キム・ヘギョンさんインタビュー

  

 2002年10月25日、フジテレビ・朝日新聞・毎日新聞により、キム・ヘギョンさんへのインタビューが北朝鮮が指定した条件で行われた。北朝鮮の目的は、ヘギョンさんのもとへ横田夫妻を訪朝させ、めぐみさんらの死亡を認めさせて、家族会を分断して拉致問題の矮小化、幕引きさせることだ。これが実現したのはフジテレビの小川美那記者によるんだと。フジの番組自体は生放送で、ヘギョンさんのインタビューはVTRなのだが、それををわざわざめぐみさんの父・滋さんに見させて、感想を聞く場面を報道していた。母・早紀江さんは「惨すぎる」と抗議しその場を離れた。しかも、トラブルで「会見 泣き」のテロップがちらっと・・・・・・という、どうしようもないクソコンテンツとして一気に世論の怒りを浴びた。質問内容は、やはり朝日サイドが決めたようである。

-名前は漢字で書けますか。 

漢字では書けません

-名前は誰が付けましたか。 

お父さんです

-生年月日は。 

1987年9月13日です 

-どこの学校に通っていますか

堂上中学です

-学校ではどんな科目を勉強していますか。

数学、物理、化学、英語、文学、体育。全部で6科目です  

-好きな科目は。 

音楽です 

-誰と暮らしていますか。 

父と母と弟です。弟は3歳です

-お父さんは何をしていますか。  

会社で働いています。(仕事は)ルンラという会社の名前しか知りません

-横田めぐみさんの娘と確認されましたが。  

どう考えたらいいのでしょう。正直お母さんが日本人だと知らずにいました

-お母さんが日本人だといつ知りましたか。  

9月17日に(日本政府の人と)一度会って、お母さんが日本人で、おじいさん、おばあさんが生きていることを知っているかと聞かれ、初めは驚きました。本当なのかと

-日本のおじいさん、おばあさんは孫だと分かって喜んでいますが。  

わたしもうれしいです。母方におじいさん、おばあさんがいることが分かってうれしく、言葉では言えません」

-お母さんがどのようにして来たか知っていますか。  

知りません。日本人だとも知らなかったのに、どうして分かるでしょう

-拉致されて来たのを知っていますか。  

知りませんでした

-拉致ということが理解できますか。  

以前来た(日本の)人たちからは『行方不明だ』と聞いていました

-拉致という言葉は初めて聞くのですか。  

ええ

-お母さんの故郷へ行っておじいさん、おばあさんと暮らしたくないですか。

お父さんが朝鮮人ではないですか。お母さんが日本人だからといって日本には行けません

-日本に行きたいと言ったらお父さんは何と言うと思いますか。  

どういう態度を取るか考えてみたことはありません。おそらくお父さんの考えでは賛成しないと思います

-伝えたいことはありますか。 

おじいさん、おばあさんが元気でいらっしゃるか、病気ではないか心配です

-日本について知っていますか。  

知りません。首都は東京だと地理で習いました。ほかのことは分かりません

-知っている日本語を話してくれませんか。  

日本語は分かりません。学校でもどこでも教えてくれませんから

-お母さんが病院で亡くなった時の記憶はありますか。

母が亡くなったのは6、7歳のときで幼くてあまり記憶はありません。お母さんが入院したとき、病気だということは知っていました。何度か面会に行くと喜んでくれました

-お葬式のことは。

分かりません。小さなわたしを残して亡くなってしまうとは信じられませんでした。(死後)お父さんに1年近くたっているのになぜ面会に行かないのと聞くと、『前に亡くなったと教えてあげたでしょう』と言われ初めて分かりました

 -身長は。 

144.2センチです。体重は分かりません

-将来の希望は。

(労働)党の働き手になりたい。人々に教養を与え、誰からも慕われる人になりたいです

-9月17日に聞いたことはお父さんに伝えましたか。  

ちょうど出張中だったので、数日後に『お母さんは日本人なの』と聞きました。お父さんは笑ってました。(父が知っていたのかは)分かりません

-お母さんの一番の思い出は。

家庭ではお母さんをしていました。家にお母さんがいないのはとても寂しいこと。(生前は)テレビで歌が流れると一緒に歌っていました。亡くなった後は部屋ががらんとしてました 

ウンサン海水浴場に行ったときは、わたしに砂をかぶせて『カメだ』と言ったりしていました

-おじいさん、おばあさんは手紙を書きたいと話しています。  

手紙よりも来て会ってほしいと思います。お母さんが亡くなってから、おじいさん、おばあさんが生きているとは夢にも思いませんでした。9月17日に日本の方々からおじいさん、おばあさんが日本で暮らしていると聞いて、近いうちに会えると興奮しました。とてもうれしかったです

2回目もそうでした。おじいさん、おばあさんが来るって。3回目も4回目もそうでした。(でも)まだ来ることなく、同じ質問ばかりされて。きょうも来てくれると思っていたのに。おじいさん、おばあさん、本当に会いたいです

おじいさん、おばあさんがいるのが初めて分かり、顔も分からないのにどうしてこちらから行けるでしょうか。こちらに来てほしいと思います

-日本に行けないのは新しいお母さんがいるためですか。  

新しいお母さんが来てくれたのはありがたいこと。でもそれよりもなぜおじいさん、おばあさんが来てくれないのか分かりません。わたしには日本に来いと言っているのに

-どんな楽器が好きですか。 

ギターを習いたい

-ほかにはどんな科目が好きですか。

体育が好き。鉄棒にぶら下がるのが好きですが、思うようにいきません

-お母さんと歌った歌は覚えていますか。

お母さんは『つつじ』という言葉の入った歌が好きで、テレビの前でよく一緒に歌いました

-ボーイフレンドはいますか。 

まだ5年生(日本の中学3年生に当たる)なのでいません

-将来はどういう学校に進みたいですか。  

金日成総合大学で政治経済を勉強したい

-お母さんの子供のころの写真を見てどう思いますか。  

わたしに似ていると思います。遠くで見たせいもありますが、どうしてわたしの写真がそこにあるのかと思ったほどです

-日本についての印象は。 

よくは知りませんが、母が日本人ということで考えることは多いです。日本は近くて遠い国。労働新聞を見ていると、両国は国交正常化されると思います。そうなったら自由に行き来できるので、おじいさん、おばあさんにも会いにいけます

(共同)

 

 

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最終更新:2012年06月09日 15:23
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