警察の捜査は難航を極めていた田村ひよりの殺害現場から、証拠となりえるものが何一つ見つからなかったからだ指紋は元より、足跡、犯人が残していった遺留品、頭髪や体液もまったくない人通りも少なく――ほとんどと言った方が適切だろうが――目撃証言すら見つけだせない『容疑者は?』と聞かれても、『この町の誰か』とまでしか言えないのだ見ず知らずの彼女をメッタ刺しにするのはありえないので、おそらく知り合いなのだろうが……情報が少なすぎるだけに、警察は動けないでいる
もともとその裏路地が人通りがほとんどないところだと、みなみは知っていた家に帰って血のついた服を処理。切り刻んで細切れにし、排水溝に流すそれから服を着替え、殺害現場まで戻って血液が固まったのを確認すると、辺りの掃除を始めた自らの髪の毛や靴についていたであろう泥を掃いていく『殺害現場の周りだけが綺麗では怪しまれるだろう』ということまで予測し、近くの通りも掃除する念の入れよう汗とかだけはどうにもならないと諦めたが、実際にそれらは検出されなかったようだそれは犯人であるみなみにとっては、喜ばしいことであるはずが……彼女の心は今、別の感情に支配されていた
「……ゆたか……」
そう、『最愛の友を失った』という虚無感であるこれから自分たちには、輝かしい未来が待ってくれていたはずだった辛いことがあったとしても、ゆたかがいるからそれも乗り越えられるだろうと、そう思っていたのにそれをタムラヒヨリなどという得体のしれない女性に奪われてしまうなんて……今や彼女の中では『田村ひより』という人物は友達の欄からデリートされている
「みなみー。日下部さんがいらしたわよー」「!」
日下部みさお。学校の先輩であり、今となってはたった三人となってしまった、みなみの友達の一人だこの来訪が、どれだけみなみの心を救ったかは言うまでもない
「よぉ、岩崎」「こんにちは、日下部先輩。ちなみに……この家の人はみんな岩崎ですよ?」「あっはは! 違いねぇや!」
みさおが来ただけなのに冗談を言えるまで回復したゆたかはいないけれども、この人達となら悲しみを乗り越えられそうな気がした
「岩崎……大丈夫か?」
瞬間、みさおがえらく暗い声で聞いてきた正直、先ほどまでまったく大丈夫ではなかったのだが……
「日下部先輩が来てくれなかったら……どうなってたか……」「……そうか。やっぱり、相当ショックだったんだな。二人が殺されて……」
ドロリと、黒い感情が、みなみの心に溢れてきた『二人じゃなくて一人だ』と叫びたくなる衝動を抑えて、みなみは頷いた
「……私な、最初は田村が小早川を殺した犯人だと思ってたんだ」「え……」「けど、そりゃ間違いだったみたいだな。田村に……悪いことしちまったよ」
違う犯人は……田村ひよりで間違いないだから……あんなヤツに謝らないでドス黒い感情が、みなみの中で更に大きくなる
「あの……お茶をお持ちしますね」「あ、悪いな」「いえ。日下部先輩は、大事なお客様なので」
そう言って、みなみは部屋を出る扉にもたれかかりながら、みなみは唇を噛み締めたわかってる。日下部先輩に悪気はないことはだが……どうしても気持ちが収まらないそんな自分が悔しくて壁を叩きつけた ・・・ 「岩崎、絶対に自殺なんかすんじゃねぇぞ」「わかってます。二人の分まで……私は生きなくてはいけませんから」
本音と建前、とはよく言ったものだ本当は田村ひよりの……殺人者の分まで生きるつもりは毛頭なかった
「あ、そうだ。学校は……」「はい、三日後からですよね。校内の事件ではなかったので休校が延長することはなかった、と聞いています」「しっかり準備しとけよ。じゃあな」
玄関の扉を開けて、岩崎家から出ていくみさおそんなみさおに、みなみは扉が閉まるまで手を振り続けていた
「……本当……いい、先輩だな……」
わざわざ自分のために家まで訪ねてきてくれる自分も将来、あんな先輩になりたいなと思いながら、部屋に戻って三日後の準備をする時間割は現代文、数学1、体育、英語、五・六時間目は調理実習。机の引き出しを開けて教科書を出す
「あ……」
机の角に置いてある鍵。ゆたかを殺した犯人を突き止めようとみなみが陵桜に侵入した際に使用した鍵だ鍵の管理をしている教頭からこっそり『盗んだ』のだが、返すのをすっかり忘れていた
「……」
自宅に家宅捜索が入るわけでもない。返す必要もないとは思うが……念のため、学校が始まったら教頭に返しておこうみなみは『ハンカチ』でそれを包み、小さな袋に入れた……そういえば、四時間目の英語は小テストがあったはず。英語の教科書を開いて勉強を始めた
・・・
「どうだった? 日下部」「……すんごいモン発見したよ」
かがみの部屋にやってきたみさおはデジカメをいじり始めた
今回の事件、無惨な殺され方からして、怨恨以外に動機はなさそうだった田村ひよりが小早川ゆたか殺しの犯人であることは指紋から確定している(公表はされてないが)だとしたら……『田村ひよりが小早川ゆたかを殺した犯人であると突き止め、敵討ちをした』というところが妥当であろうこれらの話を警察官であるゆいから聞いたみさおは、ゆたかに一番近かった人物『岩崎みなみ』が犯人だろうと推測した先ほどみさおがみなみのところに行ったのも、激励のためではない。『みなみが犯人である』という証拠を見つけるためだったひよりが犯人ではないだろうという言葉もわざとで、もし犯人だとしたらボロを出すかもしれない、と思って口にしたのだ反応はしたものの、彼女はいたって冷静そうだった
「おお、コレだコレ」「え、コレって……」
その写真に写っていたのは鍵だったかがみには、その鍵に見覚えがあった。深夜の陵桜に侵入した際に黒井先生が見せた――陵桜の裏門の鍵である
「な、なんでコレが岩崎さんの家に……?」「教頭が鍵を無くしたって言ってたな。落としたのを拾ったか、あるいは盗んだか」
ゆいに聞いたところ、自分たちが侵入する前日は陵桜の裏門に鍵はかかってなかったという鍵の管理をしている教頭に確認すると、事件が起きてから鍵を開けてはいないらしいということは『侵入前日から直前まで、紛失した鍵を使って自分たち以外の誰かが侵入していた』ということになる
「う~ん……これだけで犯人って決め付けるのには不充分ね」
落ちていたところを拾った、と言われたらそれまでになってしまう決定的な証拠……とは言えない
「とりあえず、三日後だな。教頭に返せば拾ったって確率が格段に高くなる。返さなきゃ……返す必要がないと思ってるってことだ」「でも、ただ単に忘れてるって可能性も……」「忘れ物率ゼロの岩崎がか?」
やはりそれも状況証拠に過ぎないが……それでも『拾ったことを忘れていた』という確率は限りなく低くなるだろう
「でも、ゆたかちゃんを殺されたショックで」「……柊」
底冷えするような声で、みさおは言った以前の事件で、犯人である妹のつかさを庇い続けていたかがみ。そんなかがみを怒鳴る直前にも、このような声を出していた
「友達を疑うのが嫌なら、無理に手伝ってくれなくてもいい。けどな……誰かが誰かを疑わなきゃ、この話は終わらねぇんだ」「!」
しばらく、沈黙が辺りを包み込む自分の胸に手を当てて考えるかがみ。そして、目を瞑った
「……ごめん、日下部。目が覚めたわ」
次にみさおが見たかがみの瞳は、しっかりと前を向いていた
「現実から逃げてばかりじゃダメね。誰が犯人だろうと、しっかり受け取めなきゃ……殺された二人がうかばれないわ」
その言葉を聞いて、みさおは胸を撫で下ろした『無理に手伝ってくれなくてもいい』と言ったが、実際はかがみの力を借りなければいけないだろうと思っていたのだ彼女の一か八かの賭けは、成功した
今、証拠になりそうなものはこの鍵。しかも決定的な証拠とはいえない。それでも大きな指針にはなる学校が始まってから、岩崎みなみがどう動くか……全ては三日後、明らかとなる
「むぅ……鍵は一体どこに行ったのやら……」
生徒達でにぎわう陵桜学園の廊下で、中年の男性は困ったように行ったり来たりしていた彼は陵桜学園の教頭、そして陵桜の鍵を管理している人物であるあの日から三日が経過していた。一時間目を終えて、二時間目との休み時間
「教頭先生ー」「……お? おお、日下部さんじゃないか」
そんな教頭に、みさおが声をかけた
「鍵、見つかりましたか?」「いや、まだだが……」
『みなみが持っていた』とは言わない。無理に聞き出そうとしても、口を割らないことが多いからだ前回の事件で警察にも知り合いができ、いろいろと捜査のノウハウを教えてもらったのである
「あの……」「お、岩崎。何か用か?」
そんな会話をする二人のもとに、みなみが遠慮がちに口を挟んだそして教頭に向けて左手を差し出す
「……!!」「あの、事件が起きる直前に、学校の敷地内で見つけたんです。早く返しておけばよかったんですが、すっかり忘れてしまって……」「おお、私がなくした鍵だ! わざわざありがとう」
みなみが教頭に差し出したのは、半透明の小さな袋その中には、確かに陵桜の裏門の鍵が入っていた
「いえ……では、失礼します」
その場から立ち去るみなみを、みさおは呆然と見送ったみさおは、みなみが犯人だと半ば決め付けていた。だから、鍵を返しには来ないだろうと踏んでいたのにこれでみなみが犯人である可能性はぐっと減った。(警察でもなんでもないのに)また調べ直しかと肩を落とした、その時だった
「しかし……なんでわざわざ袋なんかに入れとるんだ? 手渡しでもいいのに……」「!!」
その教頭の言葉を聞いた時、みさおの顔があがった
「……教頭先生。その鍵を貸してもらっていいですか?」「なに?」「その鍵には、ここ最近の事件の犯人に繋がる手掛かりがあると思います。帰りに知り合いの警察に渡してくるので、貸してください」
教頭は顎に手をやって考えたやっと返ってきた鍵を貸し出すというのは忍びないが……みさおは以前の事件を解決した人間。勘違いではないだろうそれに……犯人を捕まえるのに協力できるのなら、安いものだ
「わかった。ただし、なくすんじゃないぞ」「ありがとうございます」
みさおは袋のまま鍵を受け取ると、そのまま教室へと帰っていった
「……あり?」
教室には、なぜか誰もいなかったおかしい。まだ休み時間なのに、なぜ誰も教室にいないのだろう?気になって時間割を見てみると……
「やっば! 二、三時間目は調理実習かよ!!」
みさおは鍵を忘れないように筆箱に突っ込むと、エプロンと三角巾を持って家庭科室へと急いだ廊下を全力疾走していく。曲がり角で女子生徒とぶつかりそうになったが、際どいところでそれをパスする
「はぁ……はぁ……せ、セーフ……」「遅いじゃないのよ、日下部! 早く着替えちゃいなさい!」「わかってるよ!」
一番後ろがみさおの班。先に来ていたかがみに急かされ、急いで着替える三角巾を頭に巻いたところでチャイムが鳴り響いた
「あ……あぶねぇ……」「まったく。次から気を付けなさいよ?」
チャイムと同時に先生が入ってきて、調理実習の準備をするように指示二人の班は、かがみがまな板を、みさおが包丁を取りに行くことになった
「えーっと、ここだよな。包丁、包丁……」
みさおは一番後ろの戸棚を開け、中から包丁を幾つか取り出すと、左端のものを手に取った時点でみさおの動きが止まった
「何やってるのよ?」
その様子を見たかがみが呆れながらみさおに近付くそのみさおはというと、包丁の匂いを嗅いでいた
「……血なまぐせぇ」「え?」「ほら、柊も」
包丁を渡され、戸惑いながら鼻を近付けると……
「……! 本当、微かだけど血の匂いがする」「だろ?」
本当に微かな匂いだった。周りの人間も鼻を近付けるが、まったくわからないそれは、みさおとかがみが何度も血の匂いを嗅いできたからであろう一生身につけたくない特技を身につけてしまい、かがみは落胆した
「もしかしたら……」
みさおはすぐさま包丁を専用ケースの中にしまい、マジックで大きく『使用禁止』と書いて家庭科室の隅に置いた
「ちょ、何やってるの!?」
騒ぎを聞き付けた教師が走ってくるその教師に右手の手のひらを向け、
「これは、小早川と田村を殺した犯人の大事な証拠なんです。先生は黙っててください」「警察でもなんでもないアナタが何を言ってるの!」
瞬間、みさおが目を見開いて、その教師に向かって声を張り上げた
「今はそんなこと言ってる場合じゃないんです! 犯人に可能性のあるものは全部私が警察に持っていく!! それでいいですね!?」「日下部……」
早く犯人を見つけたいというみさおの想いが、かがみにも伝わってきたどうでもいいことで、見つかるはずの犯人が見つからなくなる……怒りだして当然だろう
「先生、私からもお願いします」「柊さんまで!」「日下部は、前の事件でちゃんと犯人を追い詰めたんです。ですから……日下部に賭けてやってください!」
床に正座し、そのまま教師に頭を下げる。いわゆる土下座である
「……仕方ないわね。日下部さんを信頼しましょう」「それじゃあ!」「ただし」
目を輝かせて見つめてくるみさおに、教師は人差し指を突き付けた
「絶対に犯人を捕まえること。小早川さんと田村さんに……約束できるわね?」「もちろんです!」
みさおは元気よく返事をして頭を下げるそしてそれからは何事もなかったかのように調理実習は進み、みんなでおいしい料理をいただいた ・・・ 「……」
みなみは包丁を見つめたまま、立ち尽くしていたその包丁は、『自分が田村ひよりを殺した包丁』そのもの実はこの包丁、みなみは指紋を消すことができなかったのだひよりの死体の周りを掃除しているうちに空が明るくなってきて、そこでようやく凶器の包丁を処理していないことに気が付いた家から指紋を拭き取るためのタオルを持ってくる時間はない。ハンカチはすでに血でまみれている。どうしようかと、みなみは思案したそこで、思い出した。休校明けの初日に調理実習があることをだからみなみは、わかりやすいよう戸棚の左端に凶器の包丁を置いた初日から調理実習など、おそらく自分のクラスだけ。包丁を先に使われて位置が変わることもないだろうこれで……完全に自分の証拠はなくなっただろう
(ゆたか……私、頑張る。ゆたかの分まで……しっかり生きていくから……)
胸に手を当て、遠い親友に想いを馳せるとその時、肩を誰かに叩かれ、みなみは慌てて振り向いた
「ミナミ、大丈夫ですカ?」
パティだった。今では、同級生最後の友達だ
「う、うん、大丈夫。ただ、田村さんがこういうので殺されたのかって……」「Oh……確カに……惜しい人を亡くしまシタ……」
悲しそうに目を伏せ、首を左右に振るみなみは、友達に殺意を覚えた自分を恥じたそう、みんなは知らないだけ。悪い人はいない……みなみがそう思っていると、パティがいきなり明るい顔になった
「デモ、くよくよシテても始まりまセン! 二人の分まで、シッカリhave to liveデース!!」
have to live……『生きなくてはならない』。英語と日本語が変なふうに混ざるパティに、みなみは思わずくすりと笑った
「by the way、ミナミ。ミナミは料理は得意ですカ?」「う、ううん……あまり、得意では……」「OK、なら二人でショージンしまショー。二人でdeliciousな料理を作って、二人の墓前に供えるデス!」「!」
パティは、本気で言っているようだった。笑顔がとてもまぶしい彼女はたまに誰も思いつかないような発想をする。お供え物をすぐに持ち帰ることは知っているだろうが、その発想はなかった
「……そうだね。その時は、冷めても美味しいものを持っていこう」「ハイ!!」
凍り付いた心が溶かされるような、そんな心地よい感覚友達の偉大さを噛み締めながら、みなみはじゃがいもの皮を剥き始めた
「……!!」
数日後の昼休み。それにいち早く気が付いたのは、みさおだった何気なく寄った1―Dのクラスの掃除用具箱の中に、『あってはならないもの』を見つけたのだそしてその掃除用具箱に一番近い席の人を見て……絶句した
「……どうしたの? 日下部」
一緒に1―Dに来ていたかがみが話し掛けると、みさおは静かに言い放った
「柊。桜庭先生に、次の授業は抜けるって言っておいてくれ。私は黒井先生に、次の1―Dの授業は中止にしてくれって言ってくる」「はあ?」「もう時間がないんだってヴぁ! 今日、五時間目で……この事件にケリをつける!!」「!」
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