携帯電話を握り締めながら須賀京太郎は自室のベッドで泣いていた

これでいい、いいんだと自分に言い聞かせる

懊悩した末の決断、その前準備を指に乗せて、電波に託した

画面には送信したばかりのメール、内容自体は大した事ない

ごくありふれたもので、ともすれば好意的に受け取られるものだろう

それでもこれからとる自分の行動を考えると、呪いたくなる


――話があります。これから会いましょう。1時間後にいつもの喫茶店で。


この簡潔な文の送り先は花田煌、京太郎の恋人である


返信は早かった

何が書いてあるか、京太郎には見なくても分かっていた


――すばらですね!是非行かせていただきます!


彼女は誘いを断らない

だからこそ愛しく、そのために京太郎は苦しんだ

彼女は今頃、嬉しそうにメイクを整えているだろう

自分のために

その事を思うと、ふぅと重い息が出る

続けて小さく震えた声で、ごめんなさいと呟いた


……

店に着くと、やはり煌は既に待っていた

京太郎を見つけて浮かべた笑みが愛を語っている

しかし、近づいてくる彼氏の顔色が悪いことに気づくと眉に愁いが滲んだ

席につき、煌と対面すると更に京太郎の気が枯れていくように見えた

「何があったんですか?」

煌は聞かずにはいられなかった

いつか京太郎が褒めてくれた下唇にだけ塗ったグロス、そこがコップの中の水が反射して彼女の名前の通りに輝いていた

綺麗だ、京太郎はぼんやりそんなことを思った

煌は京太郎にとって、まさに光そのものだった

導き、照らし、癒してくれる

彼女の笑顔をみるたびに心に花が咲いた

それは泥の中から立ち上がる蓮のようで、いつも救われていた

彼女がくれた日々のなんと穏やかで暖かいことか

今からそれを、自分は捨てるのだ


京太郎は周囲から明るい好青年と思われてきた

しかし、内に湛えた影は泥そのものであった

ハンドボールに打ち込んだ中学時代、だが競技人口の少ない長野県においてさえ目立った活躍はできなかった

高校から始めた麻雀、男子麻雀は女子に比べると圧倒的にレベルは低いが、そこでも同じだった

京太郎は振りまく明るさとは対照的に中途半端で何も誇れるものがない自分を恥じていた

だからこそ煌に強く惹かれた

彼女といつまでも一緒にいられるなら何も欲しくはない

しかし、京太郎の半生は「いつまでも」とは無縁だった

ハンドボール、麻雀、そして人間関係

かつて京太郎には宮永咲という友人がいた

中学、高校と一緒ではあるが、気づけば彼女も自分から離れていた

その時にこれが自分の宿命、自分の人生の法則なのかもしれないと感じた

それはきっと煌にも当てはまるのではないか

勿論、飽きたわけでも興味を失ったわけでもない、寧ろ逆だ

だが、中学生の頃にも同じ事をハンドボール部で思ったではないか

そして情熱を失ったではないか


こうして京太郎の影は結論を出した

「須賀京太郎では花田煌を決して幸せには出来ない」


それに京太郎は反証が出来なかったのだ


……


「わ…別れる…?」

煌の動揺ぶりは京太郎の想像以上だった

その表情から読み取れる心は悲しみよりも怯えに近い

「やめてください…」

冗談ならよしてください、別れると言ったのを取り消してください

いくつもの心意が一言に収斂されて出てきた

体が小さく震え出す

そんな煌を見ていると京太郎も決意が揺らぎそうになった

だが、これは彼女のための決意だ

煌はきっと京太郎がどれほど惨めになってもそばにい続けてくれるだろう

恋心が失せても見捨てようとはしないだろう

しかし、煌はもっと輝ける女性だ

それにふさわしい人間が必要で、少なくともそれは自分ではない

だからもう一度言わなくてはならない

「別れましょう」

「嫌…!嫌です!」

とうとう煌の感情が爆発した

周囲の客の視線が集まるが二人は意に介さない

「私に何か落ち度があったのなら謝りますし、改善もします!で、ですから考え直してください…!!」

「煌さん、俺ではあなたを守れない…幸せにできないんです」

「幸せ!?私の幸せはあなたといることです!」

素直な煌の愛に京太郎はたじろいだが、言葉を続けた


「俺はいつも何もかも中途半端に終わってきた…
 あなたと出会った日は今まで生きてきた中でも最高の瞬間で、これまでも楽しくて仕方がなかった

 あなたは俺の光です、でもいつか俺はそれを翳らせる 

 そうなったときが怖いんです、あなたにはどこまでも輝いて…」


煌の平手が飛んできて、京太郎の言葉は終わった

次いで、彼女はテーブルに膝をかけて京太郎の頭をつかみ強引なキスをした

他の席から、わっと小さく声があがり、勢いでコップがテーブル端まで滑った

店員が心配そうにそれを見つめる

やがて唇を離すと呆然とする京太郎を見据えながら煌は話し始めた

「私も…麻雀を辞めたくなるときがありました」

「…」

「チームの捨て駒を引き受けたとき、これでみんなに貢献が出来る…その時はそう考えて納得していました

 でも終わってみれば、やっぱり……心のなかにぽっかりと…

 ずっと続けてきた成果がこれなのだろうかと思うと…


 麻雀は好きです、でも麻雀は私が好きなのでしょうか

 そう思うと止まらなくなって…でも誰にも言えなくて…


 あなたは私を光だと言ってくれましたね

 でも、あなたこそ私の光なんです」

「え…?」

意外な言葉に京太郎は面食らった

「お日様と言ってもいいくらいですね

 あなたといる時は嫌な思い出が詰まった心の闇が晴れていって、
 愛が咲くんです

 それはもうこの世の全ての人に自慢したいくらいの愛なんです」


「心の闇…煌さんにも闇…?」


「ふふ、私は人間ですよ?あるに決まってるじゃないですか
 あなたが見ていた光というのは、あなたが放っていた輝きが私に反射していただけかもしれませんよ?」

「俺に光なんてない…」

「それならどうして私はあなたに惹かれたんでしょうか

 …太陽にだって黒点はあるんです


 どうか、私を照らし続けてください…あなたこそ光です、気づいてください

 あなたの光でしか私は守れない事を、どうか分かってください」


「煌さん…」


店内の人々はこの一組の男女を見守るように動きを止めていた

果たして男は考え直すだろうか、そのことが皆気になっていた

「俺……」



正午をむかえて強まった日光が店の外と中を染めていた


カンッ