業者の男に礼を述べる。

業者は軽く挨拶を済ませると車の運転席に乗り込む。家具一式を乗せた輸送車が駆動音を唸らせながら遠ざかっていった。

これで引越しの荷物はすべて送った。後は明日の朝の電車で長野に帰るだけだ。

短い間だったが、世話になったアパートの外観を一望し湿っぽい気持ちで自室へ戻る。

日はすでに傾き始めていた。

部屋に帰ると、緑色の物体を抱えた塞が壁に背を預けて座っていた。


京太郎「部屋を片付けたはずなのに邪魔な物体が二つ増えてる気がするのは俺の気の所為か? それとも新手の光学兵器による俺の視覚に対するいやがらせか?」

塞「せっかく人が荷造り手伝ってあげようと思ったのに」

京太郎「もう終わったよ!」


どうせ終わったのがわかっていて、俺が表で業者と話している間に忍び込んだのだろう。

どうにも突っ込まされている気がする。ついでに聞いておく。


京太郎「なんだよその人類と両性類の合成生物の出来損ないみたいなのは」

塞「ゲコ太。可愛いでしょ?」

京太郎「どうかな」


俺は曖昧に笑いながら肩を竦めた。

台所に二人で並んで立つ。

少々手狭だが役割を分担すればそれほど苦でもない。

特に会話らしい会話は無かった。

野菜多めの豚汁、北海鱈の香草焼き、鰤大根、山芋をすり込んだ卵焼き、冷奴。

余ったダンボールを組んだだけの即席の机の上に塞の得意な和食が並ぶ。簡素ながらなかなか豪勢な晩餐だ。


京塞「「いただきます」」


手を合わせ、揃って唱和して共同作業の料理を食べていく。


京太郎「前から、不思議なんだがなんで塞の卵焼き山芋が刷り込んであるんだ?」

塞「大根とかもそうなんだけど、山芋ってムチンやジアスターゼっていう消化酵素が多く含まれてるから消化にいいんだよ。美味しいでしょ?」

京太郎「悔しいけど美味い」

塞「京太郎の作ったこの鰤大根も美味しいよ」

京太郎「おう、今回のは自信作でな」

塞「出会った頃は自炊ってなに? みたいな調子だったのに、京太郎も料理が上手になったよね」


塞の視線が食卓の上に落ちる。その表情には微かな寂寥感があった。


京太郎「そうだな。塞と一緒に料理するようになってかなり上手くなったと思う」


空気が湿っぽくなってきた。自然と俺も口を噤む。

そこから料理をすべて食べ終わるまで会話は無かった。


塞「はい、これ」

京太郎「どうも」


差し出された湯のみを受け取る。

食後の片付けをしようとする俺を、塞は許さなかった。使った食器も調理器具もすべて塞が一人で片付けてしまった。

手持ち無沙汰の俺は物の無くなった部屋の壁に凭れ、その光景を見ているだけだった。

自分の分の湯のみを手にした塞が傍らに腰を下ろす。

普段なら向かい合って座っていたのでなんだかその距離がこそばゆかった。


京太郎「明日の朝の電車で長野に帰るよ」

塞「そう」


返ってきたのは極めて短い相槌だった。


塞「京太郎がいなくなると、みんな寂しがるね。みんな、なんだかんだで京太郎に懐いてたし」


俺の両目は自室の薄汚れた壁を見ていた。


京太郎「お前達のことなんてどうでもいい」

塞「冷たいね」


静かな反駁だった。

俺は頭を振る。


京太郎「違うな。確かに岩手に、みんなとずっと一緒にいたいと思った俺がいたのも確かだ」

京太郎「けど実際の俺は長野に帰ることを選んだ。それもまた俺がそうさせたんだ。なら、そのどこからどこまでが俺の意思なんだろうな」

塞「自己分裂と自己矛盾。……京太郎ってもしかして中二病?」


俺は視線を巡らせ言葉を捜す。


京太郎「そうじゃなくて、なんていうか、ある決断に対してそれが選択としてすでに決定されているような気がするっていうか」


俺はそこで言葉を切った。今の自分の決断を決定付けた過去と選択は確かにあった。

こんな会話に意味なんて無い。自分の内面もわからない。


京太郎「こんな話に意味はないな」


俺はお茶を飲みきり、携帯で時間を確認する。

時刻はすでに20時を回っていた。


京太郎「こんな時間か、送るよ」

塞「……うん」


日はとっくに落ちていた。

夜空には星が燦然と瞬いている。

星々の輝きとは打って変わって俺達の空気は沈んでいた。

食器と料理器具の詰まった背嚢の紐が肩に食い込む。その重さがそのまま空気の重さのような気がした。

不意に、塞が立ち止まり、空に視線を飛ばしていた。行き先を辿り、俺も夏の夜空を眺める。


塞「そういえば、今日は七夕だったね」

京太郎「そうだったっけか」

塞「あれがアルタイル、あれがデネブ、あれがベガ」


そういって順に指差すのへ、俺も自然とそれを目で追う。

星には詳しくないが、確かにほかの星よりも強く光っている。


京太郎「じゃああれが夏の大三角形ってわけか」

塞「その通り」


得意げに笑う塞の横顔がどこかおかしくて、いつの間にか俺も笑みを浮かべていた。


塞「長野の空も、こんな風に見えてるのかな?」


言葉を諮りかねて俺は塞の横顔を眺めた。

白い頬には冷たい沈黙、俺は再び空を見上げる。


京太郎「きっと違うだろうな」

塞「そっか……そうだといいな」

塞「ここまででいいよ」

京太郎「家まで送るぞ?」


俺の提案を無視して、塞は俺の肩から背嚢を奪い取る。


塞「いいのいいの。明日、早いんでしょ? さっさと帰って早めに寝な」

京太郎「…………そうだな」


不承不承頷く。

別れを告げたのに、それでも、俺達の脚は一向に帰路へと向かうことは無かった。


塞「感傷だけど、京太郎とは違う形で出会いたかった」

塞「そうしたら、今とは違う関係になってたのかな」


塞の双眸には寄り添うような、縋るような請いがあった。

同時に他者を優しく包む夜の色があった。


京太郎「もし、の話に意味なんてないよ」

塞「……そうだね」


二人の言葉は夜気に溶けた。


塞「それじゃあ、『また』ね。京太郎」

京太郎「ああ、『また』な。塞」


名残惜しさを振り切るように俺は背を向ける。

もし、違う形で出会っていたなら。俺達はどうなっていたのだろうか。

だが、機会はすでに失われ過去は過ぎ去った。

生まれたときに持っていた無限の可能性は時間の経過とともにその選択肢を狭め、そして俺達は残酷な現実の前に呆然と立ち尽くす。

誰にも未来は見通せないからだ。

それでも、今、ここで俺が振り返ったなら、立ち止まった塞が、俺が振り返るのを待っているのだろうか。

それこそ、甘い感傷だと自嘲し俺は前を見詰めた。これが俺の決断だった。

親愛も、罵倒も、友誼も、悪態も、憧憬もすべては過去。

年に一度、一組の男女が逢瀬を遂げる夜。

俺達は別々の道を歩き出した。


カン