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                 **序章  やかましいバラエティ番組が終わり、取って代わったようにNHKキャスターの穏やかで事務的な声が流れ始める。極薄液晶テレビへ目を向けると、旧ソ連衛星国での地域紛争を取り上げた映像が流されているところだった。  やたら旧式装備な現地国軍と、平和維持活動の名目で割り入ったロシア軍の熾烈な紛争。その様子が、噴煙交じりの惨状を映し出すモニターの向こうにあった。断続的な銃声に爆発音、追われるようにして逃げ回る市民の姿から目を離し、少女はティーカップを口元へ近づけた。  どだい、テレビ――それも国営ニュース――から得られる情報など、主観と編集の産物に過ぎない。欺瞞と損得勘定で捻じ曲げられた情報を鵜呑みにして、感情論で行動するのがこの国の国民たちの特技だが、少女はその輪の中に入るほど愚かではないという自負があった。 「まったく、ロシアも懲りないな」  仕立てのいいソファに身を沈め、酒を注いだグラスを傾けていた老人がぼそりと呟く。その様子を対面の席から確かめた少女は、ティーカップの中の紅茶に口をつけ、肩を竦める 「それがあの国でしょう。大戦から何も学ばず、冷戦時代やソ連の名残を引きずるのが常です」 「つまりは、よほどの能天気ということか」 「喉元過ぎれば熱さ忘れる。この国同様の無知と楽天性の持ち主です」ただ、と付け加え、少女はもう一口紅茶を口に含み、「私たちとの違いは、恨みを永遠に忘れないことです」  紅茶の紅い水面に、自分の顔が映り込む。まだまだ大人というには世間知らずな勝気さを残した顔がすっと目を細め、睨めつける。その表情に隠れた険に、いつからこんな顔をするようになったのだろうと自問する。 無論、自分自身への問いに答えが返ってくるわけもなく、少しの間をおいて老人がチャンネルを変更する気配が伝わり、少女は水面の自身から目を離した。 「どちらにせよ、まともなことにはならんさ。最近は欧州でキナ臭い話も耳にする」 「だから困っているんですよ。今のヨーロッパは物騒すぎます」  あれでも10年前よりはマシになったのだぞ? と老人は苦笑する。どことなく狸を思わせる好々爺の笑みに、つられて少女も微笑んでいた。  ちらりと腕時計を一瞥し、残り時間の枯渇を確かめた少女は、紅茶を飲み干して立ち上がる。ソファの背もたれに引っ掛けたコートを掴み、袖を通すと「茜……」とテレビの電源を落とした老人がこちらを呼び止めた。  自分の名前なのに、どこか懐かしい気がした。今の役職についてから名前ではなく役職で呼ばれる機会が増えたが、それでもこの老人が自分の名を呼ぶのは稀だ。ひどく疎遠に感じる自身の名を聞き流し、彼女は「なんですか、おじい様」と返事をよこす。 「仕事に気をつけなさい。お前の役職は恨み辛みを買うことになる」 「もとより承知の上です。どだい、この家に生まれた以上リスクは隣り合わせですから」  こちらを見つめていた老人の目が、かすかに揺らいだ。年相応以上にしわを刻んだ彼の額に皺がより、一抹の感情が瞳の奥を過る。何か言おうとして果たせず、結局、老人は酒の一杯で言葉にできない何かを飲み干したようだった。 「これはお前の祖父としての心配だ。どうか無理だけはしてくれるな」 「わかっています。欧州への移動の前に護衛の選抜をこちらで行いましたから」  言って、退出しようとする。しかし、ドアノブを掴むはずの手は、「待ちなさい」とかけられた力強い声にかき消されていた。  内心に嘆息と舌打ちを解き放ち、紫神茜は振り返った。「なんですか?」と肩を竦めて見せる。老人は部屋の戸棚に近づき、中から取り出した一束の書類を茜へと差し出した。 「これは?」 「勝手とは思うが、私が手配した腕利きだ」  眉根が寄るのを感じながら書類を抱える。勝手な真似を、と思いつつも心配されている心地よさがないまぜになって、結局一礼を返した茜は、ドアの前で再度礼をささげていた。 「ありがとうございます、おじい……いえ、防衛大臣」  律儀にも見送りを申し出た防衛大臣の秘書に丁重に断りを入れ、カーペットを踏みしめ帰路を急ぐ。途中、ふと書類の内容が気になった茜は、歩きながら紙面の一枚目をめくっていた。  ユーリ・マクドゥガル大尉と、一行目に記されたそれは、どうやら経歴書のようであった。                1   ヨーロッパ某国、旧ソ連衛星国。紛争地域。  もう10年以上も前に起こった大戦と、それに続く紛争、内戦でズタズタにされたとある小国。その国境付近のとある田舎町の、教会。  何百年も昔から存在し、風雨や戦火を乗り越えてきた伝統のある教会だったが、いまやその外壁は弾痕まみれでところどころ崩れ落ち、煤けているせいもあってさながら廃墟のように見える。  その隣には教会本館とは別にたてられていた礼拝堂があったのだが、最近この近くで頻発する戦闘の余波である爆撃を受け、土台だけを残して粉微塵に吹き飛んでいた。それは石造りの門も同じで、弾丸の嵐と爆撃にさらされ、いまでは支柱を残すのみとなっている。  ここは、平和維持活動の名目で介入したロシア陸軍と、反発勢力の激戦区だった地域だ。少し離れたところの大きな町では今でも戦闘が継続されていて、この近くでも小競り合いが継続している。  そんな教会の中には、近隣の民間人が身を寄せ合い、負傷者や病人が床に寝かせられている。砲撃で教会の天井には穴が開いていたけど、破壊された他所の家屋からかき集めた木材で応急処置が施されていた。  消毒液や血の匂いであふれかえっている教会に、一人の少女がいた。年の頃はまだ10歳にもなっていないだろう。彼女は使い古され何度も洗われた包帯を両腕に抱え、大人たちの指示に従ってせわしなく走り回っている。  そんな彼女の衣服はかき集めのぼろ布も同然だったが、小奇麗な犬のぬいぐるみが胸から首をのぞかせていた。彼女が両親からプレゼントされた宝物の人形で、今では唯一の所持品であり、両親の形見だ。  大人に呼ばれて、少女は包帯を配って走った。裸足だったうえに時期は冬が近く、冷え切った石畳のせいで足が痛かったけど、止まる事だけはしなかった。止まれば動く気力がなくなるからだとわかっていたし、何よりもやることがなくなると辛いことを思い出すからだ。  しかしいくら負傷者が多くても、なすべきことには限界がある。夜明けから丸々半日走り続けることには仕事がなくなって、彼女はシスターに命じられて休息をとることになった。  ひどく寒かったけど、防寒具は一つもなかった。  少女は犬のぬいぐるみ――アーサーと名付けていた――を抱きかかえ、壁に寄り掛かって大破した聖母像を見上げた。  ステンドグラスの向こうから飛来した砲弾が、聖母像の胸をきれいに打ち砕いていた。像から目を離し、彼女はアーサーに語りかける。 「ねぇアーサー、なんで誰も助けに来てくれないのかな」  まだこの国が平和だったころ、テレビの中にはヒーローがいた。誰かが困っていると助けに来てくれるヒーローだ。しばらくの間、アーサーの無機質な目を見つめていたけど、もちろん返事はない。  どこからか吹き込んできた風が寒くて、少女は身震いした。  目を閉じると思い出すのは、平和だった日々。やがてそれは押し入ってきた兵士たちの恐ろしい表情に変わり、逃げるように叫んだ母の後ろ姿になって、最終的には血と炎の海に沈む両親の姿に落ち着く。  ベッドで寝たい。毛布が欲しい。暖かい食べ物が欲しい。お母さんに会いたい。でも、もう二度と母親に会えないのだと思うと、自然と涙があふれてきた。  そんな思考を終わりにしたのは、ドアを蹴破る異音と、やかましくがなり立てる男たちの声だった。  弾かれるようにして顔を上げると、銃を担いだ兵士たちが威嚇しながら教会へと踏み入ってくる。年嵩のシスターがあわてて兵士に駆け寄り何事か語りかけたけど、次の瞬間にはシスターは蹴り飛ばされていた。  ああ、傭兵たちだ、と少女は理解した。兵力投入を面倒だとして、ロシア軍は正規軍と傭兵の混合部隊を使役していた。そして傭兵たちには軍隊の厳しい規則など関係なく、略奪や虐殺が平然と横行する世になってしまったのだ。その背景には、この地域に長くはびこる民族対立などの影もあったが、そんなことは殺される側には関係ないことだ。そもそも、この紛争の原因すら民族対立であり、彼ら傭兵は敵対民族に雇われているのだ。  本当は逃げるべきだったけど、できなかった。なにせ少女は疲れ果てていたし、逃げても殺されるだけだとわかっていたからだ。  傭兵たちが銃を天井に乱射し、全員に聖母像によるように命令する。集めて皆殺しする気だと理解した体からふと熱が消え、抗いようのない疲労感があふれてくるのを感じながら、他の大多数同様に少女は聖母像へと近寄った。  傭兵たちが銃口をこちらへ向ける。上を見ると、教会の上階通路にも数人の傭兵たちが見えた。  彼らが何事か会話をして、銃に弾を装填する。傭兵たちの銃口がぴたりと狙いを定めた。  ああ、こんなところで私は死んじゃうんだ。  ふとそんな考えが頭をよぎる。民族同士のいさかいや殺し合いに意味はない。意味の争いに自分がまきこまれたやるせなさと、殺されることへの恐怖がこみあげ、合わなくなった歯の根が音を立てたとき、場違いなほどに澄んだ金属音が響き渡った。  銃を構えた傭兵たちが怪訝な顔で音のするほうを向く。  何処からか投げ込まれたらしい円筒形の何かが教会の石畳の上を跳ね、からからと転がり――  閃光、爆音。  視界を塗りつぶす輝きと耳障りな轟音が、突如として膨れ上がった。思わず身を竦めた少女の耳に、靄のかかった銃声が飛び込んでくる。  傭兵たちが銃を撃ったのだろうかとも思ったけど、種類の違う銃声がいくつも重なり合っていて、それはどうやら聞きなれた銃撃戦の音だと気付いた。  閃光と炸裂音に撹拌された意識が眩暈を起こし、少女は危うく倒れそうになる。膝をつくことで転倒を避け、まだ焦点の定まり切らない目を開いた彼女の目に飛び込んできたのは、バタバタと撃ち倒される傭兵たちと、いつの間にか現れた黒装束の2人組の姿だった。  黒装束の手にする銃から短く区切られた連射音が発し、あわてて応戦する傭兵たちの銃声がそれに覆いかぶさる。やたらとばらまく傭兵たちの弾丸が教会の壁や床ばかりを削るのに対して、黒装束の二人の銃撃はとても正確で、動きは機械のように無駄がない。  瞬く間に傭兵の全員が撃ち倒された。しかし黒装束たちは油断なく銃口を教会中に向け、潜伏する生き残りがいないことを確かめてから銃を下す。 「ここの責任者は?」  黒装束の片方が、かぶっていたヘルメットを小脇に抱え、顔を保護していたゴーグルと黒い目だし帽(バラクラバ)を外す。その下から現れたのは若い男の顔で、東洋系の横顔には兵士らしいシャープな鋭さがある。左目を縦断する大きな切創が特徴的だった。  しばらくの静寂の後、おずおずと修道服の手が上がる。先ほど蹴り飛ばされたシスターはよろめきながらも立ち上がり、身を寄せ合う避難民の間を抜け、男へと近づいた。 「あなたが責任者ですか……自分は国連に派遣された部隊の者です。たまたま通りかかったので、救助を」  兵士が言う。シスターが何事か応じ、2、3言交し合った二人は、最終的に握手を交わして話を終えたようだった。 「みなさん聞いてください、これから国連軍に救助ヘリを要請します。我々の誘導に従って、落ち着いてヘリに乗り込んでください」    教会の外の開けた空間に、UNのロゴが入った大型ヘリが舞い降りた。中から降りてきた国連の医師団と多国籍軍兵士たちが、負傷者優先だと大声を上げながら収容を進める。  その様子を眺めながら、少女は配られた白湯に口をつけた。味も何もないただのお湯だったが、久々の熱が体に染み渡る感覚が懐かしくて、とてもおいしく感じた。  そういえばあの二人はどこだろう、と周囲を見回す。自分たちを助けてくれた黒装束の二人は、収容される人々を眺めながら、動かなくなった車のボンネットに腰掛けていた。  片方は東洋人の男。先ほどまで目だし帽(バラクラバ)をかぶっていたもう一人は、金髪碧眼のとても綺麗な大人の女性だった。男のほうはいかにも兵士といった風貌だが、女性のほうはとてもこういうところは似合わない。むしろテレビの中にいるほうが自然な容姿だ。  あの人たちは、どんな人なんだろう。そんな疑問が少女の思考を占領する。この国の軍隊も、攻めて来た軍隊も、誰も助けに来てくれなかった。ニュースキャスターたちは映像を収めるだけで知らんふりを続け、訪れる傭兵だって手を差し伸べてくれやしない。  それなのに、なんであの人たちは助けてくれたんだろう。私たちを助けてもお金にすらならないのに。 「どうかしたかい?」  気が付けば、黒装束の男がこちらに歩み寄っていた。自分よりはるかに大きな男を見上げ、その顔を覗き込む。遠目から見ると鋭かった顔つきは、近くから見るとまた違った印象を受ける。  少女はむかし、テレビでニホンという国のサムライと呼ばれた人が出てくる話を見たことがあった。目の前の男は、その中で主役だったサムライに似ている、と少女は思う。どことなく愛嬌のある微笑みを浮かべた男の顔をまじまじと見つめ、その瞳に深い青を見つけた彼女は、疑問を口にしていた。 「なんで、あなたたちはわたしたちを助けてくれたの?」  きょとん、と男は目を丸くし、ややあってにやりと笑みの表情を作る。肩を竦め、少女と同じ目線になるようにしゃがみこんだ男は、つぶやくように言った。 「理由なんてものはないかな。人が殺されそうになっていたから助けただけだよ」 「でも、あなたたちは兵隊さんなんでしょう?」 「うん、だから僕は、君たちを殺そうとした傭兵たちを殺した」  思いのほか、男の声は穏やかだった。何処か学者然とした優しげな横顔に目を向け、少女は続ける。 「じゃあ、なんであの人たちを殺して、わたしたちを助けてくれたの?」 「……戦争は兵士たちの物だ。そこに、関係ない民間人や君みたいな子供を巻き込むことを、僕は容認できない。だから助けた。それ以上の理由はないよ」  男が立ち上がり、そろそろ君の乗りこむ番だ、とヘリを指さす。ヘリへと歩き出した男についていきながら、少女はさらに口を開く。 「じゃあ、あなたたちはヒーローなの?」 「違うよ、ヒーローは人を殺さない。僕は君の周りをめちゃくちゃにした兵士たちと同じだ」 「……そんなことない、だって助けてくれたから」  ヘリの前にたどり着き、男が振り向く。青い瞳がじっと自分に注がれ、その目の奥を見つめ返した少女は、困ったように笑った男に首をかしげていた。 「それは立場と雇主の違いさ。結局僕はただの傭兵だからね。だから、僕はヒーローじゃない。ただの人殺しだよ」  男が少女を抱え上げ、ヘリに乗り込んだ医師団の一人に預ける。全員が乗り込んだことによりゆっくりと閉じ始めたハッチを見、少女はあわてて最後の問いを繰り出していた。 「待って! ……あなたの名前は?」  立ち去りかけた男が立ち止り、向き直る。 「ユーリ……ユーリ・マクドゥガルだ」   - ぜひ感想くださいな - いいと思うぞ!次回にも期待 -- 金 (2012-05-17 19:23:50) - とても楽しく読めましたわ!プロローグにふさわしい、引き込まれる文章でしたの! -- みゃーこ (2012-05-17 19:26:40) - 大作の予感がしますね。次回作も居住まいを正して待ってます。 -- 御守影信 (2012-05-17 20:05:45) - 前に比べずいぶん読みやすくなってるなぁ。期待しよう。 -- ぬこ (2012-05-18 23:04:40) - CoD3かじってる希ガス -- 咲夜 (2012-05-19 09:03:59) - MW3の事ならまったくの無関係だよ -- ユーリ (2012-05-19 12:15:44) - すっきりしていて読みやすいです。期待大。 -- アイザック (2012-05-19 13:36:37) #comment
                 **序章  やかましいバラエティ番組が終わり、取って代わったようにNHKキャスターの穏やかで事務的な声が流れ始める。極薄液晶テレビへ目を向けると、旧ソ連衛星国での地域紛争を取り上げた映像が流されているところだった。  やたら旧式装備な現地国軍と、平和維持活動の名目で割り入ったロシア軍の熾烈な紛争。その様子が、噴煙交じりの惨状を映し出すモニターの向こうにあった。断続的な銃声に爆発音、追われるようにして逃げ回る市民の姿から目を離し、少女はティーカップを口元へ近づけた。  どだい、テレビ――それも国営ニュース――から得られる情報など、主観と編集の産物に過ぎない。欺瞞と損得勘定で捻じ曲げられた情報を鵜呑みにして、感情論で行動するのがこの国の国民たちの特技だが、少女はその輪の中に入るほど愚かではないという自負があった。 「まったく、ロシアも懲りないな」  仕立てのいいソファに身を沈め、酒を注いだグラスを傾けていた老人がぼそりと呟く。その様子を対面の席から確かめた少女は、ティーカップの中の紅茶に口をつけ、肩を竦める 「それがあの国でしょう。大戦から何も学ばず、冷戦時代やソ連の名残を引きずるのが常です」 「つまりは、よほどの能天気ということか」 「喉元過ぎれば熱さ忘れる。この国同様の無知と楽天性の持ち主です」ただ、と付け加え、少女はもう一口紅茶を口に含み、「私たちとの違いは、恨みを永遠に忘れないことです」  紅茶の紅い水面に、自分の顔が映り込む。まだまだ大人というには世間知らずな勝気さを残した顔がすっと目を細め、睨めつける。その表情に隠れた険に、いつからこんな顔をするようになったのだろうと自問する。 無論、自分自身への問いに答えが返ってくるわけもなく、少しの間をおいて老人がチャンネルを変更する気配が伝わり、少女は水面の自身から目を離した。 「どちらにせよ、まともなことにはならんさ。最近は欧州でキナ臭い話も耳にする」 「だから困っているんですよ。今のヨーロッパは物騒すぎます」  あれでも10年前よりはマシになったのだぞ? と老人は苦笑する。どことなく狸を思わせる好々爺の笑みに、つられて少女も微笑んでいた。  ちらりと腕時計を一瞥し、残り時間の枯渇を確かめた少女は、紅茶を飲み干して立ち上がる。ソファの背もたれに引っ掛けたコートを掴み、袖を通すと「茜……」とテレビの電源を落とした老人がこちらを呼び止めた。  自分の名前なのに、どこか懐かしい気がした。今の役職についてから名前ではなく役職で呼ばれる機会が増えたが、それでもこの老人が自分の名を呼ぶのは稀だ。ひどく疎遠に感じる自身の名を聞き流し、彼女は「なんですか、おじい様」と返事をよこす。 「仕事に気をつけなさい。お前の役職は恨み辛みを買うことになる」 「もとより承知の上です。どだい、この家に生まれた以上リスクは隣り合わせですから」  こちらを見つめていた老人の目が、かすかに揺らいだ。年相応以上にしわを刻んだ彼の額に皺がより、一抹の感情が瞳の奥を過る。何か言おうとして果たせず、結局、老人は酒の一杯で言葉にできない何かを飲み干したようだった。 「これはお前の祖父としての心配だ。どうか無理だけはしてくれるな」 「わかっています。欧州への移動の前に護衛の選抜をこちらで行いましたから」  言って、退出しようとする。しかし、ドアノブを掴むはずの手は、「待ちなさい」とかけられた力強い声にかき消されていた。  内心に嘆息と舌打ちを解き放ち、紫神茜は振り返った。「なんですか?」と肩を竦めて見せる。老人は部屋の戸棚に近づき、中から取り出した一束の書類を茜へと差し出した。 「これは?」 「勝手とは思うが、私が手配した腕利きだ」  眉根が寄るのを感じながら書類を抱える。勝手な真似を、と思いつつも心配されている心地よさがないまぜになって、結局一礼を返した茜は、ドアの前で再度礼をささげていた。 「ありがとうございます、おじい……いえ、防衛大臣」  律儀にも見送りを申し出た防衛大臣の秘書に丁重に断りを入れ、カーペットを踏みしめ帰路を急ぐ。途中、ふと書類の内容が気になった茜は、歩きながら紙面の一枚目をめくっていた。  ユーリ・マクドゥガル大尉と、一行目に記されたそれは、どうやら経歴書のようであった。                1   ヨーロッパ某国、旧ソ連衛星国。紛争地域。  もう10年以上も前に起こった大戦と、それに続く紛争、内戦でズタズタにされたとある小国。その国境付近のとある田舎町の、教会。  何百年も昔から存在し、風雨や戦火を乗り越えてきた伝統のある教会だったが、いまやその外壁は弾痕まみれでところどころ崩れ落ち、煤けているせいもあってさながら廃墟のように見える。  その隣には教会本館とは別にたてられていた礼拝堂があったのだが、最近この近くで頻発する戦闘の余波である爆撃を受け、土台だけを残して粉微塵に吹き飛んでいた。それは石造りの門も同じで、弾丸の嵐と爆撃にさらされ、いまでは支柱を残すのみとなっている。  ここは、平和維持活動の名目で介入したロシア陸軍と、反発勢力の激戦区だった地域だ。少し離れたところの大きな町では今でも戦闘が継続されていて、この近くでも小競り合いが継続している。  そんな教会の中には、近隣の民間人が身を寄せ合い、負傷者や病人が床に寝かせられている。砲撃で教会の天井には穴が開いていたけど、破壊された他所の家屋からかき集めた木材で応急処置が施されていた。  消毒液や血の匂いであふれかえっている教会に、一人の少女がいた。年の頃はまだ10歳にもなっていないだろう。彼女は使い古され何度も洗われた包帯を両腕に抱え、大人たちの指示に従ってせわしなく走り回っている。  そんな彼女の衣服はかき集めのぼろ布も同然だったが、小奇麗な犬のぬいぐるみが胸から首をのぞかせていた。彼女が両親からプレゼントされた宝物の人形で、今では唯一の所持品であり、両親の形見だ。  大人に呼ばれて、少女は包帯を配って走った。裸足だったうえに時期は冬が近く、冷え切った石畳のせいで足が痛かったけど、止まる事だけはしなかった。止まれば動く気力がなくなるからだとわかっていたし、何よりもやることがなくなると辛いことを思い出すからだ。  しかしいくら負傷者が多くても、なすべきことには限界がある。夜明けから丸々半日走り続けることには仕事がなくなって、彼女はシスターに命じられて休息をとることになった。  ひどく寒かったけど、防寒具は一つもなかった。  少女は犬のぬいぐるみ――アーサーと名付けていた――を抱きかかえ、壁に寄り掛かって大破した聖母像を見上げた。  ステンドグラスの向こうから飛来した砲弾が、聖母像の胸をきれいに打ち砕いていた。像から目を離し、彼女はアーサーに語りかける。 「ねぇアーサー、なんで誰も助けに来てくれないのかな」  まだこの国が平和だったころ、テレビの中にはヒーローがいた。誰かが困っていると助けに来てくれるヒーローだ。しばらくの間、アーサーの無機質な目を見つめていたけど、もちろん返事はない。  どこからか吹き込んできた風が寒くて、少女は身震いした。  目を閉じると思い出すのは、平和だった日々。やがてそれは押し入ってきた兵士たちの恐ろしい表情に変わり、逃げるように叫んだ母の後ろ姿になって、最終的には血と炎の海に沈む両親の姿に落ち着く。  ベッドで寝たい。毛布が欲しい。暖かい食べ物が欲しい。お母さんに会いたい。でも、もう二度と母親に会えないのだと思うと、自然と涙があふれてきた。  そんな思考を終わりにしたのは、ドアを蹴破る異音と、やかましくがなり立てる男たちの声だった。  弾かれるようにして顔を上げると、銃を担いだ兵士たちが威嚇しながら教会へと踏み入ってくる。年嵩のシスターがあわてて兵士に駆け寄り何事か語りかけたけど、次の瞬間にはシスターは蹴り飛ばされていた。  ああ、傭兵たちだ、と少女は理解した。兵力投入を面倒だとして、ロシア軍は正規軍と傭兵の混合部隊を使役していた。そして傭兵たちには軍隊の厳しい規則など関係なく、略奪や虐殺が平然と横行する世になってしまったのだ。その背景には、この地域に長くはびこる民族対立などの影もあったが、そんなことは殺される側には関係ないことだ。そもそも、この紛争の原因すら民族対立であり、彼ら傭兵は敵対民族に雇われているのだ。  本当は逃げるべきだったけど、できなかった。なにせ少女は疲れ果てていたし、逃げても殺されるだけだとわかっていたからだ。  傭兵たちが銃を天井に乱射し、全員に聖母像によるように命令する。集めて皆殺しする気だと理解した体からふと熱が消え、抗いようのない疲労感があふれてくるのを感じながら、他の大多数同様に少女は聖母像へと近寄った。  傭兵たちが銃口をこちらへ向ける。上を見ると、教会の上階通路にも数人の傭兵たちが見えた。  彼らが何事か会話をして、銃に弾を装填する。傭兵たちの銃口がぴたりと狙いを定めた。  ああ、こんなところで私は死んじゃうんだ。  ふとそんな考えが頭をよぎる。民族同士のいさかいや殺し合いに意味はない。意味の争いに自分がまきこまれたやるせなさと、殺されることへの恐怖がこみあげ、合わなくなった歯の根が音を立てたとき、場違いなほどに澄んだ金属音が響き渡った。  銃を構えた傭兵たちが怪訝な顔で音のするほうを向く。  何処からか投げ込まれたらしい円筒形の何かが教会の石畳の上を跳ね、からからと転がり――  閃光、爆音。  視界を塗りつぶす輝きと耳障りな轟音が、突如として膨れ上がった。思わず身を竦めた少女の耳に、靄のかかった銃声が飛び込んでくる。  傭兵たちが銃を撃ったのだろうかとも思ったけど、種類の違う銃声がいくつも重なり合っていて、それはどうやら聞きなれた銃撃戦の音だと気付いた。  閃光と炸裂音に撹拌された意識が眩暈を起こし、少女は危うく倒れそうになる。膝をつくことで転倒を避け、まだ焦点の定まり切らない目を開いた彼女の目に飛び込んできたのは、バタバタと撃ち倒される傭兵たちと、いつの間にか現れた黒装束の2人組の姿だった。  黒装束の手にする銃から短く区切られた連射音が発し、あわてて応戦する傭兵たちの銃声がそれに覆いかぶさる。やたらとばらまく傭兵たちの弾丸が教会の壁や床ばかりを削るのに対して、黒装束の二人の銃撃はとても正確で、動きは機械のように無駄がない。  瞬く間に傭兵の全員が撃ち倒された。しかし黒装束たちは油断なく銃口を教会中に向け、潜伏する生き残りがいないことを確かめてから銃を下す。 「ここの責任者は?」  黒装束の片方が、かぶっていたヘルメットを小脇に抱え、顔を保護していたゴーグルと黒い目だし帽(バラクラバ)を外す。その下から現れたのは若い男の顔で、東洋系の横顔には兵士らしいシャープな鋭さがある。左目を縦断する大きな切創が特徴的だった。  しばらくの静寂の後、おずおずと修道服の手が上がる。先ほど蹴り飛ばされたシスターはよろめきながらも立ち上がり、身を寄せ合う避難民の間を抜け、男へと近づいた。 「あなたが責任者ですか……自分は国連に派遣された部隊の者です。たまたま通りかかったので、救助を」  兵士が言う。シスターが何事か応じ、2、3言交し合った二人は、最終的に握手を交わして話を終えたようだった。 「みなさん聞いてください、これから国連軍に救助ヘリを要請します。我々の誘導に従って、落ち着いてヘリに乗り込んでください」    教会の外の開けた空間に、UNのロゴが入った大型ヘリが舞い降りた。中から降りてきた国連の医師団と多国籍軍兵士たちが、負傷者優先だと大声を上げながら収容を進める。  その様子を眺めながら、少女は配られた白湯に口をつけた。味も何もないただのお湯だったが、久々の熱が体に染み渡る感覚が懐かしくて、とてもおいしく感じた。  そういえばあの二人はどこだろう、と周囲を見回す。自分たちを助けてくれた黒装束の二人は、収容される人々を眺めながら、動かなくなった車のボンネットに腰掛けていた。  片方は東洋人の男。先ほどまで目だし帽(バラクラバ)をかぶっていたもう一人は、金髪碧眼のとても綺麗な大人の女性だった。男のほうはいかにも兵士といった風貌だが、女性のほうはとてもこういうところは似合わない。むしろテレビの中にいるほうが自然な容姿だ。  あの人たちは、どんな人なんだろう。そんな疑問が少女の思考を占領する。この国の軍隊も、攻めて来た軍隊も、誰も助けに来てくれなかった。ニュースキャスターたちは映像を収めるだけで知らんふりを続け、訪れる傭兵だって手を差し伸べてくれやしない。  それなのに、なんであの人たちは助けてくれたんだろう。私たちを助けてもお金にすらならないのに。 「どうかしたかい?」  気が付けば、黒装束の男がこちらに歩み寄っていた。自分よりはるかに大きな男を見上げ、その顔を覗き込む。遠目から見ると鋭かった顔つきは、近くから見るとまた違った印象を受ける。  少女はむかし、テレビでニホンという国のサムライと呼ばれた人が出てくる話を見たことがあった。目の前の男は、その中で主役だったサムライに似ている、と少女は思う。どことなく愛嬌のある微笑みを浮かべた男の顔をまじまじと見つめ、その瞳に深い青を見つけた彼女は、疑問を口にしていた。 「なんで、あなたたちはわたしたちを助けてくれたの?」  きょとん、と男は目を丸くし、ややあってにやりと笑みの表情を作る。肩を竦め、少女と同じ目線になるようにしゃがみこんだ男は、つぶやくように言った。 「理由なんてものはないかな。人が殺されそうになっていたから助けただけだよ」 「でも、あなたたちは兵隊さんなんでしょう?」 「うん、だから僕は、君たちを殺そうとした傭兵たちを殺した」  思いのほか、男の声は穏やかだった。何処か学者然とした優しげな横顔に目を向け、少女は続ける。 「じゃあ、なんであの人たちを殺して、わたしたちを助けてくれたの?」 「……戦争は兵士たちの物だ。そこに、関係ない民間人や君みたいな子供を巻き込むことを、僕は容認できない。だから助けた。それ以上の理由はないよ」  男が立ち上がり、そろそろ君の乗りこむ番だ、とヘリを指さす。ヘリへと歩き出した男についていきながら、少女はさらに口を開く。 「じゃあ、あなたたちはヒーローなの?」 「違うよ、ヒーローは人を殺さない。僕は君の周りをめちゃくちゃにした兵士たちと同じだ」 「……そんなことない、だって助けてくれたから」  ヘリの前にたどり着き、男が振り向く。青い瞳がじっと自分に注がれ、その目の奥を見つめ返した少女は、困ったように笑った男に首をかしげていた。 「それは立場と雇主の違いさ。結局僕はただの傭兵だからね。だから、僕はヒーローじゃない。ただの人殺しだよ」  男が少女を抱え上げ、ヘリに乗り込んだ医師団の一人に預ける。全員が乗り込んだことによりゆっくりと閉じ始めたハッチを見、少女はあわてて最後の問いを繰り出していた。 「待って! ……あなたの名前は?」  立ち去りかけた男が立ち止り、向き直る。 「ユーリ……ユーリ・マクドゥガルだ」   - ぜひ感想くださいな - いいと思うぞ!次回にも期待 -- 金 (2012-05-17 19:23:50) - とても楽しく読めましたわ!プロローグにふさわしい、引き込まれる文章でしたの! -- みゃーこ (2012-05-17 19:26:40) - 大作の予感がしますね。次回作も居住まいを正して待ってます。 -- 御守影信 (2012-05-17 20:05:45) - 前に比べずいぶん読みやすくなってるなぁ。期待しよう。 -- ぬこ (2012-05-18 23:04:40) - CoD3かじってる希ガス -- 咲夜 (2012-05-19 09:03:59) - MW3の事ならまったくの無関係だよ -- ユーリ (2012-05-19 12:15:44) - すっきりしていて読みやすいです。期待大。 -- アイザック (2012-05-19 13:36:37) - 学校でも読ませてもらったけど、やっぱ上手いね。サクサク読める。 -- たけるん (2012-06-19 18:18:12) #comment

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