■S4

保奈美は、部屋に戻ろうとしていた弟を呼び止めた。
「待ってよ昌樹、ねぇ、そんなに凄い音だった?お姉ちゃんのお腹の中。」
「あぁ。…ビックリしたよ。赤ん坊じゃなくて、なんかもっと別の、モンスターかなんかが居るみてぇだった。」
「えぇ?だってお姉ちゃん自身にはあんまり聞こえないよ…そういえば時々グルグル動いてる感触はあるけど…ねぇ、今度は押しつぶしたりしないからさ、聞いて伝えてくれない?」
「ア…アカン、俺忙しいから。そんなに気になるなら、自分で聞けばいいじゃん。」
昌樹は自分の部屋に戻ると、ちょっと古風の聴診器を持ってきた。
「ほれ。」
「何コレ?…どこでこんなの貰ってきたの?」
「友達の家で貰った。なんかそこの家のお父さんかお母さんが、昔は診療所で働いてたらしくて、普通に部屋に転がってて、俺が見てたら『欲しいならあげるよ』って、くれた。」
「サンキュー、昌樹!」
「あぁ、でも、今の姉ちゃんどうかしてるっぽいから、あんま変なこと考えんなよ。」
そう言うと昌樹は部屋を出て行った。

さて、ごく普通の高校生の保奈美は、人の診察などしたことがない。ましてや、自分のお腹に聴診器を当てるなど、未体験のことである。保奈美はブラウスのボタンを上から外していった。そこで初めて、ボタンがいつの間にか1つ無くなっていることに気づいて、やや恥ずかしくなった。ボタンを全部外すと、それまで感じていた圧迫感がフッと急に楽になり、お腹が自重で垂下しようとする重みだけを感じるようになった。そのお腹を両手で下から持ち上げると、みぞおちのあたりまでが全体的に持ち上がり、鈍く変形する。非常に重い。そして手を放すと、重力にまかせて勢いよくズンッと垂下する。未だかつて、肥満で「お腹が出た」という体験をしたことが無い保奈美にはこれは不思議な感覚だった。便秘でやや下腹部が張ることはあっても、こんなに胴体の中心部に重みを感じることは無かったのだ。そしていざお腹に聴診器を当てると、まず「ドックドックドック…」という早い心臓の鼓動が耳に付いた。自分のお腹に聴診器を当てて中を探る事に、少し興奮している事を自覚させられて、自分で自分の行動がやや恥ずかしくなった。そしてそのまま耳を澄ましていると、
「グルグッゴッゴッゴッ…」
という音が聞こえてきた。その音は保奈美の声などよりずっと低く逞しい感じの音だった。保奈美のお腹は、手足と違って全く日焼けをしていなかった。まだ水着を着てプールや海に入るシーズンではなかったからだ。ほくろすら無い、のっぺりとした表面の綺麗なお腹は、外見ではとても穏やかに、微動だにせずそこに膨らんでいた。しかし、そのお腹の表面にくっつけた聴診器からは、その静かな表情とは裏腹に、もの凄く生命的な活動音が聞こえてきているのだった。それは25個ものケーキを、まさに1つの塊にして、練り物として取り扱い、自分の分泌した消化液と混ぜ合わせてそれを分解し、吸収する準備に入っていたのだ。保奈美はそんな事を今まで意識した事は無かったが、いざここまでお腹が膨らむと、自分の内部に潜む消化器官の存在感を無視できなくなったのであろう。

保奈美は、自分のお腹の中で行われている消化活動の事を詳しく調べたくなった。重いお腹をよじらせるようにして腰を上げ、机の上のノートパソコンを起動し、インターネット上で消化器について調べ始めた。大まかな消化器官の仕組みは中学校の理科で習っているのだが、日常生活でその知識を活用することもないので、保奈美は殆ど忘れてしまっていたのだ。しかしそれは見方を変えれば、消化器官、すなわち自分のお腹の中にある各臓器でどんな営みが行われているかを全く知らなくても、それらは自分の意志とは関係なく、入ってきた沢山の食べ物を翌日までにちゃんと処理してくれていたのだ。勿論、内臓は手足などと違って、自分の意志で動かすものではない事は分かっている。しかし、食べ物を口に運んでよく噛み、呑み込む所までは自分の意志なのだ。喉の奥から先は、食べ物の取り扱いは自分の消化器に受け渡している…そして、その先はほぼ全自動で消化と吸収が行われ、またある所から先は、自分の意志でコントロール出来る所に帰ってくるのである。保奈美はこの最初と最後を除いた、重要な過程を自分が知らないと言う歯がゆさを感じていた。見下ろせば、パンパンに膨らんだ自分のお腹の中では、胃袋が膨らんでケーキが詰め込まれている…という事までは分かっているのに、それが今、実際にどのような事になっているのかを全く知らないというのが悔しかった。他人から見てもブラックボックスなのだが、自分から見てもブラックボックスの手品のようなのだ。そして聴診器から時々聞こえてくるその音が、保奈美の内部での活動の断片を垣間見せてくれているように感じたのだ。

保奈美はインターネット百科事典などを検索し、色々とページを見ていった。その結果、どうやら胃袋は酸性で食べ物の貯留と殺菌を行い、タンパク質を分解する所、その下流の十二指腸はアルカリ性で、更に脂肪と炭水化物を含む三大栄養素全ての消化が行われ、小腸で栄養吸収、大腸で発酵と一部の栄養吸収、および水分吸収が行われる事などを調べていった。胃袋に食物が入ったという刺激を受けると、胃の壁から胃液が放出し、消化活動をはじめる。消化にかかる時間は、ごはんで約2時間、消しにくい肉類でも3~4時間ほどだという。しかし、調べたところで実感が湧かなかった。「ペプシンやトリプシンが分泌される」と言われても、そのお腹のどこでいつのタイミングで分泌しているのかが掴めない。それに、体内で胃袋がどの位置でどれくらいの大きさのものなのかを示すような図が載っていて、「満腹時には1.5Lのペットボトルが丸ごと一本入るくらいの大きさまで膨らむ」と言うのだが、大食いで普通の人の満腹以上に食べるといったいどうなってしまうのかという事までは説明が無かった。…ただ確実に分かっているのは、続に言う「デザートは別腹」の別腹など、人間には無いという事だった。入ってきた食べ物は全て1つの胃袋に収まり、消化して、吸収する。ケーキばっかりで多すぎるからスルーだとか、そういう判別は出来ないのである。

保奈美はやや怖くなり、次にケーキのカロリー数を調べてみた。…だいたい1個300キロカロリー前後である。25個だと、単純計算で何と7500キロカロリーになってしまうのだ。成人女性が1日に必要なカロリー数は1700キロカロリーだとか、そういう数字を聞いたことがあったので、保奈美にはそれが4日分以上のカロリーである事は容易に計算が出来た。
『どうしよう…このままじゃ私のお腹、一度に4日分もの栄養を吸収して…おかしくなっちゃう!?』
保奈美は少なからず動揺していた。食べても太りにくい体質であるとは自覚していたが、これほどまでに詰め込んだ事は無かったので、ボッコリと膨らんだ自分のお腹の中で、万が一その消化の営みが行われなかったらどうなってしまうのか、あるいは確実に行われてしまったとしても、そうなったら自分の体型がどうなってしまうのか、いずれにしても未知で恐怖の体験なのであった。


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