信オン歴史年鑑
ここは、各アップデートなどの影響などのページです。その日にどういった内容のアップデートが入ったかは、公式HPをご覧ください。
コメント
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信オン歴史年鑑 [#c03c7ec8]
- コメント [#ha01d9dd]
- サービス開始。 [#r4ed172a]
- PCにも技能普及 [#nd44c7d1]
- 初合戦 [#acdfae64]
- 忍者サポートの時代 [#s4c793d5]
- 火陰陽の時代 [#lc75c1b3]
- 薬師<僧の時代 [#h70488e8]
- 合戦は無敵足軽狩りの時代 [#bc68c128]
- 近接不遇の時代 [#jf9c80d5]
- 花火祭り [#z4b160db]
- 8月27日の修正(鍛冶屋冬の時代到来) [#mc454d23]
- 8月27日の修正2(忍者ソロの時代到来) [#y9ef0fd2]
- 僧<薬師の時代 [#y91acf24]
- 瞬殺の時代 [#f2d549c8]
- 出奔固定徒党援軍の時代 [#k612b590]
- 越中追加 [#pafb257a]
- 光の矢黒レシピの時代 [#rb768baf]
- 狩りの様相が変わる [#ee23a6bd]
- 瞬殺徒党の絶頂期 [#p08e9acd]
- 将星録サーバー開始 [#w68748b4]
- 風雲上杉家滅亡 [#p20edaed]
- 大名敗走 [#tea901ca]
- 合戦仕様の変更(武将狩り) [#a9c95cc5]
- 合戦仕様の変更(ソロ突撃の時代) [#w8b32daf]
- アクティブNPCの襲われ範囲増加、入手金銭大幅減少 [#u5bf7d62]
- 神楽祭り [#u07353a9]
- 風雲上杉が全鯖初の復興戦を起こし復興 [#k9714812]
- 援軍先の仕様変更 [#q0d166c4]
- 本願寺、朝倉、浅井実装 [#b070ba6d]
- 第2回花火大会 [#g9c43e7c]
- カウンターが1週あくようになる [#v6f59380]
- Win版サービス開始。烈風伝サーバーサービス開始 [#hff0c5e2]
- 追儺式開始 [#l2666fa4]
- 国力上昇に制限が付く [#b99d025d]
- 不意打ち忍者徒党出現 [#g95dfe66]
- 鍛冶屋の不満爆発 [#ea264af0]
- 新勢力、新国実装、生産レシピ調整 [#y20d4074]
- 生産品の売却価格が調整 [#xea4b3c0]
- 警護術間違えて目録に出現 [#f7f8ac33]
- 大名敗走2 [#ka5494b1]
- 東西大合戦 [#w8d38d7e]
- 6/30パッチ1・特化技能、潜在能力導入 [#w3ea4e8a]
- 6/30パッチ2・アイテム関連の変更 [#xef65409]
- 6/30パッチ3・瞬殺徒党、忍者徒党の終焉 [#oafc2ae4]
- 七夕祭り [#nfd3238d]
- 大名敗走3 [#e35d1530]
- 大名強化 [#z268dc81]
- 大感謝祭 [#j15f5572]
- 大感謝祭 [#ja0add81]
サービス開始。
- 2003年06月12日
- 群雄、風雲、覇王サーバーサービス開始。天翔も続いて開始。城前のねずみが枯れる。伐採ポイントに鍛冶屋が木材を買いに来たりと採集、生産、戦闘が活発であった。また、生産技能が未成熟なため、最初のころは使用しない鳳尾竹などは売り物としては難しかった。
PCにも技能普及
- 2003年06月下旬
- この頃から技能を覚えたPCが技能を使い始め、どこにいても「脇が甘いわ!」が聞こえるようになる。特に回復のさいにでるこのセリフは好評であった。後、惜しまれつつも修正される
初合戦
- 2003年?
- 初合戦。最初の合戦上のNPCは○○足軽雑兵という名前で、レベル30:7程度。PCは当時最高レベルが30程度であったため、ほとんど歯が立たず、また武将攻略などは論外であった。なお、当時陣は無く、1週間ずっと続けての合戦であった。また、超ロースコアでも勝利はあった上、勝つと一気に国力を持っていけた。
- 2003年7月23日
- 合戦中には大名がいなくなるため、それまでは与力などには合戦期間中にはなることができなかったが、この日修正された。
忍者サポートの時代
- 2003年7月30日
- 以前より命中率が異常に低かった痺れ斬りに修正。命中率が向上した。しかし、当時小型二刀流は通常の二刀とおなじで防御力半減があったため、使うのは難しかった。そのため、忍者はアタッカーではなく遁術や結界破りなどのサポートに回ることが多くなった。
火陰陽の時代
- 2003年7月下旬
- 当時、経験は躍らせネズミ、みのわらじ、小木霊が3本柱であったが、いずれも火によわく、業火・参を覚えている陰陽師がアタッカーとしては最上であった。そのため、他の系列を選考していた陰陽師は、不遇を囲った。
- 2003年8月6日
- 小木霊が修正される。理由はレベルに対して弱いPCが倒せたから。しかし、流れに大勢は無かった。
薬師<僧の時代
- 2003年7月30日〜9月10日
- 当時薬師の活身には準備があった。そのため使うには非常に辛い技能であった。また、薬師の治療は、僧にくらべて気合消費が大きかった。そのため、回復の座には僧が主に居座ることになる。7月30日以前は店買い生産店売り利益の完全黒レシピである弾薬の売却価格変更でこの状況はさらに悪化した。
合戦は無敵足軽狩りの時代
- 2003年8月6日〜8月27日
- 異常に強かった合戦NPCの一部が修正される。そのため主に足軽が弱体。また、無敵状態PCには通常のPCすらも攻撃できなかった。一般PCは足軽を倒して、無敵状態で足軽がやってくるのを待ち、それを叩いて倒す、無敵状態・・と延々と足軽倒し続けるという構図ができた。
- 2003年8月27日〜2003年11月19日
- この日、無敵状態ではほとんどなにもできなくなる。しかし、依然PCは無敵PCを叩くことができず、足軽狩りは無敵状態で近づくのを待つ取り付きが横行した。
近接不遇の時代
- 2003年7月〜2003年8月27日〜
- 当時、ダメージディーラーは陰陽師一辺倒であった。侍や忍者は攻撃力が低く、サポートに近い状態となっていた。特に防御が絶望的になる二刀は不遇であり、その後、侍=盾という構図につながる。
花火祭り
- 8月20日〜8月27日
- 信長の野望正式サービスにおいて記念すべき第1回イベント。その後繰り返し行われているが、最初は寄合の依頼をこなすと花火をもらえる、というシンプルなものだった。そのため、首飾り等、数をこなせるものを大量献上するのがもっとも効率的な集め方だった(また、当時は花火は牡丹、小牡丹、一輪の3種4色の計12個であったほか、取引不可であった)。プレイヤーイベントとして各地で花火大会が開かれ、二次元系MMOの花火とは一線を画す代物である打ち上げ花火は非常に好評であった。
8月27日の修正(鍛冶屋冬の時代到来)
- 2003年8月27日〜2004年6月30日
- 鍛冶屋冬の時代到来。この日、コーエーは陰陽の時代を緩和するために、全体術のヘイトを上げ、守護の出る確率をかなり下げる措置をとった。しかし、これは意外な形で大問題となる。守護の発動率が下がったため、鍛冶屋が盾としては致命的に弱体化されてしまう。片や一所懸命を持つ侍は盾としての能力にまったく影響が無く、盾は侍一辺倒となった。一部の悪辣なユーザーは「鍛冶屋は炉にいればよい」とまで公言した。この後、6月30日に警護術が実装されるまで、根本的にはこの構図が残っていて、鍛冶屋は武将といった「侍が耐えられない敵」以外には不要というのが広まってしまった。
- 2003年10月1日
- 破砕撃の威力修正。大勢には微塵の影響もなし。
8月27日の修正2(忍者ソロの時代到来)
- 2003年8月27日〜?
- 不意打ちの強化、小型二刀流の防御半減撤廃など、忍者の攻撃力が全体的に強化される。しかし、徒党は依然として侍、僧、神、陰陽*3が基本の瞬殺徒党であり、忍者はソロに向うことになる。また、合戦対人などでは不意打ちは非常に強力で、合戦での近接の主役は忍者となった。
僧<薬師の時代
- 2003年9月3日、9月10日〜
- 以前より回復としての地位を僧に奪われていた薬師が失地を完全回復。9月3日には治療の気合消費量が減少、そして10日には活身が準備不要となる。このため、回復は薬師となり、逆に僧はこの地位から陥落してしまう。以後、当時メインであった瞬殺徒党には僧に代わり薬師がその枠に入った。
瞬殺の時代
- 2003年9月頃〜2004年6月30日
- 侍侍陰陰陰神薬の瞬殺徒党が流行る。これ以外の、鍛冶、僧、忍者は不遇が明確になる。以後、この3職の不満とともに長く進むことになる。通称6月30日パッチで終焉するが、現在まで大きな影響を残している時代である。
出奔固定徒党援軍の時代
- 2003年9月頃〜2003年11月19日
- 当時出奔後再仕官は、ゲーム時間で30日(つまり30時間)であった。そのため、合戦が終わる寸前に出奔、30時間経過した後同盟国に仕官して次の週の合戦に参加するという行為が横行。また、当時は隊列ではなく、徒党員の組み合わせによって名前が付いた(七人の侍、一富士二鷹三茄子など)。中には相当強力なものがあり、合戦はこれの強力なものが付いた固定徒党をとめる術がなく、無敵の徒党が援軍に来ると、その徒党だけでひっくり返されるという状態であった。11月19日に修正
越中追加
光の矢黒レシピの時代
- 2003年8月頃〜2004年14日
- 光の矢が高収入生産品として注目される。2003年9月17日に銅板が追加されて黒字が減るが、いまだに黒字であり、これは価格自体が修正される2004年4月14日まで続いた。
狩りの様相が変わる
- 2003年9月24日
- NPCとの経験値等が調整。泣き男や辻斬り、野武士がおいしくなり、それでレベル上げをした後瞬殺徒党に行くという方式が流行るようになる。また、NPCの沸きがはるかに遅くなり、狩場が取り合いになり殺伐となったため、不満が出る。これは10月1日にやや修正される。
瞬殺徒党の絶頂期
- 2003年10月頃
- 侍侍陰陰陰神薬の瞬殺徒党で上野の鉄砲狩人を倒す狩りが流行る。金銭的、経験的に非常にうまく、これに入れない鍛冶、僧、忍者の、徒党における不遇が決定的になる。一所×2>攻撃呪霧>煉獄×3で相手が全滅、与生気を使って回復、次へ、というすさまじい効率であった。
将星録サーバー開始
- 2003年10月8日
- 5つ目のサーバー、将星録がサービス開始。初期状態は天翔と同様で中立スタート
風雲上杉家滅亡
- 2003年10月22日
- 風雲上杉家が滅亡。滅亡寸前には公式でも取りざたされるなど、他のサーバーでも注目された。もともと初期3サーバーで上杉家は挟撃の状態でのゲームスタートで困難であったが、風雲上杉が一番最初にこれを体現することになる。なお、滅ぼしたのは武田家で、越中も一緒に入手した。
大名敗走
合戦仕様の変更(武将狩り)
- 2003年11月19日
- 仕官日数は実時間化。これによって、出奔後再仕官しての援軍は不可能に。徒党構成による隊列名は廃止。そのため固定徒党は以前よりも強くは無くなった。勝敗は陣取りとなり、以前のように足軽狩りメインから、武将狩りがメインになる。また、以前はばらつきがあった合戦NPCの強さが一定になったほか、カウンターと呼ばれる、全勝、即反撃が可能となった。
合戦仕様の変更(ソロ突撃の時代)
- 2003年11月19日〜2003年12月03日、12月24日〜2004年12月15日
- 疲労度の導入によって固定徒党であっても長時間は居座れなくなる。そのため、ソロで特攻、死亡、転生、再度特攻で、武将を狙う徒党を延々と足止めする方式がとられた。これは延々と動けなくなり、戦闘を強いられるため問題となった。その後、12月3日には怪我状態では叩けなくなったこと、24日には降参という逃げ道ができたため、特攻は下火となった。しかし、依然として有効な戦法ではあったが、飛龍の導入で兵種がでてきたため、次第に廃れた
アクティブNPCの襲われ範囲増加、入手金銭大幅減少
- 2003年11月19日〜2003年11月21日
- レベル50キャラがレベル5の盗人に襲われるようになる。これには不満が噴出した。また、戦闘後の金銭が一気に減る。これにも不満が噴出。2日後の21日にどちらも修正された。しかし、金銭については19日のアップデートで9月24日以前にもどしたとされ、それが過剰に低くなった不具合の修正となっているが、本当に9月24日以前の状態にもどしたのかは怪しい
神楽祭り
- 2003年11月26日〜12月3日
- 。第1回の花火のような、クエストの報酬に追加されただけのものではなく、アイテムを集めたりなどをする、信長における初の本格イベント。供物、各種の変身薬などが配られた。しかし、目玉であった神楽祭の七支刀は、剣を元にしたためもともとついている属性付与に加え、イベントで付く付与が当時としては相当に高性能なものとなったが容易に制作可能であった上、全職装備可能になったために、完膚なきまでに杖(菩薩の錫杖)の需要を食いつぶして非難を浴びた。その後こういったイベントは開かれなくなったが、杖の需要は相当の時間食いつぶされた状態となっていた。現在では本数が減った上、涙などの普及で意味は薄れたが、現在でも準一線クラスの性能を持つ七支刀を保有している人がいる。信長では記念すべき初大規模イベントであったが、1週間しか期間がないため、楽しめない人が多かったなど、課題が多く残ったイベントでもあった。
風雲上杉が全鯖初の復興戦を起こし復興
- 2003年11月26日〜12月3日
- 初の復興戦と初の復興が起こる。上杉家が武田家の支配から逃れて越後を回復。しかし、折り悪く神楽祭りの期間は1週間しかなく、復興戦と思い切りかぶってしまった。なお、神楽祭りと合戦がかぶった勢力は他にもあり、不満が起こった。
援軍先の仕様変更
- 2003年12月10日
- 援軍は友好票最上位の1勢力のみとなる。従来、複数同盟国で起きた場合、どちらに参戦するかはPCしだいであったが、これによってどちらかに参戦するかは国勢によって決定されることになった。
本願寺、朝倉、浅井実装
- 2003年12月17日
- 初の新勢力実装。本願寺・朝倉家・浅井家の3勢力、および、加賀・越前・近江・伊勢の4カ国が追加される。また、同時に竜の涙も実装。当時4時間で沸き、涙を落とす青龍はキャンパーと呼ばれる人でごった返し、取り合いとなった。
第2回花火大会
- 2003年12月24日〜2004年1月7日
- 第2回花火大会が開始。内容は第1回と変わらず。
カウンターが1週あくようになる
- 2004年1月21日
- その週に防衛が全勝すると軍資金が減らず、その次の週に合戦が、攻防逆転して起こる、いわゆるカウンターができなくなる。しかし、1週を開けるだけであり、依然カウンターと呼ばれるものは存在する。
Win版サービス開始。烈風伝サーバーサービス開始
- 2004年2月4日
- ウィンドウズ版「信長の野望オンライン」がサービス開始される。また、同時に6つ目のサーバーである烈風伝がサービスを開始。烈風には他のサーバーからの移住者も多く、後にしばらくコーエーは体験版アカウントでこのサーバーに集まるのを危惧し、新キャラの製作に制限をつけた。また、PCとPS2による2アカウントの波が強まった。
追儺式開始
- 2004年2月4日〜2月18日
- 神楽祭りに次ぐ、大規模イベントの2回目が実装。前回の反省を生かし、2週間行う、報酬はあくまでおしゃれ用など、改善が見られた。黄色に染められる鬼女の血が大好評。しかし、出る確実な条件がいまひとつ不明確ではあったので、多くの人が奮戦した。鬼の角は、グラフィックは現在の鹿角立物であるが、頭巾などにも取り付けられるため、現在でも貴重品として人気はある。参考:追儺式,追儺式情報
国力上昇に制限が付く
- 2004年2月18日
- 国力が1週間で上昇する値が最大で10になる。以前は上限が無かったため、廃人数人で合戦で減る分だけの国力を無理やりあげることができ、滅亡がなかなか起きないという問題があった。この日以降、この方法で無理やり守っていた国は非常に辛い立場になる
不意打ち忍者徒党出現
- 2004年2月頃〜2004年6月30日
- 究極の偏職徒党ともいえる、不意打ち忍者徒党が出現。従来最上の経験とされた上野の鉄砲狩人を忍者7人全員で隠れ身をして、不意打ちをして倒すという徒党。これにより、忍者は(擬似的にではあるが)徒党でのレべリングが可能となり、薬師の劣化として入れる可能性があった僧と、根本的に誘われるのが困難である鍛冶屋とで、不遇3職中のさらに不遇として鍛冶屋が最不遇となる。
鍛冶屋の不満爆発
- 2004年2月下旬〜2004年6月30日
- 従来より不遇職とされていた鍛冶屋は、不意打ち忍者徒党の出現で、徒党戦闘レべリングで稼ぐことが困難な唯一の職、つまり最不遇となったが、ここにきて不満が爆発する。当時公式掲示板は100件以上になると表示が重たくなるため作り変えるのが慣例であったが、この鍛冶屋の改善要求は、警護実装までに400件近くという当時としては驚異的な長さとなった。逆に上方修正反対の意見は「生産職だから戦闘は弱くてよい」「武将にはさそわれる」という反対意見が主に別の職から飛んだが、鍛冶屋の爆発を抑えるにはまったく意味が無かった(むしろ優遇職からの反対は、この改善要求にいっそう油を注ぐことになった)。結局この問題は警護術の実装や、鎧鍛冶といった特化の追加で改善された。
新勢力、新国実装、生産レシピ調整
- 2004年4月14
- 本願寺・朝倉家・浅井家の3勢力の実装に続いて、足利家、三好家、伊賀忍、雑賀衆の4勢力、山城、摂津和泉、大和、伊賀、紀伊の5国が実装。畿内が完全実装されたことにより、地図は現在の姿に。なお、信オンは当初この状態で始める予定であったが、サービス参加人数を危惧して最初は、浅井などをふくむこれらは実装しなかったという。なお、三輪山実装と同時に入山条件である四神クエストが実装。
生産品の売却価格が調整
- 2004年4月14日
- 多くの生産品の売却価格が調整される。これにより従来黒レシピといわれていた多くの生産品(金砕棒、光の矢、八方手裏剣、炸裂弾)が赤字になる。これ以降、鍛冶屋は残った黒レシピである小刀、車手裏剣に収入の活路を求めることになる。一方神職は、最大の黒レシピであった光の矢と、それに次いでいた炸裂弾が赤字転落したため、付与石以外では生産で稼ぐのが困難となった。
警護術間違えて目録に出現
- 2004年4月14日〜4月21日
- 鍛冶屋の不満の結晶でもある警護術が、誤って目録に実装。ただし中身が無かったために使用はできず、1週間後には消去された。
大名敗走2
- 2004年5月5日
- 2003年11月19日に徒党名が廃止されて隊列が実装されたため相対的にPCは弱体していたのと、陣のために一定時間で陣が元に戻ってしまうため、それ以降大名が討ち取られることは無かった。が、その状態において初めて大名が討ち取られる。半年振りのことである。討ち取られたのは群雄伝で、討たれたのは今川義元と朝倉義景の二人で、義元は2回、義景は1回敗走した。これ以降、飛龍実装まで再び大名は倒されるようになる。6月2日には三好長慶が初めて敗走した
東西大合戦
6/30パッチ1・特化技能、潜在能力導入
- 2004年6月30日
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特化目録と、それにともなう特化技能が出現。内容は現在と同じ。断片集めでダンジョンは人が増えたが、断片集めはどちらかといえばダルかった。
また、潜在能力が導入されて、技能枠が増やせるようになる。これにより知力振りの必要性が若干薄れることになる。
6/30パッチ2・アイテム関連の変更
- 2004年6月30日
- 装備に補正が実装。これにより品物の寿命が、種類によって代わるようになる。また、装備改修の価格が大幅に変更された。このため、一生物が一時的に消滅した(しかし、涙の普及とともに現在はかなり復活している)。また、生産品は耐久度の数値の重要度が増した。なお、その後装備が削れ過ぎるという不満が起こり、主に盾職の装備は全体的に物理、妖術補正が上向き修正された(7月7日)
6/30パッチ3・瞬殺徒党、忍者徒党の終焉
- 2004年6月30日
- 特化技能の実装により、侍侍陰陰陰神薬の変則瞬殺徒党時代は実質的に終焉する。また、特化技能の実装とともに不意打ちの威力が15%下げられたこともあり、忍者徒党は実質的に終焉した(ただし2006年に入って再復活している模様)。
七夕祭り
- 2004年7月7日〜7月21日
- 七夕祭りが開催。敵を倒すと紙片がでて、それを集めると作ることができる短冊を飾るというイベントであった。今までのイベントのなかでは、どちらかといえばまったりしたものだった。
大名敗走3
- 2004年7月21日〜
- この週、群雄伝サーバーにおいて初めて上杉謙信が討ち取られる。謙信はサービス開始時には唯一レベル60設定であった大名で、過去に討ち取られたことがなかったが、ついに討ち取られた。また、その先週には武田信玄が討ち取られた。その後大名は討ち取られることが多くなった。
大名強化
- 2004年9月22日
- 7月に信玄と謙信が討ち取られると、再び大名は落ちることが増えた。そして、8月半ばに1回の合戦で信玄が4回も討ち取られるに及び、大名のアルゴリズムが強化された。そのため、謙信は落ちなくなった。しかし、信玄はまだ討ち取られ、最弱という説もある斎藤道三はいまだ討ち取られていた。その後の飛龍の章実装で、大名は討ち取られなくなる。
大感謝祭
大感謝祭
- 2004年11月17日〜2005年1月26日
- 飛龍実装を記念して大感謝祭が実施される。内容はゲーム内で茶店娘にはなすことで参加でき、抽選で実際に「お米」が送られてくるというもの。参加賞は飛龍記念餅。
以下、飛龍。
飛龍の章歴史年鑑?に続く?