オウム真理教―主な事件


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95年から10年以上と、実に長々と続いたオウム真理教の裁判だが、引用・要約させていただいている東京地裁の判決文が、2000年代以降の「まあこうだったんじゃないかな」という妥当な線ですかね?(もちろん事実と違う場合は十分ある)

a麻原が起訴された事件

どれも首謀者として最後まで起訴されたもの、()は罪状名

松本知津夫被告への東京地裁判決文―2004.2.27


①田口修二殺害事件 1989年2月上旬(殺人罪)


 それまで説法の中の話に過ぎなかった「ポア」を最初に実行した事件とされる。

88年12月 修行中に信者が死亡した真島事件での遺体処理に関与した田口修二さんが、この事件をきっかけに教団や麻原を批判・脱退を申し出る。岡崎は説得に失敗。岡崎から報告を受けた麻原は、で田口さんと2人で話た後、岡崎ら居合わせた幹部に対し「変なことを言う」などと言い、修行用に改造したコンテナに両手両足を縛って監禁し、説法のテープが流れる中で気が変わるのを待った。

89年2月 コンテナに来た岡崎、早川、新実、村井、大内利裕に対して「脱退したい。できないなら、麻原を殺す」とまで言いだした。以上のこと知った麻原は「真島のことを知っているからまずいと思わないか?わしを殺すことになったら大変なことになる。もう一度説得して、考えが変わらなかったらポアしかない」と、岡崎、早川、新実、村井、大内との謀議の末に殺害を指示。大内が見張りとなり、残る4人が修行用コンテナ内で田口さんの首にロープを巻いて窒息死させようとしたところ抵抗されて、あわてた新実が首の骨を折って絶命させた。遺体は教団施設内でマイクロ照射器で焼却。


②坂本弁護士一家殺害事件 1989年11月4日?(殺人罪)


 いわゆる3大事件の一つであり、オウム真理教の問題に取り組んでいた坂本堤弁護士(当時33歳)、妻都子さん(当時29歳)及び長男龍彦ちゃん(当時1歳2か月)が横浜市磯子区洋光台の自宅でオウム真理教の岡崎・早川・新実・村井・端本・中川に殺害された事件。直接の被害者・関係者は当初からオウム真理教の関連が疑われていたが、「オウムが殺した」とまでは断定しきれなかったと思われる(まして一般人は「何それ?」だった・・・)。神奈川県警は「事件性がない」とみなしていたので「坂本弁護士一家失踪事件」という扱いだった。

11月2日夜 麻原は、村井、岡﨑、早川、新実に加え、新参の医師中川智正と新参で武術の心得があった端本悟の6人と共謀の上、坂本堤弁護士一人をなるべくきれいに殺害しようと企てた。当初は89年11月3日夕方、横浜市磯子区のJR洋光台駅から帰宅途中の坂本弁護士を端本が襲って、その後中川が塩化カリウムを注射して殺害という計画だった。しかし洋光台駅に行った6人は、ここではじめて11月3日が祝日であると気がついた。早川が急遽上九にいる麻原の指示を仰いだ結果、「家族も一緒にやるしかないだろう。人も少なく大きな大人もいないから今の人数で行ける」などと言われる。

11月4日午前3時ごろ 岡崎がドアの様子を見たら鍵がかかってなかったので、後者の殺害を決行した。
 坂本弁護士の身体に馬乗りになり、その顔面を数回手拳で殴打し、背後からその頸部に腕を巻き付けて頸部を絞め付けるなどし窒息死させた。都子さんの身体を押さえ付け、腹部に数回両膝を落として打ち付、同女の頸部を絞め付け、右後方から右手を同女の前頸部に回してその着衣の左奥襟辺りをつかみ自己の左腰部との間に同女の頸部を挟んだ上右手を強く引いて頸部を絞め付けるなどして窒息死させた。中川が龍彦ちゃんの鼻口部を押さえて閉塞するなどし、窒息死させた。


③落田耕太郎リンチ殺害事件 1994年1月30日(殺人罪)
 
 この事件は麻原が唯一殺害現場で明確に指示した事件であり、正妻松本知子も謀議に加わったとされる。なお麻原は、殺害現場に行くよう指示し、杉本の運転する車で出発さした直後「今から処刑を行う」と言った(もはやポアですらもないのか・・・)。

94年1月30日深夜 元信者で薬剤師だった落田耕太郎さんが、重度の病でありながら教団施設に閉じ込められていた女性を救出しようと、息子の元信者保田英二に話を持ちかけ、2人は山梨県上九一色村の教団施設第6サティアンに侵入。しかし、信者に発見されて麻原の前に連れ出される。

2人を別々にした上で、麻原は保田に対して「落田はお前の母と関係を持ったり精液を飲ませたりしたから教団から引き離したんだ。それを不服に思った落田はお前や私を殺そうとした。お前は落田のそういう思惑があるのも知らないで、ここに来のは真理に対するものすごい悪業を犯した。間違いなく地獄に落ちるぞ。お前は帰してやるから安心しろ。ただし条件がある。それはお前が落田を殺すことだ。それができなければお前もここで殺す」と言い、保田は新実・村井・井上らに取り押さえられた落田さんの首にロープを巻き付け殺害した。遺体はマイクロ照射器で焼却され、遺骨は跡形もなく粉々にして排水溝に捨てた。
 

④サリンプラント建設事件 1993年11月(殺人罪)


 要するにサリン生成を目的とする施設(=第7サティアン内)の建設を指示したことである。麻原は殺人予備罪で起訴された。

90年4月 東京にボツリヌス菌を撒くために石垣島に信者を退避させるが失敗

92年~93年 その後その間にロシアに早川らを派遣して教団の武装化に勤しんでいた

93年4月9日 麻原が説法ではじめてサリンに言及

93年11月 土谷らがサリンの生成に成功したことを受けて建設を指示


⑤滝本弁護士サリン襲撃事件 1994年5月9日(殺人未遂罪)

 オウム真理教被害者対策弁護団の坂本弁護士の後を継いだ滝本太郎弁護士に対し、麻原はやはり「将来脅威になるから」と、殺害を決意。しかも、滝本弁護士はこの事件の後もVXガスのターゲットにされていた。

94年 麻原は遠藤及び中川に対し「おまえらは,裏の駐車場に停めろ。裏の駐車場から歩いていって滝本の車に掛ければいい。掛けた人を後で回収しろ」などと、アンモニアを使って実験を指示(&当日の薬品管理や中毒の治療薬を与える役)、サリンを滝本車両に滴下する実行役について「マハームドラー・ダーキニー(未成年女性信者)にやらせる。B型女性はいったんやると決めたらためらわないから。わしの方から話しておく」などと話し、滝本車両の駐車位置をマハームドラー・ダーキニーらに教える役を青山の運転手である富永昌宏に割り当てると話した。

5月9日午前9時or10時 遠藤、中川及び女性信者は、遠藤運転のニッサン・パルサーで出発。甲府地裁に向かう車中で,遠藤は女性信者に対し甲府地裁で、指示した車に練習してもらったとおりやってもらう旨話した。
 青山及び富永も、そのころ、富永運転のトヨタ・クラウンで甲府地裁に向けて出発し、その後、青山が予防薬を飲むのを忘れていた富永に注意し、車を停めて二人共メスチノンを1錠ずつ飲んだ。 遠藤らと青山らは、いったん合流して打合せをした後甲府地裁に向かったが、そのころ中川は、女性信者に予防薬だから飲むようにと言ってメスチノンを1錠飲ませた。また遠藤及び中川もメスチノンを1錠ずつ服用した。

午後0時15分ごろ 滝本弁護士は、ギャランを運転して甲府地裁に到着し、表側(西側)駐車場の正門より南側のスペースに駐車し、車内の空調はオートエアコンで内気循環のままエンジンを停止し、窓は全部閉め、ドアも施錠した状態で車を離れ、相代理人の弁護士の事務所に歩いて行き、その後同日午後1時15分ころ、甲府地裁における前記口頭弁論に出廷した。
↓ 
午後0時~0時30分 遠藤ら及び青山らは、同日正午ないし午後零時半ころ,甲府地裁に到着し,遠藤らのパルサーは同地裁の裏側(東側)駐車場に駐車し、青山らのクラウンは表側(西側)駐車場の正門より北側のスペースに裁判所の建物に背を向ける態勢で駐車した。青山は、南側に既に駐車してあるギャランに気付き、富永に指示して同車が滝本車両であることを確認させた上、滝本車両の駐車位置を遠藤らに知らせるよう指示した。富永は、裏側駐車場にいる遠藤、中川及び女性信者に、滝本車両の駐車位置を記した図面を見せて滝本車両の位置を教え、表側駐車場のクラウンに戻った。

午後1時15分前ころ 青山は同裁判所の建物の中に入っていき、富永に「裁判は5分くらいで終わる。危険だから窓を開けるなよ」と言って口頭弁論に出廷した。

 これとは別に、同年9月に2度、滝本弁護士にVXを付着させその殺傷能力を確かめようと考え、新実や遠藤に対し、滝本弁護士の使用する自動車のドアの取っ手にVXを付けるよう指示したが失敗している。


⑥自動小銃密造事件 1994年6月(武器等製造法違反)

 
ロシア進出で顕著になった教団武装化計画の一環として、麻原は横山真人、廣瀬健一らと共謀の上、通商産業大臣の許可を受けず、かつ、法定の除外事由がないのに、ロシア製自動小銃「AK-74」を模倣した自動小銃約1000丁の密造を企てた。

93年2月 モスクワからAk―74の部品を持ち帰る

93年3月 開発指示

94年6月 自動小銃約1000丁の密造を本格的に指示

95年に自力で1丁造ったが、その後の警察の強制捜査で押収された。


⑦松本サリン事件 1994年6月27日(殺人罪・殺人未遂罪)

 いわゆる3大事件の一つで、教団がサリンをまいて死者8名、重軽傷者6600名をだした事件。警察や報道により第一通報者の会社員・河野義行さんが疑われたのはあまりに有名。この頃、すでにオウムが幾度もポアを行い武装化していたことはよく知られているが、直接の被害者・関係者以外の一般人は「テレビに出てくる不潔そうなオッサンの教団」ぐらいの認識だったと思う。しかしまずいのは警察や公安もオウムとサリンを結び付けられなかったことだろう。さて、教団松本支部及び食品工場を建設することを計画したが、地元住民と対立し訴訟沙汰に発展した。麻原は教団を非難する地主を含む反対派住民や、その申立てを認めて教団松本支部の建物の規模を縮小させた地裁松本支部裁判官に反感を抱いていた。

91年6月 教団は長野県松本市に進出、支部用地を取得

92年1月 松本市の反対派住民が建設工事禁止等の仮処分申し立て、支部道場の建設規模が当初の3分の1に縮小
↓ 
93年12月18日 教団松本支部の開設式において将来良くないことが起きると「予言」する説法を説いた。

94年6月20日 教団に不利な判決が出る可能性が高かった。そこで判決が言い渡される直前のこの日、自室に村井、新実、遠藤誠一、中川を呼び、サリンを松本市内に撒き、裁判を妨害する計画を打ち明け、「オウムの裁判をしている松本の裁判所にサリンをまいて、実際に効くかどうかやってみろ」と言った。そして「警察等の排除はミラレパ(新実)に任せる。武道にたけたウパーリ(中村昇)、シーハ(富田隆)、ガフヴァ(端本)の3人を使え」と指示し、また、サリン噴霧車の運転を端本にさせるように言った。
 その後村井は林泰男らと2トントラックの荷台に加熱式自動サリン噴霧装置を設置したサリン噴霧車を制作し、新実は端本とともに長野地方裁判所松本支部を下見し、端本は富田と当日の作業服を購入した。

94年6月26日 遠藤、中川が松本市内に出向き、ワゴン車をレンタルカーショップで借りて上九の教団施設に戻る。

94年6月27日未明 中川、土谷とサリン12リットルを噴霧車に注入、夕方ワゴン車に新実、遠藤、中川、富田、中村昇が乗り、噴霧車に村井、端本が乗車して上九を出発。途中のドライブイン駐車場などに停車し、車のナンバープレートを偽造、ビニール袋を改造した防毒マスクのを組み立て動作チェックなどをし、裁判所宿舎の西方30数mの地点にある松本市北深志の鶴見西駐車場を噴霧場所とすることに決め、夜11時頃に駐車場に到着。

94年6月27日午後11時過ぎ ここで村井が噴霧装置を稼働させサリンを散布した。この付近は、一般住宅、マンション、社宅等が立ち並ぶ閑静な住宅街であり、東側には鶴見方の池ややぶを挟んで明治生命寮や裁判所宿舎があり、北東方には開智ハイツや松本レックスハイツが位置し、北側は河野宅と隣接している。

 その後、ワゴン車が現場を離れる時に駐車場の支柱に車を接触したので、後日都内で偽装事故を起こさせた後、元のレンタルショップに返却した。またサリンの名が報道されたので、しばらくVXガスを使うことになった。


⑧冨田俊男リンチ殺害事件 1994年7月10日(殺人罪・死体損壊罪)

 公安のスパイ扱いされた男性信者が死亡した事件。

93年10月 麻原は説法等で「教団施設が敵対組織から、イペリットやサリンなどによる毒ガス攻撃を受け、家族や末端の弟子に頭痛、吐き気などの症状が出ている」などと述べ、自らサリン等の化学兵器や炭疽菌等の生物兵器の研究、製造等について弟子たちに指示しておきながら、教団施設内で生じた信者らの症状について敵対組織から毒ガス攻撃を受けた結果であるなどとうそを言い、それらを隠ぺいしていた。

94年7月8日 女性信者が第6サティアン内の浴室で熱傷を負い意識を失う事件が発生するや、土谷に浴室内の水を分析させてイペリット関連物質が検出されたため、当時タンクローリーで第6サティアンに教団の生活用の水を運搬していた教団車両省所属の冨田俊男さんが「公安警察のスパイとして生活用の水に毒物を混入した」ことになった。麻原は林郁夫に対しスパイチェックをするよう指示、林はポリグラフ検査とイソミタールインタビューを実施したが前者で陽性結果が出た。

94年7月10日 麻原は自治省大臣新実、同省次官の中村昇及び帰依心が揺らいでいる杉本繁郎並びに同省所属の山内信一に、冨田さんを自白させるよう指示した。新実らは第二サティアン内に冨田さんを「尊師の警備役にするかも」と連れた後、ヒンズースクワット300回、バルドーの導きをやり、その後麻原が新実を呼び出し、わざわざ「杉本に竹刀を持たせろ」と指示、杉本は承諾し新実らと待ち針を足の爪の間に何本も刺したり、バーナーで熱した鉄製の火かき棒を腕や背中に押し当てたりするなどの拷問を加え続けたが、冨田さんは「ミラレパ正悟師(新実)は人の心がわかるはず・・・」と無実を訴えるが力尽きた。
 その後新実が報告に行くと、麻原は村井とも相談した上、「ガンポパ(杉本)がマイクロ照射機でポアしろ」ということになり、それはさすがにためらいを覚え、わざわざ杉本が絞殺した後、遺体の処分を行った。


⑨水野VX襲撃事件 1994年12月2日(殺人未遂罪)

 お布施の強要におびえて教団から逃げてきた知り合いを匿っていた駐車場経営者水野昇さん(当時82歳)にVXガスを付着、浸透させて同人を殺害することを企てた事件。

8月 美容院経営者の女性が家族や数千万布施して出家したが、8月中旬頃、水野昇さん(82歳)宅に逃げ込む。教団信者が取り返しに来るが、これを跳ね返す

11月4日 女性、団から財産を取り戻すことを考え、東京地裁に教団を訴える。

11月21日 青山の報告を受け、麻原は「水野が操っている」と考え、井上に身辺捜査をさせる。その後、村井を介して土谷にVX生成指示。

11月26日朝 麻原は自室で新実、井上、遠藤に対し「水野がいなくなれば教団に戻ってくるからポア」と言い、「VXを掛ける役割は井上が務め、それが失敗した場合には自治省所属の山形明に実行させろ。実行役等がVX中毒になった場合の治療役として遠藤と中川が同行し、さらに遠藤はVXを注射器に入れて用意しろ。CHSに所属する平田悟及び高橋克也も犯行に加える。現場指揮は井上が務め、新實がこれを補助する」などを指示し夕方実行するが失敗

28日 再度実行し、このときは成功するが、土谷がVX生成に失敗していた。

12月1日頃 麻原、第6サティアン1階の自室新實に対し、「新しいVXができた。これで水野をポアしろ。今度は大丈夫だろう」などと指示。

12月1~2早朝 新実がおとりで水野さんの気をそらしそのすきに山形がVXを掛け、平田悟が空き家で見張りをし、中川が医療役として待機し、高橋克也はワゴン車を運転することなど各自の役割を確認するなどした。
↓ 
94年12月2日 午前8時30分ころ、中野区の水野さん宅付近の路上において、山形があらかじめ準備していた注射器内のVXを水野さんの後頭部付近に掛けて体内に浸透させ、加療61日間を要するVX中毒症の傷害を負わせた。やはり麻原は新實、遠藤、井上、中川、山形及び高橋克也らと共謀し指示した。


⑩濱口VX殺害事件 1994年12月28日(殺人罪)

 94年当時、大阪市淀川区の会社員濱口忠仁さんに対し麻原が先の6人に「公安のスパイであることは間違いない」として「VXを一滴濵口にたらしてポアしろ」と指示した事件。濱口さんは、教団がミステリーツアーと称して上九一色村に連れていきLSD等を使って神秘体験などをさせる「ヴァジラクマーラの会」に参加したことはあったが、それ以外教団とかかわりがなかった。22日午後1時56分ころ、大阪大学医学部附属病院で死亡。

12月8日夜~9日 麻原は井上、新実に「某男は悪業を積んでいる。某男は女性信徒に性的強要を謀ったり,教団分裂を謀った。某男を操っているのは、大阪の柔道家でヴァジラクマーラの会に参加したことのある濵口という者だ。VXを一滴濵口にたらしてポアしろ」と言い、水野事件のメンバーでやれと指示。

12月12日 午前5時 井上、新実、大阪のホテルコンソルト一室で他4人に事情を話し、新実が濵口さんの注意を引き付け、山形がVXを掛けるという方法で実行すること、中川は医療役、井上及び平田悟が濵口方付近にあるマンション屋上での見張り役及び尾行し結果を確認する役、高橋克也がワゴン車の運転手役を担当することなどが決められた。

午前7時過ぎ 新実、山形と共にワゴン車から降りて、ジョギングを装って濵口さんに近づいていき、新実が前方に回り込んでその進路をさえぎり、山形が濵口さんの後方に近寄った。


⑪被害者の会永岡会長VX襲撃事件 1995年1月4日(殺人未遂罪)

 東京都港区南青山6丁目7番5号付近路上において、山形が永岡弘之オウム真理教被害者の会会長の後方から、注射器内のVXを後頸部付近に掛けて体内に浸透させ、加療69日間を要するVX中毒症の傷害を負わせた事件。

94年12月 麻原、以前永岡会長の長男らがある団体と共に教団松本支部の信者に対し脱会活動を行っていたことを聞く

94年12月24日ころ 出家しようとしていた信者の取り戻しをあきらめざるを得なかったことがあった。この時、東信徒庁の飯田エリ子から、その信者の実家には「ナガオカ」もいた旨の報告を受けるなどしていた。

94年12月30日 麻原はもはや永岡会長やその長男を放っておくことはできないと考え、2人のどちらでもいいからVXで殺害することを新実、井上、中川、山形、高橋克也らと謀議した。

95年1月3日夜 今川のアジトに実行犯が集まる

95年1月4日 午前10時30分ごろ 実行


⑫目黒公証役場事務長監禁致死事件 1995年2月28日(逮捕監禁致死罪)


 資産を持つ妹を匿ったことで目黒公証役場事務長仮谷清志さん(68歳)を拉致・監禁し、妹の居場所を聞き出そうとしたが聞きだせず、薬物の過剰投与により死亡させた事件。この事件で、どうあがいても警察の強制捜査を避けられないと麻原が考えたことが地下鉄サリン事件につながったとされる。

93年 仮谷さんの妹は、夫が亡くなった心の隙間を埋めようとオウム真理教に入信し、これまでに6000万円を教団に布施していたが、さらに妹の所有物となっている「目黒公証人役場」の土地・建物(当時の時価で2億7千万円)も布施するように強要される。

95年2月 キリストイニシエーションをさせて無理やり言質を取るが、オウムから逃げ出し、仮谷さんに匿まわれることになった。

2月27日 当初は飯田エリ子が部下に命じて仮谷さんに居場所を聞き出させたが失敗。その後麻原本人が幹部と謀議の結果、「仮谷さんを拉致して第2サティアンに連れて来い」と井上らに指示、8人にワゴン車に連れ込まれ、中川から自白剤チオベンタールなどを注射され、第2サティアン移行後も林郁夫に麻酔を投与され続けたが、仮谷さんは自白せず

95年3月1日 仮谷さん死亡、妹の居場所は吐かなかった。


⑬地下鉄サリン事件 1995年3月20日(殺人罪・殺人未遂罪)

95年1月1日 読売新聞朝刊に「上九一色村で平成6年7月に悪臭騒ぎがあった際に、現場から採取された土壌からサリンの残留物が検出され、警察当局が松本サリン事件との関連などの解明に当たることになった」旨の記事が掲載された。麻原は、教団施設に対する捜索を恐れ、村井らに「サリンプラント→神殿化」などの偽装工作をさせ、保管中のサリンらは処分又は隠匿するよう指示した。
中川は、中毒になった土谷に代わり中和作業をしていたが、これを受けサリン生成の前段階のジフロを保持した。

3月15日 麻原は、仮谷事件で教団への捜査が現実味を帯びてきたので、「警視庁に近い営団地下鉄霞ヶ関駅構内にボツリヌストキシンを噴霧して混乱を起こそう」と企て、井上らに指示して、アタッシュケース型噴霧装置を置いてボツリヌストキシン様の液体を噴霧させたが、噴霧器の問題で失敗した。

3月16日 麻原、村井、井上らは読売新聞に「仮谷事件に使われたワゴン車の車体から事件関係者のものとみられる指紋が検出された」との記事が掲載されたために危機感を強め、自動小銃の部品等を隠す、仮谷事件に関わった者の記憶消去するためにニューナルコなどを実施。

3月18日 午前0時過ぎ 都内にある教団経営の飲食店で、尊師通達により、新たに正悟師に昇格した井上ら教団幹部ら約20名を集めて祝いの食事会を開いた。麻原は井上や青山らに対し「エックス・デーが来るみたいだ」などと警視庁による教団施設に対する強制捜査を話題にしていた。

3月18日 午前2時 麻原は帰途その強制捜査への対応について検討しようと考え、村井・青山・井上・遠藤・石川公一に対し、リムジンに乗るよう指示し、そこで地下鉄にサリンを撒くことが決定(リムジン謀議)。


・井上が「サリンがいい」と言いだし、村井が「地下鉄にまこう」と言ったとされる
・村井が実行役に林泰男、横山真人、廣瀬健一、豊田亨を使おうというと、麻原から、林郁夫も入れるように言われた
・麻原がサリンを作れるかと言うと、遠藤は「条件が整えば作れる」と承諾した
・麻原に対して、青山が「島田裕巳宅に爆弾を仕掛けること」、井上が「教団東京総本部道場を爆破」を提唱し、了承された

3月18日 午前8時~9時 村井、第6サティアン3階の自室に呼び集めた林泰男、林郁夫、廣瀬及び横山に、麻原からの指示であることを仕草で示しながら「強制捜査の矛先をそらすために地下鉄にサリンをまく」と言い、4人は承諾。
 村井は引き続き「20日月曜日の通勤時間帯に合わせてやる。対象は、公安警察、検察、裁判所に勤務する者、これらの者は霞ヶ関駅で降りる。実行役のそれぞれが霞ヶ関駅に集まっている違う路線に乗って霞ヶ関駅の少し手前の駅でサリンを発散させて逃げれば、電車の中にサリンが充満して死ぬだろう」と言い、各種指示。

3月18日夕方 村井の部屋、村井と廣瀬・横山・井上及び林泰男、営団地下鉄千代田線・丸ノ内線・日比谷線の各霞ヶ関駅について駅付近の略図、各駅からの所要時間、出口に近い車両等を示した図等が記載されている井上の持参した「地下鉄最新ガイドマップ」等を見ながら、サリンを散布する地下鉄の路線や散布する時刻等について検討し、その3路線5方面の電車内で、午前8時に一斉にサリンを散布すること、井上がchs(諜報省の前身)の部屋を提供することなど決定。

3月19日午後1時 麻原の部屋で、サリン生成などの準備ができないことにいら立つ麻原は「やる気がないならやめるか?」などと弟子の覚悟を問うたが、井上・村井らは「やる気」を示した。その後村井が実行役の搬送及び逃走用の車の運転手役等について指示を仰いだところ、麻原は「新実、杉本、外﨑、北村及び高橋克也を運転手役として人選し」林郁夫と新実、林泰男と杉本、横山と外﨑清隆、廣瀬と北村浩一、豊田と高橋克也をそれぞれ組み合わせて実行するよう指示した。

3月19日 午後7時25分 井上ら前記2件の自作自演事件を実行、各現場に教団を誹謗する犯行声明文を置き、教団の敵対勢力による教団を対象としたテロであるように装った。

3月19日 午後9時 井上、実行役&運転役、アジトの渋谷ホームズに集まる。10時ごろ下見の後再度戻る。

3月19日夕方~8時 遠藤は、ジーヴァカ棟内のドラフトルームにおいてジフロ、ヘキサン、NNジエチルアニリンの溶液にイソプロピルアルコールの滴下を始めてサリンの生成を開始、その溶液を加熱するなどしてこれを反応させ、ヘキサン、NNジエチルアニリンのほかサリンを約30%含有する約5ないし6ℓの溶液(サリン混合液)を生成した。

3月19日午後10時 遠藤は土谷から「(サリン分留に)1日くらいかかる」言われたことを麻原に報告すると、「それでかまわない」と言われる。麻原はサリンの散布方法を村井と検討し、サリンを袋詰めにして先のとがった傘で突き刺してサリンを流出し気化させる方法を採用。袋は中川が作った。

3月20日午前2時 井上、サリンを取りに行こうと上九に到着、麻原に「勝手に動くな」と怒られる。実行役も渋谷ホームズからサリンをもらいに第7サティアンへ、3時に到着後、傘でビニール袋をあげる練習。

3月20日朝6時 実行役5名はそれぞれ運転手役と共に、普通乗用自動車5台に分乗し、渋谷ホームズを出発した。

3月20日朝7時30~8時 サリン散布
 
日比谷線(北千住発)―8人が死亡、2475人が重症。林泰男は、杉本の運転する普通乗用自動車で日比谷線上野駅まで送られ、上野駅か仲御徒町駅から中目黒行き日比谷線A720S電車の第3車両に乗車し、次の秋葉原駅に到着するまでに、新聞紙で包んだサリン入りビニール袋3個を車両床上に落とした。

日比谷線(中目黒発)―1人死亡、532人が重症。豊田は、高橋克也の運転する普通乗用自動車で、日比谷線中目黒駅まで送られ、東武動物公園行き日比谷線B711T電車の第1車両に乗車し、次の恵比寿駅に到着するまでに、新聞紙で包んだサリン入りビニール袋2個を車両床上に置いた。

③丸ノ内線(池袋発)―1人が死亡し、358人が重症。廣瀬は、北村の運転する普通乗用自動車で丸ノ内線四ッ谷駅まで送られ、丸ノ内線・JR線で池袋駅に行き、荻窪行き丸ノ内線A777電車に乗車し、御茶ノ水駅に到着するまでにその第3車両でサリン入りビニール袋2個を車両床上に落とした。

千代田線―2人が死亡し、231人が重症。林郁夫は、新實の運転する普通乗用自動車で千代田線千駄木駅まで送られ、同線北千住駅から代々木上原行き千代田線A725K電車の第1車両に乗車し、新御茶ノ水駅に到着するまでに新聞紙で包んだサリン入りビニール袋2個を車両床上に落とした。

丸ノ内線(荻窪発)―横山は、外﨑の運転する普通乗用自動車で送られ、池袋行き丸ノ内線B701電車に四ッ谷駅手前の駅で乗車し、四ッ谷駅に到着するまでに、その第5車両で新聞紙に包んだサリン入りビニール袋2個を車両床上に移動させた。


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