ID:8EF9iIMg氏:L'amour Est Bleu

 水だ。辺り一面が水、水、水。いや、何も水をぶちまけたわけじゃない。それに風呂場でもプールでもない。
 しかしながらここに水があることは至極当然だろう。そしておそらく、これ以上たくさんの水を貯めておける場所は日本には存在しないと思う。

 そう、日本最大の“貯水池”、琵琶湖の真ん中に、私たちはいた。


L'amour Est Bleu
~マザーレイクと侘寂[ワビサビ]の心得~


 1.

 私たちが3年生になって早半年、終わってみればあっという間の夏休みも終えて少しずつ受験に向けて学年全体の雰囲気が殺気立ってきた9月だが、私たちは今一つ目の休戦協定、すなわち修学旅行の真っ最中だった。
 今年から修学旅行の行き先が京都・奈良から京都・滋賀に変わった。何でも、今年から我が陵桜学園が文部科学省のスーパーサイエンスハイスクールに指定されたとかで、どうやら理系科目に力を入れなければならなくなったらしい。
 その結果文系科目、すなわち日本の歴史に触れるための奈良よりも、琵琶湖の水質などの理系分野に触れられる滋賀県に行き先が変わり、しかもそのついでに修学旅行のコストまでもが下がった。昨年から集めていた積立金の額は例年と同じだったので、余った予算分のボーナスとして、私たちは琵琶湖の外輪船・ミシガンに乗って琵琶湖をクルージングできることに相成ったわけである。
 正直に言えば文系の私たちにとってスーパーサイエンスハイスクール指定など何の恩恵もなく(積極的に恩恵を享受しようとしなかった私にも責任はあるが)、むしろ文系蔑視とさえ思ったこともあったが、今回限りは陵桜学園が指定されて良かったと素直に思った。
 私たちの班は同じ3年C組からいつもの4人。小早川ゆたか、田村ひより、クラス委員長の若瀬いずみ、そして私、岩崎みなみだ。
 私は仮にも日本海運の先駆者・日本郵船の創始者にして三菱財閥の祖・岩崎弥太郎から続く岩崎家の人間だというのに――たとえ分家だとしてもだ――、未だに客船などに乗ったことがなかった。もちろん偶然といってしまえばそれまでなのだが、どことなく今までの18年近い人生を勿体なく過ごしてきてしまったような気がして、だからこそこの生まれて初めて外輪船で感じる大海原(いや、大湖原だ)を心から嬉しく思い、また強く惹かれていたのだ。

「パティちゃんもいれば良かったのにね」
 甲板の私の隣で、私と同じ風に当たっているゆたかが小さな声で言った。
「それは、言っちゃダメ」
「……ごめん。ちゃんと空港でお別れしてきたから、だよね」
「そう。帰ってしまっても友達だけど、すがりついてはいけない」

 そうだ。今年の3月に、パトリシアさんはオハイオ州に帰ってしまったのだった。彼女は埼玉県の姉妹友好州であるオハイオ州からの交換留学生で、留学期間が元々丸1年の予定だったことも知っていたから、いつかは別れの時が来ると頭では分かっていたつもりだったが、いざ春になってみるとやっぱり寂しかった。本人の前では泣くまいと決意を固めて羽田空港まで皆で見送りに行ったのに、最後の3秒、彼女がゲートの向こうに消えてしまう3秒前、涙をこらえることが出来ずに泣き出してしまった。パトリシアさんにも、そしてゆたか達にも、私が初めて見せた涙だった。

「うん、でも写真は送ってあげたいな」
「田村さんがいっぱい写真撮ってる。きっと喜ぶと思う」
「そっか。やっぱり田村さんが一番仲良かったもんね」
「そう……姉妹みたいだった」

 田村さんは外輪船に乗る前も乗ってからも、常にカメラを首から下げて写真を撮って周っている。それでも写真に追われることなく修学旅行を楽しんでいるようなので、私が心配することはないだろう。
 この船の名前から分かるように、滋賀県の姉妹友好州はアメリカ北東部のミシガン州である。パトリシアさんの住むオハイオ州の北隣にあるので、ひょっとしたら彼女は五大湖なんかも訪れたことがあるかもしれない。きっと日本の琵琶湖とはまた違った湖なのだろうとは思うが、残念ながら私はそこまで予習を深めてこの修学旅行に臨むことは出来なかった。

「ゆたか」
「何?」
「今夜も、みんなで一部屋だっけ」
「そうだよ。明日の夜だけ二人部屋」
「……そう。ありがとう」

 昨日の早朝に幕を開けた修学旅行で、新幹線から古都に降り立った私たちは京都駅からほど近い清水寺と金閣寺に行った。今日は滋賀県の大津港からミシガンに乗ったあと、琵琶湖博物館で琵琶湖の歴史や生態系について学び、明日は東山の京都市動物園や琵琶湖疎水と知恩院と南禅寺、そして最終日は嵐山と嵯峨野へ行き、北野天満宮で合格祈願をしてから新幹線に乗って東京まで戻る、というのが今後の予定だ。かつてのみゆきさんや今の私のような東京都民も陵桜学園にはわずかながら居るので、希望すれば東京駅からバスに乗らずに現地解散することも許されていた。

 もうすぐこの外輪船は、出発地の大津港とは対岸に位置する烏丸半島の琵琶湖博物館に到着する。私はゆたかに行こう、と小さな声で下船を促した。また大津港まで戻ってくる時に、湖の風に吹かれることにしよう。


 2.

 滋賀県立琵琶湖博物館は、全国でも珍しい、淡水湖をテーマにした博物館である。日本最大の湖をテーマにしているだけあって(そして世界でも屈指の歴史ある湖でもあるのだ)その展示品のボリュームも計り知れない。琵琶湖の歴史や、その周辺に生活していた人々と琵琶湖との関わり、“近畿の水瓶”として琵琶湖が果たしてきた役割などなど、学校の地理の授業でも生物の授業でも到底及ばないほど専門的な展示室を、私たち4人は知的好奇心とカルチャーショックを両手に抱えながら周った。さっきミシガンの甲板にいた時は、ここは海でもおかしくないとさえ思ったのだが、東西両方に岸があること、そこに橋がかけられていること、そして両岸の向こうにそれぞれ山々が連なっていることから察するに、これだけ巨大でもやはり琵琶湖は湖なのである。
 この琵琶湖博物館の最大の見所は、琵琶湖の水質と生態系を再現した水槽を“くぐれる”水族展示室である。厚さ数センチのガラスで水槽下部をトンネルが貫いていて、まるで湖底を歩いているかのように水槽を見上げることができる。

「ねぇ岩崎さん」
「どうしたの?」
 私より少し後ろを歩いていた若瀬さんが話しかけてきた。
「岩崎さんこういうとこ来るの?」
「……博物館とか?」
「っていうか、水族館とか」
「ひとりでは来ない、かな」
「だよね……私も中学の修学旅行で美ら海[ちゅらうみ]水族館行ったきりだわ」
「どうだった?」
 私も沖縄に行ったことはあるが、残念ながら美ら海水族館を訪れる機会には恵まれなかった。水族館なんてどこでも同じと思ったら、意外と各水族館によって売りが違ったりするのだ。
「美ら海?海水魚ばっかりでここと全然雰囲気違うわよ。こっちの方が変わってるのかな?淡水魚だから派手じゃないけど、いろんな奴がいて面白いよね」
「うん……私たちもそうかな」
「まあ、確かに私ら4人は派手ではないかな、失礼を承知で言えば」
「いや、そんな意味じゃ」私は慌てて失言をフォローする。
「あはは、分かってるよ。岩崎さんそんなこと言う人じゃないしね」
「ごめんなさい……」
「謝りなさんなって。癖になるよ?」
「……ありがとう」
 若瀬さんは私の背中をバシバシ、と叩いた。普段よりいささかテンションが高いのだろうか?修学旅行中だからはしゃいでしまう気持ちはよく分かる。分かるけれど、少しだけ背中が痛かった。

 ゆたかは田村さんと一緒に、その背中が見えないくらい、私たちよりも前を歩いている。私と若瀬さんは一度展示物に見入ってしまうと周りが見えなくなってそのまま置いてけぼりを食らうという大変間の抜けた点が共通していたようで、私はゆたかに、若瀬さんは田村さんに、それぞれ自分たちのことは気にせずに先に行くように言っておいたのだ。

「しっかしアレだね、あの子らちゃんと展示物見てんのかな」
「うん……急ぎ足のようでも、あれでゆたかはちゃんと見てるから」
「問題は田村さん、か」
「田村さんのことは未だに分からないことがいっぱいあって……」
「見当つかないの?」
「うん……ごめん」
「いやいや、私だってそうよ。仲良くしてる私らがこんなこと言うのも何だけどさ、あの子のことは正直よく分からないわ」
「若瀬さんでも?」
「いやいや、あんたらの方が付き合い長いんじゃないの?とにかく謎めいてるっていうのかな、冗談で自分でわざと作ったキャラがあるせいで、本心があんまり見えて来ないのよね。本人の性格の中に、“私とはこうあるべき”っていう形が出来てるから」
「そう……確かに、時々距離を感じることはある」
「でしょ?これは私がこの1年半彼女を見てきた推測でしかないんだけど、多分、自分は当事者より傍観者でいたいタイプなんじゃないのかって。だから私たちにもある程度は歩み寄って来てくれるけど、一定ラインよりも内側には足を踏み入れまいとしてる。例えばあなたと小早川さんみたいな、お互いが不可欠なくらい親密な関係っていうのが苦手なんじゃない?」

 それなら、田村さんは一体誰を心の支えとして生きているのだろう。考えようと思ったけれどやめにした。そんな無粋なことをして気分を盛り下げたくない。

「まあ、何にせよアレだわね」
「……何?」
「田村さんが一番周りが見えてないタイプだし、あとでちゃんと展示見たか聞きただしとかなきゃいかんわ」
「そう」

 ただ一つだけ言えるのは、田村さんだって私たちには不可欠だということだ。私もゆたかも、深く思いつめて全体が見えなくなったり必要以上に悩んだりすることがある。そんな時に田村さんはいつも、私たちの重荷を下ろすために手を貸してくれるのだ。1年生の頃の桜藤祭のチアダンスや長距離走の大会なんかがその最たる例で、私がゆたかへの接し方に悩んでいた時に彼女が解決策を示してくれた。
 だから決して彼女はこの水槽の水ではなく、私たちと同じ魚の一員であると私は思う。同じようにそばにいる人であっても、彼女と私の間に妙な距離を置くのはやはり、あるべき姿ではないと思うのだ。


 3.

「岩崎さんって意外と頭にタオル載せるの似合うよね」
「え……」
「あ、本当だわ。また岩崎さんの新しい魅力はっけーん」
「これは写真にしたら売れるなぁ……いろんな意味で」

 頭に手拭いを置いた人たちの写真集なんか見たことも聞いたこともない!あと私はグラビアアイドルなんかじゃないからこんな写真撮られても……需要あるのかな。ふと、ゆたかの居候先の小さな先輩の顔が浮かんだ。そういえば需要が何だとか言っていたな。ずいぶん前の話になるけれど。

 修学旅行2日目の夜、私たちは昨日と同じような、京都のとあるホテルの4人部屋に泊まることになった。部屋にあるお風呂は欧米型のユニットバスだけだったので満場一致で大浴場への突撃が可決され、私たちは同じ陵桜の他の生徒たちと同様に、残暑厳しい9月にしてはやや熱めの41℃のお湯に1日の疲れを溶かし込んでいる。

「ゆたか、熱いから気をつけて……」
「ん、ありがと」
「やっぱり岩崎さんは優しいッスよね。見てて妬けるよ、ねぇ委員長?」
「これこれ、あんたが妬いてどうすんのさ。そりゃ私も……ちょっとはうらやましいけど」
 珍しく若瀬さんが委員長としてではなく、いち高校生の若瀬いずみの主観での率直な感想を話してくれたので、私を含めた4人は珍しく皆吹き出すように笑った。ゆたかも少し苦笑いを見せている。
でもよくよく考えたら、いくら体格差があるとはいえ、ゆたかを膝の上に座らせて後ろから抱き締めるのは良くなかったかもしれない。私はこうやってゆたかを落ち着かせるのが好きで、また私もこれをやると物凄く落ち着くのだ。
「確かに、もうあんたら結婚しちゃえよ、って思うことは多々あるわね」
 また若瀬さんがおかしなことを言う。お湯の温度が割と高かったが、ひょっとしてのぼせてはいないだろうか?
「でしょ?もう傍から見てると面白いというか、微笑ましいというか」
「みなみちゃん、これは喜んだらいいのかな」
「……悪い気はしない、たぶん」

 ずいぶん遠回しではあるが、仲がいいことを良く言ってくれているのだから、実のところ私は結構嬉しかった。こうやってからかわれるのも悪意がなければなかなか楽しい。

「うーん、でも2人は多分一生仲良くやっていけると思うよ」
「そうね。そういう意味で言えば確かに妬けるわ」
「……ありがとう」
「うん、私はみなみちゃんずっと大好き。大学に行って疎遠になるなんて考えられないよ」

 自分の顔が赤くなっていくのが分かった。きっとお風呂のせいだけれど。

 確かに卒業までのタイムリミットが近付いているから、受験までの残り日数においても、思い出を残す最後の機会としても、1日1日が大変貴重に感じられる。今になって、と言われればそれまでだが、最近の私は何だって楽しんでやろうと思うことにしている。駆け込み需要みたいなものではあるが、ゆたかやみんなと同じ教室で毎朝顔を合わせて同じ授業を受けて一緒にお昼ご飯を食べて春日部駅まで肩を並べて帰ることが出来るのは、泣いても笑ってもあと半年しかないのだ。無論みんな平等にいつかは卒業する日が来ることは分かっていたけれど、私もいざそれを実感するようになると、もう卒業まで時間がないのだということをひしひしと感じる。

「みなみちゃん……上がりたいんですけど……」
 ゆたかの小さな声で目が覚めた。目が覚めた?熱いお湯にのぼせたのは私の方だろうか、どうやらゆたかの方に頭を載せたまま惚けてしまっていたらしい。少し意識のなかった時間がある。私は慌ててゆたかの華奢な身体から腕をほどいて、自分も風呂から上がることにした。


「ふう……お風呂も入ったし、おいしいバイキングも楽しんだし、やることなくなっちゃったね」
 4人でホテルの自室に戻り、一番最後に部屋に入った田村さんは開口一番こんな台詞を口にし、そこに若瀬さんがこんな一言を放った。
「いやいや、お楽しみはこれからでしょ!ねえ小早川さん?」
「え?お楽しみって?」
「頼んでもないのに親切な返答ありがとうさん!修学旅行の夜のお楽しみと言ったらアレしかないでしょ?」
「ああ、アレね。アレだよね」
 田村さんが答える。ああ、あれか。さすがの私も薄々分かってきた。本当にこのメンバーでやるのか。
「そう、じゃあやると決まったらほら、ジャンケンでローテーション決めて」

 順番はすぐに決まった。みんなから一体どんな話が出て来るのかが楽しみで、私はまるで後に歴史に残ることが間違いないであろう名演説を目にする3分前のような気分だった。オバマ大統領の就任演説を待つ米国民はきっとこんな気分だったのだろう。


 掌編1.

 みんなもう知ってると思うけれど……私は中学3年生の春までピアノを習ってて、自宅で個人でピアノレッスンをしてる先生に1対2で指導してもらってた。その丸10年間ずっと一緒にレッスンしてた子がいて、私の数少ない幼馴染みで、私と違って明るくてちょっとやんちゃな子で、学校は別々だったけど、よくレッスンのあとに2人で晩ご飯食べに行ったり、それぞれの家に行って自分の作曲した曲を聴かせ合ったり、発表会で連弾したりもした。
 高校受験でピアノをやめる寸前の最後の発表会の前の日の夜に、私の家に彼が来て、不安だから一緒にいさせてくれっていうから、私の部屋にいたんだ。
 ずっと手をつないで私の部屋のベッドにもたれて、揃いも揃って座ったまま寝てた。次の日は土曜日なのに朝の6時半に目が覚めて、朝からピアノも弾けないから2人で散歩をした。確か高校はどこを目指すかとか、ピアノはまだやるのかとか、そんなことを話してたと思う。
 そのままお互いの家に帰って、発表会に行って、発表そのものは意外なくらいあっさりと、不思議といつもの練習と同じように弾くだけで終わった。
 全てを終わらせた後、今度は彼の家に呼ばれて、10年間の最後のわがままだから明日1日だけ自分の彼女になってくれ、って言われて。日曜日に2人だけで横浜まで遊びに行って、カップルみたいにいろんなところを回って、ランドマークタワーの展望台から夕方の海と港町を眺めて……彼に抱きしめられて、そのままキスまでされた。最後のわがままってこのことだったんだな、って思ったし、全然嫌な気持ちじゃなかった。それはたぶん、女として私を見てるってことを、あの子が初めて形にして表してくれたからだと思う。
 私はその時は恋愛感情があったのかどうか分からなかったけど、ひょっとしたらあの子のことが好きだった自分に気付いてなかったのかな、って思った時には、もう高校生になった後だったから……。


 掌編2.

 私に兄ちゃんが2人いるのはみんな知ってると思うけど、下の兄ちゃんの友達で、私のこともけっこう可愛がってくれてた人がいたんだ。中学で私が入った部活のキャプテンだったから、私が入部したその日からは先輩・後輩の関係になって、昔と同じようにはいかなくなった。
 でも運動部なのに上下関係が緩い部活でさ、「先輩の言うことは絶対!」みたいなことは全然なくて、疑問に思うことやおかしく感じたことはどんどん言ってくれ、っていう優しい先輩だった。でもなんて言うか、引っ込み思案で照れ屋な先輩で、「先輩とかキャプテンとか呼ばれるのは違和感あるから、部活中じゃなかったら昔みたいに呼んでいいよ」って言われたんだ。だから私もそうしたんだけど、これがけっこう楽しかった。部活してる最中は控えめながらも真剣な顔になるのに、部活じゃない時はちっちゃい頃みたいに頭を撫でられたりしたよ。今から思えばヘンな人だよね?でも,もううちのバカ兄貴どもはどうしようもないけど、こんな兄ちゃんならいてもいいかなって思った。
 その人が部活引退する時に言ったんだ。「君のバカ兄貴のバカな友達が最後に見せ場作るから絶対見て」って。だから私は誰よりも大きな声で応援して、その試合が終わるその瞬間までは目を皿のようにして、先輩だけを目に焼き付けた。
 試合には負けたってのに、ものすごくいい顔で笑ってたよ。今まではおとなしい微笑しかしなかったのにさ、何か、燃え尽きたボクサーみたいな顔してた。
 戻ってきた先輩にタオルとドリンクを……まあお茶だったけど、それを渡した時に、今までされたことのないように、抱え込んで抱き寄せるように頭を撫でられた。真夏だったし、お互い汗だくで普通そんなことしないもんなのにさ。でもすごく気持ち良かった。昔から、私を誉めてくれる時には頭を撫でてくれたけど、これも最後だと思ったら、みっともないけどいつの間にか泣いちゃってさ。でも先輩はそんな私をずっと撫でてくれてたんだ。最後に「ありがとう」って言われたのが忘れられないよ。


 掌編3.

 うーん、2人ともいい話だったからプレッシャーかかるわ。私は幼馴染じゃない人の話。
 私が中学の頃行ってた塾の同級生の男の子がまた賢い人でさ、私なんかが束になってもかなわんような人で、今は某大学附属の高校にいるんだけどね。とにかくその人はすごいなぁって、何か私と違う世界にいるなぁって思ってた。
 でも受験生になったばっかりの頃のある休日に、お昼ご飯食べに近くのスーパーに行って、休憩所でサンドイッチ食べてたらそいつが向かいに座って来てさ。確かに休憩所はいっぱいだったし、他に相席できそうな人もいなかったから私のとこに来たんだろうけど、それから毎週末、ご飯食べてるとそいつがまた弁当買って相席しに来るのよ、混んでなくてもね。
 でもまあ、お互いに話すようになって、勉強だけじゃなくていろんなことを教わったわ。2人とも意外と朝が弱いとか、近所のマズいラーメン屋の水がレモン水に変わって、水までさらにマズくなったとか、他愛もない会話もよくしてたけどね。
 でもそのうち毎日勉強してるのがだんだん面倒でも苦痛でもなくなってきて、むしろ塾に行ってそいつと勉強して夜遅くに一緒に帰る、ってのが楽しくなってきたのよ。
 夏休みは毎日一緒に昼ご飯食べて、夜まで授業して自習して、でもお盆は遊べる最後のチャンスだからって説得して市民プールに連れて行ってさ……なのにあいつ、カナヅチだったのよ。なんであんな頭いいくせに泳げないのかね。ちょっと意外だったけど、逆にそれが面白かったわ。ついでに泳ぎ方も叩き込んだしさ。
 秋には長い2学期の途中で力尽きて熱出して倒れた私のお見舞いに、わざわざ氷枕なんか作って来てくれたしね。私は風邪うつるから帰れー!って言ったのに、お前が風邪で放っとけるかドアホ!って言われた。
 お正月には合格祈願に行って、そこの神社で、お守り代わりに3本セットの鉛筆を買って、色違いだったから1本ずつ交換してさ。ここまでやっときゃ受かるだろ、って言ってたら本当に受かっちゃった。お互いの合格を見て、それからずっと抱き合ってた、っていうところがまあ、話の山場かな。お恥ずかしながら、キスしたかどうかは覚えておりません、ってことにしといて。


 掌編4.

 最後は私だね。私がまだ実家にいた時の話。
 同じ町内の中に私の古い友達がいてさ、昔はよくお互いの家に遊びに行ってたんだ。その女の子には年子の弟がいて、その子も私と一緒によく遊んでた。学校もみんな同じだったけど、先輩後輩っていう意識はなかったなぁ。温和で気配りが出来るから、いつも丁寧に話す子だったよ。
 中学2年の頃かな、その男の子と私とだけが、それぞれの家の都合で留守番しなきゃいけなくなった時があったんだ。うちはお姉ちゃんの結婚式の準備で、向こうは両親は親戚のお通夜とお葬式、お姉ちゃんは部活の合宿。だから私の家にその子に来てもらって、晩と次の朝に、私がご飯作ってあげることになったんだ。今よりも全然料理出来なかったんだけどね。
 その日の夜に私がキッチンで料理してたら、うちの姉ちゃんじゃなくてこんな姉が欲しかったなぁ、ってその子が突然言ったんだ。
「なんで?お姉ちゃんに不満でもあるの?」
「いや、だってこっちの方が可愛いもん。僕けっこうタイプだよ」
「それって、お姉ちゃんにしたいっていうのとまた別じゃないかな」
「どうかなぁ。とにかく今日と明日は僕の姉ちゃんになってくれるんでしょ?」
 晩ご飯食べながらいろんなことを話した。お互いのクラスのこと、私の友達でその男の子のお姉ちゃんのこと。最近は身体壊してないかって心配もしてくれた。
 寝る時はお客さん用の布団出して別々の部屋で寝てたんだけど、夜中の1時くらいに、落ち着かないから一緒にいたいって言って、私の部屋に来たんだ。私は昔からみんなに迷惑かけてばっかりで頼られたことが少なくて、人に甘えてもらって嬉しかったからかな、今日と明日だけは好きなだけ甘えてくれたらいいや、って思った。
 今思えば変な話だけど、2人とも昔の小さな頃みたいに並んで眠った。私より二周りは大きかったから、昔と同じように頭を撫でてくれて、昔と同じように抱きしめられて眠った。私の方が年上だったのに、いつも私をかわいがったりしてたから。
 でもその時だけは、まだ一度もしたことがないようなキスをされた。私はいつまでも『女の子』のままだったのに、いつの間にかその子が『男の子』から『男』に変わっていくのを感じたよ。自分でこんなこと言うのも何だけど、今思えばその子はたぶんずっと私を好きでいてくれてたんじゃないかな。今こうやってみんなに話してると、だんだんそんな気がしてきたなぁ。


 4.

 次の日、私たちは京都市動物園の見学を挟んで、昨日に引き続き琵琶湖についての造詣を深めるべく、東山の琵琶湖疎水記念館にいた。琵琶湖から水が流れ出ているのは本来は一本の川だけだったのだが、この疎水の完成によってさらなる水の供給や、水力発電まで可能になったという。
 インクラインという、船を陸上で運ぶための線路が道路と平行に遺っていたのが印象深かった。レンガ造りのトンネルなんかも、武士や貴族の時代とはまた違った西洋の近代化が推し進められた頃の、いわゆるハイカラな雰囲気が独特で、またそれが長い歴史を誇る知恩院や南禅寺のほど近くにあるものだから、東京に遷都されてもなお歴史ある都市としての地位を保っていたことがくっきりと目に見えて新鮮だった。

「岩崎さんはこういうハイカラなの好き?」
「うん、けっこう」
 田村さんが私に問う。
「岩崎さんの地元の方にこんな感じのとこないの?」
「横浜まで出ればある、かな。博物館とか、カレーミュージアムとか」
 後に気付いたのだが、カレーミュージアムはすでに数年前に閉館していた。最近はこういう施設が入れ替わり立ち替わりで消えていく。
「ふーん、じゃあそこにあの幼馴染の子と一緒に行ったわけだ?」
「え、それは……」
 実は田村さんの言う通りで、私は確かにあの日には、洒落たお店なんかではなくて、そういった歴史的な施設や、見て楽しめる施設を回っていた。カレーミュージアムで昼食をとっていたのだが、2人とも食べたことのないカレーにわくわくしていた記憶がある。お互い飾らない、自分と相手に正直な関係だったから、食べ物に対する欲望を少しくらい見せることもためらわなかったのだろう。
「まあ、人生いろいろあるよね。今までも、これからも」
「……でも変わって欲しくないものもある」
「小早川さん、とか?」
「うん、やっぱり卒業して離れ離れになるのは寂しいから……」
 正直、あと半年だと思う度に胸が苦しくなる。だからといって考えないまま逃げ続けられるものでもないから、私は仕方なく目の前に迫る現実と向き合っているのだが。
「いや、意外と大丈夫だよ。泉先輩とか高良先輩みたいに、何だかんだでまだまだ一緒につるんでる人もいるしさ。うちの兄貴だってそうだし」
「そういうものかな?」
 急にみゆきさんの顔を思い出した。そういえば去年から髪型を変えたのだ。でも今でも昔のメンバーでよく遊びますね、と言われたこともある。
「まあ、お互いに仲良く居続けようと思うなら、だけどね」
「それは、大丈夫。ゆたかとはずっと一緒にいたいと思ってるから」
「だろうねぇ。私も太鼓判を押すよ。これだけ愛されたら小早川さんも幸せだよね」
「田村さんも、私には大事だよ……」
「私?私は今まで2人に助けられてばっかりだったよ。もうお世話になりっぱなしだし」
「そんな……いつもいろんな相談に乗ってくれてたのに」
「ああ、それは野次馬根性っていうの?老婆心っていうかさ、何か見てて放っとけないんだよね。2人にはずっと仲良くしてて欲しいし、そういう幸せそうな岩崎さんと小早川さん見てるのが、ここ2年くらいずっと趣味の一環になってるんだよ」
「趣味?」
「そう。こっちは好きでやってることだからさ、私としては義理を感じてもらう必要は全然ないわけよ。パティもそうだったけど、人の幸福でご飯が美味しくなるタイプだね私は」
「……何、それ」
 私はわざとぶっきらぼうに聞き返した。それでも田村さんなら、きっと昔と違うリアクションをしてくれるはずだ。
「何かまだ会ったばっかりの頃の岩崎さんみたいだね。どしたの急に」
「別に、何となく……」
「そんなこと言って、実は全然怒ってないんでしょ。もう今は照れ隠しなの分かるよ。前は小早川さんしか分からなかったけどね」
「……バレた?」

 こんな風にいつもと違ったことをしても、田村さんは笑い飛ばしてくれる人だ。このポジティブな性格に救われたことも多々あった。田村さんは、岩崎さんも面白くなったね、と言ってまた少し意地悪な笑みを見せた。この人がいてくれたから、私はどんな悩みでも乗り越えて来られたのだと思った。

 あとでもう一周、記念館を周ることにしよう。展示物を見ていないのはどっちだ。


 5.

「みなみちゃん、温泉行こう」
 修学旅行3日目の夕食はとある旅館での京野菜料理が中心だった。普段なかなか食べられない高級食材だ。お母さんの料理も美味しいけれど、家で食べている食事とは味が全然違った。
 皆で座敷で夕食を食べ、部屋に戻ってきて明日の準備を終えたゆたかは私に温泉に行くことを促した。私はまだ少し荷造りが終わっていなかったので、5分だけゆたかに待ってもらった。

 昨日は大浴場だったが、今日は小さな露天風呂だった。厳密には温泉ではないのだが、私立高校の修学旅行というのは妙に豪華だ。1日の疲れを洗い流して、私はまたゆたかよりも先にお湯に浸かった。
 ここからは見えないが、どこかで水が流れているのか、鹿脅し[ししおどし]の音がする。15秒に一回くらいだと思うが実際のところは分からない。

 ゆたかが私より少し遅れて洗い場から露天風呂の方へと歩いてきた。昨日は何事もなかったが、ゆたかが足を滑らせることのないように、私は彼女の足元に注意を払った。

「修学旅行、明日で最後だよね」
 ゆたかは私の隣で岩肌に背中を預けた。9月だが今夜は涼しい。肩から上だけにひんやりとした風を感じる。
「うん」
「みなみちゃんはどうだった?やっぱり楽しかった?」
「うん、また来たい」
「私も。京都に来たのは初めてだったけど、何もかも違うね。実家とも、幸手とも、もちろん春日部とも」
「ゆたかはまた来たい?」
「そうだね、出来ればみなみちゃんと2人で、かな。時間の都合で見られなかったところもあったし」
「じゃあ、また来よう。卒業したら」
「うん。ずっと友達だもんね」

 私がゆたかからその言葉を聞く度に、私は計りがたいほどの安らぎを覚える。私たちは親友だと、確かめ合えるという安心感。それは今までとこれからの私を支えてくれるものなのだろう。
「ゆたか……おいで」
 私は昨日と同じように、ゆたかに膝の上に座ることを提案した。この露天風呂はけっこう深いから、今のゆたかはあまり落ち着いて座っているようには見えない。むしろ溺れないように半分立っているような感じだ。
 まっすぐ伸ばした私の脚の上に座ると、ゆたかは私と同じ肩の高さになった。普段こうやって同じ目線でいられる機会はあまりない。私はまた昨日と昨日と同じように、ゆたかを抱きしめて目を閉じた。人を抱きしめている時が一番落ち着くというのもおかしな話だ。ただ少なくとも田村さんや若瀬さんは私の変わった部分――あまり他人様には聞かせられない部分を知っている。

「ねぇゆたか、私たち、ずっと友達だよね」
「もちろん。どうしたの?」
「うん……あと半年で卒業だと思うと、やっぱり不安で……」
「そんな、仲悪くなっちゃうわけないじゃない。変なみなみちゃん」
「変?」
「やっぱり変じゃない、かな」
「……どっち?」
「うーん……分かんないや」
 分からない?ゆたからしくない。珍しいこともあるものだ。人一倍何かを知ることに喜びを感じるゆたかが、分からない、とは。
「ゆいお姉ちゃんがたまに言うんだけどさ、世の中には答えのないことがいっぱいあるし、難しく考えなくてもいいこともある。今お姉ちゃんがここにいたら多分こう言うんじゃないかな、『お互い親友でいたいと思ってるんなら、それでいいじゃん』って」
「そう……うん、そうだね」
「私も不安だったけど、それでも今は、これからもずっと親友でいられるのかな、って思うんだ。人も世界も変わっていくけど、変わることだけが大事なんじゃないもん。変わらないでいることもきっと、同じくらい難しくて、同じくらい大切なことなんじゃないかな」
「変わらないこと?」
「そう。私たちがずっと変わらないこと」
「変わらないこと、か……」
 私は両手で少しだけお風呂のお湯をすくって、ゆたかの頭にかけた。なんでそんなことをしたのかと言われれば、それこそ何となくとしか言いようがない。ゆたかは目の前に自分の前髪が落ちて鬱陶しかったのか、髪を全て後ろに流し、私が初めて見るような髪型になった。ゆたかはどんな髪型になっても、やはりゆたかだった。

 水というのもその形を自由に変え、また変えられるけれど、どんな形を取っても、やはりそれは本質的には水なのだ。氷は冷たいしお湯は温かい。蒸気になれば機関車なんかも動く。今日の疎水のように、水力発電にも流れる水や滝は必要不可欠で、それでも極端に言えばそれらは全て水である。
 私たちが卒業して離れ離れになって、たとえ歳を重ねたとしてもやはり私たちは私たちなのだろう。だからきっと本質は何も変わらない。

 でもそばにいられないのは寂しいな、と思う。だからあと半年間はこうやってそばにいたい。急にゆたかが恋しくなる時もきっとあるのだろう。そんな時のために、私はゆたかをまた強く抱きしめた。ゆたかは何も話さず、じっと目をつぶったままだ。
 ゆたかまで寡黙になってしまったので、途端に辺りが静かになった。相変わらずどこからかちょろちょろと水の流れる音がして、鹿脅しがいっそう高らかに鳴り響いた。



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  • いい話だがタイトルバイバイかも -- 名無しさん (2010-12-28 15:46:19)

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最終更新:2010年12月28日 15:46
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