オウム真理教事件


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なんとなく終末


 3月20日、地下鉄サリン事件以来麻原彰晃を教祖とするオウム真理教に関する話題がどのメディアでもひっきりなしに取り上げられている。地下鉄サリン事件の結果、去年の松本サリン事件もオウムだろうと疑われるのは、まあ当然だろう。麻原とオウムを知ったのは91年ごろだったと思う。その時の麻原に対して、ただの奇妙な宗教家でしかなく、坂本弁護士を殺害したことなど頭になかった。数々の信者の死亡事件や村井刺殺と麻原の逮捕、上祐のパフォーマンス、教団独自のしきたり・・・・・・うまく言いようがないが、オウム真理教にまつわるものは多くの人を惹きつけていた。あの時は「一億総オウム」といった空気があった。それは、社会的にけしからんことをした集団を制裁するというような高尚なものばかりでなく、直接関わらなかった人には、想像を絶する世界に対するもっと純粋な意味での興味、といったものだった思う。しかし、国家転覆を狙っていた宗教団体でありながら、独自の用語が『天空戦記シュラト』や『飛龍の拳』みたいで可笑しいものがあった。
 個人的には裁判で麻原が喋らなくなったあたりから、世間の興味が無くなったのではないかと思う。それにしても当時は、学校を休んだだけで「上九一色村に行ってきたのか?」と言われたり、クラスに顔が似ているだけで「尊師」と呼ばれていたヤツがいたり、『笑っていいとも』でタモリから「オウムの都沢に似ている」と言われた女性(素人)すらいたな・・・・・・。

 当時を知らない人は↑のような話を聞いて興味を持つかもしれないけど、「ヴァジラヤーナ」と「キリストのイニシエーション」、そして「1999年に人類滅亡するのでは」といった危機感を一般人も共有していたことを覚えといてください。



1-麻原彰晃逮捕までの軌跡


地下鉄サリン事件以降、テレビでは毎日毎時間必ずと言っていいほどオウム真理教の報道が行われていた。

① 95年3月22日  教団強制強制捜査を開始


 政府や警察・公安などにとってオウム真理教へは「信仰の自由」「表現の自由」etcといった壁があって、なかなか監視・捜査など踏み込みにくかったが、地下鉄サリン事件が起きたことで状況は真逆になった。にもかかわらず、このときはサリンではなく、直接的には仮谷さん拉致監禁の容疑で教団に強制捜査に入ったことになる。
 しかし平時の市民を狙った未曾有(みぞゆう)の地下鉄サリン事件の後、警察、自衛隊らを悩ませていたものは、オウムにはどれだけの戦力があるのかということで、中でも、小型ラジコンヘリによるサリンの無差別空中散布だった。そのため、警察力での対処が困難な場合の、隊法79条にのっとった公式な治安出動待機とは別の「治安出動準備オペレーション」が作られた。

 1 治安出動命令 ①連隊単位では行かない②小規模の移動は駐屯基地間では可能③玉沢防衛庁長官がゴーをだせばすぐ行く
 2 CH―47、AH1S、UH―1S、ОH―60、コブラらのヘリが”臨戦体制”に入る
 3 ラジコンヘリ対策―軍事通信のジャミング(電波攪乱)
 4 東京でのテロ―第1、32連隊、101化学防護隊→都知事命令待ち状態

 3月22日、午前6時から港区のオウム真理教の東京総本部、江東区にある新東京総本部、世田谷区と杉並区の道場、富士宮市と山梨県上九一色村の教団施設など25ヵ所の一斉家宅捜索にふみきった。
 警察機動隊50人を投入し突撃した。この後ろには、第6機動隊特科中隊約60人が控えていた。捜査員は12時頃第7サティアンのの化学プラントに到達した。2500人の警官、機動隊員が防毒マスクをつけて踏込む。このうち、上九一色村の施設の第10サティアンから、信者約50人が昏睡状態で見つかり、うち30人が重体で6人が病院に収容され、現場にいた医師3人を含む4人を監禁の現行犯で逮捕する。また、「アセトニトリル」と表示された500cc入りの瓶36本やサリンを作るのに必要とされる「三塩化リン」、「イソプロピルアルコール」などを押収した。

 自衛隊は、警察への協力以外に独自に行動を開始、午前5時には、臨時編成された東部方面隊の医療部隊約60名が陸自北富士駐屯地に移動し、全国の化学防護部隊を含め約1万2千名の隊員、30機以上のヘリコプターが事実上の待機していた。

 事前に予想していたような信者による頑強な抵抗というのはなく、ヘッドギアを着けた信者が「宗教弾圧だ!」などと叫んでいただけだった。しかし、中はもぬけの殻で、サリンはもちろん主要幹部も見当たらず、ラジコンヘリも見つからなかった。また「サリンが持ち出された」との機密情報があったため、逆に彼らを大いに不安にさせた。

6時00分過ぎ 都内のオウム真理教関連施設12か所で捜索開始

6時45分 富士山総本部(静岡県富士宮市)前に隊列を組んだ警官隊が到着。上九でも捜査が開始

8時15分 村山富一首相が閣僚懇談会で「内閣を挙げて対処をお願いする」

8時55分 教団外報部「前代未聞の宗教弾圧にほかならない」とする見解

11時30分 捜索の終わったオウム真理教付属病院に郵便配達員がやってくるが、インターホン越しに「今日は受け取れない」と答えられ・・・

12時4分 衰弱した信者のため救急車が第六上九に到着

12時10分 青山弁護士、第一上九で施設前で報道陣に取り囲まれて身動きが取れなくなり「私には違法な強制捜査に対して抗議・監視する義務がある!マスコミは私を監禁しないでほしい」と腹を立てる

12時30分 富士山総本部の空き地に捜査員用の仮設トイレが到着

12時36分 警視庁、「約50人が昏睡状態、栄養失調らしい」

12時55分 第六上九で信者の搬送開始。単価で救急車に運ばれた男女5人はほぼ全員素足でぐったりしていた

12時58分 第六上九にある礼拝堂から両腕を機動隊員に抱えられた信者5人が連行される

13時00分 都内の捜索はすべて終了

13時10分 第二上九の北側敷地で、防護マスクを着けた捜査員13名が洋酒瓶のような茶色の容器数本を透明ポリ袋に入れた。傍にはカナリア

13時40分 自民党・加藤紘一政調会長が東京有楽町の外国人徳は委員教会での質問で「人権尊重と、人命をこれ以上失いたくないという2うのテーマの中で警察当局もかなり悩み、別件捜査の問題も十分考えたと思うが、果敢な決断であり、支持したい」

13時40分 富士山総本部から捜査員約10人が、段ボール10箱近くを抱えて外へ。10分後、外に出されていた信者に施設内に戻ることが許可される

14時00分 警視庁の寺尾捜査一課長が会見「仮谷事件の捜査本部を特別捜査本部に格上げした」

16時20分 富士山総本部から押収物を入れたと見られる段ボール箱、ポリ袋に包まれた発泡スチロール箱、紙袋など10箱近くが運び出され警察車両へ

16時25分 第二上九の倉庫周辺で機動隊員がくい打ち開始。信者がハンドマイクで「違法捜査だ」。捜査は問題なく続けられた

17時00分 富士山総本部から捜査員約300人が引き揚げる

18時10分 第二上九から捜査員が引き揚げ、変わって機動隊員約80名が夜間警備に

20時00分 寺尾捜査一課長会見「はやく仮谷さんを帰すべき。麻原を自首させるべきだ」

21時英国のメイジャー首相、ハード外相から村山総理、河野洋平副総理・外相にお見舞いメッセージ

  • 第一上九(第二、三、五サティアン) 印刷工場・第二上九(第六サティアン) 住居・本部・第三上九(第七サティアン) 化学工場
  • 第四上九(第八、十二サティアン) パソコン工場・第五上九(第九、十一サティアン) 作業場、工場・第六上九(第十サティアン) 礼拝堂
  • 第七上九 倉庫

この強制捜査以降、テレビでは「オウム側の言い分も」ということで、ホイホイ上祐や村井らが報道特番に出てきて荒唐無稽な主張するので、オウム報道がさらにヒートアップした


② 警察によりオウム信者が続々逮捕


 政府・警察らにとって情報が漏れているという恐れや、幹部もサリンもラジコンヘリも押収できなかっこと、そしてこれが一番重要だが、オウムが先に打って被害を出すのを防ぐため、微罪でも何でもいいから逮捕する必要があった。

3月23日 午前6時、薬品を車に詰めて中で寝ている小林勝彦が滋賀県警に連行された。取り調べで思わずこぼした言葉から、信者資料、科学施設の設計図やデータ及び使用方法のデータがあるフロッピーディスクを隠し持っていたことが判明した。さらに、公安すら知らなかった”諜報省”の存在がここで分かった(この解読に多大な労力がかかったのは言うまでもない。フロッピーを解読したら亀戸の異臭騒動=炭疽菌噴霧だということが判明)

3月25日 警視庁大崎署の特捜本部が、オウムが山梨県上九一色村でサリンを製造していたとほぼ断定する。この施設から三塩化リン入りのドラム缶160本以上以上を押収

3月30日 国松長官銃撃事件

4月1日 松本知子と子供達の旅券が別人名義で申請されていたことが静岡県警に伝わる。さらに千葉県市川市のヨットハーバーから、早川、新実のクルーザー発見の情報が千葉県警に知らされる(ヨットハーバー管理人によると調子が悪く遠洋は無理だろうとのこと)

4月3日 滋賀のデータから化学者・技術者からなる最重要手配信者からなる「オウムAリスト」を全国に配布

4月6日 地下鉄サリン事件で、警視庁が押収した上九一色村の教団施設から押収されたサリン溶液から、製造に必ずしも必要のない科学物質「ジエチルアニリン」を検出されたので、殺人罪の適用を検討し始める。東京・赤坂で、建造物侵入の疑いで逮捕されたオウム真理教信徒の車から短銃数丁分の部品や、早川紀代秀が書いたサリンの製造法が記されていると見られるノートなどが発見(早川ノート)。岐部哲也、中野勝彦、及川尚政が逮捕され、赤坂の教団関係の会社が家宅捜索を受ける

4月7日 石川県金沢市で、松本剛と一緒に潜伏していたオウム真理教看護婦村上栄子が麻薬及び向精神薬取締法違反の疑いで逮捕された。この時、村上が取り調べ中に「トイレに行きたい」と言ったので行かせると態度が豹変、婦警が慌ててトイレに流そうとしたメモを没収すると、アーナンダこと井上嘉浩への林郁夫から「整形手術用の電気メス購入希望」メモだった。金沢市内のホテルで松本の指紋発見

4月8日 午前1時、闇にまぎれて自転車で逃げようとしている男を穴水町で逮捕=林郁夫だった。警視庁保安課と赤坂署が山梨県富沢町の教団施設「清流精舎」を銃密造工場とみて武器等製造法違反の疑いで家宅捜索し、銃身にライフルマークを施す専用の工作機械など400点近くを押収

4月10日 石川県穴水町の貸し別荘で多量の血のついた脱脂綿や女装用のカツラが発見され、アトラス系の医学テキストを押収

4月14日 120か所に及ぶ全国一斉捜索でオウムの子供達53人を保護し、8人入院。これは、前日に捕まえた、中田清秀を「落とす」ためという

4月12日 千代田区一番町の高級マンション(ここは皇居の近く)で坊主頭の男を発見→もしやと思ったら新実だったので逮捕(元看護婦監禁容疑)。ガイダル元首相代行が、エリツィン大統領の側近のロボフ安全保障会議書記がロシアでのオウム真理教の活動に協力するように要請する文書を政府各機関に出していたことを明らかにする

4月19日 犯罪に使うためにサリンなどを製造したり所有することを禁止するサリン防止法案が、国会で可決、成立

4月20日 早川、自動小銃の部品を移動しようとして他人の土地に無断での住居侵入の共犯容疑で逮捕

4月23日 午後8時35分、港区南青山にあるオウム真理教東京総本部前で、教団科学技術省幹部の村井秀夫が、自称右翼の徐裕行に包丁で右脇腹を刺され、都立広尾病院に運ばれ翌日死亡。犯人はその場で殺人未遂で逮捕(村井刺殺事件)

4月26日 富士山総本部に立てこもっていた遠藤・土谷らを犯人隠匿容疑で逮捕。ここで麻原を殺人容疑で逮捕可能と判断したと思われる

4月27日 見るからに怪しい女性を東京駅で職務質問したらやはりオウム信者だった。ここで重要幹部の顔入りリストを入手

5月2日 元日劇ダンサーの鹿島とも子、自分の長女を監禁した容疑により富士宮市の富士山総本部で逮捕

5月3日 4月14日に逮捕された相模原市の岩尾昌信の自宅から押収された書類などからオウム真理教幹部の井上嘉浩の指紋が検出され、井上がレーザー兵器や自衛官勧誘などの指揮をしていた疑いが更に強まる

5月4日 警察庁・警視庁の最高幹部会議で「麻原が第六サティアン中2階の隠し部屋にいる」との情報が上がる

5月6日 林郁夫が全面自供し、地下鉄サリン事件の全貌が明かされた

5月14日 地下鉄マップの指紋、滋賀のワーク場所リスト、井上メモ、顔写真、そしてNシステム・・・井上逮捕の準備は整っていた。公安は東京都八王子市のアジトコーポ植竹で、超望遠監視用ビデオカメラ、暗視装置、デジタル式秘匿通信を駆使して、出入りしている男女を監視していた。午後7時30分、突如赤いシャレードら2台の車が発進、11時20分ごろ、東京都秋川市(現あきる野市)で偽造免許のシャレードを確保。捕まえてみるとやはり井上だった。豊田も逮捕。


④ 95年5月16日 上九一色村で麻原彰晃逮捕


 警察当局は、教団の弱体化・危険性を抑えるためには、どうしても麻原逮捕が必要だった。そしてそれ自体も可能だったが、警察・検察当局としてはなんとしても地下鉄サリン事件の首謀者として殺人容疑で逮捕したかった。そこで遠藤・土谷の逮捕、林郁夫の供述などからこれが可能となり、サリンの製造指示、原料調達、製造、実行の過程を掴んだ上で、警視庁の井上幸彦警視総監、寺尾正大捜査一課長の全面捜査指揮のもと、5月16日に上九一色村のサティアンへ突入となった。もちろん毒見役のカナリアもである。
 朝5時25分、南側入り口から男性信者2人が見守る中、中にいた信者を追い出して警視庁の捜査員20人が建物に踏み込む一方、閉ざされたと扉を電動カッターやバルブでこじ開けた。中は窓がほとんどないため暗い上に、足の踏み場もなく、殺生をしてはいけないために大量のゴキブリが発生していた。3階には127もの小部屋があり、迷路のような中で隠し部屋を探し求めた。現場を指揮した山田正治警視庁捜査一課理事官は、事前の密告情報や遠藤の供述などによる「中二階」が見つからないことに焦っていたが、そういえば移動途中に空気穴があった=つまり隠し部屋の存在を思い立った。捜査員は壁を叩きながら不自然な個所を探し出し、二階天井部分(中三階?)にベニヤの壁をハンマーで打ち破って進入、天井の低い三畳間が出現。そこにいた男が麻原であった。理事官は「麻原か」と問うと、「はい」と素直に答えた。「下りてこい」 「(一人では)下りられません」巡査部長ら捜査員2人の肩に後ろからつかまり、シワだらけの服の麻原は「重くてどうもすみません」と足を震わせて答えたという。
 「この情けない男が、本当にあの麻原なのか」山田理事官は、この時点ではそう思っていたという。しかし、場所を移して身体検査をすると「カルマが憑く!」、護送の車中では「地獄は三つの世界に分かれているんです」などと、呆れるほどに奇妙で饒舌な姿を見せていた。政府は、首相官邸で「拡大サリン問題対策関係省庁連絡会議」を開き対策を協議した。警察庁は「サリンが少量でも隠匿されている可能性は否定できない」と報告する一方、井上幸彦警視総監は記者会見で「残っているサリンはまずない」と語った。

  • 隠し部屋―長さ3m35cm・高さ50cm・幅1m3cmの仰向け状態、
  • 逮捕時の所持品―寝袋、ウエットティッシュ、ヘッドホン、現金960万円、洗濯かご


2時00分 警視庁の機動隊が大型車両などで山梨上九一色村へ出発

4時15分 第6サティアン前に警視庁の交通規制用特殊車両が到着、鉄柵100機以上でバリケードを築き始める

4時30分 第6サティアン周辺報道陣380人に

4時45分 覆面パトカーなど捜査車両が次々と第6サティアン前に終結。迷彩服の捜査員多数が周囲を固める

4時50分 第8サティアン敷地内に捜査員が入る、第2・3・5サティアン周辺に大型バスなどの車両約20台が到着、捜査員約500人が配置につく

4時55分 教団倉庫群に捜査員約10人が到着

5時00分 警視庁、この日のために総合警備本部を設置

5時30分 第2・3・5・サティアンの捜索開始

5時35分 第6サティアンでは電動カッターで鉄の扉を切断し始める

5時40分 警視庁の石川重明刑事部長と寺尾正大捜査一課長会見「そんなに時間掛からない」。第6サティアン作業所で男女一名、女児2人を保護

5時48分 第6サティアン入り口ようやく開く。捜査員は防毒マスク着用。信者が連れ出される

6時40分 第6サティアン医療等に捜査員が入る

7時13分 寺尾捜査一課長、報道陣に「麻原はまだまだ見つからない」

8時54分 第6サティアンで信者1名が覆面パトカーに乗せられ連行される

8時55分 村山首相「鍵がかかっていたドアが開かなかったり、中が複雑になっているみたいだ」と官邸で語る

9時13分 寺尾捜査一課長「信者13人を殺人及び殺人未遂で、1人を有印私文書偽装などの容疑で逮捕」

9時46分 麻原彰晃を逮捕

9時48分 井上幸彦警視総官が記者会見し「麻原逮捕」を告げる。AP、ロイター、AFPなど海外通信社も東京発の至急電で速報

9時49分 韓国・融合通信も東京発の至急電で速報

10時35分 麻原を乗せた護送車が第6サティアンを出発

9時13分 寺尾捜査一課長「殺人及び殺人未遂容疑で逮捕は15人になった」

12時35分 麻原を乗せた護送車が霞ヶ関の警視庁に到着

その後

5月16日 一斉捜索により上九一色村のオウム真理教施設で麻原彰晃を逮捕。この捜索で横山真人、渡部和美、広瀬健一など10人、垂井明美、森脇佳子、杉本繁郎、高橋昌也、池田悦郎、外崎清隆を殺人と殺人未遂容疑で逮捕。同日東京都庁郵便物爆破事件が発生

5月17日 中川を逮捕

5月18日 松本剛を足立区の信者のアパートの近くで逮捕(林郁夫・りら夫妻から両手の小指以外の8本の指の指紋を消す手術を受けた&両眉と顎に手術を受けていた)

9月6日 新潟県名立町で坂本弁護士、富山県魚津市で都子さんの遺体を発見。9日には長野県大町市で竜彦ちゃんの遺体を発見。いずれも山中で、竜彦ちゃんの遺体の場所は、90年に岡崎が警察に送り付けたものとほぼ同じだった

10月30日には東京地裁により解散命令

96年1月30日宗教法人として解散(ただしアーレフとして存続している)

 警視庁は、麻原に対し本格的な取り調べを始めたが「黙秘権を行使する」として供述を拒否した。麻原は遠藤誠弁護士に弁護を依頼するが、遠藤弁護士がこれを断ったために、「やーめーて~!」で有名な横山弁護士が自薦により麻原の私選弁護人となる。結局地下鉄サリン事件の犯人は高橋克也以外はすべて逮捕された。
 結局ラジコンヘリは、94年に操作ミス(基本的に素人なので)で大破して存在しないことが判明した。しかし、押収された早川ノートには、警察や自衛隊が恐れていたヘリコプターでのサリン散布計画(11月戦争)が書かれていた。これがどれほど実現できたのかは不明だが・・・・・・・。



2-主な事件


 95年から10年以上と、実に長々と続いたオウム真理教の裁判だが、引用・要約させていただいている東京地裁の判決文が、2000年代以降の「まあこうだったんじゃないかな」という妥当な線ですかね?(もちろん事実と違う場合は十分ある)

a 麻原が起訴された事件


どれも首謀者として最後まで起訴されたもの、()は罪状名

松本知津夫被告への東京地裁判決文―2004.2.27



3-オウム真理教の構図


ある人が科学の限界・人生・現状に対する不満を持つ

①「ハルマゲドンから皆を救ってマハーニルヴァーナへ至ろう」に、不満を一気に打ち消すほど魅了される
↓ 
②①は絶対正しいbut状況は不利→尊師の教え→正しいなら邪道な手段も許される

③ポアもやむなし→ポア実行

④③→①→②→③くり返し=③で罪悪感を持つ→自動的に①を欲し安心→②で手段の倒錯の正当化

サリン撒布etc 尊師の教え=目的は手段を正当化する



4-ご臨終森達也


『麻原死刑でOKか?』における映画監督・作家森達也の発言

 僕はそもそも、二年前、麻原被告の判決裁判を初めて傍聴しました。それ以前には彼にはあったこともありません。もちろんコミュニケーションもしていません。二年前の二月二十七日、初めて彼を至近距離で見て、たぶん距離は二メートルか三メートルですかね、僕はその場で直感しました。訴訟能力がない。彼には自分が何者で、どこにいるかさえも恐らくわかっていない。(中略)
 突然話が飛ぶようですけども、僕、芝居をやってたんですね。二十代の頃。役者としてはぜんぜんものにならなかったんですが、多少は演技の勉強をしましたし、演技とはどういうものかも考えました。その経験で言いますけども、あの当時の麻原被告の証言、あれはたぶん、ロバートデニーロでも言えません。アドリブでは。あれが役者の演技だったら、途中でテンションが下がります。ところが延々と彼は、しゃべってました。あれはやはり普通じゃないんです。でも誰一人、普通じゃない、おかしいよ、と言い出さない。
 もしこれが、別の人の裁判であれば、おいちょっと待てよ、これは変だよ、一回鑑定しようねって話になったと思うんです。でもやはり、何らかの抑止が働いた。その抑止は、世相、世間、いろんなものがあるでしょうね。一番大きかったのは世相だと思います。(めんどくさいので以下略)


 これが訴訟能力がないという根拠なのかよ!しかし、どういう根拠で「麻原は訴訟能力がない」と主張しているのだろうかと大変重要な問題故に興味を持って読んだのだが、よりによって 自分の役者修行の経験w しかも 才能不足で役者断念した奴の感なんて信用できるわけがないだろwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
森氏の発言はこれ以上、この根拠についての説明がない。ホント、いい加減にしてくださいw こんないい加減な人間の発言を注釈もなしに本にしちゃえるサヨクの世界はいいですね。確かに、森氏が映画撮影で会った末端の個々の信者は悪くないだろう。だが、オウムは独裁国家のように基本的人権がなく、現アレフが開祖(麻原)との関係を清算できていないのなら、サリン事件の如く、望んでなくとも彼らが犯罪行為をさせられる可能性はあるわけです。そういう理由で警察から反社会的として監視され、治安のためなのはもちろん、彼らを加害者にさせないために、敢えて別件の微罪でガンガン逮捕したのというのもあるんだが、こういう馬鹿なことを言う人には、ここら辺の理屈はまったく理解できないのだろう。



5-ご協力がしたいでやんすの巻 (『宝島』96年7月24日)


 多くのほかの信者たちは95年の間につかまったが、林泰男・平田信・高橋勝也・菊地直子の4人は捕まらなかった。96年に林泰男が捕まったのち、vowの中でみうらじゅん氏も心配していたのである。彼によると警察のやり方は的が外れているため、以下ようなアイデアでHMVなどの店頭にずらーと並べる方がもっと皆にアピールできるとのこと。



今となってはだいぶ風貌が変わっているなw ちなみに実際の菊地直子はもっと可愛いかったらしい。この後何ら音沙汰がなかったが、2011年の年末平田がいきなり自首し、その後2012年の6月に菊地直子が神奈川県相模原市緑区城山(2006年以前は津久井郡城山町だった地点)で逮捕された。


6-流れ


1984.2.14 麻原彰晃こと松本智津夫によりヨーガのサークル「オウム神仙の会」として創設
  ↓
1984.5.28 ㈱オウムの設立登記
  ↓
1985.10 『ムー』、『トワイライトゾーン』に空中浮揚の写真が掲載される
  ↓
1986.7 麻原、ヒマラヤで最終解脱する
  ↓
1987.1.17 丹沢集中セミナーでポアが語られる
  ↓
1987.2.24 ダライ・ラマ14世とインドで会談
  ↓
1988.7.6  ダライ・ラマ14世とインドで会談
  ↓
1988.9.22 オウム真理教での修行中に、富士山総本部に来ていた在家信者が死亡(真島事件)
  ↓
1989.2.10 オウム真理教最初の殺人事件、オウム真理教男性信者殺害事件発生(田口事件)
  ↓
1989.8.25 宗教法人化
  ↓
1989.10.2 『サンデー毎日』オウム真理教の狂気が連載される
  ↓
1989.10.26 TBSワイドショー「3時にあいましょう」の取材チームが教団富士山総本部で水中クンバカを取材
  →夜、早川、上祐、青山がTBSを訪れ、オウム真理教被害者の会を取材した未放映のビデオを見せるように迫り、見せる(TBSビデオ問題)
  ↓
1989.11.4 坂本堤弁護士一家殺害事件で一家3人を殺害
  ↓
1990.2.18 第39回衆議院議員総選挙に集団立候補するも全員落選
  ↓
1990.4.16 石垣島セミナー、この間ボツリヌス菌を東京に撒こうとするも失敗
  ↓
1990.5.28 熊本県波野村に土地を取得、住民に反対される
  ↓
1990.10~11  国土法違反で青山、早川、石井久子らを逮捕
  ↓
1991.6 松本市に進出し、土地を取得する
  ↓
1991.9.28 『朝まで生テレビ!』に出演(麻原彰晃、松本知子、上祐、杉浦実ら)
  ↓
1991.10.9 文化放送『梶原しげるの本気でDONDON』に出演
  ↓
1991.10.31 『生でダラダラいかせて』に出演
  ↓
1991.12.30 『ビートたけしのTVタックル』に出演
  ↓
1992.4.1 オウム真理教ラジオ放送“エウアンゲリオン・テス・バシレイアス”、モスクワ放送の電波を使って世界放送開始
  ↓
1992.9 モスクワ支部や東京総本部(東京都港区青山)設立

1992.9.14 麻原、自ら乗っ取ったオカムラ鉄工社長に就任
  ↓
1992.10~11 各地の国立大学で講演し、世界が滅びると「予言」
  ↓
1992.12~93.1 麻原、早川に自動小銃製造のため、ロシアで村井らに実物を見せられるよう手配を指示
  ↓
1993.4.9 麻原、説法でハルマゲドンの際に使う武器としてサリンを挙げる
  ↓
1993.6.6  男性信徒が逆さ吊り修行により死亡(逆さ吊り死亡事件)
  ↓
1993.6.28 亀戸の施設から炭素菌を撒くが、悪臭を放って失敗
  ↓
1993.8 麻原と上祐によりサリンプラント建設が指示される
  ↓
1993.11 土谷がサリン合成に成功
  ↓
1993.12.18 第二次池田大作名誉会長襲撃事件 この際新実がサリン中毒で重体となる
  ↓
1994.1.30  元薬剤師が女性信者を助けようとするが、逆に麻原らにとらえられ、女性の息子に殺害される(落田事件)
  ↓
1994.5.9 滝本弁護士サリン襲撃事件
  ↓
1994.6 省庁制導入、22省庁を開設し大臣と次官を設置、麻原は神聖法皇に
  ↓
1994.6~1995.3 旧ソ連製のAK-74をモデルとした突撃銃を密造
  ↓
1994.6.27 松本サリン事件、長野県松本市でサリンを噴霧し、8人を殺害、重軽傷660人
  ↓
1994.7.10 オウム真理教男性現役信者リンチ殺人事件(冨田事件)発生
  ↓
1994.7.15 50℃の温熱療法修行による男性信者死亡事件
  ↓
1994.9.20 江川紹子ホスゲン襲撃事件
  ↓
1994.12.2 駐車場経営者VX襲撃事件(水野VX事件)
  ↓
1994.12.12 会社員VX殺害事件(濱口VX事件)
  ↓
1995.1.4 「オウム真理教被害者の会」永岡弘行会長をVXガスで襲撃(永岡VX事件)
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1995.2.28 目黒公証人役場事務長拉致監禁致死事件
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1995.3.17 麻原の口頭による尊師通達が発令(地下鉄サリン事件に関わった者のステージが昇格)
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1995.3.18 麻原、村井、青山、遠藤、石川、井上による「リムジン謀議」
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1995.4.23 村井、ヤクザの男に刺殺される
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1995.3.20 地下鉄サリン事件。東京の営団地下鉄(現・東京地下鉄)でサリンを撒き、12人を殺害、5510人が重軽傷
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1995.5.16 麻原を山梨県上九一色村の教団施設で逮捕、都庁爆弾事件
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1995 宗教法人解散命令、国会で宗教法人法改正法が成立
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1996.6.19 教団側、麻原に代わり、長男(当時3歳)と次男(当時2歳)の二人を「教祖」に。麻原は「開祖」
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1997.1.31 公安審査委員会、オウム真理教への破壊活動防止法の適用を棄却
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1999 団体規制法と破産特別法が成立
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2000.2.1 団体規制法に基づく公安調査庁長官の観察処分(3年間)が効力発生
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2000.2.4 「宗教団体・アレフ」として再編
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2000.7.1 ロシアで松本智津夫の武力奪還・対日テロを図ったオウム信者逮捕(シガチョフ事件)
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2002.1 上祐が教団代表に就任。麻原彰晃との決別を表明
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2003.1.23 団体規制法に基づく観察処分の期間更新(2月1日から3年)決定
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2003.2 「宗教団体・アーレフ」と改称
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2008.5.20 「Aleph」(アレフ)と改称
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