咲は変わった。
 昔のあいつはちょっとポンコツだけど、今よりもずっと感情表現が豊かだった。
 泣いたり、笑ったり、友達だって少ないがいないわけじゃない。何処にでもいる普通の少女。

 咲は小学生三年生の頃に転校した。

 あの人も東京に行ってしまった。

 宮永家に何があったのか大人は誰も教えてくれず、当時子供の間では色んな噂が飛びかったことを覚えている。
 家一軒、近所にて稀に見ることもない火事が発生したのだ。新聞にだって乗っていたし、強い印象が残っている。
 非日常の出来事は日常に埋没し、思い出すことも話題になることも時間の経過と伴になくなり、咲のことを話すのは俺も含めて誰もいなくなった。

 咲と再会したのは中学に進学してからだ。

 あいつは変わっていた。
 笑わない、喋らない、常に暗い表情で俯いてばかり、どこか諦念を浮かべ、遠くを何時も見る。
 人を寄せ付けず、孤独で、浮いていた。
 思い出すことも殆んどなかった薄情者の幼馴染みである俺だけれど見ていられなかった。

「久しぶりだな咲」

「……誰?」

 俺の顔を見ても首を傾げた。

「俺だよ俺、須賀京太郎」

 数年振り、そんなに変わっていないはずなのにあいつは思い出すことに暫しの時間を費やした。

「ああ、須賀くんだね。久しぶり」

 --京ちゃん。
 記憶の中、そう俺を呼んでいたはずの片割れは実に他人行儀で口にする。

「何か用?」

「……別に用ってわけじゃないけどさ、久しぶりに顔を合わせたから話でもしたいって思ったんだけど」

「そっか。別に私は話したくないし、構わないでくれない」

 明確な拒絶の言葉。
 濁った暗い瞳。
 咲に何があったのか俺は知らず、あいつの態度に強いショックを受けたことをよく覚えている。

 同じ学校、同じクラス。
 毎日顔を突き合わせて一ヶ月。

「宮永って暗いよな」

「あいつボッチだもんな辛気臭いし、鬱陶しくね?」

「何時も一人で本読んで、誰かと話しているの見たことないよな」

 そんな風に話題に上ることはあった。それでもイジメにまでは至らない。
 クラスの連中の気が良かったからか、咲が誰も寄せ付けようとしないから毒にも薬にもならなかったからだろうか。
 最初に拒絶されてから、俺も話しかけることはなくなった。新しい環境、部活動や勉強、交遊に忙しかったことも理由の一つ。
 やっぱり拒まれてしまったことが結局は尾を引いていたんだ。

 黄金週間。
 家族での旅行、ハンドボール部の練習、友人との遊びもない完全休養日。カピとの戯れにも飽きて、気分転換に散歩に出掛けた。

 俺はあいつに会った。
 迷子の幼馴染。

「咲、お前大丈夫か?」

 希望を絶たれ絶望した、途方にくれて依る辺のない捨てられた犬。今にも崩れ落ちてしまいそうな足取りでフラフラと歩いている。

「……大丈夫、放っておいて」

 俺を見、目を逸らし、力なく呟いた。

「嘘吐くなよ!」

「関係ないでしょ?」

 あの日と同じ拒絶の眼差し。
 踏み込むな、近寄るな、傷ついた野性動物のようにどこか怯えも混じった死んだ不貞腐れた目。そんな瞳。

 --直感、閃き。

 ここで退けば、きっと後悔する。

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 お節介。
 鬱陶しい。
 ヘラヘラ笑って何が楽しいの。
 興味ない、つまらない、拒んでも、疎んでも、煙たがっても、彼は私の側にいてくれた。
 こんなどうしようもない、家族にさえ拒まれ、嫌われてしまった私に付き合ってくれる。

「もう話し掛けないでよ。着いてこないで、はっきり言って迷惑なんだけど」

「お姫様は我儘だな」

 調子の良い彼に辟易させられる。
 本当に、嫌になる。

「新刊買いに行くんだろう? 一人で行ったらどうせ咲なんだから迷子になるに決まっているし、遠慮すんなよ」

「地元で迷うわけないでしょ」

 バカにして、私はそんなポンコツじゃない。

「咲さん、咲さん、本屋なら学校からだとそっちじゃなくてこっちの道を通らないと行けないぞ」

「っぁ!?」

 知ってったから。
 わざと間違えてみせただけなんだから。彼が本当に道を知っているか試しただけなんだもん。

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「ハンドボールって何が楽しいの?」

「最高だろ!」

 そう言って彼は自主錬に励んでいるが、私には理解できない。元々身体を動かすことが余り好きじゃないから余計に分からない。

「マイナースポーツの何が良いの?」

「日本で知名度が低いだけでヨーロッパじゃあメジャーだからな」

 必死に面白さを伝えようとする彼はどこか滑稽で可笑しかった。だから、笑えてしまった。

 彼が側に居てくれるのが当たり前になっていた。
 お姉ちゃんとの仲を修復することを諦め始めていた。
 罪深い私は誰とも関わらない方が良い。それなのに、分かっているのに、赦しを求めてしまっている。彼といることに慣れ、受け入れ、居心地良く感じている自分がいる。

 季節は巡り、私は15才になった。

「おおう、咲ちゃんは良い嫁さんだなァ」

 彼の友人が発した言葉に反射的に口が開く。

「中学でクラスが同じだけですから! 嫁さん違います!」

 何時まで経っても素直になれない。
 本当はもう分かっている。
 彼には感謝している。

「はあ、嫌になる」

 嫉妬していた。
 京ちゃんと親しそうな元気いっぱいの女の子に、彼が鼻の下を伸ばし見ていた彼女に、羨ましいって思ってしまった。

「私、京ちゃんのことが好きになってたんだね……」

 認めたら恥ずかしさが込み上げてくる。ダメだ、絶対に顔に出てしまってまともに見れない。
 ドキドキ、ドキドキと心臓の鐘が馬鹿五月蝿く高鳴って止まらない。

「どうしよう……」

 より素っ気ない態度。
 取り繕うとして失敗の連続。
 前よりもポンコツが悪化していく。

「ダメダメだな私……」

 麻雀に、インターハイに、お姉ちゃんとの仲直り、そんな言いわけばかり並べて彼を避けている。
 どうしようもなくヘタレだよ。
 だから、それはきっと天罰だったんだ。

「照さん?」

「久しぶりだね、京ちゃん」

 インターハイの会場で姉と彼の遭遇。
 どうして私は忘れていたのだろう。
 彼の目に、あの、昔の、お姉ちゃんへ憧れていた頃と同じ色が再燃する。

「あんなに小さかったのに大きくなって格好良くなったね」

 頬を染め照れている。
 見たことのない彼の姿と姉の様子。
 昔日の日々を思い出し、語り合う二人に胸が痛くて張り裂けてしまいそう。

「……ばかぁ」

 逃げた。
 苦しくて、悲しくて、愚かな私はこのことを一生後悔する。


カンッ!