【吸血鬼・尭深】

 

「失礼します。―あむっ」

刹那、俺の右腕に痛みが走る。いや痛みだけではなかったか。
痒いようでどこか気持ちいい感触が脳に伝わり、俺は変な充足感をしばし味わった。
彼女はふざけて俺に噛み付いたのではない。そうしなければいけない理由があったのだった。
そう。普段の日本茶と掛け離れた液体を恍惚の笑みで堪能する先輩こと渋谷尭深は、吸血鬼だったのだ。
普通、吸血と言えば真っ先に首筋を噛まれると考えたのだが、彼女に因れば正直どうでも良いらしい。
確かに首の太い血管から吸血できれば一度に大量の血液を摂取できるだろう。
しかしそれでは万が一の場合、吸血された側にリスクしか残らない。
彼女は最悪のケースに備え、採血などでよく選ばれる腕の血管を好んで吸血していた。
なんでも尭深さんのモットーは『持ちつ持たれつ』なんだとか。
成る程、これなら痛みはそれ程大きくないし傷痕もそんなに目立たない。
しかし、俺のメリットは何なんだろうか?

「ちゅー……ちゅー…んくっんくっ」

充血とは違った赤い瞳。少し上気した頬。
そして微かに触れる柔らかな体躯。なんだ、そういうことか…。
彼女からの絶対的な信頼。これは何物にも変えられない宝と呼べるじゃないか。
そう理解してからは尭深さんの一挙手一投足がより愛らしく思えてきた。
血液を催促する為に肌を蠢く舌先が。ギュッと俺の腕を握り締め続けてている両手が。
その全てが俺に身を委ねているからこその行動なのだと思えば、不思議と多幸感が胸に溢れてきた。


「…ちゅっ……。…ふぅ、ごちそうさま」


これも澄ました態度に見えるが少し違う。なんたって頬の朱みがさっきより強くなっているのが証拠だ。
そのまま俺に背を向けて帰り支度をしていく尭深さんだったが、いつもと比べて落ち着きがないのがとても可愛らしい。

「―きゃっ」


バサバサバサ


そう考えていると急に騒がしい音が聞こえてきた。
どうやら彼女は鞄の中身を盛大にひっくり返してしまったらしい。
床に散らばった高校生らしい小物が彼女がただの女子高生としての顔を引き立たせる。
そして同時に、裏の―吸血鬼としての―顔は自分以外は知らないのだという、どこか優越感にも似た感情を俺の中で大きく高ぶらせた。


「えっと…悪いけど手伝ってくれるかな?ごめんね」


――そんな可愛い言葉を掛けられてしまえば断るに断れないじゃないですか。――


その言葉は胸に仕舞うことにして俺は慌てる彼女の下へと足を向ける。
貧血の影響かは判断できないが、自分でもやや足取りが宜しくないのが分かった。
そのことが彼女の役に立てている確たる証しに思え、俺はひっそりとほくそ笑むのだった。


尭深さん、貴方の為ならこの身を………。


カンッ!