「くおぉぉぉぉっ…また負けたかぁぁぁぁ!」

新しい春の季節、部長・染谷まこの下で新入生も迎えた清澄高校麻雀部の部室。
二年生となった須賀京太郎は、一日の締めにと同期で囲った卓上で、全力で突っ伏してした。

「ま、まぁまぁ…けっこう頑張れてたよ京ちゃん?」

「えぇ、そうですよ須賀君。もう少し慎重に打つべき場面は散見されましたけど…」

「ぐにゅぅぅ、犬に追い越されるとは屈辱だじぇ…!」

トップは咲、次いで和、京太郎が僅かにマイナスとなり、最下位は優希。
一年の時からこのメンツで打つ事は多々あったものの、やはり京太郎の成績は振るわない。
それでも僅かなマイナスで終わった事、南場以降どうにか優希を追い抜けた事は最近ではずっと良い結果か。
新入生を見ていたまこも何事かと顔を覗かせ、その結果に苦笑いを浮かべていた。

「こりゃあまた…じゃが、いつもの通りと言う程ヒドくもないじゃろう。もっと精進すりゃええ」

「ははっ、まぁ二位浮上の目がほんのちょっと見えたかなって事で…いやぁ、励みになるなぁこういうの!」

敗戦に挫けず、結果をポジティブに捉えながら半ばやけっぱちの様に話す後輩の姿に少々呆れながらも、気持ちの切り替えに水を差す事はしないでおいた。
暗い感情の出そうな場面でも、こうして感情を良い意味でストレートに表し、明るく切り替えられる彼の姿勢は実際嫌いではない。

「そんな事で満足していてはダメですよ須賀君?しっかりと勝つ意識を持たないと…例えばこの場面ですけど…」

けれども、和はそこまで甘くない。
前部長の竹井久が卒業した後、京太郎の基本指導には彼女が名乗り出ていた。
先輩方の教えや本人の努力はしっかりと見えるし、今日の彼はいつもより上手く打ち回せている場面もあった。それであっても、教えてあげられる部分はまだ多くある。
今日一日の反省会と部室の片付けを終える頃には、外もうっすらと暗くなり始めていた。

「それじゃあ、お疲れ様っしたー!」

「待ちな小僧!調子を上げてきたおぬしにタコスパーティーを開く権利をやろう!」

「今からかよ!?タコス食いたいならもっと早く言っとけっての…悪いな優希、今日はこれから約束があるんだ!」

「あ、私も帰るから京ちゃんも一緒に…」

「あーいや、ちょっと走んないと遅れそうなんだ…悪いな咲」

いつもの調子で絡んでくる優希を軽く躱し、一緒に帰ろうと声をかけた咲の誘いも断り、京太郎は足早に部室を後にしていった。

「ちぃっ、おあいそのタコスを食いそびれたじぇ…」

「ゆーき…少しは須賀君の都合も考えないとダメですよ?流石に最近は甘え過ぎですし」

「甘いじぇのどちゃん!飼い主の愛情を注がれないペットは萎れてしまうんだじょ!」

「何か色々間違っていますよゆーき…」



部活が終わりそろそろ下校の時間であるというのに、ついつい駄弁ってしまうというのは習慣か。
まだ話し声が止まない部室を後にした咲は、帰宅の道すがら、一人で考え込んでいた。

(京ちゃん、どうしたんだろう…)

思い返すのは最近の幼馴染のこと。
用事がある、約束があると一人急いで帰る事が多くなった。
咲自身は個人の都合にそこまで踏み入ろうとは考えていない。寧ろ気になるのは、最近の彼の麻雀である。

京太郎は以前より強くなっている。
去年の全国が終わって少なからず余裕が生まれてからはから、久は勿論、和や部長のまこも折を見ては彼の事を気にかけて指導していた。
本人もそれに応えんと努力していた事も相まって、入部当初より格段にレベルアップを果たしていた。

(でも、あの麻雀は…何だろう)

しかし、最近の彼の麻雀は何かが違っていた。
部活で指導してきた誰とも違う。強いて言えば、最初から海底を確信して打っている時の天江衣が近い…攻め時も守り時も、まるで配牌の時点から分かって打っている様な打ち筋。
そして何よりその麻雀は

(どこかで、見てる気がする…)

「ふぃぃ、どうにか間に合ったかなっと…」

部活を終え急ぎ足に帰宅した京太郎は、手早く着替えと風呂、そしてペットのカピバラを世話し終えると、自室のパソコンの前に座り登録制ネト麻へのログインをする。
フレンドのログイン記録を眺めて、今日の約束の相手を見つけると早速プライベートチャットの用意をしようとして

Nel『こんばんは、ちょっと遅かったね?』

相手側の名前が表示され先にチャットルームへ招待される。

K太郎『すいません、ちょっと部活が長引いちゃいまして…』

Nel『ん、いいよいいよ。気にしなくて。』

このNelというフレンドが、約束をしていた相手。
数ヶ月前にネト麻で同卓した一人で、その時はNelの圧倒的勝利、京太郎は為す術もなくトばされていた。
対戦後すぐにメッセージが届き、てっきり煽りメッセージか何かかと思えば、ただ一文『面白い所にいるね、キミ』。
意図は読み取れなかったものの、不思議と悪意や挑発の類とは思えず、普段は返信しないこういったメッセージにも何となく『次は勝つ』といった旨の返信をして、そのまま会話がズルズルと続き…気が付けばフレンドになっていた。

その後も何かと同卓で打つようになり、今日も今日とて一緒に打つ約束をしているものの、勝ちの目は全く見えない。
素人目にも次元の違う実力を感じる。レートや段位に興味が無いのか、一緒に卓を囲む時以外も段位判定やレート制限なしの部屋でやっているようだが…その気になれば、恐らくもっと高いランクに行くのだろう。

「もしかして、咲や和並につえーんじゃないかなこの人…」

だというのに、場が立つまでの合間のチャットでは『今日は何をしたか』『天気はどうだったか』『普段は何をしてるのか』などと何気ない会話が続けられている。強さをカサにコチラを下に見ている様な感じは微塵もしない。
別に特別趣味が合うわけでも無く、ただ取り留めのない話をしながら場が立ったら麻雀をするだけ…それなのに、不思議と随分仲良くなれている気がする。
対局で完膚なきまでの敗北を喫しても、気持ちは逆に爽やかで、次への気力が沸き立つ様な。
そして時々、どこまでも続く空に近付いていく様な、不思議な清々しさを覚える事さえある。
どこの誰とも分からない相手であるという事も忘れ、長らく付き添った親友にも似た感覚に浸っていると、ルームでは新たに二人の入室を告げるメッセージが表示されて無事に場が立つ。

K太郎『お、始められそうですよ?』

Nel『みたいだね?じゃあ今日もやろうか』

プライベートチャットを切って画面に向かう。いかに親しみのあるフレンドであろうとも、対局が始まれば戦う相手。
名残惜しい気持ちを切り替える。馴れ合いの遊びではなく、これも立派な練習なのだ。

K太郎『よろしくお願いします』

Nel『よろしくおねがいします』

Ako『よろしくお願いします』

Sukoやん『よろしくお願いします』

定型文な挨拶が交わされ、今日のネト麻練習がスタートした。
新たな日課となったネットでの対局を終え、少女は意識を現実に切り替える。
かつてのチームメイトから教えられ、戯れに始めてみたコレも随分続けるようになった。
初めは、こんな電気的なプログラムへ機運を任せたやり取りに然したる価値は見出せなかったが、今では教えてくれた彼女に感謝の念で一杯だった。

「もう少し打ちたかったけど、まぁ仕方ないね…こっちもそれなりに疲れるし」

今日もまた、画面の向こうで共に打った彼を思う。
そう、彼。会った事どころか、そもそも名前も顔も知らない画面の向こうの相手。それでも、確信を持って言える。
最初に遭遇し、数局打ってみて感じたもの…見上げれば見える、手を伸ばせば届く。だというのに、不要なものに囚われ、抱えきれない程の重りを背負い、それでいてどこか満足げに地を這い続けている様な…およそ理解の及ばない不可思議なもの。
抱え続けて行ける程強くもないのに、誰かの、何かの為に、自ら進んで重荷を背負い人知れず埋もれている。

そんな彼に、ちょっとした悪戯心から少しの切っ掛けを…自分の「波」に、本当に少しだけ彼を乗せようと思った。
やった事など無かったし、そもそもやれるかどうかも分からなかったが、やってみれば上手くいった。
ほんの少し枷を解いて上を向かせ、波に乗せる…その時彼が何を感じ取っているかは分からいが、少なからず普段と違うものが感じられているはずだ。
何よりも自分自身が…僅か数瞬とはいえ、今まで感じた事のない大きな波を感じ取ったのだから。

(アレは…うん、凄かった)

どういう理屈かは分からない。今までより大きく感じた波は、危うく自分を見失いそうな程だった。
他のプレイヤーやチームメイトで試してみてもダメだった。寧ろ互いに持つものが阻害し合って、どちらも崩れてしまう…アレは、彼でなくてはダメなのだ。

「でもまだまだ、もっとだけど…やっぱりこんなのじゃダメだね」

とはいえ、一時重りを解いてあげても、次に会う時にはまた重りを抱えてしまっている。
余程強固に囚われているのか、お人好しが過ぎるのか…恐らくは両方だろうか。何より、こんなか細い繋がりを頼りにするのは限度がある。もっと近く…実際に対面すればまた違うのかも知れないが。

「そうだ、そうしよう!…直接会えば、もっと上手くいくよね」

既に何処に住んでいるかは聞いている。
彼は長野、こちらは東京。移動の時間や金銭で幾分か難儀しようが、対面するという目的自体は達成出来るだろう。
向こうから来て貰えればベストだが、いざとなればこちらから出向くのもやぶさかではない。手痛いマイナスを被るのは避けられないが、手に入るものを考えれば微々たるもの。

「善は急げ、だっけ…まだログインはしてるよね」

プライベートチャットを開き、彼に問いかけてみる。『今度、どこかで会えないか』と。
今断られても、また誘えばいい…それが許される程度には、信頼関係も築けている筈だ。
直に会い、一度全部取り払って波に誘えば…彼とてもう二度と、余計なものを背負おうなどとは思えまい。
そうして、今より大きく強く飛翔するのだ。彼と二人で、何者も届かない程の高みへ…


―――


この後、たった一人の留学生により、インターハイは深刻な出血を強いられる。

[ Nelly Virsaladze ]

高校女子麻雀の天敵とすら呼ばれた彼女は、史上最も多くの点棒を奪った個人でもある


カンッ