それは、彼の人生において、二度目の恋だった。

 海の底のように真っ暗で、音一つない孤独な世界。現実ではない、不思議な世界。

 そこは牌の世界だった。

京太郎(かわいい……)

 牌さんを一目見て、彼はそう思った。

京太郎「あの、あなたは……」

 声が震えそうになるのをなんとか抑えて、ブロンドの少女に話しかけた。

 少女はゆっくりと顔を上げ、彼の顔を見て、鬼のような形相で言った。

牌「ああん!? 男がわたしにしゃべりかけんじゃねーよ。百合は神聖なもので 男は汚いの。わかる?  わかったらさっさと消えろ」

 おおう。

京太郎(……ええと……この人もしかして)

 想像は当たる。

牌「この世界に男はいらない」

 ――牌さんは百合厨だった。


1・

中学三年生一月下旬

友人「なんだ、お前も清澄受けるのか」

 今日は高校へ願書を提出しに行く日である。同じ高校に出願する生徒はみんな集まって直接高校へ提出する。

 集合場所の教室で京太郎は友人に声をかけられた。

京太郎「ああ、清澄に行きたい理由があるからな!」

友人「しかしお前の成績で受かるか?」

京太郎「この前やった信学会の模試でB判定だった」

友人「お、成績上がったのか」

京太郎「英数理社は9割取れたしな!」

友人「マジかよ! なんでB判定なんだ」

京太郎「国語がな……9点しかなかった」

友人「漢字問題しか合ってないパターンか」

京太郎「……正解」

友人「つーか、あれ? お前ってわりと本、読んでなかったか?」

京太郎「ああ、あれは百合小説だからな。国語とは別物なんだよ。ちなみに最近のブームは主従百合だ」

京太郎なんせ主従百合は背徳感が二倍!まさにお徳なジャンル!ついでに主従どちらかのおもちが大きかったら完全に俺得!」

友人「マイノリティな趣味を大声で言うな」

京太郎「はぁ……。国語の問題が百合小説だったら得点取れるんだけどなー」

友人「ねーよ」

京太郎「僕っ娘百合小説とか問題に出たらたぶん俺、問題解くのそっちのけでその作品のssを書くと思うぜ」

友人「得点取れてねーじゃねーか」

京太郎「確かに……くそっ! 俺は一体どうすればいいんだ!」

友人「ほらよ、システム中学国語 論理入門編だ」

京太郎「……サンキュー」

友人「で、お前が清澄に行きたい理由って何なんだ?」

京太郎「え!? そ、そりゃあアレだ。清澄の図書館に百合姫の雑誌が置いてあるからだ!」

友人「……咲ちゃん目当てか?」

 京太郎の言葉を無視して、友人はそう言った。

京太郎「うおっ、やめ……咲に聞かれたらどうする!」

友人「まだ来てねーよ」

 京太郎は周りを見渡す。よかった、まだ咲は来てないようだ。

京太郎「あー……もう、からかうなよ」

友人「からかってねー。つーかさっさと告白しろよ」

京太郎「おおおうえっ  いやいやいや、受験前だし! 変な影響して試験に響いたら困るし!」

友人「焦れったいなぁお前は」

京太郎「ほっとけ」

友人「それにしても百合男子のくせに普通に恋するんだな」

京太郎「ああ……正直、困惑してるよ」

 女の子どうしの絡みにキュンキュンしたことは幾度となくあったが、一人の女の子を見て胸が苦しくなったのは始めての経験だった。

 そもそも恋なんてしないと思っていた。女の子は女の子と付き合うべきであり、そこに男は不要だと常々思ってきた。

 そして自分は男。自分は世界に不要な存在で、存在価値などない。そんなことを去年までは本気で考えていた。

 しかし今では違う。いまは自分がこの世界に生まれてきたことに感謝している。

 生きてるからこそ百合の妄想で楽しむことが出来る。

 生きてるからこそ咲という少女に出会えた。

京太郎(百合男子失格なのかな……俺って)

 そう、失格かもしれない、でも構わない。

 彼は普通に恋もする百合男子として生きていくことを誓ったのだ。

 ――そんなふうに自己問答をしていたそのとき、教室の扉がガラッと開かれた。

 入ってきた人物を見た瞬間、世界の色が鮮やかになったように感じた。

京太郎「(世界はどこまでも灰色なのに、好きな人はびっくりするほど色づいている。どうしてなんだろう)」

友人「(ポエムはやめろ)」

京太郎「(世界の美しさを時世時節で楽しむことができるならいつでも)」

友人「(だからやめろって)」

咲「すみません……道に迷っちゃって」

京太郎(三年間通った校舎で迷子! くそっ……かわいい!)キュンキュン

友人「(顔赤い顔赤い)」

生徒A「よーし、これでみんなそろったね! じゃ、清澄高校へ出発します!」

 清澄高校を受験する13人がバスに乗り込んだ。

 京太郎と友人の座った席の後ろに咲が座っている。

友人「…………」

京太郎「…………」

友人「(いやチャンスだろ、話しかけろよ)」

京太郎「(そ、そうしたいのはやまやまなんだが、どんな話をすればいいんだ)」

友人「(そりゃまあ、好きなものの話とか)」

京太郎「(え? 『私の世界を構成する塵のような何か。』の話をすればいいのか?)」

京太郎「(あの作品、男一人登場するけど必要か不必要かの話をすればいいのか!?)」

京太郎「(ちなみに俺は最初圧倒的不必要派だったけど最近はありかなとも思えるようになってきたぜ!)」

友人「(百合トーク以外で)」

京太郎「(え……思いつかねー。他に好きなもんねーし)」

友人「(お前は百合の純粋培養か)」

京太郎「(……いや、他にもあったな。最近は麻雀とかも好きだ)」

友人「(おっ、いいじゃねーか。麻雀って花形競技だし)」

京太郎「(だけどなあ……咲が麻雀やってるところって見たことないんだよな)」

友人「(へえ?)」

京太郎「(しょうがない……やはりここは『野ばらの森の乙女たち』の話を……!)」

友人「(だからやめろって! 百合好きは増えてきたとはいってもまだ少数なんだぞ! 軽蔑される危険性もあるんだ!)」

京太郎「(……悪かった。大丈夫、この趣味は他人に知られたらいけないってことは重々承知してるよ)」

友人「(……そのわりには俺に百合好きばらしちゃってるじゃねーか)」

京太郎「(それは、お前がこんなことで他人を迫害したりするやつじゃないってわかってるからだ)」

友人「(……はあ……まったく、こりゃずいぶんと信頼されてるな)」

京太郎「(事実だからな)」

友人「(ったく……よし、俺が話すきっかけを作ってやるよ)」

京太郎「(え、マジで!? どうするんだ!?)」

友人「(勉強会作戦だ)」

京太郎「(……おおっ)」

友人「(咲ちゃんは国語が得意科目、お前は苦手科目だ。これはお前が咲ちゃんに勉強を教えてもらう理由として十分だろ)」

京太郎「(なるほど……二人きり秘密の勉強会か……! 俺自作の百合名場面名鑑にも似たようなシーンが載ってるぜ!)」

友人「(それはしまってろ)」

京太郎「(はい)」


友人「…………というわけなんだ。こいつに国語の基礎を叩き込んでやってくれないか?」

咲「そういうことなら……うん、私で良ければ、いいよ」

京太郎「いいのか、咲?」

咲「うん、代わりに数学、教えてね」

京太郎「おう、国語以外なら任せろ!」

咲「国語以外は全部得意なの?」

京太郎「おう! 一番得意なのはゆr……」

友人「<●> <●>」

咲「ゆ?」

京太郎「ゆ……ゆ……ゆ、有機化学だ」

咲「中学分野の有機化学ってそんな範囲広くない気がするんだけど……」

 そんなことを言われても他に「ゆ」で始まる科目を思いつかなかったんだからしょうがない。

京太郎「咲はどうして清澄を受けるんだ?」

 会話が途切れないようにするためにそう聞いた。

 慣れ親しんだ関係ならば沈黙していても居心地を悪くは感じないというが、まだ京太郎と咲の関係はその域に達していなかった。

咲「う~ん……近いからかな」

京太郎「ふむ、流川タイプか」

咲「歩いていける距離じゃないと道に迷っちゃうからね」

京太郎「へえ、北海道に行こうとして沖縄に行くタイプか」

咲「図書館の蔵書も多いし」

京太郎「確かに、百合姫どころか5号までしか発行してない百合姉妹まで置いてあるし」

咲「学力的にもちょうどよかったし」

京太郎「まあ、やっぱりそれが一番だよな」

咲「須賀くんは?」

京太郎「………………」

 苗字+君付けかー。まだ壁を感じるな……。

 そうだ、目標を立てよう。中学を卒業するまでにあだ名で読んでもらう! 小さすぎる目標な気もするが気にしない!

京太郎「俺が清澄を選んだのは……」

 ――咲がいるから。

 女慣れしているイケメンとか、鈍感系ハーレム主人公とか、他の世界線の俺とか、

 少女向け恋愛漫画に出てくるキャラならそんな台詞も吐けるかもしれないが、自分には言える気がしない。

 どうせ言おうとしても噛んで

「さ、さきがいるから」

「ささき? 佐々木って誰? 長野県警察本部長の佐々木真郎さんのこと? へえ、あの人清澄出身だったんだ」

「え、ちがっ、そうじゃなくて」

「違うの? あ、分かった! 佐々木彩夏ちゃんだね! 須賀くん、ももクロ好きなんだ!」

「私も『行くぜっ! 麻雀少女』よく聴くよー。でも残念ながら清澄にあーりんはいないよ!」

 みたいなことになるに決まっている。

京太郎「……そうだな……学食のメニューに惹かれて、だな」

咲「確かにメニュー多いよね」

京太郎「レディースランチが特に美味そうだった」

咲「それは須賀くん、食べられないんじゃ……」

 当たり障りのない会話を続けている内にバスは八久保小学校前に到着。

 バス停から五分ほどの場所にあった清澄高校に入る。

 高校の先生にどこからか見られている気がして、普段は閉めていない第一ボタンと首のフックまできちんと閉め、

 ダサいからという理由で一度も付けたことがない名札バッジをきちんと付けた。

 友人はそんな京太郎を見て似合わねえと笑っていたが、その友人も同じような格好をしており、思わず笑ってしまった。

友人「さっきの会話、まだまだだな」

京太郎「うそだろ。けっこう話、弾んでたぜ?」

友人「レディースランチのくだり。あそこは『だったら俺の代わりに注文してよ』ぐらい言えよ。そしたら一緒に飯食う約束も出来るじゃん」

京太郎「ぐっ、確かに」

友人「しかも図書館のくだりじゃ百合姫の話に百合姉妹の話までしやがって」

京太郎「いやいやそんな話してねーよ」

友人「してた」

京太郎「してた?」

友人「してた」

 ……やってもーた。おそらくテンパりすぎて無意識に口に出ちゃったのだろう。

京太郎「何だろう……こう、俺が百合好きなのを隠すうまい方法ってねーかな」

友人「別のものを好きなふうに装うとか、どうだ?」

京太郎「なるほど……Aさんのことが好きなのにBさんを好きなふりをして、Aさんへの恋心を隠すんだな」

友人「そうそう」

京太郎「俺自作の百合名場面名鑑にも似たようなシーンが載ってるぜ! でもそういうことしてたら事態がややこしいことに!」

友人「それ持ち歩くな」

京太郎「そうだな……じゃあここは男らしくおっぱい好きでも装うか」

友人「装うも何もおっぱい好きだろ、京ちゃん」

京太郎「はい、胸の大きさに差がある百合ップルが好きです! 須賀です!」

友人「それにおっぱい好きって……印象よくねーよ」

京太郎「隠語を使うなんてどうだ?」

友人「プリンとかか?」

京太郎「白くて……柔らかくて……丸くて……すべすべ…………おもち……そうだ、『おもち』なんてどうよ!」

友人「妊娠中におもちを食べるとおっぱいが張りすぎて、赤ちゃんが飲みづらくなるらしいし、母乳の質が悪くなるらしいぞ」

友人「おもちとおっぱいの相性は良くないのに隠語に使うのはありなのか?」

京太郎「アリだな」

友人「ならいいけど」

京太郎「今日から俺はおもち好きだ!」

友人「正解は?」

京太郎「越後製菓!」

 校門の前に辿り着く。

京太郎「じゃ、俺は寄るところがあるから」

友人「どこ行くんだ?」

京太郎「麻雀部を見学してくる」

 校内マップで部室棟がどこにあるかを確認する。どうやら二階の連絡通路を通って行くのが一番近いらしい。

 部室棟に入ると汗っぽいにおい、絵の具のにおい、埃っぽいにおいが充満しており、ほとばしる青春の香りだぜ、と感じた。

 扉に貼られたプレートを一枚一枚確認していく。

京太郎「あれ?」

 見落としたのだろうか。麻雀部の文字を確認することが出来なかった。

京太郎「もう一回見なおすか」

 今度は見落とさないように心の中で部の名前を暗唱しながらチェックする。

 麻婆部で一瞬ビクッとなったがやはり麻雀部はない。

京太郎「おっかしいなー、案内には麻雀部あるって書いてたはずなんだけど」

 見つからない以上、諦めるか誰かに聞くかの二択だ。

 だが知らない人に声をかけるのは得意ではない。

 店で買物するとき目当ての物がどこにあるか分からなくてもなかなか店員に聞けないタイプだった。

京太郎「いやいや、落ち着け俺。ちょっと聞くだけだ。怖がる必要はないだろ」

 ちょっと聞くだけとはいえ高校生に話しかける度量はない。そのため教師らしき人を探す。

 部室棟に教師は来ないようだったので校舎の方へ戻った。

 どこかに話しかけやすそうな先生はいないかとキョロキョロしていたそのとき、印刷室からスーツの女性が出てきた。

 小中学生なみの小柄な女性で本当に教師なのか疑ったが、話しかけやすそうではあったのでその人に決めた。

京太郎「あの、すみません」

女性「はい、先生です」

 先生だった。

京太郎「麻雀部ってどこにあるかわかりますか」

女性「麻雀部?」

 聞きなれない単語を聞き返すときのような声で、彼女は言った。

女性「うちに……麻雀部はないんじゃないかと先生は思いますけど」

京太郎「そうなんですか? ホームページの部活一覧には載ってたんですけど」

女性「ちょっと待って下さいね」

 そう言うと女性は印刷室の扉を開けた。

女性「ねぇイッチー! うちに麻雀部ってあったっけ?」

一太「どうしたんですかササヒナ先生、突然」

 そう言いながら部屋の奥から出てきたのはフレームのうすい眼鏡を掛けた男子高校生だった。

一太「んっ? 君、麻雀部を探してるのかい」

京太郎「はい、部室棟になくって……」

一太「ああ、なるほど。麻雀部はね、旧校舎の最上階……正確には屋根裏なんだけど……そこにあるんだ」

京太郎「よかった……麻雀部、ちゃんとあったんですね」

一太「まあいろいろわけありでね……。竹井久、っていう人が部長だから、麻雀部のことはそこで聞いてみるといいよ」

ササヒナ「さすが副会長! 詳しいね!」

一太「元部員ですから」

 この副会長と教師、かなり仲が良いらしい。会話のテンポが小気味良かった。

京太郎「ありがとうございました。いってきます」

一太「おっと、最後にちょっといいかい」

 旧校舎に向かおうとした京太郎を、彼は呼び止めた。

一太「こんなことを強制はできないんだけど……君が清澄に合格したら、麻雀部への入部を前向きに検討して欲しい」

京太郎「そんなに俺、麻雀強くないですけど」

一太「君は、やめないタイプじゃないか?」

京太郎「えっと……『何を』かによりますけど、根気だけなら、まあ」

一太「うちの麻雀部には君みたいなタイプが必要なんだと思う」

 どういうことだろう。

一太「ま、頭の隅でもいいから、今の言ったことを覚えておいてくれないか」

 京太郎はさっきまでのことを思い出しながら旧校舎へ向かっていた。

京太郎「ロリ教師か……。百合の妄想に使いたいけど、男の副会長と仲良くしていたのが百合の妄想の邪魔だな」

京太郎「いや、何のために神は人間に妄想力を与えたと思ってるんだ! 副会長を女の子に変換するんだ」

京太郎「ほらあっという間に百合ップル完成! 教師と生徒の百合妄想って最初、抵抗あったのになぁ……」

京太郎「主従百合にハマってからはイケる口になっちゃったなあ……。学生やってると身近だもんな、先生×生徒は」

京太郎「でも商業作品の長編で先生×生徒の話、まだ見たことないんだよなぁ……」

京太郎「たくさんあると思うんだけど俺の検索網には引っかからない……誰か百合の師匠がいればいいんだけど、ちくしょう」

 そうこうしているうちに旧校舎に到着。古そうな感じではあったが、建物の造りがどことなくおしゃれだ。

 木目を上手く活かした壁や柱は、しゃれたペンションのようだった。

京太郎「おっ、ここか」

 ついに麻雀部のプレートを見つける。

京太郎「すみませーん!」

 扉をノック。硬い木だったので手が少ししびれたがカンカンといういい音が響いた。

 ところが返事がない。

 しばらくしてさっきよりも強めに扉を叩いたがやはり返事はなかった。

京太郎「失礼します」

 おそるおそる扉を開こうとする。が、やけに重い。強く力を込めるとギギギギキィーッという甲高い摩擦音がした。

京太郎「立て付け悪っ……」

 旧校舎というからにはやはりあまり整備されていないのだろう。

京太郎「勝手に油さしちゃってもいいんだろうか……安いしイイよな?」

 カバンを探る。

京太郎「しまったKURE 5-56、持ってきてねー……あ、でもシリコンスプレーがあるじゃん」

京太郎「そうそう、椅子がギーギー鳴るから今日スプレーしたんだったっけ。よしよしこれでいいや」

 蝶番のところに吹きかけ、扉を開け閉めする。徐々に開閉に要する力が減り、滑りが良くなっていくようだった。

京太郎「ひどく満足である」

「あなた、なにしてるの?」

京太郎「うおっ!?」

 後ろから急に声をかけられ、京太郎は動転し声を上げた。

「あら、扉が軽くなってる。もしかしてあなたが?」

京太郎「あの、すみません……整備の血が騒いじゃって」

「いやいや、ありがとう。新入生が来るまでに何とかしなきゃとは思ってたんだけど、手間が省けたわ」

京太郎「もしかして竹井さんですか?」

久「あら? どこか出会ったことあるかしら」

京太郎「副会長……だったかな……に聞いたんです」

久「そう、あいつ……ね。そっか」

 遠くを見るような目で彼女は言った。

久「今は麻雀できないんだけど、どうする須賀君? 部室見てく?」

京太郎「お願いします……ってあれ、どうして俺の名前を」

久「名札」

 そう言って久は京太郎の胸ポケットを指差した。

京太郎「ああ、なるほど」

 普段は名札なんか付けないので忘れていた。名札を外し、ようやく部室に入る。

 周りを見渡す。ステンドグラスにシーリングファン、高い天井と年季は入っていたが豪華な部屋だった。

京太郎「この部屋、学校に見えませんね」

久「元校長室だから」

京太郎(校長から部屋を強奪したのかこの人……)

久「……新校舎が出来るときに校長室は移動したのよ」

京太郎「よかった、強奪してないんですね」

久「一応言っておくけど、私はそういうことするタイプじゃないからね」

 そうは見えないと思いながらも、京太郎は卓の前に座る。かなり旧式タイプの卓で使い込まれている様子であった。

久「ごめんなさいね、実はその卓、故障しちゃってて、修理しないといけないんだけど……」

久「実は今、新しい卓を買う為に部費を貯めてるのよ」

京太郎「だいぶ古いですもんね、これ」

久「創部当時から使い続けてるらしいわ」

京太郎「いつ買えるんですか」

久「あー……えーっと、もうすぐ、かしらね」

京太郎「……もしかしてこの卓、だいぶ使用してないんじゃないか」

久「んー……まあね、かれこれ三ヶ月ぐらい?」

京太郎「よかったらこの卓、修理しましょうか」

久「できるの!?」

京太郎「中学じゃ『長野の整備王』として名を馳せてます」

久「なんだか雑用が得意そうな名前ね」

京太郎「それは風評被害です」

 毎日持ち歩いている整備グッズを取り出し、卓を解体していく。

京太郎「ベルトは――あと三ヶ月ぐらいは持ちそうですね。うん、部品の老朽が故障の原因ではなさそうです」

京太郎「シリコンスプレーとかを使えば何とかなりそうです」

 シリコンスプレー万能説。ホームセンターに行けば500円以内で買えるので、ぜひ買うべきである。

 手慣れた手つきで調整を続ける京太郎。

京太郎「これでいいかな……牌を借りてもいいですか」

久「ちょっと待っててね……はい、これよ」

 ケースに収められた140ほどの牌。

 ――それは、どこにでもある普通の牌。表面についた細かい傷は、この牌が長年使われてきたものであることを物語っていた。

 ――ただそれだけの牌。見た目には奇妙なところはひとつもない。

 ――だが京太郎は、その牌に触れるのが恐ろしかった。

京太郎「……お借りします」

 それでも彼は触れた。

京太郎「ぃいっぅがっっ!?」

 頭から血液が抜き取られたような脱力感が襲い、そして景色が白く染まり――。

 目を開けると真っ暗な世界に立っていた。

京太郎(ここは……いったい)

 前後も左右も上下だってわからない空間を、ただひたすらに歩く。

京太郎(進んでるんだよな、これ? 同じ場所でもがいてるだけってことはないよな?)

 何か目印がほしい。目印がなければ行動の指針も立たない。

 必死で目を凝らして、なにか特別なものがないか探す。

 そこに、ちいさな光が見えた気がした。

 金色に輝く小さな光。

 それは少女だった。

京太郎(かわいい……)

 彼女を一目見て、彼はそう思った。

 少女のイメージを一言で表すと――咲に雰囲気が似ている少女だ。

京太郎「あの、あなたは……」

 声が震えそうになるのを根性で抑えて、金髪の少女に話しかけた。

 少女はゆっくりと顔を上げ、彼の顔を見て、鬼のような形相で言った。

少女「ああん!? 男がわたしにしゃべりかけんじゃねーよ。百合は神聖なもので 男は汚いの。わかる?  わかったらさっさと消えろ」

 おおう。

京太郎(……ええと……この人もしかして)

 想像は当たる。

少女「この世界に男はいらない」

 ――完全に百合厨だった。

京太郎「お前が……!」

少女「ん?」

京太郎「貴様らのせいでマナーのいい百合好きまで白い目で見られるんだぞ!!」

少女「なんだお前は」

京太郎「ただの百合好きだ!」

少女「男が百合好きィ? 何言ってんだお前? 男は不要なものだろ、つまりお前も不要物だろ。お前の存在が百合の邪魔だろ」

京太郎「一理あるぜ、お前の意見! 俺もそう思ってずっと苦しんできたからな! しかし今の俺はそんなものは乗り越えた!」

少女「乗り越えたんじゃないだろ、男不要の真理を悟って諦めたんだろ? 真理を覆しようがなくって考えるのをやめたんだろ」

京太郎「言いたいことを言いやがって……! 貴様とは決着を付けなくてはならないようだな……!」

少女「いいだろう……私が世界の真実というものを教えてやろう」

京太郎「俺の名は須賀京太郎……あるときは男子中学生、またあるときは『長野の整備王』……」

京太郎「しかしその正体は『百合男子連合雑用担当《エピ百合アンの須賀》だ!」

少女「わたしの名前は《麻雀 牌》。表の顔は牌世界の支配者! しかしその正体は――全麻雀少女百合化計画の主導者!」

京太郎「全麻雀少女百合化計画だと!?」

牌「くくくく、恐ろしいか?」

京太郎「いや、その計画いいっすね」

牌「えへへー/// でしょ?」

京太郎「その計画が達成されれば竹井久先輩も百合になるのか……イェスイェスイェス!」

京太郎「きっとあの人、中学のときはちょい不良で純粋な女の子を何人か落としてるタイプだぜ」

牌「わかるー絶対本人は無自覚で口説きまくってそう!」

京太郎「素晴らしい世界だな、百合世界! その世界で少女たちはプラトニックな愛を育んで……」

牌「おいコラちょっと待てプラトニック派かよお前はエロティックのない百合なんて紅生姜のない牛丼屋みたいなものだろ」

京太郎「べっ……紅生姜のない牛丼屋だと!? ほほう……言ってくれるじゃねーか。やっぱり俺達は戦う運命にあったようだな」

牌「来いよ京太郎! 貴様の百合の花びらを全部むしりとってやる!」


久「大丈夫!? 須賀君!?」

 そこで目が覚めた。

京太郎「……俺、この麻雀部に入ります」

久「え? そりゃ嬉しいけど……なにがその決意を引き出したの?」

京太郎「戦い相手がいるんです!」

 百合愛好者というのは数が少ない。迫害される立場にあるのだ。

 だからこそ少数の百合好きたちは手を取り合って協力していかないといけないと百合ーダーは言っていた。

 それを京太郎は納得していたはずだった。

京太郎(だけど目の前に現れた牌ちゃん! 俺は彼女とは相容れない……だからこそ強く想う。)

京太郎(これは本能だ。アイツにだけは絶対……負けたくない……!)

京太郎「俺は牌を超越するっ!!」

 ――こうして、牌と京太郎という二人の戦いが始まったのだった。

1・終