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―― その日の私が一体、どうやって過ごしていたのかまったく分かりません。

ただ、誰かに目に見えた心配をされていなかった辺り、きっと平静を保てていたのでしょう。
もしかしたらゆーきなら気づいたのかもしれませんが、彼女は私に殆ど近づいて来ませんでした。
その代わり、じっと須賀君の事を見たり、物思いに耽っている事が多かったのです。
普段とは明らかに違うその様子を私は心配するべきだったのでしょう。
しかし、彼女に聞かれたくない事を山ほど抱える私は…どうしてもゆーきに声を掛ける事が出来なかったのです。

―― それに…私自身、それどころではありませんでした。

宮永さんを排除してでも…須賀君の事を取り戻したい。
そう思う自分の狂気に気づいた私はそれを抑えこむ事で必死だったのです。
一歩間違えれば須賀君にまで牙を剥きそうなそれを…決して表に出す訳にはいきません。
そんな私が彼女の事を気にかける余裕はあまりなく…寧ろ、ゆーきから距離を取りたいというのが本音でした。

―― だって…そうしたら…あの『現実』が見れるんです。

一人でぼぉっとしている最中に…私の意識は白昼夢を見る事が多くなりました。
それは必ず須賀君と…ううん、『夫』と仲睦まじく過ごす夢だったのです。
幸せで暖かなそれを…私はどうしても拒めません。
本当の現実が辛くて悲しい分、逃げるようにして…『現実』へと没頭してしまうのです。

―― だから…部長の言葉にもきっと素直に従う事が出来たのでしょう。

今日の部活は最初に合宿に向けての問題提起から始まりました。
それは昨日、私と宮永さんが部長に強くなりたいとそう訴えたからでしょう。
それぞれの打ち方を良く見ているそれは、ありがたいと心から言えるものでした。
しかし…だからと言ってひたすらツモ切りを繰り返して強くなれるはずがありません。
きっと普段の私であれば、部長の言葉に反発を覚えていた事でしょう。
しかし、今の私にとって話しかけられる事も少なくなるその練習方法はありがたい事だったのです。

―― そうしている間にも…白昼夢が見れるんですから。

勿論、そうやって『現実』へと逃げこんでも何の解決にもなりません。
ただ、現状維持を繰り返して…いえ、それさえも出来ていないのだと私も気づいていました。
しかし、それでも私にはその幸せな『現実』が必要だったのです。
今も尚、滲み寄る自身の狂気を拒む為に…拠り所となるものが必要だったのでした。

―― だけど…そんな私の前で宮永さんは須賀君の手ばかり取って…。

パソコンが使えないという彼女の為に、須賀君は懇切丁寧にその使い方を教えていました。
しかし、それでも宮永さんは時折、彼に説明を求め、教本を読み込む須賀君の邪魔をするのです。
その度に私の白昼夢も途切れてしまうのは…やはり私にとって二人が重大な位置にいるからでしょう。
どうしても二人揃うと嫌なものを感じて…無理矢理、現実へと引き戻されてしまうのです。

―― きっとそんな二人を意識してしまう私が悪いのでしょう。

そもそも宮永さんは須賀君の恋人であるですから。
多少、その手を取ったところで誰が非難出来ると言うのでしょう。
須賀君自身が嫌がっているならともかく、彼は献身的に彼女の面倒を見ているのでした。
そんな仲睦まじい様子の二人を外野から見て…邪魔だと思う私が悪いのです。

―― でも…どうして…?

私なら…あんな事はしません。
寧ろ、教本なんて必要ないくらい懇切丁寧に教えてあげます。
始めたばかりの初心者かつ初めての公式戦という事もあって一番、緊張する立場にいるのは須賀君なのですから。
それを支えてあげるのも恋人としての役割でしょう。
しかし、宮永さんはそんな須賀君を支えられてはおらず…寧ろ邪魔ばかりしている。
それが私には目障りで仕方がありません。

―― 私を選んでくれていれば…そんな事はないのに…。

私だって…決して非の打ち所のない女性という訳ではありません。
実際…彼の事を深く傷つけてしまったのですから、宮永さんより酷い女性でもおかしくはないのです。
しかし、私と彼女にとって大きな違いは、それを改善する意図があるかないかでしょう。
一度、大事なものを失った私には…もうそれを手放さない為に努力する覚悟が出来ているのです。
今からでも須賀君が私のことを選んでくれれば…私は彼に心から奉仕し、その人生を支える事でしょう。

―― 少なくとも…宮永さんよりは…彼の為を思っているはずです。

ですが…須賀君の傍にいるのは私ではありません。
彼に選ばれたのは…宮永さんなのです。
その事実が辛くて…苦しくて…私は何度も『現実』へと逃げ込みました。
あるべきはずの未来を夢見て…私は自分を慰撫する事しか出来なかったのです。

「和…?」
「…あ…」

そんな私の目に入ったのは心配そうに私を見る須賀君…いえ、夫の姿でした。
私の隣に座りながら、教本を広げるその姿は不思議と様になっているように見えます。
多分、それは私が京太郎君の事を好きだからなのでしょう。
今にもおかしくなりそうなくらい…いえ、少しずつおかしくなっているくらい私は夫の事を愛しているのです。

「ふふ…っ」
「ん…?」

そんな自分が嬉しくて、そして誇らしい。
そう思うのは夫が私の思慕に応えてくれる人だと分かっているからでしょう。
何せ…夫はこんなにも面倒くさくて…重苦しい私を受け止めてくれているのですから。
どれだけおかしくなっても…須賀君はともかく…『夫』だけは私を見捨てない。
それが分かっているが故に、私はつい笑みを漏らしてしまうのです

―― そう…夫さえ居れば私は大丈夫…。

それは猛毒にも等しい考えだということは私にも理解できていました。
そうやって夫に傾倒すれば傾倒するほど…現実が辛くなるだけなのだと分かっているのです。
しかし、それでも…私にはもうこの『現実』しか残されてはいません。
私が私である為には…この『現実』に縋る道しかないのです。

「大丈夫ですよ。私は…大丈夫です」
「そう…か?でも、顔色が悪いみたいだけれど…」

それはきっと現実の所為です。
だって、『現実』の私は夫に添い寝をして貰って、仮眠を取ったばかりなのですから。
ちょっとばかりゴツゴツして…でも暖かなその枕は不思議と安心する事が出来ました。
普段はエトペンがなければ眠れない私が、あっという間に夢に堕ちてしまうくらいにそれは素晴らしいものだったのです。

―― でも…現実の私はろくに眠れていないままで…。

私がベッドに潜り込んでから朝起きるまでの時間はいつもよりも遥かに短いものでした。
その上、私は『現実』が崩れていき…最後の希望すら砕かれたショックをまだ引きずっているのです。
そんな私の顔色はクラスメイトには分からなくても、夫である京太郎君に分かる程度には悪いのでしょう。
そしてそれが私の大事な『現実』にも影響を与え、夫にも心配させているのです。

「ちょっと昨日、眠れていなくて…」
「あぁ、そういや朝も間違って電話してきたっけ」
「えぇ…迷惑を掛けてすみません…」
「良いって。丁度、起きなきゃいけない時だったし、モーニングコールとしちゃ最高だったよ」

そう言って謝罪した私に夫は優しく笑ってそう言ってくれました。
不出来な私を許してくれただけじゃなく、最高と言ってくれる彼に私の頬は自然と緩んでしまいます。
あぁ…やっぱりこの人と結婚してよかったと…心からそう思っている事を知らせる私の表情に夫は微かにその頬を赤く染めました。
まるで気恥ずかしくて堪らないと言うようなその仕草が可愛らしくて、ついつい抱きしめてしまいたくなるのです。

「まぁ…顔色も悪いし、今日は無理せずに部室で寝ておいたらどうだ?」
「それは…」

勿論、それを考えない訳ではありませんでした。
しかし、今日の私はエトペンを持ってきてはいないのです。
ゆーきの連絡でようやく動き出す気力を得た私にとってリビングの片付けをするのが手一杯だったのですから。
今にも世界が終わってしまいそうな無力感の中で、忘れ物をしなかっただけでも御の字と言えるでしょう。

―― あ…でも…夫の腕枕なら…。

多分、眠れるはず。
そう思った私が口を開こうとした瞬間、私は夫が手に持つ教本の存在に気づきました。
例え、これが私の脳が創りだした身勝手な『現実』ではあれど、私は京太郎君の邪魔をしたくありません。
宮永さんと同じように彼の手を取るだけの女性にはなりたくなかったのです。

「…いえ、時間もありませんし…頑張ります」
「そっか。でも、無理はすんなよ。ここで和が倒れちゃ元も子もないんだからな」

そう言って、夫は励ますように笑ってから、視線を教本へと戻しました。
それでも時折、私に視線をくれるのはきっと私を心配してくれているが故でしょう。
そんな夫に笑みを向けながら、私はツモ切りの作業へと戻りました。
本当は…『現実』でくらいもっとお話したかったですが、夫も夫でやるべき事があるのです。
何より、そうやって無言を楽しむ事も夫婦生活の醍醐味と言えるのですから、あまり嫌ではありません。

「う…うっ…」

―― …え?

瞬間、聞こえてきたその声に私は驚きを隠せませんでした。
だって、それは私にとって、異物と言っても良いくらいのものだったのです。
夫と私だけの幸せな『現実』には決してあってはいけないものだったのでした。
それを夢だ幻だと自分に言い聞かせても…耳の奥に張り付くような泣き声は消えません。

「咲…?」
「あっ…」

それに夫も気づいたのでしょう。
その視線を教本からあげて、そっと声の方へと目を向けました。
私ではなくその声の主に…宮永さんを見るその仕草に私は胸を詰まらせます。
それに自然と声が漏れ出し、手が夫の方へと伸びますが…京太郎君はそれに気づいてはくれませんでした。

「どうしたよ」

そう言って宮永さんへと近づいていく夫を私は見送るしかありませんでした。
本当は引き止めたいのに…行かないでってそう言いたいのに…私の口はその言葉を漏らしません。
朝にはアレだけ意味のない言葉を紡いでいたのに…まるで理性が邪魔するように私は無言を貫いていたのです。

―― …どうして…?

そんな私に浮かぶのは…まったくもって身勝手な疑問でした。
私は…私は夫の事を思って…その手を煩わせないようにしたのです。
それなのに…どうして私ではなく…宮永さんの方へと行くのか…理解出来ません。
そもそも…これは私の『現実』であり、宮永さんが入り込む余地なんてないはずです。
彼女に何もかも奪われた私の聖域なのですから…宮永さんだけはあってはいけない存在で… ――

「和?」
「あっ…」

瞬間、聞こえてきたその声は部長のものでした。
それに小さく声をあげながら…私はようやくある事に気づいたのです。
これが『現実』などではなく…本当の現実である事に。
私の心は白昼夢になど浸ってはおらず…私が夫だと思い込んでいた男性は…現実の須賀君であったのです。

「…大丈夫です。すみません…」

誤解していた私を気付かせてくれた部長さんにそう返しながら、私は再び無心でツモ切りを繰り返します。
しかし、どれだけそれを繰り返しても…今までのように白昼夢には浸れません。
それはきっと…目の前で泣きじゃくる宮永さんを須賀君が慰めながら、色々と説明しているからでしょう。
ついさっき教本から得たであろう知識を披露するその顔は何処となく得意げで…そして楽しそうでした。

―― それは…私のものなのに…。

それを見るだけであれば…私はきっとこんなにも心を揺れ動かしたりはしなかったでしょう。
しかし、それは今、私でもゆーきでもなく、宮永さんに向けられている。
そう思っただけで私の心は張り裂けそうな痛みを訴え、歯の根をぎゅっと噛み締めました。
ですが…それでも胸の奥から走るひび割れのような痛みは収まらず…寧ろ、仲の良い二人の姿を見ていると強くなっていく一方だったのです。

―― …辛くて苦しい…です…。

そんな二人の姿なんて見たくないのに…辛くて仕方がないのに…私は目を背ける事が出来ません。
どれだけ卓に視線を向けようとしてもついつい二人の方へと視線を向けてしまうのです。
それに痛みを覚える心が、優しい『現実』を求めますが、私はそれに浸る事が出来ません。
まるでさっきのそれで夢が覚めてしまったかのように…私の意識は身体に縛られ続けているのでした。

―― 宮永さん…ですか?彼女の所為…なんですか…?

そんな私に思いつく原因と言えば、それくらいしかありません。
だって、私は須賀君やゆーきのいる教室でもあの『現実』へと戻る事が出来たのですから。
それが今、こうして出来なくなっているのは、きっと宮永さんが須賀君の手を取っているからでしょう。。
あの目障りな人が居る限り…私は唯一残された希望にさえ縋る事が出来ないのです。

―― どうしてそんなに私の邪魔をするんですか…っ!!

瞬間、湧き上がる怒りにジクリと狂気が染みこんでくるのが分かります。
しかし、それでも…私は彼女のことを決して許す事が出来ませんでした。
これまで私から色んなものを取り上げた私に唯一、残った希望でさえも彼女に穢されたのですから。
私にとっては彼女はもう障害を超えて、排除すべき対象になりつつありました。

―― 宮永さんが居る限り…私が…『現実』に戻る事さえ出来ないのなら…。

私を私であるギリギリの部分で思い留まらせてくれている唯一の希望。
それさえも彼女が奪うというのであれば…それはもう排除するしかありません。
例え、どんな手を使っても…私は須賀君を…ううん…夫を取り戻すのです。
あらゆるものを取り上げられてしまった以上…私に残されているのはそんな道しか… ――

―― ダメです…そんな事したら…須賀君にも嫌われて…。

そこで少しだけ冷静になれたのは、須賀君が私の元へと戻ってきてくれたからなのでしょう。
そうでなければ…私はきっと宮永さんを排除する為の方法を真剣に考えていたに違いありません。
しかし…それをギリギリのところで思いとどまれたところで一体、何が違うのか私自身にも疑問ではありました。
だって…どれだけ言い訳しても私にとって彼女が目障りで仕方がない事には変わりがないのです。
それを排除しなければ…私が決して幸せになれないという事実は…揺るぎません。

―― でも…そんな事をしたら…。

そう言い放つ心の声はとても弱々しいものでした。
思考を静止する力も殆どないそれは…きっと私自身でも分かっているからでしょう。
狂気の進行はどうあっても押し留める事が精一杯で、自分だけでは根絶なんて不可能な事を。
それから解放される為には夫を取り戻す事しか道がない事を…私も理解しているのです。

―― それに…何より…さっきの私は…。

明らかに現実と『現実』を混同していました。
それは私の創りだした『現実』がリアリティあふれるものだという事も無関係ではないでしょう。
しかし、一番、大きいのは…恐らくそれを区別する能力が私の中で欠如していっているのです。
まるで『現実』が現実になって欲しいと…そう言うように…私はその二つを混ぜあわせ始めていました。
さっきだって少し考えれば分かる点は幾つもあったはずなのに、私は部長に言われるまでそれに気づく事はなかったのですから。
私は恐らく…本格的におかしくなって来ているのでしょう。

―― でも…私は…。

もうおかしくなるしか…道が残されてはいません。
それ以外のものは全て宮永さんに奪われてしまったのですから。
私が私である為に必要なものは…もう全部、彼女の所為で粉々になってしまったのです。

――それを…悪いとは言いません。

恐らく宮永さんだって…何か悪意があった訳ではないのでしょう。
けれど…それは私だって同じです。
私だって…おかしくなろうとしてなっている訳じゃありません。
ただ…追い詰められた結果そうなっているだけで…私も出来ればそれを回避したいのです。

「和…やっぱり帰った方が良くないか?マジで顔色やばいぞ」
「…そう…ですね」

ですが…それもこのままここに居れば難しい。
そう思った私は心配する須賀君の言葉に頷きました。
このままここに居ても…私はきっとろくに集中出来ないでしょう。
それよりは…家に帰って一人で練習した方が遥かにマシなはずです。

「うん。その方がいいわ。見るからに体調は悪そうだもの」
「すみません…」

私の背中を押すように言う部長に私は小さく謝りました。
折角、私の為にどうやって練習すればいいかを考えてくれたのに私はそれをろくに活かす事が出来なかったのですから。
これがまだ本当に体調不良であれば、私も少しは気が楽であったのかもしれません。
しかし、私は体調不良というよりは精神の安定を欠いているだけなのです。

「…合宿までに…形にしてみますから…」
「あんまり気負い過ぎないでね」

そう言葉を付け加える私に、部長はあっけらかんと言ってくれました。
けれど、三年生で最後の公式戦という事もあり、一番、焦っているのは部長のはずなのです。
それを感じさせない優しい言葉が、きっと部長が生徒議会長になった理由なのでしょう。
それに感謝を強めながら、私はそっとカバンを取り、部室から出て行きました。

―― ゆーきがいなくて…良かった。

また学食にタコスを買いに行っている彼女がいたら、きっと余計な心配をさせてしまった事でしょう。
こうして部活も早退するだなんて今まで一度もなかったのですから。
しかし、私はもう…宮永さんと須賀君が一緒にいる空間に居たくありません。
それだけで私の思考がおかしくなって…狂っていくのが分かるのですから。

―― 後で…ゆーきにもメールを送っておきましょう。

結局、私は彼女が送ってくれたメールに返信一つ出来ていないままなのです。
勿論、朝からろくに話せていないので、ゆーきに口頭で返事をしている訳でもありません。
まるで少しずつ彼女とも疎遠になっているようなそれに、私もまた危機感を覚えていたのです。
今度こそ絶対に忘れずに…ゆーきにメールを送らなければいけない。
そう心に決めながら、私はそっと足を早め、旧校舎から出たのです。

「あ…」
「…あ」

そんな私の前に現れたのは食道の袋を手に持ったゆーきでした。
私に驚きの視線を向けるその顔に私は気まずさを感じます。
ついさっきああやって心に決めたものの…こうして直接、彼女を前にすると何を言って良いのかわからなくなるのでした。

「…のどちゃん、帰るのか?」
「えぇ…少し…体調が優れなくて…」

そうやって彼女に嘘を吐く自分に嫌気が差しました。
部長ならまだしも…ゆーきは私にとって親友といっても良い立ち位置にいるのですから。
実際、何度も彼女に助けられた事を忘れるような自分の姿に…自己嫌悪を感じるのです。
そして、それは疲弊した私の心にとっては重く…早くこの場から逃げ出したいと思わせるのでした。

「…その前に…ちょっとお話して良いか?」
「それは…」

そんな私を呼び止めるゆーきの視線は、とても真剣なものでした。
恐らくそれだけであれば、私は彼女を振りきって家に帰る事も出来たでしょう。
けれど…そこに微かに焦りのような感情が浮かんでいるのです。
まるでこの場を逃したらもう手遅れになってしまうと言うようなそれに私は言葉を詰まらせました。

「構いませんよ。でも…手短にお願いします」

結局、私が選んだのは珍しい姿を見せるゆーきに付き合う事でした。
けれど、そこには微かに刺が浮かび、苛立ちを見せる声音になっていたのです。
勿論…私だって…ゆーきにそんな声を向けたくはありません。
ですが、私の心は朝から打ちのめされ…不機嫌さを多い隠す余力もなかったのです。

「のどちゃんは…このままで良いのか?」
「…何がですか?」

瞬間、聞こえてきたその声に私の声音は刺々しさを増しました。
わざと主語を欠くようなその言葉に…私の心が苛立ちを強めたからでしょう。
それはきっと…ゆーきが何に対してそう尋ねているか私自身が知っているからです。
ゆーきがこうやって私に言うくらいに私が後悔している事なんて一つしかないのですから。

「京太郎の事…このままにしておきたくないんだろ?」
「っ…!」

しかし…そう分かっていても…私の本心を射抜く彼女の言葉に私は同意出来ませんでした。
寧ろ、心の中は反発で溢れ、ギュッと歯の根を噛み締めるのです。
まるで自分の触れてほしくない傷に触れられたようなその反応に…私は務めて冷静になろうとしました。

「何の事だか…さっぱり分かりません」
「のどちゃん…」

そんな私に選べる言葉なんて…拒絶混じりのものでしかありませんでした。
だって、そこはまだ私にだって直視できない深く苦しい傷なのです。
私を少しずつ暗い狂気の底へと誘う深いものなのでした。
そんなところに触る話題を続けられたら…私はまたおかしくなってしまう。
そう思う私が、とぼけるような言葉を返すのは決しておかしな話ではないでしょう。

「このままじゃ…本当に…宮永さんに京太郎の事取られちゃうじぇ…」
「…っ…!!」

しかし、ゆーきの次の言葉はそんな場所を構わずに抉るものでした。
まるで傷口に塩をすり込むような残酷で現実を直視させる言葉に…私の目尻は熱くなってしまうのです。
けれど…そうやってゆーきの前で泣いたりする訳にはいきません。
ただでさえ、不機嫌な声で彼女に八つ当たりしているのですから…それ以上に迷惑なんて掛けたくなかったのです。


「…別に…それの何がいけないんですか?」
「…のどちゃん…お願いだから…正直になってくれ」
「私は最初から正直です。ゆーきの方こそ…少し変ですよ」

ですが…そうやって自分を取り繕えば取り繕おうとするほど私はドツボへと嵌っていくのです。
自分を過度に護ろうとする所為か、普段は言わないような強い言葉を彼女へと向けてしまうのですから。
そんな風に…言いたくないはずのに…もっと何時もみたいに仲良くお喋りしたいのに…それがどうしても出て来ません。
まるで頑なになった心がそれを拒絶しているように…私は刺々しい言葉しか返す事が出来ないのです。

「…そうだな。私も変なのかもしれない。でも…のどちゃんはもっと変だじぇ」
「…私が?」
「いっつも京太郎の事を見て…宮永さんが一緒にいると…すぐさま辛そうな顔をしてる」

そんな私の様子を言い当てる彼女の言葉に…私はろくに反論する事が出来ませんでした。
実際…私は自分でもそうやって馬鹿げた反応をしている自覚はあるのですから。
けれど、それを他人から言い当てられるのは辛く、そして恥ずかしい事だったのです。
それに私の心がまた固まっていくのを感じた瞬間…私の口はまた勝手に言葉を紡ぐのでした。

「ところ構わずにベタベタする二人が不愉快なだけです。何か特別な感情がある訳じゃありません」
「…のどちゃん…っ!」

そんな私にゆーきも苛立ちを隠せなくなってきたのでしょう。
私の名前を呼ぶ彼女の声は荒れたものになっていました。
今まで私に向けられた事のなかったそれに頑なになった心が怯みそうになってしまいます。
しかし…事ここに至って態度を軟化させられるようであれば…私はきっと最初から彼女に対して刺のある言葉を向けたりはしなかったでしょう。

「何度、言われても…私の答えは変わりません」
「もう…そうやって嘘を吐かないでくれ…ううん…嘘を吐いても良いから…!せめて自分に正直になってよ!」

それを証明するような私の言葉に…ゆーきは縋るような言葉を漏らしました。
それはきっと…私の事を心から思ってくれているが故のものなのでしょう。
私と対立しても良いと身を砕く覚悟で、この頑なに認めまいとする愚かな私を是正しようとしてくれているのです。
それそのものは…勿論、有難く、嬉しいものではありました。

―― けれど…今更、素直になって…何が変わるって言うんですか…。

そう。
そうやって好きだって認めたところで…私の状況は何も変わらないのです。
既に宮永さんは須賀君と付き合ってしまったのですから。
私が望む場所は既に奪われ…なくなってしまったのです。
そんな状況で素直になっても…傷口を深め、苦しくなってしまうだけ。
朝の苦しさから未だ脱しきれていない私にとって、それは決して看過出来るものではありませんでした。

「…話はそれで終わりですか?」
「違う。まだ終わってない!まだ…のどちゃんが認めるまで…」
「…っ!」

そしてまた…それを突きつけようとするゆーきに対する不快感も…そろそろ限界に達していました。
勿論、彼女が良かれと思って、私の為に動いてくれているのは…ちゃんと伝わってきているのです。
けれど、それらは私にとっては正しいが故に…残酷なまでに心を傷つけるものだったのでした。
そんなものを延々とループするように聞かされて…我慢なんて出来る訳がありません。
ついにブツリと頭の中で何かが途切れた音が聞こえた私は…噛み殺した感情を吐き出すように口を開いたのです。

「いい加減にして下さい…っ!!もう…しつこいんですよ!!」
「のど…ちゃん…」

はっきりとした怒りを吐き出す私にゆーきが目尻に涙を溜めました。
まるでもう数瞬後には泣きだしてしまいそうな彼女の顔に私の胸が張り裂けそうな痛みを放ちます。
ですが…限界に達した私の感情はもう止まりません。
まるで今までに溜め込んだ苦しみや悲しみを全て彼女にぶつけようとするように…声を荒上げた声を放つのです。

「別に…私が彼の事が好きでも…嫌いでも…!ゆーきには関係のない事でしょう!!」
「それ…は…」

そんなの…無茶苦茶もいい所です。
だって…彼女は私たちの共通の友人なのですから。
そんなゆーきにとって、私達がギクシャクするというのは決して無関係な話ではありません。
ですが、彼女は私の勢いに気圧されたのか、言葉を詰まらせ、そっと俯きました。

「でも…私…嫌だよ…京太郎とのどちゃんが…こんな風になるだなんて…嫌だよぉ…」

そう言った頃には…もうゆーきも限界に達したのでしょう。
その目尻からポロポロと涙をこぼし、泣きじゃくり始めました。
まるで子どものようなその姿に私の感情はさっと冷め、冷静さを取り戻します。
けれど、冷静になった私の頭は…ゆーきに謝罪するよりも先に…自己正当化の言い訳を探していたのでした。

「…あぁ…そうなんですね」

瞬間…私の頭の中に浮かんできたのは…つい一週間前の光景でした。
あの時…須賀君は最悪と言っても良いタイミングで部室へと戻り…私の言葉を聞いたのです。
勿論、それだけであれば、私は何の悪意も感じず、ただ、タイミングが悪かったのだとそう思う事が出来たでしょう。
ですが、あの時の彼女は…私を挑発するように何度も須賀君の事を訪ねてきたのです。
そう…今みたいに…私の神経を逆なでし…決定的な言葉を漏らさせようとしたのでした。

「ゆーきも…須賀君の事が好きだったんでしょう?」
「…っ!」

そう思うのは別に彼女の不自然な追求だけではありません。
だって、彼女はあの時、「のどちゃんなら京太郎の事を任せられる」ってはっきりとそう言ったのです。
私を須賀君に任せるのではなく、須賀君を私に任せるというその言い回しは…
ゆーきもまた須賀君の事を憎からず思っていなければ出ないものでしょう。

「ち…違う…私は…」
「またこの近くに須賀君がいるんですか?」

そう言って周囲を見渡す私の胸には…もう疑念しかありませんでした。
私と須賀君が決別する大きな転機となった機会を…目の前の彼女が創りだした。
そう思うと親友だと思っていたゆーきの事すら信じられなくなり、敵意に満ちた声を帰してしまうのです。
そんな私にゆーきが涙を漏らしながら違うと言いますが…信じられるはずがありません。
だって…信じてしまったら…私はもう自己正当化の理由すら失ってしまうのですから。

「或いは宮永さんに私を引き離してくれってそう頼まれたんですか?どちらにせよ…良かったですね、狙い通りになって」
「のどちゃん…!話を…話を聞いて…!」
「っ…!」

自分の言葉がもう敵意ではなく悪意に満ちたものになっている自覚は私にもありました。
私にだって…頭ではゆーきがそんな事をする子ではない事くらい分かっているのです。
ですが…もうそれを受け入れるには…心がもう限界だったのでした。
辛くて苦しくて…それを他人にぶつけて…どうにか逃れようとする衝動しか…私の中にはなかったのです。

「触らないで!!」
「きゃっ」

だからこそ…私に縋るように手を伸ばすゆーきを…反射的に振り払ってしまいました。
瞬間、バランスを崩した彼女の手からタコスが入っていたであろう袋が飛んでいってしまいます。
そのまま近くに流れ小川にポシャと落ちたその袋は…水に濡れて沈んで行きました。
自然、その中にあったであろうタコスにも水が侵食し、食べられる状態ではなくなったでしょう。

「あ…」

それを見ながら私はまだ気まずそうに声を漏らす事が出来ました。
しかし…うちひしがれたようにその場に蹲りしゃっくりをあげるゆーきに…謝罪の言葉が出て来ないのです。
そうしなければいけないって分かっているのに…今がまだ…
ギリギリ間に合う時期だって…そう理解しているのに…私の口は完全に固まってうめき声一つ漏らせません。

「…っ!」

そんな私に選べるのは…その場から逃げ出す事だけでした。
私の身勝手な感情で傷つけてしまった親友から…それに繋がる自己嫌悪から…私は必死に逃げようとしたのです。
ですが…どれだけ一生懸命走っても…それらはまるで鎖のように私を縛り付け…逃がしません。
寧ろ…そうやって逃げれば逃げるほど…私の脳裏に傷つき、涙を浮かべるゆーきの姿が鮮烈に浮かび上がるのです。

「はぁ…はぁ…」

そんな私が逃げ込んだ家には…まだ人の気配がありませんでした。
昨夜、二人とも泊まりになると言っていたのできっとまだ両親とも仕事をしているのでしょう。
それが私にとって幸運か不運かで言えば…きっと後者です。
きっと二人が居れば、親友に八つ当たりをして傷つけてしまった私の事を叱ってくれるはずなのですから。
けれど、私の非行を是正してくれる両親の姿はなく…私は自らの傷を慰める為に…『現実』へと逃げこむしかなかったのです。

「聞いて…聞いて…下さい…京太郎君」

勿論、『現実』に住む夫は…私の異常にすぐさま気づいてくれました。
玄関に座り込み…どうしていいか分からなくなった私を抱き…ポツポツと漏らす言葉に相槌を打ってくれるのです。
その優しい姿は頼もしい反面…頼りすぎてはいけないものだと理解出来ていました。
しかし…今にも泣き叫んでしまいそうなほど追い詰められた私には…最早、夫にしか頼れる存在がなかったのです。

「うん…うん…それで…それでね…」

そしてそんな私を夫は優しく接してくれました。
辛いと苦しいと同じ言葉を何度も繰り返す私を嫌な顔一つせず受け入れてくれるのです。
さっきのゆーきに負けないくらい泣きじゃくる私の頭を撫でながら…辛かったね苦しかったねって慰めてくれるのでした。
それに…私は自分をギリギリのところで押し留めてくれていた留め具がバキバキと砕けていく音が聞こえたのです。
ですが、私にはもう後戻りなんて出来るはずもなく…ただただ、彼に甘え続け…苦しさを訴え続けたのでした。

「私には…もう…アナタしかいません…」

そう。
私には…もうあんなにも私の事を思ってくれていた親友がいないのです。
彼女を傷つけただけでなく…悪しように罵った私にはゆーきの友人である資格はありません。
高校に入るまでは…誰よりも大事であった友人の手を…私自ら手放してしまったのです。
須賀君と同じように…私はまた取り返しの付かない事をして…大事なものを取りこぼしてしまったのでした。

「でも…でも…私は…幸せですよ…」

それは須賀君を傷つけてしまった時と同じくらいに辛く、そして苦しい事でした。
しかし、逆に言えば私にはまだ…夫がいるのです。
こうして愚かな私を受け入れてくれる唯一無二の人がいるのでした。
間違いなく私の理想を体現したであろう優しいその人がいれば…私はいつでも幸せなのです。

「お待たせしてすみません。さぁ…ご飯にしましょうか」

そう言う私に微笑みかけながら、夫は先導するように先へと進んでくれるのです。
その大きくて逞しい背中を見ながら、私はそっとリビングへと入りました。
そこはやっぱり朝から何一つとして変わってはおらず、シィンと静まり返ったままです。
ですが、その静寂の中で夫の優しい声を聞き取る私にとって、それは決して嫌なものではありませんでした。


「ふふ…もう…アナタったら…」

そうやって夫と会話しながらの家事は決して苦ではありませんでした。
どんな家事も夫との生活の為だと思えば、何時も以上に進んでやりたくなってしまうのです。
そんな私を手伝うと夫は何度も言ってくれましたが…傍で見てくれているだけで私は大助かりでした。
実際、私は寝不足気味なのにもかかわらず、簡単に家事を済ませられたのです。

「味の方はどうですか…?そう…良かった」

料理も昨日からは考えられないくらい完璧で、味付けだってばっちりです。
それでも夫の舌に合うか分からずに尋ねた言葉に、彼は笑顔と共に最高だと応えてくれました。
それに緩んだ笑みを向けながら、私もついつい食が進んでしまいます。
昨日から殆ど食欲がなかった所為もあってか、私は最終的に何時もの二倍近くをたいらげたのです。

「べ、別に…これくらい運動すればすぐに消費出来ますし…む、胸は関係ないでしょう、胸は…」

そんな私をからかう夫の言葉に、膨れながら私は洗い物を終わらせました。
既に掃除と洗濯もやりきったので後はもう自室で麻雀の練習くらいしかする事がありません。
ですが、それはこうして私の傍にいてくれている夫に構う事が出来ない事を意味するのです。
そうやって妻である私が夫の事を放っておいて良いのだろうか。
そう思うと中々、それを実行に移す気にはなれません。

「う…いや、別に……はい…それは…その通り…ですけど…」

しかし、夫は私が思っていた以上に厳しい人だったようです。
このまま一緒にリビングでノンビリしようと思っていた私を叱り、麻雀の練習へと向かうように言ってくれました。
それに渋々ながらも従うのは、夫の言葉が正しいと私も理解できているからです。
合宿までに形にするように頑張るとそう言ったのですから…その言葉を翻さずに済むように、出来るだけ努力するべきでしょう。

「じゃあ…私は今から練習しますけれど…すねないでくださいね?ふふ…っ」

そう釘を刺すように言う私に夫が拗ねた言葉を返しました。
それに一つ笑いながら、私は自室の卓へと向き直ります。
そのまま部活でやっていたようにひたすらツモ切りを繰り返す作業は決して苦痛ではありませんでした。
寧ろ、宮永さんが目の前にいないだけでこんなにもスムーズになるのかと思って…ついつい何時間も繰り返してしまうのです。

―― そろそろ…でしょうか。

しかし、どれだけ順調でもそうやって集中を続ける事なんて出来ません。
最初の頃は順調なのもあって集中を維持出来ていましたが、流石に数時間も経つと話は変わります。
何より、そろそろお風呂の準備もして寝るのも視野に入れなければいけない時間でした。

―― 今頃…夫は何をしているんでしょう?

そう思った私が微かに周囲を見渡しましたが…まだ夫はそこにいませんでした。
どうやらひたすらツモ切りを繰り返した疲れもあって、私はまだあの『現実』には戻れないようです。
それが少しばかり悲しいですが…夫は決して私を見捨てません。
私が望んだ時には必ず…傍にいてくれるのですから不安に思う必要はないのです。

―― じゃあ…須賀君は…?

「っ…!」

瞬間、浮かんできた言葉に私は胸に強い痛みを走らせました。
まるで心が強い感情の奔流に押し潰されるようなその感覚に私は身体を強張らせるのです。
それから逃げる為に思考を必死に逸らそうとしますが…その成果は芳しいものではありませんでした。
一度、頭の中に浮かんだその言葉はあまりにも強烈で…そして辛いものであったのです。

―― 別に…須賀君の事なんて…どうでも良いじゃありませんか。

だって、私には夫がいるのです。
彼よりも私の事を一番に考えて、何時だって傍にいてくれる最高の人がいるのですから。
須賀君はただ…そのモチーフになっただけで…別人でしかありません。
しかし、どれだけそう言い聞かせても胸の痛みは強くなる一方で…手首の痛みも相まって私はついに牌を取り落としてしまったのです。

―― …私は…。

私が好きなのは…須賀君ではありません。
私の心が創りだした夫の事が好きで…だから、彼の事を気にする必要なんてないのです。
それが皆にとって幸せであり、最高の結果を生むのですから。
彼の事なんて…寧ろ目障りだと…嫌いだと…そう思うべきなのでしょう。

「……」

しかし、そうと分かっていても…私はそれがどうしても出来ませんでした。
ふと浮かんだ須賀君の姿は…私の愛する夫のものよりも遥かに強烈なイメージだったのです。
まるで私に優しくしてくれる夫が虚像に過ぎないと教えるように…その像ははっきりとしたものでした。
その悔しさに私は手首を抑えながら、きゅっと歯を噛み締めます。

―― …少し休憩しましょう。

そう思って席を経った私は…顔からベッドへと倒れこみました。
しかし、そんな私の事を夫は慰めてはくれません。
まるでそれは須賀君の役割だと言うように…鳴りを潜めたままなのです。
結果、精神を安定させてくれる彼がいなくなった私に…不安という暗い波が襲い掛かってきました。

―― 負けたら…私は…。

ここには居られなくなります。
恐らく父が薦めた東京の進学校へと転校する事になるでしょう。
ゆーきや須賀君と離れ離れになって…また一人ぼっちになってしまうのです。
その不安と恐ろしさはどれだけ転校を繰り返しても慣れる事はありません。
友達と離れ離れになるだけでも辛いのに、もし転校先に馴染めなかったらと思うと…それだけで眠れなくなてしまうくらいに。

―― でも…その方が…良いのかもしれませんね…。

ここで私が居たところで…私はきっと何時か宮永さんの事を害する事になるでしょう。
もしかしたら須賀君にもその狂気と怒りを向けてしまうかもしれません。
何より…私はもうゆーきの事をあんなにも傷つけてしまったのです。
泣かせるほどに彼女を傷つけた私が…ここにいる理由なんてもうないはずです。

―― …でも…でも…。

そう分かっていても…私は…私はどうしてもそれが選べませんでした。
ゆーきと出会い…須賀君と出会ったこの長野の地に私は愛着を感じているのです。
何より…もう会えば辛いだけだと分かっているのに二人から離れたくはないと…まだ心が強くそう思っているのでした。
私には…夫さえいれば良いのに…それで皆、幸せになれるはずなのに…それを認めまいとするように…感情の波は途切れないのです。

―― …もうちょっと…やりましょう。

それが自己満足に過ぎない事くらい…私にも理解出来ていました。
決して湧き上がらせてはいけない…自分勝手なものだって分かっているのです。
しかし、それでも私は…どうしても衝動めいたそれを否定する事が出来ません。
結局、部長の為だとかそう理由をつけて…また卓へと向き合い…それから…結局、右手がビキビキになるまで同じ動作を繰り返すのでした。


……
…………
………………

―― 次の日から…私は一人でいる事が多くなりました。

ゆーきもあそこまで酷い事を言われて…私に話しかける気もなくなったのでしょう。
次の日…学校に行った私に彼女は目も合わせてくれなくなっていました。
その瞳は真っ赤に充血し、彼女が一晩中泣いていた事を私に知らせます。
ですが、私はそんなゆーきに何も言えず…距離を取るだけでした。

―― そんなゆーきに…須賀君が話しかけますが…。

見るからに元気のないゆーきの事を、須賀君も心配しているのでしょう。
彼は幾度となくゆーきに話しかけ、宮永さんがクラスへとやって来た時も彼女のことを気にしていました。
けれど、ゆーきはそんな彼に何も言わず、辛そうな笑みで誤魔化すだけです。
そんな痛々しい彼女が見ていられなくて…私はそっと視線を逸らすのでした。

―― いえ…私にも…分かっているのです。

私は…嫉妬していました。
須賀君に心配してもらえているゆーきに…嫉妬していたのです。
自分が傷つけてしまった事も棚にあげて…彼女のことを羨んでいたのでした。
そんな浅ましい自分が嫌になりますが…しかし、その感情は決して止まってはくれません。
まるでどんどん道を踏み外すように…私の心を埋め尽くすのです。

―― 私だって…辛いのは同じなのに…。

そう思えるような資格なんて私にはありません。
私は加害者であり、ゆーきはあくまでも被害者なのですから。
そもそも今日だって平静を装って過ごしているのですから…彼が気づかなくても責められる訳がないでしょう。
しかし、そうと分かっていても…私の心は身勝手な感情を止めません。
私はおかしくなりそうなくらい須賀君の事を思っているのに…どうして私だけ気にかけてくれないのかと…そう思ってしまうのです。

―― 息が詰まりそうなくらい…苦しいです…。

そんな私を助けてくれるのは…やっぱり愛しい夫でした。
目の前の現実に虐げられた私をぎゅっと包み、好きなのは私だけだって…愛しているのは私だって…そう言ってくれるのです。
その甘い囁きに私がどれだけ救われて…そして苦しめられた事か。
それがなければ私は今すぐ狂っていてもおかしくはありませんでしたが…
しかし、同時にその囁きによって…私は少しずつ道を踏み外していたのです。

―― きっと…ゆーきに対して嫉妬してしまうのもその所為でしょう。

だって、そうやってゆーきを心配する須賀君は夫と同じ姿をしているのですから。
いえ、姿だけではなく、その声も性格も逞しさも一緒なのです。
そんな彼が…私ではない別の女性に優しくしていれば…嫉妬してしまうのもおかしな事ではありません。
しかし、だからと言って今の私の感情が肯定される訳がなく、私は悶々とした時間を過ごすしかなかったのです。

「…ふぅ」

そんな私にとって唯一の救いは、部活に出なくても良いと部長から言われた事でしょう。
特に集中力が重要な私の特訓は部室でやるメリットがあまりないのです。
寧ろ、部室に居れば自然と宮永さんやゆーきの姿が目に入り、集中をかき乱されてしまうでしょう。
それは私にとって大きなデメリットであると…部長が悟ってくれたのかは分かりません。
しかし、どうであれ…部活に出なくて良いというのは今の私にとって天からの救いに思える事でした。

「そろそろ…お買い物に行かなければいけませんね」

そう呟く私の視界に入っているのは私を優しく抱きしめる夫と夕飯前を指し示す時計でした。
放課後になってすぐ学校から帰って来た所為で、そろそろ夕飯の買い物をしなければいけないのです。
けれど、私にとっては…正直、それが億劫でなりません。
何せ、心地良い静寂で満たされた家とは違い、外は雑音が多すぎるのですから。
夫を維持し続けるのも難しく、時にはぐれてしまう事もあったのでした。

「今日も美味しいご飯を作ってあげますからね」

しかし、それでも買い物を欠かす訳にはいきません。
だって、私が夫にしてあげられる事なんてそれくらいしかないのです。
男性好みの美味しい料理を作って、彼にそれを振る舞うくらいしか甘えっぱなしの私には出来ません。
だからこそ、私は気怠い身体に鞭打つようにしてソファから立ち上がり、家の外へと歩き出すのです。

「少しずつ湿気もマシになって来ました。そろそろ夏も近いんでしょうか」

そんな話を夫とする私に道行く主婦の人々は怪訝そうな目を向けたりはしません。
それはあくまでも妄想の中で紡いだ言葉であり、本当に口から出したものではないのですから。
私の身体は現実にありますが、意識は今、『現実』の中で夫を手を繋いだままなのです。
それに笑みを浮かべながら心地良い『現実』の中で会話を続ける私はいつも通りスーパーで買い物を済ませました。

―― 後は帰るだけですけれど…。

用事を済ませた私にはこのまますぐに帰るという選択肢しかありません。
ですが、それを逡巡させたのは、今日、両親が帰ってこれるというメールでした。
久しぶりに三人揃って食事が取れるかもしれないと思ったら夕食の準備だけでは味気ないです。
どうせならば、何処かでデザートでも買っておきたい。
そう思った私に夫から一つの提案がありました。

「あぁ…それも良いですね」

夫が提案したのはこの前、テレビで紹介されたケーキ屋さんへと赴くというものでした。
ふんわりとしたシフォンがオススメだというその店に、私も興味をそそられていたのです。
ここから少し離れた場所にはなりますが、常日頃から買い物を欠かさずしている私の荷物はそれほど多くはありません。
今から言ってもそれほど疲れたりはしないでしょう。

「アナタの分もちゃんと買ってあげますからね」

そう微笑みながら言う私に、夫は嬉しそうな笑みを返してくれました。
きっと彼も私と同じでシフォンケーキを気にしていたのでしょう。
一体、どんな味がするんだろうと楽しそうにする夫は今にもスキップを初めてしまいそうでした。
そんな夫が何処にも行かないように、『現実』の中でしっかりと腕を絡めながら、私は件のケーキ屋さんへと近づき… ――

「…え?」

瞬間、そこから出てくる見覚えのある姿に私は思わず声をあげてしまいました。
今までのように『現実』の中で声をあげるのとは違い、はっきりと言葉にするそれも…致し方ない事でしょう。
だって、そこには仲睦まじく腕を組み、一つの袋を持つ宮永さんと須賀君の姿があったのですから。

―― な、何を…しているん…ですか…?。

勿論…そんなもの決まっています。
もう部活が終わってもおかしくない時間なので、二人で帰り道にケーキ屋さんに寄ったのでしょう。
独特なロゴの入った半透明の袋もそれを肯定していました。
ですが…私はそれを見ても尚、目の前の光景を信じる事が出来ません。

―― だって…夫は今…私と手を繋いでいるはずで…。

そう。
夫が愛してくれているのは世界でただ一人、私だけなのです。
そんな夫と手を組んで良いのは…妻である私だけでしょう。
ですが…それなのに…宮永さんは幸せそうに…須賀君と手を組み…甘えるように身体を預けているのです。
まるで今が幸せの絶頂期なのだと疑いもしていないその表情に…私の心は悲鳴をあげました。

―― 私は…あんな顔を出来るでしょうか…?

…そう尋ねなくても答えなんて分かり切っていました。
そもそも…夫は私の理想の形ではありますが、あくまでそれだけなのです。
夫から与えられる幸せは決して嘘ではありませんが、さりとて真実でもないのです。
そんな私が…あんな風に心から幸せそうな笑みを浮かべられるはずがありません。
きっとどれだけ幸せになったとしても…私が浮かべられるのはきっと歪んだものでしょう。

―― 瞬間、夫の姿がぼやけて…。

まるで私の不信に呆れたように、その姿が曖昧になっていく愛しい人。
それに私は『現実』の中で待ってと何度も叫びました。
しかし、夫の姿がどんどんと揺らぎ…そしてふっと消えていくのです。
後に残されたのは一人絶望に打ちひしがれ…友人も何もかもを失った孤独で愚かな女性だけ。

―― 私…は…。

そんな私にとって選べる選択肢は二つありました。
このまま家へと逃げ帰り…再び『現実』へと戻る道。
逆に…私にまだ気づいていないらしい二人の後をつける道。
ですが…そんな選択肢に迷う必要なんてきっとないのでしょう。

―― だって後をつけても…きっと苦しいだけなのですから。

再び夫を失い、強引に現実へと引き戻された私にとって…二人の姿は劇薬もいい所です。
恐らくこのまま後をつけても心を痛め、また夫に慰めてもらう羽目になるだけでしょう。
しかし、そうと分かっていても…私は踵を返す事が出来ませんでした。
まるで…迷っているかのように二人の後ろ姿をじっと見つめ、その場に立ち尽くしてしまうのです。

「……」

結果、私が選んだのは…二人の後をつける事でした。
まるで誘蛾灯に吸い寄せられる虫のようにふらふらと二人の後をつけてしまうのです。
そんな自分が哀れでみっともないという自覚こそありましたが…最早、どうにもなりません。
歩き出した足は止まらず…二人に少しずつ近づいていくのです。

「今日も大変だったねー」
「大変だったのはお前の説明ばっかりしてた俺の方だと思うぞ」
「えー…私も頑張ったもん」

そんな私の前で二人は掛け合いを始めます。
呆れるような須賀君に甘えるような宮永さんという構図ではありますが…しかし、彼のそれは決して本心からのものではないのでしょう。
だって、彼の顔は呆れるようにしながらも、優しげな笑みを浮べているのですから。
まるで頑張った宮永さんの事を誰よりも知っているのだと言うような暖かいその表情に私の痛みは強くなりました。

「いい加減、操作くらい覚えろって」
「うー…そうなんだけど…」

そこで言葉を言い淀むのは宮永さんは重度の機械音痴だからでしょう。
今時携帯すら持っていない彼女にネット麻雀限定とは言え、パソコンの操作を覚えろというのはハードルが高いのです。
しかし、だからと言って、それは須賀君の手を取って良い事にはなりません。
大会前で大変なのは、須賀君の方も同じなのですから。

「ま、俺で良ければ幾らでも教えてやるけどさ」
「ごめんね…京ちゃん」

しかし、須賀君はそんな事まったく思っていないかのようにあっけらかんと笑いました。
まるでそうやって迷惑を掛けられる事を喜んでいるようなその表情に私は理解出来ません。
相手は恋人とは言え、宮永さんは見るからに彼に対しておんぶ抱っこなのです。
見ている限りではまるで須賀君の献身に報いてはおらず、ただ甘えているだけなのですから。
そんな彼女が受け入れられるどころか…喜ぶような笑みを浮かべるだなんて…理解出来るはずがないでしょう。

「気にすんなって。そもそも、俺は咲に感謝してるんだぜ」
「…感謝?」
「あぁ。咲が入ってくれたお陰で和たちが大会に出られる目処がついたからな」

そう言う須賀君の表情は心から嬉しそうなものでした。
晴れ晴れとして何処か誇らしそうにも見えるその姿には一片の嘘も悪意もありません。
きっと彼は心から宮永さんに感謝し、「気にするな」と言っているのです。

―― でも…私は…そんな風には…思えません…。

しかし、それが私の胸を突くように感じるのは…私が宮永さんの事を敵視しているからでしょう。
宮永さんの参加を心から喜ぶ彼とは違って…彼女に消えて欲しいと…そう思っているのです。
勿論、それは麻雀部も決して例外ではありません。
例え、今年が部長の最後のインターハイだとしても…もう宮永さんの姿を見たくない。
そう思う私にとって、須賀君の言葉は自らの器の小ささを自覚させるものだったのです。

「…そう…なんだ」

そんな私の前でポツリと呟かれる彼女の言葉は暗いものでした。
しかし、一体、彼女が須賀くんの言葉の何が気に入らなかったのか私には分かりません。
だって、彼の言葉は宮永さんにストレートに感謝を告げるものだったのですから。
そこに声を暗く沈ませる要素があったとは到底、思えなかったのです。

「それに…お前を助ける事で役立たずの俺が結果的に皆のサポートになれるんだ。こうして頼られるのも悪くねぇよ」
「京ちゃん…」
「っ…!」

瞬間、自分を卑下する須賀君の言葉に私は思わず飛び出してしまいそうになりました。
だって…そんな事は誰も思っていないのです。
須賀君が役立たずだなんて思っている人はきっと麻雀部の中に誰一人としていません。
部長だって須賀君の事を信じているからこそ、宮永さんのサポートに回したのでしょう。
ですが…彼はそれに気づいていないのか、自嘲気味にそう言葉を漏らし、笑みを浮かべました。

「…京ちゃんって根っからのパシリ気質だよね」
「パシリって…お前なー」

しかし、そんな須賀君に…宮永さんはフォローしません。
下らない冗談で誤魔化すようにポツリとそう言葉を漏らすのです。
それに…私は強い怒りを感じました。
私だったら…すぐさま慰めて…その自嘲を必要ないものだと正してあげるのに…彼女はそれをしないのですから。
そんな人が須賀君の恋人に相応しいとは…私にはどうしても思えず…理不尽な怒りが沸き上がってくるのです。

「せめて保護者って言えよ」
「へぇ…毎朝、起こしてもらってそういうこと言うんだ?」
「別に起こしてもらわなくても起きられるっての」

そう肩を落とす須賀君の言葉は事実でしょう。
実際、彼は宮永さんと復縁するまでは自分で起きていたのですから。
特に遅刻なんてしなかった彼が、今更、宮永さんの手を借りる必要があるとは思えません。

「京ちゃんは分かってないよ」
「何がだ?」
「今時、毎朝、起こしてくれる幼馴染って貴重なんだよ?希少価値なんだよ?ステータスなんだよ!?」

「お、おう」

少しずつ声を荒上げる宮永さんに須賀君も気圧されたのでしょう。
頷くその姿はぎこちなく、その声も硬いものになっていました。
けれど、そこに驚きがないのは、恐らくこうして強気に迫る宮永さんが初めてではないからなのでしょう。
部室の彼女はまだ臆病な文学少女と言った体を崩していませんが、
須賀君と二人っきりの彼女は意外と自己主張が激しいタイプなのかもしれません。

「…京ちゃんは私に対して色々と感謝が足りないと思いまーす」
「こうしてケーキ買ってやった奴に対してなんて言い草だ…」
「えへへ…ありがとうね、京ちゃん」

そう言いながら宮永さんはぎゅっと須賀君の腕を抱き寄せました。
両腕で優しく抱えるようなそれは甘えるような仕草にも映ります。
けれど…私にとってそれは顕示するものに他なりませんでした。
須賀君が自分のものだと…彼の隣は自分の居場所だとそう示すような仕草にしか思えなかったのです。

「でも…私はそんな京ちゃんが好きだよ」
「っ!」

瞬間、ポツリと漏らすその声は冗談めかしたものでした。
その顔もニコニコと笑って…真剣そうなものは何処にもありません。
しかし…それでも…私には、私にだけはそれが伝わって来ました。
彼女は本気でそう言っているのだと…心から須賀君の事を好いているのだと言う…はっきりとした感情が。

「このタイミングで言われてもなぁ…」
「あんまりときめかない?」
「つーか、パシリとかそういう意味にしか聞こえないっての」

そして、それは須賀君には伝わっていないのでしょう。
呆れたように肩を落とすその姿には呆れるようなものばかりでした。
一切の緊張を浮かばせないその表情は呑気と言っても良いくらいなのかもしれません。
それに私が小さく安堵するのは…もし、彼が額面通りに受け取っていたら…どうしていいか分からないからでしょう。
もし…須賀君が宮永さんに向かって…愛の言葉を返していたら…それこそ私は気が狂ってしまいそうだったのです。

「うん。勿論、そういう意味で言ってるし」
「こんの!」
「きゃんっ」

瞬間、怒ったような声をあげながら、須賀君の左手が宮永さんの頭に触れました。
そのまま髪の毛をくしゃくしゃにする彼に、彼女は小さな悲鳴をあげます。
しかし、そこに決して嫌そうなものがないのは、宮永さんがそれだけ彼に心を許しているからでしょう。
例えじゃれあいとは言え髪の毛を乱されても許せるくらいに…彼女は須賀君の事を好きになっているのです。

「…でも、それだけじゃないよ」
「咲…?」

瞬間、聞こえてきたその声はさっきとは比べ物にならないくらい真面目なものです。
それに須賀君を足を止め、彼女の表情を見た時には…もう辺りは住宅地でした。
黄昏時のその場所には私達以外に人の気配はなく、遠く離れた二人の姿がよく見えます。
それに私が見つからないか不安に思った瞬間、宮永さんは須賀君へと向き直り…その唇をゆっくりと開いて…… ――












「ねぇ、京ちゃん。キス…してみない?」













―― 何を言っているんですか…?

私にはそんな宮永さんの言葉がまったく理解出来ませんでした。
だって、ここは人通りが少ないとはいえ天下の往来の真っ只中なのです。
住宅地でもある場所で普通はキスなんてしません。
どの家の窓から見られているか分からないのですから、当然でしょう。

―― それに…そんな…は、早すぎ…です。

私が須賀君の事を傷つけてしまってからまだ一ヶ月も経っていません。
そんな時期にもうキスをするだなんてあまりにもふしだらでしょう。
普通はもっとこう順序立てて愛を深めていくのが一般的なはずです。
少なくとも…私にはどうしてこのタイミングで宮永さんがそんな事を言い出したのかまったく理解出来ませんでした。

「いや…お前なー」

そんな私にとっての救いは須賀君がそれに対して拒絶反応を示したことです。
呆れるようなそれはきっと彼も私と同じ価値観を持ってくれているからでしょう。
それに私はそっと胸をなでおろし、思わず安堵の溜息を吐きました。

「京ちゃんは私とじゃ…嫌?」
「嫌って訳じゃないけど…でも…」

けれど、宮永さんはそんな須賀君を見ても引きません。
まるでここで勝負をつけるのだと言わんばかりにグイグイと踏み込んでくるのです。
それに彼が困ったような顔を見せますが、彼女は躊躇すら見せませんでした。
寧ろ、その言葉を遮るようにして手早く口を開くのです。

「私は…京ちゃんとキスしたいよ」
「咲…」

そのストレートな言葉に、須賀君はその表情を真剣なものへと変えました。
きっと彼は今、彼女が本気であるという事を悟ったのでしょう。
その脳裏では宮永さんの申し出にどう応えるべきかの思考が展開されているはずです。
そして…私はそれを外野から見ているだけで…何も出来ません。
彼の出した答えがどうであれ…私は二人に声を掛ける事も出来ないのです。

―― せめて…ここが住宅地でなかったら…!

さっきの大通りであれば、まだ二人に話しかける事だって出来たでしょう。
しかし、こうして住宅地の中に入られてしまったら私がここにいる事が不自然になってしまうのです。
ここは私の家とは反対方向で普通であれば立ち寄るような区域ではないのですから。
流石に二人を付け回していたと思われる訳ではないでしょうが、怪しまれるのは確実でしょう。

―― でも…それでも…私は…!

それで犠牲になるのは精々が私の体面くらいです。
二人がキスをする現場を見せられるのに比べれば、全然、なんてことはありません。
しかし…そう分かっていても…私の足は二人の元へ進みませんでした。
どっちの方が大事かなんて分かっているはずなのに…まるで縫い付けられたかのようにその場から足が離れないのです。

「ごめん。それなら…俺は尚更、キスなんて出来ない」

そんな私の耳に後に届いたのは宮永さんを拒絶する言葉でした。
数十秒ほどの逡巡の後、はっきりと拒絶するその表情は真剣そのものです。
その答えを出すまでに彼が強く思い悩んだ事を知らせるそれに私の身体から緊張が抜けて行きました。
ふっといつの間にか強張っていた身体から力を抜けば、そこには幾つもの冷や汗が浮かんでいます。
梅雨のじっとりとした熱さに浮かぶそれとは違った冷ややかな汗の感覚に、私は荒い息をあげながら、そっと胸を抑えました。

「俺は…まだ和の事が…」

―― …え?

瞬間、聞こえてきたその声に私の視線は再び二人へと釘付けになります。
そのままじぃっと見つめるものの、その先は彼から出て来ませんでした。
それも…当然でしょう。
だって、須賀君の唇は…宮永さんの唇によって塞がれ…二人のシルエットは完全に一つになっているのですから。

―― え…なん…で…?どうして…?

恐らく須賀君が見せたほんの僅かな隙を狙ったのでしょう。
ここからかいま見える彼の表情は驚きに固まっていました。
しかし、私は冷静になれたのはそこまでです。
そこから先は…もう…訳がわからなくて…思考が完全に固まってしまったのです。

―― どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして!?

須賀君は宮永さんを拒否していたはずなのです。
キスなんて出来ないって…彼なりに答えを出したのですから。
しかし、彼女はそれを尊重しないどころかその場で破りすて、彼の唇を奪った。
その光景に…私は目を見開いて…ぎゅっと指先を握りこんだ拳を震わせます。

―― そんなの…そんなの…どうして…!?

しかし、どれだけ驚きと怒りを表現しても…目の前の光景は変わりません。
宮永さんは須賀君が固まっている事を良い事に…その唇を奪い続けているのです。
私も知らない…彼の唇の感触を…味わいながらも…穢しているのでした。
そう思ったら…私はもう…我慢出来ません。
そんなふしだらな宮永さんに一言言わなければ気がすまないと言うように…震えていた足が一歩踏み出したのです。

「っ!!」

けれど…それは次の瞬間には再び固まってしまいました。
それは…彼女の視線が一瞬、私のことを射抜いたように見えたからでしょう。
最初から私のことに気づいていたかのようなその視線に…私の足は竦み上がりました。
今まで一度も味わったことのない凄みに…「お前はそこにいるのがお似合いだ」と言わんばかりのその視線に…私は抗えなかったのです。

「あ…あぁぁ…っ!」

結果、私に出来るのは…ただ屈辱感を感じる事でした。
こんなにもおかしくなるくらいに好きな人の唇を蹂躙されるのを…ただただ見ている事しか出来ないのです。
それに私の唇から声が漏れますが…しかし、それも小さく抑えられたものでした。
まるで今、宮永さんの邪魔をしてしまったら…死んでしまうと言うように…私の身体は悲しみの声すら低く抑えていたのです。

―― それが宮永さんに聞こえたのかすら私には分かりません。

ですが、既に宮永さんは私から視線を外し、そっと瞳を閉じていました。
その頬を紅潮させるその表情はとてもうっとりとしていて心地良さそうです。
二人の会話を聞く限り、それは宮永さんにとってもファーストキスなのですから当然でしょう。
きっと…好きな人とのキスはどんなものにも負けないくらい幸せで心地良い気持ちにさせてくれるのです。

―― じゃあ…私は…?

私は…私は…須賀君の事が好きです。
その気持ちはきっと宮永さんにだって負けてはいません。
しかし、そんな私に…彼がキスをしてくれる事はないのです。
既に須賀君は彼女の恋人になり…私の傍から去ったのですから。
だから…きっと…私はもう二度と…あんな風に…幸せそうな表情をする事が出来ないのです。

―― アナタ…アナタ……っ!!

それが我慢出来なくて…私は心の中で愛しい人を呼びました。
けれど…私を何時も慰めてくれるその人は…私の前に現れてはくれません。
いえ…きっと現れたところで…私は自分の心の傷を癒す事は出来なかったでしょう。
だって…どれだけ現実味があるように感じられても…『夫』が私の妄想が生み出したものに過ぎないのですから。

―― それに…私は…キスの感覚を知りません…。

今まで私を抱きしめたり、頭を撫でてくれる感覚は経験したのもあって簡単に妄想する事が出来ました。
けれど…どれだけ書物を読み解いても…キスの感覚がどういうものかはまったく分からないのです。
そんな私が…『夫』相手に幸せなキスを出来るはずがありません。
きっとキスを強請ったところで、空虚で悲しいだけ『接近』があるだけなのでしょう。

「んふ…ぅ」

その想像に堪らない敗北感を感じる私の目の前で宮永さんの顔がゆっくりと離れて行きました。
その頬を赤く染めたまま濡れた瞳を開くその姿は、艶っぽささえ感じるものです。
同性である私の目から見ても、艶めかしいと思えるそれに男性である須賀君が耐えられるはずがありません。
その頬を宮永さん以上に赤く染めながら、彼はそっと視線を背けるのです。

「…どうだった?私とのキス」
「そういう事この状況で聞くなっての」

ですが、そんな須賀君を宮永さんは手放しません。
その頬を幸せそうに蕩けさせながら、甘くそう尋ねるのです。
まるで勝ち誇るようなその表情に…私はぎゅっと歯を噛み締めました。
しかし、相変わらず私の足は棒立ちになったままで…気恥ずかしそうに返す須賀君に声を掛ける事すら出来ません。

「嫌だったら…止めるけど」
「嫌じゃねぇよ」

自然、続く会話に…私の胸は強い痛みを訴えました。
さっきまでの逡巡とは違い、即答で返すそれは、きっと紛れも無い本心なのでしょう。
須賀君は…突然、しかも…無理矢理キスされたのに嫌がっていないのです。
それはきっと彼もまた彼女のことを憎からず思っているからでしょう。
そう思うと私の目尻はじわっと潤み…ポロポロと涙を零すのでした。

「でも…だからこそ、自制しなきゃいけないだろ。まだ気持ちの整理もついてないんだから」
「私は構わないよ?」

そんな私に…須賀君は気づいてはくれません。
いえ、それどころか、その表情を真剣そうなものに変えて宮永さんを見つめ返すのです。
その頬を微かに赤く染めながらのそれは彼の意識にあるのが宮永さんだけだと言う事を私に教えました。
それが…私には苦しくて苦しくて…もう涙が止まらなくなってしまうのです。

「俺が構うんだよ。…前みたいに生半可な気持ちで頷いて…咲を傷つけたくないし」
「京ちゃん…」

そして、それとは対照的に宮永さんの表情は幸せそうなものでした。
それは須賀君が彼女のことを大事に思っているが故の言葉なのですから当然でしょう。
私だって同じ立場であれば舞い上がり、回りの事なんて何も考えられなくなってしまうはずです。
しかし、だからこそ…それが私に向けられていないという悲しさに痛みが強まり…涙が大粒へと変わっていくのでした。

「俺は俺なりに…咲の事大事に思ってるんだ。だから…もうちょっと待っててくれないか?その時は俺の方から…キスするからさ」
「…うん。待ってる…」

そう言って…須賀君は宮永さんの髪をそっと撫でました。
言い聞かせるようなそれに彼女は顔を綻ばせながら頷きます。
きっと宮永さんの胸は幸せ一杯で、私の事なんて忘れてしまったのでしょう。
ですが…私はもう…それに安堵を感じる余裕すらありませんでした。
悲しみと敗北感に自意識すら崩れ落ちそうな私は…もう自分を護る為にはその場から逃げ出す事しか出来なかったのです。

―― それから…どうやって私が家へと帰ったのかは分かりません。

ですが…帰った時にはもう髪の毛はボサボサで…顔も涙でぐしゃぐしゃになっていました。
みっともなさすぎていっその事嘲笑の対象になってしまいそうな自分の姿を…私は笑う余裕すらありません。
逃げるようにして家へと飛び込んだ私はそのまま玄関先でズルズルと崩れ落ち、壁に背を預けるような状況だったのですから。

―― アナタ…は…もう…無理…ですね…。

それでもまだ私の事を癒してくれる夫の存在があれば、私はまだ立ち上がる事が出来たのかもしれません。
ですが、それはもう私の心の何処を探してもありませんでした。
きっと…それは『夫』が虚像であると頭だけではなく、心でも理解してしまった所為でしょう。
どれだけ夫が優しくても…私には彼とキスをする事が出来ない。
その事実に心が歪み…最早、妄想に浸る事すら出来なくなっていたのです。

―― 私は…私は…。

唯一の拠り所すら奪われた自分。
しかし、それは…私の中の狂気を抑える歯止めすら消えてしまった事を意味していました。
重圧の消え去ったそれは今までの鬱憤を晴らすように胸の底から湧き上がり、私の頭をクラクラと揺らし、自意識を変質させていくのです。
しかし、私はそれに抗うつもりはなく…ただただ、変わっていく感覚に…身を委ねていました。
―― 私は…私は…悔しい…です…!

それはキスをしている光景を宮永さんに見せつけられたからだけではありません。
こんなになるまで好きになった人を…私は下らないものの為に取り落としてしまったのです。
見栄や羞恥心…そして人への優しさなんてものの為に…私は今、こんなにも傷ついているのですから。
それなら…もうそんなものは要りません。
こんなにも私を苦しめる原因が自身の理性だったというのであれば…私はもう…そんなもの必要ないのです。

―― だって…私は…私は…こんなにも…須賀君の事が好きなんです…!

私はさっき…自覚しました。
いえ…自覚…させられたのです。
自分がどれだけ須賀君の事が好きなのかを…無理矢理、宮永さんに見せつけられてしまったのです。
勿論、これまでも私は自分の感情の大きさには気づいていました。
けれど、それが狂気に身を委ねても良いと思えるほどだなんて想像して…いえ、決して認めようとはしなかったのです。

―― でも…そうじゃないと須賀君が手に入らないのであれば…。

もう他のものなんて要りません。
友人も麻雀も家族も…社会性も…夢に見たあの幸せを再び手にする為であれば…安い代償でしょう。
『自分』すら容易く投げ捨てる事が出来た私にはもうそれらは障害ですらありません。
寧ろ、それは自分から彼に捧げてしまいたいと思える供物だったのです。

―― だって…須賀君はそういう女性が好きなんですよね…?

私はこれまで須賀君の事を思って一歩引いて来ました。
けれど、彼が選んだのはそうやって彼に迷惑をかけまいとした私ではなく我侭で面倒な宮永さんの方なのです。
さっきだって須賀君の意図を汲まずに、自分の感情だけを押し通した宮永さんの方なのでした。
それなら…私が容赦をする必要なんてありません。
きっと須賀君はそんな私の事を気に入ってくれるのですから…もう自分の事を抑える必要なんてないのです。

「ふふ…あは…あはははははっ」

その瞬間、私の中に浮かび上がってきたのは堪らない開放感でした。
今まで理由をつけて抑えこんできた様々な感情が私の身体を駆け抜け、血肉となっていうのが分かります。
まるで重い枷から身体が解放されたようなその感覚に、私は思わず大きな笑みを浮かべました。
それはきっと…私の思考と同じく狂気染みたものなのでしょう。
ですが、私はそれでも構いませんでした。
自分がおかしくなればなるほど…私は自分の愛情の大きさを自覚出来るのですから。

―― そう…私のこれは…愛なんです。

宮永さんに負けないなんてものではありません。
彼女のそれよりも…ううん…きっと全世界の誰よりも大きくて強い愛情でしょう。
そして…間違いなく須賀君はそれを受け止めてくれるはずです。
だって、私たちは結婚しているくらいに…想い合っていたのですから。
勿論、それは夢でありますが…そんなものは些細な違いでしょう。
想い合っていた二人が結婚するのは至極、当然で当たり前なのです。


―― そのためには…まずは邪魔者を排除しないといけませんね。

私の脳裏に浮かぶのは宮永さんの姿でした。
しかし、今の彼女はまだ有用です。
私が長野に…須賀君の傍にいる為にも、宮永さんの力は必要不可欠なのですから。
故にどれだけ鬱陶しくても彼女を排除する事は出来ません。
ですが、コレ以上、私と結婚している彼の傍に宮永さんがいるのは許容出来ませんでした。

―― それに…彼女にも屈辱を味わって貰わないと…。

ただ、排除するだけでは飽き足りません。
私がされたような屈辱を…彼女にも味わって貰わなければ気が済まないのです。
少しずつ大事な人が奪われていく感覚に…私がどれだけ絶望し、苦悩したか。
それを与えた彼女に…私はそっくりそのまま…同じ事を返すのです。

―― ガチャ

「…どうした?」
「あ…」

そんな私の耳に扉が開く音と共に父の声が届きました。
そちらにふっと視線を向ければ、そこには私を心配そうに覗きこむ父の顔があるのです。
真面目さを浮かばせる硬いその顔にはっきりと心配を浮かばせるのは、それだけ私の事を案じてくれているからでしょう。
それは私にとって嬉しいものでありましたが…けれど、もう…既に『手遅れ』なのです。

「いいえ。何でもありませんよ」
「…本当か?またストーカーとかそういうのは…」
「ふふ…もう心配し過ぎです」

だって、私はもう覚悟を決めたのです。
どんな手段を使っても須賀君を取り戻すんだって…そう腹を固めたのですから。
それはもう父に何を言われようとも曲がる事はありません。
もし、父がそれを邪魔するのであれば、私はきっと家族でさえ簡単に『排除』しようとするでしょう。

「あ…でも、夕飯はもう少し待ってくれますか?まだお料理していなくって」
「…いや、良い。お前には何時も迷惑をかけているからな」

そう言いながら立ち上がった私に父も安心したのでしょう。
その顔をほんの少し綻ばせながら、肩から力を抜きました。
目に見えて安堵するその姿に私の顔にも笑みが浮かびます。
それはここ最近で取り繕う事に慣れた所為か、自分でも分かるくらいに晴れやかな笑みになりました。

「あいつが帰ってきたら、久しぶりに外食でもしよう」
「良いんですか?」
「あぁ。折角の家族団欒だ。たまには豪勢に行こう」

そう言う父の顔は微かな笑みが浮かんでいました。
その表情をあまり変えない父からは珍しいその反応は、きっとそれだけ家族三人が揃って食事を摂る日を楽しみにしてくれていたのでしょう。
どれだけ仕事で忙しくしていても、父の心の中には家族がいる。
それが嬉しくて、私もまた笑みを深め、リビングへと歩き出しました。

―― 私もそんな風な家庭を須賀君と築きたいな…。

そんな私に浮かんでくるのは、彼の事でした。
いえ、私の頭の中に、須賀君が出てこない時なんて一時たりともありません。
どんな微かなものだって私はそれを須賀君に絡めてしまうのです。
私を慰める為の『夫』とはまた違った自分の思考に胸を踊らせながら、私は振り返って父のカバンを受け取りました。

―― それから一緒にリビングへと入って…。

それから過ごす時間はあまり歓談が長続きするものではありませんでした。
そもそも私も父もあまり口数が多い方ではなく、話題の引き出しだって多い訳ではないのですから。
しかし、それでもその時間を楽しいと思えるのは、そうやって父と話すのが久しぶりに思えるからでしょう。
実際はこうして腰を据えて話すのはストーカー以来なはずなのですが、私にとっては数年ぶりに思えるのです。

―― それはきっと…ここ最近の私が激動と言っても良い状況に置かれていたからでしょう。

めまぐるしく変わる状況にただただ流され何も出来なかった自分。
しかし、私は今、それに対して立ち向かう覚悟を決めたのです。
もう流されるのを止めて…物事へと立ち向かう勇気を固めたのでした。
そんな私にとってそれ以前の自分というのは最早、過去の遺物でしかありません。
どうしてあんなに下らない物に拘っていたのかとさえ思える自分の姿は最早、遠い思い出に思えるほどでした。

「あ、一つ聞きたいんですけれど…」
「ん?どうした?」

きっとそれを父は知りません。
知らない間に娘が完全に道を踏み外し、狂ってしまった事なんて想像してはいないのでしょう。
幾ら父が聡明とは言え、普段から接していない娘の変化に気付けるほどではないのです。
けれど、私にとってはそれは好都合でした。
普段から『良い子』であった分、私には信用と信頼だけは無駄にあるのですから。
それらがなくなるギリギリまで無茶をしなければ『両親』という枷は機能しないでしょう。

―― でも…もう…私、悪い子なんです。

自分はもう人の道を外れている。
そう思う程度の理性は私の中には残っていました。
けれど、それが私にとって何かの抑止力になるかと言えば決してそうではありません。
そんなものはもうとっくの昔に砕け散って、チリも残っていないのですから。
私の中にあるのはただ一つ須賀君へのあふれるような愛と欲求、そして宮永さんへの憎しみだけ。
それ以外は最早、些細なものでしかなく、私の口を開く事すら止められなくて… ―― 

「睡眠薬って何処にありましたっけ?」