― やばい…よな…。



そう思うのは別に特訓の成果が三日も経つのに出ないからなどではない。
そもそも、三日程度で和のいる領域に達する事が出来るだなんて俺は欠片も思っていなかったのだから。
和が一体、どれほどの時間を掛けてあれほどの境地に達したかは分からないが、凡人である俺は和の二倍は掛かると思っていた方が良いだろう。
故に俺にはまだ特訓に対する焦りはなく…寧ろ、特訓を手伝ってくれる皆との交流を楽しんでいた。

 ― 寧ろ…それがやばいというか…。

そうやって俺の傍に誰かしらが居てくれると言うのは別に特訓の時に限った事じゃなかった。
自室に居る時を除けば、殆ど俺の傍に誰かが居て、話や世話をしてくれるくらいなのだから。
最初こそ、そんな状況に喜んでいたものの、三日も経てば、大体の意図は察する事が出来る。

 ― これ…明らかに…俺を神代さんから引き離そうとしてるよなぁ…。

特訓を開始したあの日以来、俺は神代さんとマトモに話す事が出来なくなっていた。
二人っきりになる事はまずないし、顔を合わせたとしても、傍にいる他の皆に用事を頼まれ、ろくに会話する事もない。
ここ数日、神代さんと交わしたものと言えば、挨拶くらいなものじゃないだろうか。
そう思うほど俺達の間に交流らしい交流はなく、そしてそれが俺を気落ちさせていた。


 ― いや…まぁ…警戒されるのは当然なんだけど…。

しかし…しかしだ。
見目麗しい美少女たちが俺を構ってくれている理由が、姫様と慕う女性から引き離す為だとしたらどうだろうか。
俺そのものに親しみを感じてくれていたなんて事はなく、ただただ…俺と神代さんとの交流を断つ為だとしたらどうだろう。
正直…今まで親しく話していただけに、その想像はかなりキツい。
だが、現状やこれまでの事を顧みるに…今の俺にはそうとしか思えなかった。

 ― もう帰った方が良いんだろうか…。

既に能力制御に関しては手がかりになりそうなものを得ている。
後はこれを自分なりに発展させていけば、時間は掛かるかもしれないが、モノに出来るだろう。
少なくとも…永水の人たちにここまで警戒されてまで、鹿児島で続ける理由はない。
能力の後遺症に関する熊倉先生の反応も芳しいものではないと聞いたし…余計にだ。

京太郎「…はぁ…」

そんな思考に自室でため息を吐きながら、俺はそっとマットの上で牌を切った。
勿論、それは到底、集中出来ているとは言えず、虚しい音を立てるだけである。
実際、こんな心の中がグチャグチャの状態で集中なんぞ出来るはずがない。
本来はどんな心理状態でも卓に着いた時点で、牌しか見えない状態にならなければいけないらしいのだが…そんな状態には欠片も入れそうになかった。

京太郎「あー…くそ…」

自分の不甲斐なさに一つ悪態を吐きながら、俺はそっと後ろへと倒れこみ、天井を見上げた。
既に見慣れ始めたそこは高く、俺の視線を吸い込んでくれる。
しかし、重苦しい俺の意識はそのままであり、俺にもう一つため息を吐かせた。

京太郎「(どうすりゃ良いか…なんてもう決まりきってる)」

皆の真意は分からない。
分からないが、俺が歓迎されていない事だけは確かだろう。
ならば、コレ以上ここに居た所で皆の迷惑になるだけだ。
折角、良好な関係が築けていたと思ったのに心苦しいが…もう俺は帰るべきなのだろう。
それを皆は引き止めたり、寂しそうにするかもしれないが…きっとそれも演技だ。
今更、それを辛く思っても…惑わされる事はない。
今から石戸さんにメールを送って…それで明日には全部、終わりだ。

京太郎「(そして…神代さんとも…)」

結局、その気持ちが聞けないまま、終わってしまう人。
自分ではどうしようもない事に傷ついて、そして寂しがっていたかもしれない人。
そんな彼女に…俺は手を差し伸べたかった。
本当の意味でちゃんと友達になってあげたかったのである。
しかし…それもここまで警戒されれば叶わない。
いや…そもそもここまで警戒が厳しいのは…俺が神代さんに嫌われているからなのかもしれないだろう。


京太郎「(実際…判断材料なんてない…)」

アレからぎこちなく挨拶するだけの仲に変わってしまった俺にとって、それは判断しようもない事だった。
時折、俺に寂しそうな視線を送ってくれていたのも…今ではただの自意識過剰なのではないかと思える。
何せ、俺は永水の皆が親しくしてくれている意味さえも、勘違いしていたのだから。
勘違いして舞い上がって…馬鹿みたいに親しくして…それで内心、嫌われていたかもしれない… ―― 

京太郎「(あー…ダメだな、思考が悪い方向にしか行かねぇ…)」

普段のポジティブさが何処にいったのかと思うほどのグダグダっぷりに俺は思わずため息を漏らした。
どうやら思っていた以上に俺は皆が演技していた事がショックだったらしい。
多分…俺は自覚していた以上に永水の皆の事を、好きになっていた ―― 勿論、異性としての意味じゃなく ―― みたいだ。
そんな自分に苦笑いにも似たものを向けながら、俺はそっと携帯を弄り始める。

京太郎「……」

勿論、後で皆には改めて自分から伝えるつもりだ。
例え、皆の対応が演技だったとしても、俺に良くしてくれたのは事実なのだから。
しかし、この屋敷の雑事を取りまとめる石戸さんには先に一報を入れておいた方が良い。
そう思って作り上げたメールは思った以上に簡潔で簡素なものだった。
とても事務的で…何ら感情が篭っていないそれに一抹の不安を覚えながら、俺はそっと送信ボタンを押す。


京太郎「(これでよし…っと)」

そう思う一方でドッと胸から疲れが湧き上がり、一仕事終えた感が疲労感へと変わっていく。
これでもう永水の皆とお別れだと思うと…やっぱり胸の奥が詰まったように苦しくなる。
しかし、コレ以上、俺が居たところで迷惑にしかならないのは確実なのだ。
それならば、まだ俺が皆を傷つけない内に離れるのが一番だろう。

京太郎「ん…?」

そんな俺の耳に携帯の振動音が届いた。
ブルルと鳴るそれに携帯をイジれば、そこにはメールの着信を知らせるマークがある。
多分、石戸さんへと送ったメールの返事なのだろう。
そう思って開いたそこには石戸さんとは違う人の名前があった。

京太郎「あ…」

そこにあったのは『上重漫』という三文字。
見慣れたその名前に反射的にメールを開けば、そこには今日一日の出来事が書き記してあった。
部活が辛い、や、代行が虐める、なんて愚痴から、誰に勝って負けたなんて事まで。
特に何か用事がある訳じゃなく…俺に話しかけるのが目的のメール。
今ではもう日課になってしまったそれが今の俺にとって、どれだけ救いであるかなんて、きっと漫さんは知らないだろう。



京太郎「はは…漫さんったら…」

無味乾燥なはずのメールの文面からでも伝わってくる彼女の青春。
それに思わず笑みを浮かべながら、俺は返事を書いていく。
一つ一つの出来事に反応するそれは返事を書くにも時間が掛かる。
しかし、それは決して苦痛ではなく、寧ろ楽しい時間だった。
こうして打っている間に俺の顔にも笑みが浮かぶくらいに。

京太郎「うし…っ」

返事を打ち終わり、送信ボタンを押す動作はとても軽いものだった。
さっき石戸さんに送ったものとはまるで違うそれに俺は内心、苦笑を浮かべる。
随分と現金なものだと自嘲を込めたそれに同意を返した瞬間、俺は廊下の方がドタバタと騒がしくなっているのに気づいた。

京太郎「(…なんだろう?)」

時刻は既に20時過ぎ。
ここで働いている人も大半が降り、夕食も食べ終わって一段落した頃だ。
そんな屋敷にいるのは俺を含め、六人しかいない。
このバタバタと騒がしい足音も俺以外の永水の皆に因るものなのだろう。
しかし、彼女たちは普段、決してこんな騒がしい足音を立てたりしない。
寧ろ、恐ろしいくらいに足音がせず、俺が驚いたくらいなのだから。
そんな屋敷内の感じたことのない騒ぎに、俺は… ――


京太郎「よいしょっと」

何故かそれがとても気になった俺は上体を起こして、起き上がる。
そのまま廊下へと出て、左右を見渡せば右側から何やら声が聞こえてきた。
何か叫ぶような唱えるようなそれは到底、尋常な様子ではない。
やはり何かあったのだと確信を強めた俺は、そちらに向かって足を向け始めた。

霞「小蒔ちゃん…!気を強く持って…!」
初美「く…っ力が強いですよ…!」
京太郎「(神代さん…?)」

そんな俺の耳に届いた声に確かに届いた石戸さんと薄墨さんの声。
それは俺に渦中の人物が神代さんである事をはっきりと伝えた。
もしかしたら…強盗がやってきて、神代さんを人質にとっているのかもしれない。
そう思うと居ても立っても居られなくなり、俺は駆け出すようにして足を早めた。

京太郎「(こっちか…!)」

しかし、そうやって足を進めれば進めるほど心の中で嫌な予感が広がっていく。
いや…予感と言うよりも、それは本能の震えと言うべきか。
近づけば近づくほどに空気が怯え、肌がざわついていくのを感じる。
まるでこの先に見たこともないようなバケモノが…手ぐすね引いて待っているような独特の感覚。
しかし、それでも神代さんの安否が気になる俺は足を止めず、声と気配を頼りに進んでいった。


京太郎「神代さん!無事です…か…」

そんな俺が7つ目の角を曲がった先には、五人の女性がいた。
冷や汗を浮かべ、巫女服の袖が大きく引き裂かれたような石戸さん。
その手にお祓いに使う棒 ―― 確か御幣と言ったっけか…―― を持ち、呪文のようなものを唱える薄墨さん。
玉串を揺らすように鳴らしながら、塩湯を持つ狩宿さん。
その対面に経ち、印を結びながら、薄墨さんと同じく呪文を唱える春さん。
そして…その中心、俯き加減になりながらも、信じられないほどのプレッシャーを放つ神代さん。

京太郎「な…!?」
霞「須賀君!?」

その光景だけを見る事が出来るなら、それはいっそイジメの光景にも思えたかもしれない。
周囲に物々しい雰囲気の女性が囲み、中央では神代さんが俯いてその表情も分からないくらいなのだから。
しかし、それがまったく事実に即していない事は彼女から感じる黒い揺らぎを見ればすぐに分かった。
鈍感な俺でさえ目に見えて分かるドス黒いそれは…間違いなく悪いものなんだろう。

京太郎「(でも…何だ…あれ…!?)」

今まで神代さんがそんな風になった事なんて一度もなかった。
俺が知る神代さんはちょっぴり慌てん坊で優しく、そして天然気味の暖かな女の子なんだから。
触れればそこから喰われていきそうなドス黒い何かを立ち上らせるような子じゃない。
そしてまた…それが永水の皆にとっても予想外な状況であるのはその焦りの表情からも良く分かる。
ならば、俺がここでしなければいけない事は… ――


霞「っ…!須賀君!逃げて!!」
京太郎「え…?」
??「きひっ!」

そこまで考えた瞬間、ぬぅっと俺の目前に神代さんが近づいていた。
けれど、その動きは…到底、普通とは言えない。
だって、さっきまで神代さんは俺の10mは先の場所にいたのだ。
それが…ほんの一瞬、目を離しただけで目の前にいる。
しかも、何の音もせず…文字通り、下からぬぅっと生えるように俺の視界に入ったその顔は… ――

京太郎「(歪ん…で…)」

その唇を大きく歪めて、開くその様は一見、真っ赤な三日月に見えた。
それなのに目元は虚ろで意思らしいものをまったく宿してはいない。
酷くアンバランスなその表情は人間らしいものには到底、思えなかった。
中途半端に人間になろうとしている化け物のようなそれに俺の心は怯え、反射的に逃げようとする。

京太郎「ぐぁ…ぁあっ!」
??「ひひ…っひあ…あはぁっ」

そんな俺を両腕でがっちりと捕まえるその力は、最早、人間とは思えない。
無造作に抱きしめられているだけなのに、俺の背筋は悲鳴をあげ、腕が押しつぶされそうなのだから。
確かに神代さんは毎日、山を登り降りしてて見た目以上に体力がある人だが…それでもこれはあり得ない。
男子高校生の骨格を軋ませるほどの怪力なんて、持っている人じゃないのだ。


京太郎「(どう…すれば…)」

今の神代さんは普通の状態じゃない。
こういった事に鈍感な俺でさえ、はっきりと分かるほどの『何か』が憑いているのだから。
しかし、俺はそんな神代さんに何をすれば良いのか、まったく分からない。
声を掛けてあげれば良いのか、それともこちらから抱き返してあげれば良いのか。
ギリギリと締め上げられる苦痛の中ではその考えも纏まらず、俺の口から悲鳴のような呻き声が漏れるだけだった。

霞「く…もう一度、囲むわよ!須賀君ももうちょっと我慢して…!」
京太郎「だいじょぶ…っす…!」

勿論、まったく大丈夫じゃない。
正直、ギリギリと締め上げられるそれは痛過ぎて逆に涙すら出ないようなレベルだった。
けれど、だからと言って、ここで弱音を吐くほど格好悪い事はない。
折角、皆が何とかしようとしてくれているのだから、それくらいの間くらいは我慢しよう。
そう思って歯を噛み締めた瞬間、俺を締め上げる神代さんの顔に明確な怒りが滲んだ。

京太郎「(なん…で…?)」

まるで俺が誰かと会話するのが腹立たしいと言うようなそれに痛みで霞む意識が疑問をもった。
本当に神代さんが『何か』に掌握されきっているのならば、きっとそんな風にはならない。
俺は神代さんにこんな化け物染みた動きをさせるような『何か』と知り合いでも何でもないのだから。
だから…きっと神代さんの意識が全て飲み込まれた訳じゃない。
それに微かな光明を見た俺は喉を震わせるように口を開いた。


京太郎「っだ、…大丈夫…ですよ…じんだ…ぃさん…!」
??「っ~~!」

俺の声に目の前の神代さんの身体がブルリと震える。
まるで何かが身体の内側で蠢いているような激しいそれに俺の身体の揺さぶられた。
ただでさえギリギリだった意識が散り散りになりそうになるが、それを何とか繋ぎ合わせる。
何せ…俺が伝えたいのはそれだけじゃないのだから。
この後に告げる言葉こそが、俺が本当に伝えたいもので…だからこそ、ここでへこたれている訳にはいかない。

京太郎「きっと皆…が…何とかして…」
??「…あ゛あああぁぁっ!!」

そこまで言った瞬間、神代さんが奇声を発して、俺を振り回した。
グルグルとまるで玩具に八つ当たりするようなそれに俺の腕と肩が悲鳴をあげる。
今にも脱臼して肩が千切れてしまいそうなそれに俺の口からも悲鳴の声が漏れた。
しかし、それでも俺は神代さんの手を離さない。
何せ、ここで手を離したたら、今度は別の誰かがこんな風に痛めつけられるかもしれないのだから。
石戸さんや狩宿さん、薄墨さんや…春さん…その誰かをこうして痛めつける神代さんの姿なんて…俺は決して見たくない。

京太郎「(何より…神代さんがきっと悲しむ…!)」

こうして特殊な環境に押し込められている所為か、皆はまるで家族のような信頼関係を構築しているのだ。
残念ながら、俺はそこには入れなかったけれど…しかし、それを崩すような真似を見過ごせるほど俺は鈍感じゃない。
神代さんが元に戻った後…皆がぎこちなくなるような様子のは嫌だ。
神代さんが悲しんで自分を責めるのはもっと嫌だ!
何より、それを別れ際に見る事になるのが一番嫌だ…っ!
だからこそ、壁や床に足が叩きつけられ、引っ張られるのとは違う滲むような痛みが全身に広がっても…俺はずっと神代さんを捕まえ続けた。

京太郎「う…ぐ…ぅ…」

そんな地獄のような時間が終わった頃には、俺の身体はろくに動かなかった。
きっと全身に青あざが出来、あちこちの関節も捻挫している事だろう。
それでも尚、自分から手を離さなかった事を…少しだけ…ほんの少しだけ褒めてあげたい気になる。
結局、鹿児島で何も出来なかった俺が一つだけ…人に話せるような武勇伝が出来た。
そう思うと真っ赤に腫れ上がった頬が緩むのを感じる。

春「京太郎君!!」
京太郎「あ…」

そんな俺を抱き起こしてくれたのは多分、春さんなのだろう。
普段の落ち着いた声からは想像も出来ないくらい辛そうな声だが、声音そのものは変わっていない。
だが、残念ながら、今の俺はその顔を見る事が出来ない。
全身から湧き上がる痛みに視界が滲み、意識の糸も今すぐ途切れてしまいそうなくらいだったのだから。

京太郎「じんだい…さんは…?」
春「…姫様は無事…ちゃんと除霊は終わったから…」
京太郎「そう…です…か…」

途中であの化け物のような力が途切れたからそうかもしれないと思ってはいたが、どうやら無事に諸々は終わったらしい。
それに一つ安堵した瞬間、俺の意識がそっと遠のくのが分かった。
そんな俺に春さんが何かを言ってくれているものの、まるで厚い水の膜を通しているかのように殆ど聞き取る事が出来ない。
しかし…神代さんが無事なのであれば…後は大丈夫だ。
これでもう安心して俺は眠る事が出来る。
そう思った瞬間に、俺の熱い瞼がそっと落ち…そして俺の意識もまた視界と同じように閉ざされていったのだった。

~ 小蒔 ~

ここ最近、須賀さんとまったく話せていません。
いえ…それどころかろくに顔も合わせられていないのが現実でした。
勿論、食事時にはまず確実に顔を見ますし、廊下なんかでばったり会う事も少ないですがあるのです。
しかし、その度に私や須賀さんの傍にいる誰かが口を挟み、会話らしい会話をする事も出来ません。

小蒔「(流石にそこまでされたら…私にだって分かります…)」

霞ちゃんたちは私と須賀さんと仲良くさせたくはないのでしょう。
その理由までは分かりませんが、きっとそれは私の為。
それは…私にも分かっているのです。
しかし… ――

小蒔「(少しくらい…相談してくれたって…良いじゃないですか…)」

そうやって須賀さんを私から遠ざけるにはそれだけの理由があるはずです。
しかし、それは私にまったく事情を聞かさないまま、皆が勝手に決めた事。
幾ら私の事を思っていると言っても…それでは反発も覚えます。
ましてや…須賀さんがそうやって私から遠ざけるような悪い人ではないのですから余計にでした。

小蒔「はぁ…」

これが私が知らないだけで須賀さんが悪人…などと思えばまだ納得は出来るのでしょう。
しかし、皆と和やかに話す須賀さんは寧ろ、とても良い人である事が所作一つ一つから伝わってくるのです。
それに皆も少しずつ打ち解け、心を許し始めているのが目に見えて分かるだけに…正直、寂しいのが本音でした。
皆で須賀さんを独り占め ―― と言うのもおかしな話ですが ―― にして、私だけ…仲間外れにされている。
そんな感覚がどうしても否めないのです。

小蒔「(でも…皆はどうしても話してくれません…)」

昨日、流石に我慢出来なくなった私は霞ちゃんたちにそれを伝えました。
しかし、皆は気まずそうに誤魔化すだけで決して本当の事を言ってはくれません。
それが私にとってはまた『壁』を感じる事であり…気分を落ち込ませていました。

小蒔「(…須賀さんとお話したいです…)」

きっと須賀さん相手ならこんな事はないのでしょう。
私の『友達』になってくれると言ってくれたあの人なら…こんな風に私を除け者になんてしないはずです。
しかし、私は未だあの日の返事一つマトモに返す事が出来ていないままでした。
いえ、それどころか…手伝うと言った能力制御の手伝いにさえ…参加させてもらえていない有様なのです。

小蒔「(私…約束を破ってばっかり…)」

折角、ああやって須賀さんに意気込んだのに…私がやっている事はまったく正反対の事。
それに顔を俯かせながら、私はそっとため息を吐きました。
これでは須賀さんの友達だなんて到底、自分で言う事は出来ません。
しかし、約束を護ろうにも…須賀さんの傍には常に誰かが居て、私が入る隙間なんてないのです。

小蒔「(いえ…違います。本当は…強引に入る事だって出来るんです…)」

でも、そうやって強引に入った後、私が須賀さんの手伝いが出来るかは疑問でした。
いえ、やると言った以上、私だってその気はありますし、そうしなければと言う気持ちはあるのです。
しかし…それが他の皆よりも成果を出してあげられる…と言う意味では決してありません。
寧ろ…私が邪魔をしてしまう可能性だってあり得るのです。
そう思うと…無理に割り込む気にはどうしてもなれず、私は結局、遠巻きに須賀さんたちを見るだけでした。


小蒔「(もっと…自信が欲しいな…)」

決して揺るがないような自信があれば、こんな事はないのかもしれません。
しかし、私には他の皆よりも秀でていると思えるようなものはないのです。
例外は…『巫女』としての能力だけ。
しかし、それでは須賀さんの手伝いをするなんて到底、出来ないのです。
普段…姫様だと持ち上げられながらも、手伝い一つ出来ない力に自嘲が漏れました。

霞「あら…姫様?」
小蒔「あ…」

そんな私に呼びかける霞ちゃんの声に私はそっと顔をあげました。
そのまま視線を右へと向ければ、そこには着替えを持った霞ちゃんがいます。
進行方向から察するに霞ちゃんもお風呂に入りに行く途中なのでしょう。

霞「小蒔ちゃんもお風呂?」
小蒔「え、えぇ」

そして私もまた霞ちゃんと同じくお風呂に行く途中でした。
とは言え、その返事が微かにぎこちなくなってしまったのは…霞ちゃんに対して含むところがあるからです。
皆が須賀さんの周りを囲み、私を近づけないようにさせているのは間違いなく、霞ちゃんの指示なのですから。
それを思えば、以前のように仲良くする気にはどうしてもなれず、一緒に並んで歩いている今も…どこかぎこちない雰囲気が流れていました。

小蒔「(本当は…こんなの嫌なのに…)」

私だって本当は霞ちゃんと仲良くしたいのです。
幼い頃から私のお姉ちゃんみたいに仲良くしてくれた霞ちゃんとギクシャクなんてしたくありません。
けれど、その為には…霞ちゃんが事情を話してくれるのが必要不可欠なのです。
そうすれば…私だって色々と納得して、今の措置にも理解を示す事が出来るでしょう。
しかし、霞ちゃんは頑なに事情を話してはくれません。
それが私達の間にしこりとなって、ぎこちなさへと変わっていました。

霞「あら…」

それでも一緒に並んでしまう自分に胸中で苦笑を向けた瞬間、霞ちゃんがそっと懐から携帯を取り出しました。
それは私の教育に悪いからと決して与えられはしなかったものです。
しかし、その半面、私の周りの皆は連絡の為に持たされ、それを使いこなしていました。
それにもまた『壁』を感じる私の前で、霞ちゃんの顔が驚きへと変わっていきます。

小蒔「…どうかしたんですか?」
霞「あ…いや…何でもないのよ」

霞ちゃんはそう言って誤魔化しますが、到底、そうは見えません。
ある程度の事なら表情を崩さずに処理出来る霞ちゃんがこんなにも露骨に表情を変えたのですから。
きっとそれだけ大きな事が携帯には書いてあったはず。
それなのに…私にはまた教えては貰えない。
それに今までずっと仲間外れにされてきた疎外感が不満と共に一気に暴発し、私は指を明後日の方向へと指さしました。

小蒔「あ…お父様!」
霞「えっ!?ご当主様!?」

瞬間、私の声に弾かれるようにして霞ちゃんが明後日の方向へと向きました。
その身体が反射的に中腰になって挨拶の姿勢を取ろうとしているのは条件反射のようなものなのでしょう。
そして、故にそこが付け入る隙となるのです。
普段であれば…決して私に携帯を取らせはしない霞ちゃんの手から…その携帯を奪い取る為に必要で決定的な隙に。


霞「あっ!」

そんな私の動きに霞ちゃんが気づいた頃にはもう遅いです。
既に私の手には携帯が握りしめられ、その画面を開いていました。
瞬間、私の目に飛び込んできた文字は… ――

小蒔「…え?」

『須賀京太郎』と言う私も知る男性の名前と…そして『急な話で申し訳ありませんが、明日、帰ります』という簡潔な文章のみ。
けれど、私はそれを最初、信じる事が出来ませんでした。
だって…須賀さんはついこの間、このお屋敷に来たばかりなのです。
まだ能力を制御する方法だって確立出来ていませんし、須賀さんが本当に求めていたという後遺症をなくす方法もまったく見えていません。
それなのに…帰ろうとするなんて何かがおかしい。
そう思った瞬間、私はその下にもう一文、付け加えられている事に気づきました。

― 『ご迷惑をお掛けして申し訳ありません』

小蒔「迷…惑…?」

一体、彼が何時、誰に迷惑を掛けたと言うのでしょう。
寧ろ、須賀さんはとても皆に馴染み、私が疎外感を感じているくらいなのですから。
そんな須賀さんが迷惑だと思うような事なんて…私には一つしか思いつきませんでした。
いえ…もっと言うならば…あんなに皆に囲まれていた須賀さんが自分の存在が迷惑だと思うほどに疎外感を感じる理由なんて…一つしか思い至らなかったのです。



小蒔「(社交辞令なんかじゃ…ない…)」

私の知る須賀さんはこんな社交辞令を書くような人ではありません。
書くのならば、『申し訳ありません』よりも『有難うございます』と書くでしょう。
そんな人が…謝罪を文面に残すほど、追い詰められ、苦しめられている。
それは… ――

霞「小蒔ちゃん…?」
小蒔「…霞…ちゃん…」

それは…きっと皆が創りだした『壁』の所為。
私と須賀さんを隔てる『壁』に…須賀さんもまた気づいていたのでしょう。
皆に慕われるように囲まれて笑みを浮かべながらも、そこに困るような、傷つくような表情を混ぜていたのはきっとその所為だったのです。
それ故に…須賀さんは今、この屋敷から出て行こうとしている。
それが私には…涙が出そうになるほど悲しく…そして… ――

霞「っ!だ、ダメよ、小蒔ちゃん!!」

必死さを強く感じさせる霞ちゃんの声は私にも届いていました。
しかし、心の奥がポッカリと空いた寂しさはそれでは埋まらないのです。
それを埋めてくれるのは…たった一つ。
ドロリとした暗い感情と…確かにある皆に対する怒り。
そして…それに惹かれて現れる…ドス黒い力の形。


霞「気をしっかりもって…!小蒔ちゃん…!」
小蒔「4る。い…!」

そんな私に呼びかける霞ちゃんへと応える声は…もう私のものではありませんでした。
私という器に何か大きなものが満たされて、それが私を通して話しているのです。
しかも…それは普段、私を通して降りていると言う九面様のような優しい感じじゃありません。
ただただ暴れて…力を撒き散らす事を望む怒りと嫉妬の化身。
それが私の身体を今にも乗っ取ろうとしている感覚に…私は… ――

小蒔「あは…Aは…っ♪あはは…あは…あはHAH3Fはっ」

どうしても抗えず…意識がゆっくりと下へ下へと落ちていきます。
そんな意識とは対照的に…私の口から狂気するような声が漏れるのが聞こえました。
まるで…この世に生まれ落ちた事が楽しいと言うようなそれを抑えようと霞ちゃんが手を伸ばします。
しかし、既に冷たい力で満たされた私の身体は霞ちゃんにも容赦しません。
寧ろ、その牙を嬉々として向けるように、無防備な衣服を引き裂いて傷を与えようとするのです。

小蒔「(霞ちゃん…逃げ…て…)」

最後に頭の中でそう呟いて、私の感覚はそっと途切れます。
ただただ、暗い闇の中で眠るようにして意識が横たわっているだけで…外の様子が分かりません。
ですが…嬉々とするドス黒い意識が、皆を傷つけている事だけがはっきりと伝わってくるのです。

小蒔「(もう…もう止めて…!!)」

心の中でそう叫んでも、私の身体は止まりません。
寧ろ、嬉々として暴れ回り、また誰かを傷つけているのです。
それが辛くて…苦しくて…でも、謝る事すら出来ない現状に私の意識は悶えました。
それにドス黒い意識が喜ぶのを感じながらも、私は何度も何度もそう叫びます。

京太郎「神代さん!無事です…か…?」
小蒔「(え…?)」

そんな中、須賀さんの声がはっきりと私の耳に届きます。
まるで…まるでそれだけは決して聴き逃しちゃいけないと思っているように…はっきりと私の意識に届いているのです。
それに驚きの声をあげた瞬間、ドス黒い『何か』がニタリと嫌な笑みを浮かべたのが分かりました。
まるで私を傷つける最高の道具を見つけたようなそれに…私の意識は慌てて叫びます。

小蒔「(須賀さん!逃げて!!)」
京太郎「ぐぁ…ぁあっ!」

しかし、どれだけ叫んでも私の声が須賀さんに届く訳がありません。
そう分かっていても、私は叫ばずにはいられませんでした。
だって…須賀さんは何も関係がないのです。
こんな…私の…おかしな力に巻き込まれる必要なんてなかったのですから。
しかし、私が反応してしまった所為で…私の身体を支配している『何か』は須賀さんに矛先を変えてしまった。


小蒔「(あぁ…っ!あぁぁぁ…っ!!)」

それに押しつぶされるほどの罪悪感と痛みを感じて、私の心が悲鳴をあげました。
今にも心が真っ二つに引き裂かれそうに思えるその痛みに何度も何度も叫びます。
止めてって…もう止めてくださいって…枯れそうなほどに。
けれど…『何か』はニタニタと笑うだけで…決して止めてはくれません。
寧ろ、そんな私や須賀さんの苦しみを喜ぶようにして、余計に彼を痛めつけようとしているのです。

京太郎「だいじょぶ…っす…!」
小蒔「(え…)」

それに心がバラバラになってしまいそうに思った瞬間、私の耳に強がった声が届きました。
今にも消えてしまいそうなくらいに掠れているのに…誰かを励まそうと必死に漏らすその声に…私は驚きます。
だって、それはまるで…私の声を聞き届けているようなものだったのですから。
それに今にもバラバラになりそうな私の心がギリギリの所で踏み留まり、痛みがほんの少し和らぎました。

小蒔「(でも…それは私にじゃないはずです…)」

勿論、そうであって欲しいと言う気持ちは私にもあるのです。
しかし、私の声が届いていないのは明白で…それはきっとその場にいる他の誰かに向けたものなのでしょう。
そう思うと胸の奥から妙な腹立たしさが溢れ、拗ねるような気持ちが大きくなっていきます。

京太郎「っだ、…大丈夫…ですよ…じんだ…ぃさん…!」
??「っ~~!」

それに身体を支配している『何か』が喜悦を浮かべようとした瞬間、再び私の意識に須賀さんの声が届きました。
今度こそ…今度こそ本当に私へと向けられた須賀さんの声。
それに『何か』が信じられないかのように目を見開き、困惑するのを感じます。
いえ…寧ろ、普通では有り得ないはずの反応に、『何か』は困惑を通り越して、微かに怯えていました。


京太郎「きっと皆…が…何とかして…」
??「…あ゛あああぁぁっ!!」

それを認めまいとするように『何か』が暴れ始めます。
それに須賀さんも巻き込まれているのでしょう。
手のひらから何かを叩きつけるような感触が伝わってくる度に、潰れるような須賀さんの声が聞こえました。
苦痛に強く彩られたそれは…聞いているだけでも胸が張り裂けて死んでしまいそうです。
しかし…それでも、私の手のひらから伝わってくる感覚はなくなりません。
これほどまでに『何か』は怯えているのに…逃げようとしているのに…なくならないそれは…もしかしたら… ――

小蒔「(須賀さんが…握ってくれているんですか…?)」

それが一体、どうしてなのかは分かりません。
私が怯えないようになのか、それとも他に誰かを傷つけない為になのか。
しかし…私の身体を支配し、尋常ならざる怪力を振るう『何か』に対して須賀さんも立ち向かおうとしてくれているのは事実でしょう。
ならば…私も…逃げている訳にはいきません。
何の力もない須賀さんがこうして私を助けようとしてくれているのに…何時までも一人泣いている訳にはいかないのです。

小蒔「(いい加減…私の中から出て行きなさい…!!)」

その言葉に何かの意味がある訳ではありません。
一度、降ろしてしまったものに対して、私はあまりにも無力で…そして受動的なのですから。
しかし…それでも霞ちゃんたちの手によって弱り、怯えた『何か』に対して、決定打となる力はあったのでしょう。
それを契機としたように『何か』がふっと私の中から抜けていくのを感じました。


小蒔「あ…」
霞「姫様!?」

そんな私が床へと倒れこむ前に抱きとめてくれたのは霞ちゃんでした。
それが…少しだけ不満なのは多分、贅沢というものなのでしょう。
それでも、出来れば…まるで物語のヒーローのように須賀さんに抱きとめて欲しかったのは否定出来ません。
どれだけ我儘であると理解していても…暗く、深い悪意の中、私に必死に呼びかけてくれていた彼に受け止めて欲しかったのです。

小蒔「須賀…さんは…?」
霞「…大丈夫よ。今、春ちゃんが看てる」

しかし、アレだけ暴れた私の手をずっと握り続けた須賀さんは決して無事とは言えないのでしょう。
ほんの少し遅れた霞ちゃんの声は微かに震え、それが決して言葉そのものの意味ではない事を教えてくれました。
それが悲しくて私の目に熱いものが浮かびますが、私はもう目を開ける力もありません。
悪神・悪霊と呼ばれる類のものに憑かれるのは、九面様を降ろすよりも遥かに疲れる事なのですから。
まして、それが私の身体で遠慮無く暴れまわった後ともなれば、身体は疲労感で満ちていました。

小蒔「(あぁ…私…は…)」

こんな風になるのは別に今回が初めてじゃありませんでした。
九面様全てを降ろす事が出来る巫女と言うのは、謂わば巨大なアンテナも同然なのです。
それを狙って、幼い頃から私の周りには悪いものが付き纏っていました。
私の心が過度に弱ってしまった際、その心のスキマに入り込み…自らの欲求を満たそうとするものたちが。
霞ちゃんたちが親元を離れ、こうして私の傍についてくれているのは私を護る為だけではなく、それらを祓う為でもあるのです。

小蒔「(また…やってしまい…ました…)」

それでも霞ちゃんたちが傍に居るようになってから、それらは殆どありませんでした。
けれど…今、私は久しぶりにそれを起こし、須賀さんを傷つけてしまったのです。
何の関係もない…ただ、私のお友達になろうとしてくれただけの…優しい人を…傷めつけてしまったのでした。

小蒔「(巫女になんて…ならなければ良かった…)」

こんな力がなければ、須賀さんを傷つける事なんてありませんでした。
こんな力がなければ…須賀さんが自分のことを迷惑だと思う事もなかったのです。
こんな力がなければ、霞ちゃんたちだって普通の女子高生として暮らす事も出来たでしょう。
それは…逆に言えば、この力がなければ、須賀さんとも、霞ちゃんたちとも出会う事が出来なかったと言う事です。
しかし…それでもどうしても…私の心の中からその声はなくなりません。
今回の事でさらに強くなった感覚に…私は胸を震わせながら、そっと意識を手放し、暗い眠りの中へと落ちていったのでした。




………



……








小蒔「あ…」

そんな私が目を覚ましたのは自分の部屋の中でした。
目の前に柔らかい布団の感触がある事から察するに誰かが私の事を部屋まで運び、布団に寝かせてくれたのでしょう。
それに感謝の気持ちを感じる反面、放っておいてくれても良かったのに…と思う気持ちが私の中にありました。

小蒔「(…皆に会わせる顔がありません…)」

勿論、霞ちゃんたちにとって、私がああやって取り憑かれた姿を見るのは初めてではありません。
しかし、害意を持って暴れまわる私に対して、恐怖を感じないはずがないのです。
幾ら六女仙として、そう言ったものに立ち向かう訓練を受けているとは言え、皆も普通の女の子なんですから。
どれだけそれに立ち向かう力があったとしても…怯える気持ちをなくした訳じゃないでしょう。

小蒔「(それに…私は…須賀さんを…)」

そう胸中で呟きながら、そっと見下ろした手の中には、未だ肉を壁や床に叩きつけた嫌な感触が残っていました。
グシャリと音を立てるようにして腕に伝わるその感触は今にも吐き出しそうなほど気持ち悪いものです。
しかし…本当に辛いのは私ではなく、須賀さんの方でしょう。
アレだけ傷めつけられても…私の意識が身体の支配を取り戻すギリギリまで…私の事を握り続けてくれていたのですから。

小蒔「(…だって…こんなにも…私の手に…痣が残っています…)」

須賀さんには霞ちゃんたちと違って、何の力もありません。
いえ、ある事にはあるのですが…その…ああなった私に対して有効なソレではないのです。
ましてや除霊の為の訓練など受けているはずもなく、あの場ではただ傷めつけられていただけ。
しかし…それが何より…私の心に残っていました。
本当なら真っ先に逃げたいであろう立場だったはずなのに、ただ巻き込まれただけなのに…あの場で出来る最善を考え、尽くしてくれた人。
私の手に痣が残るほど強く握りしめ、暴れる私の手綱をギリギリの所で締めてくれていた…優しくも強い人。
その人のお陰で…私は霞ちゃんたちを傷つける事はなく、取り憑かれたにしては比較的被害の少ない結果に終わったのでしょう。


小蒔「…須賀さん…」

その人の名前を呼ぶと…私はもう我慢出来なくなりました。
申し訳なさと感動で目尻が熱くなり、痣がズキリと疼きます。
それが背を押すままに私はそっと布団から抜け出し、時計を見ました。
時刻は既に深夜の三時。
丑三つ時と呼ばれる時刻ですが…関係ありません。
今の私は…ただ須賀さんの安否を自分の目で確認したくて仕方がなかったのです。

小蒔「ん…く…」

しかし、それでも身体の気怠さが私の足を引っ張ります。
幾らか寝てマシになったとは言え、私の身体は休息を求めているのでしょう。
身体中で筋が引っ張るような感覚が起こり、ピリリと痛みを感じました。
それでも足を止める気にはなれない私はそっと襖戸を開き、廊下へと顔を出すのです。

小蒔「(誰もいません…ね?)」

念のため、周囲を確認してから私は廊下へと足を踏み出しました。
流石に時間が時間だけにないとは思いますが、霞ちゃんたちに会ったりすると目も当てられません。
これから私がやろうとしている事は紛れもなく殿方の寝所に顔を出す事なのですから。

小蒔「(れ、冷静に考えると…凄いはしたない事ですよね、これ…)」

こんな夜中に殿方の寝床に行くだなんて…夜這いも同然だと言われてもおかしくはありません。
それを思うと私の頬がそっと熱くなり、恥ずかしさが湧き上がって来ました。
もし…須賀さんに見られてはしたないと思われてしまったら、どうしましょう…。
そうは思いながらも、私はその顔がどうしても一目見たくて…足を止められませんでした。

小蒔「(…き、来ちゃいました…)」

結局、数分後には私の足は須賀さんが寝ているであろう客間にたどり着いていました。
けれど、私の手は中々、その襖戸を開ける気にはなれません。
後ほんの数メートル先に須賀さんの寝顔があると思うと妙にドキドキしてしまうのです。

小蒔「(だ、大丈夫ですよ、確認…確認するだけなんですから)」

そう自分に言い聞かせて、大きく深呼吸した後、私はそっと襖に手を掛けました。
そのまますっと動かせば、その向こうには見慣れた客間があります。
そして…そこに敷かれた一式の布団。
その中には腫れ上がった顔で横になる須賀さんの姿があり、そして… ――

小蒔「(あれ…?どうして春ちゃんが…?)」

そんな須賀さんの脇には畳へと倒れこむように寝ている春ちゃんの姿がありました。
恐らく途中まで看病をしていたのでしょう。
その近くには水の入った小さな桶と濡れたタオルが置いてありました。
微かに血の染みこんだそれは須賀さんの顔を何度も何度も拭いた事を私に教えます。

小蒔「(…ごめんなさい…)」

そうやって春ちゃんが看病の途中で糸が切れてしまうくらい…須賀さんの様態は酷いものだったのでしょう。
それが伝わってくる光景に私はぎゅっと歯を食いしばりました。
そのまま今すぐ春ちゃんにも、須賀さんにも謝罪したいですが、今の時刻は到底、それが出来るものではありません。
それよりも今は…須賀さんの横に布団を引いて、春ちゃんをちゃんと寝かせてあげるべきでしょう。


小蒔「よいしょ…」

未だ筋張った感覚が残る身体ではそれも難しいですが、決して出来ない訳じゃありません。
数分後には備え付けの布団を一組おろしきった私は、そこに春ちゃんを横たえさせる事に成功しました。
その最中、春ちゃんがまるで離れたくないとばかりに私の服を掴んだのが少しだけ気になります。
一体、どんな夢を見ているのか、その唇は微かに動き、何かを言っていました。

小蒔「(何となく…それに気づいちゃいけない気がして…)」

まるで縋るように…何度も何度も唇を動かす春ちゃんの姿。
それは今まで一度も見たことがないくらい必死で…そして悲しいものでした。
それを向けられる誰かはきっと光栄だろうと思うそれを…私は思考から弾き出します。
春ちゃんの事は勿論、大事ですが、今は何より須賀さんの事が第一なのですから。

小蒔「(…須賀さん…)」

とりあえず一仕事終えた事を確認した私は改めて、須賀さんの布団の脇に腰を下ろします。
枕元の右側からそっと見下ろすその顔は…とても凄惨なものでした。
精悍な顔つきを作っていた頬は腫れて真っ赤になり、瞼の上も切れているのか、真っ赤になったガーゼが押し当てられています。
唇もボロボロで、その端からは真っ赤な跡が鋭く切り込まれていました。
鼻にも添え木が当てられていて、無事では済まなかった事を私に教えます。

小蒔「(でも…こんなのきっと…氷山の一角にすぎないのです…)」

こうして顔を見るだけでも怯んでしまいそうな大怪我。
しかし、それが顔だけでは済まず、全身に広がっているのが私には分かります。
きっと腕や足にも湿布や包帯が巻かれ、顔にも負けない悲惨な状況になっているのでしょう。
それにじわりと涙が浮かびますが、私にはどうしようも出来ません。
人をこうして傷つける力はあるというのに…人を癒す力なんて私にはないんです…。


小蒔「…ごめん…なさい…っ」

思わず呟いたその声と共に私の目尻から涙が溢れました。
勿論、泣いたって何も解決しませんし…その言葉を捧げるべき人は今も眠っています。
そんな状態で…謝罪を口にしても何の意味もないでしょう。
しかし…それでも思わず私の口からその言葉が出てしまうくらいに…須賀さんは痛ましい姿だったのです。
会った時の陽気で…ちょっと意地悪で…でも、とても暖かで優しい須賀さんと本当に同一人物とは思えないくらい…酷い状態だったのです。

小蒔「ごめんなさい…っ!」

もう一度、呟いた私の指先がぎゅっと袴を握り込みます。
そこに幾つもの染みが広がっていくのを感じながらも、私はそれを抑える事が出来ませんでした。
幾ら謝っても奥から奥から溢れ出る感情の波が私を責め続けているのです。
身体の内側に留めおく事が出来ないそれに私は涙を流し、何度も何度も小さな声で謝り続けました。

京太郎「神代…さん…?」
小蒔「え…?」

そんな私に唐突に聞こえた声。
それに思わず聞き返した私の目にこちらを向いた須賀さんの顔がありました。
その目は腫れの所為か微かにしか開いていませんでしたが、それでも須賀さんの目が完全に覚めているのを私に教えます。

京太郎「どうかし…いたっ!」
小蒔「あ、あわわ…」

そんな私の前で急に起き上がろうとした須賀さんが痛みを訴えました。
ぎゅっと身体を丸めるようなそれはきっと全身に苦痛が走っているが為なのでしょう。
しかし、それを見ながらも、急激に変化する展開に私はついていけません。
痛みを訴える須賀さんにどうして良いか分からず、私は視線をあちこちへと彷徨わせました。

小蒔「え…えいっ!」
京太郎「ぬぉあ!?」

それでも消えぬ焦りに背を押され、私が選んだのは須賀さんを布団へと押し戻そうとする事でした。
ぐいっと須賀さんの肩を押してのそれに須賀さんはバランスを崩し、布団へと戻ります。
そのまま反発を利用して戻れば良いものを、焦った私は力加減を間違ってしまいました。
ぐいっと押した勢いのままに…須賀さんを布団へと押し倒してしまうのです。

小蒔「あ…」

須賀さんの顔を上から見つめる私の髪がそっと垂れました。
霞ちゃんほどではなくても、それなりにある私の髪が須賀さんの顔を包み、それ以外を視界から排除します。
まるで…世界に私と須賀さんしかいないような…そんな何とも言えない感覚。
それに胸の奥がトクンと跳ねたのを感じながらも、私は須賀さんから目を離せませんでした。

小蒔「(何でしょう…この…感覚…)」

さっきまで須賀さんの顔を見ていた時には決して感じなかった不思議な感覚。
それに疑問を覚えながらも、それは決して嫌ではありませんでした。
いえ…寧ろ、こうやって見つめ合うだけで胸の奥から暖かな気持ちが沸き上がってくるのですから。
今まで感じたどんなものともズレているそれの名前を私はまだ知りません。
ですが…それでも今、私が求めている事だけは…しっかりと分かるのです。

小蒔「(わ、わわ…私…今…欲しがってる…須賀さんの…唇を…接吻…を…)」

今…胸が焦がれそうなほど、私が求めていたのは須賀さんの唇でした。
私の所為で血に濡れ、荒れてしまったその唇に…私は自分の証を残したかったのです。
そ、そんな事…女性がやるような事じゃないなんて…私にもちゃんと分かっていました。
まして…殿方を押し倒しながら、接吻しようだなんて…あまりにも破廉恥が過ぎる行為でしょう。
しかし…それなのに…あの時の私は…まったくそれに対する忌避がありませんでした。
それどころか…そうする事がとても正しい事のように思えたのです。

京太郎「えっと…とりあえず…大丈夫ですか?」
小蒔「は、はい…」

そんな私の気持ちを察してくれた須賀さんの言葉に私はそっと頷きました。
一体、何が大丈夫なのか、色々ありすぎて分かりませんが、今の私は大丈夫なはずです。
途中で気づいたお陰で、接吻しようとするような衝動は霧散しましたし、何かに取り憑かれている訳でもないのですから。
何時も通りの…普通の神代小蒔に戻っているはずです。

小蒔「まず…須賀さんにこんな大怪我をさせて、すみませんでした…っ!」スッ
京太郎「あ、頭をあげてください。神代さんは何も悪くないじゃないですか」

そして…だからこそ、しなければいけない事がある。
そう心の中で思考を切り替えながら、私は畳に手を着いて頭を下げました。
所謂、土下座と呼ばれるそれに須賀さんが焦ったように慰めてくれます。
しかし…それでも私は頭をあげる事が出来ません。
それだけの事を…私は須賀さんにしてしまったのですから。

京太郎「そ、それより神代さんの方こそ大丈夫なんですか?」
小蒔「わ、私は平気です…それより須賀さんの方が…」

そんな私を気遣ってくれたのでしょう。
須賀さんは逆に私の安否を気にする言葉をくれました。
それにジンと胸の奥が熱くなるのを感じながら、私はそう言葉を返します。
確かに私の身体には疲労や筋張った感覚が残っていますが、それだって何かするのに大きな支障が出るレベルではありません。
全身が腫れ上がった須賀さんの前で口に出来るようなものでは決してないのです。


京太郎「…嘘はいけませんよ。動きが少しぎこちないじゃないですか」
小蒔「う…」

しかし、それは須賀さんに見抜かれてしまったのでしょう。
呆れたように言う須賀さんの言葉は確信を伴ったものでした。
それに言葉を失う私の前で須賀さんがそっと左手を伸ばし、伏せたままの私の頭にそっと触れるのです。

京太郎「顔をあげてください。そうじゃないと…お話も出来ないです」
小蒔「あ…」

ポンポンと子どもをあやすような優しい手つき。
まるで父が我が子にするような暖かなそれは……須賀さんが本当に私の事を許してくれている証なのでしょう。
そう思うとまた目元が熱くなり、涙が漏れそうになってしまいます。
今にも泣きそうな顔を見られるのはどうしても嫌で…私はそのまま伏せていました。

京太郎「それとも…こうやってずっと髪を撫でられて居たいですか?」

そんな私に悪戯っぽく告げられるそれはとても魅力的な提案でした。
だって…こうやって須賀さんに撫でられるのは胸が震えるほど嬉しい事なのですから。
安堵と緩やかな歓びが混ざったそれは何時までも何時までもして欲しいくらいです。


小蒔「…いたい…です…」
京太郎「え…?」
小蒔「あ…」カァァ

それがそのまま口に出てしまった私に須賀さんが驚いたような声を漏らしました。
きっと私がそんな風に応えるとはまったく予想していなかったのでしょう。
それに頬が羞恥を灯し、赤く染まっていくのを感じました。
一体、私は何でこんな子どもっぽい事を言っているんでしょう。
そう胸中で自嘲の言葉を漏らしながら、私はそっと顔をあげました。

京太郎「ともあれ…無事で良かったです」
小蒔「…須賀さんの方は…」
京太郎「頑丈さだけが取り柄みたいなもんっすから大丈夫です」

それは…強がり以外の何者でもないのでしょう。
そう言って、そっと笑う須賀さんの表情は強張っていました。
あれだけ傷めつけられたのですから…今もその身体は苦痛で一杯のはずです。
それなのに私の事を気遣って、強がる須賀さんの姿はとても痛ましいものでした。
もしかしたら、こうやって話しているのも辛いのかもしれません。
しかし、それでもそれを漏らそうとせず、私の事を第一に考えてくれるその姿に…私は… ――

小蒔「ごめん…なさい…っ」

再び漏れる大粒の涙。
けれど、本当に泣きたいのは須賀さんの方なのです。
何の関係もないのに…ただただ巻き込まれ、今も苦しんでいるのですから。
それなのに強がってくれている人の前で泣いても…無意味でしょう。
それが分かっているのに…私の涙は止まりません。

小蒔「…ぁ…」
京太郎「泣かないで下さい」

そんな私の手に包帯が巻かれた須賀さんの手が伸びました。
そのまますっと頬を撫で、目尻を拭ってくれるそれはとても優しく暖かなものです。
さっき私の頭に触れてくれたのと変わらないそれに私の涙はさらに溢れます。
それが…須賀さんの優しさが嬉しいからなのか、そんな須賀さんに対して何も出来ない自分の情けなさからなのかは分かりません。
ただ…グチャグチャになった胸中から感情を絞り出すように…私はずっと泣き続けていたのです。

小蒔「ぐす…っ」
京太郎「…落ち着きました?」
小蒔「…はい。ご迷惑をお掛けしました…」

数分後、それが一段落した頃には、私の顔はグチャグチャになっていました。
須賀さんが必死に拭ってくれたものの、涙で濡れて、到底、見れたものではないでしょう。
しかし、それとは対照的に、私の胸は少しだけすっきりとして…気分が軽くなっていました。

小蒔「どうして…ですか…?」
京太郎「え…?」
小蒔「どうしてそんなに…優しく出来るんですか…?」

そんな私の頬を優しく拭い続けてくれる須賀さん。
その優しさは嬉しいものの…どうしてもそんな疑問が私の胸から浮かび上がってくるのです。
普通の人であれば…あれほど痛めつけられれば、私を怖がったりするでしょう。
私の力を知っている人でさえ、暴走に巻き込まれた時には明白な恐怖を浮かべるのですから。
しかし、須賀さんはそんな私を怖がったりしないどころか、こうして優しく慰めてくれるのです。
正直…恨み言の一つや二つは覚悟していた私にとって、それは嬉しい誤算ではありましたが、同時に理解できない事でもあったのです。

京太郎「あー…ファンだから…じゃダメですか?」
小蒔「ファン…ですか…?」

勿論、それは私も把握していた事です。
だって、それは初めて会った時から須賀さんが言ってくれた事なんですから。
ですが…そう言ってくれた時は確かに嬉しかったはずなのに、今の私には少し…不満な答えでありました。
嬉しいのは事実ですし…納得出来る答えであるのは事実ですが…何か物足りない気がしてならないのです。

京太郎「後、友達になりたいっていう下心も割りとあったりですね…」
小蒔「あ…」

そんな私の耳に届いた申し訳無さそうな言葉。
それに私の胸がジンと震えて、嬉しさを沸き上がらせました。
須賀さんも…まだ私と友だちになりたいと思ってくれている。
それをこうして確認できた喜びに…再び涙が漏れそうになりました。
私はこんなに泣き虫さんじゃなかったのに…一体、どうしてなのでしょう。
さっきから…私の心は須賀さんの言葉に振り回されてばっかりなのです。

小蒔「(でも…それが嫌じゃありません…)」

こうして言葉一つ一つに振り回され、涙が出そうになっているのに…それがまったく嫌じゃないのです。
それはきっと…須賀さんがとても暖かで優しい人であると分かっているからなのでしょう。
そうやって振り回されるのも須賀さんの優しさの所為なんだと思えば…胸の奥が熱くなるようにすら感じるのです。

小蒔「本当に…良いんですか?」
京太郎「え…何がです?」
小蒔「だって…私…『普通』じゃないです…」

しかし、それでも、私は須賀さんの言葉にすぐさま頷くことが出来ませんでした。
だって、私は…『巫女』で…決して『普通』ではないのです。
それはさっき私に痛めつけられてしまった須賀さんには良く分かっている事でしょう。
ですが、それでも…確認するように口にするのは…もう自分では止まる事が出来ないからです。

小蒔「(本当は…お友達にならない方が良いって分かっているのに…)」

私は須賀さんを傷つけてしまいました。
須賀さんがそれを許してくれたといっても、その事実は変わりません。
そして…また何時…さっきのように須賀さんを傷つけるかどうか分からないのです。
それを思えば…自分からその申し出を断るのが最善なのでしょう。
ですが…これまでそれを望み、しかし、手に入らなかった私の心はそれを選ぶ事が出来ません。
傷つけるかもしれないという恐ろしさよりも…これからずっと一緒にいたいという喜びの方を…選んでしまうのです。

京太郎「何言ってるんですか」
小蒔「え…?」
京太郎「神代さんは何処にでもいる『普通』の女の子ですよ」

そんな私に須賀さんは何でもないように言ってくれました。
まるで…本当に本心からそう思ってくれているような…普通の言葉。
しかし、それが私にはどうしてなのか理解出来ません。
だって、私の特異性はついさっき須賀さんも体験したばかりなのですから。
例え、神様の存在を信じていなくとも、私が危険である事くらい分かるでしょう。

京太郎「寧ろ、俺の方が化け物じみた能力をしてますってば。脅威度で言えば、俺の方が遥かに上ですよ」
小蒔「そ、そんな事…」
京太郎「それに…神代さんの力はそれだけじゃありませんよ」

確かに無差別に女性を、その…え、エッチな気分にさせると言うのは脅威であるかもしれません。
ですが、それは私の脅威とはまた違い、一緒にするようなものではないでしょう。
そう言おうとした私を遮るようにして、須賀さんが言葉を付け加えました。

京太郎「俺みたいに…人を傷つけるだけの力じゃないでしょう?」
小蒔「…あ…」

そう言いながら、怯えを見せる須賀さんの瞳を見て…私はようやく彼の感情に気づきました。
須賀さんは…誰よりも自分の能力の事を恐れているのです。
大事な人たちを傷つけてしまった自身の事を…何よりも恐れているのでしょう。
だからこそ…須賀さんは自分をこんなにも傷つけた私の力が怖くないのです。
それよりももっと恐ろしい事を知っているが故に、須賀さんは自分が傷つくという事に無頓着なのでしょう。
いえ…もしかしたら、こんな能力を持っている自分なんて死んでしまえば良いと…内心、思っているのかもしれません。

小蒔「(そんな事…)」

無いと…言ってあげたい。
そうやって卑下するような言い方をするほど酷い能力ではないと…言ってあげたいのです。
しかし、私は実際に経験した訳でも、何でもありません。
伝聞でしか知らない私が慰めるようにそう言っても、須賀さんの心には届かないでしょう。

京太郎「それに普段の神代さんはちょっと可愛くて頑張り屋さんなだけの何処にでもいるような女の子なんですから。問題ないですよ」
小蒔「……そう…でしょうか…」

そんな私を励ますように言う須賀さんの前で私は一抹の寂しさを覚えました。
こうして私が須賀さんの傍に居るというのに…何処か手が届かない…もどかしい寂しさ。
私にとって当事者であり、被害者である須賀さんとは違い…私は彼にとって加害者にも被害者にもなれていないのです。
その一方通行感が何とも重苦しく、私の言葉を途切れさせました。

小蒔「…あの…聞いてもらえますか?私の…力の事」

それでも決心するようにそう言ったのは、私の事を少しでも須賀さんに知ってもらいたかったからです。
そうやって私の力に対する理解を深め、もう少し…判断する余地を与えてあげたかったのでした。
…いえ、それはきっと建前なのでしょう。
今、私が感じている一方通行感は思わずそんな言葉が漏れてしまうほどに寂しいものであったのです。

小蒔「(嫌われて…引かれてしまうかもしれない…ですが…)」

ここまで巻き込んでおいて…何の説明もしないという訳にはいきません。
何より…これからお友達として付き合ってくださるという須賀さんに対して隠し立てする事でもないのです。
そう理性が言う言い訳を加える私の前で須賀さんが小さく頷きました。
それに小さな安堵を得ながら、私はそっと唇を開いたのです。

小蒔「私が巫女であり、ここで祀っている天孫降臨に出てくる九神…所謂、九面様を降ろす事が出来る…と言うのは知っていますか?」
京太郎「一応…霞さんに聞きましたけれど…」

どうやら、その辺りの基礎的な説明は霞ちゃんにされていたみたいです。
それに少しだけ拗ねるように思うのは、私の役目がまた霞ちゃんに取られたと思うからでしょうか。
しかし、今はそれを表に出している余裕はありません。
それよりも須賀さんにも分かりやすいような説明を心がけるのが必要なのですから。


小蒔「巫女とは凄い大雑把に言えば…アンテナと蓄電器みたいなものです。基本的にはお互いに波長を合わせた場所と交信しますが…時折、混信する事もあります」
京太郎「それが…今日…いや、昨日みたいな事だと?」
小蒔「はい…もっとも…あんな風に乗っ取られるのはこれまでも数回しかないくらいなんですけれど…」

しかし、それでもその度に暴走を繰り返し、周囲の人々を傷つけるのは紛れもない事実です。
それにそっと顔が俯くのを感じながらも、ここで言葉を区切る訳にはいきません。
これはまだ説明の入り口や基礎と呼ばれる部分であり、ここからさらに発展させていかなければいけないのですから。

小蒔「今は無意識的にそういうものを弾く訓練を受けているのですが…精神的に極端に弱るとああいうのに憑かれやすくなりまして…」
京太郎「今回もそうだったんですか?」
小蒔「ぅ…」

そう尋ねる須賀さんの顔には心配そうなものが浮かんでいました。
それも当然でしょう。
こんな言い方をされれば、誰だって今回もそうだったのではないかと思います。
それにまったく思い至らなかった自分の迂闊さに私は言葉を詰まらせてしまいました。

小蒔「はい…」
京太郎「何かあったんですか?俺で良ければ相談にのりますよ?」

ですが、それでもそうやって無言のままではいられない。
そう自分を叱咤した私の口から肯定の二文字が漏れました。
それに須賀さんが優しく、落ち着いた声音で聞いてくれるのです。


小蒔「(で、でもでも…な、何て言えば…!?)」

勿論、本当は須賀さんが帰るのが寂しくて、心に隙間を作ってしまったからです。
皆に迷惑を掛けたと、私と同じように仲間はずれにされていたのだと…そう感じたであろう須賀さんが辛くて…隙を見せてしまったのでした。
しかし、そんな事、本人の前で恥ずかしくて言う決心なんて中々出来ません。
かと言って、他の言い訳なんて思いつかない私は俯いた顔を赤く染め、視線を彷徨わせてしまいます。

京太郎「あ、いや、無理に言おうとしなくても…」
小蒔「だ、大丈夫です!…あ…」

そんな私に優しく言ってくれる須賀さんに私は反射的にそう返してしまいました。
それに自分で驚く声を漏らすものの、最早、後戻りは出来ません。
こう言ってしまった以上、やっぱりなしでと言われるのが一番、辛いですし、気になる事でしょう。
既に須賀さんに対して、酷い事を一杯してしまっている私にはそれを選ぶ事は出来ないのです。


小蒔「あ、あの…須賀さんが…帰るって…知って…ですね」
京太郎「え…?」
小蒔「だから…す、須賀さんが帰るなんて言うから…思わず…寂しく…悲しくなって…」

しかし、それでも、当時の私の心境をそのまま伝える事はどうしても出来ませんでした。
私が勝手に須賀さんにシンパシーを感じていただなんて…もし、そうじゃなかったら恥ずかしすぎるのです。
当時はソレしかあり得ないと思っていましたが、頭も幾分、冷えた今なら、ソレ以外の選択肢も見えてきているのですから。
それでもこうして驚いた顔をする須賀さんの前で思いを吐露するのは恥ずかしいものでした。

京太郎「…神代さんは甘えん坊なんですね」
小蒔「うーっ…」

からかうように言う須賀さんの言葉に私は逃げるように布団へと顔を埋めました。
ボスリと言う音と共に私の顔を受け止めてくれるそこには須賀さんの身体がありません。
下手に須賀さんの身体を刺激しないように心がけていたとは言え、それにちょっとした寂しさを感じてしまいます。

京太郎「でも…嬉しいですよ。有難うございます」
小蒔「須賀さんは意地悪です…」

最初からそう言ってくれれば、私だってこんな子どもみたいな真似をする事はありませんでした。
勿論、それが八つ当たりにしか過ぎないと私も理解していますが、やっぱり失態を見せてしまった以上、どうしてもそう思ってしまうのです。
そんな自分がこそばゆくて、でも、何処か嬉しくて…私は布団にグリグリと額を押し付けるように動いてしまいました。

小蒔「でも…どうしてあんな…迷惑だなんてメールを送ったんですか?」
京太郎「あー…」

そんな私の思考にふと浮かんだ疑問。
それは私にとって、どうしても確かめなければいけないものでした。
私も皆もきっと須賀さんの事を迷惑だなんて思っていないのです。
だって、霞ちゃん達に囲まれる須賀さんの姿はとても自然で、暖かなものなのですから。
こうやって五人でいる事が最初から当然であったようなそれを見て、誰も須賀さんの事を異物だとは思わないでしょう。
それなのに当事者である須賀さんが何を迷惑だと思ったのかは私には思いつきません。
しかし、それはきっと考えすぎであり、誤解なのです。
それを解消してあげなければ、と思って口にした疑問に須賀さんが困るような声を漏らしました。

京太郎「…ほら、俺、ちゃんと手伝いも出来てないですし」
小蒔「最近は朝早くから起きだして、初美ちゃんや巴ちゃんと一緒にお掃除してると聞きますけど…」
京太郎「む、無駄飯喰らいですし?」
小蒔「…霞ちゃんと一緒にお料理してる所は何度も見ましたし、霞ちゃんも褒めてましたよ?」
京太郎「と、特訓に皆を付きあわせていますし…」
小蒔「春ちゃんは須賀さんと一緒にいるだけで何時も嬉しそうです…」
京太郎「う…うぅ…」

一つ一つ丁寧に否定する私の前で須賀さんが呻くような声を紡ぎました。
…でも、本当はそうやって唸りたいのは私の方なのです。
こうやって皆と一緒にいる所を指摘する度に胸の中がチクチクして堪らないのですから。
まるで小さな針でイジメられているようなそれは不愉快という程ではありませんが、気に障るくらいの影響力はあったのでした。

京太郎「いや…まぁ……その…何て言うか…」

そして事此処に至っても言いづらそうにする須賀さんに私は確信を深めました。
本当に何でもない事だったなら社交辞令と言えば良いだけの話なのです。
それをこうして言いづらそうにしているのは何か理由があるからなのでしょう。
そして…皆の名前を出す度に、その目に迷いが浮かぶ姿を見れば…もう一つしかありません。

小蒔「…皆に…何か原因があるんですね?」
京太郎「あ…」

確かめるような私の言葉に須賀さんが小さく声を漏らしました。
そのままそっと視線を逸らす姿は、紛れも無い肯定の姿です。
子供っぽく見えるくらいに分かりやすいその姿に私はクスリと笑みを漏らしました。
けれど、その笑みは長くは続きません。
だって、その仕草はとても可愛らしく、ナデナデしてあげたくなるものの、その理由となった心の部分で須賀さんが深く傷ついているのが伝わってくるのですから。

京太郎「い、いや、ほら、俺ってば…やっぱり男じゃないですか。それなのに…皆、あんな風に仲良くしてくれて…」
京太郎「だから、皆、俺に対して気を遣ってくれているんだなって…そう思ってですね…」
小蒔「…須賀さん…」

私から目を背けながら言う須賀さんのその言葉に偽りはないのでしょう。
しかし…それだけでは迷惑だとメールに書き、中途半端なまま帰ろうとはしないはずです。
誰よりも自分の能力を恐れ、『警戒される事が嬉しい』とまで言った須賀さんにとって、能力制御は大きな課題なのですから。
故に…私に対して意図的に隠している部分がある。
それはきっと… ――


小蒔「…皆が…私から遠ざける為に…演技しているだけだって…そう思ったんですね?」
京太郎「っ…」

その部分へと切り込んだ私の言葉に須賀さんが表情を固くしました。
ぐっと強張ったそれは私の指摘が紛れもない事実であった事を教えてくれます。
やっぱり…須賀さんは最初、私が思っていた通り…皆の姿に追い詰められていたのでしょう。
明らかに不自然で…何か理由があるだろうその姿に…ずっと一人で思い悩んでいたのです。

京太郎「…すみません…」
小蒔「なんで…謝るんですか…」

須賀さんが謝る必要なんて何処にもありません。
寧ろ、謝らなければいけないのは私の方なのです。
私がもっと霞ちゃんたちに強く出る事が出来ていれば、須賀さんがこんな風に思うことはなかったでしょう。
今みたいに…夜中に部屋へと足を向ければ、もっと違う結末があったはずです。
しかし…それはあくまでも…『もしも』の話。
私はそれをしませんでしたし…出来ませんでした。

京太郎「いやぁ…この程度でガタつくとか情けないですし…」

しかし、須賀さんはそんな私や霞ちゃんたちを責めはしません。
寧ろ、申し訳なさそうに目を伏せて、視線を逸らすのです。
それに私の胸の痛みは強くなりました。
そして、その痛みに突き動かされるようにして、私の手はそっと須賀さんの額へと伸びたのです。


小蒔「…誰だってそうなります」

そう慰めるように言った言葉は私の本心でした。
だって…誰だって、自分に親しくしてくれている人たちが演技しているだけだと思えば辛いでしょう。
ましてや、それが誰かから遠ざけるために『仕方なく』やっている事だと思えば、尚更です。
その疎外感と申し訳無さに須賀さんが押しつぶされそうになっているのは至極、当然の事。
そう思うのは…私が普段から皆に対して『壁』を感じているからだけではないはずです。

小蒔「それに…そんな事はないですよ」
京太郎「え…?」
小蒔「皆…須賀さんの事が大好きです。それは私が保証しますから」

確かに…最初、皆が須賀さんの周りにいるようになった理由には私から遠ざけようとする意図があったかもしれません。
しかし、こうして共同生活が進む内にそれだけでないのは簡単に見て取れました。
皆、須賀さんの傍にいる時にも自然体で、とても安らいでいるのですから。
私が疎外感を感じるほどのそれは、内心、嫌っていては到底、作り出せない表情でしょう。

小蒔「だから、そんな風に自分を責めないで下さい。…そうされると…皆、辛いです」

そして、それはこの一件に関しては部外者である私に分かるほどはっきりとしているのです。
当事者である皆にとっても、それは自覚出来ているものでしょう。
だからこそ…あの時、メールを見た霞ちゃんはあんなにも露骨に表情を変えたのです。
霞ちゃんもまた…須賀さんに対して申し訳なく思っているが故に…好ましく思っているが故に…あれほど複雑な表情を見せたのでしょう。

京太郎「神代さん…」
小蒔「…小蒔で良いですよ。…お友達でしょう?」

そうやって悪戯っぽく言うのは恥ずかしい事でした。
もしかして自意識過剰過ぎて嫌われるのではないかという思考も過ぎり、気を緩めればあたふたとしてしまいそうになります。
しかし、それでも今の傷ついた須賀さんを一人にはしておけません。
ずっとずっと…仲間外れにされてきて…傷ついた須賀さんに必要なのは…壁なく心が触れ合える『お友達』なのですから。

小蒔「(それに…それは…私も同じで…)」カァァ

私は須賀さんほど深く傷ついている訳ではありません。
しかし、本当の意味でそうやって接する事が出来る『お友達』は一人もいなかったのです。
本当はずっとずっと欲しくて…諦めきれなかったそれに羞恥とは違う感情が胸の中へと混ざるのを感じました。
トクンと胸の奥を打ち、優しく温めてくれるそれはきっと喜びなのでしょう。
こうして…自分から須賀さんの手を取り、『お友達』になる事が出来た事への。


京太郎「あー…小蒔さん?」
小蒔「呼び捨てで良いですよ」
京太郎「いや、流石に年上を呼び捨てってのはどうかと思いますよ」
小蒔「…敬語もダメですー」プクー
京太郎「え、えぇぇ…」

けれど、須賀さんはそんな私にまだ堅苦しい感じを残していました。
あの夜、あんなにも親しげに話しかけてくれた人と同一人物とは思えないそれに私の頬が拗ねるように膨らみます。
自分でも少し子どもっぽいと思うものの、折角、こうしてお友達になれたのですから、そう言ったものが入り込む余地がないようにしたい。
そう願うのは多分、当然の事でしょう。

京太郎「じゃあ、小蒔さんも…」
小蒔「小蒔です」
京太郎「…じゃあ、小蒔も呼び捨てにしてくれよ」
小蒔「そ、それは駄目ですっ」
京太郎「な、何で?」

かと言って、私が敬語を崩したりする訳にはいきません。
だ、だって…そんな…女の人から呼び捨てだなんて…は、はしたないにもほどがあります。
ま、まるで…こ、恋人みたいな…そ、それはまだ早いっていうか…決心がつかないというか ――

小蒔「い、いいいい嫌じゃないんですよ!?」
京太郎「わ、分かった。分かったから落ち着いてくれ」

思わずヒートアップする私を須賀さんがそっと宥めてくれました。
そのままチラリと須賀さんが視線を向けた先には静かに寝息を立てる春ちゃんの姿があります。
いつの間にか寝返りを打っていたのでその顔を確認する事は出来ませんが、どうやら起こした訳ではなさそうでした。
それに一つ安堵の溜息を吐きながら、私は大きく呼吸をして、心を落ち着かせます。

小蒔「と、とにかくですね…。そう言うのはもうちょっと段階を踏んでから…」
京太郎「例えばどんな段階を踏めば良いんだ?」
小蒔「そ、それは…」

ふと尋ねてくる須賀さんに私は言葉を詰まらせました。
自分で言っておいて何ですが、具体的なアレコレなんてまったく考えてなかったのです。
しかし、自分で言ってしまった以上、それを有耶無耶にし続ける訳にはいかないでしょう。
そう思って思考を紡ぐ私の胸が羞恥の色で埋め尽くされて行きました。

小蒔「手、手を握ったり…み、見つめ合ったりとか…その…い、一緒にいて…ポカポカしたりとか…その…い、色々です」

だって、それは私がその…愛しあう殿方とやってみたいと思っている事なのですから。
少女漫画などを見て、内心、夢見てきた…色とりどりの甘い想像。
それを須賀さんに言うのはやっぱり恥ずかしいものでした。
馬鹿にするような人ではないという事は分かっていますが…願望混じりのそれは内心、秘めておきたい事だったのです。

京太郎「…なぁ、俺、その全部やってるっぽいんだけど…」
小蒔「え…?あ…」カァァ

しかし、それに対する須賀さんの反応は私が思っていたものとは大きくかけ離れたものでした。
ポツリと確かめるように漏らすようなそれに私はこれまで須賀さんとやってきた事が脳裏に浮かびます。
確かに…手を握る事も…見つめ合う事も…ポカポカする事も…全て初日に済ましている事でした。
いえ、それどころか…抱きついたり…もっとはしたない事もやってしまっているのです。

京太郎「じゃあ、小蒔も呼び捨てだな」
小蒔「う…うぅ…」

ニヤリと追い詰めるように笑う須賀さんの表情を見て、私もようやくからかわれているという事に気づきました。
しかし、かと言って、須賀さんに対して、有効な反撃方法など鈍った思考で見つける事は出来ません。
実際、私が作ったハードルを須賀さんはとっくの昔に乗り越えているのですから。
ここで呼び捨てにしなければ…さっきのそれが嘘になってしまいます。
それになにか思うような人ではないと分かっているものの、ようやく出来たお友達に例え冗談でも嘘を吐きたくありません。
だからこそ、私は、恐る恐ると口を動かし、喉を震わせるようにして、それを言葉にするのです。。

小蒔「き、京太郎…?」

そう呼びかけた瞬間、私の背筋にゾクリとしたものが走り、胸の奥が震えます。
ジィンと感動に揺れるようなそれは…とても甘くドロリとしていたものでした。
まるでじっくり煮込んだシチューのようなそれは私の身体へとジワジワと広がっていきます。
その感覚は私の今までの人生で一度も感じたことのないものでした。
しかし、身体はその感覚がもっと欲しくて…私が何か思うよりも先に唇を動かしてしまいます。


小蒔「京太郎…京太郎…京太郎…っ♥」

そうやって呼べば呼ぶほど、私の中で甘いものが湧き上がり、四肢へと広がって行きました。
心だけでなく、身体までもトロンとさせるその甘さに私の身体からふっと力が抜けていくのを感じます。
そのままドサリと須賀さん…いいえ、京太郎の方へと倒れ込みたくなるような…その心地良さ。
それに何度目か分からない呼びかけをしようとした瞬間、私はふと我に返りました。

小蒔「……忘れて下さい」マッカ

そのままボスンと京太郎…じゃ、なくて…須賀さんの布団に顔を埋めながら、私は小さく言いました。
勿論、そう言ったところで須賀さんが忘れてくれるはずがありません。
ですが、さっきの自分とは思えないほどの痴態に打ちのめされている私にはソレ以外に言う言葉がありませんでした。

京太郎「え…いや、でも…」
小蒔「あ、アレは…ダメです…ダメじゃないんですけど…ダメになるっていうか…ともかくダメなんです…」

とは言え、ああやって呼び捨てにするのが嫌だったかと言えば、決してそうではありません。
寧ろ、何度も言っているようにそれはとても甘く、心地良いものなのですから。
しかし、それが私にとって悪影響を及ぼさないかと言えば、決してそうではないのです。
ああやって呼べば呼ぶほどに私が私じゃなくなっていき…何か気づいちゃいけないものにまで気づいてしまいそうな感覚。
それが怖くなった私にとって、それは当分、封印しておきたい呼び方でした。

京太郎「…じゃあ、せめて下の名前で呼んでくれないか?」
小蒔「す、須賀さんじゃ…ダメですか?」
京太郎「んー…それでも良いといえば良いんだけど…少し一方通行感があるし…何より…」

そこで言葉を区切った須賀さんの布団からそっと顔をあげた私を、彼はじっと見つめました。
まっすぐに私の顔を見るそれは引き締まっていて、何処かキリリとしています。
ボコボコに腫れ上がった顔にこんな事を言うのもおかしな話かもしれませんが…それは私にとって格好良く見えてしまうのでした。

京太郎「小蒔には下の名前で呼んで欲しいな」
小蒔「あう…ぅぅぅ…」マッカ

そうやって恥ずかしいセリフを口にする須賀さんが私をからかっている事くらい気づいていました。
今までの傾向から考えても、そうやって顔を引き締めた時には大抵、私をからかっている時なのですから。
しかし、それでも一見、真剣そうに見える眼差しが私をドキドキさせて仕方ありません。
もっとこの人に見つめられたいと思うその独特の興奮に私はほぅ♪と一つ息を吐いてから、ゆっくりと唇を開きます。

小蒔「…『京太郎君』は意地悪です…」
京太郎「そんなつもりはないんだけど、何故か良く言われている気がする」

私の言葉に白々しく、そして勝ち誇ったように言いながら、京太郎君はそっと目を閉じました。
その瞬間、微かに口の端を歪めたのは恐らく苦痛の色でしょう。
さっきよりも幾分、強くなっているそれは、もしかしたら本格的に痛み止めが切れてきた所為なのかもしれません。
そう思うと何時までも雑談をしている自分が申し訳無くなって来ました。

小蒔「だ、大丈夫ですか?」
京太郎「大丈夫。この程度でどうにかなるような軟な鍛え方はしてないって」

京太郎君はそう言ってくれるものの、その身体の傷は鍛えたからと言ってどうにかなるものではありません。
そんな傷を京太郎君につけてしまった申し訳なさから、私は周囲を見渡すものの、痛み止めらしきものは見当たりませんでした。
恐らくその所在を知っているのは春ちゃんですが、流石にこんな夜中に起こしてあげる訳にはいきません。

小蒔「ごめんなさい…」

そんな自分の情けなさに押しつぶされるようにして、私はそっと謝罪の言葉を口にしました。
もう何度目か分からないそれに内心、嫌になりますが、私は苦しむ京太郎君に対してそうやって謝る事しか出来ないのです。
それにジワリと目尻が潤み、私からまた涙が出そうになった瞬間、京太郎君がそっと口を開きました。

京太郎「…それじゃ、明日から俺の世話を頼めるか?」
小蒔「…え…?」
京太郎「まだ当分、マトモに動けそうにないしさ。出来そうな時だけで構わないんだけど」

そうやって付け加える京太郎君の意図は…すぐさま分かりました。
だって、そんなの…一々、言わなくても当然の事なのです。
私は最初からそうするつもりでしたし、そうしなければいけないとも思っていたのですから。
それをこうやって京太郎君の方から申し出てくれる理由なんて…私には一つしか思いつきません。


小蒔「…京太郎君は優しいです…」
京太郎「意地悪なんじゃなかったのか?」
小蒔「意地悪だけど…それと同じくらい優しいんです…」

不器用で分かりやすいその優しさにいつの間にか私の涙は引っ込み、クスリと笑みが漏れていました。
それが京太郎君の狙いだと理解していても、上向く気持ちを抑える事は出来ません。
だって…京太郎君がわざわざそうやって分かりきった事を確認したのは私の自責を抑える為なのですから。
コレ以上、私が自分を責めなくても済むように、代替行為を提示してくれたお陰で、気持ちが大分、楽になってくれたのです。

京太郎「じゃあ、その優しい俺からの忠告だけど…そろそろ部屋に戻った方が良いと思うぞ」
小蒔「でも…」

勿論、こうやって雑談する事が京太郎君にとって苦痛かもしれないとは思っていました。
しかし、それならそれでお互いに無言でいれば良いだけの話です。
京太郎君となら…私は全然、苦になりませんし、それに春ちゃんが眠っている今、看病をする人間は私しかいません。
それを知っているのに、一人部屋に戻って安らかに眠る事なんて出来ないでしょう。
気を失っていたお陰で眠気もありませんし…もう少し京太郎君の傍に居たいのが本音でした。

京太郎「でも、じゃないさ。このままじゃ寒いだろ?」
小蒔「う…」

確かに布団に入っている京太郎君はともかく、こうして外で座っている私にとって今の外気は肌寒いものでした。
冬も間近で屋敷の位置も高く、夜も更けているとなれば、当然でしょう。
しかし、それでも私は京太郎君の傍を離れたくありません。
それくらい我慢出来るからお傍に置いて欲しい。
どうしてもそう思ってしまうのでした。

京太郎「小蒔の体調まで崩れたら俺は一体、誰に世話をしてもらえば良いんだ?」
小蒔「ぅー…」

とは言え、京太郎君の言う言葉に思う所があるのは事実です。
確かにこうやって無茶をした結果、私の体調を崩してしまったら、元も子もありません。
それよりも早く部屋に戻って暖かくして寝るべきだと言うのは私にも分かっているのです。
しかし、それでも何か一緒にいられる方法はないかと周囲を探る私に春ちゃんの布団が飛び込んできたのでした。


小蒔「…あ、そうだ。もう一組、お布団がありましたし…それを横に敷きましょう」
京太郎「え…?」

唐突に思い付いたそれは私にとって、とても名案に思えました。
丁度、京太郎君の隣はもう片方、空いていますし、布団を敷くスペースがあるのです。
そちらで寝転びながら、京太郎君の看病をすれば、何も問題はありません。
幸いにしてこの客間には布団が三組備えてありますから、他の部屋に行く必要もないのです。

京太郎「い、いや…流石にそれは色々と拙くないか?」
小蒔「え…?何がダメなんです?」

流石に同衾ともなれば、私も拙いとは思います。
しかし、布団を並べる程度であれば、何も問題は起こらないでしょう。
ましてや、京太郎君は病人であり、身体を起こす事さえ出来ないような状態です。
そんな京太郎君の口元に水差しを運んだり、汗を拭いたりする人手は必要でしょう。

小蒔「それに…春ちゃんはもうしてるじゃないですか」ムスー
京太郎「それは仕方ないからで…」
小蒔「私も仕方ないんです。緊急避難なんですから」

それとはまったく関係ありませんが…春ちゃんは京太郎君の隣で今も眠っているのです。
それを思えば…私だけダメだと言われるのはとても不公平な気がしました。
ましてや…私は京太郎君にとって加害者であり、お友達なのです。
そのどちらでもない春ちゃんだけが傍に居るというのは、あまり面白くありません。
そう思いながら、私はそっと立ち上がり、布団を襖の向こうから取り出しました。


小蒔「よいしょっと」
京太郎「あー…手伝えなくてごめんな…」
小蒔「もう…それは私のセリフですよ」

それをいそいそと京太郎君の隣へと敷く私の耳に謝罪する彼の言葉が届きました。
意外と男らしい京太郎君はこういった力仕事を目の前で女性にさせている事に心苦しく思っているのでしょう。
しかし、基本、六人でこうして暮らしている私達にとって、ある程度の力仕事はどうしてもやらなければいけない事なのです。
少なくとも、そうやって気遣ってもらわなければいけないほど、私も軟ではありません。
ましてや…そんなになるまで京太郎君を痛めつけたのが自分だと思えば、謝るべきは私の方でしょう。

小蒔「えへ…♪」
京太郎「はは」

そうやって会話をしている間に、布団の一式は京太郎君の隣で完成していました。
その中にいそいそと足を差し込む感触は冷たく、私の肌がブルリと震えます。
しかし、それは最初だけであり、すぐにぬくぬくとした感触が強くなっていき、私の身体を暖めてくれるのです。
それに思わず笑みが溢れる私の前で京太郎君が小さく笑いました。


小蒔「わ、笑わないで下さい…」
京太郎「いや、今のは無理だろ。可愛すぎて無理」
小蒔「うぅぅ…」

サラリと人の事を可愛いと言う京太郎君の前で私はそっと掛け布団を引っ張りました。
その頬は羞恥に染まり、火照りを得ているのが分かります。
しかし…それだけではないと思うのは、私の胸が妙にドキドキとしているからでしょう。
ただ恥ずかしがっているだけじゃなく…私が今…嬉しがっているのです。

小蒔「…お布団、暖かいんですもん…」
京太郎「分かってる。仕方のない事だったんだな」
小蒔「…そうです。仕方がなかったんです」

そんな私の言い訳じみた言葉に京太郎君が頷いてくれました。
それに繰り返すように告げながら、私は布団の中でそっと呼吸を繰り返します。
一度二度と繰り返したそれに少しずつ羞恥心も落ち着き始め、私はひょっこりと布団から顔を出しました。

小蒔「あ…」
京太郎「ん…?」

瞬間、私を見ていた京太郎君と視線が合ってしまいました。
それに驚いたような声をあげる私に、京太郎君の方から気遣うような声が漏れます。
しかし、私はそれにすぐさま応える事が出来ませんでした。
ただただ…じっと京太郎君の顔を見つめて…引き込まれて行くのです。

小蒔「(こうしていると…まるで夫婦みたい…)

言葉少なく意思を交わしながら、並べた布団の間で見つめ合う男女。
その姿は…お友達と言うよりも夫婦に近いものでしょう。
そう思うと胸の奥が微かに疼き、くすぐったさが湧き上がって来ました。
けれど、そのくすぐったさが嫌ではないのは…私と京太郎君の間に穏やかな時間が流れているからでしょう。
そんなくすぐったさが気にならないくらい、私は京太郎君に… ――

京太郎「どうした?俺の顔に見惚れてるのか?」
小蒔「ふふ…そうかもしれませんね…♥」
京太郎「え…」

そこまで考えた瞬間、告げられた言葉に私は思考を打ち切りながら、そう答えました。
確かに…今の京太郎君の顔は腫れ上がった悲惨な状況です。
しかし、それは私を、そして皆を護ろうとしてくれた名誉の負傷なのですから。
それをつけてしまった私にとっては罪の象徴でもありますが…それでも格好良いと思うのは事実です。

小蒔「京太郎君は格好良いですよ…♪」
京太郎「や、止めてくれ。すげぇくすぐったい…」

それを改めて告げた私の言葉を冗談か何かだと思ったのでしょう。
京太郎君は布団の中でもぞもぞと動きながら、居心地悪そうにしました。
しかし、そんな姿も何処か様になっている…なんて風に思うのはお友達の欲目が過ぎる話でしょうか。

小蒔「(でも…仕方ないですよね)」

私にとって京太郎君は初めて出来たお友達と言うだけじゃなく、私を助けてくれたヒーローでもあるのです。
誰にも渡したくない…大事な大事な宝物であると同時に、悲しんでいる私の手を掴み、決して離さなかった最高の殿方なのですから。
そんな人が見せるあらゆる仕草に引きこまれ、私の胸は容易く反応してしまう。
それすらも嬉しく思える私にとって、京太郎君が格好いいと思うのは当然のことであり、仕方のない事だったのでした。

京太郎「それより…折角だからもう少し色々と話しようぜ。俺もまだ眠れそうにないし」
小蒔「はい…お付き合いしますね♪」

誤魔化すように言う京太郎君に私は笑みを漏らしながら、頷きました。
私も…色々と京太郎君に対して聞きたい事が一杯あるのです。
今にも私の胸から飛び出してしまいそうなそれを語っていれば、時間はすぐさま過ぎてしまうでしょう。
けれど…それを恐れる必要はありません。
京太郎君は私のお友達であり、まだ当分、ここから離れる予定はないのですから。
二人で絆を深め合う時間は沢山ある。
それに一つ笑みを深めながら、私は京太郎君と誰にも言えない夜の会話を続けたのでした。








それから数日が経った…と、そう簡単に言えないくらい、その僅かな日々で私の生活は大きく様変わりしていました。
朝、京太郎君を起こしに行って、お布団をあげ、朝食を摂ります。
とは言え、骨に小さなヒビが入ってしまった京太郎君の腕はお医者様から安静を言い渡されており、あまり動かす訳にはいきません。
だから、私が京太郎君の口に食事を運び、一つ一つを食べさせてあげるのです。
最初は皆の前で食べさせられる事に京太郎君も反発していましたが、今では諦めたのか、素直に食べてくれるようになりました。

小蒔「(それでも…顔が赤くなっちゃうのが可愛いです…♥)」

平静を装いながらも、隠し切れない羞恥心。
それが何とも可愛くて、ついつい遅く食べさせちゃう私は自分でも思った以上に意地悪な女なのかもしれません。
しかし、そうは思えども、腕に当て木をされながら、私を見つめる京太郎君が可愛くて仕方がありません。
私が自制心を維持しなければ、その頭を撫でたくなった事なんて数え切れないくらいあるんですから。

小蒔「(それが終わったら…一緒にお勉強です)」

朝、登校前に昨日の復習、京太郎君の腕代わり、教師代わりとなりながらのそれが終われば、一度はお別れです。
本当は私も学校をお休みして一日中、京太郎君の傍について居たいですが、流石にそういう訳にもいきません。
しかし、学校にいる間も、京太郎君の事が気になって気になって仕方がないのです。
正直、勉強だって身につかず、同じクラスの子にため息を吐き過ぎて心配されるような有様でした。

小蒔「(でも…学校さえなくなれば、後はずっと一緒…♪)」

学校から帰ってきて、京太郎君とお話しながら、今日の復習の準備。
それが終わったら一緒にお夕飯を食べて、食休みの時間です。
その間、ご両親やその他お友達からのメールを私が京太郎君の代わりに返すのが日課になっていました。

小蒔「(でも…『上重漫』って…あの人…ですよね?)」

インターハイで私と打った姫松高校先鋒の二年生。
どうしてそんな人が京太郎君にメールを送ってくるのか私には分かりませんでした。
しかも、その内容はとても親しげで、頻度もかなりのものです。
私がメールを代わりに打っていると知っているのに、色々と…その…破廉恥な内容を送ってくるのは挑発にも感じました。
それが面白くなくて、ついつい携帯を持つ手に力が入りすぎたりもしましたが、概ね、送信者の方々と良好な関係を築けていると思います。

小蒔「(それに…最近は霞ちゃんたちの妨害もないですし…)」

一時期、私と京太郎君を深く傷つけたそれがあの日を境になくなりました。
それどころか、私や京太郎君を遠巻きに見る事が多くなったのです。
まるで私と京太郎君の邪魔をしまいとするようなその変化に、私は一度、霞ちゃんに尋ねてみました。

小蒔「(霞ちゃんは…『色々と裏目っちゃったから…』とだけ言ってたけれど…)」

結局、霞ちゃんが私達を引き離そうとしていた理由も教えては貰えないままでした。
それが気になる気持ちは私にありましたが、意識する事は殆どありません。
だって、私と京太郎君はもうお友達になって、皆にも邪魔される事もないのですから。
順風満帆と言える状況にある私にとって、それは些細な事であったのです。

小蒔「えへへ…♪」

その嬉しさに私がついつい笑みを漏らしてしまったのはお屋敷の廊下の中でした。
既に夜も更け始め、皆も自室でそれぞれ自分の事をやり始めている時刻です。
普段であれば、私も京太郎君のお部屋で、適当にお話しながら時間を潰していた事でしょう。
しかし、今日はとても嬉しい事があったのです。

小蒔「(京太郎君…もうお風呂に入っても良いって…)」

それは京太郎君の術後経過が順調な証拠でしょう。
実際、お医者様もグングン回復していく京太郎君に驚いていました。
腫れも殆ど引いて、既に外見からは京太郎君の怪我が分からないくらいになっています。
そうやって急速に回復している事が少しだけ寂しい気もしますが、それ以上に喜ばしい事でした。
だからこそ、私は今、こうして準備を整え、京太郎君の部屋へと向かっているのです。


小蒔「京太郎君?」
京太郎「あれ…小蒔か?」

そんな私が襖戸越しに京太郎君へと話しかける声に、彼はすぐさま反応してくれます。
そのまま障子の向こうで京太郎君が立ち上がり、こちらへと近づくのを感じながら、私はドキドキしながらそれを待っていました。
羞恥と期待が入り混じったその興奮に私は大きく胸を膨らませて、息を吸い込みます。
大丈夫、きっと京太郎君も喜んでくれると…そう自分に言い聞かせた瞬間、私の目の前で襖戸がそっと開き、中から京太郎君が顔を出したのでした。

京太郎「準備ってもう終わったの…か…?」
小蒔「じゃ、じゃーん…」

そう紡ぐ京太郎君の言葉はどんどんと尻すぼみになっていきました。
けれど、その視線だけははっきりと私へと向けられています。
普段は巫女服で覆われている腕や太ももに突き刺さるようなその強い視線に私はドキドキしました。
しかし、こうして京太郎君の前に姿を晒した今、逃げる訳にもいきません。
寧ろ、ここは自分から押していくところだと思った私は、頬がボォっと熱くなるのを感じながら、腕を広げます。

京太郎「な、何で水着?」

そんな私は今、水着を身に纏っていました。
学校指定の飾り気のないそれは、ついさっきまで箪笥の奥にしまってあったのをたった今、引っ張りだしたものです。
勿論、それは学友の皆や先生に見られるものでもあり、決して色気のあるものではないのでしょう。
しかし…京太郎君は呆然としながらも、水着姿の私をじっと見つめ、私に興奮とも羞恥とも言えないようなドキドキをくれるのでした。

小蒔「だって、今日から京太郎君はお風呂解禁じゃないですか」
京太郎「いや…まぁ…そうだけど…」
小蒔「だから、お手伝いをしようと思って」

瞬間、京太郎君の頭がフラリと揺れました。
まるで、驚きすぎて自分の常識が揺らいでいるようなそれに私はそっと首を傾げます。
そもそも私が京太郎君の事をお世話するのは彼からもお願いされている事ですし、その中には勿論、お風呂の世話も入るでしょう。
少なくとも私はそう思ったからこそ、こうして準備するとだけ言って、京太郎君の元を離れ、自室で準備を整えたのです。

京太郎「…いや、それはやばいだろ」
小蒔「え…?どうしてですか?」
京太郎「どうしてって…いや…その…」

そんな私の前で京太郎君が言いよどみました。
まるで言いづらいものを胸に抱えるようなそれに、私の首は再び傾いていきます。
そうやって口ごもる京太郎君の姿をこれまで何度も見てきましたが、その理由にまで私は思い至れませんでした。
大抵、こうして言いづらそうにする言う時は私を意識しているからだと分かってはいるのですが、『どうして』と言う部分にまで踏み込む事が出来ないのです。


京太郎「いや…洗うって事は俺が裸になるって事でだな…」
小蒔「毎日、お身体も拭いていますし、今更だと思いますよ?」

実際、利き腕にヒビが入って、あまり動かせない京太郎君の着替えから汗の拭き取りまでを私はやっているのです。
最初は私も恥ずかしくて、京太郎君の逞しい身体を見るのが恥ずかしかったですが、今は少しずつ慣れて来ました。
それでもドキドキは収まらないというか…寧ろ、大きくなっていっているのが不思議ですが、ともあれ、最初のように狼狽する事はありません。
それは京太郎君も同じで、今では着替えや汗拭きを拒絶せず、私に任せてくれるようになったのです。

京太郎「そ、それとこれとは別問題だって」
小蒔「むぅ…」

しかし、それは私の感覚であって、京太郎君のものとは違うそうです。
それに唸りながら思考を回しますが、一体、彼がどうしてそんなに恥ずかしがっているのかやっぱり理解出来ません。
私はもう京太郎君の背中の広さや、その胸板の厚さ、腕の逞しさや、足の引き締まり方まで知っているのですから。
それなのに…何か問題があるとしたら…それは… ――

小蒔「じゃあ…水着じゃなければ良いんですか?」
京太郎「いや、それはもっとダメだ」

唯一、思い付いた普段と今の状況の差異。
それを口にする私の前で京太郎君がそっと頭を振りました。
どうやら、私が選んだ水着がダメと言う事でもなさそうです。
それに疑問が深まるのを感じる私の前で、京太郎君は気まずそうにその唇を開きました。


京太郎「あー…その…だからな。俺が我慢出来なくなっちゃいそうなんだよ」
小蒔「え…?」
京太郎「だ、だから…俺は今、悶々としてる訳でな」
小蒔「あ…」カァァ

京太郎君の言葉の意味を私は遅れながらも、理解しました。
確かに私が京太郎君に怪我をさせてから、彼は利き腕を使えないのです。
その上、私がほぼ四六時中くっついているとなれば、そ、その…色々と発散する事は出来ないでしょう。

小蒔「(ど、どうしましょう…そんなの全然、考えてませんでした…)」

ただただ、一緒に居て、する事全てをお手伝いすれば、それが京太郎君の為になると私は考えていたのです。
しかし、事はそう単純ではなく、私がそうやってお側にいた事で逆に彼を追い詰めてしまっている。
それに頭の中が混乱し、グルグルと思考が絡まり、渦巻いていくのを感じました。
けれど、今の私にはそれを解く力はなく、困惑と申し訳無さもまた消える事はありません。

小蒔「(…わ、わわ…私がしっかりしないと…!)」マッカ

それでも、自分を叱咤するのは、殿方がそういったものを発散しないと辛いと言う事を授業で教わったからです。
京太郎君が利き腕を使えない以上、そういうことを発散してあげるのもまた私でなければいけません。
も、勿論…顔が真っ赤になるくらい恥ずかしいですが…それもまた私がしてしまった事の責任なのです。
それを果たさなければいけませんし…何より…その…き、京太郎君なら…べ、別に…良いかなって… ――

小蒔「え、えっと…お、お手伝い…」
京太郎「い、いや!そこまでしなくて良いから!!」

そう思って紡いだ言葉を京太郎君が後退りながら否定しました。
それに安心する反面、寂しさともの悲しさを覚えたのはどうしてなのでしょう。
お友達である京太郎君の力になれないのが嫌なのか、或いはソレ以外に何か理由があるのか。
それさえも焦りや困惑で見えない私の前で、京太郎君はそっと口を動かしました。

京太郎「ま、まぁ、だから…水着姿で魅力的過ぎる小蒔と一緒に風呂でも入った日にはトチ狂って襲いかねないんだ」
小蒔「はぅ…」カァァァ

今の私が魅力的と言ってくれているその言葉に、私の頬がさらに熱くなるのを感じます。
ちょっぴりスケベな京太郎君ならきっと喜んでくれると自分でも思っていたとは言え、そこまで言って貰えるとは思って見ませんでした。
予想外の、しかし、嬉しいその言葉に私の胸はドキドキを強め、京太郎君にもっと色んな事をやってあげたくなるのです。

京太郎「だから、その風呂は一人で入るって事で…」
小蒔「そ、それはいけません!」

とは言え、そんな私の前で紡がれる京太郎君の言葉をすぐさま否定したのは、きっとそれだけではないのでしょう。
確かに京太郎君に迷惑を掛けてしまった分、色々とお手伝いしたくなったのはありますが、ソレ以上に私は心配だったのです。
利き腕が使えないだけなので、今の京太郎君でも時間を掛ければ、お風呂に入る事は不可能ではないでしょう。
しかし、その間、私はずっと京太郎君の安否を気にしながら、ずっと待っていなければいけないのです。
昼間、嫌というほど味わっているその感覚を一緒にいられるはずの時間でまで味わうだなんて、到底、許容出来ません。


小蒔「だ、大丈夫です。方法はありますから」
京太郎「ほ、方法って…」
小蒔「つまり…京太郎君が私を見なければ良いんです」

そんな自分が我儘だと思いながらも、要望を貫こうとしているのは私の頭の中に対案が浮かんできているからでした。
わ、私がその…悶々とするくらい魅力的なら、見れないように状況を整えれば良いだけの話です。
幸い、脱衣所にはバスタオルだけでなく、手ぬぐいなどもあるので、京太郎君の視界を塞ぐものには事欠かないでしょう。

京太郎「あー…それなら大丈夫…なのか…?」

そして、そんな私の言葉は京太郎君の意識を揺らし始めているみたいでした。
ここ最近、お風呂に入る事が出来なかった京太郎君にとって、今日は久々の入浴になるのです。
利き腕が使えないもどかしさや、さっぱりしたい気持ちは強いのでしょう。
思案するような様を見る限り、もうひと押しといったところです。

小蒔「そ、それに…も、もしもの時はちゃんと責任を取りますから…」カァァ
京太郎「…やっぱなしで」
小蒔「え、えぇぇ!?」

最後の殺し文句になるはずだった私の言葉に京太郎君は交渉を打ち切ってきました。
それに驚きの声をあげる私の前で、京太郎君は気まずそうな表情を浮かべています。
予想していたのとはまったく違うその表情に、私が疑問を覚えた瞬間、京太郎君はそっと唇を開きました。

京太郎「男友達として忠告しておくと、だな。そういうのあまり言うもんじゃないぞ。変な風に誤解されかねないし」
小蒔「…こんなの京太郎君にしか言わないですもん…」

私だって、誰彼構わずこんな事を言うほどふしだらな女じゃありません。
一応、私は神様に仕える巫女ですし、貞操観念だってちゃんと教えこまれているのですから。
それでもこうして京太郎君に責任を取ると言ったのは、彼が私のお友達であり、そして私の所為で迷惑を掛けているからです。
まぁ…迷惑を掛けていなくても嫌じゃないですが…た、多分、それは些細な問題でしょう。
今の私にとって大事なのは、こういう事を言う相手が京太郎君だけと言う偽らざる主張なのですから。

京太郎「だから、そういうのがダメなんだって」
小蒔「むぅぅ…」

しかし、それは京太郎君へちゃんと届いてはくれなかったみたいです。
私なりの冗談と思われているのか、軽く流されてしまいました。
それが悔しくて唸りながら頬を膨らませるものの、ざわつく胸の内は中々、元に戻ってはくれません。

京太郎「拗ねない拗ねない。ちゃんとお風呂で小蒔の世話になるからさ」
小蒔「ほ、本当ですか?」パァァ
京太郎「流石にこんな事で嘘は吐かないって」

そんな私の頭をポンポンと触れながら、京太郎君が優しく言ってくれました。
それに悔しさが吹き飛び、歓喜が沸き上がってくる自分が現金に思えます。
しかし、そんな事を幾ら思っても、私の嬉しさは揺らぎません。
自分でもはっきりと分かるくらい頬を緩ませ、喜びを表に出してしまうのでした。

京太郎「んじゃ…とっとと行こうぜ。その格好のままじゃ寒いだろ」
小蒔「実はちょっと…」

外に比べれば、大分、中が暖かいとは言え、私は肌寒さを覚えていました。
修行の一環として毎朝、禊をしているので、基本的に私は寒さには強い方です。
しかし、それでも、こうして防寒性の欠片もない水着で廊下を歩くは寒く感じました。
流石に身を震わせるほどではありませんが、ぎゅっと縮こまり、肌を合わせたくなるくらいに。

小蒔「…でも、京太郎君の傍にいると…ドキドキして暖かいです…♪」

それをしなかったのは偏に、私の傍に京太郎君がいるからでした。
まるで優しいお日様のように、彼の近くにいると心も身体もポカポカするのです。
ドキドキに負けないその感覚が私は大好きで、ついつい京太郎君と腕を組んだり、抱きついたりしてしまいました。

小蒔「(でも…今は出来ませんよね…)」

勿論、そうしたい気持ちは私の中にもあるのです。
しかし、普段、私が着ている分厚い巫女服ならばともかく、今の私が着ているのは薄い布地一枚だけ。
それも私の肌にフィットし、その線を浮き立たせる水着なのです。
幾ら私が京太郎君と触れ合う事に慣れ始めたとは言え、そんな状態では密着する事は出来ません。
やっぱりどうしても恥ずかしさが湧き上がり、歩き出した京太郎君の隣で顔を赤く染めてしまうのです。

京太郎「だから…もう…」ハァ
小蒔「??」

そんな私の横で京太郎君がそっとため息を吐きました。
まるで心の底から疲れ、絞りだすようなそれが一体、どうしてなのか私には分かりません。
ついさっきまで京太郎君は特に疲れている様子などなかったのです。
ならば、その契機となったのは私の言葉でしょうが…それだって本心を口にしただけの他愛もない雑談でした。
少なくともこんな風に京太郎君が疲れるような重苦しいものではないはずです。

京太郎「…最近、石戸さんがあんなに小蒔に対して過保護だった理由が良く分かるよ」
小蒔「むぅぅ…」

そのまま肩を落とす京太郎君に私は拗ねるようにそう言ってしまいます。
こうやって二人でいるのに京太郎君の口から霞ちゃんの名前が出るのも面白くありませんし、何より共感を示すのはもっと面白くありません。
勿論、私は霞ちゃんだけじゃなく、皆の事が大好きですし、仲も良いままですが、そういった過保護な部分に傷ついていたのですから。
それにお友達である京太郎君まで共感を示すと言うのは面白くないと同時に…不安になる事でした。

小蒔「京太郎君まで過保護になっちゃやです…」
京太郎「分かってるって。だから、聞かれた分、出来るだけ色々な事を教えるようにしてるだろ」
小蒔「…はい…っ♪」

私を安心させるように言う京太郎君の言葉に私は力強く頷きました。
さっきの事だって、京太郎君からすれば、出来るだけ隠しておきたい事だったでしょう。
その…一人で発散する事が出来なくて悶々としているだなんて、異性に言うなんて恥ずかしすぎるものなのですから。
しかし、それでも京太郎君は私にそれを教え、こうして受け止めてくれている。
それは私が過保護にされ過ぎて、逆に傷ついていると言う事を知ってくれているからなのでしょう。

小蒔「これからも一杯、教えて下さいね…♥」
京太郎「頑張る。でも…エッチなのは程々にな」
小蒔「べ、別に聞きたくて、そういう事を聞いてる訳じゃないですもん」

私の前で意地悪く言う京太郎君の言葉に私の声は若干、上ずってしまいました。
これまで私が京太郎君に聞いた疑問の中にはエッチなものが少なからずあり、彼を困惑させてきたのです。
その実績を思えば、『そんな事ない』と言い切る事は出来ません。
とは言え、私がその…淫らな事ばかり聞いていると言うような表現は看過する事が出来ず、何とも微妙な否定になってしまいました。

京太郎「そうか?その割りには回数が多い気がするけどなぁ」
小蒔「う、うぅぅぅ…っ」カァァ

しかし、そんな私を京太郎君は許さず、さらに踏み込んできました。
お友達になってから彼の容赦は少しずつなくなり、今ではその意地悪な本性を隠そうともしません。
こうして隙あらば、私を辱めて、喜んでいるのが見て取れました。
しかし、それが悔しいと思えども…決して嫌ではないのは一体、どういう事なのでしょうか。
自分でも気にはなりますが、それを京太郎君に聞いてしまうと余計に調子に乗る様が目に浮かびます。
結果、私はそれを彼に聞く事が出来ず、悶々としながらも、遠慮の無いそれに喜んでいました。

小蒔「も、もう…そんな事言って…お風呂では覚えておいて下さいね」プイッ

そして、私もまたそんな京太郎君へと反撃する術を覚え始めている。
そう思うのは最初のように狼狽えたり、霞ちゃんに助けを求めたりしなくなったからだけではありません。
こうやって意地悪そうな顔をする彼はその半面、とても打たれ弱く、反撃されると意外と弱い事が分かってきたからでしょう。

京太郎「なんだ?エッチな悪戯でもしてくれるのか?」
小蒔「…して良いんですか?」
京太郎「すみません。俺が悪かったです」ペコリ

そうやって…え、エッチな方面に話を持っていく割りに京太郎君はすぐにヘタレます。
その場で勢い良く頭を下げて、謝罪の言葉を紡ぎました。
それに勝ったと言う優越感を感じると同時に、肩透かし感を感じるのは否定出来ません。
きっと…私は京太郎君が頷いてくれるのを内心、期待していたのでしょう。

小蒔「(お、お友達ですから…仕方ないですよね…?)」

私と京太郎君はお友達です。
しかも、私にとっては唯一の男友達であり、何の柵もない相手なのです。
そんな相手が困っているとなれば、手を貸したくなるのが当然でしょう。
ましてや、京太郎君がムラムラしてる理由が自分にあると思えば、そう思わない方がおかしいでしょう。
それだけ…それだけの事であって、別に私が京太郎君に悪戯する事に興味がある訳じゃない。
そう自分に言い聞かせた私の前に脱衣所への入り口が現れました。

小蒔「とりあえず…一緒に入ります?」
京太郎「そうだな。服を脱ぐのも手伝って欲しいし。まぁ、流石にパンツまでは勘弁して欲しいけど」
小蒔「じゃあ、裸ですね」
京太郎「何でだよ!?」
小蒔「さっき意地悪したの忘れてないですもん。罰ゲームです」プクー
京太郎「もう謝ったのに…理不尽だ…」

そんな事を言いながら、京太郎君が足を踏み入れた脱衣所には誰も居ませんでした。
お屋敷が忙しい時には誰かしらいる事が多いとは言え、今のお屋敷には六人しかいません。
10人くらいなら余裕で入れるであろう大きな脱衣所も、今は宝の持ち腐れも同然でした。
そんな脱衣所の入り口にある小さなホワイトボードに京太郎君が入浴している旨を書いた私はその後に着いて行きます。

小蒔「じゃあ、脱ぎ脱ぎしましょうねー」
京太郎「ばぶー」

私の冗談めかした言葉に赤ちゃん言葉で答えながら、京太郎君は私が脱がせやすいように姿勢を変えてくれます。
お陰で厚手のシャツと上着はあっという間に剥ぎ取る事が出来、私の手で丁寧に畳まれて、脱衣カゴへと仕舞われました。
そのまま振り返った私の前にいるのは勿論、上半身裸の京太郎君です。

小蒔「ぁ…」

それに胸がドキリとしてしまうのは何時もとあまり変わりがありません。
幾ら着替えや汗拭きを普段から手伝うようになったとは言え、引き締まったその身体は男性らしさを強く感じさせるものなのですから。
それに小さく声をあげてしまう私の胸でトロリとした興奮がゆっくりと沸き上がってくるのを感じます。

小蒔「…本当に手のかかる子でちゅね、京太郎君は」
京太郎「何時もすまんのう、婆さんや」
小蒔「も、もう。そこまで老けてませんよ」

打てば響く。
そんな関係に笑みを深める一方で、私はその興奮から目を背けました。
それはきっと…まだ私が気づいちゃいけない事なのです。
その正体が分からないものの…きっと永遠に分からないままの方が良い感情なのです。
だからこそ、私はそれを心の奥に押し込め、何時も通りを心掛けながら口を開きます。
しかし、それが少しぎこちなく、上擦ったものになったのは隠しきれません。
だからこそ、打ち返す京太郎君は気遣うように私の視線を向けたのでしょう。


小蒔「ほ、ほら、次はベルトを緩めますよ」
京太郎「あ、あぁ」

そんな視線を誤魔化すように口にした私の言葉に京太郎君もまたぎこちない返事を口にします。
それは改めて、一緒にお風呂に入るという事を意識したのか、或いはズボンを脱がした先には下着があるからか。
普段、下着のギリギリまで拭いていますし、またトイレの前でベルトや帯を緩めるのも私の役目です。
それから考えるに、恐らく前者なのでしょう。
そう思考を打ち切りながら、私はそっと京太郎君の前に膝をつき、カチャカチャと金具を鳴らし始めます。

京太郎「う…」

しかし、その瞬間、私の前で京太郎君が身体を強張らせるのです。
多分、ある程度、肌を見られる事に慣れてきたとは言え、下着を見られるかもしれないギリギリの行為は恥ずかしいのでしょう。
その割りには視線が明後日の方へと向く訳ではなく、跪いた私の胸や顔に視線が突き刺さるように感じるのが気になりますが… ―――

小蒔「よいしょっと」

しかし、それに思考を割くよりも先に、ベルトの金具は外れて重力へと身を任せるようになりました。
それを京太郎君の左手が、下着が見えるギリギリの場所で押さえます。
それを確認した私はそっと膝立ちの姿勢から直立へと戻り、京太郎君へと向き直りました。

京太郎「…んじゃ…ちょっと脱いでバスタオル巻くから…」
小蒔「一人で大丈夫ですか?」
京太郎「大丈夫じゃなくても何とかするさ」

その顔に恥ずかしさを浮かべながらも京太郎君が力強くそう言い放ちます。
それを聞いて何処か不安な気持ちになりますが、コレ以上のお手伝いは京太郎君が望むところではないでしょう。
ならば、私に出来るのは早々にその場を離れ、京太郎君の次の言葉を待つ事です。
ジリジリと焦がすような不安に私はそう言い聞かせながら、私はそっと頭を下げました。

小蒔「じゃあ、後ろを向いてるので終わったら教えてください」
京太郎「分かった。じゃあ、少しの間、頼む」
小蒔「はい」

そう言って後ろを振り向き、京太郎君の元から離れる私の後ろでスルスルと布が擦れる音が聞こえ始めました。
今、手を伸ばせば届きそうな距離で京太郎君が服を脱いでいる事を知らせるそれに胸のドキドキが強くなっていきます。
それを抑えるようにして、胸の上から手を置きましたが、激しい鼓動は収まる気配がありません。
寧ろ、時間が進めば進むほど、頭の中に全裸になった京太郎君の姿が鮮明に浮かびだし、私の思考を飲み込んでいくのです。

小蒔「(な、なな…何を考えているんですか…っ!!)」

胸中でそんな自分に驚きの声をあげて、自分の思考に歯止めを掛けようとしますが、中々、上手くはいきません。
それはただの妄想であり、その気になれば消せるはずなのに、私の中に残り続けているのでした。
しかし、私にとって、最も拙いのはそれではありません。
気恥ずかしくって顔から火が出そうなのに…けれど、それが嫌ではないのです。
そうやって妄想の京太郎君を見るだけでドキドキがさらに大きくなり、露出した太ももをすり合わせたくなるような…妙な気持ちになるのですから。

小蒔「(ふ、普段、こんな事はないはずなのに…)」

普段から着替えや汗拭きを手伝っている私にとって、京太郎君の肌は見慣れたもののはずでした。
少なくとも、そうやって手伝っている最中にドキドキする事はあっても、こんな妙な気持ちになる事なんて一度もなかったのです。
しかし…私が思っていた以上に、全裸かそうでないかには大きな差があったのでしょう。

小蒔「(でも…今更、後には引けません…)」

それを今更ながらに知ったところで後に引く事は出来ません。
こうしてお風呂に誘ったのは私の方ですし、また彼も楽しみにしてくれているのですから。
それを今更、『変な気持ちになっちゃいますからなしにして下さい!』だなんて言えるはずがないでしょう。

小蒔「(だ、大丈夫。私は出来る子です…!)」

実際、これまでも私はちゃんと京太郎君のお手伝いを果たしてきたのです。
勿論、危なかった時もありますが、私はそれを幾度と無く乗り越えてきたのでした。
そんな私にとって、これもまた乗り越えるべき試練でしかありません。
そう言い聞かせながら、私はぎゅっと握り拳を作り、大きく深呼吸を繰り返します。

京太郎「大丈夫…俺には出来るはずだ…!」

そんな私の後ろから似たような事を言っている京太郎君の声が届きました。
どうしてかは分からないものの、京太郎君もまた追い詰められているみたいです。
それにお揃い感を感じる私の耳に今度は深呼吸する京太郎君の様子が伝わって来ました。

京太郎「よ、よし!良いぞ!」
小蒔「は、はい…」

力強く言う京太郎君に私がそっと振り向けば、そこには下半身にバスタオルを巻いただけの彼の姿がありました。
露出度では普段、私が汗拭きをしている時の方が遥かに高いはずのそれに私のドキドキはさらに強まります。
それはきっと…バスタオルで覆われた股間部分がくっきりとラインを浮立たせ、その奥にあるものの存在感を醸し出しているからなのでしょう。


小蒔「(な、何ですかアレ…)」

勿論、私も学校で性教育を受けている以上、ソレが何なのかすぐに理解出来ました。
けれど、まさかバスタオル越しでもはっきりと分かるほど大きいだなんてまったく思っていなかったのです。
しかも、それはまだ一番、大きな状態ではありません。
実った穂のようにダラリと垂れ下がり、脱力している状態なのですから。
それでもはっきりと存在感が伝わるソレがさらに大きくなる姿だなんて、想像出来ないくらいです。

小蒔「(あ…あんまりジロジロ見ちゃ失礼ですよね…)」

そうは思いながらも、私の視線は京太郎君への股間へと向けられてしまいます。
それがいけないと思ってその度に視線を離すものの、数秒も経った頃にはすぐさま視線を戻してしまうのでした。
まるでチラチラと、気になって仕方がないようなそれを私はどうしても止める事が出来ません。
失礼だと言う事は理解しているのですが、まるで身体がそれを求めているように視線を送ってしまうのです。

京太郎「あの…小蒔?」
小蒔「ひぁ!?」

そんな私におずおずと話しかける京太郎君の言葉に私はビクンと肩を震わせて、声をあげてしまいました。
心臓も大きく跳ねて痛いくらいでしたが、お陰で私の視線は京太郎君の股間から離れます。
それに内心、安堵と感謝を浮かばせながらも、私の心から羞恥心がなくなる事はありません。
寧ろ、幾分、冷静になれた分、心の中で恥ずかしさを感じる余裕が出来て、私の顔が真っ赤に染まっていくのです。

京太郎「やっぱ止めるか?」
小蒔「そ、それは駄目です!」

そうやって私に尋ねてくれる京太郎君はきっと気を遣ってくれているのでしょう。
しかし、そんな気の遣い方は私にとっては無用でした。
だって…私に京太郎君を厭う気持ちは欠片もなく、寧ろもっと見てみたいと思ってしまうのですから。
チラチラと見ていたのもその欲望と戦っていただけであり、決して恥ずかしいからだけではないのです。

小蒔「(うぅ…私…こんな子じゃなかったはずなのに…)」

勿論、恥ずかしいという気持ちが私の中にない訳ではありません。
ですが、それを遥かに凌駕する『何か』に私の視線は京太郎君へと引き込まれていくのでした。
そんな自分を抑えつけるように胸中で言葉を漏らしますが、興奮する自分を抑えきる事は出来ません。

小蒔「(そ、それなら…見てもおかしくない状況に持っていけば…)」

どの道、私はこれから京太郎君の裸を見ながら、その身体を洗ってあげなければいけません。
その時であれば、幾ら京太郎君の事を見ても、訝しがられる事はありませんし、自分を責める必要もないのです。
最早、『見ないようにする』と言う選択肢が頭の中から消え去っている事に気づかない振りをしながら、私は彼へとそっと近づいていきました。

小蒔「じ、じゃあ…目元にタオル…巻きますね」
京太郎「あぁ。頼んだ」

そう言ってそっと目を閉じる京太郎君を確認してから、私は目の前の棚から長めの手ぬぐいを取りました。
それを軽く捻ってずり落ちにくいようにしながら、京太郎君の背中へと周ります。
そのまま額に手を伸ばして目元に巻こうとしますが、身長差の所為か、中々、上手くはいきません。

小蒔「ひぁ…っ♪」
京太郎「ぬあ…!?」

それに思わず身を乗り出した私の胸が京太郎君の背中へと触れてしまいました。
瞬間、そこがジュンと溶けるように熱くなり、疼くような熱が乳房に広がっていきます。
思わず手を伸ばして…確認したくなるようなその熱に、しかし、今は構ってはいられません。
バッと頬が熱くなるのを感じながら、私はすぐさま京太郎君から離れ、距離を取るのです。

京太郎「わ、悪い…屈めば良かったな…」
小蒔「だ、だだ…大丈夫です」

そして目を瞑っていたと言っても、京太郎君にもそれが分かるのでしょう。
謝罪する京太郎君の言葉にはぎこちなさで一杯でした。
恐らく、私がさっき何を京太郎君へと押し付けてしまったのかも分かっているはずです。
それを思うと恥ずかしさで死にたくなりますが、今はそうやって逃げて良い時間ではありません。
ここで尻込みしてしまうと二度と京太郎君はお風呂を手伝わせてくれなくなりそうですし…私の方から攻めるしかないのです。

小蒔「と、とりあえずもう一度、チャレンジしますから…」
京太郎「わ、分かった…」

そうぎこちなく言葉を交わしながら、京太郎君はそっと膝を折るようにして屈みました。
そんな彼にゆっくりと近づきながら、私はそっとタオルを巻きつけます。
もう二度とさっきのようなハプニングがないように気をつけてのそれは多少、時間が掛かりましたが、しっかりとしたものになりました。
これだけしっかりと巻いておけば、お風呂の途中で解ける事はないでしょう。

小蒔「はい。出来ました。じゃあ、次は…」
京太郎「すまない…もうちょっと待ってくれ」
小蒔「え…?」

それを確認した私は手早く京太郎君をお風呂場に連れて行こうとしました。
視界がタオルによって遮られている以上、彼を先導するには私の手が必要不可欠なのですから。
しかし、そんな私の言葉を京太郎君が遮り、その場で跪いたまま立ち上がりません。
裸になって肌寒いでしょうに、一体、京太郎君は何がしたいのか。
それに疑問を感じる私の前で京太郎君がゆっくりと口を開きました。

京太郎「あの…先に行っててくれるか?俺も後ですぐに行くから」
小蒔「そ、そんな事出来ませんよ」

タオルは瞼の真上ではなく、眉の部分で巻かれていました。
ですから、垂れ下がっている部分を上げれば、視界を開けさせる事は一人でも可能でしょう。
しかし、かと言って、京太郎君を一人肌寒い脱衣所に置いていく事なんて出来ません。
もし、私が目を離した隙に京太郎君が転んだりしたらと思うと落ち着きませんし、何より折角、一緒にお風呂に入るのです。
その第一歩は一緒に踏み出したいと思うのが当然の事でしょう。

京太郎「いや…でも、なんつーか…その…な」
小蒔「??」
京太郎「あーもう…なんて羞恥プレイなんだよ…」

そう思う私の前で京太郎君が頬を真っ赤に染めて、肩を落としました。
膝立ちになったまま肩を落とすそれはまるで何かにうちひしがれているようです。
それほどまでに恥ずかしいのは伝わってきますが、かと言って、どうしてなのかまでは分かりません。
ついさっきまで普通だったのに、そんな風に微動だにしないまま、恥ずかしがる理由なんて何処にも… ――

小蒔「あ…」カァァ

そこで私はふとある事に気づいてしまいました。
もしかしたら…京太郎君は動かないのではなく、動けないのではないのかと言う事に。
それならば…京太郎君が今にも死にそうなくらい恥ずかしがっている事も、私に先に行ってくれと言う理由も説明がつくのです。
そして…また、それは私にとっても堪らなく恥ずかしい事でした。

小蒔「…あ、あの…京太郎君、もしかして…」
京太郎「頼む。後生だからそこから先は言わないでくれ…」
小蒔「あ、あわわ…!?」

しかし、どれだけ恥ずかしくても、確認しなければいけない。
そう思った私の言葉にズーンと落ち込む色を強くした京太郎君に私は慌てて取り繕うとしました。
しかし、胸の中をどれだけ探しても、京太郎君を励ます言葉は出て来ません。
だって…こんなシチュエーションなんて私の人生にはなかったのです。
こ、興奮し過ぎて…そ、その…立ち上がれなくなった殿方を励まさなければいけない状況なんて、あることすら想像していなかったのですから。

小蒔「(で、でも…そのままずっとって言うのは辛いんですよね…?)」

ただでさえ、京太郎君は私の所為でそう言った処理が出来ていないのです。
その上、こうして京太郎君が興奮してしまっているのは私の不用意な行動が原因でしょう。
そ、それを…ちゃんと責任とって、私が解消してあげなければいけません。
さっきは断られちゃいましたけれど…今度は目前へと迫っているのですから、京太郎君も受け入れてくれるはずで… ――

小蒔「え、えとえと、あの…その…さ、さっきも言いましたけど…」
京太郎「だ、大丈夫だって。放っておけば収まるから」

おずおずと伺うように口にした私の言葉に京太郎君が怯えるようにそう返しました。
さっきもそうでしたが、京太郎君は私にそう言った眼差しを向ける事に強い忌避感を抱いているようです。
それに大事にされていると思う反面、さっきよりももの寂しさが強くなっている気がするのはどうしてなのでしょう。

小蒔「…分かりました…」

とは言え、ここで強引に京太郎君に迫ったりなんて出来ません。
私がやるべきはあくまでもお手伝いであって、京太郎君の意に沿う事なのですから。
京太郎君が頑なに拒むのであれば、どれだけ気になってもそれを飲むべきでしょう。
そう言い聞かせながらも、私の中で寂しい気持ちが収まりません。


小蒔「じゃあ…先に行っていますね」
京太郎「あぁ…」

そんな気持ちを断ち切るように私はそっと振り向き、お風呂場へと向かいます。
そのまますりガラスの扉を開けば、床に岩盤を埋め込まれ、コンクリートで固められたお風呂場が見えました。
流石に露天と言う訳にはいきませんが、その空間は広く、十人程度であれば問題なく、足を広げて湯船に浸かる事が出来るでしょう。
外から来たお客様に『まるで温泉宿みたい』と好評頂いているそれは、この屋敷の自慢の一つでもありました。

小蒔「(でも…どうすれば良いんでしょう…)」

普段ならば、まず掛かり湯をしてから湯船に浸かり、それから頭や身体を洗うのが習慣でした。
しかし、今の私がお風呂場にいるのは決して、自分の身体をさっぱりさせる為ではないのです。
今も脱衣所で悶々とした気持ちを抱えているであろう京太郎君を綺麗にするのが目的なのですから。
それを思えば何時も通りに振る舞う気持ちにはどうしてもなれず、入り口でポツンと立ち尽くしてしまいます。

小蒔「(何時までもこうしている訳にはいきませんし…)」

こうして入り口に立っていると後からやってきた京太郎君とぶつかってしまうかもしれません。
それにお風呂場は休みなく流れだす温泉が注がれて暖かいとは言っても、冷えた四肢を温めるほどではなかったのです。
このまま立っていると風邪を引きかねませんし、気が進まなくても先にお風呂に入るべきなのでしょう。
そう思いながら、私は大きな浴槽へと近づき、近くの桶でかかり湯を繰り返しました。


小蒔「ふぅ…」

そのままゆっくりと足をお湯へと浸らせた瞬間、私の口から吐息が漏れてしまいました。
じわりと足先から伝わってくる熱はそれほどまでに心地良かったのです。
私の四肢は思っていた以上に冷えきっていたのでしょう。
そう感じさせる自分の仕草に一つ笑みを浮かべながら、私は浴槽の中で腰を下ろしました。

小蒔「はうぅぅ…♪」

足先だけでなく、全身が温められている。
そのなんとも言えない優しい感覚に私の口から声が飛び出しました。
それが恥ずかしくて思わず入り口を見つめましたが、京太郎君がまだ入ってくる気配はありません。
それに一つ安堵の溜息を漏らしながら、私は温泉の暖かさに身を委ねていたのです。

小蒔「(でも…ここは暖かいってものではなくて…)」

そんな私がそっと触れたのは水着で覆われた胸の部分でした。
さっき京太郎君の背中に触れ、ジクジクと染みこむような熱を得たそこはまだ熱いままです。
温泉の熱よりも遥かに強いそれは優しい心地好さの中で私を責めているように感じるのでした。
しかし、それがどうしてなのか分からず、私は微かな満たされなさに悶々とした気持ちを広げます。

小蒔「(もっと…京太郎君に触れてもらえば分かるんでしょうか…?)」

そう思う自分が破廉恥であるという事に私も気づいてはいました。
だって…そんな風に殿方に触って欲しいだなんて…まるで痴女のような言葉なのですから。
もっとお淑やかに…優しく受け止めてあげるのが女性としてのあるべき姿でしょう。
しかし、そうと分かっていても、彼に触れて欲しいと思う私の欲求は止まりませんでした。

小蒔「(それに…京太郎君は受け止めさせてくれません…)」

それはきっと私が淫らなのではなく、京太郎君があまりにもつれないからでしょう。
お友達なのに…京太郎君が私に甘えてくれないから、私もその…ちょっと変な気持ちになっちゃってるんです。
京太郎君がちゃんと私に処理をさせてくれれば、きっとこんな風に思うことはありません。
い、いえ…ぜ、絶対、絶対です!
絶対、こんな風に思いません!
そんなはずないんですから!

小蒔「うぅ…京太郎君の馬鹿…」

勿論、それが彼に責任転嫁をするだけの言葉だと口走った私もまた理解していました。
けれど、彼のきっちり線引する姿勢が私の悶々とした気持ちの行き場をなくしているのは事実なのです。
私は…もっと京太郎君と仲良くなりたいのに、彼は男女間の区別をしっかりとつけている。
それは同じ年頃として凄いと思う反面、それが寂しいのも事実でした。

小蒔「(お友達じゃ…足りないのかな…)」

京太郎君とお友達になれば、もっともっと楽しい事が待っていると思っていました。
いえ、実際、こうしてお友達になった今、私は今までで一番、充実した日々を過ごしていると言っても良いでしょう。
京太郎君と一緒にいるだけで世界がキラキラとしていて、胸躍るのですから。
しかし…それを楽しむ一方で、こうした細かい部分で物足りなさを感じているのは事実です。
もっと彼が甘えてくれるような…そして私もまた甘えられるような…甘い関係になりたい。
それはまだ小さいものの、私の中で確かに芽生え始めている感情でした。

小蒔「(他の人には…こうはなりません…)」

霞ちゃんたちに向けるそれとはまた違った感情に私はほぅと熱の篭ったため息を漏らしました。
そのため息一つとっても、私が京太郎君に向けている感情が霞ちゃんたちのそれとは一線を画するものである証でしょう。
確かに霞ちゃんたちとも私は仲良くなりたいと思っていますが、それはこうした甘い疼きを伴った感情ではないのです。
もっと落ち着いたというか…穏やかというか…少なくとも、今の私のように衝動へと結びつくような事は決してありません。

小蒔「(けれど…それが男女間の差異かと言うと決してそうではない気がして…)」

私だって少女漫画くらい読んだ事があります。
そして、その作中に出てくる殿方に対して、格好良いと思ったことは一度や二度ではありません。
しかし、そんな彼らに対して、京太郎君と同じ気持ちが向くかと言えば、答えは否でした。
あくまで作中の人物であると言う割り切りを捨ておいても、京太郎君のように疼くようなものを抱える事はないのです。
勿論、京太郎君以外に男友達と言う関係を持たない私にとって、それは必ずしも言い切れる事ではありません。
しかし、どれだけ考えても、私が京太郎君以外にその感情を向ける様が想像出来ないのでした。


小蒔「(これってやっぱり…そういう事なんでしょうか…)」

私にもそれがどういう事なのか薄々、勘付いてはいました。
幾ら、私がそう言った知識に疎いとは言え、お友達と言う領域から外れすぎている事くらい分かるのです。
しかし、それが本当に私が思っているような『恋』と呼ばれる感情なのかは分かりません。
それを私が自覚するには、殿方と接した経験が少なすぎるのですから。

小蒔「(例え、そうでなくても…私は…)」

未だ自分で名前をつけられないその感情を育てて行きたい。
京太郎君との間で育み、慈しみ…そして私の中で花を咲かせたいと…そう思うのです。
そんな自分がに笑みが溢れるのは…きっと誇らしいからでしょう。
私の胸にあったのはついこの間まで…恋愛に憧れるしか出来なかった私とは思えないほど力強い言葉だったのですから。

― カラカラ

小蒔「あ…」

瞬間、入り口から聞こえてきた音に私は顔をあげました。
そうやって視線を向けた先には自分の足でしっかりと立つ京太郎君の姿があります。
一人思考に耽っていてアレからどれだけ経ったかは分かりませんが、もう大丈夫なのでしょう。
そう思った私はそっと湯船から立ち上がり、京太郎君の元へと向かいました。


小蒔「え、えっと…いらっしゃいませ?」
京太郎「何か盛大に間違ってる気がする…」

「でも、お世話になります」と笑いながら返してくれる京太郎くんに私は笑みを浮かべました。
その返し方は何時もの彼のもので、そこにはもうぎこちなさは見えません。
流石に緊張していない訳ではないのでしょうが、さっきの悪影響は無いと見て良いでしょう。
それに一つ胸中でため息を漏らしたのは安堵か、それとも残念だった故か。
自分でも分からないままに私はそっと京太郎君の手を取りました。

小蒔「じゃあ、こちらへどうぞ」
京太郎「あぁ」

そう言って先導する私の後ろをよたよたと拙い足取りで京太郎君が着いてきてくれます。
何処かペンギンさんを彷彿とさせるそれは視界が大きく制限されているからなのでしょう。
それを申し訳なく思う反面、可愛く見えてしまって仕方がありません。
京太郎君はそう見られる事を望んでいないと分かっているのですが、ついつい可愛くて頬が緩んでしまうのです。

京太郎「小蒔?」
小蒔「あ、何でもないですよ」

タオル越しにそんな私の気配を感じ取ったのでしょう。
京太郎君は尋ねるように私の名前を呼び、首を傾げました。
その様もまた可愛らしく思えた私は、自分の笑みを抑えながら、偽りの返事を返します。
そうやって嘘を吐くのを申し訳なく思いますが…これはあくまでも京太郎君を傷つけない為の優しい嘘。
それくらいは許すべきでしょう、と自分に言い聞かせた瞬間、私の足は湯船へとたどり着いていました。

小蒔「じゃあ、掛り湯していきますねー」
京太郎「あいよ。頼む」

そう言って膝を折るようにして屈んだ京太郎君に私は足元の桶でお湯を汲み、肩から優しく掛けて行きます。
それにブルリと微かに肌が震えたのは京太郎君の身体もまた私と同じように冷えていたのでしょう。
そう思うと妙に嬉しくなって、私はついつい抑えていたはずの笑みを零してしまいました。
そんな自分を戒めながら、私は二度三度と京太郎君へと掛り湯を垂らしていくのです。

小蒔「ぁ…」カァァ

それが五回目ほどに達し、京太郎君の身体がお湯で暖まった頃、私は自分の眼下にある光景に気づいてしまいました。
真っ白なバスタオルが水分を含んで重くなり、ぴっちりと京太郎君に張り付いているのです。
無論、股間にある…その…殿方の大事なものもそのラインを浮き立たせ、微かに透けてさえいました。
白い布地の向こうに透けるそれは京太郎君の肌とは比べ物にならないくらい浅黒いものでした。
まるで別の生き物がそこについているようなそれに私の視線はまた引き寄せられてしまうのです。

京太郎「??」
小蒔「な、なななな…何でもないです!」

そんな私の前で首を傾げる京太郎君はいきなり動きが止まった私を訝しんだのでしょう。
それを誤魔化す為に紡いだ私の声は分かりやすい狼狽を浮かべ、震えていました。
誤魔化すどころか、逆に疑念を大きくするであろうそれに私は内心、頭を抱えますが、もう過去はどうにもなりません。
それなら京太郎君に勘付かれてしまう前に、有耶無耶にしてしまおう。
そう思った私の手が桶を置き、彼の手をそっと掴んだのでした。

小蒔「そ、それよりほら、早く入りましょう?京太郎君も寒かったですよね?」
京太郎「いや、それはそうだけど…」
小蒔「ほらほら、遠慮しちゃダメですよ!足を上げて…そう。そこが縁になりますから…滑らないように」

そうやって京太郎君を誘導していると少しの間、恥ずかしさを忘れる事が出来ます。
それが有難い反面、ちゃんと誤魔化せているか不安でドキドキが止まりません。
ふ、不安であって…絶対に…ぜええったいに興奮なんかじゃないのです。
私は…そんなに淫らではしたない女じゃありません。

京太郎「は…ぁあ…」
小蒔「くすっ」
京太郎「あ、笑ったな」
小蒔「ふふ、笑っちゃいました」

そう言い聞かせる私の前で京太郎君の身体が湯船に沈んでいったと思った瞬間、彼の口から熱いため息が漏れました。
私の時とまったく変わらないそれに、ついつい笑みを浮かべながら、私もまた膝を折るのです。
そのまま京太郎君の横へと座った私は、彼の手をゆっくりと湯船の中に離します。
それがブルリと震え、心地好さを感じているのを確認しながら、私も口を開きました。

小蒔「でも、安心して下さい。私も同じ事をやってましたし」
京太郎「やっぱりか」
小蒔「えへへ…だって、寒い時のお風呂って格別ですもん」

そろそろ冬が目前に迫ってきた今の時期。
お布団も大好きですが、お風呂の魅力も侮れません。
身体の芯からじっと温まるようなそれに抗える人は少ないでしょう。
実際、皆で一緒にお風呂に入ると霞ちゃんだって同じようにため息を吐くくらいなのですから。

京太郎「そんなに寒かったなら、何も最初から水着でなくたって良いだろうに」
小蒔「だって…京太郎君を喜ばせたかったんですもん」

呆れるように言う京太郎君の言葉は正論でしょう。
私だってそれがまったく思いつかなかったなどとは言いません。
しかし、例え京太郎君とは言え、殿方の前で脱ぐのは恥ずかしいですし、何よりインパクトがありません。
口頭で水着の存在を伝えられるよりも、スケベな京太郎君は目の前で突然、水着姿を見せられる方が喜んでくれる。
そう思ったからこそ、私は肌寒いながらも、それを着こみ、京太郎君の部屋へと向かったのでした。

京太郎「喜びすぎてやばいくらいだけどなぁ…」
小蒔「襲っちゃいそうです?」
京太郎「襲わない為に色々、我慢してるの」
小蒔「ひゃうっ」

そう言って京太郎君はびっと指先でお湯を弾くようにして、掛けてくるのです。
それに思わず声をあげてしまった私に何となく悔しさが湧き上がって来ました。
勿論、それは京太郎君なりの照れ隠しだと分かってはいますが、やられっぱなしはやっぱり悔しいです。

小蒔「もう…やりましたね…!」ビッビッ
京太郎「ふふふ、俺にはタオルと言うバリアがあるから通用せんよ」
小蒔「ひ、卑怯です!」

しかし、そうやって反撃しようとしても京太郎君の顔には真っ白なタオルが掛かっているのです。
視界を覆うそれが水分をすぐさま吸い取り、彼の肌へと届かせません。
それが悔しくて声をあげるものの、私の頬は緩んでいました。
こういったごっこ遊びめいたやり取りも京太郎君と一緒なら、とても楽しい事なのですから。
悔しいと言う気持ちはありますが、それ以上に私は今、楽しんでいたのです。

京太郎「ふぅははははー卑怯で結構!この世界では勝てば全てが肯定されるのだよ、神代小蒔」
小蒔「じゃあ、そのタオル外しますね」
京太郎「あぁっ!ごめん!やめて!それはやめて!!」

それでも偉ぶった京太郎君のセリフが悔しくて、そっと手を伸ばします。
それを感じ取った彼がすぐさま謝罪し、逃げるように首を振るうのでした。
たった一言で逆転する力関係が面白くて、私はクスリと笑みを浮かべるものの、やっぱりそこまでする必要があるのか気になります。
別に京太郎君を先導するのが嫌だったり面倒だったりする訳ではないのですが、彼は水着姿の私と一緒にいても最初以外は殆ど普段のままでした。
そう思うとどうしても警戒しすぎではないかと思ってしまうのです。

小蒔「もう…気にし過ぎだと思うんですけど」
京太郎「だからって用心するに越した事はないだろ」

それをそのまま口にした言葉は京太郎君にすげなく躱されてしまいました。
確かにそうなってしまった時の事を考えるに、その言葉は正しいと私も思うのです。
けれど、その一方で、これまで私の提案を却下し続けている京太郎君に限って、そんな事はないと思うのもまた事実でした。

京太郎「それに今だって結構、我慢してるんだぜ?」
小蒔「別に…普段通りに見えますけれど…」
京太郎「いや、実は結構、ドキドキしてる」

そう言う京太郎君の表情は到底、そうは見えません。
勿論、その顔の殆どがタオルで隠れているとは言え、口調も普段通りの穏やかなものなのですから。
多少、興奮しているかもしれませんが、それはお風呂で暖まっているからだと言える領域です。
少なくとも、私が見る限りではドキドキしているようには思えません。

小蒔「(むぅ…何となく悔しいです…)」

私は…正直、ドキドキしていました。
こうして京太郎君と一緒にお風呂に入っているという状況もそうですし、何より、その…と、殿方のアレをタオル越しとは言え、見てしまった余韻がまだ残っているのです。
そんな私の鼓動はさっきからドクドクと脈打ち、鼓膜を震わせているくらいでした。
それなのに私が外見だけでも平静が保てるのは、京太郎君が何時も通りの姿を晒しているからです。
微かに余裕すら感じさせるその姿に有難いと思う反面、嘘じゃないか確かめて見たいと思うのは当然の事でしょう。

小蒔「じゃあ、胸…触っても良いですか?」
京太郎「な、何で!?」
小蒔「だって…信じられないですもん…」

そんな私の言葉に何故か京太郎君は強い焦りを見せました。
それを見た私の中でまたも疑念が強くなっていくのです。
本当にドキドキしているのならば、ここまで焦る事はないでしょう。
ドキドキしていても、あんなに普段通りの姿を見せられるのですから。
しかし、私の目の前で狼狽を表す京太郎君にはさっきの冷静さはありません。
それにジトーと疑いの眼差しを向ける私の前で、京太郎君はコホンと一つ咳をしました。

京太郎「あのですね、小蒔さん。あんまり年頃の女性が野郎の胸を触りたいとか言っちゃダメですよ」
小蒔「うー…でも…」

言い聞かせるような京太郎君の言葉は当然のものです。
さっきのそれは到底、淑女らしいものとは言えないでしょう。
しかし、そう分かっていても、私は京太郎君のドキドキを知りたかったのです。
もし…独りだけ意識しているだけだったらどうしようと…私のドキドキが一方通行だったら…どうしようと…そんな不安すら沸き上がってくるほどに。


京太郎「あー…もう…ちょっとだけだからな」
小蒔「京太郎君…」

そんな私の不安を感じ取ってくれたのでしょう。
京太郎君は諦めたように首を振りながら、大きく譲歩してくれました。
それに一つ胸の高鳴りが強くなったのを感じながら、私は彼の名前を呼びます。
しかし、京太郎君はそれに答えるどころか、微動だにしません。
その姿に我儘を言いすぎて怒らせてしまったのかと思った瞬間、私は京太郎君が歯を食いしばっている事に気づいたのです。

小蒔「(これ…我慢しようとしてくれてるんですね…)」

ぐっと力を込めて、食いしばろうとする表情。
それは私に京太郎君が嘘を吐いていない事を教えてくれました。
彼は本当に…ずっと我慢を続け、そして平静を装い続けてくれたのです。
それは勿論、見栄の為でもあるのでしょう。
しかし、それだけではないと思うのは…そんな京太郎君を見て、落ち着きを取り戻した自分がいるからです。
もしかしたら、自分の為だけではなく、これから入浴の世話をする私の為だったのかもしれない。
そんな思考が、すっと私の胸へと落ちていきます。

小蒔「(でも…今更…後には引けません…)」

例え、それが事実であったとしても、私は京太郎君に我儘を言い、彼もまたそれを受け入れてくれたのです。
それをここで『やっぱりなしにして下さい』とは、言えません。
それに…私自身、確かめたい気持ちがなくなった訳ではないのです。
京太郎君が我慢してくれているのが伝わってくる表情を見ても…その胸に触れて…直接、ドキドキを感じ取りたかったのでした。


小蒔「し、失礼します…」
京太郎「う…」

そう一言断ってから、私はそっと指先を京太郎君の胸板に触れました。
瞬間、私とは違う熱がじっと伝わり、私の中を暖めてくれるのです。
湯船に今も流し込まれているお湯とはまた違ったその熱は、私にさっきのハプニングを彷彿とさせました。
それに私の顔がさらに熱くなっていきますが、私は京太郎君から手を離す事が出来ません。

小蒔「(これ…凄い…熱いです…)」

今も私の胸の中でズキリと疼くような熱に酷似した感覚。
それが指先から這い上がり、私の胸のドキドキも高まっていきます。
それはきっとドクドクと力強く脈打つ京太郎君の心臓も無関係ではないのでしょう。
指先から今も伝わってくるそれに私の心臓も共鳴し、京太郎君に高められていくような錯覚すら覚えました。

京太郎「わ、分かったか…?」
小蒔「…ぅー…」

そんな私にポツリと紡がれた京太郎君の言葉に私は逡巡を感じます。
京太郎君のドキドキはもうコレ以上ないくらいに伝わてきていました。
それに身体が共鳴するようにさえ感じる私が京太郎君に触れている理由はもうないでしょう。
既に目的を果たしている以上、普通にお礼を口にして、離れれば良いだけなのですから。
しかし…私にはそれがどうにも選びがたいものに思えるのです。
ここで…分かってしまうと…もう京太郎君には触れられない。
そう思うと…どうしても、正直になる事は出来ませんでした。

小蒔「わ、分からないので…もうちょっと良い…ですか?」
京太郎「ちょ、ちょっとだけだぞ」
小蒔「わ、分かってます…ちょっとだけ…ちょっとだけ…」

しかし、そう言いながらも私の手は少しずつ京太郎君へと触れていくのです。
最初は指先であったそれが、手のひらを押し付けるようなものへ。
すっと京太郎君の胸を押すようなそれに鼓動の音が大きくなりました。
京太郎君もまた…私が触れている事に興奮しているのかもしれない。
そう思った瞬間…私はもっと京太郎君に触れたくなって仕方なくなるのです。

小蒔「ん…♪」
京太郎「あ、あれ…?こ、小蒔…?」

それに背を押された私がそっと手を離した瞬間、京太郎君が私の名前を呼びました。
けれど、私はそれに答えないまま、そっと身体を京太郎君の方へと近づけます。
視界を塞がれた京太郎君にとって、それは感じ取れるものではあれど、意図が分かるものではないのでしょう。
不思議そうに首を回しながら、疑問をアピールしていました。

小蒔「えい…っ♥」
京太郎「ぬおぁああ!?」

そんな京太郎君に顔を押し当てるように抱きついた瞬間、彼の口から叫び声が飛び出します。
まるで何かの鳴き声のようなそれは京太郎君が驚いている何よりの証左でしょう。
実際、私も…こんな大胆な事をしている自分に驚きを禁じ得ないのです。
ですが…私のドキドキは…もう止まれません。
もっと深いところで…もっと強く…そしてもっと激しく…京太郎君を感じたくて仕方がないのでした。

京太郎「こ、ここここここ小蒔ぃ!?」
小蒔「京太郎君…凄いドキドキしてます…♪」

そんな私が京太郎君の胸に触れた耳。
それに伝わってくる鼓動の音はさっきよりも激しいものでした。
それはこうして耳が近づいた所為なのか、或いは抱きついた私に興奮してくれているのか。
どちらかは分かりませんが…どちらであっても私にとって嬉しい事には変わりありません。
それだけでクスリと笑みを浮かべながら、私は京太郎君の背に回した腕に力を込めるのです。

京太郎「そ、それは良かった…んだけど!だけど!それなら離れてくれないか…!?」
小蒔「そう…ですね…離れないと…ダメ…です…♪」

京太郎君の狼狽まみれの言葉に同意を返しながらも私の腕は緩む事はありませんでした。
不自然にしなだれかかるような姿勢になった私を支えるようにしてがっちりと押さえ込んでいるのです。
とは言え、それは所詮、女の力。
京太郎君がその気になれば、突き放す事も不可能ではないでしょう。
しかし、彼は口ではそう言いながらも、そんな気配は見せません。
きっと京太郎君も嫌がっている訳じゃない。
それにはしたない自分が許された気がして、私はそっと目を閉じていきました。

小蒔「(暖かくて…心地…良い…です…♪)」

京太郎君と初めて会ったあの日の夜。
感極まった私は京太郎君に抱きつき、その服を涙で汚してしまいました。
その時だって、私はとても安心して、暖かな気持ちになっていたのです。
しかし、今、こうして私が味わっているそれは、かつてのものとは比べ物になりません。
触れている場所全部がまるで幸せになったようにポカポカして…今にも眠りに堕ちてしまいそうなくらいなのです。


小蒔「(もう離れたく…ありません…っ♥)」

今まで味わったどんなものよりも甘美な熱に私の心はそう叫びます。
こんなにも素晴らしいものが世の中にあったなんて知らなかった私はそれを手放せなくなってしまったのでした。
そんな自分に対して、『いけない』と思う気持ちはあれど、決定的な抑止力にはなりえません。
京太郎君もまた…拒んでないのだから、別に良い。
どうしてもそんな気持ちが浮かび…はしたない自分を許してしまうのです。

小蒔「んぁ…っ♪」

耳を京太郎君の胸板に押し当てる都合上、下腹部へと向けられていた私の乳房。
そこに何かが押し上げてくる感覚に私は思わず声をあげてしまいました。
普段よりも幾分、敏感になった私の肌はグイグイと大きくなる硬い何かを強く感じてしまったのでしょう。
触れた部分にも疼くような熱が残り、鼓動にばかりに目を向けていた意識がそちらへと引っ張られるのを感じました。

小蒔「(これって…)」

そんな間にもどんどん大きくなっていく硬い何か。
それは私の水着を滑るように移動しながらも、おっぱいを押しこみ始めていました。
自然、ジクジクとした熱が私の肌に広がり、妙な気持ちが強くなっていくのです。
さっきも感じた…お股を擦れ合わせたくなるそれに私の目は開き、視線がそっと下へと向きました。

小蒔「ん…?」

しかし、私の乳房が視線を遮り、下で何が起こっているのか私には分かりません。
それを本当に知ろうと思えば、京太郎君から離れるしかないでしょう。
ですが、感じたことのない暖かな感覚の中にいる私にとって、それを選べるはずがありませんでした。
気になるのは確かですが、きっと大した事はない。
そう言い聞かせるように思考を打ち切りながら、私はまた目を閉じようとして… ――

京太郎「こ、小蒔…これ…やばいから。本当に…やばいから…!!」
小蒔「そう…ですね…危ない…です…♥」

そこで届いた京太郎君の言葉にそう返すものの、何が危ないのか良く分かってはいません。
だって、私は今、とっても幸せで…ポカポカしているのですから。
それなのに…危ない事なんてあるはずがないのです。
例え、あったとしても…そんなものは私の王子様である京太郎君がきっと何とかしてくれるでしょう。

京太郎「あ、当たってるんだって…もう…これ…当たってるから!」

そう思った瞬間、私の耳に泣きそうな京太郎君の声が届きました。
しかし、私にはどうして京太郎がそんな声をあげるのかがまったく理解出来ません。
京太郎君だってこんなにドキドキしているのに…どうしてそんなに辛そうなのでしょう。
もしかして、私がうっとりしている間に誰か来て、怒られているのかもしれない。
そう思って、意識を周囲に向けましたが、私の耳に届くのは私たちの鼓動とお湯が流れこむ音だけでした。

小蒔「(まるで…世界に…私達しかいないみたい…♪)」

あの日、京太郎君の部屋へと忍び込んだ夜にも思ったそれに私の笑みは深くなりました。
とろけるような色を強くするそれに私が自分が今、どれだけ幸せなのかが伝わってくる気がします。
けれど、それは私だけであり、京太郎君にとってはそうではない。
それに幸せだったはずの心に黒いものが差し込んでくるのを感じました。

小蒔「(ダメ…ですよね…幸せは…二人で…共有しないと…♪)」

辛い事は二人で分け合い、楽しい事は高め合うのがお友達なのです。
そして…それが出来ないからこそ…私は霞ちゃんたちと本当の意味でお友達になる事が出来ません。
そんな私にとって…京太郎君は唯一無二のお友達であり、とても大事な人。
最早、お友達という関係ですら満足出来なくなりつつある彼の悲しさも…私が受け止めてあげたい。
心に出来た黒点に背を押されながら、そう思った私の口がそっと開いていくのです。

小蒔「大丈夫…ですよ…私がお側に…いますから…♥」
京太郎「い、いすぎだから!いるからダメなんだって!!」

しかし、それが京太郎君にとって不満の種だったようです。
とは言え、どうして泣きそうな声をあげるほど不満なのか私の理解は及びません。
いえ…本当は…内心、薄々、理解しつつあるのです。
どれだけ頭の中までうっとりしていても…私の思考は止まらずに動き続けていたのですから。
そんな私の頭が弾きだした答えは…『本当は迷惑がられている』と言う…信じたくないものだったのです。


小蒔「(嫌…っそんなの…嫌です…!!)」

それに心の黒点がぶわりと膨れ上がり、私へと牙を向きました。
寂しさや悲しさの入り混じったそれは、悪いモノに乗っ取られないようにするのが精一杯なくらいに大きいものです。
その上、さっきの暖かなそれを丸呑みにしようとするほどにその勢いは激しく、私の胸が大きく揺れ動きました。
その苦しさに耐え切れなくなった私は京太郎君へと回した腕に力を込め、縋るように抱きついてしまうのです。

小蒔「(お友達でさえなくなってしまったら…私…私…)」

勿論…私は今も京太郎君に一杯、迷惑を掛けています。
恥ずかしい事を言わせた事なんて一度や二度ではありませんし、さっきなんて異性には決して見られたくない所にまで追い込んでしまったのですから。
そんな私を迷惑だと…邪魔だと思うのはきっと当然の事なのでしょう。
しかし…そう共感を浮かべる一方で…それに耐え切れない私もいました。
もっと頑張りますから…見捨てないで下さい。
もっと尽くしますから…離れないで下さい。
もっと支えますから…突き放さないで下さい。
そんな言葉が止まらずに、グルグルと渦巻く私の肩にぐっと何かが掴みかかりました。

京太郎「小蒔!」
小蒔「ぅあ…っ」

そのままぐいっと私を離す力はとても強いものでした。
利き腕に罅が入っているとは思えないほどの…男らしい力。
それは普段であれば快方に向かっている証として私は歓迎する事が出来たでしょう。
しかし、今の私は…それが堪らなく悲しく…そして辛いのです。
だって…そうやって力を込めるくらい…私が拒絶されているという証なのですから。


小蒔「や…ぁ…やだぁ…」
京太郎「…落ち着いて下を見てくれ…」

それが嫌で両手を京太郎君の方へと向ける私の耳に震える彼の声が届きました。
それは不思議なほどに拒絶の色がなく、寧ろ羞恥の感情で満ちていたのです。
それに泣き出しそうな心の荒波が少し落ち着き、涙も引っ込んでいきました。
けれど、未だ心の安静が得られない私の顔は俯き、そして『それ』を目にしてしまうのです。

小蒔「…え…?」

そこにあったのはバスタオルでした。
本来ならばマナー違反と呼ばれるタオルをお湯へと浸ける行為。
それをこうして犯しているのは、京太郎君の股間を隠す為です。
しかし…それが今、ピンと張って、今にも解けそうになっていました。
それは勿論…タオルの奥でその……アレが…大きくなっているからで… ――

小蒔「(さ、さっきのってもしかして…)」

その光景を見た瞬間、私はさっきの不思議な感覚の正体を理解しました。
さっき私の胸を押し上げていたのは…と、殿方の大事なアレなのです。
けれど…私はそれを知らず、些細な事を思考を投げてしまった。
それが…そもそもの行き違いの原因なのでしょう。

小蒔「(さっきから…京太郎君が辛そうだったのも…)」

私が誤解していたように…迷惑がっていたからなどではないのです。
ただ、その膨らみを私へと押し付けているのが恥ずかしく、そしてまた自分の欲望から私を護ろうとしてくれたが故。
それを…私は勘違いして…対抗心を燃やしたり…泣きそうになったりしていたのです。

小蒔「あわ、わわわ…あわわわわ…」
京太郎「お、落ち着け!だ、大丈夫だ!問題ないから!!」

それに申し訳なさと恥ずかしさが入り混じり、困惑へと変わる私の前で京太郎君が力強くそう言いました。
しかし、その声もまた羞恥と困惑が強く、京太郎君もまた平静でない事を私に伝えます。
いえ…誰だってこんな状況で平静でいられるはずなどないのです。
特に…自分がやってしまった事の重大さとあまりにも恥ずかしすぎる誤解に気づいてしまった私が耐えられるはずがなく… ――

小蒔「ふ、ふにゃあ…ぁ」プシュー
京太郎「こ、小蒔ぃぃい!?」

そのまま思考がオーバーフローし、久しぶりに意識が黒く染まっていくのを感じた私の耳に京太郎君の声が届きました。
私を強く心配し…案じてくれている優しい声。
そこには私が心配していたような厭うものはまったくありません。
それに安堵を感じた瞬間、崩れ落ちる私の身体を京太郎君が抱きとめてくれました。

小蒔「(あ…ぁ…良かった…ぁ…♪)」

それにようやくさっきのそれが誤解であったと言う実感が湧き上がり、私の胸に出来た黒点がすぅっと消えていきます。
そんな黒点に引っ張られるようにして意識も遠のいていきますが、私には不安はありません。
だって…私が一番、信じている人が私の身体を抱きとめてくれているのですから。
京太郎君が私の事を支えてくれているのならば、きっと…ううん、絶対に大丈夫。
そう強い信頼感と安堵を混ぜ合わせながら、私の意識は遠のき、身体を完全に脱力させたのでした。





………



……








とは言え、それからの事に苦難がなかったかと言えば、そうではありません。
数十分もした頃には私の意識も戻りましたが、京太郎君も私も平謝りして話がまったく進まなかったのです。
遥かに私の責任が重大だったと思うのですが、京太郎君は譲ってはくれませんでした。
私を気絶させてしまった事とお、大きくなったそれをすぐさま伝える勇気がなく、ズルズルと先延ばしにした事を謝り続けていたのです。

小蒔「(まぁ…それはお互いに水に流す事にしたのですが…)」

しかし、それで全てが忘れられるはずがなく、その後も私たちはぎこちないままでした。
ちゃんと身体や髪を洗う事は出来たと思うのですが、ろくに会話がなかったのです。
お互いに最低限の言葉を交し、確認に終始するそれは悲しくなるくらい事務的でした。
ですが、それを打破するアイデアは私にはなく、結局、私たちはこうして京太郎君の部屋に帰るまでぎこちないままだったのです。

京太郎「あ、有難うな。お陰ですっきりしたよ」
小蒔「そ、そう…ですか…」

それがダメだという気持ちは京太郎君にもあるのでしょう。
部屋にある座布団に腰を下ろしながら、京太郎君はそう言ってくれました。
しかし、私はそれをそのまま打ち返すだけで、ろくに話を広げるような返し方が出来ません。
そんな自分に自嘲の言葉が胸中に浮かびますが、未だ後悔で固まる思考はろくなアイデアを紡いでくれませんでした。


小蒔「(う、うぅ…どうしたら良いんですかぁ…)」

本当ならばさっきのそれは千載一遇のチャンスだったはずなのです。
しかし、私はそれを活かせなかったどころか、思いっきり潰してしまいました。
それに心にズシンと重くのしかかるものを感じながら、私は胸中でため息を吐きます。
ですが、そうやってため息を吐いたところで名案など浮かぶはずはなく、私は京太郎君の隣に座りながら肩を強張らせていました。

―ブルル

小蒔「ひゃう!?」ビクンッ

そんな私の耳に唐突に届いた振動音。
それに肩を跳ねさせながら振り向けば、そこには畳に投げ出された携帯がありました。
それは勿論、携帯を買い与えられていない私のものではなく、この客間の主である京太郎君のものです。
それを私はぎこちない動きで拾いあげ、ボタンを操作して振動を止めました。

小蒔「あ…メールみたいです」
京太郎「ん…誰からだ?」
小蒔「…上重さんですね」

そう言って京太郎君に手渡した携帯には上重さんからのメールが既に開かれていました。
その内容が気になる事は確かですが、京太郎君向けに送られたそれをジロジロ見るほどいやしい女ではありません。
それに…どの道、返信する時にその内容は文面として残り、私にも見えてしまうのですから。
それを思えば、今すぐ気にするものではない。
そう思いながらも…画面をスクロールさせ、嬉しそうにする京太郎君の顔を見るのは面白くありませんでした。

小蒔「(今は…私と一緒なのに…)」

それなのに…京太郎君は私に対してぎこちなく、そこにいないメールだけの相手に笑顔を向けているのです。
勿論…それはさっき私がちゃんと京太郎君の気遣いに応える事が出来なかった所為でしょう。
もっと言えば…それよりも遥か前に…私が気づいていれば、こんなぎこちない風にはならなかったのです。
しかし…そうと分かっていても、私の中のモヤモヤは収まりません。

小蒔「(それはきっと…上重さんが、京太郎君の『被害者』である事と無関係ではないのでしょう…)」

勿論、それははっきりと上重さんがメールに書いていた訳ではありません。
しかし、京太郎君の能力を知っていたり…京太郎君がその様子をとても気にしていたりしているのです。
それら一つ一つだけならば、気にはならなかったでしょうが…それらがいくつも重なれば疑念も覚えるのでした。
そして、その疑念を重ね、半ば確信に至った私にとって、それは嫉妬を向ける事柄であったのです。

小蒔「(私は…京太郎君の『被害者』にも…『加害者』にもなれていないのに…)」

そう思うのは…きっと普通ではない思考なのでしょう。
本来ならば、そのどちらにもならない関係の方が正常なのですから。
しかし…私にとって京太郎君が『被害者』である事を、私は忘れた訳ではありません。
ずっと心の中に残り続けているそれは…しかし、私の一方通行な関係なのです。

小蒔「(私も…傷をつけて欲しい…)」

例え、どんな傷でも京太郎君につけられるのであれば、私はソレを受け入れる事が出来るでしょう。
だって、私は既に京太郎君にとても酷い傷を負わせてしまっているのですから。
寧ろ…そうやって傷つき、傷つけあう事で、お互いの絆は深まり、強固になっていく。
それが歪な思考であると理解していても…どうしてもそう思うのは否定出来ませんでした。


ただのお友達だけでは飽きたらず、京太郎君と仲の良い人の立ち位置まで奪おうとしているのですから。
しかも、その為に京太郎君の善意を踏みにじり…良心を利用しようだなんて…ズルいにもほどがあるでしょう。
そんな自分に呆れながらも、止められない自分に私は胸中でため息を吐きました。

小蒔「(で、でも…流石に一緒にお風呂に入ったり…京太郎君の…その…大事なモノまで見てませんよね…?)」

瞬間、湧き上がった言葉に私の頬はぼっと熱くなりました。
しかし、その一方で上重さんに対する羨ましさがすぅっと引いていくのが分かるのです。
アレだけ親しげな上重さんですら知らない事を…私はもう知っている。
それに浅ましい優越感が胸を満たすのを感じながら、私はぐっと握り拳を作りました。

京太郎「あ、小蒔。返信頼めるか?」
小蒔「は、はい!」

そんな私に告げられる京太郎君の頼み。
それに返す私の言葉にはさっきのようなギクシャクしたものはありませんでした。
流石にもうまったく気にしていない訳ではありませんが、お風呂での一件は私の自信へと繋がったのです。
それはちょっと…いえ、かなり間違った自信でありますが…今はそれほど大きな問題ではありません。
それよりも京太郎君との間にぎこちなさがなくなった事の方が遥かに重要なのです。

小蒔「え…?」

しかし、そんな気持ちは京太郎君から受け取った携帯を見て吹き飛んでしまいました。
そこにあったのは上重さんとお風呂に入っていた事もあるような記述だったのです。
勿論…微かに匂わせる程度であって、決定的なものではありません。
しかし…それでも私の中の自信を揺るがせるのには大きなものであったのです。

京太郎「小蒔?」
小蒔「え…あ…大丈夫です」

その衝撃に思わず呆然とし、携帯の画面を見つめる私。
それに気遣うような京太郎君の声が届いた瞬間、私は反射的にそう返してしまいました。
どれだけ衝撃を受けていたとしても、こうして呆然としている訳にはいきません。
左手の親指に大きな罅が入り、日常生活はともかく、メールの返信が不可能となった京太郎君の手助けは私の仕事なのですから。
今は…今だけはそれに専念して、メールを打ち続けるべきです。

小蒔「(そう…それなのに…)」

京太郎君の言葉をそのままメールへと返る作業には随分と慣れました。
流石に霞ちゃんたちみたいに手早く打てるほどではありませんが、最初の頃のように詰まったりはしません。
しかし…その所為で私の頭は別のことを考える余裕と言うものを持ってしまうのです。
すなわち…京太郎君が私だけでなく…上重さんとまでお風呂に入っていたという可能性を。

小蒔「(そ、そんな事ありません…!)」

そうやって一緒にお風呂に入るなんて、それこそ恋人でもしないような事なのです。
私だって、京太郎君が怪我をしていなければ…こうして一緒にお風呂に入る機会なんてあり得ませんでした。
いえ…あったとしても、意外と理性的な京太郎君に拒まれ、結実しなかったはずです。
そんな彼が…私以外の女性と…しかも、怪我もしていないのにお風呂に入っていただなんて…にわかには信じがたい事でした。

京太郎「…よし。じゃあ、それで送ってくれ」
小蒔「はい…」

そんな事を考えている間にメールの作成は終わっていたのでしょう。
私が打った文面を確認し終わった京太郎君の言葉に私は送信ボタンを押しました。
普段なら…そこで一仕事終えた満足感にぐっと握り拳の一つでも作っていた所です。
しかし、今の私は到底、そんな気分にはならず、そっと顔を俯かせてしまいました。

京太郎「小蒔、大丈夫か?」
小蒔「あ…」

私に…私だけに向けられる…優しいその視線。
それに胸が脈打ち…暖かいものを感じる反面…ぎゅっとそこが締め付けられてしまうのです。
まるでその視線に喜びながらも…それが私だけのものではない事を苦しむような痛みに、私の胸に与えられた熱が復活し、じわりと内側へと染みこんでいくのでした。

小蒔「(これを…上重さんも知っているんですか…?)」

京太郎君に触れられた時からずっと私の胸の内に残り続けた疼き。
それは世界で私だけしか知らないものだと…私は思っていました。
上重さんがどれだけ親しくても…この心地好さともどかしさが入り混じったそれを知りはしないだろうと…思っていたのです。
しかし、それも上重さんが知っているどころか、もっと遥か先のところまで進んでいるかもしれない。
そう思った瞬間、私の口は勝手に動き出し、『その言葉』を放ってしまうのでした。

















小蒔「京太郎さん。麻雀しませんか?」










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