0.とある喫茶店の前 PM0:00
「あっ!」
明らかにスピード違反のトラックが通り過ぎた後のこと、叫んだ時にはもう遅かった。
わたしがつい2秒前まで被っていた帽子が空高く舞っている。さらに、風に運ばれて遠くに消えていく。
追いかけようにも、車通りの多い道路に阻まれている上に信号は赤色。だけど、すぐに変わりそうだ。
「そう君、先に入ってて! 帽子探してくる!」
彼には喫茶店で待っててもらおう。
信号が青になった時にはもう、帽子を見失っていた。
どこ行っちゃったんだろう? 手がかりは方向しかない。
「ホントにもう、ツイてないよ……」
嘆いている場合じゃない、早く見つけないと。でも――
「やっぱり、走るのはムリ……暑い……」
さっきまで帽子で遮っていた日の光が頭に直接当たって、急に暑くなってきた。
「お冷やだけ飲んでから探せばよかった……」
1.制服の少女とその友達 PM0:05~1:05
「あら?」
友達と二人で映画館へ向かっている時、ふと自分の前に影が出来た。上を見ると、白い物が宙を舞っている。
「帽子よねぇ……よっと」
「どうしたの、ゆかり?」
立ち止まり、帽子に手を伸ばす。二回ほど掴み損ねて、三回目でようやく帽子を掴めた。
「ねーえ、帽子拾っちゃった」
「拾ったって言うか飛んできたんでしょ。すぐそういうの手にとって……いいとこのお嬢様なのに」
お嬢様かどうかはわかんないけど、確かに拾ったとは言えないかしら? とりあえず、帽子を見てみる。真っ白で真ん丸い形で青いリボンのついた可愛いデザインの帽子。裏側を見てみると、小さく名前が書いてあった。
「名前があるわねぇ。『泉かなた』さんのだって」
「どうするの? 貰っちゃう?」
「ダメよぉ、探してるかも知れないじゃない」
「じゃあ、交番があったら届けよっか」
「そうしましょ」
帽子を被って、また歩き出す。
「って、ゆかりったら、帽子被ってるじゃない」
「だってぇ、日差しも強いし。あなたは私服で帽子被ってるけど、わたし制服だし」
「補習だったからでしょ。本当は午前中の映画を見る予定だったのに、ゆかりが昨日の補習サボるから今日の予定が狂ったんじゃない」
「細かいこと気にしちゃダメよぉ」
「はぁ……あんたって、絶対に一人じゃ生きてけないよ?」
「失礼ねぇ」
映画までけっこう時間があるから、しばらくデパートの中をうろつくことにした。本屋に入ったり服を見たり、暇つぶしにはもってこいね。
「あっ、あの帽子。ゆかりが被ってるのに似てる」
「ホントねぇ。ここで買ったのかしら?」
結局二人ともなにも買わずにデパートを出た。
「お腹すいたわねぇ。なにか食べない?」
「そうね、まだ時間はあるし。あっちに安くていい喫茶店があるから行こっか」
そこから十分くらい歩いて、着いたのはオシャレな感じの喫茶店。店先に黒板が置いてある。
「本日のオススメは……ってアレ?」
どうしたのかしら? 黒板を見てみると、書いてあったのは店のメニューとは全然関係ないことだった。
『愛するかなたへ なかなか戻ってこないから探しに行く。戻ってきたなら、一時に駅前で待っててくれ』
「これって、伝言板だったかしら?」
「違うわよ。それより、このかなたって人」
そう言ってじっとわたしの顔を見てくる。
「やーねぇ、わたしはゆかりよ?」
「違うってば! その帽子の持ち主!」
「……あ~! そういえば!」
帽子を取って、裏側を見る。確かに、かなたって人のだ。すっかり自分の物だと思ってたけど、拾い物だっけ?でも飛んできた物だから拾い物じゃなくて……飛来物ね。
「忘れてたの? で、どうするの? 映画までは時間あるけど……」
「飛来物だし、返しに行きましょ」
「飛来物って? まあ、いいか。それなら早く行こう。一時までもうすぐだし」
お昼抜きはつらいけど、帽子を返すために駅前まで歩く。ダイエットにはなるかしら。
「どんな人がくるかしらねぇ」
「帽子返したらそれっきりでしょ。あ、でもお礼は貰えるかも」
「そんな期待しちゃダメ。岩崎君に嫌われちゃうよぉ?」
「か、関係ないでしょ! 誰から聞いたのよ? そっちこそ高良君……アレ?」
「なぁに、どうしたの?」
視線を追うと、すごい速さで近づいてくる自転車が見えた。
「アレかしら?」
「そこのキミィィィ!」
高いブレーキ音を鳴らしながらわたしたちの前に止まる。
「的中ね」
「その帽子をどこで拾った!?」
「拾い物じゃなくて、飛来物ですよぉ」
「だから、拾い物でいいんだって」
「そんなことより! 病院の場所をしってるか!?」
『病院?』
思わず顔を見合わせる。予想外の展開。
「ええ、知ってます――」
「よし、この子を借りてくぞ!」
「えっ? あら、ちょっと……まぁ~ってぇぇ~!」
「ゆかり!?」
いきなり自転車に乗せられたと思ったら、次の瞬間には走り出していた。道を教えるってこういうこと?
「もう! 今日の映画楽しみにしてたのにぃ!」
「さぁ、病院はどっちだ!」
「次の交差点を左です! って、まだ赤信号です……やめてぇ~!」
2.公園のベンチに座る女性 PM0:15~0:50
「もう、財布を忘れるなんて……うっかり者なんだから」
今日は久々に実家に帰って結婚式の予定を話し合っていた。その帰り、彼がふと自分の財布がないことに気付き、取りに戻っている。
ちょうど近くに公園があってよかった。この暑い中、立って待ってるのは辛い。公園に入り、近くにあったベンチに腰を下ろした。
木陰にあるので他の場所より少し涼しい。
「ここから家まで往復――十五分くらいね。財布を探す時間も含めて二十分くらいはかかるかしら」
なにもしないで待つには少し長い。そう思いわたしはカバンから本を取り出す。今日実家に来る途中、開店と同時に本屋で購入したばかりの本。
ずっと楽しみにしてたから、帰ってからゆっくり読みたかったし、本を読んでると途中で止められなくなるのがわたしの癖だけど……時間も空いちゃったし。
「冒頭をちょっと読むくらいなら、ね」
そう自分に言い聞かせて本を開いた。
この本の著者は泉そうじろうという。彼は、最近売れ出してきた作家で、わたしは彼のデビュー作を読んで大ハマリし、今では新刊を発売と同時に買っている。
しばらくの間、暑さも忘れて本に集中していた。活字を読んでいるハズなのに、頭の中ではその場面の映像が流れているような感覚。うるさい蝉の鳴き声もいつの間にか消え、登場人物の会話が頭の中に直接聞こえてくる。
しかし、そんな感覚は目に走った一瞬の違和感でかき消された。目の中に汗が入ったみたい。
ちょうどキリのいい所まで読んだ後だったので、そこで本を閉じた。それと同時に暑さが蘇ってくる。
「みき」
名前を呼ばれたのでそちらを向く。立っていたのは予想通りの人物。
「ただお君、お帰り」
「待たせて悪かったね。じゃあ、行こうか」
恐らく彼は走って来たんだろう。大分汗をかいている。
「ちょっと休んでから行きましょう。すごい汗よ。ほら、お茶でも飲んで」
「ありがとう。じゃあ、そうしようか」
カバンから、タオルで包んだお茶のパックを取り出して彼に渡す。
わたしも同じお茶を飲んでいると、公園の隅、水飲み場の所に人影が見えた。水飲み場からこちらを愕然とした表情で見ている。
中学生くらいかしら? 青いブラウスに白いスカートを穿いた女の子。気付かれないように横目で見ていると、すぐにガックリと肩を落として歩きだす。公園から出るみたい。
少女はわたしたちの近くにある出入口に向かって歩いていた。近づくにつれ、少女の顔がよく見えるようになる。
「……ねぇ。あの子、大丈夫かしら?」
「うん? あの子かい? ……確かに元気がなさそうだね」
少女の顔色は真っ青だった。汗で服が湿っているのが見て分かる。目も虚ろで足取りはフラフラだった。
「ねぇ、キミ。大丈夫? 元気なさそうだけど……」
今にも倒れそう。そう思った時、反射的にわたしたちの前を通り過ぎようとした少女に声をかけていた。
少女は足を止め、ゆっくりと振り向く。ムリをしていると一目でわかる笑顔をしていた。
「ええ、平気です。気にしなぃd――」
言い終わる前に少女が膝をつき、ゆっくりと横倒しになる。いきなり過ぎて、対応が一瞬遅れた。
「……ねぇ、しっかり! 誰か来て、中学生くらいの子が! ただお君、救急車呼んで!」
しかし、公園に公衆電話はない。どうしたら……
「近所の家で事情を話して電話を貸してもらうよ。氷かなにかも貰ってくる」
彼は冷静だった。そういい残して公園から出て行く。
とにかく、汗を拭かないと。ベンチの上に寝かせて、もっていたハンドタオルで少女の顔の汗を拭く。
しばらくして、桶のような物を持ったただお君が帰ってきた。中には氷枕と水が入っている。
わたしは氷枕を少女の首の裏に当て、タオルを濡らして汗を拭いた。遠くから、救急車のサイレンが聞こえてきた。
「わたしは付き添うから、ただお君はそれを返してきて」
「ああ。あんまりムリはしないようにね」
ドアが閉まる寸前、ただお君が誰かに話しかけられてるのが見えた。救急車が走り出す。
気になって後ろを見ると、自転車が追いかけてきている。ただお君は……なぜか紙袋を二つ持っている。
「あの、この子の症状ですが……」
「あ、はい」
医者の声に振り向く。どうやら軽い熱中症らしい。少女の身体のあちこちに氷枕のような物が当てられている。後ろを見ると、追いかけてきていた自転車は見えなくなっていた。
3.青いブラウスの少女? PM0:20~0:35
帽子はどこにいったのだろうか? そんなことは、もうどうでもよかった。帽子なんてもう諦めている。お気に入りだったけど、色も形も同じ帽子なんていくらでも売ってるよね。今日も同じような帽子を見かけたし。
そう君の待つ喫茶店に戻りたい。でも、戻れない。その唯一にして最大の理由――
「ここ、どこぉ……」
いつの間にか街から住宅街に迷い込んでいた。そろそろ頭もぼんやりしてきた。
「もぉダメ……死んじゃいそう……」
帽子の乗っていない頭に両手で申し訳程度の日陰を作りながらフラつく足で歩く。
とりあえず、日陰を探そう。水分補給出来る場所も。最悪、その辺の家に駆け込んで――っん?
「あれって……公園だよね?」
住宅街の外れ、たくさんの木が植えてある空間が見えた。近づいてみると、やっぱり公園だった。
公園なら水飲み場も日陰もあるよね? 期待を胸に公園に入った。
水飲み場は確かにあった。『故障中』の張り紙つきで。ベンチにはすでに人が座っているけど、あと一人くらい座れそう。入れて貰おうかな?
そう思っていると、男性が公園に入って来た。ベンチに座っている女性の隣に座り、お茶を貰っている。
しまった、もう少し早く行動していれば……
もう、ベンチに座るスペースは無い。水も飲めない。ちょっと、いやかなり泣きそう……
もう公園を出よう。元来た出入口ではなく、公園を通過する形で反対側の出入口から出ようと歩き出す。
「ねぇ、キミ。大丈夫? 元気なさそうだけど……」
振り向くと、ベンチに座っていた男女が心配そうにわたしを見ていた。わたしは無理やり笑顔を作る。
「ええ、平気です。気にしなぃd――」
言い終える前に、わたしをとてつもない眩暈が襲った。上下左右の感覚が無くなり、世界がグルグル回る。気付いた時には頬に熱い地面の感触があった。
「――ねぇ――り! 誰――て! 中学生くら――! ただお君、救急――!」
――中学生って……わたし、もう二十五だし結婚も……
4.付き添ってきた女性 PM1:05~1:10
病院の対応は早かった。救急車に乗っていた医者から説明を受け、その間に少女の湿った服を着替えさせ、この病室にを寝かせた。聞くと、救急車内で処置はもう済んでいるので、あとは目を覚ますのを待つだけらしい。
「さっきまではそんな余裕なかったけど、可愛らしい顔してるなぁ」
そっと頭を撫でてみる。よく手入れされているのか、髪の毛はサラサラだ。
「あら? 顔に砂がついてる」
全部払ったと思ったんだけど。軽く頬を払う。柔らかい肌だった。
「……ふぇ?」
頬を触っていたら、気の抜けた声と共に少女が目を覚ました。どうやら起こしてしまったらしい。
しばし見詰め合っていると、だんだん少女の顔が強張ってきて――
「……きゃぁー!」
いきなり悲鳴をあげられた。さらに、わたしの手を振り払ってわたわたとベッドの上を逃げ惑い。
「うわぁ!」
ベッドから落ちた。一体なんなんだろう? わたしってそんなに怖い顔だったかしら?
少女はなかなか起き上がらない。覗き込んでみると、ベッドの陰に隠れて涙目で震えていた。
「ねぇ」
「ひぃっ……! あなた……ここは……!?」
ひぃって、どこまでわたしを傷つければ気が済むんだろう?
「あのね、落ち着いて。怖がらなくても大丈夫よ。ここは病院。あなたは暑さで倒れてここに運ばれたのよ」
5.制服の少女と青年 PM1:10~1:15
「よし、やっと着いた!」
「はぁ……怖かったぁ」
よく生きてここまで来れたと思う。あんな大通りの信号を無視するなんて……
「よし、今行くぞ、かなた!」
「えっ?」
宙に浮いている足。わき腹に体重がかかっている。わたしは、彼の小脇に抱えられている。
「ちょっ……自分で歩けますよぉ!」
「いいから、着いてきてくれ!」
「着いていくから降ろして……せめて、お姫様だっこに……」
しかし、わたしの訴えは聞いて貰えず、そのまま院内へ入っていく。彼は一直線にカウンターへ――
「あら? この高さって……ねーえ、ちょっと待って……っ!」
予想していた衝撃は来なかった。恐る恐る目を開けると、鼻先数センチの所に壁がある。ギリギリセーフみたい。
「さっき、髪が長くて背の低い女が運び込まれただろう? 案内してくれ、身内なんだ」
上を見ても、カウンターが邪魔して様子が分からない。誰かのお見舞いみたいだけど。
「早くしてくれ!」
「あいた!」
いきなり迫ってきた壁に顔を押し付けられた。
「痛い……ちょ、降ろして……たすけてぇ~」
手足をバタつかせるけど、全然降ろしてくれない。
「わかった! そこの病室だな」
やっと顔が壁から離れた。鼻血は……出てないみたいね。
「ちょっとぉ! 気をつけてくださいよぉ!」
でも、彼には聞こえてないみたい。走っちゃいけないハズの廊下を全力で走り、ある病室の前に立った。迷いなく扉を開く。
なんでもいいけど、早く降ろしてくれないかしら?
6.少女の外見をした二十五歳の既婚者 PM1:10~1:15
目を覚ますと、目の前に女性の顔があった。思わず悲鳴をあげて逃げるけど、すぐに足場をなくしてずり落ちる。ちょうど、ずり落ちた先に隙間があったので、そこに逃げ込む。
――ここどこ? あの人……わたしになにしようとして…… もしかして、そのテの人? そのテの人に誘拐されちゃったのかな……? わたし、女の人に襲われちゃうの?
「ねぇ」
急に声をかけられて慌てて振り向く。さっきの顔がわたしを覗き込んでいた。
「ひぃっ……! あなた……ここは……!?」
思わず情けない声を出してしまった。
「あのね、落ち着いて。怖がらなくても大丈夫よ。ここは病院。あなたは暑さで倒れてここに運ばれたのよ」
「……へっ?」
目の前にあるのは真っ白のシーツが敷かれたベッド。飾り気のない地味な部屋で、スライド式の大きな扉がある。ベッドの近くには、ナースコールらしきインターホンがある。わたしが着てる服も、入院患者のものだ。
「……病院だね」
落ち着いてみれば、なにからなにまで病院だった。
「って言うことは、あなたはそのテの人じゃないんですね?」
そう言うと、女性は顔を引きつらせた。しまった、よけいなことだった。
「ええ。わたしはみきっていうの。キミ覚えてないの? 倒れた時のこととか」
倒れた? わたしがこれまでのことを思い出す。
「ええと……道に迷って公園に着いて……ああ! あのカップルの人? じゃあ、彼氏さんは?」
「病院まで付き添ったのはわたしだけなの。彼は水と桶を借りた近所の人にお礼を言いに行ってるわ」
カップルで居たということはデート中だったんだ。邪魔しちゃったみたい。
「よくわからないけど……デートの邪魔しちゃいましたね……ゴメンなさい」
「気にしないで。キミが悪いんじゃないから。それより……」
「それより?」
「そろそろ、そこから出てきたら?」
わたしは、下半身をベッドの下にしたままだった。
――あ、あれ?
「どうしたの?」
「なんか引っ掛かっちゃって……出られない」
どうしよう。そう思った時、急に病室の扉が開いた。
「かなた!」
どうしてこの場所がわかったのかは知らないけど、彼は現れた。
「そう君! ……その娘はだれ!」
謎の女子高生を連れて。
「知り合い?」
「わたしの夫と、知らない女子高生です」
みきさんが目を見開いた。
「夫って……中学生じゃ……えっ? いま何歳?」
「中学生って……わたしは二十五で既婚です!」
7.怒りのかなたさん PM1:20~1:30
ベッドの下から救出されたあと、そう君の話を聞いた。
そう君の行動は、喫茶店に伝言を残して、途中で自転車を拾い、公園でわたしを乗せた救急車を発見。みきさんの彼氏に話を聞き、救急車を追っている途中でわたしの帽子を被った女の子を見つけて、その子を道案内にしてここまで来た。と言うものらしい。
「で、みきさんの彼氏に荷物を預けた上に、この娘を道案内役として拉致したの?」
「拉致とは失礼な。ちゃんと同意を得た上での同行だぞ」
「高良ゆかりちゃんだっけ? ホントにヒドイことされなかった?」
「えーっとぉ、まずはいいって言ってないのに強引に連れてかれて。信号無視とかしてすごい怖かったです。あと、抱えられてた時に受付の壁で顔を打ちました。あ、この帽子、返します。飛来物です」
「飛来物? とにかくありがとう。ほら、全然同意してないじゃない! 危ない目にも合わせて! それに抱えてる時にヘンなところ触ってたんでしょ?」
「断じて、そんなことはない! ただ小脇に抱えてただけだ!」
「小脇に抱える時点でおかしいよ!」
ホントに、信じられない。おぶったりするのが普通なのに。……叫んだら元々痛かった頭がさらに痛くなってきた。ムリはするものじゃないね。
「とにかく! 罰として、みんなにお菓子と飲み物買ってきてね。自腹で」
どうやら諦めたのか、そう君はトボトボと部屋から出て行こうと扉を開いた。
「……」
「あー、なんだ。お取り込み中だったから待たせて貰ったけど、ケンカは終わった?」
どうやら、お医者さんはずっと待ってくれていたらしい。悪い事しちゃったかな。
8.カウンセラーかなたさん 2:30~
わたしは様子見で一日入院することになった。そう君は駄々をこねていたけど、ちょっと怒ったら渋々承諾した。今は、色々と買出しに出かけている。
あれからけっこう時間が経つけど、みきさんもゆかりちゃんも病室に居る。二人とも、今日は予定があったんじゃないかと聞いてみたけど、ゆかりちゃんは『かなたさんが一人になっちゃうじゃないですか』と言って残っていて、みきさんもそれに頷いていた。
「ゆかりちゃんって陵桜学園なんだ。頭いいんだね」
「そんなことないですよぉ。友達に頼りっぱなしです」
「彼氏とかは居ないの?」
「居ないですねぇ」
「いくらでも出来そうなのにね。ちょっと天然っぽくて可愛いし」
けっこうスタイルもよさそうだし、羨ましいなぁ。わたしなんて……
そう言えば、さっきからみきさんが元気ないね。
「みきさんどうしたの? 元気ないよ?」
「……ねぇ、かなたさん。ちょっと相談したい事があるんだけど、いいかしら?」
みきさんが急に真剣な口調で言った。
「え、相談? いいけど……あんまり役に立てないかもしれないよ?」
「じゃあ、その時はわたしが相談に乗ります」
「気持ちはありがたいけど、かなたさんじゃないとダメなの」
「え~、そうなんですかぁ……」
わたしじゃないとダメって、どんな相談なんだろう?
「かなたさん。旦那さんと結婚する時、不安にならなかった?」
みきさんが相談してきた内容は、予想したより遥かに重かった。
えーと、つまりこれは……今流行の――
「マリッヂブルーってやつ?」
「えっ? じゃあ、みきさんって失踪中なんですか?」
「ゆかりちゃん……それは極端な例だから。そんな話どこで聞いたの?」
「この間、担任の先生が居なくなってぇ、みんなマリッヂブルーだって」
「……まあ、それは置いといて、みきさんは不安なんでしょ? どうして?」
「実は、彼の家は神社なんです」
みきさんの話を聞くと、みきさんの彼は若くして実家の神社を継いだらしい。彼女の不安は、普通の家庭とは違う環境でうまくやっていけるかどうかというもの。
「確かに、特殊な職業だよね」
そう君は作家だから、わたしも人のこと言えないけど。
「神社のお給料ってどこから……お賽銭? 小銭ばっかりねぇ」
「それじゃ生活できないよ。他にも寄付して貰ったりとか、色々あるみたいだね」
「ええ、お金に心配はないの。でも、わたしは神職のことなにも知らないから彼に迷惑かけちゃうかもしれないし、彼の負担になりたくないの。でも、どうしたらいいか――」
「信じればいいんだよ」
「えっ?」
不安は誰にでもあると思う。新しいなにかが始まる時は、期待と一緒に不安も大きくなる。
「悩んでも悩んでも、不安や心配が小さくならない時は――」
そう君が本当に小説作家になれるか不安だったけど、その方向に背中を押したのはわたしだから。
「相手を信じて全部を預けて、後ろからついて行けばいいんだよ」
そう君は進むのが早いから、ついて行くのが大変だけどね。
「迷惑かけてもいいんだよ。夫婦なんだから。それで、相手が重そうにしてたら、後ろから支えて、背中を押してあげるの。その代わり、相手が持ちきれなくなったら今度は自分が相手の不安を預かるの」
「……かなたさんは、そうしてきたの?」
「そうだね。彼が頑張るから、わたしはついて行けたし、彼が頑張れない時は相談に乗ってあげた」
そう君は放っておくといつまでもウジウジ悩むから、背中を押してあげないと。
「まあ、わたしは預ける前に背中を押しちゃったから、預けるまでが大変だったけどね」
そう言うと、みきさんは少し笑った。ゆかりちゃんは、ポカンとした表情。ちゃんと話を聞いてたのかな?
「ゆかりちゃんも、いつか相手が出来た時、今の事を思い出してね」
「相手かぁ……出来るかしら?」
「ありがとう、かなたさん。わたしったら、なんで一人で悩んでたんだろう? 一番信じられる人がすぐ近くにいたのにね」
「たまには甘えてみなよ。ウチのそう君みたいに、甘えすぎるのも問題だけどね。高校を決める時も、大学を決める時も、中退して作家になる時も、いっつもわたしに甘えてきてね」
「えっ? 作家さん? 泉で……そう君……まさか」
みきさんがなにかぶつぶつ言っている。
「かなたさんの夫って、作家の泉そうじろうさん!?」
「そうだけど、よくわかったね?」
「大ファンなんです! 今までの作品は全部読んでるし、今日発売の新刊も買いました!」
「ちょっと……みきさん落ち着いて――」
みきさんが興奮してわたしに詰め寄ってきた。それと同時に、病室の扉が開いた。
「戻ったぞ……って今度はなにやってるんだ?」
「あ、あの! サインしてください!」
みきさんが、自分のバッグから本を取り出して、今度はそう君に詰め寄った。
「なんにしても、みきさんが元気になってよかったですねぇ」
「そうだね」
結局、みきさんは暗くなるまでそう君と本の話をしていた。そう君がたまに助けを求めるような視線を送ってきたけど、全部無視。わたしはゆかりちゃんとお喋りをしていた。
9.扉の前にて医者のぼやき PM5:00
もう二時間くらい経つか? いつまで喋ってるんだろコイツら……
いま入ってもいいけど、なんかものすごく気まずい感じがする。さっきみたいにケンカではないだろうけど……
結局、俺が回診の為に病室に入れたのは、その三十分後だった。
最終更新:2007年09月03日 17:45