京太郎「はぁ……」

盛大なため息が漏れる。

授業の合間の小休憩時間。俺は自分の机に突っ伏してうな垂れていた。全身に纏わりつく倦怠感が泥のように重い。

2月14日。世間で言う所謂バレンタインデーという日だ。女の子が思いを寄せる男へその想いとともにチョコを送る日。

彼女持ちだろうと、独り身だろうと1月末から今日という日は若い連中は大なり小なり浮き足立つものだ。

彼女持ちの俺も、ご他聞にもれずその一人だが。

京太郎「……」

俺は教室内のある一点、正確には一人の人物に視線を送る。

咲「っ…………」

慌てて視線を逸らされた。朝からずっとこの調子である。

京太郎「はぁ……」

俺は、今日何度目かわからないため息を吐き出した。

部活を終えて岐路に着く。

肩に部のみんなから貰ったチョコが詰まった鞄が揺れている。

しかしもっともほしい重みが足りていないためか、心なしか軽く感じる。

今日一日、咲とは碌に会話をしていない。休み時間毎に避けられ、昼休みには更衣室にまで逃げ込まれた。

放課後は放課後で教員に用事を頼まれたり、溜まった雑務をこなしていてまったく時間を取ることができなかった。

こういう時に限って面倒ごとが重なる。嫌な偶然だ。俺が原因なのだろうか? っと考え付く時点で不運慣れしすぎている。

錆の浮き出した郵便受けの前を通り過ぎ、門扉を抜けて玄関の扉を開く。

京太郎「ただいまー……って、今日に限って誰もいないんだけどな」

虚しく反響した自分の声を背景音楽にしつつ後ろ手に扉を閉めようとして、微かに足音が聞こえてきた。

締め切らない扉の隙間から外を覗くと、息を切らせて走ってくる咲の姿が見えた。

京太郎「咲?」

俺の呼びかけに答える余裕もなく、咲は門扉を握り肩を激しく上下させている。

咲「あの、京ちゃ……これ……うわぁ!?」

無理にしゃべろうとする咲が、手に持っていた小箱を差し出してくる。っと同時に身体が前方に泳ぐ。

勢い余って身体を乗り出したため、門扉が内側に傾きバランスを崩したのだ。

京太郎「危ねぇ!」

前のめりになる咲を慌てて抱きとめる。女性特有の甘い芳香が鼻先をを掠める。

一日話さなかっただけで、久しく触れ合っていなかったような懐かしさを感じる。

京太郎「大丈夫か?」

咲「う、うん。京ちゃん。あの、これチョコ」

おずおずと差し出されたそれは、シンプルながら綺麗に梱包された小箱。俺が今日ずっと待ち望んでいたものだった。

内心で感情が渦を巻く。嬉しさとか、何を今更という怒りとがない交ぜになったような汚泥となり、

気付けば咲を玄関先に連れ込んでいた。

驚く咲を無視して玄関の扉に押さえつけ、自身の身体で挟み込む。

身を屈め強引に唇を奪う。硬直している咲を更に無視し、顔の角度を変えすかさず舌を差し入れる。

普段はもっと探り合うような口付けだが、今は強引にいく。

咥内で固まっている咲の舌に自分の舌を絡め、綺麗に並んだ歯や歯茎まで丹念に舐めあげる。

甘い唾液を啜りつつ何度も顔の角度を変える。重ねられた互いの唇の両端が僅かに綻び、

濡れた吃音と吐息、そして交じり合ったどちらのものかもわからない唾液が漏れ出る。

唾液が顎の輪郭に沿って流れ落ちるが気にせず続ける。

小さな動き。最初、俺にされるがままだった咲が、自分から舌を突き出し懸命に応えてくる。

陶然とした面持ちで頬を朱に染め、潤んだ瞳で見上げてくる。赤みがかった双眸には燃える紅玉のような熱を帯びていた。

嗜虐心と征服欲を愛おしさが塗り潰していく。肩に回された腕と密着した身体が熱い。

左腕を細い腰に回して抱き寄せ、右手で後ろ髪を掬うように撫でる。

呼吸の続く限りキスを続け、どちらともなく顔を離す。

互いの舌先の間を粘度の高い唾液が銀の橋となって伝い、張力限界を超えて重力に従い落ちていく。

荒い息を吐き出す。咲は激しく息をしていた。そういえば先ほど走って来たということを思い出した。

咲「もう! はぁ、京ちゃん……強引、過ぎ……」

視線と声で抗議してくる咲。「悪い」っと謝ろうと思った矢先、咲の膝が落ちる。

くずおれそうになる咲を、俺は慌てて抱きとめた。

場所を移してリビング。俺と咲は肩を並べて長椅子に身を沈めていた。

咲「まったく! 京ちゃんは強引なんだから」

京太郎「だから悪かったって。機嫌直せよ」

咲の前髪をかき上げ、白い額にキスを落とす。

咲「そんなのじゃ誤魔化されません」

京太郎「誤魔化されてくれるのが女の甲斐性じゃないか?」

咲「そんな甲斐性ありません」

俺の言葉は一刀両断にされた。

京太郎「咲だって悪いんだぞ。今日一日ずっと俺のこと避けやがって、俺は、ずっと楽しみにしてたのに」

咲「それは……だって」

言い淀んだ咲の視線が宙を彷徨う。

咲「恥ずかしかったんだもん」

可聴域ギリギリの声で発せられた答えがそれだった。

京太郎「はぁ?」

素っ頓狂な声が出た。

京太郎「いや、去年も一昨年も普通にくれてたじゃん」

咲「それは! だって、付き合いだして初めてのバレンタインだし……」

拗ねたように唇を尖らせる。咲はそのまま続ける。

咲「なんか、いざ好きって気持ちを伝える日って考えたら途端に恥ずかしくなってきちゃって」

スカートの裾を握りこみながら、消え入るような声でそう呟いた。

京太郎「……」

なんだろうか。この少女のこの初々しさは。

京太郎「俺、実は咲に嫌われたんじゃないかって、ちょっと不安だったんだ」

咲「そんなこと絶対にないよ!」

俺の内心の吐露に咲が声を張り上げる。

咲「そんなこと、私が京ちゃんを嫌いになるなんて絶対にないよ」

京太郎「そっか。俺も咲が好きだよ」

わかっていても不安を感じずにはいられない、人の心は不思議だ。同時にこみ上げてくる愛情が溢れ出して行くのがわかる。

京太郎「好きだ。愛してる。世界中の誰よりも」

咲「私も京ちゃんが好きだよ」

京太郎「咲」

咲「あの、でも、ちょっと待ってほしいというか」

俺は身を乗り出す。咲は長椅子の上を後退していくがすぐに端の肘掛にぶつかる。

京太郎「さっきの続き、しないか?」

咲「いや、あの、京ちゃんのご両親がいらっしゃるんじゃ」

京太郎「ああ、今日は2人とも留守だよ」

咲「そうだ! ご飯にしよう。私、一生懸命作るよ」

京太郎「魅力的な提案だけど、それは後でいいかな」

咲「チョコ食べない? 手作りで、一応上手にできたつもりなんだけど」

京太郎「そうだな。じゃあ咲と一緒にいただくとしようか」

言うが早いか、俺は咲にチョコの入った小箱を持たせそのまま咲の肩と膝裏に腕を差し込み一気に抱き上げる。

咲「わわっ!?」

落ちないように咲は慌てた様子で俺の首筋に腕を回してくる。

咲「あ、あの。京ちゃん!」

京太郎「うん?」

咲「優しく、してください」

照れたように呟く咲へ、俺は恭しく頷き返。

京太郎「もちろんです。お姫様」

咲を抱きかかえながらリビングを出て廊下を渡り、階段を登って自室へ入る。

後ろ手に握った自室の扉が乾いた音を立てて閉じられた。


カン!