―― 須賀京太郎という人は一般にしっかりしている人と見られがちだ。

    多分、その認識は間違いじゃないと思う。
    私の目から見ても、彼は家事全般や気遣いという面でほぼ完璧に近い。
    話の話題も広く、また多少の強引さも持っているが故に、私のようなタイプとも交友関係がある。
    決して恋愛対象になりやすいタイプではないけれど、友人に一人は欲しいタイプ。
    それが大まかな須賀京太郎 ―― …ううん、京ちゃんへの認識なんだろう。

    ―― でも、私だけは知っている。

    京ちゃんは決して、それだけじゃない。
    勿論、それも一面ではあるけれど、しかし、それだけで語れるほど薄い人じゃないんだ。
    その証拠に彼は交友関係こそ広いものの、決して一人一人と深く付き合っている訳じゃない。

    ―― 例外は私だけ。

    それは勿論、私が放っておけないという事もあるんだろう。
    『優しい京ちゃん』は私みたいに方向音痴で携帯も操作出来ない子を放ってはおけない。
    ついつい世話を焼いて、目を離すまいと側にいてくれる。
    けれど、それが決して優しさだけじゃないのに私はもう気づいていた。

    咲「…ね、京ちゃん」
    京太郎「ん?」

    夜の暗がりが少しずつ空へとしみだす頃、京ちゃんは私のベッドに腰を掛けていた。
    右手に漫画を持ちながら、彼の手はゆっくりと私の髪を撫でてくれる。
    一回一回と撫でる度に優しさが伝わってくるようなそれはとても心地良い。
    思わずそれだけで目が細まってしまいそうになるくらいに。

    咲「ふふ…何でもない。呼んでみただけ」
    京太郎「はは。なんだよそれ」

    私の言葉に京ちゃんは笑いながら、手を動かす。
    私のお願いを叶え続けようとするその手はもう一時間近く止まらないままだった。
    恐らく彼の腕や肩には疲労が溜まり始めているのだろう。
    しかし、それでも京ちゃんの手は止まらない。
    まるで何かに突き動かされるように私を撫で続けてくれる。

    咲「…京ちゃんって何でも叶えてくれるよね」
    京太郎「いや…魔法使いじゃないんだから何でもは無理だぞ」

    私の言葉に京ちゃんは冗談めかしてそう返す。
    『特に俺も金欠だから金の事は無理だぞ』と付け加えて笑う京ちゃんの笑みは晴れやかだ。
    でも、私は知っている。
    私がきっと涙を流してお願いすれば、彼は間違いなく自分の貯金だって切り崩してくれるだろう。
    勿論、そんな酷い真似はしないけれど…でも、しっかりと釘をさしておく必要はある。

    咲「…でも、私がおねーちゃんに会いたいからお金貸してって言ったら?」
    京太郎「そりゃ貸すだろ、お前なら返さないなんて事はないだろうし」

    思った通りの京ちゃんの返事に私はそっと頭を振った。
    瞬間、京ちゃんの膝の上でスリスリと擦れる感触が湧き上がり、私の頬が微かに朱に染まる。
    火照った熱が広がるのを感じながら、けれど、なんとも嫌な気分じゃない。
    それはきっと私が京ちゃんの事好きだからだろう。

    ―― だからこそ…私が京ちゃんの事をしっかり捕まえておかなければいけない。

    京ちゃんはとても良い人だ。
    けれど、その内面には『誰かに必要とされたい』という願望がある。
    それは一体、何時からやってくるのか私には分からない。
    知りたいけれど…京ちゃんはあまり私と出会う前の事を話してはくれないのだから。
    でも…そんな私にだって分かる事は…彼が私以上に危うい存在であるという事だけ。

    京太郎「つか、そろそろ休みだし、マジで東京に行ってきたらどうだ?お姉さんにも会いたいんだろ」
    咲「…じゃあ、そのお金はどうするの?」
    京太郎「行きと帰りの交通費くらい俺が出してやるよ」
    咲「…もう」

    思った通り、お金まで出そうとする京ちゃんの前で私はポツリと声を漏らした。
    確かに折角仲直り出来たお姉ちゃんには会いたいし、そろそろ三連休が待っている。
    しかし、だからと言って、友達からお金を借りるほど私ははしたない女じゃない。
    幾ら私が京ちゃんからポンコツ呼ばわりされているとはいえ、一般的な金銭感覚や友達感覚くらいは持ち合わせている。

    咲「…そうやって人に頼まれる度にお金を出してたら何時か借金まみれになっちゃうよ」
    京太郎「大丈夫だろ。俺の周りにはそんな奴いないって」

    ―― …そりゃ私がブロックしてるもん。

    京ちゃんが出来るだけ変な人に近づかないように、利用されたりしないように。
    その為に私はポンコツを演じる。
    何も出来ない少女を演じる。
    麻雀以外に何の取り柄もないどころかちょっぴりダメな文学少女を演じる。
    そうすれば彼は私に掛かりっきりになる。
    『優しい』彼は私に一番の注意を払っておかなければいけなくなる。

    ―― 最近は…そういう訳にもいかないけれど。

    そうやってブロックするのだって絶対じゃない。
    あまりベタベタとしすぎるのも不自然だし、周囲に違和感のないレベルのダメさでは彼を束縛しきれないのだから。
    お陰で私が少し目を離した隙に京ちゃんが部活に ―― それも麻雀部に入ってしまったのは痛恨の極みである。
    今ではそのお陰でお姉ちゃんとも仲直り出来たし、友達も出来たけれど…
  でも、当時は京ちゃんの優しさに漬け込んだであろう部長の事が苦手で仕方なかった。

    ―― もうちょっと…ダメになった方が良いのかなぁ…。

    京ちゃんは甘い甘い…猛毒のような人だ。
    必要とされたら必要とされた分だけ応えてくれる。
    そんな彼に際限なく甘えたら、それこそもうとまらない。
    私はもう京ちゃん抜きでは生きていけないようなダメ女になっちゃうんだろう。

    ―― …最近、それでも良いかなって思い始める辺り…ちょっとやばいよね…。

    そうやってダメになった私を京ちゃんは決して手放さないだろう。
    そこまで堕落した私は京ちゃんの歪んだ自尊心を満たすのに最適な相手なのだから。
    きっと仕方ないと笑いながら、その一生を私の為に捧げてくれるはずだ。
    そんな彼の姿にゾクリとした恍惚を得るくらいに…私もまた歪み始めている。
    最初は彼を救う為の演技でしかなかった『宮永咲』に意識そのものも引っ張られ始めているのだろう。

    咲「…うん、全部、京ちゃんが悪い」
    京太郎「何が!?」

    いきなりの私の言葉に京ちゃんが驚いた風に声をあげるけれど、それは事実だ。
    彼が他人に必要とされなければ自分の立ち位置を確認出来ないような性格でなければ、私はもっと素直な恋愛が出来ただろう。
    きっと今頃は普通のカップルとして手を繋いで、幸せな高校生活が送れていたはずだ。
    それが出来ないのは全部、京ちゃんがダメで…そしてソレ以上に私をダメにしちゃったからである。
    だから… ――

    咲「…責任…ちゃんと取ってよね」
    京太郎「責任って…何のだよ」
    咲「色々だよ。色々」

    そんなの女の子の方に言わせる方がどうかしてると思う。
    本当に…肝心なところで女心が分かってくれない人なんだから。
    私がこうやって京ちゃんにべったりな理由だってきっと気づいていないに違いない。

    京太郎「一応、俺はこうしてお前の願いを聞き届けてやってるんだけど…」
    咲「…だから、こうして京ちゃんから離れられなくなっちゃって、ご飯も作れないから困ってるの」

    冗談めかしたその言葉は、けれど、決してウソじゃない。
    そろそろご飯も作らなきゃいけない時間なのに下へと降りる気がまったくしないんだから。
    それどころかお腹へってでも良いから京ちゃんとこうしてのんびりしたいと思い始めている。
    勿論、昔は殆ど父子家庭同然って事もあって、家事だけはしっかりするようにしていた。

    京太郎「仕方ないな。じゃあ…一緒に作ってやるか」
    咲「ん…」

    そう言いながら京ちゃんの手がそっと私の身体を抱き上げる。
    それに微かに力を込めながら起き上がった私は小さく声をあげた。
    それが無理矢理、膝枕を止められた不満のものか京ちゃんに甘えているが故なのかは私には分からない。
    ただ、一つだけ確かな事は… ――

    咲「京ちゃん」
    京太郎「ん?」
    咲「…私、今、すっごい幸せだよ」
    京太郎「いきなり何言ってるんだお前は」

    そう。
    こんな何気ない時間が幸せ過ぎて、蕩けちゃうくらいに。
    そして蕩けた心の奥から…どんどんダメになって…イケナイ私が出てきちゃう。
    まるで人をおかしくする麻薬のような京ちゃんに…私はもうどっぷり浸かっちゃったんだろう。
    きっと…今ならまだ戻れるんだろうけれど…でも、戻る気にさえなれないくらいに私は京ちゃんの事好きになっちゃったんだ。



    ―― …だから…女の子を本気でダメにした責任取ってよね。
    ―― その分…私も一杯、京ちゃんの事愛してあげるから。
    ―― 私の事ももっともっと…一杯…ダメにして欲しい。
    ―― 京ちゃんと会えないだけで死んじゃうくらい…ダメにして欲しい…な♥



    カンッ