/ 風邪を引いて文学乙女


「……どうかな?」

ピッ―――、と言う機械的な電子音が、彼の手にした体温計から聞こえてきます。
そして、私の問い掛けに難しそうな表情を浮かべた彼―――京ちゃんは、

「あぁ~、38度だってよ……このまま風邪を拗らせると大変だから、明日も休んだらどうだ?」

先生には俺から伝えとくぞ、と言って心配そうに私の顔を覗いてきました。

―――あまり見ないで欲しい。

昨日の夜から熱を出してずって寝込んでいた私は、当然の事お風呂に入ってなければ着替えてもいない状態です。
昨日から着続けているパジャマは汗を吸っていて絶対に汗臭いし、髪だって汗に濡れてベッタリと肌に張り付いているのがわかります。
正直に言って、異性に見せて良い様な格好ではないし、その相手が京ちゃんなら尚更なんです。

「……オイ。何でお前は布団で顔を隠すんだよ」

掛け布団に顔を埋める私に、京ちゃんは不思議そうな顔をしました。
相変わらず、これっぽっちも乙女心を理解してない唐変木な人。
さっきまで―――いえ、今日はいつもに増してそうだったと言えます。
いくらお見舞いに来たからと言って、普通は女の子の部屋にドカドカと無遠慮に上がったりはしないでしょう。
ただ、ちょうど汗を拭こうと思って上着のボタンに手を掛けた瞬間だったのが……まあ、唯一の救いでした。
少し前も熱を計るとか言い出して、何を思ったかお互いの額をくっ付け様とするのです。
私は咄嗟に、体温計があるから良いよッ、と叫んでしまいました。
そのせいなのか、頭が余計にクラクラして散々な目にあってます。

「お~い。どーしたんだ咲ィ~?」

顔を隠した私を、京ちゃんはベッドに身を乗り出す様にして窺ってきました。
困った事に、お互いの距離がとても近いです。
だから私は、布団をより深く被って京ちゃんから顔を隠します。

「お前なぁ……亀の真似して遊んでる場合じゃないだろ?」
「―――あ、遊んでないもんッ」

だいたい亀ってなに、とばかりに私は言います。

「いやいや、どう見ても遊んでるだろうに……まあ、どうせ恥ずかしいキャラクター物のパジャマでも着てるんだろ?」

咲はお子ちゃまだからなぁ~、と呆れ声で言ってくる京ちゃんに私は少しカチンときてしまい、思わず声を荒げては言い返してしまいました。

「う、うぅぅ……きょ、京ちゃんのバカ!! そ、そんなの……は、恥ずかしいからに決まってるでしょッ!!」
「む゛―――バカとはなんだ、バカとは。そんな事を言うか咲にはお仕置きが必要だなぁ~?」

売り言葉に買い言葉でしょうか、私の言葉に意地悪な笑みを浮かべた京ちゃんは、布団を掴むと強引に引き剥がそうとしてきました。
ベッドの上で掛け布団越しに引っ張り合う事で、余計に距離が近付きます。
いつもなら喜ばしく思える距離感も今の私にとっては最悪で、たまったものじゃありません。
加えて言えば、この積極さをもう少し違う場面で出して欲しいです。
そうすれば、私だってもっと素直になれるのに、とそう思った瞬間でした―――。

―――もう、やだぁ……

何故だかはわかりませんが、私はどうし様もなく悲しくなってしまい……

「やだぁ……や、止めてよぅ……い、意地悪ばっかしないでよぅ……」

ジワリ、と瞳から温かいナニカが溢れ出るを止められなくなって……

「あ、え゛ッ―――ちょ、さ、咲……さん?」

私は突然の事に狼狽える京ちゃんを、泣きながら見上げました。
さっきまではあんなに一生懸命と顔を隠していたのに、今はその逆―――自ら手で布団を退けて、京ちゃんに泣き顔を晒したのです。

「やだ―――嫌いだよ……」
「あ、その……わ、悪い……」
「許さない……京ちゃんなんか……“須賀”君なんか嫌いッ!!」

―――大嫌いッ!!

そう、私は力一杯に叫びました。
そして、え―――“須賀”君って、と呆然とする京ちゃんを見上げたまま泣き続けました。

―――それから暫くの間、京ちゃんは沈黙を続けて、部屋に響くのは私の泣き声だけでした……



「なあ、咲―――」

泣き続ける私に、京ちゃんは長い沈黙を破って、

「その、マジでごめん。病人相手にちょっと悪ふざけが過ぎたな……ほんと悪かっ―――いや、すいませんでした」

畏まりながら真面目な顔で謝ると、私に深々と頭を下げてきます。
私は私で反応に困ってしまって、何も答えられず無言で見つめ返すだけでした。
それから、数秒が経過したその時―――京ちゃんは今まで下げていた頭を素早く上げ、

「―――つ、付きましては咲さん」

そう言いながら次第にキョロキョロと視線を泳がせては、どこか照れ臭そうに頭を掻くのです。

「あ゛ぁーー、今度なんだけどさ……た、確か来週に近くの神社で祭りがあってなぁ……」
「……だから……何なの……」
「いや、実は一緒に行く相手を探してるんだけどさ、悲しく事にまだ相手が見付からないんだよ……」

いやぁ~参った参った、と京ちゃんは苦い物を含ませるかの様に笑いました。
いったい何を言いたいのか……勿論の事なのですが、それが何かなど私にはわかるはずもないのです。
だから訝し気な視線を送りながらも、私は黙って次の言葉を待ちました。

「そ、それでもし、本当にもしもだけど……そんな俺と一緒に行ったりなんか……しないか?」
「……そんなの知らないよ……須賀君が勝手に一人で行けば良いよ」
「いや、いやいやいや……貴女様はさっきまでの俺の話し、ちゃんと聞いてましたか?」
「どーでも良いよ、そんな事なんか……」
「いやいやいやいや、どーでも良いって……」

お前なあ、と言って京ちゃんはため息を溢しました。
そこには少し困った様な……それでいて、どこか呆れた様な意味が感じられました。

「どーでも良いよ、そんな事なんか……だいたい、私には関係ないもん」

本当は私だって、ちゃんとわかっているんです。
京ちゃんの言いたい事が何なのか、ちゃんと理解しています。
でも、自分でも呆れてしまうぐらい、それこそ馬鹿馬鹿しく思える程、素直になれないんです。
だから私は、京ちゃんから顔を反らす様にして言葉を続けました。

「それに、本当は他に誘う人なんかいっぱい居るんでしょ?」
「いや、そんな事は……」
「じゃあ―――部活の皆や、クラスの人達は誘ったの?」
「それは……まだ誘ってないけど……」
「そもそも、須賀君が態々私を誘う必要なんか無いのに、一緒に行く相手が居ないとか、そんな嘘まで付かないでよ……」
「咲、俺は別に、その……」
「知らない―――そんな言い訳なんか聞きたくないよ!!」

言い淀む京ちゃんには視線を向けないまま、私は再び布団を被りました。
自分自身でも、頭の中がグチグチャなのがわかります。
今まで我慢していた感情―――胸の内側で鬱積していた黒い物が溢れ出るのを止められないのです。
だから私は、布団を被る事で自らの視界を覆って、ドロドロとした醜い感情を塞き止めました。

―――私って、すごく惨めだ……

鬱積したそれらは、嫉妬、羨望、切望、そして―――自分自身に向けられた明確な怒りと、限りない失望感でした。
私が望む未来像―――憧れたビジョンには、こんな惨めな自分は描かれて居ません。
もっと女の子らしくて、笑顔がとても素敵で、何よりも自分の気持ちに正直で……大好きな彼に向き合うその姿勢は、誰よりも真っ直ぐで輝いてました。
それが、私の望んだ私だったのに―――。

―――最悪だ……最低、最悪だよ……

不の感情はグルグルと螺旋を描き、思考を埋め付くしていきます。

―――きっと嫌われた……愛想尽かされちゃった……

これはきっと、何もかもが嫌になる瞬間です。
これはきっと、大好きが大嫌いになる瞬間です。
これはきっと、私がまた見放される瞬間です。

―――やだ、自業自得なのにまた泣いちゃう……

せっかく治まった涙が、再び溢れ出そうになります。
我慢しなきゃと―――せめて京ちゃんが居るうちだけは耐えるんだ、と自らに強く言い聞かせ様とも瞼の内側から襲う波は止まりません。
私の思い描いた未来像には、泣き虫の肖像など存在しなかったはずでした。
それなのに、今の私はいったい何なのでしょうか?
彼女は、私とは名ばかりの別人だったのでしょうか?
所詮、都合の良い偶像なのでしょうか?

―――そうなんだ……アレはきっと私じゃない別の誰かなんだ……

自分の言葉に胸が苦しくなった私が布団に包まりながら目をきつく閉じて、頭を抱える様にして耳を塞ごうとしたその時でした―――。

「お前の言う通り、本当は誰も誘ってなんかなくてな……」

語り掛ける様にして投げられた京ちゃんの言葉が、私の頭に優しく響きました。

「そもそも、学校でクラスの連中に誘われて初めて知ったんだよな……」

聞きたくないはずなのに、私は何かにすがるかの様に聞き入ります。
女々しくも期待しているのでしょうか……

「今日、クラスの連中に一緒に行かないかって誘われて、オマケにタコスにも誘われたんだけど……まあ、断ったんだよ」

―――何で……

言い終えてから、ハハハッ、と笑い出した京ちゃんに私は聞きました。
本当は聞くつもりなんか無かったのに、聞かずにはいられなかったのです。

「何で……須賀君は断ったの?」
「何でって、そりゃお前―――」

コホン―――ッ、と咳払いをしてから京ちゃんは、

「お前と―――咲と行きたいって……そう思ったからに決まってんだろ?」
「―――え?」
「自分でもわかないけど、そう思ったから断った。これが事の真相ってヤツだ」

そんだけの話しだよ、と言いながら京ちゃんは立ち上がり、

「―――また明日来るからな。返事はそん時に聞かせてくれ」

そう言って、私の部屋から出て行こうとしてから―――忘れてた、と呟くと足を止めて振り返りました。

「言い忘れてたけど、須賀君とかよそよそしい呼び方は勘弁な。自分でも良くわかないけどさ、咲にそう呼ばれるのって―――」

―――すっげー胸が痛いよ。

「え……京、ちゃん……?」

思わずベッドから体を起こした私は、今までと同じ様に彼の下の名前を呼んでいました。
ですが―――部屋の扉は既に閉じられていて、扉の向こう側から父と挨拶を交わしす声だけが聞こえます。
お邪魔しました、気を付けて帰りなさい、そのやり取りを済ませて帰るのでしょう。

「……」

コロン、とベッドに寝転がった私は、少しの間だけ天井を眺めた後、思い出したかの様に体を起こしまた。
そして、カーテンの隙間から外に目を向けて、

「ねえ、京ちゃん……こんな私でも、期待して……良いんだよね?」

次第に小さくなるその背中を眺めながら、私は祈る様に問い掛けるのでした……

その背中が見えなくなるまで―――。