前回← 

 思い出したことがいくつかある。
 当時はとるに足らないことだと断じ、実在すら怪しかったが今、ここに至り意味を持った言葉。

『あいつと麻雀打つなら機械越しに打つんだな。今はインターネットでできるんだろ。確か』

 昔はテレビ電話とか監視カメラでやったもんだが。あとは強力なオカルトによる支配の上書き。とその男は付け足した。
 何故彼が俺にそれを話したのかはわからない。しかし当時の俺に理解は難しく、そもそもオカルトという概念すら知らなかった。
 だが、彼は話した。それが無意味になるとわかっていても。

『で、だ。オカルトには射程距離っつうのがあってな。その関係で安全牌や危険牌の確信を照を含め、オカルト使い(ヤツラ)は得る。
 山の中身がわかるのもその延長、オカルトの影響だ。能力が効果範囲にあるから山の中身がわかるんだわ。
 現に特定の牌を集める能力持ちなんかは和了に関係しない能力だから危険牌についてはわからない。
 俗に言われる火力偏重、防御が薄いって奴だな。
 それはオカルトの視野が自身の牌にしか向いてないから自然、打ち手の傾向も前のめりになりやすいってことなんだろう』

 もちろん、訓練や打ち手の力量次第でそこは補える、と彼は付け足す。

『逆説。オカルトが発動しないなら、牌の中身に確信は得られない』

 だから戦うなら牌と打ち手の距離が広大なためオカルトの射程が卓上に及ばないネットにしろと彼は言った。
 これは俺が東京に来る直前に言われた言葉だ。
 しかし、と天を仰ぐ。

(まさかこんなことになるとはな)
「京ちゃん。そこでその牌を切るより――」

 ここは部室の奥、先程昼食をとった部屋だ。
 ソファーに座り、ノートパソコンから麻雀アプリを起動している。
 照さんはその戦い振りからはともかく、至極真面目に解説をしていた。
 牌の切り方や鳴きのタイミング、リーチの意味。初心者でも作りやすい役。
 それぞれを聞くたびに彼女がどれだけ麻雀に打ち込んで来たのかがわかっていく。
 俺が教わっているこれは、一朝一夕ではとても身につかない知識だ。照さんが本気を向けていた証だ。
 だから、と俺は声に出さずに呟いた。
 これ以上彼女を歪ませてはいけない。
 敗者がいることを当然だと思わせてはならない。
 麻雀が決然たる勝負ごとであり、勝者と敗者に分かたれるものであるなら、照さんには後ろを振り返って欲しかった。

(俺は、傲慢だ)

 この感情は押し付けだ。
 俺の押し付けから得られるものは何一つない。
 しかし、俺がそうなって欲しいと望んでいる。
 照さんに優しくあって欲しい。

 それはきっと俺が照さんを――――


 そこまで考えたところでばたばたという騒がしい足音が思考を掻き消す。
 俺が掴みかけた重要であろう何かはするりと脳中から消え去っていく。

「きょうたろー! 酷いよ、てると一緒に黙って消えちゃうなんて!」
「よぉ、淡。随分と早かったな。対局は切り上げてきたのか?」

 んーん、と飛びつくようにして背中に覆いかぶさってきた淡は首を振る。
 むにむにと柔らかな頬が俺の頭に押し付けられ、良い匂いのする髪が目の前で揺れる。

「ムカついたから急いで目の前の奴トバしてきた」

 なんでお前も、と首を回したところで淡との距離が近すぎることに気付かされた。
 それは顔と顔がぶつかり鼻先がこすれあうような距離。

「は、離れろよ。淡」

 衝動のまま淡の両肩を俺は掴み、全力で引き剥がす。

「ちぇー」
「近いって。この馬鹿」

 ふふん、と小生意気に淡は笑い、するりと俺の首筋に舌を這わせる。

「きょうたろーのこと食べちゃいたい」

 あはっ、と淡は笑う。
 再びの幻視。

 ――全身をずるずると触手のように淡の髪が絡み付いている。
 ――身体は動かず、無理矢理に顔と顔を突き合わさせられ、抵抗もできないままに強引に意志を蹂躙されている。

 諦めと結末はイコールだ。俺の意志が微塵も介在しない状況とはいえ、ここでの無抵抗は淡に決定権を委ねることになる。

(お、俺は……まだ、何も――)


 唇と唇が触れそうになるその刹那。巨大な熱風が背後から吹き付ける。

「淡」
「……てる、あんた」
「京ちゃんが困ってる」

 怪物の衝動が抑えこまれる。
 それは熱量だ。
 照さんから発生している圧倒的な熱が淡の身体を停止させていた。
 俺の全身を拘束していた怪物は少しの間苦しそうに身をよじると俺の身体から触手を引いていく。
 幻視とはいえ、その表面はリアルにすぎた。触手は蛸の表皮にも似た独特のぬめりと、蟲の足のような細かい棘を持っており、それがずるずると視界を這い回っていた。

「ぶー」

 淡がつまらなそうに唇を尖らせ、俺の肩から手を離す。
 怪物はざぷり、という水音と共に淡の背後に消えていき、見えなくなる。

「京ちゃん」
「あ、照さん……」

 一瞬、なんと言おうか迷い。何も言えずに口を噤む。
 淡の手前、助かったとは言えなかった。アイツが俺に精神的強姦にも似た何かをしようとも俺と淡の関係は恋人同士なのだ。
 それを言ってしまえば、俺は淡との約束を違えることになる。
 それだけはできなかった。
 俺は、教室で孤立していた淡に声を掛けた時に決めていたことがある。
 淡を裏切ってはならない。冗句や戯れ言ならいい。だが、嘘や裏切りを行ってはいけない。

「きょうたろーもノリが悪いよー。ぶーぶー」
「っても、お前。付き合って一日も経ってないんだ。気が早すぎるぜ」
「ぶー」

 膨れ面で俺の肩に顎を乗せた淡は俺を胡乱げな表情で見ている。
 その心の奥にあるものを俺は知っている。きっと裏切ってはいけない尊い物だということも。
 この可哀想な目をした生き物は、誰かと寄り添って生きていきたいと思っている。
 気高く、孤高に生きている姿は淡の一面に過ぎない。強気であるのも柔らかい内心に近づけさせないためのバリケードだ。
 だから俺は……。

「淡。もっとゆっくりでいいんだぞ」
「きょうたろー?」

 その頬を優しく撫でる。俺からこれ以上近づくにはまだ勇気が足りないけれど。
 それでも淡を裏切りたくはない。

「俺はお前を恋人として好きになることはできないかもしれないけどさ。それでも、裏切ることはないから。
 だから、もっとゆっくり進めていこう。
 急がなくていいんだ。俺はどこにもいかないから」

 自然と笑みが浮かぶ。淡は、つまらなそうに唇を尖らせた。

「そういうこと言って……。はぐらかさないでよ」

 でも、と淡が首を背ける。目は潤み、頬が赤くなっていた。

「ありがと」

 そうか。と俺は安心する。淡は、不安になって果敢に攻めてきているけれど、その本心はとても幼い。
 過剰なスキンシップも子供が幼さからじゃれてきているような物だと思えば何も不安に思うことはない。


「さて、淡。せっかく来たんだし一局やっていかないか? 照さんもいるし、三人で麻雀できるだろ? な」
「は?」

 ばっ、と一瞬で振り返った淡の表情が奇妙に歪んだ。今まで黙っていた照さんが天を仰ぎ、そうして疲れたようにため息を吐く。

「私は……嫌だな。きょうたろー、麻雀したいならネトマでもやってなよ。
 それか適当にあっちから弱い奴連れてきてあげるからさ。ね?」

 だから、そんな残酷な事を言わないでと淡が言外に含めて言う。

「京ちゃん。本気で一度だけ対局してあげるから、そこに座って」

 照さんは諦観を含んだ視線で卓についている。
 俺は、そんな二人に願いを込めて言う。

「いや、二人とはこっちの麻雀したいんだよ。これなら点数計算しなくてもいいし、たぶん良い勝負になると思う」

 示したのはテーブルに置いてあるノートパソコンだ。
 開いた画面には先ほど照さんに教わりながらやっていた対CPU戦の画面が途中のまま表示されている。

「良い、勝負……。それはいくらきょうたろーでも言っちゃいけない台詞かも」

 少しの怒りを含んだ淡に。

「いいよ。それで京ちゃんが納得するなら。それでも、私は……負けるつもりはない」

 照さんは静かにそれを言う。

「なぁ、やろうぜ、淡。きっと面白いことになるぞ」
「いいよ。わかった。
 てる、一人足りないから三麻でいいよね。きょうたろーのこと、ボッコボコにしてやる」

 そうして俺達の間に奇妙な亀裂が入ったまま、麻雀を始め――




「ツモ、と俺の勝ちだな」

 そして、俺は一位でその戦いを終わった。
 その場には、乾いた空気と、怒声、そして―― 



 カン