊作戦資料室には、1971年の合衆国西部小都市で起きた生物兵器事件の全容が事細かに記されている。

 ダムに偽装された地下研究施設に潜入していた2名のKGB工作員。その片割れが独断で生化学兵器の強奪を企て、ウイルス兵器『パッケージR』が流出。研究員と警備員のほぼ全員が感染し、なおかつ下流の街の水源を汚染して拡大。

 概要はそんなものだ。

 そして施設警備に当てられていた僕ら合衆国SOG40名のうち生き残ったのは僕一人。感染に巻き込まれた街の人間は誰一人助からず、結局生還できたのは、僕、レオナ、そしてカミンスキィのたった三人だった

 思えばこのときから全ては始まっていたのだろう。
 僕らが邂逅し、体内に不老のウイルスを宿したあの時から。

 結局、僕は余命いくばくもなかったレオナに最後の自由をあげたくてアメリカに喧嘩を売り放ち、仕事を仕損じたカミンスキィは敗残の道を辿って、冷戦の数年前に退官した。
 レオナが息を引き取ったあと、厄介な機密を知る民間人として米ロ双方から目を付けられたカミンスキィの清算を押し留めていたのは現役勤務を続けた僕だった。そんな立ち位置だから、カミンスキィと何度か接触を持ち、お互いがレオナに抱いていた感情を打ち明け、かつての立場を超えて僕らは友人たり得た。

 もしそこで話が終わっていればめでたしめでたしだったのかもしれない。


―――――――――――――――――――


「その状況が変わったのは冷戦集結とほぼ同時だった。 上辺とはいえそれまで犬猿の仲だった奴らが仲良くやっていくには、もしもに備えた凶器は何処かへ捨てちまうに限る」

 米ソ双方の諜報活動が持つ意味の低下と、それに反比例する諜報リスクの増大。冷戦集結がもたらしたその結果は辛酸を舐め続けた現場工作員に言わせれば最悪の一言で、予算削減と凶器隠滅を兼ねた人員削減は、不況とは無縁と言われた工作員神話を終焉へと導いた。

 そんな事情の渦中にあって、混乱に乗じた下克上が起こったのはアメリカもロシアも同じ。冷戦を支え続けた諜報機関は要職の入れ替えが行われ、それが今現在の状況を引き起こした。

「もともと僕がカミンスキィの清算を抑え込めていたのは、上にいた奴らのスキャンダルを握っていたからだ」

 それが冷戦終結後の上層部入れ替えでひっくりかえった。新しく上に立った阿呆はよく言えば勇敢な、悪く言えば諜報につきものの損得勘定の出来ない理想家だったのだ。


―――――――――――――――


 暗殺計画が実行された。セッティングはロシアの片田舎。手を下すのはKGB暗殺部隊。ちょうど組織改変の騒動が収束を見せ、20世紀も残すところあと10年となった頃の話だった。

 僕がカミンスキィ暗殺計画を掴めたのは僥倖だった。別案件でロシアに潜っていた諜報員が、たまたま耳に挟んだ情報を危険覚悟で届けてくれなければ、暗殺は成功しただろう。

 そのとき欧州ではぐれ工作員狩りをしていた僕は陸路でロシアへ密入国し、移動しながら手配したブローカーから短機関銃と車を受け取り、一路カミンスキィのセーフハウスへと急いだ。
 9月。晩夏というにはあまりに寒すぎる夜。僕がセーフハウスにたどり着いた時には、カミンスキィの屋敷は完全に包囲されていた。僕が処理部隊の監視要員を拳銃で始末して、サプレッサ装備のMP5で乗り込んだ時には、処理部隊が突入を開始したあとだった。

 ドアブリーチャーで打ち砕かれた玄関を超え、居間を精査していた黒ずくめの頭部を9ミリ弾で撃ち砕いた僕は、気配を察して降りて来た上階の4人を射殺し、カミンスキィが安全のために用意したという地下室へ降りた。

 物置に偽装された地下には3人の処理部隊員が転がっていて、その奥の隠し部屋の前に、生き絶えた女を抱きしめて跪くカミンスキィの姿があった。 話を聞くまでもなく状況は理解できた。

 女はカミンスキィの隠居生活を支え、互いに永遠を誓い合った彼の妻であり、彼女の命を奪ったのが処理部隊の銃弾である事は明白にすぎた。

 すまない、と半ば無意識に謝った僕に、お前のせいじゃない、とカミンスキィの声が重なっていた。顔をあげ此方を見た彼の顔に張り付いていた哀しみと怒気は修羅のそれで、僕は続ける言葉を失った。

 とりあえず逃げようと提案した僕にカミンスキィは同意し、僕らは処理部隊が乗ってきた車両にカミンスキィの妻を載せ、逃走を始めた。
 その夜、異常を察知して送り込まれた増援を一方的に発見できたのは僥倖だった。僕とカミンスキィは増援を不意打ちで皆殺しにし、彼らの装備を奪っていた。途中で追跡を撹乱するために別れる前、僕とカミンスキィは短い話をした。

 これからどうする、と僕が尋ね、カミンスキィはどうにでもなると返す。運転しながら横を見ると、グリーンの瞳を闇夜に向け、なんらかの意志を灯した男の顔が、そこにはあった。

 もしもの時に頼れる人物の連絡先と僕の秘匿連絡先のメモを渡し、二手に別れる直前、彼は僕に向き直り、一言「すまない。ユーリ」と頭を下げた。

 その意味を尋ねる前に、彼の車は走り去っていた。そして、それが僕の友人としてのカミンスキィを見た、最後になった。

――――――――――――――――



「僕はあのあと可能な限り追跡を撹乱して、保護の名目で拘束しにきたCIAの要員に下った。別段お咎めもなしで事実上は放任状態だったがね」

 ロシア工作員を皆殺しにし、暗殺目標を逃がした僕が放任された背景には、行われてはならない作戦が実行された不実の気まずさと、僕が握っていたスキャンダルを恐れたからに違いない。

 例え上の首がすげ代わっても、前任者たちの存在が消えるわけではない。万一僕の機嫌を損ねて権力者たちの醜聞がばら撒かれでもしたら取り返しのつかない大騒ぎになる。それを理解しているがゆえの措置なのだろう。

「で、そのあとは?」
「僕はCIAの下働きを辞めて、NSAに雇われて諜報活動の顧問をやっていた。同時にいろんな国の特殊部隊で教官やったりね」

 アメリカ合衆国の化学兵器貯蔵庫が強襲され、ある特殊兵器が強奪されたのは、カミンスキィ暗殺作戦から2年が経ったある日の事だった。
 盗まれたのは、極めて強い毒性を持ち、酸素と化合する事により何百万倍にも体積を増大させる神経ガス。正確な量は秘匿兵器ゆえに不明だけど、全てを化合させればヨーロッパの半分以上を覆い尽くせるほどの量が盗まれた事は確かで、世界中の諜報部門を震撼させる大事件だった。
 そしてそれに拍車をかけたのが、強奪された神経ガスの容器を写した写真を同封した、カミンスキィを名乗る人物からの手紙。
 米ロ両国の情報機関に送りつけられたそれは、冷戦集結に端を発する不実と、徹底した隠匿体質が生み出した狂気の鬼子の、復讐を誓う宣戦布告文であった。


――――――――――――――――――――



 事のあらましを話し終えるまでに、僕は5本の煙草を灰皿へと押し付けた。エコーは書類を漁る手を止め、思案顔で僕の話に耳を傾けていた。

「大尉がカミンスキィを追うのは、何故です?」
「……僕がしっかり上の頭を押さえておけば、あるいはカミンスキィを救わなければ、こんな冗談じみた戦争はなかった。そう思う事がある」

 もちろん、一人がどうこうできるほど小さな話ではない。しかし理解はしていても了承はできないのと同じで、その考えが僕の頭から離れる事はなかった。

「そりゃ、自虐がすぎますよ」
「わかってる。…………あった、これだ」

 漁っていたファイルから目当ての書類を見つけ、僕はその部分を抜きとる。

「これが神経ガスの?」
「そうだ」

 書類には強奪されたきり行方不明になっていた神経ガスの効果を示した表と、その特性、処理方法が記されている。
 酸素と化合して何百万倍にも体積を膨らまさせる特性を持ち、致死量はわずか数mg。吸収から死亡まで30秒とかからないその毒性は、異様な膨張力や酸素中での自然分解に135時間以上かかる性質と合間って、史上最悪の戦略兵器と言える。

 唯一の分解方法は、のちに開発されたテルミットプラズマと呼ばれる特殊焼夷爆薬による熱分解ーー8000度越えの高温で焼き尽くすというものだ。

 被害範囲と収集の困難を考えれば、戦略核兵器の投入の方がマシという有様。その様子はさながら廃棄品そのものだったけど、熱処理が容易ではないとあっては捨てるわけにもいかなかった事情がある。
 カミンスキィがこんな冗談じみたジャンク兵器を選んだのは、恐らくは無差別攻撃への利便性を考えてのこと。つまりは、この戦争自体がはなから虐殺目的だったということだろう。

「解毒薬は、テルミットプラズマだけですか」
「そうだ。いま本部が集積所からこちらに10kg分のTPを輸送してくれている」
「カミンスキィの方には?」
「セットで40kg分のTPが持ってかれている。多分同じ場所に」

 そうですか、とエコーが頷く。僕は紙面に視線を向けたまま、

「僕らの目標は、カミンスキィ暗殺、核兵器の回収、そして神経ガスの無力化ないし回収だ」
「ハードな状況ですね。3目標同時進行はなかなかエゲツない」
「しょうがないさ。僕らはエキスパート、戦争のプロフェッショナルだ」
「バックアップは?」
「失敗の際は洋上展開した艦隊がTP搭載のハープーンでダイレクトに叩くとさ」
「信用出来ますかね」
「信用出来ないから僕らが投入されるんだよ」

 なるほど、とエコーが頷く。

「つまり、俺らは決死のカミカゼ部隊って事ですか」
「そうだ」
「遺書と遺言状が要りますね……大尉はスバルちゃんへの説明?」
「説明はしない」

 何でですか? とエコーが首をかしげる。

「んな縁起でもない。死ぬにせよ何にせよ、心配はかけんさ。僕が死ぬときは、一人で死ぬ」





感想あればどうぞ
名前:
コメント:
|