「リーチ!」

    清澄高校麻雀部部室に起家である優希の高い声が響いた。東1局3順目、捨牌には西、1萬、4索が切られているのみである。
    内心ため息をつきながら下家の京太郎は自分の手配を見下ろした。


    『京太郎手配』
    2289m 125p 58s 北北撥中 ドラ3s


    アガリどころか聴牌すらほど遠い自分の手配に視線を送りつつ、山に手を伸ばす。ツモ8p。


    『京太郎手配』
    2289m 125p 58s 北北撥中 ツモ8p


    全く状況が良くならないツモであったがどちらにせよ1面子もない状態で親リーに突っ張るつもりは欠片もなかった。
    ノータイムで北の対子に手を伸ばし、場に切り出した。だが、それに対して待ってましたとばかりに声が上がる。


    「ロンだじぇ!」


    思わずビクリ、京太郎の体が跳ねた。思わず優希の顔を見た後、優希の倒した手配に目をやった。


    『優希手配』
    678m234s東東東北北中中 ロン北

    「リーチ一発ダブ東ドラ1……おっ、裏ドラが中で親っ跳だじぇ!」
    「なんじゃぁそりゃ!」


    思わず素っ頓狂な声が上がる。振り込んだ京太郎は体をのけぞらせ天を仰いだ。


    「そう落ち込むな! 高めだったら親倍だったんだじぇ! 安く済んだと考えな!」

    「まぁ、京ちゃんこればっかりはしょうがないよ。その待ちならいずれ出ちゃうよ」

    「そうですよ須賀君。麻雀ですからこういうことも起こりえます」


    1年生の3人娘から口々にフォローの言葉が飛び交う。
    自分の手の中にある中――優希の言う高目親倍の当たり牌――を見下ろしながらため息をつく。
    あの手恰好では振り込むことが約束されていたとばかりの状況に心が折れそうになる。


    「そうじゃな。あの手恰好じゃ誰が打とうといずれ打ち込んでおった。気にするな」


    京太郎の打ち筋を後ろで眺めていたまこも気遣いの言葉を投げる。


    「うっす。よっしゃ、まだ始まったばかりだ! 気合い入れていくぜ!」

    「ふふっ、頑張って京ちゃん」

    「おぉっと、そうはいかないじぇ。この連荘で終わらせてやるじぇ!」


    軽く笑いあいながら、再び場は進行していった。


    (そう、だれでも振り込む。それはわかる)
    (でも……こいつらは)
    (こいつらはこんな状況にまずならない)
    (こいつらだったら確実な安牌が手にあるかそもそも手の中に当たり牌がない)
    (……少なくとも、インターハイ中はそうだったしな)


    京太郎の胸に芽生えた小さな小さなしこりを押し隠したまま。
    激動のインターハイで非常に優秀な成績を残した清澄高校麻雀部は
    インターハイ後の残り少ない夏休みも関係各所への対応に追われた。
    学校での祝賀会、マスコミへの応対、行政からの祝辞等、
    一般高校生ではなかなかお目にかかることのないイベントが連日のように行われろくに休みもないまま新学期に突入した。

    9月となり竹井久からの引き継ぎを終えた染谷まこが新部長となり、
    新たな体制と清澄高校麻雀部は2学期初めての部活に励んでいた。
    大会中は麻雀をほとんど打つことができなかった京太郎は部活開始と同時に喜び勇んで卓につき、
    前述の通り惨い有様となっている。
    東1局1本場は和が優希から2,300点をアガって軽く流し、巡ってきた親番。
    何とかこれをものにしなければ、と念じながら配牌を手にした。


    1127m458s257p西西西撥 ドラ1m


    ドラヘッドのチャンス手。面子候補が足りてないうえに動きにくい手だが筒子がさばければ勝負になる。
    自分の手をそう結論付ける。ドラを固定するために1打目2萬を切り出す。
    面子が足りてないうえに動きにくい手恰好なので撥はぜひとも欲しいところであった。
    とは言えある程度の打点もほしい、そう考慮して小考した後2萬を切り出したが
    それを受けて京太郎の下家は和はドラが対子以上であることをなんとなく検知する。


    (須賀君も私達とは打てなかったとはいえ、その間に何もしてなかったわけではありませんからね)
    (ある程度効率は考えられるようになってきているはずです)
    (恐らくドラが対子以上。まぁ、ほぼ聴牌形が出来上がっているという可能性もありますが……)


    考えつつも和は第1ツモに手を伸ばす。そしていつものように長考に入る。


    『和手配』
    23m12446s24678p北 ツモ3p


    とは言ったもののほぼ面子候補ができている形。
    且つ急所の1つである索子の嵌張引いて方向性はほぼ決まっている。を北を切り出し場を進める。
    その後、場は淡々と進み一つの分岐点といわれる6順目、京太郎の手配はこうなっていた。


    『京太郎手配』
    11m34588s579p西西西


    高確率で愚形が残る手恰好。ツモは白。ノータイムでツモ切りしつつ、京太郎はどう聴牌してもリーチを打つ気でいた。
    夏休み、大会中の空き時間中に携帯の麻雀アプリで麻雀を打っていた際に
    役無しドラ1の愚形聴牌を入れた際に両面への手替わりを見越して黙聴にしたところ、
    たまたま通りすがった和にひどく叱られたことがあった。


    『京太郎手配』
    123m23479s67799p ツモ5p ドラ1m

    「須賀君、何故黙聴にしたんですか?」


    アプリの画面では「リーチ」のアイコンが表示されていたがそれを押さず7pを切って聴牌を取った瞬間だった。
    思いがけず声をかけられびくり、と震えて後ろを振り向くと難しい顔をした和が立っていた。
    自分の答えを待っていることを悟った京太郎は恐る恐るといった感じで声を出した。


    「えっ? あっ、そ、その、 だって嵌8索だぜ? 6索を引けば平和が……」

    「論外です!」


    ぴしゃりと言い切る和に思わず言葉を詰まらせる京太郎。


    「単純な確率の問題です。まだ5順目ですよね? だれのリーチも仕掛けも入っていません。」
    「場は字牌、端牌だらけ。この状況で6索引く確率と8索引く確率ってどちらが高いと思いますか?」

    「……同じ、だな」

    「そうです。尚且つこの手は役無で手替わりの受け入れも6索しかないと考えれば即リーの1手です」
    「6索引いて平和を逃すより8索の出上がりができないということのほうが圧倒的に痛手です」

    「なるほど、そういわれると納得いくな……」

    「これは現代のデジタル麻雀では基礎の基礎です」
    「この21世紀に未だ旧態依然とした面前で手役を作らなければいけないという面前至上主義が」
    「根強く生き残っているのは由々しき事態です。自分がやるのはまだ許せますが」
    「それを初心者にあたかも正しいことのように伝えていくというその姿勢が」

    「ストーーーーーップストーーーーーーーップ! わかった! わかったから!」


    オカルトの風が吹き荒れるこのインターハイでいろいろと腹が据えかねるものがあったのか、
    滾々と和の口から湧き出る呪詛の言葉をあわてて押しとどめる。
    思わずはっとなった和は軽く頬を染めながら軽く咳払いをする。


    「……失礼しました」

    「い、いや、別にいいけどさ。しかし……すまんな、和」

    「? 何がですか?」


    少し言いづらそうに視線をそらしつつ呟く。


    「いや、その、大会中でせっかく休んでる最中に俺なんかのためにくだらない時間使わせちゃって。もうすぐ出番だっていうのにさ」


    はは、と自嘲気味に笑う。烏滸がましいことだとは理解している。しかたがないことだとは理解している。
    それでも京太郎は周りに置いて行かれている、蔑ろにされている。そんな気持ちを抑えることができなかった。
    普段はあまり自虐的なことなど言わないとは京太郎自身思っていたがそんな精神状態のせいか、
    思わず口に出てしまう。何を言ってるんだ、と激しく後悔しそうになるが
    見る見る不機嫌な顔になっていく和に驚きの感情で塗りつぶされていった。

    「くだらないってなんですか?」

    「えっ、いや、だって」

    「私が初心者の須賀君に対して、経験者が初心者に指導をする、初心者が経験者に対して教えを乞う」
    「それがそんなにおかしいこと、くだらないことなんですか?」


    麻雀はガチガチのデジタル思考であり、機械のように冷静沈着正確無比。
    そんな原村和だが一歩卓から離れると非常に感情が表に出やすい。
    京太郎はそんなことを考えながら思わず身震いする。彼女は怒っていた。それも猛烈に。


    「その……大会中だし、和も忙しいし自分の時間もほしいだろ? ほら、俺の始動で時間を使うよりはその」

    「須賀君!」


    ごにょごにょと、とりとめのない言い訳をする京太郎を一喝する。
    京太郎はびくりと体を震わせ恐る恐るといった感じで和と目を合わせた。


    「いいですか須賀君。私とあなた、同じ清澄高校麻雀部ですよね?」

    「……」

    「返事は?」

    「は、はい!」

    「そうです。同じチームメイトですよね? それなのに何故、貴方が教えを乞うことに遜ったり卑屈になる必要があるんですか?」

    「いや、だって、和はレギュラーメンバーだし、インターミドルチャンピオンだし、悪いなって……」
    「つまらないこと聞くと、その、怒られそうだし……」


    和はその答えに思わず頭を抱えたくなった。将来の夢の1つに小学校の先生になりたい
    そう思っているのにそんなに怖い人間、質問をしにくい人間だと思われていたとは……。
    もう少しやわらかい態度を心がけるべきだろうか、そう自省しつつ幾許か表情を和らげた。


    「……須賀君の中で私はそんなに怖い女、キツイ女だったんですか?」

    「あー、いやー、そんなことは」

    「目を見て話してください」

    「……すみません」

    「いいです、謝らないでください。初心者が聞きづらい環境にあるというのはこちらが反省すべきことですから」


    そう、反省するべきだ。そう和は思った。初心者であり、
    まずは麻雀の楽しさを分かってもらうという大切な時期に合宿だ大会だで殆ど放置気味になっていたことを反省すべきだ。
    和自身、中学時代は後輩達にもいろいろ気にはかけていたはずだったのだが
    ここ最近はいろんなことがありすぎ、自分自身手一杯であったため、あまり周りに気を配りきれなかった。
    京太郎がこういう卑屈な発言をしてしまうような環境を作ってしまったのは自分たちに責任がある。
    ずきり、と心が痛んだ。


    (だからと言って今更取戻しが効くものではありませんよね……)
    (だから……だからせめて)


    和は心の中で一つ決意する。今更罪悪感に任せて媚を売っても仕方あるまい。
    京太郎に怖い女と思われているのならそれでいい。
    それでも自分にできることをしよう、そう決意した。


    「須賀君」

    「な、何?」

    「今は大会中だから無理ですが、大会が終わって、新学期になったら特訓です」

    「うぇ?」


    思わず声が出る京太郎。大分間抜けな顔をしているのだが気にせず和は続けた。


    「勉強はそれなりにしているみたいですがまだまだ不足しているところも多いみたいです」

    「えっ、ちょっ」

    「私だけじゃありません。周りは上手い人だらけです。部長、染谷先輩、咲さんとゆーき、みんなで協力して徹底的に特訓します」

    「いや、その」

    「嫌とは言わせません。泣いたり笑ったりできなくなるまでみんなでバキバキに鍛え上げます」

    「ちょ、和。こわ」

    「何か言いました?」

    「いえ、何も」


    怖い、と言いかけた口を思わず閉じる。そんな姿を見て和は思わず小さく微笑んだ。


    「大丈夫です。優しく教えますから」

    「……」

    (今の話の流れでその言葉はどう考えても信用ならん)


    新学期から自分はどうなってしまうのか。そう考えると京太郎は軽く身震いした。


    「それと、さっき教えることが無駄な時間って言いましたけど」
    「私たちも人に教えることで自分が改めて深く理解するっていうこともありますし」
    「指導っていう行為は無駄な時間ってことはないんですよ」
    「だから」
    「くだらないとか、悪い、とか思わないでください」


    「そんなの、悲しいです」


    その一言でどれだけ救われたか、京太郎はそう思った。
    恐らく一番存在を軽んじられているであろうと思っていた和にそう言われて京太郎はひたすら麻雀の勉強に費やした。
    大会中の雑用もこなしつつ、教本を読み、ネト麻を打ち続け自分なりに修練を続けた上での
    この1局であったが状況は前述した通りである。
    だが、圧倒的不利な状況でも京太郎は何とかベストを尽くそうと足掻いていた。そして8順目。


    『京太郎手配』
    11m34588s579p西西西 ツモ1m

    (っ! 絶好のドラ引き!)


    ここ最近で一番手ごたえがあるツモに喜び勇んで5筒を切り出し、千点棒を場に出して高らかに発声した。


    「リーチっ!」


    このリーチに対して3人は現物を切り出す。そして1発目のツモ。
    力を込めてツモるがそこに書かれていた絵柄に思わず心がざわめく。


    『京太郎手配』
    111m34588s79p西西西 ツモ6p


    典型的な裏目。思わず歯ぎしりしそうになる京太郎だったがなるべく平静を装って場に切り出した。


    (しょうがない。麻雀で裏目を引くのはしかたない、まだ終わったわけじゃ)

    「ロンだじぇ」


    京太郎の必死な思いをその声が無情にも打ち砕く。


    『優希手配』
    【5】5m99m67799s【5】5p北北

    「仮聴だったけど出るならありがたくあがらせてもらうじぇ。チートイ赤赤。6,400点だじぇ」

    「っ! ロクヨンってことは……」

    「そう。リー棒出しちゃったから……ト・ビ、だじぇ」

    「マジかーーーーーーーーー!」


    しなを作ってウィンクしながら無情にそう告げる優希。それを聞いた京太郎はぐしゃり、と前のめりに倒れこむ。
    京太郎の手配も倒れこんだがその手配と捨て牌を見比べて和は多少表情を和らげた。


    「いえ、須賀君。結果的に振り込みに回ってしまいましたが別段間違いは犯してません。まっすぐ打てていたと思いますよ」
    「そうだよ京ちゃん。8筒はおそらく全部山だったし、こればっかりはしょうがないよ」


    そんなフォローが2人から飛ぶが京太郎はうめき声を返すのが精いっぱいだった。
    無力感にさいなまれつつ、先ほど芽生えたしこりに気づかないように視線をそらし続けた。


    (俺は、強くなれるのか。本当に?)


    勝利への疑心という感情に



    「あーあ、9筒切りだったか……」

    「それは結果論です」


    弱気な発言を即座にたしなめる和。
    その様子を見ながら咲は自分の手牌に目をやり、次に嶺上牌に目をやった。


    『咲手牌』
    123m【5】55s999p白中中中

    (9筒を切ったら私がカンしてた。多分あの嶺上牌は……中、だと思う)
    (それもカンしたらおそらく、多分この白ツモれてた)
    (新ドラも含めれば倍満で京ちゃんを飛ばしつつ逆転……)
    (ごめんね京ちゃん。9筒でもダメだったみたい)


    和が聞いたら発狂しそうなことを考えながら、咲は京太郎の不運を嘆いた。
    そんな中、一呼吸を置いてまこが立ち上がり手を叩いた。


    「とりあえず新学期一発目の対局は終わったようじゃな」


    1年生4人組の顔を見渡したのち多少もったいぶった感じで言った。


    「インターハイも無事に終わって気が抜けたと思うが、じゃからと言ってそれで全てが終わったわけではないぞ」


    そう言った後、ペンを取ってホワイトボードに歩み寄り何かを書き始める。
    訝しげに見つめる4人を尻目に、何かを書き終えたまこはペンを置き、ホワイトボードを強く叩いた。


    11/××
    新人戦長野県予選

    「そう、新人戦じゃ。無論わしには関係のない話じゃが……おんしら1年生4人組には他人事ではなかろう」


    それを聞いて京太郎は何か言いたげにまこを見たり3人娘を見たり落ち着かない様子であたりを見渡した。


    「京太郎、そんな顔をせんとも言いたいことはわかる」
    「夏の大会メンバーで言えば鶴賀の東横や風越の文堂あたりがでてくるじゃろう。それでも」


    しばし沈黙するまこ。


    「インターハイでの成績を考えれば3人のうち誰かは全国に行けるじゃろう」

    「ですよねー」

    「無論、油断していいという理由にはならん! 団体戦に出なかった無名の大型ルーキーが出てくるかもしれん」


    麻雀に絶対はないしな、と付け足しつつまこは3人娘に視線を送る。それを受けてはい、と元気よく返事を返す。
    だが、その言葉に京太郎はふたたび心がざわめくのを感じた。


    (絶対はない……本当か? 本当にそうなのか?)


    その内心を知ってか知らずか、まこは京太郎に視線を向け、びしりと指を突きつけた。


    「問題はお前じゃな。京太郎」

    「え、あ、はい……」


    唐突な名指しの声に思考を打ち切り我に帰る京太郎。まこと目を合わせると何か意地の悪い笑みを浮かべていた。


    「インターハイ中はほとんど目をかけられなかったというのに、自分なりに学習を進めておったようじゃな」

    「はい、一応……」

    「とはいえ、自分の実力は把握しておるじゃろ?」
    「休み期間中にやっていたというネト麻の牌譜を見せてもらったがまだまだミスが多い」

    「うぐっ」

    「だーかーらー」


    にぃ、という擬音が聞こえてきそうな笑みだった。


    「これから大会に向けて京太郎を徹底的に鍛え上げる。今までろくに始動できなかった分たっっっぷりとな」


    ぶるりと身震いする京太郎の横から和が何か楽しそうに言葉を続けた。


    「私から染谷先輩に須賀君の特訓の話を持ちかけたら、染谷先輩もそのつもりだったみたいです。よかったですね、須賀君」

    「なるほど犬の強化月間ってことか。それは楽しみだじぇ! 腕が鳴るじぇ!」

    「よかったね京ちゃん! もちろん私も協力するよ!」


    わいわいと、本当に楽しそうにこれからの教育プランを話し合う4人を見て、
    決して見捨てられていたわけではないという喜びを感じつつも……


    (どうなるんだ、俺……)

    嫌な予感が止まらない京太郎であった。

    その後、京太郎は4人とかわるがわる打ち続けことごとく叩き潰される時間が続いた。
    本日は初日ということで軽めに――とはいえそれなりに打ってはいるのだが――終わったのが京太郎にとっては幸いであった。
    今日1日で1か月分は負けたのでは、と思えるほどのすりつぶされっぷりあった。
    事務仕事があるというまこを残し4人は校舎を後にした。


    「それじゃあまた明日なー!」

    「須賀君、咲さん。また明日」

    「ばいばーい」

    「おう……じゃーなー」


    とりとめのない話をしながら歩いていたが分かれ道となり京太郎と咲、優希と和という組み合わせで別れた。


    「あー……づがれだ」

    「お疲れ様、京ちゃん」


    二人だけとなったタイミングで軽く愚痴りながら大きく伸びをする。
    げっそりとしている京太郎とその横で朗らかに笑う咲。
    時間的には夜とは言えまだまだ暑い。時間を考えずけたたましくなく蝉の音を聞きながら二人は帰途についていた。
    二人の間に特に会話はないが付き合いの長さが成せる技か、気まずさは特になかった。
    沈みかけた日に伸びる自分の影を見つつ京太郎はふたたび自分の心のしこりに悩まされていた。


    (沢山打った)

    (そして沢山負けた)

    (3位をとれたのが数回あっただけであとは全部ラス)

    (何だこれ? 麻雀ってそんなゲームなのか? こんなに運の要素が強いゲームなのに、こんなに勝てないものなのか?)

    (俺が弱いだけ……本当にそれだけで済まされる話なのか?)

    (牌効率や押し引きを学んで……埋められる距離なのか?)


    京太郎は隣を歩く咲に目を向ける。
    それと同時に長野大会での最後の場面が京太郎の頭によぎった。


    『カン』

    (……)

    『ツモ』

    (あれが)

    『清一色、対々、三暗刻、三槓子、赤一、嶺上開花』

    (あれが)

    『役満です』

    (あれが……!)

    『麻雀って、楽しいよね』

    (あれが技術やなんかで埋まるものなのか!?)


    「……京ちゃん?」


    京太郎の隣を歩いていた咲が立ち止った。京太郎から何か感じたのか、心配そうに顔を覗き込む。
    心の内を悟られないように、ごまかすように京太郎は咲に問いかけた


    「なぁ、咲」

    「なぁに、京ちゃん?」

    「このままこうやって、必死に練習を続けて、毎日毎日頑張って勉強して、そうすれば……」


    叫びだしたい気持ちを必死でこらえて、京太郎は言葉を続けた。


    「俺も、強く、なれるか?」

    「……えっ?」


    唐突な問いかけに思わず言葉を失ったが、京太郎の何かこらえきれないような、必死な様相を見て意識を取り戻した。
    咲は思考する。どう答えるべきなのか。
    咲自身としてはきっと強くなれる、そう信じているが……京太郎の欲しい答えというのはそんな単純なものだろうか?
    何を応えればいいのか、何が正解なのか咲の頭の中でぐるぐるとまわっていた。
    それでも、しばしの沈黙ののち、咲は答えた。


    「ごめんね、京ちゃん……京ちゃんが強くなれるかどうかは、わからないよ。絶対、なんで無責任なこと、言えないもん」

    「……そうか」

    「でもね、でも、私はいつも練習するときもっと強くなれる、もっといい牌が引けるようになる、そう信じてやってるよ」

    「……」

    「そうすれば、きっと牌も答えてくれる。だから京ちゃんも信じて頑張ってみて」


    そういいながら咲は京太郎に微笑みかけた。釣られて、辛うじてといった形だが微笑み返す。


    「一歩ずつ、少しずつでいいから、頑張ろう? ね?」

    「……そっか」


    京太郎はそれを聞いて理解した。


    「そうだよな、咲。そうだったな……頑張るよ、俺」


    咲の頭に生えている特徴的な癖っ毛をピンと指ではじきながら京太郎は歩き出した。


    「あぅ、ちょっとやめてよー!」

    「ははっ、わりぃわりぃ。ほら、帰るぞ」


    足早に歩みを進めると咲が慌てて後を追いかけた。
    京太郎はそんな咲をからかいつつ、ざわめく心とがりがりと暗い気持ちが自分の心を侵食していくのを感じていた。


    (そうだよな、咲)
    (お前には昔からすごい力があって)
    (努力すれば報われる)
    (願えば叶う。そう言う人間なんだな)
    (まさに牌に愛された子ってやつか)

    (ははっ、なんだそれ)

    (……くそっ)
    (……ずりぃ)
    (ずりぃよ、咲。俺だって)
    (俺だって、そうありたかった)
    (お前みたいに、何かをもって、生まれてきたかったよ)


    必死に暗い気持ちを振り払う。京太郎自身前に進むには努力しかないということは心情では理解していた。
    だから咲の言うとおり明日から一歩一歩頑張ろう、無理やりそう自分の中で結論付けた。
    芽生えたくらい感情に無理やり蓋をしたまま。

    そんな生活を続けて1か月。決して物覚えのいいほうではなかったが、判断や押し引きは以前よりも優れてきた。
    大きな落手を踏むようなことも少なくなってきた。だが、それでも。


    「ツモ。ツモメンホンで満ガン。これでぴったりまくりじゃな」

    「うわー! 最後の最後でまくられたじぇ!」

    「あぅ、私のカン材が使い切られてる……」

    「……」


    それでも京太郎は1か月の間1度もトップを取ることができなかった。
    棚ボタな2位が時たまあったぐらいでほぼ3位4位を占めていた。


    「……くそっ」


    オーラスの京太郎の手配はこのようになっていた。


    『京太郎手牌』
    13【5】56889s南西白撥撥 ドラ6s


    焼き鳥で迎えたオーラス、着順を上げるには跳満をツモるか満ガンを直撃しなければいかなかった。
    そのため染めに走ったがろくに面子ができず終わった。
    かといって自分の捨て牌をかき集めても――鳴きが入る可能性があるので不毛な話だが――聴牌すらできていない。
    卓の下で思わず拳を固めた。


    「残念でしたね。最後の局、私が打ってもそうなってましたから気にしないでください」


    今回抜け番だった和が後ろから声をかける。それに対して軽く礼を言いつつも溢れてくる暗い気持ちを押しとどめていた。


    (お前だったらこうはならないよ、和。ちゃんとツモが来てくれるさ。それでかっこよく逆転……だな)

    「京太郎、大丈夫か? 少し休憩するか?」


    暗い表情の京太郎を見てまこが心配そうに声をかける。それに対して半ば意地のように答えた。


    「いや、やります。まだいけます」

    「無理はするな、大分堪えたじゃろう?」

    「大丈夫です、行けます……ほら、和。入れよ」


    話は終了とばかりに話題を変える。まこは不承不承といった形で和に席を譲った。


    「おーし、まだまだやる気だな京太郎! 頑張るんだじぇ!」

    「……おぅ!」


    無理やり、といった感じて返事を返す京太郎。そして、サイコロが振られた。


    「ツモ。三槓子ドラ4で3,100、6,100です」

    (で、結局いつものパターンか)


    南2局に咲が派手に上がったところで京太郎はひとり心の中で愚痴る。
    相も変わらず焼き鳥の状況。なんでもいいからあがりたい、そう考えているがそもそも勝負になる牌がやってこない。
    そんな苦しい状況で自分の最後の親番は空しく流れていった。
    新たに山が積まれ配牌を取っていく。


    南3局
    咲   34,900
    京太郎 16,400
    和   29,200(親)
    優希  19,500


    そこまで絶望的な点差ではないが相も変わらずラスにいた。
    こういった状況は今まで何度もあったが全くと言っていいほど逆転の手が入らなかった。
    だが、この局においては違った。4トンずつ牌を取っていくたび、京太郎の心は激しく騒いだ。


    『京太郎手牌』
    6s112233588p東中中 ドラ中


    配牌メンホンチートイシャンテン。順子のホンイツと考えてもリャンシャンテンである。
    どちらにせよ跳満、うまくいけば倍満まで見える手配だった。後ろで手を見ているまこも思わず息を飲んだ。
    3人の打牌が完了し、震える手で第一ツモに手を伸ばした。


    『京太郎手牌』
    6s112233688p東中中 ツモ6p

    (っっっっっ!)


    思わず叫びだしそうだった。渾身の引き。考え付く限りで最高の引きだった。
    リアルの麻雀ではダブリーは初めてであり、倍満確定のリーチを打つことも初めてだった。
    震えを抑えながら6sを切り出し、宣言をした。


    「リーチっ!」

    「うげっ、ダブリー!?」


    凹み続けていたところからの思わず伏兵を想定していなかった優希は思わず取り乱した。
    次順、親の和がツモに手を伸ばし、相変わらず淀みの無い仕草で場に手出しで牌を捨てた。

    東を。


    「ロンッ!」

    「えっ?」

    勢いのいい発声に思わず驚きの声を漏らす和。


    「ダブリー一発メンホンチートイドラドラ……裏2! 24,000だっ!」


    京太郎以外の4人がぽかんと口をあけたのち優希が思わず声を荒げた。


    「なんじゃそりゃっ!」

    「うるせー! お前が言うな!」


    即座に突っ込み返す京太郎。京太郎と優希は憎まれ口をたたき合うが、その顔には久方ぶりの笑みが浮かんでいた。


    「……さすがに読めませんね」

    「うん、これはね。和ちゃんが切らなきゃ私が切ってたし」


    そういいながら咲は手の中にぽつんと浮いていた東をぱたりと倒した。


    「やりおったのぅ、京太郎。初のトップが見えてきたぞ。きばりんしゃい」


    まこのそんな嬉しそうな言葉に京太郎は気を引き締めた。


    (そうだ、まだ終わったわけじゃない。オーラス何とか軽く流して終了するんだ)


    南4局
    咲   34,900
    京太郎 40,400
    和    5,200
    優希  19,500(親)


    高鳴る心臓を抑えながら配牌を取る。


    『京太郎手牌』
    34m45s1145688p北白


    (悪くない! 何とか平和かタンヤオが作れれば、勝てる!)


    北を切り出しながら、京太郎の初トップに向けての道のりが始まった。
    その後、5萬を引き入れツモ切りが続いた7順目。


    『京太郎手牌』
    345m45s1145688p北 ツモ5p

    (っ! 良型変化への種!)


    引いてきた5pを手に仕舞い込み打北とする。
    そして次順


    『京太郎手牌』
    345m45s11455688p ツモ6p

    (よし! 来た!)


    平和確定のツモ。それを見て京太郎は場を見渡す。


    『咲捨牌』
    1⑨白撥二⑧④

    『和捨牌』
    四二西西⑧⑤②

    『優希捨牌』
    中1南東二九白

    (咲は普通の平和系、和は……チャンタか、清一色かな。優希もタンピン系っぽいな)


    どちらにせよ、そこまで不穏な感じは受けないと判断し、京太郎は1筒に手をかけて場に切り出した。
    その時、まこが思わず小さく息を吐いたが幸いにして誰も気づかなかった。
    そして次順


    『京太郎手牌』
    345m45s14556688p ツモ3s

    (聴牌だっ! これをあがれば)


    滑るように1筒に手をかけて場に切り出した。その瞬間、まこのうめき声を京太郎は聞いた。そして


    「ロン」


    和のよく通る声が響いた。その瞬間京太郎は理解した。


    (和は4確や3確をするようなやつじゃない。つまり)


    『和手牌』
    19m9p19s東南南西北白撥中 ロン1p

    (逆転の手が入ってる、って……こと……だ……)

    「国士無双。32,000です」


    終局
    咲   34,900
    京太郎  8,400
    和   37,200
    優希  19,500


    負け続けてきた京太郎を支えていたもの
    プライドか、意地か、仲間への思いなのかそれは本人にもわからない。

    だが

    京太郎を支えてきた「何か」が、ぽきり、と音を立てて折れた。


    「うわー……すごいよ、和ちゃん」


    呆然としている京太郎。その横で咲があまりにもドラマティックな展開に驚きの声を漏らす。


    「まさかこんなにタイミングよく刺さってしまうとはのう」


    京太郎と和の手牌を後ろから見ていたまこはそう言いながら天を仰いだ。


    「少々出来すぎでしたがね」


    和はそういいながら苦笑する。そして呆然とする京太郎に視線を向けた。


    「あの、す、須賀君? 大丈夫ですか?」


    心配そうに声をかける和だが京太郎は反応を示さない。そんな和を尻目に優希は京太郎の隣に立って背中を軽く叩いた。


    「シャキッとしろ京太郎! まったく、どんな手恰好だったんだ?」


    そう言いながら優希は京太郎の手配を倒した。


    「ふんふん、なるほど……。京太郎、そこまで悪手ってわけじゃないがこの振り込みは防ごうと思えば防げたじぇ」


    京太郎はピクリ、と体を反応させ、うつむいた姿勢のまま自分の手配に目をやった。


    「お前が1筒対子落としの際は捨て牌はこうなっていたはずだじぇ」


    『京太郎手牌』
    345m45s11455688p ツモ6p

    『咲捨牌』
    1⑨白撥二⑧④

    『和捨牌』
    四二西西⑧⑤②

    『優希捨牌』
    中1南東二九白

    「確かに1筒ならチー聴も取れるけど、防御ってことを考えたら8筒のほうが圧倒的に安全だじぇ?」
    「まぁ、無論私にあたる可能性が0ではないけど」


    優希の指をぼんやりと見つめる京太郎。


    「まぁ、とは言ってもそこまでの落手、とは言い切れないじぇ。というか国士とはだれも読めないじぇ」
    「とは言えもうちょいっと防御のほうにも」

    「やめてくれ」


    絞り出すような京太郎の声が聞こえた。部室の中がしん、と静まり返った。


    「もう、わかった。わかったから。俺が悪かった。俺が下手くそなのが悪かった。だから、もう勘弁してくれ」


    ぼそぼそと、うつむいたまま呟く京太郎。それを聞いて何か腹を据えかねたのか優希が食って掛かる。


    「なにをふて腐れてるんだじぇ! 敗北から学ばなくて一体どうやって成長するつもりなんだじぇ!?」


    だが、その声にも反応せず京太郎は言葉をつづけた。


    「もうダメだ。どんだけやってもお前らには勝てない」
    「勝てないんだ。どんだけあがこうと」
    「お前ら持ってるやつにはどんだけやっても勝てないんだ」

    「っ! 京太郎!」


    かっとなった優希がつかみかかろうとしたところに慌てて咲が押しとどめる。


    「優希ちゃん待って! 落ち着いて!」

    「離すんだじぇ咲ちゃん! 京太郎、お前はそんな奴だったのか!? 強くなりたいんじゃなかったのか!?」


    余りの事態に和は動揺を隠せずにいた。まこは落ち着かせようと一喝するために息を吸い込んだ瞬間だった。


    京太郎から押し殺すような、うめき声のような、鳴き声のような、そんな声が聞こえた。


    「つらいんだ。もう、麻雀を打ってても」
    「差を見せつけられるばかりで。何もできないまま終わっていくばかりで」
    「だから」

    「……もう、嫌だ」


    弱弱しかったが、痛いほど意思が伝わってきた。
    それは、京太郎からの麻雀に対する、メンバーに対する拒絶の言葉であった。
    それを聞いて、憤っていた優希も、必死になだめようとしていた咲も、動揺していた和も、
    如何に収めようか気を揉んでいたまこも言葉を失った。

    静まり返る部室。優希が何か言いたげにするが結局何も言えずに視線を落とした。


    「……今日はここまでにしよう。3人は先に帰っとれ」


    まこが搾り出すように言った。苦渋の色が強く現れており、苦しげな声であった。


    「わしは少し京太郎と話をしてから帰る」

    「だ、だったら私も」


    いてもたってもいられない、といった様相で咲がまこに食いつく。
    だが、まこは頭を振り、3人に近づいて小さく言った。


    「今後の……今後の、話じゃけん。3人がいると話にくかろう」

    「!」


    つまり、彼が今後、どうするのか。
    辞めるのか、辞めないのか、そういった話になるまこはそう言っていた。


    「京太郎、お前、麻雀部を……」


    普段からは想像もつかない様な非常に寂しげな優希の声は最後まで紡がれることはなかった。
    そして、それにも反応を示さず、京太郎は俯き続けた。


    「……ゆーき、咲さん。行きましょう?」

    「の、和ちゃん」


    咲は何か言いたげに京太郎と和に視線をさまよせるが、後ろ髪引かれながらも部室を後にした。
    優希もそれに続く。ぱたん、と扉が閉まる音が響いて部室には京太郎とまこが残された。


    「……何か飲むか?」


    しばしの沈黙の後に、まこは京太郎に声をかけるがそれに対して無言で首を振る。
    ほうか、と呟いて京太郎の前に椅子を引き、座った。


    「すまんかった。皆つい熱が入りすぎたようじゃ。あそこまで負けが込めば……嫌にもなろう」


    そう言いながらまこは京太郎に頭を下げる。再び沈黙の時が流れる。
    その間もまこは京太郎に頭を下げたままだった。そんな中、沈黙を破ったのは京太郎だった。


    「すみません、気を使わせて。俺が悪いんです。俺が、耐えられないってだけで」


    拳を強く握り締める。そんな京太郎の声を聞き、まこも顔を上げた。


    「わかってるんです。皆、俺のためを思ってやってくれてる。俺のために言ってくれてる。だけど……だけど……」


    京太郎の体が震える。今にも泣き出しそうな声で目の前にまこに言葉をぶつける。


    「それがつらいんです。皆に、追いつける気がしなくて。自分がまるで強くなってる気がしなくて」
    「確かに、ネト麻ならたまに勝つこともできます」
    「この前、先輩の店に行って打たせてもらったときも、まぐれでしょうが1回トップを取ることができました」


    何かを思い返すように天井を見上げる。その目頭は緩んでいた。


    「でも、駄目なんです。このメンバーと打っているとお前の成長なんて大したもんじゃない」
    「お前の実力なんて大したものじゃない。お前はいくらやっても絶対に勝てない。お前のやっていることは無駄だ」
    「そう言われているみたいで……残酷な事実を突きつけられてるみたいで」


    再び俯く京太郎。そして、こらえきれないように、涙がこぼれた。


    「つらいんです。麻雀を打っていても嫌な苦しくて辛い気持ちばかりで……。だから」


    若干の沈黙が入る。
    まこは次に続く言葉をある程度想像できていたが、その想像が外れていることを強く願った。


    「もう、麻雀部を辞めます」


    無論、そのようなことはなかったが。
    静まり返る部室。すっかり蝉の声も聞こえなくなった長野の夜は、静かな羽虫の声が聞こえていた。
    京太郎は、何も言わない。俯いたまま時折鼻をすすっていた。
    まこは京太郎のその姿を見て、自分の無力さ、愚かさに叫びだしたい気持ちであった。
    唇をかみ締める。


    (……アホか。そんなことしても、何の解決にもならんわ)


    頭を振る。無理やりに頭を落ち着かせて立ち上がり、京太郎の傍らに立つと丸まった背中をそっと撫でた。


    「すまんかった、すまんかったのう。こんなに追い詰めてしまっていたとは。部長として、先輩として気づいてやるべきだった」


    びくり、と体を震わせる京太郎。


    「京太郎の気持ちに気付いてやるべきだったな」


    少し間をおいてありったけの気持ちを込めて言った。


    「本当に、すまんかった」


    京太郎の体が再び震えだす。泣くのを必死にこらえているようだった。
    それをみて軽く微笑んで語りかける。


    「泣きたかったらないてもええんじゃぞ?」

    「……大丈夫です」

    「ほうか」


    まこは、それ以上何も言わずに京太郎の背中をさすり続けた。
    しばらく経ち、京太郎が落ち着いてきた時を見計らってまこは口を開いた。


    「京太郎の言いたことはわかった。じゃが……」


    ぽん、と軽く頭を叩き、そのまましゃがみこんで京太郎の顔を覗き込む。


    「もう少し、考えてみてくれんか? 1週間でいい。時間を置いて、それでも辞めたいというのなら……もう止めはせん」

    「1週間……ですか」

    「うむ。今の京太郎は心身ともに疲れきっとる」
    「決断を咎めるつもりはないが、少し麻雀から離れてみてその上で結論を出しても遅くはなかろう?」

    「でも、俺」

    「お願いじゃ」


    有無を言わせぬ、と言った体でまこが京太郎の顔をじっと見つめる。
    その視線になにかいたたまれなさ、後ろめたさを感じた京太郎は思わずうなずいた。


    「わかりました。少し、麻雀から離れて考えて見ます」

    「ありがとうな。ともかく1週間、ゆっくり休んでくれ。部活漬けで疲れたじゃろ?」

    「……うっす」


    うなずきつつ、まこは時計を見た。すでに7時を過ぎており、外は真っ暗であった。


    「さて、そろそろ帰るか。わしはちょっとやることがあるけぇ、先に帰るといい」

    「……わかりました。それじゃあ、失礼します」


    何か言いたげな京太郎だったが、結局立ち上がり、頭を下げて部室を扉を開けた。


    「染谷先輩」

    「ん? なんじゃ?」


    扉に手をかけた京太郎は振り返らずに言った。


    「たぶん、考えは変わらないと思います。わざわざ毎日辛い思いをしに来るのはもう、嫌です」


    そう言い残して京太郎は扉を閉めて去っていった。
    まこはしばしの間京太郎が出て行った後の扉を見つめていたが、徐々に体が震えだすのを止められなかった。


    「わしは……わしはいったい何をやっているんじゃ」


    麻雀卓に寄りかかるように座り込む。


    「これから、これからだというのに、こんな、こんな……」


    清澄高校麻雀部は名声は手に入れた。
    来年になればきっとたくさんの部員が入ってくるだろう。
    その時、京太郎が後輩に舐められぬよう、京太郎には地力をつけてほしかった。

    沢山部に尽くしてくれた分、彼にも名声を手に入れてほしかった。
    高望みかもしれないが、次の個人戦で活躍してほしかった。
    そうすれば周りから揶揄されたり批判されることもないだろう。
    彼自身が負い目を感じることもないだろう。
    そうなってくれることを心から望んでいた


    (だが、全部、これでは全部、台無しではないか!)


    それからしばらくまこは一人、悔い続けていた。

    次の日、京太郎は暗い顔で通学路を歩いていた。周りに人影は少ない。
    もう朝練に出る必要はないのだが、染み付いた習慣は抜けず、結局先日と同じ時間に家を出ることとなった。


    (どうするかな。授業が始まるまで予習でもするか? らしくねー)


    そう自嘲気味に笑って歩みを進める。
    学校まであと少し、と言ったところで曲がり角を曲がるとそこには見覚えのある姿があった。
    特徴のあるくせっ毛、小柄な体系、小動物系な顔立ち。
    どう見ても全国の猛者と渡り合った人間には見えない。


    「咲……」

    「おはよ、京ちゃん」

    「……何してんだ。こんなとこで」


    訝しげに尋ねると、少し弱弱しく咲は笑いながら言った。


    「京ちゃんを待ってたの」

    「お前……俺がこの時間に家を出なかったらどうするつもりだったんだよ」

    「でも、来てくれたよね。京ちゃん」


    早朝の澄んだ空気の中、二人はしばらく立ち尽くした。
    京太郎は何を言うか迷っていたが、先に口を開いたのは咲だった。
    怯えと、期待が半々の表情で咲は京太郎に問いかける。


    「朝練、一緒に行こう?」

    「いや、俺は休む」

    「そっか」

    「……意外と冷静だな」

    「うん、染谷先輩からメールで京ちゃんは1週間ぐらい麻雀から離れるって聞いてたから」

    「知ってたのにわざわざ聞いたのか?」

    「だって、もしかしたら、って、思って……」


    顔を伏せる。その姿に京太郎は若干心が痛んだがそれを振り払うように歩き出した。


    「じゃあ、俺は先に……」

    「待って!」


    京太郎は歩みを止める。だが振り返らなかった。
    拒絶の意思が見えるようで、咲の心はチクチクと痛んだが、言葉を続けた。


    「ちょっと、1週間だけ、お休みするだけだよね」


    むしろそれは問いかけというより願望だったのだろう。言葉の端々が震えていた。


    「麻雀部、辞めちゃわないよね?」


    再び沈黙。咲は神に祈るかの表情で、京太郎の言葉を待った。
    京太郎には咲の顔を見えていないがどれほど不安な顔をしているのか、なんとなく想像ができた。


    「いや、辞める」

    「……えっ?」

    「辞めるよ、麻雀部。1週間後、退部届を持っていくつもりだ」

    「嘘……」

    「嘘じゃない」

    「嘘だよね?」

    「嘘じゃない」

    「京ちゃん、また私のことからかってるとか、そういうことだよね」


    奥歯をぎゅっと噛みしめる。今にも泣きだしそうな咲の声に心がざわめく。
    京太郎は大きく息を吐いて、振り向いた。
    京太郎の想定通り、やはり咲は今にも泣きそうな顔をしていた。


    「嘘じゃない。からかってもいない。もう麻雀が嫌になった。だから、もう、辞める」


    再びの沈黙。咲の悲しそうな顔を見て思わず京太郎は視線を逸らした。


    「京ちゃんは、私たちと打つの、嫌なの? みんな嫌いになっちゃったの?」


    京太郎は何も答えない。正直、京太郎はそれに対して何と答えればいいのかわからなかった。
    咲は何も答えない京太郎を見てさらに言葉を続けた。


    「私は、京ちゃんと一緒に打てて楽しいよ」


    泣きそうな顔で、それでも無理やり微笑んで言った。
    その言葉が、京太郎の何か、心の暗い部分に触れた。触れてしまった。
    その感情を必死で抑えつけてた蓋が弾け飛び、もう自省は効かなかった。
    体温が上がり、なにか、得体のしれない感情が体を支配していく。
    それらを吐き出すように、京太郎は口を開いた。


    「そりゃお前は楽しいだろうな、咲」

    「……京ちゃん?」


    京太郎の雰囲気が変わったことを感じる咲。
    これまで向けられたことがないような視線を感じ、体を震わせた。


    「あんな風に上がれて、欲しい牌がツモれてそりゃ楽しいだろうさ」


    拳を強く握りすぎているせいか、京太郎の手が震えていた。


    「長野大会の時の数え役満みたいなこと、できたら楽しいだろうな。うん、絶対楽しいよな」


    ははは、と乾いた笑いが響いた。京太郎の態度に動揺が隠せず、咲は言葉が出ない。
    その様子を見て京太郎は更に言葉をぶつける。


    「でもよ、咲。お前、俺の立場に立った時、胸張って楽しいって言えるか?」
    「逆転の手が欲しいときに手が入らない」
    「軽い手が欲しいときに手が入らない」
    「たまのラッキーパンチはそれ以上 パンチで叩き潰されて」
    「1か月間、どれだけ打ってもトップが取れない……」


    京太郎の頭の中で、そんなことを咲に言っても仕方ない。やめろ、傷つけるだけだ。そう訴えかけている。
    だが、止まらない。京太郎の心の中にヘドロのように堆積した感情は止まらなかった。


    「お前はさ、咲」
    「お前は……」
    「お前はそんな状況でも楽しいって言えるのかよ!」


    人気のない、早朝の道に京太郎の叫び声が響いた。
    咲は言葉を失っていた。
    京太郎とは中学生のころの付き合いだがこのように怒鳴られるのは初めてだった。
    そもそも、京太郎がこのような悪意、敵意といった負の感情を露わにしているのを見るのが初めてだった。

    軽い口げんか程度はすることはあった。
    だが、京太郎はいつも笑って、くだらないことを言って咲をからかっていた。
    そのあまりのギャップに咲は現実を認識できないでいた。


    「どうした? 答えろよ」


    乱暴に急かされ、咲は我に返る。
    そして京太郎の問いかけに対して思考を及ぼされるが、考えても考えても結論が出なかった。


    「だよな。答えられないよな?」


    咲は待って、と声を出したかった。だが、いくら考えても答えが出せずにいた。
    いや、そもそも出せるはずがないのだ。当たり前の話であった。


    「だってお前、そんな状況になったこと、ないもんな」


    そう、彼女は考えうる限り、何もできない、といった状況になったことが殆どなかった。
    ましてやそれほど長時間打ち続けて全くトップが取れないなど、全く記憶がなかった。


    「当たり前だよな。お前は何かをもっていて、俺はもっていない」


    京太郎の脳は必死に自分の感情を押しとどめようとする。
    取り返しのつかない一言を言ってしまう前に。


    「そんなお前が、俺みたいなやつに対して、楽しいか、だって?」

    (やめろ)

    「嫌みか? 馬鹿にしてるのか?」

    (咲を見ろ。もう泣いてるだろ)

    「そんなわけないだろ。麻雀はやっぱり、勝たなきゃ楽しくないんだよ」

    (口を閉じて、謝るんだ。辞めるにしても咲を傷つける必要がある?)

    「俺は」

    (せっかく咲は麻雀を楽しく打てるようになったんだぞ!)

    「俺は!」

    (やめろ!)



    「俺はお前らと打っても楽しくもなんともない!」


    言い切った後で京太郎は我に返った。完全な拒絶の言葉を口にしてしまったことに驚く。


    「京……ちゃん」


    ぽろぽろと、涙をこぼす咲。
    京太郎は激しく後悔する。決して咲を泣かせたいわけではなかった。
    そう、別に咲が憎いわけではなかった。


    「ごめん、ごめんね、京ちゃん。ごめんね、私、京ちゃんを苦しめていたんだね」


    故に、目の前で泣きじゃくる咲を見て京太郎の心は引き裂かれたような痛みを感じた。


    「ごめんね、私のせいで……ごめんね」


    次々と咲の目から涙が零れ落ちる。京太郎は何か言おうとするが言葉にならなかった。


    「わ、私、きょ、京ちゃんの気持ち、何も、何も考えて、なくて、ご、ごめんなさい」


    しゃくりあげながら言葉を震わせながらも京太郎に謝罪の言葉を吐く。
    零れ落ちる涙をポケットから取り出したハンカチでぬぐい、咲は顔を伏せた。


    「ごめんなさい、ごめんなさい……」


    咲が謝るたびに京太郎は自分の心が切り裂かれていくのを感じた。
    何かを言わなければ、謝るか何か、言わなければと思って必死に口を開いた。


    「……すまん、言い過ぎた」


    そう、口にするのが精いっぱいだった。
    咲はそれを聞いて最後に一言謝ると、そのまま京太郎のわきを通りぬけてまっすぐ学校に向けて駆け出して行った。
    京太郎はその背中を追いかけることも言葉をかけることもできずに呆然と立ち尽くした。

    早朝の清澄高校部室。
    麻雀卓には和、優希、まこがすでに席に着いていた。


    「京太郎、やっぱり来ないのかな」


    優希はそう言いつつ、卓のふちに顎を乗せながら牌を手で弄る。
    それを聞いて和は顔を伏せながら呟いた。


    「……どうでしょう。いえ、多分、来ないと思います。来てほしいとは思いますが」


    昨日の振り絞るような京太郎の声を聴いて和の思考はどうしても悲観的な方向に流れていく。


    「どうじゃろうな……」


    まこはそう相槌を打ちながら、昨日の去り際のセリフを思い出していた。

    ――わざわざ毎日辛い思いをしに来るのは――

    部を預かる身として突き刺さる言葉であった。


    「昨日ののどちゃんの国士、強烈だったからなー」

    「……私もできすぎだとは思います。でも、あがらないのはそれはそれで、須賀君に対する冒涜です」

    「そうだけどさー」


    和と優希の間でそのような会話をしていると部室の扉が開いた。
    3人が一斉に扉を開けるがそこにいたのは京太郎ではなく咲であった。


    「おーう、咲ちゃん。おは……よ、う?」


    優希がいつものように明るく挨拶しようとしたが、言葉を失った。
    咲はハンカチを片手にボロボロと泣きながら部室に入ってきたからだ。


    「咲さん、いったいどうしたんですか!?」


    和が慌てて咲に駆け寄る。優希とまこもそれに続いた。


    「和ちゃん……私、私」

    「咲さん?」

    「私、私、京ちゃんに酷いこと、酷いこと言っちゃった」

    「咲、京太郎と、会ったのか!?」


    まこが驚きの声を漏らす。
    それからも何かを言おうとするが言葉にならない咲。その背中をさする和。
    優希とまこもそれを心配そうに見つめた。

    しばらくして、まだ泣いてはいるが咲から何かあったかを聞いた3人はそれぞれ言葉を失った。
    京太郎がそれほど感情を露わにしたこと、それほど鬱屈した思いを抱えていた、そして


    「楽しくない、か」


    ぽつりと優希が呟いた。
    3人それぞれ、この1か月京太郎の力になろうとしていた。
    だが、それが京太郎を苦しめるだけに終わったという事実に打ちのめされていた。
    昨日の様子を見て和も優希もなんとなく悟っていたことであったが、それでも心に響く。


    (なぜこうなることを予期しておかなかった!)


    そしてまこは一人悔いていた。
    京太郎は今不安定だからそっとしておいてやろう、その一言を連絡しなかった昨日の自分を悔いた。


    (恐らく、京太郎が一番複雑な思いを抱えているのは咲だろう)
    (一番長い付き合いで、あいつが連れてきたんだからな)
    (それぐらい、わかっていたことじゃろうが!)


    まこの目の前では咲がまだ泣いている。優希がそれに釣られて涙をこぼしていた。
    和は二人を必死になだめようとしているが、その本人も目に涙を浮かべていた。


    (部長を引き継いで、たった1か月。それなのにもう部の崩壊の危機)


    京太郎は部を去ろうとしている。咲はとても麻雀が打てる精神状態ではないだろう。
    優希にも和にも心にしこりを残したはずだ。


    (わしは、何をやっているんじゃ。本当に)


    悔しくて、無念で、口惜しくて、必死にこぼれそうになる涙をまこは必死に堪えていた。
    その時、唐突に部室の扉が開いた。


    「おっはよー。元部長が久しぶりに様子を見に来たわよー……って、どうしたの、これ」


    そこには8月をもって部を引退した元部長、竹井久が立っていた。


    「この1か月精力的に活動してるって話は聞いてたけど、そんなことになってたのね」


    あの後、とてもではないが朝連などできる状態でないと判断したまこは3人娘に朝連の中止を告げた。
    しばらく泣きじゃくっていた咲は和や優希に慰められながらようやく落ち着きを取り戻し、2人とともに部室を出て行った。
    咲の泣き声が聞こえなくなり、静かになった部室でまこは久にこれまでの経緯を話し、現在に至る。


    「すまん、本当に。引き継いでたった1か月だというのに、こんなことになってしまった」

    まこは顔を伏せ、罰を受ける子供のように頭を垂れた。
    それを見てあわてて久は言葉をかける。


    「ちょっと、やめて。別に誰が悪いなんて責めるつもりはないわ」

    「しかし……あんたのときは、こんなことにはならなかったじゃろ?」


    そうまこが言うと久は若干ばつが悪そうにため息をついて、苦笑した。


    「それは私が部長の立場でいたときに、誰もが頭を悩ませる初心者の育成って言うことに対して先送りにしてたからよ」


    後悔の念を感じさせるように、久は言葉を続ける。


    「きっと、私がまこの立場でも同じ失敗をしていたと思う。私だって、須賀君には強くなってほしいしね」

    (放置気味の方針をとってしまった私が言うのもなんだけどね、まったく)


    この事については久の心の中に若干のしこりとして残っていた。
    最後の夏ということでなんとしても勝利を、とわき目も振らず突き進んでいったが、そのせいで京太郎を蔑ろにしてしまった。


    (今考えると、本当にひどい話だわ。よく着いてきてくれたわね、彼)


    小さくため息をつく久。
    しばらく沈黙が続くが、とても頼りげのない声でまこが口を開いた。


    「……正直、もうわしはどうしたらいいか。1週間考えてくれとはいったが、このままじゃ間違いなく辞めてしまうじゃろう」


    嫌われてしまってだろうしな、と言葉を付け足して椅子にもたれかかった。
    まこは部長という立場でなければ泣き出したい気持ちだった。


    (これは、重症ね。皆)


    このままでは京太郎の退部とともに皆バラバラになってしまうだろう。
    久はなんとなくそんな予感がした。
    とは言え、それ以上に久には何かの確信があった。


    (でも、取り戻せないわけじゃない。きっと)
    (きっかけはちょっとのすれ違いのはず。だから……)


    久は佇まいを直してまこに向き直った。


    「わかったわ。この件、ちょっと私に任せてみない?」

    「えっ?」

    「かわいい後輩たちが悩んでいるんだから、一肌脱ぎましょう。ね?」

    「しかし、これはわしらが……」

    「まこたちだけの責任じゃないわ」


    わしらが悪い、そういいかけたまこの言葉をさえぎる久。


    「彼の教育を丸投げしてしまったのは私だし、この状況の種を作ってしまったのは私の責任よ」


    それは半分懺悔であったのだろう。辛そうに、とても辛そうに久は言葉を続けた。


    「だから、お願い。私に任せてもらえないかしら?」


    まこはそれを受けてしばらく黙るも、小さく頷いた。


    「……すまんな」

    「いいのよ。ただ、彼を絶対に連れ戻せるかどうかわからないけど」


    そういって立ち上がり、大きく伸びをした。


    「一度、話はしてみたいからね。彼がどう考えているか。須賀君の口から聞いてみたい」



    「京太郎ー! 部活行かなくていいのー?」

    「……今日は休みー」


    土曜日。いつもだったらとっくの昔に部活のために学校に向かっている時間帯であったが、
    京太郎は自室でゴロゴロとしていた。
    階下から聞こえる母親の問いかけにも気だるげに返事をする。
    咲とのあの一件から丸1日が経った。
    あの後、クラスでも咲と目を合わせることができずそそくさと帰宅した。
    メールや電話で謝ろうと思って何度も携帯を手にとったが、結局何もできずにいた。


    「そう、ならいいけど。この前言っておいたけど、お父さんとお母さん、出かけてくるからね」

    「あーい……」

    「夜には戻るからね。昼は適当に済ませなさいねー!」

    「あー……」

    「もう、部活が休みならちゃんと勉強しなさいよー!」


    そう言うと玄関の扉が閉まる音が聞こえて沈黙に包まれた。


    「……どうするかなー」


    京太郎は暇を持て余していた。ここ最近は空いた時間はすべて麻雀につぎ込んでいた。
    単純な話、そんな生活から麻雀をなくせば暇になるのは当たり前の話である。


    「勉強……って気分じゃねーよなー」


    枕元の本棚に目線をやる。すべて読み終わった漫画の隣に何冊かの麻雀教本が置かれていた。
    和が貸してくれたもの、勧められたて自分で買ったものが並んでいる。
    京太郎は視線を外して体を起こした。

    勉強机に視線をやる。咲がいろいろコメントをつけてくれた牌譜が重ねて置かれている。
    部屋の隅に目をやる。まこがくれた麻雀牌とマットが置かれている。
    視線を下げる。自分の手を見ると麻雀漬けのせいかすっかりと荒れた手が見える。
    手を握り締めて、ざわめく心を振り払うように首を振り、顔を上げた。
    目の前の壁に、写真が1枚貼られていた。全国大会後、東京を後にする前に撮った写真だった。


    『最後にもう1枚だけみんなに写真を撮ろうじぇ! せっかくだから東京駅をバックに!』

    『またかよ……ったく、ほら、カメラ貸せよ。撮ってやるから』

    『? 何言ってるんだじぇ。お前も入らなくてどうするんだじぇ?』

    『嫌、だって俺は……』

    『あーもう! つべこべうっさいじぇ! そこのおねーさーん! 写真撮ってほしいのじぇ!』

    『って、あいつ……』

    『ふふっ、ほら、京ちゃんこっちこっち』

    『須賀君は一番大きいんですからしゃがんでくださいね』

    『あらあら両手に花どころじゃないわねー須賀君』

    『うりうり、嬉しいかの京太郎』

    『あーほら、京太郎! もっと詰めろ! 入れないじぇ!』

    『だー! タコス押すな! 倒れる倒れる!』

    ――それじゃ、撮りますよー!――

    ――ハイ、チーズ!――


    写真の中では一番前でしゃがんだ京太郎の頭をみんなが撫でまわしたりつついたりしている。
    写真の中の京太郎は困った顔をしつつも笑っていた。
    皆が皆、とても楽しそうに、幸せそうに笑っていた。
    とても、幸せそうに。


    『京太郎、お前、麻雀部を……』

    『須賀君……』

    『すまんかったの、京太郎』

    『ごめん、ごめんね、京ちゃん』


    床に拳をたたきつけて立ち上がる。京太郎は壁の写真に向かって手を伸ばす。
    コルクマットに留められた写真を手に取った。
    力を入れようとする。決別をするかのように、それを引き裂こうとする。


    「……なんで、できないんだ」


    それでも、引き裂くことはできなかった。
    嫌な思いをしたはずなのに、辛い思いをたくさんしたはずなのに。
    もう部活はやめると決心したはずなのに。
    京太郎はそれを引き裂くことができなかった


    「くそっ」


    写真をもう一度コルクマットに留めた。
    そのまま踵を返して、ベッドに腰掛けた。
    そのタイミングだった。
    ピンポーン、とよく響く音が家の中に響いた。


    「誰だ?」


    恐らく郵便や宅配の類と考えたが、京太郎の部屋の窓からは玄関が見えないので1階に下りなければ確認できない。


    「……別にいいか」


    京太郎は居留守を使うことを選択した。
    母親からは特に何も聞いていないので重要なものではないだろう、と判断した。
    だが、10秒ほどしてもう一度インターフォンが鳴った。
    無視をする。
    更にもう1回。
    無視をする。
    更にもう一回。
    無視をする。
    そしてもう一回。


    「あーもう! 誰だよ!」


    根負けした京太郎は1階に下りリビングに備え付けられたインターフォンの受話器を手に取った。


    「はーい?」

    「あっ、宅配便でず。はんごいだだげまずが?」


    ワザとらしいほど低い声だった。首をかしげながらもハンコを引出しから取り出し、玄関に向かった。


    (腰の強い業者だな、しかし)


    そう思いながら、玄関の扉を開けた。


    「はいはい、はん、こ……?」

    「やっほー、久しぶり。お届け物です」


    そこには元部長、竹井久が立っていた。


    「部長、なに」

    「私はもう部長じゃないわよ」

    「……竹井先輩」


    1か月近く会っていなかった先輩の登場に京太郎は事態が理解できないでいた。


    「なんで俺の家……あーいや、元部長だから知ってるか。そりゃ」

    「そういうこと。久しぶりね。元気してる?」


    にやにやと、いつもの何かを企んでるような笑みを浮かべていた。


    「いや、そうじゃなくて、なんで、俺の家に?」

    「須賀君、暇でしょ?」


    質問に質問でかぶせる久。思わず言葉を失う京太郎。


    「ん? どうしたの? 暇じゃないの?」

    「いや、あの質問の意図が……」

    「そのままの意味よ? 暇なんでしょ?」

    「まぁ、暇、ですけど」


    染みついた下っ端根性からくるなにかなのか、反射的に答えてしまう京太郎。
    それを聞いて満足そうに微笑むと久は言った。


    「須賀君、デートしましょ?」

    「……はっ?」

    「暇なんでしょ、一緒にどこか遊びに行きましょ?」

    「いや、でも」


    あまりの内容に思考が追い付かず、あいまいな返事を返してしまう。


    「ほらっ! さっさと着替えてきて! 5分以内ね!」

    「はっ、はい!」


    慌てて踵を返し、自分の部屋に戻ってジャージ姿から私服に着替え始める。


    (っていうか何だこれ?)
    (何だこの状態?)
    (デートって、えっ?)


    京太郎はそう思考しつつも久の言うとおりに身支度を整え、玄関に戻ったのはきっかり5分後だった。


    「さーって、どこに行きましょうかねー」

    「……」


    楽しそうな久といまだに納得がいかない表情をしている京太郎が街中を連れ立って歩いていた。
    京太郎は久の真意がつかみあぐねていた。
    現在の部の状態を誰かから聞いたのだろう。それはわかる。
    それを聞いて何かしらの目的をもって訪ねてきたのだろう。それもわかる。
    だが、それとこのデートが結びつかない。問いただそうと京太郎は口を開いた。


    「部ちょ……竹井先輩、いったい何を」

    「あっ、須賀君! ゲーセン行きましょゲーセン!」


    指差す方向にはこの辺りでは一番大きなゲームセンターがあった。
    問い詰めようとした京太郎の言葉は遮られ、行き場を失った。


    「須賀君、ゲーム得意?」

    「あ、え、はい、まぁ、好きですけど」

    「よし! じゃあ格ゲーやりましょ。最近はまってるのよねー」

    「はまってるって……先輩、受験生じゃ」

    「あーあー聞こえない。ほら、行くわよ!」


    そういいながら久はゲームセンターに駆け出して行った。
    何か腑に落ちないものを抱えつつも、京太郎は後を追った。


    「……負けた」


    ゲーセン内の隅にある休憩スペースで、口から魂が出てきそうな雰囲気を纏わせながら久はベンチに座っていた。
    ゲーセンに着くなり最近盛り上がってる格闘ゲームを二人でやったがおおよそ9:1で京太郎が勝利を収めた。


    「先輩。不利フレーム背負ってる状況で暴れすぎですって」

    「あーその、私ってほら、ここぞって時で悪い待ちをしちゃうのよ。私それで」

    「負けてますよ?」

    「あぐっ」

    「あとなんすか、リバサ投げとか。無敵ついてないですよあれ」

    「いや、つい悪い待ちを」

    「だから負けてますって」

    「うぐっ」


    完全にやり込められて言葉を失う久。
    京太郎は久のこういう姿を見るのは初めてだったため、思わず笑みがこぼれた。


    「ははは、さすがに格ゲーも麻雀のようにはいかないわね」


    お手上げ、といった感じで久が笑う。京太郎は久の隣に座ってその言葉に頷いた。


    「まぁ、格ゲーは悪い行動をすりゃ基本自分が不利になるだけですからね」

    「いやー、難しいわねー」


    久は軽く伸びをして立ち上がった。


    「さて、ちょっと失礼するわねー」


    どこへ、と聞きかけた京太郎は久が向かった方向――トイレがある――を見てあわてて口を閉じ、はい、と返事をした。


    「やった! 見ろよほら! 大三元大三元!」


    久が席を立ち少し経った後、そんな叫び声が聞こえた。
    見れば中学生ぐらいの男子3人が麻雀ゲームの筐体に集まっていた。


    「うおーすげー!」

    「やるじゃん!」

    「すげーだろすげーだろ!?」


    アガった本人も友人もとても楽しそうにはしゃいでいた。
    その笑顔は京太郎にはとても眩しく見えた。


    「私もあんな頃があったわねー」

    「あっ、ぶ……先輩、おかえりなさい」


    ただいま、と返事して久はふたたび中学生達を見た。


    「初めて役満あがった時とか興奮のあまり卓に足をぶつけちゃったぐらい」

    「あ、俺もです。ネト麻ですけど……。深夜に叫んで親に怒られました」

    「ふふ。みんな同じね。でも、だんだん、勝つことしか考えなくなってくるのよね」


    当たり前の話だけど、そう結んで久は寂しげに笑った。


    「最初は麻雀が打てるだけで楽しかったのにね」


    京太郎はその言葉に返事を返せなかった。
    最初のほうは三色や一通が上がれただけでうれしかった。
    初めてメンチンをあがった時は何度も何度も待ちを確認して恐る恐るあがった。
    役満を聴牌した時など、ひきつった顔をしてしまい、皆に笑われた。
    負けても笑っていられた。勝てなくても笑っていられた。
    少なくとも入部したころはそうであった。
    いつから、そう思い始めていたのか。
    思い返してみると、意外と最近なことが分かった。


    (そっか、そうだったんだな)


    長野県大会を優勝し、インターハイでも優秀な成績を残したメンバー。
    表彰されインタビューを受けている5人を見て嫉妬の心がなかったと言えば嘘になる。
    だが、京太郎はそれ以上に思った。


    (自分もあそこで、あの横に並んで立ちたい)
    (舞台の上でで強豪たちと渡り合い、立ち向かっていく)
    (その一打で観客を魅了し、驚かせ、感動させる)
    (そんな存在になりたかった)
    (そして、仲間と、一緒に並んで立ちたい)
    (そう思ったんだった)

    (そこからだったんだな。勝ちたいと願い始めたのは)
    (強くなりたいと願い始めたのは)
    (皆がいて、俺にとって大好きで憧れの皆が居たから)
    (そう、思ったんだった)


    「どうしたの、須賀君?」


    ぼうっ考え込んでいた京太郎は久に声をかけられて我に返った。
    気がつけば中学生たちも居なくなっていた。


    「大丈夫です、すみません」

    「ふーん……」


    久はそれを聞いて何かを考えた後、いたずらを思いついた子供のように笑った。


    「須賀君、あれ、やってみない?」

    「えっ?」


    久が指差す方向には先ほどまで中学生たちがプレイした麻雀ゲームの筐体があった。
    全国のゲームセンターに設置されており、日本全国のプレイヤーと対戦できるそのゲームは
    なかなかの人気を誇っている。
    麻雀の内容だけを見ればネット環境が整っていれば無料でできるネト麻とさほどさほど変わらないが、
    ポイントをためてアバターを着飾らせたりチームを組んで対抗戦をしたりと多様な機能が揃っている。
    京太郎も何度かプレイしており対応のカードも所持していた。


    「考えてみればしばらく須賀君と打ってないしね。どれぐらい須賀君が上手くなったのか見てみたいわ」

    「いや、でも」


    今は麻雀から離れている、そう言って断ろうとしたが久に手を引かれて言葉が打ち切られる。


    「いいからいいから。あれもネト麻みたいなものでしょ? だったら気楽なものじゃない。ねっ?」


    そう言いながら京太郎の腕を掴み引っぱった。流されるように京太郎は立ち上がり、筐体に向けて歩き出した
    なぜか強く断れない自分に京太郎は首を傾げつつ筐体の椅子に座った。


    「さっ、早く早く」


    そう言いながら、久も隣に座る。
    こういった筐体はに備え付けられた椅子は狭い。
    詰めれば2人座れないことはないが、必然的にかなり近い距離で座ることになる。
    少し身じろぎすれば肩が触れ合う距離。
    京太郎は思いがけない事態に激しく動き出す心臓の音を感じていた。


    (部長、やっぱいい匂いするなー……って、いやいや! なに考えてんだ!)


    邪な考えを振り払いながら京太郎は筐体に100円を投入した。
    そんな京太郎の心中を察しているのかしないのか、久は楽しそうに見ていた。
    自分のカードを読み取らせ画面をタッチして対局メニューに進む。
    10数秒ほど待つと程なくメンバーが揃い対局が始まった。
    派手な演出とともに牌が配られる。2シャンテン、と小さく文字が表示されていた。


    「さすがお金かけてるだけあって派手ねー。しかもシャンテン数まで出してくれるんだ」

    「えぇ。というかこのシリーズ、演出がどんどん派手になってくんですよね。派手すぎて初めての人は大体驚きます」


    そう言いながら手の中でポツリと浮いていた北を切り出す。
    淡々と場が進み7順目。


    『京太郎手牌』
    456m34678s34p西西 ツモ5p ドラ9s


    画面上ではリーチというアイコンが激しく点滅している。
    特に悩みもせず京太郎はそのアイコンを押してリーチをかけた。


    「……へぇ」

    「え? 何かおかしかったですか?」

    「いや、そういう手をリーチ出来る子だったのね、須賀君」


    くすくすと笑いながら久は画面を指差す。


    「てっきり、麻雀は三色だ、とか言いながら345の三色の手代わりを待つかと思ってたわ」

    「ぶち……竹井先輩の中で俺はどういうイメージなんすか」


    心外だ、と言いたげな表情をして画面を指差した。


    「単純計算、手代わりの4枚とあがり牌の8枚じゃ確立が違いすぎます。確かに平和のみですけど、この麻雀赤がありますし」


    そこまで言ったタイミングで画面が暗転し2索を引いてきて、手元のアガリボタンが激しく点滅した。
    それを軽く叩きアガリを宣言する。


    「平和手、特にこんな順子が被らない平和は」


    画面の中で裏ドラがめくられる。表示された裏ドラ4萬だった。


    「裏ドラの期待値が高いですからね」


    メンピンツモ裏1で1,300-2,600のツモアガリ。なかなかの好スタートだった。


    「はぁー、須賀君から期待値って言葉を聞くことになるとはねー」

    「なんすかそれ。まぁ、和の受け売りですけど……」


    そこまで言って軽く心がきしんだ。
    その痛みを振り払うように画面に目を向ける。
    ちょうど親番である東2局の配牌が配られたところだった。


    『京太郎配牌』
    12244689s45p西北北白 ドラ6p


    少し手が止まった後、西を切り出す。すると隣でへぇ、久の呟きが聞こえた。

    「染めに行かないのね。ぱっと見た目染め手の手配だけど?」

    「一応、点数的にはリードしてますからね。確かに染めに走れば仕掛けられますけど」


    場に北が打ち出される。それをスルーして話を続けた。


    「北ポンしたところで形は苦しいですし、ドラの受け入れ切ってまで行くほど見込める点数が高いわけでもないですから」


    だったら、といいながら画面に目をやる。3索をツモり、少し考え白を打つ。


    「普通に平和なり何なり作ったほうがいいと思うんです」


    これは染谷先輩の受け売りですが、と付け加えて画面を操作していく。
    2順ほど端牌をツモ切り、赤5萬を引き当てた。


    『京太郎配牌』
    122344689s45p北北 ツモ【5】m ドラ6p


    3秒間ほど考え、9索を切り出した。


    「一通も見ないのね?」

    「タコスにお前は一通という役を忘れろと言われましてね……」


    次順で7萬を引き打2索として手配はこのように変わった。


    『京太郎手牌』
    【5】7m1234468s45p北北 ドラ6p


    「あと一息ってところね」

    「えぇ、愚形が残る可能性が高いですが……それでも」


    次順、5索を引き打8索。
    さらに2順ほど場に切れた字牌引きで空振るがついに聴牌となる牌を引き入れる。


    『京太郎配牌』
    【5】7m1234456s45p北北 ツモ3p ドラ6p

    「残念。安めな上に愚形が残っちゃったわね」

    「えぇ、でもこれは」

    「即リーね」

    「はい」


    1索を場に打ち出してリーチ宣言をする。


    「うん、よく捌ききったわね。偉い偉い」


    まるで子供をあやすような声で京太郎を褒める久。若干むくれながらも、京太郎は口元をほころばせた。
    その後、6萬を引きあがり、裏ドラも乗せて4,000オールをあがったのはそのすこし後であった。


    「ほんと、大分練習したのね。かなり上手くなっていて驚いたわ」


    ゲームセンターにほど近いファーストフード店で二人は向かい合って座っていた。
    そんな久の言葉に京太郎はコーラをすすりながら気のない返事をする。


    「そうですか?」


    あのあと数回プレイしたが、結果すべて1~2位で終わることができた。
    京太郎の段位が初段から2段に上がったタイミングでゲームセンターを出てこうして昼食をとっている。


    「えぇ、前みたいに何でもかんでも押したり何でもかんでも下りたりってそんなこともなかったし」


    久は手元のポテトを口にくわえて言葉をつづけた。


    「手役を無理に追いかけることもなくて、素直に打っていたしね」

    「そりゃ、まぁ、基本じゃないですか」

    「その基本がちゃんとできていない人がいるのよ、意外と。きちんと自分の打牌に理由を持っている人なんてさらに少ないものよ」


    それでも納得がいかなそうな京太郎は首をかしげた。


    「でも、よかったわ。ほんと」


    カップのふちを何気なく叩きながら久はどこか嬉しそうに言った。


    「須賀君、麻雀のこと嫌いになったわけじゃなかったのね」

    「えっ?」


    その言葉に京太郎はぽかんと口を開けた。


    「まこからいろいろ聞いたけど、須賀君が麻雀を嫌いになってしまったんじゃないかって、心配だったのよ?」

    「……やっぱり染谷先輩から話を聞いてたんですね」

    「えぇ、そうよ」

    「じゃあ、今日俺を連れ出したのも……」


    俺を引き留めに来たんですか、と続けようとしたところで久は言葉を遮った。


    「それは違うわ。私は須賀君と話がしたかっただけ。ここの所会ってなかった後輩とね」

    「……」


    どこか訝しげな表情で京太郎は久を見る。


    「あら? 信じてくれないの?」

    「何か裏がなきゃ竹井先輩が俺をデートになんて誘ってくれるわけないですからね」

    「ははーん、裏があると思って、本当のデートのお誘いじゃなくて拗ねてるのね?」

    「違いますっ!」

    (だめだ。やっぱりこの人には敵わない。どうしてもペースを乱されるし、なぜか言われたことに従っちゃうんだよなぁ)


    心の中で京太郎はぼやいた。無論、実際に口に出すとさらにからかわれるので言わないが。


    「ふふっ、でも話がしたかったっていうのは本当に本当よ」


    佇まいを直し、笑みは浮かべたままだがどこか真剣な雰囲気で言った。


    「ああいうことがあって、須賀君が麻雀を嫌いになってしまったらとても悲しいことだから、ね」


    なんと返していいかわからず、京太郎は黙り込んだ。


    「でも、さっき麻雀を打ってる姿を見て確信したわ。須賀君はまだ麻雀を嫌いになっていないって」


    だって、と一拍おいて本当にうれしそうな笑みを浮かべていった。


    「私に打牌の説明をするとき、裏目を引いちゃって悔しがっているとき、欲しいところを引いてきたとき」


    ふふ、と久は小さく笑った。


    「本当に、楽しそうだったわよ。須賀君」

    (そう、だったのか?)
    (嫌いになった。いや、嫌いになったはずだ?)


    京太郎は自問自答する。だが、霧がかかったように自分の本心が分からない。


    「『何切る』な手になった時にいろいろ説明して切った後、想定通りに引いてこれた時とか、須賀君すごいドヤ顔してたわよ」

    「ま、マジですか」


    全く記憶のない衝撃の事実に京太郎は思わず顔が熱くなる。
    そんな様子の京太郎を見つめて久は楽しそうに笑った後、さらに言葉を続けた。


    「でもね、それ以上に嬉しかったのは」


    「須賀君がみんなのことを嫌いになってないっていうこと」
    「それが本当にね、本当に嬉しかった」


    沈黙が二人の間に流れる。
    京太郎はその言葉に対して言い返そうとした。


    (嫌いだ。嫌いになったはずだ)


    だが、その言葉が出ない。言い返す言葉が見つからなかった。
    その様子を見つめながら、久は言葉を続ける。


    「須賀君が何かを説明するとき、誰々に教わったことって必ず付けていたの、気が付いた?」

    「えっ?」

    「ふふ、やっぱり無意識だったのね。その時、どこか誇らしげにしてたり、申し訳なさそうな顔、してたわよ」

    「……そこまで、見てたんですか。俺が打ってるの見てるだけなのに妙に楽しそうだな、とは思いましたけど」

    「それだけ表情がコロコロ変わってればね」


    恥ずかしそうな、ばつが悪そうな顔をしながら京太郎は下を向いた。


    「嫌いな人の名前をあんな風に言うはずないものね。ほんと、嬉しかったわ」


    再び、沈黙。
    久は京太郎の言葉を待っているようだ。


    「でも……」

    「うん?」

    「それでもあいつらと麻雀打つのがつらいのは、事実です」


    拳を握りしめる。あのときの無念さが京太郎の心に蘇ってきた。


    「勝てなくて、どれだけ打っても勝てなくて」
    「みんなも俺のために力を尽くしてくれて。それでも勝てなくて」
    「差を、見せつけられてるみたいで、本当に、つらいんです」


    絞り出すような京太郎の独白を久は黙って聞いていた。
    黙りこくってうつむく京太郎を見て久は周りを見渡した。


    「……混んできたみたいね。一旦出ましょ?」

    「……はい」


    京太郎は暗い顔のまま、久は何かを考え込むかのような顔で店を後にした。
    店を出て久はどこかに向けて歩き出す。
    京太郎は虚ろな表情で着いていく。
    繁華街から離れて徐々に物静かになっていくが、2人とも何も言わずに歩き続けた。
    しばらく歩いた後、久は手元の時計で時間を確認し、後ろを振り返った。


    「……まだ少し時間あるし、ちょっと座りましょうか」


    久が指し示すほうには公園があった。


    「……何か予定でも、あるんですか?」

    「いいからいいから」


    暗い顔で尋ねる京太郎を押し切り久は公園に入って言った。
    京太郎は少し立ち尽くしたのち、黙って後を追った。


    「休みだっていうのにほとんど人がいないわねー。最近の小学生は外で遊ばないのかしら?」


    久は公園に入るなりブランコに座って漕ぎだしながら言った。
    京太郎は何も言わず隣のブランコに腰を掛けた。


    「ねえ、須賀君。いくつか聞いてもいい?」

    「……どうぞ?」

    「麻雀って中国で生まれて日本に来て、それから世界的な競技になったけど、なんでそこまで世界的に広がったと思う?」

    「なんでって、そりゃ、面白いから、とか、楽しいから、ですか?」

    「ふふ、それが真理だと思うけどね」


    久はブランコを小さく揺すった。きぃきぃと、金属のこすれる音が響いた。


    「須賀君、貴方将棋やチェスはできる?」

    「えっ? まぁ、駒の動かし方ぐらいは……」


    いきなり質問の内容が変わり京太郎は動揺しながらも答えた。


    「じゃあ、貴方今から今から羽生プロと将棋を指して勝てると思う?」

    「何を……そんなの無理に決まってるじゃないですか」

    「そうよね。私も将棋に関して駒の動かし方ぐらいだけど、8枚落ちでも絶対に勝てないわ」


    久の質問の意図がつかめず京太郎は首をかしげた。


    「でも、麻雀は違うわ。どんな強い人間でも初心者を負けることはある」

    「……」


    京太郎にとってはその言葉については納得しかねるものがあったが、口をつぐんだ。


    「麻雀は運が絡むからね。そう、だからつまり」


    ブランコを揺する手を止めて久は京太郎に向き直った。


    「麻雀ってクソゲーなのよ」

    「……えっ」


    まさかの発言に京太郎は思わず声を漏らした。


    「く、クソゲーって、そ、そんな」

    「あら? 勝負の行方がある種運に左右されるなんてクソゲー以外の何物でもないじゃない?」


    どこか楽しそうに久は言った。


    「じゃあ、須賀君。さっきやった格闘ゲームなんだけど、私が振った攻撃が2分の1でガード不能になるって言ったらどう思う?」

    「……クソですね」

    「攻撃をガードされた時、2分の1で不利だけど2分の1で有利なら?」

    「とってもクソですね」

    「でしょ? まぁ、極端な例だけどね。将棋だってそうよ。最初にじゃんけんして負けたほうは飛車角落ちでやるとか、酷い話でしょ?」

    「そりゃ、まぁ」

    「でも、麻雀ではそれがまかり通っている。最初のスタート地点も違う。途中経過も違う」
    「かといってカードゲームのように降りてゲームから離脱することもできない。クソゲーじゃない。これ?」

    「いや、それを言っちゃうと……」

    「でもね」


    久はブランコから軽くジャンプして着地し、伸びをした。
    そして笑みを浮かべながら京太郎に向かい合う。


    「だから面白いのよね、麻雀て。クソゲーがつまらないとは限らないとはよく言ったものね」


    楽しげに笑う久。京太郎は返事を返さず、そんな久を見つめた。


    「麻雀って強い人が勝つとは限らない。そんな理不尽さがあるから楽しいと思うの」
    「確率を超えた、計算を超えた何かがある。そこから生まれる何かがある」


    そこまで言い切って、久は真剣みを増した表情で、続けた。


    「その理不尽さ。それにはきっと誰にもかなわない。咲も、お姉さんの照さんも、天江衣も誰も彼も」

    「……そうでしょうか? 正直、想像がつかないです」


    咲が麻雀を打っていてツモが全く来なくて嘆いている、そんなシーンが想像できなくて京太郎は久に問いかけた。


    「気持ちはわかるわ。彼女らのオカルトめいた『何か』はきっと人間がその理不尽に対抗するために生まれた『何か』なんだと思う」

    「理不尽に、対抗する『何か』……」

    「ある種の進化なのかしらね? だから通常では考えられないような手をあがる。勝ち続ける」


    でもね、と一旦間を切ってどこか悲しそうに、どこか寂しそうに


    「それでもきっと理不尽なそれに屈するときがある。もし、もし、強い人が必ず勝つ。そんなことがあれば」


    ため息をついて、言った。



    「それはもはや麻雀ではないわ」



    「もちろん、技術や知識は必要よ。麻雀は確率のゲームでもあるから」


    しばしの沈黙の後、久はそう言葉を続けた。


    「だから強くなるためには勉強や訓練が必要なことも事実。だから」


    久はブランコに座ったままの京太郎の前にしゃがみ込み、京太郎の顔を覗き込んだ。


    「信じて戦い続ければ麻雀の理不尽さが味方してくれる時が、きっと来るわ」
    「たとえ須賀君が対抗するための『何か』を持っていなかったとしても」
    「『何か』をもっていなくても麻雀は勝てる。もたざるものでも、もつものには勝てる」


    そう言って、久は京太郎の腕を優しく撫でた。


    「私はそう信じているわ」


    「……でも、それって、残酷な話じゃないですね」


    俯いていた顔を上げ、久と目を合わせる。顔が近いが、なぜか照れはなかった。


    「俺みたいにもってないやつは、もってるやつに1勝するまで、どれだけの敗北を差し出さなくちゃいけないんですか?」
    「百か千か万か……俺は勝つためにそれだけ負け続けなきゃいけないんですか?」
    「もってないやつってのは、それを受け入れなくちゃいけないんですか?」
    「そんなの、俺には……耐えられない」


    ブランコの鎖を強く握りしめる。がちゃり、と音が鳴った。


    「……」


    久は内心歯噛みした。久自身そうは思ってはいない。自分以上の化け物はウジャウジャいる。
    そう思っていても、彼からすればもっている人間なのだろう。
    心を悔しさに支配されつつも久はバッグから1枚の紙を取り出した。


    「須賀君、ちょっと、これを見てもらえる?」

    「……なんですか」


    打ちひしがれた顔でその紙を取出し、広げた。


    「牌譜……?」


    そう、そこに書かれいたのは見覚えのない字で書かれた牌譜だった。


    「これ、だれの牌譜ですか?」

    「いいから、読んでみて」


    意図がつかめないまま、言われるがままに目を通した。


    「……酷いですね」


    5分ほどその牌譜に目を通していた京太郎がポツリと言った。


    「感想?」

    「えぇ、ここ」


    そう言いながら牌譜を指差した。


    東1局南家 6順目
    『???手牌』
    123m22288s12278p ツモ9p ドラ2m

    「聴牌しましたけど、打1筒でリーチしてません。個人的には即リーですけどまぁ、それはいいです。問題は次順ですよ」


    『???手牌』
    123m22288s22789p ツモ4p ドラ2m

    「ここでなぜか2筒切りリーチしてます。だったらなんで6順目でリーチしないんですかね?」

    「同じ3筒待ちなら6順目に2筒切りでリーチできるのに」


    和に見せたら絶対に叱られますね、そう結んで牌譜を久に返した。


    「ふふ、ありがとう。須賀君も言うようになったわね」


    牌譜をしまいながら久は笑った。


    「で、結局誰の牌譜なんですか?」

    「これはね、これから会う人の2年前の牌譜よ」


    そういいながら久は立ち上がった。京太郎の返事を聞かずに歩き始める。


    「さっ、行きましょ?」

    「へっ、行くって、会うって……」


    その声には答えず久は先に進んでいく。状況が理解できないまま、京太郎は久の後を追った。


    「先輩、いい加減にどこに行くか、誰に会うか教えてください」


    公園を出て10分ほど歩いたところで痺れを切らした京太郎は久に尋ねる。


    「もうそろそろよ……ほら、あそこ。もう待ってるわね」

    久が指し示す所には古めかしい雀荘が立っていた。その前に一人の髪の長い女性が経っていた。
    久はその女性に近づき声をかけた。


    「お待たせ。今日はごめんなさいね、急に」

    「何、ついでといえばついでだ。で、そっちの彼が?」

    「えぇ、私の後輩の須賀京太郎君」


    髪の長い女性が京太郎に向き直った。
    京太郎はその女性に見覚えがあった。


    (長野県大会決勝のあの舞台、咲と戦った)

    「初めまして。須賀君。私は加治木ゆみ。よろしく」

    (鶴賀学園の、団体戦大将!)


    京太郎は、思わぬ出会いに言葉を失った。


    「おじさーん、久しぶり!」


    自己紹介もそこそこに、久に導かれる形で京太郎とゆみは雀荘内に入った。
    店内は若干古めかしかったが落ち着いた内装であり、8卓ほどある卓のうち3卓がが埋まっていた。


    「おぉ、久ちゃん、元気にしてたかい?」


    店主と思われる初老の男性が笑みを浮かべながら久を出迎えた。


    (相変わらず部長の人脈は謎だな)


    店主と親しげに話す久を見て前々から思っていたことを再度認識した。


    「1卓だね。そっちの卓を使ってね」

    「ありがと、おじさん。さ、行きましょ」


    そう言いながら、店主が指差した方向に歩き出す久。
    ゆみと京太郎は顔を見合わせながらもその後に続き、卓に座った。


    「……とりあえず、改めて挨拶させてもらう。私は加治木ゆみ。よろしく」

    「どうも、須賀京太郎です。よろしくお願いします」


    そう挨拶しながらも京太郎は目の前のゆみについて思考を及ばせる。
    鶴賀の大将。咲や衣相手に苦戦しつつも一歩も譲らず喰らいついていたことは京太郎の記憶にも残っている。
    特に咲に対してチャンカンの一撃を当てたとことは昨日のことのように思い出せる。
    インターハイを通して、咲が放縦した数少ない機会であったからだ。


    「しかし、何で加治木さんがここに?」


    京太郎の質問を受けてゆみはチラリと久に視線を送った後京太郎に言った。


    「何、以前の私と似たような悩みを抱えている後輩が居ると聞いてな。お節介かもしれないが少し話をさせてもらいにきた」

    「同じ、悩みって……」


    県大会決勝のあの立ち回りを見て自分と同じ人種だとは思えない。
    そういう感情が顔に出ていたのか、ゆみは軽く笑った。


    「牌譜は、見てくれたか?」

    「はい、一応……」

    「酷かっただろ? 意味の無いダマから謎の1順まわしてリーチ」


    自分のことなのに、とても可笑しそうにゆみは笑う。
    その様子に多少申し訳なさを感じつつも京太郎は頷いた。


    「それがわかるだけ、2年前の私より君のほうが遥かに上手い。同じ立場なのに凄い違いだな」

    「同じ、立場?」

    「あぁ、私も麻雀を始めたのは高校生になってからだ。雀暦で言えば2年ちょっとしかない」


    その言葉に絶句する。たった2年程度であの境地に辿り着いたというのが信じられなかった。


    「まぁ、当時の部員は2人だけだったからな。指導者も居なければ教えてくれる先輩も居ない。いろいろ大変だったよ」


    何かを思い出すかのように、遠い目をするゆみ。京太郎と久は何も言わずに言葉の続きを待った。


    「その牌譜は私が当時の風越キャプテンと打ったときの牌譜だ。1年生のときに長野県下の麻雀部が集まる交流会があってな」


    ため息をつく。苦い思い出なのだろうか、先ほどよりは多少口ぶりが重くなっていた。


    「酷い負けっぷりだった。3日間ほどの交流会の中での出来事だったんだが、さすがは名門」
    「キャプテン以外も一人一人が悪魔じみた強さだった」


    そのタイミングで店主が3人にグラスに入った麦茶を持ってくる。
    ゆみはそれを手に取り軽く口をつけると話を続けた。


    「だが当時のキャプテンの強さは異常だった。何をしても聴牌できない、アガれない、トップが取れない」
    「1局で箱を4つ被ったときは泣きたくなったよ」


    京太郎の心がざわめく。似ていた。自分の心が折れた状況と。


    「一時は麻雀が嫌になった。あんな化け物たちに勝てる気がしなかった。……辞めようとも、思った」


    麦茶のグラスをサイドテーブルに置く。
    グラスの中の氷がからん、と音を立てて鳴った。


    「だが、後からその牌譜をもらってな。落ち着いて、ゆっくりと見直してみたんだが、まぁ、酷い」
    「自分なりにはしっかり打てているつもりだったんだがな」


    一呼吸を置いて、京太郎のほうを見た。
    思わずどきりとして京太郎は体をすくめた。


    「自分には、まだできることが残っている。まだ足りないところが沢山あるんだと」


    まっすぐな瞳だった。
    凛、という言葉が非常に似合う。
    京太郎はそんなことを思った。


    「それからは無我夢中だったよ」


    そこでゆみは若干自嘲気味に笑った。


    「お宅の宮永咲やうちのモモみたいなオカルトめいた『何か』は持ち合わせていないしな」


    卓に置かれた牌を1つ取り、手の中でもてあそびながら言葉を続けた


    「自分に足りないものは何か。考えて模索して、試行錯誤してそれでも負けてもう一度考えて」
    「戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って」
    「気が付いたら2年経っていた。まったく、高校生活というのは短すぎる」


    はは、と軽く笑ってゆみはふたたび麦茶に口をつけた。
    そこまでゆみの話を黙って聞いていた京太郎は初めて口を開いた。


    「でも……」

    「うん?」

    「でも、そこまで足掻いても、咲や天江衣には勝てなかったですよね」


    押し殺すような声。思わぬ発言に流石の久もぎょっと口を挟もうとするが、ゆみはそれを手で制した。


    「ふふ、事実とは言え君はなかなかきついことを言うんだな」


    ゆみが苦笑しながら京太郎に返事を返す。京太郎は頭を下げつつも、発言を取り消すことはなった。


    「……すみません。でも俺思うんです。『何か』をもっている連中には何をしても勝てないんじゃないかって」


    再び、京太郎の中に暗い感情が戻ってくる。あの苦しみ、あの悔しさが京太郎を苦しめる。


    「竹井先輩は信じて進めばきっと勝てる日が来るって、言ってくれました。でも……でも!」


    歯がきしみ、握りしめた拳からは血が出そうだった。


    「いつ来るかわからないそのために、どれだけ負けて、どれだけ耐えればいいのか……俺には、そんなの無理です」


    京太郎の絞り出すような独白をゆみは真剣な顔で、久はどこか辛そうに聞いていた。


    「加治木さんは……耐えられるんですか? 」
    「校3年間を費やしても結局持ってる連中には敵わなかった。嫌にならないんですか?」


    京太郎はゆみの顔をまっすぐ見て訪ねる。その縋り付いたような視線に何かを感じ、ゆみは答えた。


    「耐えられないと言ったらうそになる。やはりあの日は悔しさで眠れなかった」


    やっぱり、そうなんですね。そう言おうとした京太郎の言葉にゆみの言葉が覆いかぶさった


    「だが」

    「私はだからと言って歩みを止めるつもりはない」
    「高校での挑戦は終わってしまったが次は大学というステージでもう一度戦い続ける」

    「な、何で」


    よろり、と京太郎の体がよろめいた。
    ゆみのその口ぶりに一切の嘘は感じられず、むしろ強い意志が感じられた。


    「なんで、そんな」


    もはや、後半は言葉になっていなかった。

    「簡単な理由だ。須賀君流に言うなら『何か』を持っている連中。彼らは確かに強い。だが」

    「進まねば、勝てない。闘わねば、勝てない。挑まねば、勝てない。」
    「今の私がもう一度天江衣クラスの人間と打っても、勝つのは難しいかもしれない。それでも」
    「挑まなければ、負けたままなんだ。私は、勝ちたい。『何か』を持っている連中に勝ちたい」
    「私は私が望んだ勝利を手に入れたい。その勝利のために百や二百、千や万の敗北が必要ならくれてやろうと思う」

    「この先、無念さに押しつぶされそうになるかもしれない」
    「悔しさに泣いてしまうこともあるかもしれない。絶望のあまりに歩みを止めそうになるかもしれない」
    「だが、一度自分が選んだ道、進んでみようと思った道だ。『何か』が無くとも戦って戦って、勝ってみせる」
    「そのために、もっともっと足掻けるだけ足掻いて戦い抜こうと思う」

    「それだけだ」


    京太郎は言葉を失っていた。
    目の前にいる女性が自分と同じ人間なのか、そうとまで思った。
    余りにも凛としたその姿に京太郎の心はかき乱される。

    ――挑まねば、勝てない――

    なぜか、その一言が心に突き刺さった。


    「ところで須賀君」

    「は、はい」


    唐突に話を振られ、京太郎はびくりとしながらも返事を返した。


    「君は今、『何か』を持っていないのかもしれない。だが、それが未来永劫そうなのだと誰が決めたんだ?」

    「……えっ?」

    「もしかしたら、それは厳しい修練の先にあるのかもしれない。敗北に塗れ、辛酸を舐め尽くした上で手に入るものなのかもしれない」

    「い、いや、それは」


    それは、考えてもみなかった発想だった。
    そういった連中は生まれた時から、気が付けばもっている類のもの。
    一種の才能めいたものなのだと思っていた。


    「どちらにせよそれは歩み続けなければ、前に進もうとする意志がなければわからないことだけどな」

    「……」


    京太郎は、それに対して反論できなかった。


    「っと、すまない。若干責めるような言い方になってしまったな」


    呆然とした様子の京太郎を見て慌てて小さく頭を下げるゆみ


    「私の言ったことが正しいことなどというつもりは全くない。『何か』については完全に推測だしな」


    京太郎は小さくいえ、と返すのが精いっぱいだった。
    すると、ここまで黙って二人のやり取りを眺めていた久が口を開いた。


    「そうね、須賀君。私は決して部に戻るように説得するために加治木さんを呼んだわけじゃないの」


    どこか悲しそうな顔で久は顔を伏せながら言った。


    「ただ、須賀君。あなたはこの先のことをどうするかきっと悩んでいると思ったから、貴方に近い人の話をしてもらおうと思ってね……」

    (ただ、強烈過ぎたかもしれないわね。正直ここまでの人だとは思わなかったわ……)


    久は若干後悔しつつも無理矢理笑みを浮かべて京太郎に向き直った。


    「こう言い方はなんだけど……所詮は高校の部活よ」
    「そこまでの苦しみを味わう必要はないと思う。嫌だからと言って辞めたとして、責めるつもりはないわ」


    辞める、という言葉にびくりと体を震わせる京太郎。


    「ただ麻雀を続けたいというのであれば、いくらでもやる環境はあるわ」
    「なんだったらこの雀荘のアルバイトとしておじさんに紹介してあげる」


    客と談笑する店主をちらりと見ながら久は話を続けた。


    「もしくは、麻雀は趣味レベルに留めておいて、もっと打ち込める何かを見つけるっていうのもいいと思う」
    「まだ1年生だもの、取り戻しは効くわ」


    久は3つの選択肢を示した。

    麻雀部に戻るか
    麻雀部から離れ別の環境で麻雀を打つか
    麻雀とは別の、打ち込める何かを探すか

    京太郎の頭の中でその3つの選択肢がぐるぐるとぐるぐると回り続ける。
    もはや自分でもいったい何を望んでいるのか、わからなくなってきていた。
    ふさぎ込んだ京太郎を見て久は苦笑する。


    「ごめんなさい、余計に惑わせちゃったわね。よし、じゃあ、せっかくだから打ちましょうか!」


    明るい声で二人にそう宣言する久。


    「私は構わないが……」


    ゆみはその言葉を受けてちらりと京太郎を見る。


    「いや、俺、麻雀は」

    「1回だけ! 1回だけだから、ね?」

    「でも……」

    「ほら、私と加治木さんより順位が上になったらご褒美あげるから!」

    「……ご褒美?」

    「ふふっ」


    途端に悪戯を思いついたような、とても似合う顔をして久は京太郎に顔を近づけて小さく耳打ちした。


    「パンツ、見せてあげよっか?」

    「!?!?!?!?!?!?」


    基本京太郎は欲望に忠実な人間である。
    先ほどまでの悩んでいた気持ちはまだ残っていたが煩悩というものが京太郎の中で鎌首をもたげてくる。
    慌てた姿の京太郎を見て久は満足げに頷いた。


    「よし、須賀君もやる気になったようだし、決まりね。おじさんに人を貸してもらえるか頼んでくるわ」


    そう言いながら久は席を立ち、店主に話をしに行った。


    「……一体何を言われたんだ?」


    店主と何やら話している久を見ながらゆみは訝しげに尋ねた。


    「い、いや、大したことじゃないですよ、は、はは」


    空笑いをしながら動揺丸見えな姿で京太郎は言った。
    ゆみはそれを訝しげに見つつも、話題を変えた。


    「しかし、いい先輩を持ったな、須賀君」

    「……えっ?」


    いきなりの発言に京太郎はぽかんと口を開ける。


    「先ほどはついでで来た、と言ったが実は違う。君の先輩に頼みこまれてきたんだ」


    何が楽しいのか、笑みを浮かべながらゆみは言った。


    「昨日いきなり電話がかかってきてな。私の後輩を助けてほしい。私の言葉では、届かないかもしれない、そう言いながら」


    京太郎は黙って言葉の続きを持った。


    「同じ長野県内とは言え、ここまではかなり距離があるし、いきなりだったからな。返事をしあぐねていたんだが……」
    「何度も、何度も頼んできてな。ある種人を食ったようなところもある竹井があれほど必死になるとは正直想像もできなかった」


    京太郎も想像ができなかった。
    京太郎の中で久はいつも余裕があり、自分のペースに巻き込んでく。そんな人間だと思っていた。


    「まぁ、もともと新生活に向けた下見なんかもあったしな。無理矢理予定をつけてやってきたというわけだ」


    そこまで言い切ってゆみは笑いながら、どこか羨ましそうな顔をした。


    「いい先輩を持ったな、須賀君。私には先輩がいなかったから、君が羨ましい」


    京太郎はその言葉に返事ができなかった。


    「お待たせー。メンバーの一人を貸してもらえたわー」

    「よ、よろしくお願いします」


    恐らく新人なのだろう、エプロンをしてどこか初々しい感じのある女性店員が久の後ろに続いた。
    女性店員は全員の顔を眺めた後に、よろしくお願いします、と頭を下げた後、言った。


    「全国レベルの人と比べちゃうと私の腕じゃ物足りないかもしれませんが……今日も3連続ラス引いた後ですし……」

    「いいのいいの! 今日はうちの1年生も入ってるし、それに」


    そこまで言って久は京太郎に向き直った。まるで、京太郎にも同意を求めるように。


    「理不尽な何かが、味方してくれるかもしれないわよ」


    そう、言った。


    (『何か』を持っていなくても、理不尽が味方する……本当に)

    (本当にそんなこと、あるのか)


    思い悩む京太郎を尻目に、起親決めのサイコロが振られた。
    だが、京太郎はこの対局で『理不尽なそれ』を経験することになる。実際にあることだと、痛感することになる。
    このタイミング、このたった1回の対局でそれが出たのは偶然か、それとも
    神が京太郎を麻雀に引き留めようとしたのか。


    店員  25000(親)
    久   25000
    京太郎 25000
    ゆみ  25000

    『京太郎配牌』
    129m2466s68p東南南白


    (萎える配牌だな……)


    京太郎は内心ため息をつきながら自分の手をいかに進めるかを考え始める。
    だが、しばらく考えていても親の第1打が切られず、ふと店員の顔を見た。


    「あ、えーっと、うー? え? え?」


    手恰好が難しいのか酷く落ち着かない様子で悩んでいた。
    何度も何度も手の中を確認し、じっと見つめた後、震える手で9萬を切り出して牌を横に向けた。


    「リーチ……」


    震える声で宣言する。


    (ダブリーだったのか。天和チャンスだったのかな?)


    自分の手を見て即ベタ降りを決定する。とりあえず9萬を切り出し、そのあとは南の対子を落とそう。
    そう、京太郎が思っていた時だった。


    「ろ、ロンです!」


    裏返った声で店員が発声する。驚いた顔で久は自分が捨てた北を見た。


    「い、いかさまじゃ、ないです、からね?」


    そう言いながら、店員はその手を、倒した。


    『店員手牌』
    111m333888s444p北

    「四暗刻単騎……や、役満です!」


    店員はそう発生したまま思わず飛び上がり、店長に向かって駆け寄っていった。


    ――店長、役満、役満あがりました! 四暗刻あがりました!――

    ――おぉ、そうか。やったねぇ――

    ――はい! 麻雀初めて4年間、やっと役満があがれました! 麻雀やっててよかった――


    そんな嬉しそうな声が背後から聞こえてくる。
    それとは対照的に3人の間には沈黙が流れていた。
    京太郎はぽかんと、ゆみは何か気まずそうに、そして久は動きが固まったままだった。


    「あー、その、なんだ」


    沈黙に耐えかねたのか、久の様子にいたたまれなくなったのか、ゆみが口を開く。
    だが、先ほど京太郎と話してきたような流麗なしゃべり方とはかけ離れた、はっきりしないものだった。


    「その、災難だったな」


    京太郎も呆然としていた。ダブリーで四暗刻というのも驚いたが久が一発で振り込んだのにも驚きだった。


    「あ、あの、竹井先輩」


    京太郎も思わず心配そうに久に話しかける。
    しばしの間呆然としていた久ははっ、と意識を取り戻し、無理矢理口に笑みを作って京太郎に向き直った。


    「ど、どうだったかしら、須賀君」

    「へっ?」

    「り、理不尽さ、見れたでしょ。ほら、ね、私の言った通りでしょ?」


    本人は余裕を持っているつもりだが、何やら震えている。取り繕ったような笑みを浮かべているが、とてもぎこちない。
    最初は店とグルなのかと思った。だが、どう見ても目の前のいっぱいいっぱいな久の姿にとてもそれは感じられない。
    いつもは余裕たっぷりで京太郎のことをからかう部長の姿に何やらおかしくなってきて京太郎は思わず口元を抑えて。


    「ぷっ、くくくくく」


    何故だか、笑いが込み上げてきて、思わず噴き出した。


    「ちょ、何で笑うのよ。もう……はぁ、しかし、親役打ったのなんて、いつ振りかしら」


    ぐったりと椅子にもたれかかるようにのけぞる久。


    「ふむ、だったら二重の意味で貴重なものが見れなたな。これは」

    「ぷ、くく。何とか余裕持って言おうとしたみたいでしたけど、いっぱいいっぱいすぎますよ、部長」

    「ちょ、やめてよ、もう」


    京太郎の言葉を訂正する余裕もないようで慌てる久。
    久しぶりに笑った気がする。京太郎はそんなことを思った。


    「はー、これは久しぶりに来たわねー。自分で言っておいてなんだけど、どうしようもないときってホント酷いわね」

    「あるんですね、理不尽な何かって。役満打ち込んだところなんて初めて見ました」

    「まさかこんな形で証明することになるとはね……。私は加治木さんと打ってもらうことで何か掴んで貰えればとおもったんだけど」

    「私と須賀君は配牌取っただけで終わってしまったぞ」


    ゆみが苦笑する。


    「ほんとね」


    それに対して久も苦笑で返す。
    2人を見つつ、笑みを沈ませながら京太郎は言った。


    「でも、これって実力って言えるんですか? こんな感じで理不尽を味方につけて勝っても……」
    「それは、本当の勝利と呼べるんでしょうか?」

    「勝利よ。間違いなく」


    久は京太郎の問いに即答する。


    「……えっ?」

    「運だけで買ったとしても、それは紛れもなく勝利よ」

    「でも、それって……」

    「いいじゃない。『何か』を持ってる子たちってのは得体のしれない何かで勝ち続けてるんだから」


    久は京太郎の眼を見る。まっすぐな目だった。


    「貴方が理不尽を味方につけて勝ったとしてもケチを付けられる謂れも自分の実力じゃないなんて遜る必要もないわ」

    「……でも」


    それでも、納得がいかない、そんな様子の京太郎に久は続ける。


    「だったら、その勝利を足掛かりに自分の納得できる勝利を目指してもう一度戦えばいいじゃない」


    そう言いながら、ちらりとゆみを見る。


    「そう、加治木さんのいう、自分が望んだ勝利に向けてね」
    「一度も勝てない相手に挑むのと一度は勝った相手に挑むのじゃ、大違いじゃない」


    にこり、と笑った。先ほどまでのぎこちなさはない。


    「それに、1度の勝利が、何かを生み出すこともあるかもしれないわよ?」


    そういって、京太郎の肩を優しく撫でた。


    「さて、私は加治木さんを駅に送っていくからここで別れましょ?」


    その後、店を出た3人はしばし歩いて駅への分かれ道で久がそう言った。


    「いや、俺も行きますよ」

    「須賀君の家は反対方向じゃない。大丈夫よ、まだ明るいし」


    くすくすと笑いながら久は笑った。
    渋々納得した京太郎はゆみに向き直り頭を下げた。


    「今日は、ありがとうございました。いろいろ、本当に……」

    「いや、こちらも初対面だというのに偉そうですまなかったな」


    そういうとゆみは京太郎の肩をポンとたたいた。


    「君がどういう結論を下すかはわからない。だが、後悔のない決断をすることを祈っているよ」

    「後悔の、ない」


    その言葉を反芻する京太郎。こくりと頷いてゆみは踵を返した。


    「あぁ。それじゃあ、また機会があったらな」

    「須賀君、さんざん貴方をいいように使った私が言っても白々しいかもしれないけど……貴方がしたいようにしてね」
    「自分のために、したいことをして頂戴。……それじゃあね」


    そう言い残して、久も踵を返して駅へと歩いていった。
    京太郎はしばらく二人の姿を見送っていたが、やがて家に向けて歩き出した。


    「今夜は、相当苦しむことになるぞ。彼は」

    「えっ?」


    駅へ続く道でゆみは唐突にそう切り出した。


    「ただ、麻雀が好きなだけというのであれば麻雀部をやめるという結論に達するだろうがな」
    「雀荘のアルバイトを喜んでするだろう。ただ……」

    「……そうね。悲しいことにね」


    ゆみの言いたいことがなんとなくわかった久はそれに頷いた。


    「惜しむべきは清澄の麻雀部に彼と同じレベルで話をできる人間がいなかったことだな」
    「でなければ彼はあそこまで悩むことはなかっただろう」

    「そうね、結局彼はずっと心の底でずっと孤独感やわだかまりを抱えていたんでしょうね」

    「多分な。無論、竹井たちが彼を除け者にしていたとか無視したことはないだろう」
    「仲間として扱っていただろう。彼もそれはわかっているはずだ」


    ただ、と繋げてゆみは何か悲しそうに言った。


    「根っこのところで、どうしても割り切れないものっていうのはあるだろう。……仕方がないことだが、悲しい話だな」


    それを聞いて、久は複雑そうな顔をして、ため息をついた後苦笑した。


    「……あーあ、何か悔しいな」

    「? どうした」


    久の真意が読めないゆみが訪ねる。

    「だって、初めて、今日初めて会ったのに加治木さんはもう須賀君の苦しみを分かっている」
    「彼に言葉をかけられる。それに引き替え」


    少し早足になり、久はゆみより少し前を歩きだす。まるで顔を見られたくないかのように。


    「私はだめだった。私の言葉はほとんど届かなかった」

    「竹井、お前……」

    「わかってる。しなくちゃいけないことは須賀君の話を聞いて、少しでも手助けしてあげること」
    「それはわかってる。烏滸がましいことだってのもわかってるんだけど」


    立ち止まって、空を見上げる久。ゆみも立ち止まって言葉の続きを待った。
    そして、久の口から漏れ出した言葉には悲しさと、寂しさが込められていた


    「それでも、それでも先輩として、仲間として……私が彼を救ってあげたかった」


    あれから帰宅し、夕食を取りながらも、風呂に入りながらも京太郎はぼうっと考えていた。
    あまりにも意識が遠くに行っているため食卓で父と母から心配をされた。
    それに対してなんでもない、と答えつつも京太郎はまたぼうっと考えだした。
    両親は何か腑に落ちないものを感じつつも、京太郎の様子を見守った

    京太郎は枕元の時計を見た。22時を過ぎている。
    一日出歩いていた京太郎の両親は疲れからかもうすでに休んでおり、家の中は沈黙を保たれている。
    布団に寝っころがりながら天井を見上げる。京太郎の意識は思考の海に沈んでいく。

    深く、深く


    (どうするか? 今さらだろ、辞めるって決めたんだ)

    (俺には加治木先輩みたいに挑み続けるなんて無理だ。無理に決まってる)

    (竹井先輩のようにたった1回の勝利を目指して負け続けるなんて嫌だ)

    (俺はそんな強い人間じゃない)

    (でもやっぱり麻雀は好きだし、竹井先輩の言う雀荘でアルバイトをするっていうのもいいかもな)

    (それか、いっそのこともうやめちゃって他の何か……何か……)


    何かをしよう、と考えるも、その何かが思いつかず京太郎は苛立つ。


    (……麻雀以外の何を始めるっていうんだ。やっぱり雀荘のアルバイトかな)

    (あの店、雰囲気よさそうだし、店長さんも優しそうな人だったし、あの四暗刻のお姉さん結構かわいかったし)

    (そうしよう。それがいい)


    壁の写真が目に入る。


    『京太郎、タコス! 力が出ないじぇー』

    『おっ、その切り出しはなかなかいいじぇ! よくやったじぇ、京太郎』

    (そうと決まれば退部届、書かないとな)


    枕元の教本が目に入る。


    『須賀君。結果論で語ってはいけません、最善手を打ったのですから間違っていません』

    『よくちゃんとオリきれましたね。無理に突っ張るかと思って心配しちゃいました。今の局には100点満点あげます』

    (退部届か、どう書けばいいのかな)


    隅に置かれた麻雀牌が目に入る。


    『そこから鳴いて行くのは感心せんな。愚形が残る上に面子が足らんぞ? 仕掛けるならここか、ここだけじゃ』

    『おぉ、その難しい待ちをよく即座に判断できた。よくやったぞ、京太郎』


    何かを強く訴える思考に蓋をし、頭の中で蘇る声に耳を塞いで京太郎は立ち上がる。
    勉強机にあるレポート用紙と筆記具を手に取ろうとして、それが目に入る。


    「……咲」


    ぽつりと呟く。
    そこには咲がコメントを付けた牌譜がある。
    それを無視して、レポート用紙に手を伸ばそうとする。


    (俺はもう麻雀部をやめるんだ。だから牌譜を見る必要はもう、ない)


    勉強机の上の本棚に置かれたレポート用紙を見つける。


    (俺は、退部届を)


    そして、手を伸ばし、


    (書かなくちゃいけない……ん、だ)




    ――牌譜を、手に取った。

    牌譜は咲の丸っこい字で書かれており、それにプラスして咲のコメントがついていた。
    ところどころ妙なイラストも描かれており思わず小さく笑みが漏れる。


    『この5索切りはだめ! まずは8筒をきらなくちゃ! 最終形を考えていこうね』
    『この6筒切りはすごいよ京ちゃん! 一番受け入れ多いところだよ!』
    『京ちゃんよく見て! ドラ表示牌で1枚消えてるから、この中はラス牌だよ! 鳴かなくちゃ!」
    『やったね京ちゃん! きれいな三色!』
    『難しい待ちだよねー、これ。京ちゃんすぐにわかった?』

    「……なんだよあいつ。後半はもはやアドバイスじゃねーじゃん」


    牌譜を強く握りしめる。ぐしゃりと、音を立てて紙に皺が寄った。
    その時、折れた拍子にちょうど見ていたページの裏側にも何かが書かれていることに気が付いた。
    紙を裏返す。そこには4人分の筆跡での落書きがあった。


    『大会目指して頑張ろうね、京ちゃん。 一緒に勝とう!』

    『咲ちゃん甘いじぇ! 勝とうじゃなくて、勝つんだじぇ! 目指せ全国!』

    『ゆーきもまだまだ甘いですね。目指すは全国優勝です。もちろん男子も女子もです』

    『うむ。目標は高いほうがいいからな。清澄高校麻雀部一同、頑張っていこう』

    「何で……」


    牌譜が手からこぼれた。ばさり、と床に散らばる。
    それを拾おうとせずに京太郎は立ち尽くした。


    「何で……」

    『でもね、それ以上に嬉しかったのは』


    久に言われた言葉が蘇る。


    「何で……!」

    『須賀君がみんなのことを嫌いになってないっていうこと』

    「何でだよっ!」

    『それが本当にね、本当に嬉しかった』

    「何で、俺を仲間として扱ってくれるんだよ……」


    京太郎は思った。
    無視されたほうがよかった。
    見下されたほうがよかった。
    見捨てられたほうがよかった。
    弱いとなじられたほうがよかった。
    居ないものとして扱われたほうがよかった。
    ただの雑用係と思ってくれたほうがよかった。
    体のいい便利屋として扱ってくれたほうがよかった。

    だが、彼女らはそうはしなかった。
    口では何と言おうとも、彼を対等の仲間として扱った。
    どれだけ弱さを晒しても、どれだけ未熟さを露呈しても根気強く指導をした。
    たとえ実力に天と地ほどの差があろうとも、彼女らは京太郎を見捨てなかった。


    「くそっ、くそっ!」


    京太郎は声を押し殺しながら床に膝をつく。
    行き場のない感情が心の中を巡り、叫びだしたい気持ちだった。
    牌譜に涙が零れる。一粒零れた後は止めどもなく零れ落ちていく。


    「見捨てろよ、俺みたいに弱いやつ」

    (でも)

    「邪魔なだけだろ、ウザったいだけだろ」

    (でも)

    「大体おかしいだろ、女子の中で男子一人って。追い出せばいいじゃないか」

    (そんな奴らだから)

    「何で、あいつらは、俺なんかに……!」

    (そんな奴らだから、俺も好きになった)

    「弱いって笑えばいいじゃないか!」

    (麻雀部の仲間が好きだった)

    「弱いからって見捨ててしまえばいいじゃないか!」

    (皆化け物じみて強いくせに、俺を仲間として扱ってくれた)

    「なんで、なんで!」

    (だから周りからなんて言われようと)

    「なんで!」

    (大会前になって打つ機会が減っても)

    「なんでなんだよ……」

    (皆が好きだったから、ここまで来れたんだった)


    そこまでの結論にたどり着いた後、京太郎は押し殺したように泣いた。
    麻雀が好きだから、捨てられない。
    麻雀部の仲間も大切だから、捨てられない。
    麻雀部に戻れば、また負け続け苦しみを味わうことになる。
    麻雀をする以上、やはり勝ちたい。
    そうすると、ゆみの言うようにただ一つの勝利を目指して夥しい敗北を積み上げる必要がある。
    それは平易な道ではなく、苦難の、試練の道。

    それでも


    「くそっ」


    それでも京太郎は


    「くそっ……」


    その両方を、捨てることはできない。そう自覚した。
    何が悲しいかはわからない。何が悔しいかはわからない。何故涙が出るのかはわからない。


    「くそぉ……」


    それでも、京太郎は部屋で一人、泣き続けた。


    休日が終わりの月曜日の朝、麻雀部部室には麻雀を打つ4人の姿があった。
    だが、雰囲気は心なしか重い。特に咲はひどく憔悴した顔をしていた。
    その様子に和は心配そうに声をかける。


    「咲さん……本当に大丈夫なんですか」

    「ありがとう、和ちゃん。私は、大丈夫だから」

    力のない笑みを浮かべながら咲はツモに手を伸ばす。


    『咲手牌』
    1112444m4567s中中 ツモ中 ドラ2m


    手ごたえを感じる中引き。だが、咲の心は全くと言っていいほど弾まなかった。


    ――お前らと打っていても――


    その言葉が蘇ってきて、咲の心がずきりと痛んだ。
    何とか点箱に手を伸ばし7索を切り出してリーチを宣言した。
    その順は全員現物を切り、咲は一発目の牌をツモる。


    『咲手牌』
    1112444m456s中中中 ツモ4m

    「……カン」


    力のない発声だったが、宣言をする。
    新ドラ中。だが、それでも咲の心は弾まない。
    そして嶺上牌で2萬を引いてくる。


    『咲手牌』
    1112m456s中中中 暗カン4444 ツモ2m ドラ2m、中 裏1p、8s

    「……ツモ。リーチ、ツモ、中、嶺上、ドラ4。4,000-8,000です」

    「うげっ、親っ被りだじぇ」


    優希が悲鳴を上げたところでまこが咲の上がり形を見た。
    そして何やら難しい顔をして、咲に告げた。


    「咲……残念じゃが、それはチョンボじゃ」

    「えっ?」


    咲のあっけにとられた声を聴きつつ、和もそれに続いた。


    「咲さん、よく見てください。その形、2444の聴牌形にも、取れますよね?」


    「あっ……」


    麻雀の基本である、待ちの変わるカンはできないというルール。
    確かに見落としやすい形ではあるが、咲がこのようなミスをするということは初めてであった。


    「ご、ごめんなさい」


    チョンボ料の満ガンの支払いをする咲を見つつ、まこは内心歯噛みしていた。


    (やはりこうなったか)


    ミスはそれより、咲の全く楽しくなさそうな顔が気になった。
    調子を崩すどころか、このままでは咲も麻雀部を離れてしまうのではないか。
    咲に渡された2000点を点箱にしまい、そんな不安を必死に抑え込んだ。


    「っと、親のやり直しかー」


    重苦しい空気の中、優希が牌を落とそうとした、その時だった。
    きぃという音を立てて、麻雀部の扉が、開いた。


    「京……ちゃん」


    一斉に開いた扉に視線をやり、真っ先に口を開いたのは咲であった。
    皆が京太郎のほうを見ていた。
    4人それぞれが、京太郎に対して言いたいことがあった。
    謝りたいことがあった。聞いてほしいことがあった。
    だが、誰も口を開けなかった。何かを言おうとしていたのに、言葉が出なかった。
    しばらく無言の時が流れる。やがて、京太郎は歩き出し、咲の前に立った。


    「咲」

    「な、なぁに、京ちゃん?」


    どこか、怯えが混じった混じった表情で咲は返事をする。
    すると、京太郎は深く、とても深く頭を下げた。


    「まず、お前に謝りたい。この前は言い過ぎた。別にお前が悪いわけでもないのに、責めるような言い方をしちまった」


    頭を下げながら、押し殺したような声だった。


    「本当に、すまなかった。ごめん」

    「きょ、京ちゃん、やめて。私が無神経だったの。だから、ね、頭を上げて」


    突然の言葉に慌てながらも京太郎に駆け寄り、肩を撫でた。


    「……本当に、ごめんな、咲。許してほしい」

    「いいの、京ちゃん。本当に、いいから」


    涙を流しながら京太郎の言葉にこたえる咲。それを聞いて、ようやく頭を上げる。
    そして、今度は全員に向き直ると、大きく息を吸って、何かを決意するように言った。


    「この前は、すみませんでした。迷惑かけて、すみませんでした」


    全員が、黙り込み京太郎の言葉の続きを待った。


    「俺……弱いから、ずっと負け続けて嫌になって、麻雀も何もかも嫌になって、この部活やめようと思っていました」


    重い空気が流れる。京太郎のむき出しの感情が込められた言葉に口をはさむことはできなかった。


    「でも、でも……」


    京太郎の眼尻に涙があふれる。それを必死に堪えようとする。


    「やっぱり、俺、麻雀が好きだ。なにより」


    だが、堪えられずに、ぽろりと涙がこぼれた。


    「この部の、みんなが好きだ。引退した部長も、染谷先輩も、咲も優希も和も。皆のことが、大好きなんだ」


    その言葉を聞いて、和が目を潤ませながら口元に手を当てて漏れそうになる声を必死で堪えていた。


    「これからも頑張ります。弱い俺だけど、必死で強くなるように努力します」
    「負け続けてまた逃げ出したくなるかもしれません。それでも前に進もうと足掻いて見せます」
    「みんなに認めてもらえるように……頑張ります、だから、だから」


    そこが限界だった。次々と零れてくる涙を隠すように京太郎はふたたび大きく頭を下げた。


    「お願いします! 俺をここにいさせてください! お願いします!」
    「散々迷惑かけて都合がいいってのはわかってます! でも、でも、俺……」


    「俺は、皆と一緒に、麻雀がしたい……」



    それ以上言葉にならなかった。そして何より、それを遮るようにして和が叫んだ。


    「やめてください! 須賀君が悪かったとか迷惑をかけたとか、そんなことありません! 私たちが」


    和は溢れてくる涙を拭いながら、必死に言葉を続けた。


    「もっと貴方のことをわかろうと努力すべきだったんです!」


    それだけ言って和は顔に手を当てて泣き出した。
    その姿を見て優希は真っ赤な顔で、感情を爆発させた。


    「何が居させてください、だ! お前はもともと麻雀部員だじぇ?」
    「なんで、そんな頭を下げる必要があるんだじぇ! いさせてください、とか、そんな、そんな……!」


    優希はそれ以上言わず、そういって京太郎にすがりついて泣き出した。
    咲もボロボロと滝のように涙を流していた。泣きすぎていて、もはや言葉も出ないようだ。


    「全く、優希の言う通りじゃ。麻雀部員の京太郎がなぜここにいることを願い出る必要がある?」


    まこがそういいながら京太郎の頭を撫でた。
    されるがままにしている京太郎は震えながらも言った。


    「だって、俺、辞めるって、もういやだって……」

    「ん? わしが聞いているのは京太郎は1週間休むっていう話だけじゃぞ?」


    まこは何かとぼけたような口調で続けた。


    「それに……和の言う通りじゃ。わし達はもっとお互い分かり合おうとするべきじゃった」


    まこは眼鏡を取り、軽く涙をぬぐった後、再び眼鏡をかけて、言った。


    「わしもまだまだ未熟な部長。京太郎にまたつらい思いをさせてしまうかもしれん。だが、わしも頑張る。だから」


    すうと息を吸い、佇まいを直して京太郎に向き直った。


    「もう一度、ついてきてくれるか、京太郎?」


    それを聞いて、言葉にならない京太郎は涙声で、震えきった声で、はい、と言った。
    麻雀部部室の扉の外。扉にもたれかかる形で久は中の会話を聞いていた。
    皆が皆叫んでいるから会話は丸聞こえであった。


    「よかったの、かしらね。これで」

    (結局須賀君はある意味辛い道を選んだ)

    (これが彼にとって幸せなのかどうか)

    (彼が選んだ、それを免罪符にして、納得してしまっていいのかしら)


    目じりに浮かんだ涙をぬぐいながら久は扉から離れた。


    (あぁ、それでも)

    (やっぱり、須賀君が戻ってきてくれたことがうれしい)


    そう思いながら久は笑顔を浮かべた。

    「酷い女ね、我ながら」


    歩きながら軽く伸びをしてポケットから携帯電話を取り出した。


    「さーて、加治木さんにお礼の電話を入れないとねー」


    どこか楽しそうに久はその場を去っていった。


    「あぁ、もう、目が腫れちゃったじぇ」


    手鏡で自分の顔を見ながら優希がため息をつく
    あれからしばし、しばらく泣き続けていた1年生4人はようやく落ち着きを取り戻した。
    とは言え、咲はあまりにも泣きすぎて顔が無残なことになっているため和とともにトイレに向かっていった。


    「ははは、すまん」


    こちらも目が真っ赤になっている京太郎が苦笑を浮かべた。


    「全く、犬如きに泣かされるとは一生の不覚!」

    「なーにが犬如きだこのタコス娘」


    軽口をたたき合う。そういった後、二人で見つめ合った後笑いあった。
    こうやって、憎まれ口をたたくのも久しぶりな気がした。


    「さて、京太郎も戻ってきたことだし、また部活がんばるじぇ!」

    「おう! そうだ、聞きたいことがあったんだが……間四ケンって――」

    「読み筋の話か? 間四ケンとかよりまだ裏筋とかのほうが信憑性あるじぇ。というか読みっていう行為自体が――」


    麻雀の話をし始める京太郎と優希。
    その姿を見てまこは笑いながら決意した。


    (もう二度と、こんなことは起こさせん。誰もが負い目を感ずに済むよう。……理想論、無謀な話かもしれんが)
    (それでもやってみせよう)


    後に、京太郎は思った。
    この時初めて麻雀打ちとしての自分が生まれたのだと。


    それから一か月、再び京太郎は濃密な時間を過ごした。
    新人戦に向け、ただひたすら麻雀を打ち続けた。


    「京ちゃん、そこの急所は仕掛けたほうがいいと思うよ。ほら、ここ、ね?」


    また、へこたれそうになった時もあった。


    「須賀君、無駄な危険牌を引っ張りすぎです。聴牌効率が変わらないなら安牌を抱えるのも一つのテクニックです」


    負けが込み、何かを呪いたくなる時もあった。


    「京太郎、そこは食い延ばしに行くべきだじぇ……そう、そこだな。とっさに反応できるように頑張るんだじぇ」


    それでも、それに耐え、歯を食いしばって京太郎は走り続けた。


    「染め手に行くときは匂い消しなぞ考えんでええ。3枚切れの字牌でも抱え込んで染め牌以外はさっさと叩き切るんじゃ」


    歯を食いしばり、耐えに耐え、泣き出しそうになりながらも必死に走り続け


    「……よし、行くか!」


    そして、新人戦の日を迎えた。