揺杏「…………」

 岩館揺杏は独り、インハイ会場の廊下を歩いていた

 決勝進出のかかった大一番での大きなマイナス……

 自分の力不足は薄々感じてはいたが、ここに来ての大失態に

 どんな顔をして控室に戻ればいいのか――彼女には分からなかった

京太郎「おい、無視すんなよ」

 そんな、孤独に早足で歩く少女に声をかける少年が一人

 気ままに伸ばされた金髪を揺らす少年は

 少女が立ち止ったのを認めると、彼女に歩み寄る

 予想外の人物が、予想外の場所にいることに

 身じろぎしつつ少女は、少年の肩の方に視線を遣る

揺杏「……なんでここにいんのよ」

京太郎「心配でな。つい」

揺杏「別に、アンタに心配されることなんて――」

京太郎「揺杏」

揺杏「っ!」

 呼び捨てで紡がれた自身の名前と共に、少女は少年の胸に抱かれた

 やや強引に密着する形になった胸板と

 背中に回されたがっしりとした肉付きの腕に動揺しながらも

 その内心を極力押し隠して、少女は緩やかに口を開いた

揺杏「……“さん”はどうしたよ、須賀クン」

京太郎「今は別にいいだろ」

 挑発的な言葉に、少年はぶっきらぼうに答え

 少女を抱く腕の力を強めた

 仄かに立ち上る異性の香りと、力強い少年の感触に言葉を失し

 少女はただされるがまま、少年に抱かれる

京太郎「今のお前に必要なのは後輩の須賀クンじゃなくて」

京太郎「幼馴染の、京太郎なんだから」

揺杏「…………」

京太郎「……お前が頑張ってるのは知ってるよ」

 部内対局でもあまり戦績は良くなくて

 後輩の晴れ着を作る傍らで、一人孤独に努力して

 この日の為に相手の研究なんて慣れないことをやったことも

 全部、知ってる。言外に付け足された言葉に、少女は無言

京太郎「だから、俺の前だけでは我慢しなくったっていい」

京太郎「辛かったら言えばいい。悲しかったら泣けばいい」

京太郎「そっちのが――揺杏らしいんだから」

 その言葉が切っ掛けとなった

 少年の胸板に少女は顔を埋めると、堰を切ったように涙を流し

 静かに嗚咽の声を漏らしては少年のシャツを濡らす

揺杏「成香になんて言うんだ……」

京太郎「お互い強敵と当たったなって笑い飛ばせ」

揺杏「誓子先輩に謝らないと……」

京太郎「これくらいで気に病むほど心狭くないだろ」

揺杏「ユキはどうするんだ……」

京太郎「どうせ『気にしないでください』って、笑うさ」

揺杏「爽に――どんな顔向けりゃあいい?」

京太郎「俺たちの姉貴みたいなもんなんだし、任せりゃいい」

 泣きじゃくり、震える声で仲間たちの名を呼ぶ少女の背中を

 少年は優しく諭しながら一定のリズムでぽん、ぽん、と叩く

 どのくらいそうしていただろうか

 鼻を啜り、涙をしまい込んだ少女は

 少年の体温を名残惜しむ様に、ゆっくりと顔を上げて

 腕の中から抜け出した

 少女と少年は無言のままお互いを見つめ合う

 ここであったことは二人の中だけで完結し、外に向かうことはない

 岩館揺杏はポーカーフェイスのお調子者

 少なくとも、有珠山高校麻雀部に於いてはそれでいい

 そう主張する目線と、渋々認めるような視線が交錯する

 二人は幼馴染であってそれ以上でもそれ以下でもない

 だから少年がどれだけ気遣おうとも――

 少女は自分の意志で平生と同じ軽い性格の仮面を被る

 二人の間に横たわった隔たりの深さに、少年は溜息を吐いた

 吐き出された息に乗るようにして少女は

 踵を返して控室への道を再び往く

揺杏「……ありがと」

 去り際に小さく呟いて早足にその場を去る少女に

 少年は、小さく肩を竦めるとトイレに向かう小路を曲がった


 カンッ