あの暑い夏が過ぎ去ってから、早半年が経った。

 IHの団体戦では決勝戦で三位になったものの、運がいいことに

私の父が長野にとどまることを許してくれた為、私達四人は無事に

二年生へと進級することが出来た。


<四月>

 とはいえ、今年こそ全国大会で優勝しなければ、東京の進学校に

無理矢理転校させられてしまうので、そんなに余裕はありません。

 放課後の部室、部長が欠けた後のいつものメンバーで卓を囲み

時間の限り、四角い宇宙で私達は点棒を取りあっていました。

優希「ローン!11600だじぇ」

京太郎「くっそ~!!やっぱり東場の優希は強えええ!!」

優希「ふふ~ん!」

咲「ツモ、4000オール」

咲「ツモ、3000.6000」

東場でゆーきが猛威を振るい、その僅かな間隙を突くように咲さんが

嶺上開花を連発する。

 ですが、私は...どうやらスランプに陥ってしまったようです。

 最初に見えた不調の兆しは、危険な牌が判断できなくなってしまったこと。

それは、効率やデータを参考にして打つ私のデジタルな打ち方が崩壊しつつある

ということを明確に示していました。

 常に最善を重んじ、最速で和了することが出来なくなった私は当然

その欠点の修復することを試みました。

 しかし、それは去年の秋から今に至るまで克服できないまま...

京太郎「...」

京太郎「リーチ」

 私の胸から視線が逸れた。

 長考から現実に引き戻された私は、更に落胆した。

京太郎「やったぜ...ツモだ」 

京太郎「リーチハイテイ三色平和ドラ3 16000だ」

優希「げぇっ!?南三局で京太郎が咲ちゃんに500点差だとぅ?」 

まこ「ははは。こりゃあすごい進歩じゃけぇ」

まこ「しかもオーラスはおんしが親じゃ。頑張れ京太郎」

 そして、私のスランプとは対照的に須賀君はこの頃急速に実力を

上げ、ついには私達の領域へと足をかけようとしていました。

咲「そっかぁ...あの京ちゃんがここまで強くなったんだね」

京太郎「抜かせ咲。お前に勝てなきゃ意味がねーんだよ」

京太郎「一発デカイの当てて、今日こそお前の±0を打ち破ってやらぁ!!」

 ±0を打ち破る。

 それと似たような発言を私は一年前に咲さんに言い放った。

 だけど、その真意は彼の今の発言とは全く真逆でしかない。

咲「ふふっ。じゃあ行くよ。槓」

 第三ツモで早くも三元牌の白を暗槓した咲さんは一つ目の嶺上牌を

自分の手牌に加える。

咲「運が良かったね。京ちゃん」

 ニヤリと笑った咲さんは次の準備へと取りかかります。

 須賀君の発言に対抗して倍満に届くように調整している筈です。

京太郎「...」

優希「....」

和(聴牌しました...)

 5巡目、9萬が手牌に加わったことで私の手牌は平和と一気通貫の

二つを狙い撃てる、どちらをとっても跳満を狙えるくらいには

良い手へと仕上がっていました。

和(子である私が一位になるためには...)

 ツモ和了ではなく誰かからロンあがりで直撃する必要がある。

 トップとの差が8000点差であれば、それは私にとって、デジタル派の

雀士にとっては自明の理。 

 しかし...

京太郎「うーん...」

 今、私の目の前にいる男の子がどれだけ大変な思いをしていたのか、

そして、それにもかかわらず必死に私達に食らいついてここまで辿り着いた

彼の努力を私の個人的な...

和「?!」

和(いま...私は、なにを考えていた、んですか?)

 私のスランプと目の前の試合の結果は完全に別の問題だ。

 どうして『それら』を同じように考えてしまったのか?

和「リーチです!」

 キレ気味になった私は、戸惑う三人をよそ目に確実に和了出来る

三面張の平和を選び...それがどれだけ危険なことなのかをまるきり無視して

場に出ていない生牌の6萬を叩き付けるようにしてリーチを掛けた。

咲「...カン」

 私の捨てた牌を、不快感をあらわにしてにらみつけた咲さんは

躊躇なく試合の時と全く同じように手牌の六萬を大明槓した。

咲「............ツモ」 

咲「嶺上開花、ドラ2で1300・2600です」

和「そ、そんな...」

 何かが変わるかも知れない今日が、いつもと変わらない毎日へと

徐々に戻り始めていた。

 結局、今日も誰一人として咲さんの±0を打ち破ることはできませんでした。






<帰り道>


和「ううっ...ぐすっぐすっ...」

 日が暮れて、夜の帳が降り始めた肌寒い長野の田舎道をとぼとぼと

誰にも見せられないような顔をしながら私は歩く。

 あの対局の後、咲さんは不快感もあらわに部室から出て行き、優希も

染谷先輩も、そして須賀君も彼女を追って部室から飛び出しました。

和(違う!違う!!私は、あんなことをするはずじゃ...な)

 まとまらない思考と、咲さんに見捨てられるかも知れない恐怖感が

いつのまにか私のすぐ後ろに近寄ってきた人の存在を失念させていた。

??「ばぁ!!」

和「ひゃあああああああああああ?!」

 素っ頓狂な声を上げながら私は地面に無様にこけてしまった。

??「お...おい、大丈夫かよ...和」

和「また貴方ですかぁ...もう、いい加減にしてくださいっ!」

 差し出された手を振り払いながら立ち上がった私は、目の前にいる

私のスランプの原因の半分くらいを担っている彼を睨み付けた。

京太郎「あ...あはははは...悪気はなかったんだ。ごめん」

和「もうっ!!不審者だったらどうするんですか!」

京太郎「言ってることが支離滅裂だぜ?」

和「うるさい!うるさいうるさいっ!私に構わず放っておいてください!!」

 全く、正論過ぎて腹立たしくてたまりません。

 幸い、目の前には二股の道があり、彼の家と私の家は正反対にあります。

 今から走れば、きっと須賀君の事を撒けるはずです。

京太郎「おいおい、そんなに急いでどこ行くんだよ?」

和「ついてこないでください!!私は家に帰るんです!」

京太郎「そんなに邪険にしなくても...」

 ふん!いい気味です。

 しょぼくれた須賀君をよそに私は彼との距離を離せることに喜びを

覚えていました。

 少しは罪悪感を感じたものの、きっと脳天気な彼のことですから

明日にはケロリとした顔で私の胸をチラチラ見続けることでしょう。

プルルルル....

和(電話?誰からですか...)

和「はい。原村です」

京太郎「エトペン、部室に忘れてるぞ」

和「えっ?!あっ、うそ」

 さっきから私をしつこく構い倒していた須賀君の本題はきっと

このことだったのでしょう。

 須賀君も咲さんを追いかけた後、間抜けなことに部室に自分の鞄を

置き忘れたから一緒に部室に取りに戻らないかと提案されました。

 幸い、いまなら歩いて10分ほどで清澄高校に戻れる距離です。

 一分ほど考えて、エトペンを取りに戻ろうと決めた私は、元来た道を

引き返して須賀君と合流し、元来た道を戻り始めました。

和「変なことしたら許しませんからね、須賀君」

京太郎「しねーよ。俺達そんな仲でもないだろ?」

 校門の前で交わした何気ないやりとりに、内心少しだけ傷ついた私は

はやくエトペンを取りに行こうと旧校舎へと駆け出しました。





<部室>


和「エトペ~ン」

 暗くなった部室に差し込む月光の下、私の大切な相棒は椅子の上に

座っていました。

京太郎「オレもエトペンになりたいよ」

和「ダメです。私の膝の上は咲さんとエトペンだけの特定置なんですから」

 気安い軽口に答えながら、須賀君の親切にお礼を言おうとしたとき、

彼は何気ない風を装いながら、部室の扉の前に陣取っていました。

和「どうしたんですか?須賀君」

京太郎「いや...別に大したことじゃないんだ。うん」

 先程までとは打って変わって神妙な顔をした須賀君は、どこか寂しげな

表情を浮かべながら、信じられないことを言い出しました。

京太郎「オレさ...もしかしたら転校するかも知れない」

和「えっ?な、なんでそんな...そんなこと言われても...」

 まさか自分以外の、それも近しい同級生が転校するなんて可能性を

考慮していなかった私は、あまりのことに呆然とするしかなかった。

 須賀君が言うには、もう六月には彼のお父様が埼玉県に家を構え、

六月の男子のIH予選に出ることなく引っ越しすることがほぼ確定したと

あきらめ顔で私に教えてくれた。

京太郎「本当は部長が卒業する前に言えば良かったんだけどな...」

京太郎「残る皆に心配をかけたくなかったから、今まで黙ってた」

和「む、無責任ですよ...」

和「咲さんやゆーきにはまだ教えてないんですか?」

京太郎「教えてないよ」

京太郎「っていうか教える前にいなくなるつもりだったから」

和「どうして...?」 

京太郎「アイツらの気持ちに気が付かないほど、オレはバカじゃないさ」

京太郎「それでも、こうして和と二人きりでいるんだ...」

京太郎「分かるよな...今、オレがどういう気持ちなのか」

 出口を塞いでいた彼がゆっくりと私に向かって歩いてくる。

 いくらなんでも、ここまで明確に彼自身の本心をぶちまけられてしまっては

身体的なハンデ、もとい精神的にも逃げようがありません。

 大型の肉食獣に身体を貪られるか弱いバンビのように震えるしかできない私は、

自分の身体を須賀君の為すがままに任せるしか考えられなくなってました。

和「私は、貴方のことなんか...好きじゃありません」

和「こうして身を委ねていても、全然嬉しくなんか、ないです」

 言葉だけの強がりに反して、私の心は須賀君が清澄からいなくなって

しまうかも知れないという恐怖にがちがちに凍りつきました。

京太郎「それでいいんだ。お前だからこそ、オレは信じられる...」

 一年前と同じ軽薄な表情を彼が見せなくなったのはいつからだろう?

 いや、それ以前に私の胸を見る時間よりも河に捨てられた牌を見る時間が

増えたのは、果たしていつからだろうか?

 そして、今自分を真剣な眼差しで見つめる彼が、一年前と比べて全く

笑わなくなったのは...

京太郎「和、オレ...もっと皆と一緒にいてぇよ」

京太郎「でも、どうしても親がそれを許してくれねぇんだ」

京太郎「お前らほど努力したわけじゃないけど、オレだって頑張ったんだ...」

京太郎「卒業式の時、部長と約束したんだ。皆と一緒に全国に行くんだって」

京太郎「けど、けどよぉ....」

京太郎「夢が叶いそうな時に...こんなのってあんまりじゃねぇか...」

清澄の雑用王子、パシリ、そういう風に同級生達が彼のことを揶揄しながらも

私達は部長の夢にのっかり、彼の好意に甘え続け...それでも、それでも

こんな私達を仲間だと疑っていない彼は、ズタボロになるまで愚直に一生懸命

努力を重ねていた。

 私を抱きしめていた須賀君の顔は無念の涙でグシャグシャに濡れていた。

京太郎「だから...お前に、俺のことを皆ほど好きじゃないお前なら」

京太郎「冷静に中立的な答えを出してくれると思ってさ...」

 高ぶる感情を無理矢理心の奥底に押し込めた須賀君は、ポケットから

ハンカチを取り出し、必死に涙を拭き取り始めた。

和(もし、私が須賀君と同じ立場だったら...)

 色々とお父さんと揉めるでしょう。

 でも最終的にはきっと、彼のように自分の本心を打ち明けることなく

咲さんやゆーき、染谷先輩や竹井部長にお別れを言って、父親の住む東京へ

引っ越したでしょう。

子は親に従うもの。

 そういう考えを私自身は否定できません。

 だけど、京太郎君はそうじゃない。

 鳥かごの中の鳥のような厳しい家庭じゃないなら、一筋の希望くらいは

きっと残っているはず。

和(らしくない...ですね)

 希望的観測など、とどのつまり調子の良い神頼みの延長線上と同義であり、

それこそ、そんなことが叶うなんて可能性はありえないとしか言えません。

 でも、彼は私に対して失礼なことを言っていましたね。

 「だから...お前に、俺のことを皆ほど好きじゃないお前なら」

 「冷静に中立的な答えを出してくれると思ってさ...」

 「夢が叶いそうな時に...こんなのってあんまりじゃねぇか...」

和(これではまるで私が悪い女みたいじゃないですか!!)

 確かに須賀君を無碍にしたことは何度もありましたけど、

和「世の中には「それは偶然である」という説明以上に正しい説明が

  できないものがいくらでも存在するんです」

京太郎「え?」

 泣き止んだ須賀君の顔が驚きに歪んだ。

 私の心も顔も、突然飛び出した言葉に驚きを隠せなかった。

和「全く、大の男がベソベソなきじゃくって恥ずかしくないんですか?」 

和「咲さんもゆーきも染谷先輩も、私も貴方と一緒にいたいんです!!」

 冷静でも中立的な答えではないけれど少なくとも今は、アンフェアかつ

彼の都合を無視した、感情的な私の想いを彼に伝えたかった。

和「私だって、清澄の一員なんです。貴方の仲間なんですよ!」

和「今年がダメなら来年挑めばいい!」

和「だけど、その場所は埼玉じゃなくて長野です、清澄です!」

和「私も一緒に頼みます!」

和「親に頼んでください須賀君。皆と一緒にいたいんだって!」

和「それでもダメなら、諦めてください...」

 出来ることと出来ないことがあると知りながらも、結局私は

最後に自分を守ろうと、打算的な答えを付け加えてしまった。

 それでも、後悔はない。

 なぜなら、自分がよく知るこの男は...きっと

京太郎「そっか...そうだったな」

京太郎「諦めない限り、未来は閉ざされない。そうだよな?和」

 苦境から這い上がり、必ずただでは起き上がらない彼だからこそ、

私達は彼の可能性を信じることが出来る...

京太郎「ありがとな、和」

京太郎「もしかしたら和の力を借りるかも知れない」

京太郎「でも、その時が来るまでなんとか説得してみるよ」

 久々に見たその清々しい笑顔は、一年前に初めて彼が私を見つめ、

挨拶を交わしたときに見せたものと全く同じだった。

和「全く、貴方って人は本当に...」

 京太郎と自分しかいない部室で、かつてのように明るく京太郎が

ハイテンションではしゃいでいる。

 それを見ているのが自分だけだと思うと、和はたまらなくなった。

 親友として、自分にとっての特別な存在である二人を抜きにしても、

京太郎の魅力は、和自身に彼もまた特別な思いを抱かせるのに

十分な存在であることを無意識のうちに自覚させていた。

京太郎「なんだか心の中に溜まってたもの吐き出したら腹減ったな」

和「全く、須賀君は現金な人ですね」

和「ところで、駅前に新しくラーメン屋さんが出来たそうです」

和「相談料くらいは貰っても良いですよね?」

京太郎「お前の方がよっぽどちゃっかりしてるじゃねぇか!?」

京太郎「でも、いいぜ。好きなだけおごってやるよ」

 京太郎が差し出した右手をしげしげと見つめた和。

 その真意はとっくに分かっているが、やっぱり親友である

咲や優希に悪い気がした。

和「では...」

 和はエトペンの左手をつかみ、もう一方の右手を京太郎に差し出した。

和「友達以上なんとやらに」

京太郎「ああ。ありがとな...」

 そして二人は歩き始める。

 確かに今日は何も変わらなかったかも知れない。

 だけど、確実に今日には何かが変わるかも知れない今がある。

 そして...ゆっくりと、未来は変わり始めた。カン