私たちの家のお風呂には、今は入る事が出来ない。なにせガスが止められちゃったから。それで週に二回だけ、近所の銭湯に通う事にしていた。近所と言ってもちょっと距離があって、歩いて大体十五分くらいかかる。そのせいでせっかく銭湯で暖まっても、十五分間ものこのこ歩いていたら湯冷めしちゃう。特に最近はすごく寒い。だから夜に銭湯に行くよりは、太陽が高くてちょっとは暖かいお昼に行った方が断然良かった。
今日は日曜日。銭湯に行く日だった。まだ地面に移る日影が短い、日向が気持ちの良いくらいのお昼時。銭湯まではもう少し。なのにあの時から全然落ち着かない。私はとっても興奮してるような、とっても寂しいような。とにかく心臓がドクドクと暴れていて困っていた。
この気分を紛らわすために、たまたま道端に転がっていた石ころを蹴った。するとカラカラと打楽器みたいな音をさせながら、硬いアスファルトを叩きながら転がった。なんだかこの音を聞いていると落ち着く。私はそのまま石を蹴っては転がしながら歩いた。石が転がった軌跡を眺めたり、あたる場所によって違う石の音を聞いては楽しんだ。ふいに私は私の隣の気配を探した。私はその気配に期待していた。でも誰もいない。いつもならいる筈のお姉ちゃんが、私の隣にいない。私は独りで、銭湯までの道のりを突き進んでいる。
私の隣を歩くお姉ちゃんをイメージしてみた。でも直ぐにそのイメージを揉み消した。寂しくなんかない!全部お姉ちゃんが悪い。
お姉ちゃんなんて大嫌いだ。
お姉ちゃんは同人誌を山ほど買い込むんだ。そのお陰私たちの家計は火の車。私だけが損をして、お姉ちゃんは同人誌を読んで楽しんでる。いつだったかお姉ちゃんに内緒で棚に収まってた同人誌を読んでみたけどで、ちっとも面白くなかった。て言うよりも書いてあることが良く分からなかったんだけどね。とにかくお金に糸目をつけない買い方には本当にうんざりしちゃう。自分の部屋で凍えるなんて事、普通はあり得ないよ。みんなは自分の部屋には絶対にヒーターやコタツがあって、そこは暖を取る場所じゃなきゃいけない筈。なのに私の場合は、お金がないから電気代や灯油代を削るために我慢しなくちゃいけない。今日の朝ごはんが生キャベツだけだったのも、歯磨き粉なしで歯を磨かなくちゃいけないのも、みんなみんなお姉ちゃんのせいだ。
それは今日のお昼ごろ。大体、今から二十分くらい前の事。今日もお姉ちゃんは同人誌を買って帰って来た。両手の紙袋いっぱいにして、とっても満足そうな顔をしてる。でも私には不満でいっぱいだった。こんなの不公平だ。だから私はお姉ちゃんに抗議してやったんだ。
「お姉ちゃん、またそんなに買って来て。もうガスが止められちゃって、料理が出来なくなっちゃったんだよ!お風呂だって沸かせないんだよ!」
お姉ちゃんの表情はぜんぜん変わらない。いつもどおり、やんわりと微笑んでいる。この顔が余計に腹が立った。
「あら、でも大丈夫よひかげちゃん。萌えのパワーでなんとかなるから」
萌えのパワー?何それ。もう嫌!こんなお姉ちゃんと関わりたくない!
「お姉ちゃん、もう私に話しかけないで!今日からおねえちゃんの事、無視するから」
そうそう、今日はお風呂の日だったね。その時はなんだか妙に落ち着いていて、完璧にマイペースを貫いた。タオルや石鹸を用意する。
「え、ちょっとひかげちゃん?」
お姉ちゃんはここで初めて不安そうな顔をした。この顔が見られてちょっと満足。私は何も答えない。そのまま玄関へ行き、靴を履く。
「ひかげちゃん、どこへ行くの?」
そんな事聞かなくても、私が持ってるものを見れば分かるでしょう?その言葉は心の中でだけに閉まって、私は口を開かないで黙々と靴紐を結ぶ。
お姉ちゃんは何度も私を呼んでいたけど全部無視。なんだかお姉ちゃんよりも偉くなった気分で、その時すごく気持ちが良かった。両方の靴が履き終わったら、直ぐに玄関を出た。
途中、お姉ちゃんに腕をつかまれたけど振り払う。走ってお姉ちゃんから離れた。お姉ちゃんは私が見えなくなるまで私を呼び続けた。その呼び声が聞こえなくなった時、不覚にも寂しさを感じた。帰りたくなった。でも今帰る訳にはいかない。
思い出すんだひかげ!あのにっくきお姉ちゃん、宮川ひなたを!お姉ちゃんは私の事なんて何とも思ってないんだから。だから平気で同人誌を買ってくるんだもん。お互い関わり合うことなんてない。お姉ちゃんだってそう思ってるはず。もしそうじゃなくて、お姉ちゃんが少しでも反省したら、ちゃんと帰ってあげるんだから。
私は銭湯に到着した。十五分間歩いたはずだけど、その間私がどんな道を通ってきたのか覚えていなかった。もちろんいつも歩いている道を通ってきたんだと思うけど、その道を歩いている間に何があったのかな。そう言えばずっと蹴っていた筈の石もいつの間にか無くなってる……。それだけボーっとしてたんだね。きっと。
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