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    新人戦当日。
    私は暗い顔で清澄高校の控室にいた。
    女子日程は無事に終わり、これから男子日程が始まる。
    私は睡眠不足と昨日の「あれ」からか体調は最悪だった。
    そして須賀君の出番が近づくにつれて私の心の動揺は強くなっていった。

    「久、顔色が悪いぞ。大丈夫か?」

    こうやってまこに心配されるぐらい、私の体調の悪さは傍目に見てもよくわかるらしい。

    「大丈夫、ちょっと寝不足なだけ。昨日眠れなくてね……」

    「なんじゃ、緊張でもししたんか?」

    「そうみたい……。まぁ、教え子の晴れ舞台だからね」

    嘘はついていない。
    彼が新人戦でどの程度やれるのかというのは非常に心配していることだ。
    だが、それ以上に私が落ち着かないのは昨日の一件からだ。
    ちらりと須賀君に目をやる。

    「きょ、京太郎。あー腹とか減ってないか? ほら、タコスとかどうだじぇ?」

    「ゆーき、落ち着きましょう。まずは落ち着いて落ち着けば落ち着けるはずです」

    「いや、お前らが落ち着けよ」

    優希と和はひどく落ち着かない様子で須賀君に話しかけている。
    肝心の須賀君はそんな二人を呆れながら見ていた。

    「あーここまで来たらなるようにしかならん。とにかくおとなしくしとれ」

    まこにそう窘められ和と優希は渋々といった感じに椅子に座った。
    まぁ、気持ちはわかる。
    やるべきことはやった。教えるべきことはすべて教えた。
    後は、全て須賀君次第だ。
    聞きたいことは、ある。それでも今は須賀君の勝利を祈ろう。

    「あれ? 咲ちゃんは?」

    「そういえば、先ほどトイレに行ったきり帰ってきませんね」

    優希と和がきょろきょろと辺りを見回すが咲の姿が見当たらない。

    「まさか……」

    まこが呻くような声を出す。
    控え室に妙な空気が流れた。

    「いや……まさか、この会場が初めてってわけでもないですし」

    和がフォローを入れるが声に力が全くなかった。

    「咲ちゃん、携帯置いてっちゃってるじぇ……」

    そんな優希の言葉が引き金だった。
    須賀君が立ち上がる。

    「俺、ちょっと咲を探してきます。多分また迷子に……」

    「待って」

    私は、反射的に声を上げた。
    殆ど無意識に。

    「須賀君はすぐに試合なんだから、ここでおとなしくしていなさい。私が行くわ」

    もっともらしい理由だったけど、それ以上に須賀君の口から咲という言葉を聞きたくなかった。

    「そうですよ須賀君。じゃあ、私と優希と染谷先輩で探しに行きますか」

    「仕方ない咲ちゃんだじぇー」

    「むぅ、すまんが頼んだぞ。何かあったら連絡するけぇ」

    他の3人が私の言葉を支援してくれる。
    須賀君は渋々といった感じで座ってお願いします、と言って頭を下げた。

    やはり、私は悪運が強い。
    こういう時ばかり、どんなに低い確率でもその結果を掴み取る。

    「た、竹井せんぱいー。よかったー」

    私と優希と和でそれぞれ別のところを探しているというのに、私が一番に見つけてしまった。
    咲が、私のところに近寄ってくる。

    「お、おトイレ見つけたのはいいんですけど、帰り道が分からなくなっちゃって。け、携帯も置いていっちゃって」

    咲は涙目になりながらも私に合流できたことに安堵しているようだ。
    私はそんな咲を見ながら、私の心に芽生える嫉妬心を抑えることに必死だった。


    なんで
    なんで、こんな子に
    麻雀意外にろくに取り柄がないような、こんな子に

    私の方が
    私の方がずっと……


    そんなことを考えてはいけないと必死に抑え込む。
    一緒に歩んできた仲間。
    大切な仲間なのだ。
    こんなこと、考えてはいけないのだ。

    「……竹井先輩?」

    返事を返さない私に不思議がったのか、咲が再び声をかけてくる。
    私は思考を切り替え、無理矢理笑った。

    「咲の方向音痴も筋金入りね。戻る前に皆に連絡するからちょっと待ってね」

    私はメンバーにメールを送りながら咲をちらりと見る。
    いつものように、気が抜けるような柔らかな顔をしている。
    思わず、心の中で舌打ちをした。

    「さて、行きましょうか?」

    メールを送り終り、控え室に向けて歩き出す。
    咲も返事をして私の横に並んだ。
    横に並んで歩く咲を見る。

    こうなって初めて分かった。
    私にも女としてのプライドがあるようだ。

    私と比べると大分背が小さい。
    顔つきもまだまだ子供っぽい。
    体型だって中学生、下手すれば小学生でも通じるかもしれない。

    そんな子に、須賀君が……。
    そう考えるだけで言いようのない感情が爆発しそうになる。

    「ねぇ……」

    そんな精神状態だからだろうか。
    思わず、私は咲に問いかけた。

    「須賀君と付き合ってるの?」

    「えぇ!?」

    突然の話に咲は素っ頓狂な声を上げて驚いた。

    「この前、休みの日に2人で寄り添って歩いているのを見ちゃってね。ずいぶん仲よさそうだったわよ」

    そういうと咲は心当たりがあるのか顔を赤くした。
    そして、何かを考え込んでいるのか、迷っているのか、落ち着かない態度を取っている。

    「えっと」

    ――否定しろ

    「その」

    ――違うと言え

    「……」

    ――違うと、言ってほしい






    「はい……」






    「ふぅん、いつから?」

    意外と冷静にその言葉を発することができた。
    叫びさなかったこと、泣き出さなかったことに驚いた。
    いや、違う。
    その咲の嬉しそうに、恥ずかしそうにする肯定する姿を見て私の心は凍りついたのだ。

    「えっと、あの、長野予選の後ぐらいから。京ちゃんちょっと落ち込んでる時期があって」

    咲は何かを懐かしむように、目を細めた。

    「それで、一緒に居て励ましてるうちに……その、京ちゃんのこと、すごくすごく大切に思えて」

    咲は頬をますます染める。
    自分で言ってることが相当恥かしいようだ。

    「その、それで、私が京ちゃんに好きって言って……それから」

    あぁ、なるほど。
    須賀君が負けたあの時から。
    つまり私はそもそも出る幕がなかったということか。
    余りにも、滑稽すぎる。

    「ご、ごめんなさい黙っていて! その、新人戦が終わって落ち着いてから言おうって京ちゃんと……」

    「別に怒ってないわよ」

    笑って言った。
    笑った、つもりだった。
    ちゃんと笑えているかはわからなかった。

    「仲良くやっているみたいね。それで、どこまで行ってるのかしら?」

    私は心の中の嵐を抑えながら、いつもの人をからかう時の表情を顔に浮かべた。
    咲はそれを聞いて慌て始める。

    「ど、どこまでってっ!?」

    「そりゃあ、ねぇ。年頃の男と女じゃない? そういったことも……」

    「してません!」

    咲が私の言葉を慌てて遮る。

    「きょ、京ちゃん優しいから、べ、別に焦らなくていいって」

    「あら? そこまで聞いてないわよ?」

    くすり、と笑ってみせる。
    内心、咲に対する嘲りの感情もあったが。
    咲は恥ずかしさが限界まで来たのか顔を伏せた。
    私は、それを聞いて芽生えた感情に無理矢理蓋をして控え室までの道を急いだ。

    その後、控え室に戻って須賀君の新人戦を見守った。
    メンバー的にはとくに有名選手がそろっているわけではないので、須賀君にも勝ち目がないわけではなかった。
    だが、この日彼は運に恵まれなかった。
    とにかく手が入らない。
    仕掛けを入れるのも難しかったり、そもそも他家の手が早く太刀打ちができないなど、悲惨な状況だ。

    『ツモ。1,000-2,000』

    そして今、南3局。須賀君の最後の親が流された。
    モニタを見つめる全員の瞳は暗かった。

    「厳しいのぅ。この親で何とかアガりたかったが」

    まこが苦しげに呻く。
    私は和が描いているメモを横から覗き込んだ。

    『オーラス開始時点』
    上田  18,200
    松本  34,300
    京太郎 17,400
    須坂  30,100(親)

    「満ガンツモでは届かないというのが厳しいですね……直撃なら満ガンでもいいんですが」

    「でも2着でいいこの個人戦、オーラスどこまで前に出てきてくれるかわからないじぇ」

    「……何とか、逆転の手が入ってくれることを祈りましょう」

    私はそう言って手を組みあわせた。
    そう、いろいろ悩みはある。でも今は彼に、彼に勝利を。
    控え室の全員がモニタを見つめた。
    そして、配牌が配られた。

    『京太郎配牌』
    1125699m3s28p西西白 ドラ7s

    「混一色……か」

    その配牌を見てまこがポツリと呟いた。

    「やむなし、ですね。この手で跳満を作るにはそれぐらいしか見えません」

    「苦しい形だけど……頑張って、京ちゃん」

    だが、これまでの不幸の反動を受けるように須賀君の手は目覚ましい伸びを見せていった。

    【1順目】
    1125699m3s28p西西白 ツモ3m 打3s

    【3順目】
    11235699m28p西西白 ツモ西 打2p

    【6順目】
    11235699m8p西西西白 ツモ7m 打8p

    【7順目】
    112356799m西西西白 ツモ8m 打白

    そして、9順目。
    そのツモを見た控室は歓声に包まれた。

    【9順目】
    1123567899m西西西 ツモ9m

    「引きおった! よく引いたぞ京太郎!」

    望外の聴牌。ここまで順調に引けるとは予想外だった。
    だが、優希が嬉しさ半分といった表情で告げた。

    「でも、4萬がすべて切れてちゃったじぇ。跳満の種が……」

    「いえ、この引きならまだ未来があります」

    和が断言する。思わず、そちらに視線が集まる。

    「須賀君が九萬を暗刻にしてくれたので符が高くなりました。黙聴で構えて、1-4萬か5-8萬で直撃が取れれば……」

    「あっ、逆転! 混一色のみだけど、6,400点直撃なら100点差で逆転できるよ!」

    メモを見ながら咲が嬉しそうな声を上げていた。

    「えぇ、とは言え簡単に取れるものでもありませんから……リーチをかけてツモ裏狙いで跳満を狙うというのも選択肢の一つです」

    モニタの中の須賀君は必死に何かを考えているようだった。
    場況を必死に見て考え、決断を下そうとしている。
    そして、ゆっくりと1萬を切り出した。
    4578萬待ち。
    だが、4萬はさっき優希が言ったように枯れているし、5-8萬でなければ符が足りないため実質そこだけの待ちだ。

    直撃狙い。
    須賀君はそれを選択したようだ。

    「8萬切りで1-4萬受けなら、2萬3萬を引いてきた時にリーチしてツモればぴったり跳満! ってできそうだじぇ?」

    「悪くないとは思うんですが、1萬が1枚場に切られてて4萬は全枯れ。
   2萬も2枚場に切られてますからちょっと厳しいって判断したんでしょうね」

    「京太郎……こういう微妙な計算もできるようになったんじゃな」

    まだ勝負が終わったわけではないが、まこは嬉しそうにそういった。
    なぜか、自分か褒められた気がして私も嬉しかった。

    場は進む。
    次巡は何も起こらず、2着目も当たり牌を切らずに終わった。
    そして、その次の順目だった。

    【11順目】
    1235678999m西西西 ツモ東 ドラ7s

    場に1枚切れの東。
    私だったら思わずそれでリーチを打ってしまいそうなツモだった。
    まぁ、さすがにツモ切るだろう。
    控え室にいる人間は全員そう思っていただろう。
    だが、須賀君は長考に入った。

    「手を変える気ですか? まぁ、確かに6,400点確定でまだ直撃がとりやすいかもしれませんが……」

    「だが、残り2枚。少し、苦しいじゃろうな」

    いつかのインターハイでの出来事が思い出される。
    あの時の彼は私の真似をして悪い待ちを選び、それで敗北した。
    どこか似た状況に私の心は高鳴った。

    小さな期待があった。
    散々そんなことはしてはいけないといったけれども。
    なぜかどこか私はそれに期待をしていた。
    あんなことがあったからだろうか、私はそんなことを想っていた。



    そして、長い長考の後、須賀君はついに決断した。






    「リーチっ!」

    1235678999m西西西 ツモ東 打8m ドラ7s







    ――あぁ

    私は、その打牌を見た瞬間に言いようのない幸福感に包まれていた。
    それとは対照的にそれを見た和はいつかのように叫び声をあげた。

    「な、何でリーチを!? 直撃狙いなのに何故!?」

    「て、点数が足りてないからリーチしなくちゃとか思ったのか?」

    「いや、そうじゃったら聴牌の時点でリーチを打っとるじゃろう」

    優希もまこも慌てている。
    直撃狙いなのに、わざわざ聴牌を告げるリーチ宣言。
    わざわざ自分で悪い方へ打っている。

    だが、それが私。
    私の打ち方なのだ。
    彼の心の中に、まだ私があるのだ。
    この数か月彼と接し続けて、彼の中に私が残したものが、残っているのだ。

    まだ、私に憧れてくれているのだ。
    私があれほどやめろ言ったのに、それでも捨てきれずにこうして打ってくれたのだ。

    そして、咲に対する優越感があった。
    須賀君はあなたじゃない、私を選んだ。
    貴方の大好きな須賀君に、貴方の大好きな麻雀の中では、貴方はないのだ。
    麻雀という人生の中に占めるにはほんの少しの部分かもしれないけど。
    咲じゃない、私があるのだ。
    ざまぁみろと、言ってやりたかった。

    「須賀君、あれほどしないと言ったのに……。なぜわざわざ悪い待ちを」

    和が何か呻いているが、耳に入らない。


    ――本当に、いい子。

    ――私の大切な子。

    ――大好きよ。須賀君

    ――私の……






    「違うよ」







    はっきりとした咲の声が、控室に響いた。
    慌てていた3人も、幸福の中に落ちていた私もその声に反射的に顔を向ける。
    私は何か水が差されたかのように不機嫌を隠せずに咲を見た。

    「咲さん。違う、とは?」

    和が訪ねる。
    そうだ、何が違うというのだ。
    あれは、私の麻雀。
    私が残し、彼が選んでくれたもの。
    それの、何が違うというのだ。

    そんな私の思考を断ち切るように、咲は微笑み、愛しげにモニタを見て呟いた。

    「悪い待ちなんかじゃないよ」

    咲はすっと、軽くモニタを撫でた。
    その言い方が、ひどく腹が立った。
    私の残したものなのだ。
    咲にそのように言われる筋合いは……



    「悪い待ちじゃなくて……」






    「カンできる待ちを、選んだんだよ」






    それは、いつか私が言った言葉。
    冷や水をかけられたように私の心が冷たくなっていく。

    違う。
    そんなはずが、ない。
    彼は私の打ち方を、私を選んでくれたのだ。
    そこに、咲の姿があるわけがない。
    あっては、いけない。
    そんなことが、あるはずがない。

    歯がガチガチと鳴る。
    動揺が隠せない。
    それに対して咲は落ち着き払って、慈愛に満ちた目でモニタを見つめていた。
    倒れこみそうになりながらも、私もモニタを見つめた。
    1発目は空振りで、今からその次の牌をツモるところだった。

    酷く、悪い予感があった。
    私の足元から全て崩れていくような。
    全て終わってしまうような。
    そんな予感があった。
    モニタの中の須賀君が、ツモを手に取る。

    ――やめて。

    ――引かないで。

    ――そんな、そんなこと、あるわけがない。

    ――だから、引かないで。







    「カンっ!」

    123567999m東西西西 ツモ9m ドラ7s







    「嘘……」

    和が口をぽかんと開けていた。
    優希もまこも呆然としていた。
    咲は、それを当たり前かのように微笑みながら見守っていた。
    須賀君は震えながらも新ドラをめくった。乗っていない。
    そして、須賀君は嶺上牌に手を伸ばしていく。

    頭がまた痛くなってくる。
    体が震える。
    思わず吐きそうになる。
    逃げ出したくなる。


    ――ありえない。

    ――なぜ、なぜ?

    ――私を選んでくれたんじゃ、ない、の?

    ――お願い

    ――私が残したもの、私が残そうとしたもの

    ――そこまで、そこまでは咲に渡したくない

    ――そこだけは、私のものなの

    ――だから、お願い

    ――お願いだから



    ――引かないで、須賀君!






    その時、私は確かに須賀君の『敗北』を願った。





    「ツモ。立直、ツモ、混一色。……それと、嶺上開花で3,000-6,000!」

    123567m東西西西 カン9999 ツモ東






    『終局』
    上田  15,200
    松本  31,300
    京太郎 29,400
    須坂  24,100



    控え室が歓声に包まれる。
    咲が涙を流しながら飛び跳ねている。
    優希が近くにいたまこに飛びついて喜んでいる。
    まこがそれを受け止めて同じように喜んでいる。
    和が何か言いたげだけどそれでも、嬉しそうに笑っている。

    そんな4人を私は遠い世界のものを見るように眺めていた。


    須賀君は、咲を選んだ。
    咲は、私が残そうとしたそれまで奪い去っていった。


    不条理な理屈だとは思う。
    自分でも混乱していると、どこか冷静な自分もいた。


    それでも、その感情は止められなかった。



    「嫉妬」という、暗い感情を。

    許せない

    全て、咲に持ってかれてしまう

    そんなのは嫌だ

    あんな、あんな子に

    あんな子にすべて持って行かれてしまうなんて

    そんなのは絶対に嫌だ


    ――してません!

    ――きょ、京ちゃん優しいから、べ、別に焦らなくていいって


    ふと、先ほどの咲の言葉を思い出した。

    あぁ、まだ

    まだ、間に合うかもしれない

    私の欲しいもの

    まだ手に入るかもしれない

    そう、あの子はもともと

    もともと私の「おもちゃ」だったのだ

    咲のじゃない

    私のだ

    私のものなのだ


    だから



    「渡さない」

    ぼそりと言った、私の呟きは控室の喧騒にかき消され、誰の耳にも入ることはなかった。




須賀京太郎は、対局室から全力で控室に戻る道を走っていった。
皆に今すぐにでも伝えたかった。
特に、受験や進路のことで多忙を極めるのに自分のために時間を使い丁寧に指導してくれた久に、一番に報告したかった。
貴方の弟子は何とか勝てたと報告したかった。

「はぁ、はぁ……」

息が切れるが、それすらも幸せだった。
控え室前にたどり着き、扉を勢いよく開けた。

「勝ちました! やりました!」

そう勢いよく叫ぶ。
そんな彼を麻雀部のメンバーが取り囲んだ。

「京ちゃん! すごいよ!」

「やってくれたじぇ京太郎!」

「まったく、また非効率なことを……。まぁ、裏ドラは乗ってなかったですし、あのアガリじゃなければ跳満は届かなかったですし、その、えっと」

「全く、和は素直じゃないのう」

和やかな空間。
喜びを分かち合えることに京太郎はさらなる幸福感を味わっていた。
そして、視界の端に久の姿を捉えた。

「竹井先輩! 勝ちました!」

その声を聴いて、うつむいていた久はゆっくりと顔を上げた。
無表情だった。
その姿に京太郎はどきりとする。
だが、そんな京太郎を気にせず、久は口を開いた。

「おめでとう、須賀君」


にぃ、と今まで見たことのないような笑みを見て、京太郎は何か、ぞくりとする何かを感じた。
だが、その笑みも気が付けばいつもの悪戯を思いついた子供の笑みに変わっており、再度確かめることはできなかった。

    「あーあ、残念だったじぇー」

    新人戦を終え私たち清澄高校麻雀部一同は帰途についていた。
    歩きながら、全国進出を決めたはずの優希がそんな声を漏らす。

    「あぁ。ほんの1枚ツモがずれてたら俺が700-1,300アガって逆転だったんだけど」

    あの後、須賀君は2回戦に進出し、そこではそこそこ手に恵まれ、危なげなく3回戦に駒を進めた。
    3回戦では軽い手をアガった後に1人が飛んである種棚ボタな2着通過。
    だが、次の4回戦ではオーラスで2着まで2,000点差状況まで漕ぎ着けたのだが、2着目とのめくり合いに競り負け、そこで敗退が決まった。

    「もうちょっとで決勝卓だったのにね。そうすれば京ちゃんも全国にいけたかもしれないのに……」

    咲は須賀君以上に残念そうな顔をしている。
    それを見た須賀君は苦笑しながら咲の頭を軽くぽん、と叩いた。

    「もちろん全国には行きたかったけどな。でも、やれるだけのことはやった。悔いはないさ」

    「えぇ。高校で初めて麻雀を覚えてここまで勝ちあがれたんです。立派だと思います」

    「総合18位かー。確かに中々のもんだじぇ。あの人数の中ではかなり上のほうだし」

    普段厳しい和やよくからかってくる優希の言葉に須賀君は照れたようにそっぽを向いた。
    そして何かをごまかすように少し言葉に詰まりながら喋りだす。

    「ま、まぁ、せっかくだったら、11位ぐらいにはなりたかったな」

    「なんでだじぇ?」

    「ほら、今日11月11日だろ? 11位だったらなんか得した感じじゃん?」

    「なにそれ」

    少し暗い顔をしていた咲だったが、須賀君の言葉にようやく笑みを見せた。
    それを見て何かを安心したかのように須賀君は笑った後、ふと真剣な顔を見せた。

    「まぁ、皆に比べれば吹けば飛ぶような実績だけどさ。それでも勝てたことが、結構嬉しいんだ」

    「うむ。この調子でこれからもっと力をつけていけば、もっといい成績を残せるじゃろう。全国だって、見えてくるかも知れん」

    「全国……」

    須賀君は何か酷く尊いものを見たかのような口振りでそう呟いた。

    「頑張ってね、須賀君」

    私はそんな姿の須賀君を見ていたら気がついたら口を開いていた。

    「来年になれば、男子部員だって増えてくるかもしれない。そしたら、男子も団体戦に出られるわ」

    「そうなると京太郎は男子団体戦の大将じゃな」

    私の発言にまこがニヤニヤと笑いながら続いた。

    「ちょ、やめてくださいよ」

    「何を照れておるんじゃ。男子ではおんしが最上級生になるんじゃぞ? あながちありえない話でもあるまい」

    「そうよ、須賀君。それに」

    その光景を想像すると、私の心は高鳴った。

    「私も見てみたいわ。須賀君が男子を率いて団体戦に挑むところ」

    そうなったら応援に行くわよ、と付け足すと須賀君は何か真剣な表情をして、ポツリと呟いた。

    「……団体戦かぁ」

    須賀君がどこか遠い目をしている。
    その気持ちは私にも痛いほど分かった。
    私だってずっと同じ思いだったからだ。

    「大将じゃなくてもいいから、出てみたいですね」

    「そうだね。来年は、男子も女子も一緒に団体戦、出たいね」

    そう話しながら、当たり前のように須賀君の隣を歩く咲に軽く苛立つ。
    まぁ、今はいい。
    今は。

    だがその場所を私のものにしてみせる。

    そんなことを考えていると秋の冷たい風が強く吹いた。
    優希が体をすくませながらコートのポケットに手を入れた。

    「うー、寒いじぇ……」

    「もう11月ですからね。最近朝も寒くて寒くて」

    「あー、わかるわかる。布団から出るの辛いよな」

    「京ちゃんのそれはいつもことでしょ」

    楽しそうに話している1年生を見ていたまこが何かを思いついたように口を開いた。

    「そうじゃな。暖まりがてら、茶でも飲んでいくか?」

    まこが指差す先には喫茶店があった。
    時間的にはまだ夕方だし、お茶を飲む時間ぐらいはあるだろう。
    1年生全員は乗り気なようでまこの言葉に賛成していた。

    「ごめんなさい、私はちょっと先に帰らなくちゃいけないから。皆で行ってきて」

    だが、私はその誘いを断った。
    いろいろ考えたいことも多いし、早く一人になりたかった。

    「む、そうか。残念じゃな」

    「えぇ。それじゃあ、私は先に失礼するわね」

    そう言って一同に手を振る。
    それぞれ残念そうに私を見送ってくれる。
    そして私は去り際に須賀君のほうをチラリと見た。
    須賀君も何か言いたげに名残惜しそうに私を見ている。
    本当に、かわいい子だ。

    「それじゃあ、また、ね」

    私はそう言ってその場を立ち去った。
    心の暗い感情を、押し隠したまま。

    私はその日の夜、私はベットに横になっていた。
    そして、これからどうするかと言うことに思考を巡らせる。

    須賀君を、咲から引き離す。
    そうするにはどうすればいいか?

    話を聞く限り、いわゆる「そういうこと」はまだしていないらしい。
    ちょっと意外。
    あのエッチな須賀君が手を出していないとは。

    確かに咲は奥手だろうが男の子と言うのは「そういうこと」をしたいものではないのか?
    私とてそこまで色恋沙汰の経験があるわけではないが、そう言ったものだと聞く。
    咲に対して見栄を張っているのか、はたまた男の意地と言うやつなのか。

    ともかく2人はまだいわゆる「清いお付き合い」と言う奴なのだろう。
    2人の間に決定的な何かは、きっとまだ無い筈だ。
    その上で考えられる手段。

    「やれる、かしらね。私に」

    その手段を考えたとき、思わず口に出た。
    ふらりと立ち上がり、クローゼットの扉を開いた。
    扉の内側には大きめの鏡が付いており、私の体を映していた。

    鏡の中の自分と目が会う。
    疲れきった顔だった。
    ふと、咲の朗らかな笑顔が思い出された。
    それと同時に黒い感情が、私の心を支配していく。
    無意識に、私は着ていたシャツのボタンに手をかけた。

    「負けて」

    呟きながらボタンをはずし、シャツを脱いだ。
    それと同じように、履いていたスカートにも手をかける。

    「負けてない」

    ぱさりと音を立てて床にスカートが落ちた。

    鏡に下着姿の自分が映された。
    その姿をじっと見つめる。
    こうやって自分の姿を見つめ続けた経験など殆どなかった。
    ましてや下着姿だ。
    どこか、滑稽な感じもした。
    それでも、私はその姿を見て、自分に暗示をかけるかのように呟いた。

    「私は、負けてない」

    和と比べてしまうと霞むだろうけど、胸はそこそこに膨らんでいる。
    腰だってくびれている。
    お尻もまぁ、いい形をしていると思う。

    そんなことを考えて若干優越感を抱いた。
    そしてすぐに、自分の惨めさに涙が出そうだった。
    でも、仕方ないのだ。
    咲になくて、私にあるものはもう、これしかない。

    その現実に心が痛くなる。
    この数ヶ月、私が彼に残したと思っていたものは、結局咲には勝てなった。
    須賀君は、あの状況で咲を選んだ。
    そして勝った。
    私の打ち方をしたときは勝てなかったのに。

    その現実が、咲と私の差を見せ付けられているようで。
    私の滑稽さを、惨めさを突きつけられているようで。

    それらが

    「咲には、渡さない」

    私に暗い決意をさせた。

    ――――――――――――――――――――


    それと同じころ、須賀京太郎は自室で牌譜を眺めていた。

    「本当に引けたんだな、俺」

    その牌譜は新人戦1回戦の牌譜だった。
    和の綺麗な字で書かれたそれは京太郎がオーラスで跳満をツモり逆転2位になったことを表していた。

    「……俺、勝てたんだ」

    大会が終わって時間が経った今でも、京太郎は喜びに包まれていた。
    この数ヶ月ひたすら麻雀に打ち込み、ひたすらに努力を重ねてきた。
    無論、あの新人戦に参加した殆どの人間が京太郎と同じように努力してきただろう。
    京太郎より長く麻雀に打ち込んできた人間もいただろう。
    そんな中でも、京太郎は小さいとは言え勝利を掴むことができた。

    京太郎にはコンプレックスがあった。
    自分のやっていることなど無駄なのではないか?
    自分は皆と同じように勝つことが出来る人間なのだろうか?
    いつか、麻雀部の皆から弱さを指差され、嘲笑われてしまうのではないか?
    そんな不安を抱えていた。

    でも、勝つことは出来た。
    本当に小さいものではあったが、勝つことが出来た。
    その事実が嬉しくてたまらなかった。
    そして、心の中で決意を固めた。

    (うっし、また来週から頑張るか)

    (大会後だから来週の練習日少なめだけど、自主練だ自主練)

    (んで、これからも必死に練習して、来年のインターハイは全国を目指して……)

    そこまで考えたとき、ふと蘇った言葉があった。

    ――それでも申し訳ないと思うんだったら、新人戦で勝ってちょうだい――

    ――そうすれば、私も報われるわ――


    「そっか、竹井先輩……」

    京太郎はインターハイ後、新人戦までの教育は久が受け持つとまこから言われていた。
    事実、夏からこの新人戦までマンツーマンといっていいほど、ひたすらに指導を受けてきた。
    だが、それは新人戦が終わった今、もう終わりと言うことを理解した。

    「馬鹿。これから忙しくなるんだから、無茶言うな」

    久は将来に向けて大事な時期でありこれ以上時間を割かせるわけにはいかない。
    そう考え心によぎった気持ちを振り払い、頭を振った。

    (でも……ちゃんとお礼ぐらいは、言いたいなぁ)

    京太郎は大会後、ドタバタしており、久とあまり話ができていなかった。
    帰り道でも久は先に帰ってしまい話すチャンスがなかった。

    「どうすっかなぁ」

    そう、呟いたときだった。
    机に置かれた京太郎の携帯が震え始め、ガタガタと音を立てた。
    京太郎は携帯を手に取り、液晶画面に目にやった。

    「竹井先輩?」

    そこには『部長』と表示されていた。
    毎回毎回直そうと思うのだが忘れてしまうその登録名を見て首を傾げつつ、電話を取った。

    『須賀君? 遅くにごめんなさいね』

    「いえ、大丈夫っすよ。まだ起きてますし」

    『ありがとう。とりあえず、今日はお疲れ様』

    「いえ、こちらこそ応援に来てくれてありがとうございます」

    『いいのよ、後輩の晴れ舞台なんだからね』

    そこで久は電話の向こうで一呼吸を置き、言った

    『本当に、よく頑張ったわね。立派だったわ』

    「……あ、ありがとうございます」

    久のその言葉、電話越しでも伝わってくるその優しさに満ちた言葉に京太郎は心を弾ませた。
    これまでの礼を言うつもりだったのだが、それ以上言葉が出なかった。

    『で、私は残念ながら受験に集中しなくちゃいけないから、これからはあまり部に顔を出せなくなるわ』

    「はい……」

    京太郎自身わかっていたことだが、本人の口からそう言われるとやはり心に来るものがあった。

    『あら? 寂しい?』

    からかうような口振り。
    京太郎は電話の向こうで久がいつもの笑みを浮かべているのを思い浮かべた。
    いつものように、軽く返そうとした。
    だが、それができなかった。
    これまでのことが蘇り、思わずポツリと本音が出た。

    「……寂しいです」

    『えっ?』

    「竹井先輩にはいろいろ教えてもらいました。練習は厳しかったですけど、それでも」

    京太郎はこの数か月のことを思い出していた。
    毎日毎日麻雀ばかりやっていてろくに遊んでいなかった。
    久に振り回されることもしょっちゅうだった。
    からかわれることもしょっちゅうだった。

    それでも、とても充実した数か月だった。
    尊敬する先輩の元、日ごとに自分が強くなるのを感じられるのが楽しかった。
    久にたまに褒められるのが嬉しかった。
    これほど幸せな時間というものは、そうそうあるものではなかった。
    だから、京太郎は素直にこう思った。

    「この数ヶ月すごく楽しかったです。だから、それがなくなっちゃうのは、やっぱり寂しいです」


    ――――――――――――――――――――

    『先輩?』

    電話の向こうで返事を返さない私を心配した須賀君が声をかけてくる。
    でも、私は言葉が出なかった。

    どうして、どうしてこの子はこうなのだ。
    そんなことを言われると期待をしてしまう。
    本当は私のことが好きなのではないかと期待をしてしまう。
    そこにあるのは私に対する敬意だけだというのに、なぜそんなに夢を見させようとするのだろう。

    諦められない。
    この子を諦められない。

    須賀君は酷い子だ。
    でも、そんな子だから私は好きになったのだろう。
    だから、渡したくない。
    咲には渡したくない。

    「なんでもないわ。ちょっとびっくりしちゃっただけ。須賀君がそんな可愛いことを言うなんて」

    軽く、笑ってみせる。
    電話の向こうで照れているのかちょっとうめき声が聞こえてきた。

    「それでなんだけど、最後にひとつだけお願いがあるの」

    『お願い、ですか?』

    心臓が高鳴り始める。もう引き返せない。
    だが、それでも、進むしかない。
    自分が欲しいものを手に入れるために。

    「えぇ、大したことじゃないんだけどね。須賀君の教育のために私、本やら牌譜やらいろいろ持ち込んだでしょ?」

    『あぁ、はい。そうですね』

    「それで、部室に置きっぱなしになっている私物を後片付けも兼ねて回収しに行こうと思って。悪いんだけど、手伝ってくれない?」

    嘘はついて居ないが、これは当然彼を呼び出す口実だ。
    なるべく不自然でないものを考えた。

    『いいですよ、それぐらいでしたら。手伝わせてください。』

    乗ってきた。
    彼の性格上、断られることはまずないだろうと踏んでいたが、安心した。

    「ありがとう。早速なんだけど明日、月曜日って大丈夫? 来週は活動日って水曜日だけらしいし、そこを避けて行きたいのよ」

    『月曜日ですか? はい、だいじょ……』

    そこまで言って須賀君の言葉が止まった。
    その時まるで悪戯が見つかりかけている子供のように、心臓が跳ねるのを感じた。

    『……あー』

    なにやら間抜けな声が聞こえる。
    何を悩んでいるのだろう?

    『すみません、月曜日には用事がありました。火曜日じゃ駄目ですか?』

    ほっと胸をなでおろす。
    それと同時に小さな疑念が沸いた。

    「月曜日はバイト?」

    『いや、その、ちょっと家の用事で早く帰らなくちゃいけなくて』

    言葉を濁したその言い方。明らかに何かを隠している。
    咲とデートだろうか?
    思わず拳を握った。本当のことを問い詰めたくなる。

    落ち着け。仮にデートだとしてもあの2人だ。
    昨日の今日でどうこうなるものじゃない。
    だから、落ち着こう。

    「わかったわ。じゃあ、火曜日の放課後に」

    『はい。その日は皆用事で居ないはずなんで丁度いいですね。全部済ませちゃいましょう』

    「そう、ね」

    確かに、丁度いい。
    この後まこに電話してその日は他のメンバーを部室に近寄らせないように頼むつもりだったのだ。
    大方まこには私の気持ちなんて悟られている。
    彼と2人で話がしたいと頼めばきっと協力してくれただろう。
    まぁ、ここまでのことを考えているとは想像してないだろうけど。

    だが、その必要はなくなった。
    本当に、丁度いい。

    『うぃっす。じゃあ、火曜日に』

    「えぇ、よろしくね。ちゃんと手伝ってくれたご褒美あげるから」

    『マジですか!? なんだろ、楽しみだー』

    口元に笑みが浮かぶ。
    そう、私も楽しみだ。

    「ふふ、それじゃあ、おやすみなさい」

    『はい、おやすみなさい』

    電話を切り、大きく息を吐いた。

    もう賽は投げられた。
    後は私は私の全てを使ってでも、彼を振り向かせて見せる。
    不安はある。
    拒絶されないか。
    軽蔑されないか。
    体に触れられることに対する僅かな怯えもある。
    惨めさもある。

    だが、不思議な胸の高鳴りもあった。
    私が彼の体に触れること。
    彼が私の体に触れること。
    そのことを想像すると、大きく心臓が鼓動する。
    その感情が、心地よかった。

    あぁ、やっぱりそうなんだ。


    醜い嫉妬もある。
    酷く歪んでいるかもしれない。
    あまりにも愚かかもしれない。


    それでも、彼のことを想うと胸が高鳴って、とても幸せなのだ。


    だから、間違いなく――





    私は彼に恋をしているんだ。


    それから火曜日までの時間は熱に浮かされたようだった。
    学校にも行っているし、議会室にも顔を出したはずなのだが、ほとんど記憶がない。
    副会長から何か心配された気もするが、おぼろげだ。

    気が付けば、火曜日になっていた。。
    帰りのSHRの時間になると、こんな日に限ってダラダラと話す担任を酷くじれったく感じた。
    ようやく話が終わり、挨拶が済んで放課後となった。

    やってきたのだ。彼との時間が。

    胸が高鳴る。
    まるで初めてのデートに行く気分だった。
    これから私がしようとしていることはそんな綺麗な物ではないのだけれど。
    それでも、この胸の高鳴りは本物だ。

    あぁ、楽しみだ。
    まずは何を話そう。
    まずは何をしてみよう。
    須賀君の喜ぶことなら何でもしてあげよう。
    須賀君の望むことなら何でもしてあげよう。
    きっと、そうすれば……。

    「ふふっ」

    思わず笑みが漏れた。
    カバンを片手に立ち上がり旧校舎に向けて歩き出す。
    思わずスキップの1つでもしたくなる気分だった。
    軽い足取りのまま、歩みを進めた。
385 : ◆CwzTH05pAY [saga]:2013/03/24(日) 04:16:33.55 ID:AOdJqAWXo
    旧校舎に近づくと、見知った姿があった。

    「あっ……」

    旧校舎前に須賀君がいた。
    携帯を触りながら入り口前に立っている。
    私はわずかな緊張感を胸に軽く息を吸った」

    「須賀くーん」

    手を振ってみる。
    その声に気づいた須賀君は顔を上げながらわずかに携帯を操作した後にこちらに手を振り返してくる。
    それを見て慌てて駆け寄った。

    「どうしたの? 先に行ってればよかったじゃない?」

    「いや、先輩もうすぐ来るかなぁ、って思って待ってたんですよ。一緒に行こうと思って」

    可愛い子だ。
    まこも言っていたように本当に犬みたい。

    「ふふ、ありがとう。じゃあ、行きましょっか?」

    「はい」

    あまり人気のない旧校舎の中を2人並んで歩く。
    たったそれだけなのに胸の中が温かくなってくる。
    恋とは偉大だ。
    その熱に浮かされたまま須賀君に声ををかけてみる。

    「手伝ってもらっちゃってごめんね? 部室に元々あったものとごちゃごちゃになってるから整理が大変そうでね」

    「あー、なるほど。確かにそれは仕訳がめんどくさそうですね」

    そういうと須賀君は何か楽しそうににっこりと笑った。

    「でも手伝うぐらいは全然かまいませんよ。それに、ご褒美も貰えるみたいですし」

    「あら? しっかり覚えているのね?」

    「もちろん! で、なんですかご褒美って?」

    「ふふ、いいものよ。楽しみにしてて」

    私はそう言って笑った。
    そう、私にあげられる最後のものだ。

    だから、愛してほしい。

    「部長?」

    須賀君に声をかけられて我に返る。
    気が付けばもう部室の前まで歩いていたようだ。
    須賀君が部室の扉を半分開けた状態できょとんとしていた。

    「あ、大丈夫よ。行きましょ」

    「はい」

    そう言って須賀君は先に部室に入った。
    まずは、後ろ手に鍵を閉めないとね。

    熱に浮かされたような頭のまま、私はそう考えながら須賀君に続いた。











    「先輩、お誕生日おめでとうございます!」











    部室に入った途端そんな声が聞こえた。
    それと同時にパン、と何かがはじけるような音が聞こえる。
    そこには須賀君だけじゃない。
    まこも、咲も、優希も、和も。麻雀部の全員がいた。
    須賀君を除いた全員、手にはクラッカーを持っている。

    「……えっ?」

    状況が、理解できない。
    何が、起こっているんだろう?
    何故みんないるのだろう?
    なに?
    なんなの?

    「どうした久、驚きすぎて言葉もでんか?」

    まこが笑いながら話しかけてくる。
    思わずきょとんとした顔を向けてしまった。
    私の顔を見たまこはどこか訝しげな顔をした。

    「……まさかとは思うが、自分の誕生日忘れとったんか?」

    「あっ……」

    11月13日。
    確かに私の誕生日だ。
    この数日あまりにもいろいろ考えていたせいだろうか?
    なぜかその意識がすっぽりと抜けていた。

    「えっ? 竹井先輩気づいてなかったんですか? 絶対バレてると思ったんだけどなぁ」

    須賀君がちょっと驚いた顔をしている。
    つまり、あの時1日引き伸ばしたのは……。

    「後から聞いてあきれたじぇ。そんな露骨に自分の誕生日に会う日を合わせればバレるのが当たり前だじぇ」

    「い、いや、俺だって電話中にギリギリで思い出して咄嗟だったんだからしょうがないだろ」

    「てっきり気づいて乗ってくれてるものだと思ったじょ。意外意外」

    優希が須賀君のことをからかいながらつついている。
    和がくすくすと笑いながら私に近づいてきた。

    「須賀君の企画なんですよ。で、月曜日にみんなで集まっていろいろ考えて」

    「この部室も今日の朝早くにみんなで集まってやりました!」

    和と咲の言葉に周りを見回すと部室がまるでパーティ会場のように折り紙やらビニール紐やらで飾りつけされている。
    ホワイトボードには「お誕生日おめでとうございます」と大きく書かれており、その周りにはいろいろイラストが描かれている。
    いつもの麻雀卓は脇によけられており、代わりにテーブルが置かれている。
    そしてそのテーブルにはケーキとお菓子が並んでいた。

    「さっ、先輩座って座って!」

    咲がいまだに混乱している私の手を引いた。
    そしてテーブルに備え付けられた椅子に座らされる。
    私はそれにされるがままだった。
    頭が混乱している。
    この状況は一体なんだろう?
    何故、こういう状況になっているのだろう。

    部室に入る前までの高揚感がどこかに行ってしまった。
    その分、抜け殻のようになった私の心はいまだに現状が正しく理解できないでいる。

    「ふーむ、こりゃ驚きすぎてネジが飛んでおるな」

    まこが私の顔をまじまじと見てから須賀君に向き直った。

    「京太郎。いっちょ目の覚めるような挨拶をしたれ」

    「えぇ、いきなりですか!?」

    「何を言う。もともとおんしが久に礼を言いたいと言い出して始めた会じゃろう。ほれ、さっさと言わんかい」

    「マジっすか……」

    そういいながら須賀君は私の座る椅子の対面に立った。
    そしてポケットから何やら紙を広げた。
    私はどうしていいかわからず、それを呆然と見つめていた。

    「……あー、なんか改めていうのも恥ずかしいんですけど」

    須賀君がそんなことを言うと1年生3人娘からからかいの声やら応援の声が飛ぶ。
    須賀君は、大きく息を吸い込んでから、口を開いた。

    「竹井先輩。お誕生日おめでとうございます」

    「その、誕生日のあいさつとはあまり関係ないかもしれないんですけど、この場を借りてお礼を言わせてください」

    「竹井先輩、本当に、今までありがとうございました」

    須賀君はそこまで言って頭を下げた。
    そして再び顔を起こして、言葉を続けた。

    「最初は初心者の男一人で正直不安でした。やってけるかって」

    「けど、先輩は皆との練習の合間を縫って、ネト麻しながらいろいろ教えてくれました」

    「俺、それがすごくうれしかったです。先輩に見捨てられてないんだって。ちゃんと、見てもらえるんだって」

    その言葉に心がずきりと痛んだ。
    違う。
    本当は、本当はあなたを利用しようとしていただけ。
    辞められると困るから適当に折を見て声をかけていただけ。
    貴方にうまくなってほしいとかはその時は考えてなかった。

    「だから、練習でも雑用でも、頑張れました」

    「先輩が勝ってくれるなら、って思えば辛くなかったです」

    やめて。
    私はその気持ちを利用することしか考えていなかった。
    その気持ちに報いるとか、そんなことその時は全然考えていなかった。

    「本当にそれが嬉しくて……。だから、夏の大会の時、俺がポカしたとき見捨てられるんじゃないかって、不安でした」

    「先輩に呆れられて、見込みがないとか思われたらどうしようかと思うと、不安でした」

    私はその時ようやく自分の愚かさに気づいたころだった。
    貴方がそんな不安を抱えていた何で思いもしなかった。

    「でも……」

    「でも、先輩は俺みたいなやつのためにいろいろ考えていてくれました」

    違う。
    それも、違う。
    福路さんに言われてようやくたどり着いたこと。
    きっと彼女に言われなきゃ有耶無耶にしてあなたのことを忘れようとしていた。

    「練習プランとか、バイトとか、テストとか、本当に」

    須賀君の眼が、潤んでいる。
    心がざわざわと騒ぎ出した。

    「本当にいろいろ考えててくれて、受験とかいろいろあるのに、俺の、俺のため、ために」

    ぐすっと鼻をすする音が須賀君から聞こえる。
    心が痛い。
    酷く痛い。

    「俺のためにたくさんたくさん時間割いてくれて。申し訳ないって思ったんですけど、それ以上に嬉しくて」

    「それに、先輩、俺が勝ってくれればそれが嬉しいって、言ってくれて」

    違う。
    それは須賀君が私に言ってくれたこと。
    私はそれを、そのまま返しただけ。
    それに、私は、私はあなたが負けることを、祈って……。

    「だから、一生懸命、頑張りました。全国には行けなかったけど……」

    「勝てました。先輩の、おかげです。先輩の指導を無駄にせずに済みました」

    「俺が、ここまでやってこれたのは先輩のおかげです」

    ふと須賀君を見ると、ぽろりと涙が一筋零れていた。
    胸が締め付けられる。
    何かが、私の心を蝕んでいくのを感じていた。
    私は、今日この日彼に何をしてでも奪い取る気でいた。
    その決意を固めてきたはずだった。
    だが、その決意に何かがジワリとしみこんでくるのを感じた。

    須賀君は目元の涙を拭っている。
    後ろでほかのメンバーと並んで聞いている咲が小さく頑張って、と声をかけている。
    優希もそれに乗って小さくしっかりしろ、と言っている。
    須賀君はそれを受けて大きく息を吸った。

    「先輩は、酷い人です」

    その言葉に心臓が激しく跳ねた。

    「悪戯好きで」

    「人のことをからかうし」

    「悪巧みばっかりするし」

    「突拍子もないこと言って人を驚かせるし」

    須賀君はそこで、涙を拭うのを諦めたようだ。
    ぽろぽろと、次から次へと零れ落ちている。

    「でも」

    鼻を大きくすすって、須賀君は必死に言葉を紡いでいく

    「それ以上に部のために一生懸命だし」

    違う。私の目的のためだ。

    「皆のためにも一生懸命だし」

    違う。それも結局は私の目的のためなのだ。

    「何だかんだでフォローも忘れないし」

    違う。ただ、部の空気を壊さないように取り繕っていただけだ。

    「俺みたいなやつの面倒を見てくれる後輩思いだし」

    違う、違うの。
    だかから、それは……。

    「だから、だから、俺……俺……」

    聞きたくない。
    それ以上、聞きたくない。
    お願い、言わないで。

    「俺、先輩の後輩でよかった」

    「先輩の下で麻雀がやれて、本当に楽しかったです」

    「先輩の後輩でいれて本当に、よかったです」

    「尊敬する人に教えてもらって、幸せでした」

    「特にこの数か月、つきっきりでいろいろ教えてもらって」

    「本当に、本当に嬉しかったです」

    須賀君の顔はひどいことになっている。
    涙で目が真っ赤だ。
    鼻水だって垂れている。
    それでも、その顔から目を逸らせない。

    「これからも、頑張ります」

    「もっともっと頑張って、来年は全国を目指します」

    「先輩みたいにかっこいい打ち方はできないかもしれないですけど」

    「先輩みたいに強く打てるかどうかはわからないけど」

    「先輩が俺に残してくれたことを忘れずに、闘っていきます」

    「だから、先輩も頑張ってください」

    「先輩のファン第1号として、応援してます」

    「本当に、その、本当に……」

    須賀君は手に持っていた紙をおろし、直立不動の体制を取った。
    そして倒れてしまうんじゃないか、って思う勢いで頭を下げて、叫んだ。

    「今までありがとうございました!」

    咲たちが拍手をしている。
    他のメンバーももらい泣きをしているようだ。

    「なかなかいい挨拶じゃったぞ、京太郎」

    涙を拭うためにはずしていた眼鏡をかけながらまだ頭を下げている須賀君の背中を軽く叩いた。

    「誕生日のあいさつかと言われるとちと微妙じゃが。久、どうじゃ……?」

    まこの言葉がしりすぼみになっていく。
    私の顔を見て驚いているようだ。

    そっと、自分の頬に指を当ててみる。
    濡れていた。
    まぁ、当り前だろう。
    私の眼からも涙が零れていた。


    本当に、愚かな子だ。
    私の本質を何もわかってない。
    私の性質なんて何も理解してない。
    自分が利用されていたなんて欠片も思っていない。
    あの子の中では私はとてつもなくいい先輩なのだろう。
    見る目がない、本当に見る目がない。
    馬鹿だ。
    本当に、馬鹿な子だ。

    あぁ、でもやっぱり、違う。

    結局、私のような女に引っかからなかったのだ。
    やっぱり見る目があるのか。
    ほら、咲も貰い泣きが過ぎて顔が酷いことになってる。
    お似合いだ。
    人のために泣けるこ同志、お似合いじゃないか。

    でも、奪い取ってやろうと思ったのに。
    その場所を奪い取ってやろうと思ったのに。

    でも
    でも、それは
    須賀君にとって大切な「尊敬する先輩である竹井久」を壊してしまう。
    そうなったら須賀君はどうなるだろう。
    私の好きだった須賀君で居てくれるだろうか。

    考えるまでもない。

    そんなわけが、ない。

    そんなことがあるわけがないのだ。

    私が好きだった須賀君は

    単純で

    エッチで

    子供っぽいけど

    それでもひたむきで

    まっすぐで

    努力家で

    人のために力を尽くせる

    本当に、いい子。


    私が咲から奪い取ったところできっと須賀君はそのことで苦しむことになる。
    きっと笑うこともできなくなってしまう。
    苦しんで苦しんで、きっと彼は笑えなくなってしまう。
    何もかも嫌になってしまうかもしれない。
    そんな子なのだ。

    ちょっと考えればわかることだった。
    でも、ここ数日の私はそんな単純なことを考えられなかった。
    ただひたすら、自分のことしか考えていなかった。

    自分が隣に立つことしか考えていなくて、そのことで彼がどうなるのか、考えていなかった。

    「あぁ……」

    最初から、出る幕などなかったのだ。
    全てが遅かったのだ。
    何もかも遅かったのだ。


    ――部長、俺、頑張ります


    コンビニでああ言ってくれた時、何故こう言ってくれたのかをもう少し考えればよかった。

    もしかして、須賀君って私のことが好きなの?

    などとおめでたい想像でもしておけばよかった。
    よくある少女漫画の主人公のように胸をときめかせていればよかった。
    そうすれば、彼のことをもっと早く見ることができた。


    ――部長、勝ってくださいね


    インターハイ前の部室でそう言ってくれた時も、もう少し考えればよかった。
    彼がどれほど尽くしてくれ、どれほど私のことを想っているのかを理解しようとすればよかった。
    そうすれば彼を「おもちゃ」などと思わず、一人の人間として向き合えたのかもしれない。
    彼が負けた後、もう少し落ち着いて言葉がかけられたかもしれない。
    あれが、最後のチャンスだったんだ。

    でも、私はそのチャンスをすべて捨ててしまった。
    全て、自分の意志で。

    そこまで考えて、私は顔に手を当てた。
    涙が止めどもなく溢れ出てくる。

    「あぁ、あああああああああ」

    私は、声を上げて泣いた。
    手の隙間から涙が零れ落ちるほどに。

    私の背中を誰かが撫でてくる。
    恐らくまこだろうが、それでも私の涙は止まらなかった。


    失ってしまった。
    欲しかったものがどうしても手に入らないことに気づいてしまった。
    でも、それはすべて自分の蒔いた種だった。
    誰のせいでもない。
    手に入れようと思えば、手に入れられたかもしれない。
    もっと違う未来があったのかもしれない。

    だけど、私は失ってしまった。
    欲しいものは目の前にあるのに、手に入れられないと理解してしまった。

    心の中のぐちゃぐちゃな感情に任せて、私は泣いた。

    後悔だろうか。
    やるせなさだろうか。
    失恋の痛みだろうか。
    それらすべてだろうか?


    私の涙はしばらく止まらなかった。

    悪女を気取って、人を手玉に取る策士を気取って、気付けば全てを棒に振っていた。

    だけど、すでに人のものになった彼を奪い取ることも、もうできなかった。


    彼の信頼を壊すこと。


    彼の笑顔を壊すこと。


    彼を『彼』としているそれを壊すこと。


    そんなことは出来なかった。




    そう、私は悪女でも何でもない。

    全部失った後で気づき、無いものねだりをしようとしても、彼を傷つけることを恐れてできない。

    ただ中途半端な、ひたすらに愚かな女だった。




    ――――――――――――――――――――

    ――――――――――

    ―――――


    今でも鮮明に思い出せる、彼の心に焼きついたものがあった。

    『手牌』
    3334m345678s345p ドラ3m

    タンピンドラ3。高目なら三色のオマケつきだった。
    まだ役もおぼつかない当時の彼でもかなりの大物手であることは理解できた。
    だが同時に、何故立直をしないんだろう、と首をかしげていた。
    そして数巡ダマで回してからだった。

    『手牌』
    3334m345678s345p ドラ3m ツモ東

    場に1枚切れの東。
    彼から見れば即ツモ切りのどうとでもないものだった。
    だが、彼女は迷いない手つきで牌を抜き、場に打ち出して宣言した。


    ――リーチ

    『手牌』
    3334m345678s345p ドラ3m ツモ東 打4m


    ようやく基本的な打ち筋というものを理解し始めていた彼にとってそれは衝撃の一打だった。
    役も、待ちも、点数もすべて台無しにする1打。
    意図が読めなかった。
    跳満をツモればトップ逆転の状況で、その条件を満たした手を捨てる。
    彼は呆然とその手を見つめていたが、変化はすぐに訪れた。
    彼女のツモがふわりと宙を舞い、パシリと卓に叩きつけられた。


    ――ツモッ!

    『手牌』
    333m345678s345p東 ドラ3m ツモ東

    ――立直一発ツモドラ3。裏ドラは見ずとも逆転ね。


    そう言って彼女は後ろを振り返った。
    そして、手を眺めていた彼に向けて悪戯っぽい笑みを浮かべてVサインをした。

    ありえない一打だった。
    たまたまだと切り捨てることもできた。
    それでも彼はそれに心惹かれ、それは心に深く刻み込まれた。
    恐らく、一生忘れることはないだろう。


    これは、彼の麻雀の原点。
    その記憶だった。

    ――――――――――――――――――――

    ――――――――――

    ―――――

    「先輩、探しましたよ……」

    京太郎は息を切らせながら部室に駆け込んだ。
    そして部室の窓からボーっと外を眺めている久に声をかける。

    「あら? 須賀君、どうしたの?」

    「どうしたの、じゃないですよ。卒業式後は校門のところで待ち合わせって言ったじゃないですか」

    「ごめんね。最後にちょっとここに寄り道したかったから」

    卒業式後、麻雀部一同で集まって写真を撮ることになっていた。
    だが、久がなかなか現れず、電話にも出なかったため京太郎がこうやって走り回る羽目となった。
    文句の1つも言おうと思っていた京太郎だが、それを聞いて何も言えなくなり、体を休めるため無言で椅子に座った。
    それを見て久も京太郎の対面に座った。

    「……そういえば先輩、一人暮らし始めるんでしたっけ?」

    「えぇ。やっぱり通うのに3時間近くかかっちゃうのは少し大変だからね」

    「そっかぁ。ここから結構遠いんですよね……」

    「何言ってるの。遠いとは言っても同じ長野県内じゃない。落ち着いたらみんなで遊びに来てね」

    「うっす」

    とは言え、以前のようには会えなくなる。
    麻雀を教えてもらうことができなくなる。
    からかわれたりすることもなくなってしまう。
    そう考えると京太郎の酷く寂しい気持ちに包まれた。
    当たり前だったものがなくなるというのがこれ程の悲しいことだとは想像をしてなかった。

    「また遊びに来るから。ちゃんとインターハイも応援に行くわ。だから、頑張ってね」

    「はい……」

    まるで聞き分けのない子供を諭すように久は京太郎の頭を撫でた。
    それを受けてようやく京太郎は久に笑みを見せた。

    「よろしい。全く、手のかかる教え子ね」

    「うっ、すみません」

    くすくすと笑う久にばつの悪そうな顔をする京太郎。
    すると、久は何かを思い立ったかのように、口を開いた。

    「須賀君、ちょっと聞きたいことがあるんだけどいいかしら?」

    「何ですか?」

    京太郎は軽く返事を返すが、久は酷く緊張した様子で口を開いた。

    「新人戦1回戦のこと、覚えてる?」

    「えっ? それはもちろん」

    突然の問いに面食らいつつもはっきりと頷く京太郎。
    初勝利の牌譜はもう何度も眺めた。
    苦しいときも、その牌譜を見て自分の支えとして頑張った。
    忘れるはずがなかった。

    「そう、だったらあのオーラスで……何故東単騎でリーチしたのかしら? 直撃狙いだったわよね?」

    「はい。2着目から何としても打ち取るって考えてました」

    「じゃあ、何故東単騎のリーチだったのかしら? 東単騎待ちはまだわかるけど、リーチの必要はないわよね」

    「あぁ、それは……」

    京太郎は眼を閉じてあの時のことを思い出した。
    苦しい状況だった。
    ツモでは裏期待になってしまう状況。
    不安だったため直撃狙いとしたが、打ち取れる自信はあまりなかった。
    だが、次巡で東を引いてきたとき、そう、電流が走った。

    「以前、県予選で咲が多面張を捨てて単騎待ちに受けたことがありましたよね?」

    「えぇ……」

    何処か久は寂しそうな顔をしたが、それに気づかず京太郎は続けた。

    「東単騎はカン出来る待ちだった。なんて言うかそれをあの時に思い出したんです」

    「やっぱり、そうだったのね」

    久は苦笑を浮かべて、椅子にもたれかかった。
    何かひどく疲れたかのように。
    だが、京太郎は首を振った。

    「でも、それだけじゃないんです」

    「えっ?」

    思いもがけない京太郎の言葉に久の口から驚きの声が漏れた。

    「先輩。先輩だったらあの状況だったらどうしてました?」

    「えっ? わ、私だったらやっぱり東単騎でリーチを打つかしら」

    「やっぱり、そうですよね。だから……」

    突然の問いかけに戸惑いながらもそう答えると京太郎は嬉しそうに、満足そうに笑った。


    「咲と先輩。2人それぞれ目指しているものは別かもしれないですけど」

    「ただ……その、俺の好きな人と憧れている人が選ぶであろう牌が……」

    「選ぶその牌が同じだろうって、気づいたんです」

    「セオリーとか、そういうものを無視した一打っていうのはわかっていたんです」

    「インターハイで先輩に怒られたことを忘れたわけじゃないんです」

    「だけど、その……」

    「それに気づいちゃって、どうしても東単騎に受けてみたくなったんです」

    「咲のように嶺上から必要牌を持ってくることはできないですし、部長のように悪待ちを引けるわけでもないですけど」

    「俺の好きな人と、憧れている人が選ぶ待ち。それがその」

    「すごい最強の待ちに見えて。この待ちだったら、勝てそうな気がしたんです」

    「2人の力があれば、勝てそうな気がして、東単騎を選んだんです」

    「結果論かもしれませんけど、引くことができて勝つことができました」

    「俺、本当に嬉しかったんです。勝つことができたこともそうですけど……」



    「その、えっと、あー……俺にとって大切な、大切なモノの待ちでアガることができて、それがすごく嬉しかったんです」

    「お、俺何言ってるんすかね。あーはずかしい……」

    目の前で須賀君が照れながら笑っている。
    だけど私は笑うことができず、涙をこらえることに必死だった。

    ずっと聞きたかったことだった。
    本当に彼の中にもう私はないのか。
    咲の言うとおり、彼はあの時咲を選んだのか。
    本当に、そう考えて東単騎のリーチを選んだのか。
    未練がましいかもしれなかったけど、聞きたかった。
    でも、聞くのが怖くて怖くて卒業式までもつれ込んでしまったけど。

    でも、聞けて良かった。

    残っていた。
    彼の中に、私がやっぱり残っていたのだ。
    咲だけじゃなくて、私がある。
    残せていたんだ。
    奪われてなんていなかった。
    須賀君はそれを大切にしていてくれた。
    その言葉が聞けたことが、本当にうれしかった。

    残念だったわね、咲。
    やられっぱなしには、ならなかったみたい。

    「そ……う……」

    目頭が熱くなる中、須賀君に必死に返事をする。

    駄目だ。
    泣いては駄目だ。
    泣いて縋り付いたところで、私の欲しいものは手に入らないのだ。
    もう、全て遅かったのだ。

    だからせめて、最後まで彼の大切な「竹井久」を守ろう。

    さぁ、須賀君をからかってやろう。
    慌てる彼を見て笑ってやろう。
    ふてぶてしく笑おう。

    「ずいぶんクサいわね、須賀君」

    「勘弁してください。今すごく逃げ出したい気分です」

    「ふふ、冗談よ。まぁ、でも、嬉しかったわ。だから」

    私はポケットに手を入れた。
    何時も入れているアレがあるはず。

    「ご褒美、あげる」

    「えっ?」

    「ドタバタで部室の片付けのご褒美もあげてなかったしね。頑張った須賀君に先輩からのご褒美です。ほら、手を出して」

    「はっ、はい」

    私の声に咄嗟に須賀君は手を出した。
    本当に犬みたいだ。
    可笑しさに笑いつつも、私は彼の手にそれを置いた。

    「……ヘアゴム?」

    「そう。私が中学から高校までで大事な試合の時に使ってたやつよ」

    「えっ!?」

    「願掛けってほどでもないけどそれで髪を結っていた試合はいつもいい成績を残せたわ。きっとご利益あるわよ」

    「受け取れませんよ、そんな大切なもの!」

    須賀君は慌てて私に手を差し出し突き返そうとした。
    だけど私はその手を優しく握り、押し返した。

    「いいの。ほら、もうひとつあるし」

    私はポケットからもうひとつのヘアゴムを取り出して笑った。
    それでも須賀君は納得がいかなそうだった。
    私は佇まいを直して、須賀君に向き直った。

    「ねぇ、須賀君。須賀君はこれから厳しい戦いが待ってると思う。でも、私はもう今までのように須賀君に何かを教えるのは難しいわ」

    特に異質な能力があるわけでもない須賀君はこれから苦しむことになるかもしれない。
    その差に絶望してしまうかもしれない。
    でも、私はもう今までのように力になることはできない。
    私はもう別の道を歩き始めなければならない。

    「もう私にはほんの小さなゲン担ぎぐらいしかできないけど……須賀君の力にならせて。お願い」

    そう、せめて彼の愛する先輩として、須賀君の力になりたい。
    私の最後の願いだった。

    「……わかりました。ありがとうございます」

    須賀君は私の言葉にようやく納得してくれたようだ。
    顔を伏せて押し殺したように返事をする。
    私は受け取ってくれたことにほっと胸をなでおろした。

    「ふふ、ほら。折角だから着けてあげる」

    私は須賀君の手からヘアゴムを取り髪に手を伸ばした。
    さらりとした感触に少し胸が高鳴る。
    須賀君は驚きの表情を見せながらもされるがままだった。

    「俺、そこまで髪長くないですけど」

    「大丈夫大丈夫。前髪をちょんまげにするぐらいだったら……ほらできた」

    前髪を上げた形でちょんと結えられた須賀君は何やらかわいらしかった。
    須賀君が首を振ると結えられた髪が小さく揺れて思わず笑みがこぼれる。

    「な、なんか変な感じっすね」

    「似合ってる似合ってる。可愛いわよ」

    「可愛いって褒められてもまったく嬉しくないですね……」

    ふと、彼との距離が近くなっていることに気が付いた。
    当然だ。髪を結うには近づかなければならない。
    彼の顔が、近い。
    心臓が高鳴った。


    ――もう手に払いらないものなのに。

    ――あぁ、でも

    ――本当に

    ――本当にこれが

    ――これが、最後だから

    ――許して、ほしい



    頭の中が真っ白になっていく。


    何も、何も考えられない。


    だから、その行動はほとんど無意識だった。





    「あと、これはおまけ」




    私はそう言って少し背伸びをして




    「せんぱ……い?」




    彼の頬に、軽くキスをした。




    心臓が破裂してしまうのではないかと思うぐらい鼓動していた。
    顔が赤くなっていないかどうか不安だった。
    あぁ、ほら、彼も呆然としている。
    いけないいけない。
    思わず、あんなことをしてしまった。

    ほら、いつも通りに。
    最後まで、いつも通りに。
    まずは笑おう。

    「ふふふ、びっくりした?」

    「えっ、あっ、うっ?」

    須賀君がうろたえている。
    あぁ、本当にいい表情をする。
    須賀君をからかうのは、これがあるから楽しいのだ。

    「咲とケンカしたときは遊びにいらっしゃい。ちゃーんと慰めてあげるわよ」

    にやりと笑って私は踵を返す。
    部室の扉を開けて廊下に一歩足を運ぶ。
    そして駆け出す直前に私は振り返った。
    相変わらず、須賀君は呆然としている。

    「何だったら須賀君の大好きなエッチなことでも、ね」

    「えっ、え?」

    「ほら、先に行ってるわよ」

    そう言って私は駆け出した。
    廊下を走る。
    ただ、走る。

    少しすると慌てて追いかけてきたのか後ろからも走る音が聞こえた。

    「ちょ、先輩待って」

    「いやーよ、今捕まったら須賀君酷いことされちゃうわ」

    そう、追いつかれるわけにはいかない。
    なぜか零れてしまった涙が見られてしまう。
    それだけは、駄目なのだ。

    私は走りを緩めることもなく旧校舎の廊下を走り続けた。
    すると私を追いかける須賀君は私の言葉に焦れたように叫んだ。


    「あーもう! この悪女!」


    須賀君の口から洩れたその言葉に思わず心の中で苦笑した。
    私は悪女でも何でもない。
    ただの愚かな女だ。
    ギリギリで踏みとどまれたけど、須賀君の大切なものを壊そうとした愚かな女だ。
    なのに須賀君からそう言われることが何かおかしかった。

    走りながら、涙を拭う。
    早く笑わなければいけない。
    もう、この感情は終わりにしなければならない。
    私の恋は実らなかった。
    全て遅かったのだ。
    全て終わったことなのだ。
    だから、泣くのも終わりにしなければならない。
    私は新しい道を歩まなくてはいけないのだ。
    だから……




    ――さようなら、須賀君






    ――本当に大好きだった











    私は旧校舎を出て、ほころび始めた桜の木の下で、自分の恋に別れを告げた。


   


     完!