--トテトテトテ

 街灯も少なく、人通りは皆無な片田舎。部活帰りの夜道を歩いていると背後から音が聞こえてくる。
 振り返ってみてもそこには誰もいない。
 そう、いないのだ。

--トテ、トテトテ

 歩く速度に合わせるように、ピタリと音が連なる。止まれば止まり、動けば動く。走れば走る。
 音だけが響く。
 気のせいだ、気の迷いだ、そうでなければおかしくなっているのかもしれない。

--トテ、トテ、トテ

 何時からだろう。
 思い返せば確かあの日、インターハイ終了後、長野に帰宅した翌日から音がしていたような気がする。姿はないのに音だけが聞こえる。
 最初は小さく、本当に微かな物音に過ぎなかった。それが次第に大きくなり、段々と近づいてきている。
 今では何処に行こうとも、自宅に居ようとも響いている。だけれど、その音は俺にしか届いていないらしい。

「何なんだよ……」

 怖くないと言えば嘘になる。
 目に見える変質者か何かなら問題ない。頭がおかしくなったならまだマシだ。
 病院で医者に診断を受けたが身体に異常は何も見つからず、健全そのもの。精神的なストレスが原因かもしれないと一応の薬は処方された。
 されど、それを服用しても状況は全く改善されていない。むしろ、日に日に悪くなっている。

 数歩後ろ、互いに手を伸ばし合えば届いてしまう。それが彼我の距離。

 限界だった。
 誰かが本当にいるのか、いないのか。
 幻聴か現実か境さえ分からない。
 もう勘弁して欲しかった。

 だから、俺は背後へと振り向いた。
 街灯の照らし出す闇の中にはやっぱり何も写らない。それでも、誰かがいることを、終わりを願い、祈るように問いを投げた。

「なあ、俺に用があるのか? 誰かいるんだろう? 姿を見せろよ! ……頼むから、何でもするから……もう止めてくれ」

--クスクスクス

 願いが聞き届けられたのか、足音以外の音が初めて聞こえた。
 それは少女の笑い声だ。
 そして闇が揺らめき、空間が歪んでいく。薄らと霞のように形が作られていく。
 白と紅。
 紅白の民族衣装。
 おさげに髪を結んだ飛びっきりの美しい少女だった。

「…………神代小蒔?」

 見覚えのある女の子。
 彼女のことは夏のインターハイで見たことが実際にある。
 だが、目の前に現れた女性が本当に本物の神代小蒔であるのか、判断ができない。身に纏う雰囲気があまりに異なっていたから。

--トテ
--トテトテ

 拳一つ。
 互いを隔てるのはそれだけしかない。
 その近距離から彼女は俺を見上げてくる。まじまじと見詰められ、見詰めようと俺には分からない。

 清廉で純粋。
 穢れを知らない箱入りのお姫様。

 そんな可憐で見目麗しい少女の面影が一つもない。

 妖艶で淫靡。
 男を駆り立て、雄を蠱惑し堕とす魔性。

 彼女は見ているだけだ。
 触れてさえいないのに、先程まで感じていたはずの恐怖は薄れ、欲望が滾り起つ。

「ハア、ハアァ……」

 自身の息が乱れている。
 心臓が激しく打ち、体温が上がっていく。目の前の少女を犯せと本能が叫び吼える。

「京太郎様」

 名前を呼ばれただけで頭が痺れた。音が脳髄を侵し、クラクラに酔ってしまう。
 開かれた口から見えた滑りとしている赤い舌、桜色のふっくらとした唇。それを自らのそれでもって塞ぎ、紡ぎ、貪りたい。

 おかしい。異常で、異様で、変。

 伸びてきた柔らかい女の子の手が顎を撫でる。
 それだけでビクンビクンと跳ね、快楽が中枢を駆け巡る。あまりの気持ち良さに一瞬だけ視界がホワイトアウトした。

「なぁ、なんなんだよぉ……」

 強すぎる悦楽から逃れるように後ろへと飛び退く。彼女はクスクスと笑い、一歩距離を縮める。その分だけ後ずさる。

「ふふふ、京太郎様」

 手足の挙動、目の動き、開閉する口唇、全て仕草がとても淫らで男の心を擽り絆し、魅了する引力があった。
 理性は逃走を訴え、本能は交配を求む。捕まったら逃げられない。
 逃げたいという意思さえ消され、きっと獣になる。嫌だ、したい、嫌だ、したい、攻めぎ合う二心。

「お慕いしております。私と交わりましょう、愛しましょう、堕ちましょう、きっとそれは気持ち良くて、とても幸せで、満ち足りていますよ」

「お、俺は……」

「私じゃあダメですか?」

 伸ばされた手。
 この手を取るか拒むか、答えは最初から出ていた。彼女に見初められた時点で終わっていた。
 出逢ってしまったことが間違いであり、半神半人、人を超越した神魔を纏いし少女からは逃げられない。

 自ら堕ちるか、彼女に堕とされるか。

「あは、大好きです」

 触れ合った指先は絡まり合い、約定を結ぶ誓いの接吻に呑まれていく。もう、離れることは叶わない--

カンッ!