グリコ・森永事件 事件の経過


※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

 
事件の経過
 
一応ストーリー調のものも作ったw
 
 
a 江崎グリコ社長誘拐事件~セコムしてたのに
 
 1984年(昭和59年)
3月18日
「金はいらん、勝久はおるか?」
「女中は今おるのか?」
「隣の鍵を出せ」
午後9時過ぎ 兵庫県西宮市二見町にある江崎グリコ社長・江崎勝久氏(当時42歳)の自宅敷地内にある母親宅に男 2人が侵入。3人は、1人で住んでいた母親(当時70歳)を赤いガムテープで目と口をふさぎ、頭に布をかぶせて相鍵を奪った。9時36分、2階東端の寝室でテレビを見ていた夫人(当時35歳)と長女 (当時7歳)も襲っていた。長女が悲鳴をあげると、男は「M子ちゃん(=長女)、シッ静かに」と言い、2人を粘着テープで後ろ手に縛って化粧台の奥のトイレに閉じ込めた。夫人は自力でテープをほどき、2階の電話線は切られていたので1階食堂の電話から通報した。

午後9時38分 この時社長は自宅2階の浴室で長男(当時11歳)、二女(当時4歳)と入浴中だった。そこに白い毛糸の目出し帽の2人の男が侵入。2人は、江崎社長を拳銃と空気銃のようなもので「静かにしろ」と脅し、全裸のまま拉致、家の前にある犯人達の赤色の乗用車に押し込んた。運転席には第3の男がおり、3人は江崎社長に毛布をかけて車を急発進させた。社長宅にはセコムの防犯装置が導入されていたが、防犯装置の無い母親宅から合鍵で侵入したので、社長誘拐時には発動していたものの、警備員到着まで間に合わなかったという。

午後11時30分 江崎邸に記者100人以上終結、捜査員に「警察説明しろ!」という状態だった。

3月19日 
午前1時15分、社長宅から30km離れた藤江弘毅・江崎グリコ取締役宅に「高槻市真上北自治会の釜風呂温泉の看板の前に電話ボックスがある。その中を見ろ」と男の声で電話があった。大阪府警機動捜査隊員がその電話ボックスを見に行くと茶色の封筒があり、中には「人質はあづかった 現金10億円 と 金塊100kg を よおい しろ」との脅迫状があった。捜査官も「10億&100kなんて運べないし、すぐ用意できない→ジョークやろ」と思ったが、すぐにグリコは10億円&金塊(時価3億)を用意したという(このため、c 寝屋川アベック襲撃事件 以降真札輸送がデフォルトに)。
 午後6時23分、犯人から「茨木(実は高槻市)のレストラン『寿』で連絡を待て」という内容であったが、指定されたレストランに現れなかった。社長の安全のため報道協定を結んだが、既に第一報の誘拐自体は報じられていた。

3月20日頃 江崎社長は車で連れ去られると頭から袋をかぶせられた。途中、高速道路の料金所で「700円です」という女性の声を聞いた。その後、茨木市宮島の安威川左岸の水防倉庫に到着し、そこに監禁された。社長が犯行の理由を問うと、犯人は「金や」と答えた。この水防倉庫には水害に備えて土嚢や縄などが積まれていたが、周囲に人家はなく、一般市民ばかりか鍵を持っている分室長すら一度も入ったことがない。事件当日夜(10時頃)にこの小屋に連れこまれた。犯人は終始社長を「勝久」と呼び捨てにし、「M子ちゃんは今、わしの知り合いの女の子供たちと人形遊びをしている」と伝えた。食事についてはパン、ビスケット、缶ジュースが与えられた。倉庫の扉は1階東側と2階の北側(2ヶ所)にあった。東側は南京錠でロックしていた。
 犯人達は社長に「藤江のアホ 金子のドアホ」を朗読させて録音したあと、手錠をはずし後ろ手で両手両足を縛り、猿ぐつわをはめさせて「逃げたら殺す」と言いつつ、15時間以上姿を消した。その間社長は手のロープを自分で解いてから必死に壁をたたいたり押していたりしたら、ナットが緩み、扉だとわかり、後はナットを手で回してはずしたために脱出できたという。

3月21日 午後2時15分すぎ、大阪府摂津市新在家の国鉄大阪貨物ターミナル駅構内の線路内で、薬物中毒者のごとくにふらついて歩く江崎社長が保線員に保護された。大正時代の黒いオーバー、濡れたズボン、右手首から荷作りり用ロープを垂らし、右頬には傷があり、裸足だった。警察に保護された社長は「見つかったら長女が殺される!」と自宅の夫人に電話で尋ねたが、実は長女は誘拐されてなかった。報道協定もここで解除となる。
 府警の事情聴取に対して江崎社長は饒舌だった。ところがここで大久保武夫・グリコ会長が駆けつけてきて、「5分間だけ社長としゃべらせてくれ」と言って20分も中断。この後態度が豹変したのか、社長は何も語らなくなったために、「社長返還のために会長と犯人グループで密約を交わしたのでは?」という疑惑が生じてしまう。
 
 
b グリコ脅迫事件~犯人は「かい人21面相」
 
 事件はこれで終わったかに見えたが、ここからが本当の始まりだった。
4月2日 江崎社長宅に6000万円を要求する脅迫状&塩酸入り目薬容器&社長の監禁時のテープが届く。西宮市熊野町の喫茶店『マミー』で日曜日(8日)の午後7時に連絡を待て。現金受け渡し場所はあらためて指示する。要求に応じなければコンチングマシン(カカオとミルクを混ぜる装置)を爆破する」との内容だった。当日、喫茶店「マミー」には防弾チョッキを着用した捜査員が張りんだが犯人は現れなかった。この日、初めて報道機関(大阪の毎日・サンケイ)と兵庫県警甲子園署に「けいさつの あ ほども え」という挑戦状が届いた。
 この後も10日にグリコ本社敷地内の建物・グリコ栄養食品の放火や脅迫電話、16日には脅迫状と「えんさん きけん」なる塩酸入りポリ容器が発見された。4月12日警察庁はこの一連の事件を 「広域重要114号事件」に指定。4月23日、大阪の毎日、サンケイの新聞社に脅迫状が届く。犯人は初めて「かい人21面相」と名乗った。4月24日犯人からレストラン「ダンヒル」、名神高速SA、国鉄高槻駅前電話ボックスと指示を与えられたが、犯人は出現しなかった。(この時の電話の女性の声は10月11日にで公開)

5月10日 報道機関(毎日・サンケイ・読売・朝日)に「グリコの せい品に せいさんソーダ いれた」「グリコを たべて はか場え いこう」なる挑戦状が届く。この前にグリコ本社には、グリコ製品に青酸を混入するという脅迫状が届いたため、大手スーパーはグリコ製品の撤去を始め、グリコは減産となる。その頃犯人は、取引先の長岡香料へ脅迫して、「3億だせ」と裏取引を応じさせていたが、途中で警察がそれに気づいて社長を説得し、6月2日の裏取引を聞き出した。
 

C 寝屋川・アベック襲撃事件~犯人が現金を取りに来た①
 
6月2日 5月31日に届いたグリコへの裏取引の指示は「6月2日午後8時から8時半の間に、摂津市内のレストラン・大同門の駐車場に、3億円を積んだ白色のカローラを置け」だった。捜査本部はあらかじめ途中でエンストを起こすように細工したカローラに3億円を積み、午後7時57分、焼肉レストラン「大同門」駐車場に到着。周辺には約30人の捜査員が張りこんでいた。
 午後8時45分頃、駐車場に不審な男が現れそのままカローラに乗りこんだが、予定通りエンストを起こしたので警察によって取り押さえられた。「現行犯逮捕や!」などと思ったのもつかの間、男は暴行された様子で「グリコ?そんなの知らん」と言った。
 この男は商事会社に勤める男性(当時22歳)で、同僚の恋人女性(当時18歳)と「大同門」から約3km離れた淀川堤防に停めたトヨタ・チェイサーの中でいちゃついていたら、怪しい男に銃身らしきものを突きつけられた。男性は元自衛官だったので抵抗しようしたが一撃で仕留められてしまい、女性は人質になった。犯人のうち1人は別の車に女性を連れ去り、残る2人がチェイサーに乗って男性に指示し、「『大同門』でカローラをここ(=襲撃された堤防道路)まで持って来い。そうしたら女は返してやる」と降ろされた。つまり犯人から現金受け渡し役に仕立てられたのだ。
 男性は指示された堤防道路へ向かうが、同行した大阪府警捜査一課特殊犯捜査員が手間取ったために時間に遅れた。そのためか、犯人は現れなかった。結局、女性は犯人から「京阪電鉄守口市駅で落ち合え」と言われて、運賃2000円を渡されて光善寺駅で降ろされた。このとき犯人と乗っていた車はタクシーの払い下げ車両であると判明。チェイサーは襲撃現場から500m先の神社の参道で発見。

6月24日 突如新聞に「ともこちゃん、ありがとう。グリコは頑張ります」なる子供の手紙の広告が出現した。その2日後、犯人は「グリコ ゆるしたる」と休戦宣言をした。これを受けて江崎グリコは生産の全面再開&販売再開を決定。この流れは「裏取引じゃねぇ?」と疑われたが、グリコは否定している。
 
 
d 丸大脅迫事件~犯人が現金を取りに来た②
 
6月22日 高槻市緑町の丸大食品に「グリコと同じ目にあいたくなかった ら、5千万円用意しろ。警察には届けるな」という脅迫状が届く。この裏取引に応じる合図として、「26日付の毎日新聞朝刊と、27日付サンケイ新聞朝刊にパート従業員募集の広告を掲載しろ」、「28日夜、高槻市日吉台5番町の太田常務宅に現金を用意して待て」と指示した。丸大食品は犯人の指示通り、新聞広告を出す。

6月28日 丸大食品は裏取引に応じ、午後8時、太田常務宅に犯人から「高槻の西武デパートの三井銀行南 市バスおりばの観光案内板の裏」を現金受け取 り場所に指定する電話があった。女性による録音テープだった。社員を装った特殊捜査員が案内板の裏を調べると、「国鉄高槻駅に入れ 8:19か8:35の 京都行き各停に乗れ 後ろから2列目の○印の場所へ座れ バッグ出せるように進行方向に向かって左側の窓を開けて線路を見とれ 白い旗が見えたらバッグを 外にほれ」と指示書&切符と座席図があった。8:35の車両に乗ったものの、ここで特殊捜査員は指定された車両に乗らず、先頭車両で腰を下ろして社内の様子を観察してみた。すると彼らの様子を絶えず気にしていた、極めて不審な男を目撃していた。捜査員は降雨と日没のため白い旗を確認できなかったという。
 京都駅到着後、運び役の捜査員は乗り換えして高槻駅で下車するのだが、そこに不審な男も同乗し、運び役が降りるのを見届けていた。 この男は、その後京都で下車した。それを尾行するも見失ってしまう。この不審な男がキツネ目の男である。当初この事件はマスコミも知らなかったので11月になって報じられた。
 

e 森永脅迫事件~青酸入り菓子が店頭に
 
9月12日 大阪市北区西天満の森永製菓関西販売本部に「グリコと同じめにあいたくなければ、1億円出せ」と青酸入りの菓子が同封されている脅迫状が届く。「現金の受け渡しは18日、守口市のレストラン『USA』で待て」とあった。同社・松崎昭雄社長は、役員との協議で1億円準備を決める。脅迫状にはグリコが犯人グループに6億円を支払ったと書かれていた。

9月18日  午後8時半頃、森永脅迫事件で犯人から関西支社に連絡。電話は子どもの声を録音したもので、5回繰り返した。「レストランから、1号線を、南へ、 1500m行ったところにある。守口市民会館の、前の。京阪本通2丁目の、陸橋の、階段の下の、空き缶の中」捜査員が指定された陸橋の空き缶(森永乳業製品)を調べると、「京阪守口市駅の東口へ行け」というメモが入っていた。その後、守口市内の衣装箱の中に現金を入れるも犯人は姿を現さず。当初は便乗犯と見られていたが、犯人側は「自分達である」と主張した。当初、森永脅迫は知られていなかったが、「森永が変だ」と感じた毎日新聞がスクーフ°した。

10月7日 この日からから13日にかけて、兵庫、大阪、京都、愛知のスーパーなどで「どくいり きけん たべたら しぬで」と書かれた青酸が入った森永製菓の菓子13個が発見される。10月8日犯人は報道機関に「とくべつに あじ つけたった」と犯行を報告&毒入り菓子をプレゼントし、その上「無警告で毒菓子30個店頭に置く」と脅している。
 前回同様各店舗は森永製品を撤去するわけだが、阪急百貨店社長など27社宛てに森永製品撤去を求める警告状を送りつけている。これは京都・百万遍のコピーセンターでコピーしたものと判明(犯人も教えてくれたが)。そんな中、西友は前回グリコの製品を撤去しなかったために「青酸ソーダ入りの菓子50個の内半分をおいたる」と名指しで脅迫され、さらに10月16日には西友系スーパー2店に脅迫状&青酸入り菓子が同封されていたので撤去せざるを得なくなった。

10月11日 この時点で、捜査本部は4月24日の脅迫電話で流れた女の声の録音テープと9月18日の脅迫電話で流れていた子供の声の録音テープ(と「USA」)を 公開。10月15日には、7日に毒物を混入しようとしたと思われる、いわゆるビデオの男の映像を公開する。
 
 
f ハウス脅迫事件~犯人が現金を取りに来た③
 
11月7日 ハウス食品工業総務部長宅に現金1億円を要求する脅迫状が届き、裏取引に応じようとする。「14日、京都市伏見区ファミリーレストラン『さと伏見店』で連絡を待て」を指示してきた。鈴木邦芳・大阪府警刑事部長は報道協定を報道機関各社に要請し、マスコミは2回目の報道協定を締結する。

11月14日 大阪府警357人が現場を仕切り、京都府警126人、兵庫県警157人ら総勢924人を投入する布陣であった。警察庁からは「必ず一網打尽にしろ」ということだった。午後6時過ぎ、ハウスは犯人の指示通り現金1億円を積んだが、乗りこんだのは社員ではなく警官2名、白いワゴン車だった。東大阪市の本社を出発した車は近畿自動車道に入り、名神高速道路へ向かう。
 午後6時53分 車は京都市伏見区のファミリーレストラン「さと」の北 300m地点で待機。犯人指定の午後7時20分に同店駐車場に入った。

 午後8時20分 店内で社員に扮した捜査員が犯人の指示を待っていたところ、ハウスの総務部長宅に「京都へ向かって、1号機を、2キロ、バス停城南宮の、ベンチの、腰掛けの裏」と4回繰り返す電話があった。これは公衆電話(静岡・御殿場以東、広島益田以西)からの電話で、子どもの声の録音テープである。午後8時38分、指定された城南宮バス停には「京都南インターから名神高速に入り、大津サービスエリアに向かえ」というメモを発見。

 午後8時59分 名神・大津サービスエリアの張り紙発見。この駐車場には、サングラスと帽子の出で立ちで現金運搬車を注視する不審者が、捜査員に気づいて逃げ去って姿を消していた。特殊犯捜査員は捜査本部に「職務質問をしたい」と訴えたが、一網打尽の方針のために許可されなかった。この不審者はキツネ目の男だった。

 午後9時23分 滋賀県草津市の名神・草津パーキングエリアで張り紙発見。「そのまま名古屋方面に走ること、左側の棚に白い布を見たら止まって、布の中の空き缶に入れた手紙の指示に従え」。現金輸送車が到着するよりも先に、白い布が草津PAから東へ5kmの地点の道路脇の防護フェンスに取り付けられているのが発見された、空き缶がなかった上に犯人らしい男も姿を見せず、捜査は打ち切りった。

 午後9時18分 人気のない滋賀県栗東町川辺の県道川辺-御園線に白いライトバンが停まっているのを、通りかかった滋賀県警のパトカーが発見した。中には野球帽をかぶった無精ひげの40歳ぐらいの男がいた。ライトバンは京都府長岡京城の里の協和電設からの盗難車だった。県警は114号事件など無関係に職務質問をしようとすると、ライトバンは急発進した。パトカーはカーチェイスで捕獲に失敗し見失った。この日の布陣から外れていた滋賀県警は、本部から肝心な部分が伝わっていなかったために、うかつに近づいて犯人に逃げられてしまった。

 午後9時25分 乗り捨てられたライトバンを発見。車内には警察無線滋賀一系にあわせた改造無線機があった。これは極秘中の極秘で、ライトバン発見現場は近畿管区警察局内で唯一無線が通じない地域だった。盲点だった滋賀県警との連携ミス+犯人取り逃しばかりか、警察のやり取りが筒抜けだったのだ。その後9時50分、草津市西草津1丁目の路上を自転車で走る男、午後10時過ぎに草津川堤防を自転車で走る男も取り逃がす。それぞれ「ホクロの男」「メガネの男」と呼ばれる。
 犯人にとってよっぽど痛快だったのか、兵庫県警・吉野穀本部長宅、大阪府警・四万修本部長宅に挑戦状を出して痛烈に皮肉っている。そして12月7日森永製菓は6月24日のグリコの広告と同じような「たくさんの励ましをありがとう」なる広告を出すが、これは犯人に指示されたものだった。
 
 
g 不二家脅迫事件~何を企てていたのか?
12月7日 不二家田尻敬司労務部長宅に「現金1億円の要求+12月23日に大阪梅田の阪神百貨店屋上から2000万ばら撒き、翌年の1月5日に東京池袋のビルから2千万円を撒け」という脅迫状+テープと青酸ソーダが届く。12月10日に報道協定解除。不二家は裏取引に応じる意向だった。が捜査本部に相談して不二家は指示された池袋のビル屋上からの現金ばらまきは行なわなかった。これが報道されたのは翌年の1月11日であった。その前日にはあまりに有名なキツネ目の男の似顔絵を公開。

1985年(昭和60年)
2月6日 またまた江崎社長宛てに脅迫状。2月12日、東京、愛知で「どくいり きけん」と書かれた、本当に青酸の入った菓子が相次いで発見される。置かれていたのは東京・中央区の明治製菓本社向かいにある天ぷら屋前、神田駅のトイレと駅周辺の寿司屋の店先、名古屋氏千種区の名古屋集中局管内のポストなど、東京8ヶ所9個、名古屋4ヶ所4個。

2月27日 茨木市の派出所に「森永ゆるしたろ」という内容の休戦宣言が届く。
 
 
h 駿河屋脅迫事件~そして犯行終結
 
3月6日 今度は和歌山県の老舗和菓子会社駿河屋に5000 万円を要求する脅迫状が届く。3月8日、駿河屋に「けいさつの あほが うるそおて かなわん 8日 とりひき するの しばらく えんきや」となぜか延期を通告。その後、犯人側から駿河屋に対する連絡はなかった。不二家以降、犯人グループの活動は段々だんだん尻つぼみになり、4月に入ってからは沈黙している。しかし、前年11月14日の失態が響いたのか、8月7日滋賀県警本部長・山本昌二氏が辞任直後に公舎の庭で焼身自殺をする。

8月12日 報道機関に最後の挑戦状「くいもんの かいしゃ いびるの もお やめや(中略)たたきあげの 山もと 男らしうに 死によった さかいに」という犯行終結宣言だった。この日ハウスの浦上郁夫社長は、前社長の墓前に一連の事件の終結を報告しようとJAL123号便に搭乗していた。
この後犯人は誰も捕まらず、94年から00年までに全て時効になった。
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。