俺たちはそのまま追撃を断念し、引き返した。すでに日は落ちかけており、半分くらい引き返したところでキャンプを取った。隊員の疲労からみても適切な判断だ。
「隊長、俺、アイツを見てきます。」
俺は、炎を挟んで向かいに座ったアーク隊長に言った。
「ああ。頼む、ヘンリー。」
俺は立ち上がり、あいつのいるテントに向かった。サーベルが撃破されたときに捕虜にした帝国軍兵士はかなりの年配で、50…いや、純血ならば60はいっているように見えた。彼は4つあるテントの一番端に拘留されていた。
「入るぞ。」
俺は答えなど聞いていないという風な口調で、そのまま入った。アイツはさっき見たときとほとんど変わらない格好でそこにいた。白みを帯びた頭髪と、目の下まで伸びたマーク。そして燃えるような赤い瞳。
「あんたに聞きたいことがある。」
彼は、少々意外そうに顔を上げ「なんだ?」と言った。本当ならばこういったことはするべきではないのだろうが…どうしても聞きたかった。
「あんたが乗ってた機体、あれは“セイバータイガー”じゃなくて“サーベルタイガー”だよな?」
帝国兵、ベスガス・スタフォードと名乗った男は、少し驚いたように「そうだ。それが?」と聞き返してきた。
「なぜそんな旧型を使っている?」
と俺は続けた。思えばこれを聞いて俺はどうするのだろう?この質問にさほど意味はないのではないか?ただ彼の赤い瞳を見たときから話してみたいと思っていただけなのではないか?同じ地底族の人間として。
「祖国への…忠誠が今でもあるということを示す俺なりの手段だ。」
ベルガスは静かに言った。祖国?…地底族、サーベルターガーこのキーワードで導き出される“祖国”はゼネバスしかない。俺は黙った。今この世界でゼネバス帝国に忠誠を尽くす意味がどこにある?今は亡き亡国に…。
「お前も…地底族の血を引く者ならば、わかるだろう?…地底族は己の主にのみ一生をささげる。」
俺が黙っているのを見たベルガスが言った。
俺に地底族の血が流れていることを彼が感づいていたことより、“地底族は己の主にのみ一生をささげる”のフレーズに驚いた。幼い頃…祖父がまだ生きていた頃に聞かせてくれた言葉だ…。まさかここで聞くことになるとは…。
「だとしても…俺の主はアーク隊長だ。」
やっとのことで俺は言った。
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「少尉?」
私は急に後ろで声がしたのでびっくりして振り返る。そこにはケベックが立っていた。左手にカップを持ち、怪訝そうな顔で私を見ていた。
「な…なによ?」
「いや、それはこっちの台詞ですよ。いったい何してるんですか?コソコソと。」
私は言われてはじめて自分の格好を見た。ひざを地面につき、テントに聞き耳を立てる姿はコソコソといわれても仕方がない…。
「なんでもない。だた、二人でなに話してるのかな、と思っただけ。」
ヘンリーが帝国兵のテントに入ってもう10分くらいが立つ。いったいなに話してるんだろう?まさか知り合いってわけじゃあるまいし。テント越しで聞いた会話では「祖国」だの「血」だの断片的な部分しか聞き取れなかった。
「ヘンリー少尉と帝国兵がどうかしたんですか?」
「だから、なんでもないんだってば。」
私はちょっとイラッとして答えた。膝についた砂を掃ったところで、急にテントの入り口の布が上がりヘンリーが出てきた。
「うわっ」
私は思わず声を出して飛び退いた。しかし、飛び退く方向が悪かった。ケベックにぶつかり、彼が手に持っていたカップの中身を頭からかぶった。
「何してるんだ?お前ら?」
ヘンリーはびしょ濡れの私を見て笑った。
「だ…大丈夫ですか?少尉。」
ケベックは私を気遣う。というかもともとはあんたのせいだろ!
「サイアク。大丈夫なわけないでしょ!」
髪を解きながら立ち上がる。ともかく早くこのベタベタを洗い流したい…。事態に気付いたアークが焚き火の向こうから「そこの川で水浴びでもしてきたらどうだ?」と大声で言った。
「サイコーの提案ね!あいがとうございます隊長!」
私はぶすっとしてズカズカ林を分けて歩いた。ケベックが何か言ったが聞こえないフリをして「見に来たらただじゃおかない!」といって川に出た。
川の流れはほとんどなく、しんと静まり返っていた。私は川の浅瀬で服を脱ぎ、汚れた部分を水で洗い流す。月がきれいな夜だな。と川に映った月を見て思った。
「明日までには乾きますように。」
私はそう言いながら、軍服を木の枝に干す。この熱帯夜なら多分乾くだろう。私は達成感を感じつつ腰に手をあてた。…ん?
私ははっとして視線を枝から体に移した。怒って飛び出してきたからタオルも着替えも持ってきてないことに気付く。
「今世紀最大のバカやらかした…」
川に映った月に石を投げながらため息をついた。
命中しない下手な石投げをやめ、私は膝を抱えた。髪をくしゃくしゃっとして顔を伏せた。髪は半乾きで、そのくらいの時間の経過を知らせた。
「エリー?」
不意に声がした。後ろの林のほうからだ。
「は?」
私は大声をあげ、とっさに振り返ろうとする。しかし、声の主、アークは直前で「そのままにしてろ!」と叫ぶ
「タオル…忘れただろ?ケベックがどうしても持ってけってうるさいから…。ここにおいておくぞ?」
小さい音の後、彼が遠ざかっていくのがわかった。私はそっと確認した後、自分でもわからないぐらい彼が愛おしく感じられ、それを手に走った。
彼を見つけるのと、タオルを体に巻き終わるのはほぼ同時だった。私は必死で彼の背中に抱きついた。
「アーク…ゴメン、私…アークのこと、好き…。」
最後のほうは途切れ途切れになったが、言ってしまった。
アークは少しの間、黙っていたが、私の手の甲にに手を重ねた。
「…エリー。俺はお前やヘンリー、ケベックを大切な“仲間”だと思ってる。でもな…」
最後のほうは聞こえなかった。多分、自分で聞かないことにしたんだと思う。
惨めなあたし、カワイクもないし、いっつも反抗的で…バッカみたい!
「そうだよね…やっぱり迷惑だよね。ゴメン。」
私は涙があふれるより先に早口でしゃべり、走ってその場を後にした。
川に出たときに手の甲がすれて血がにじんでいた。
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次の日の朝は、幸いなことにそれどころではなかった。帝国兵が逃げたのだ。私はテントから出て、ヘンリーから事情を聞いた。
「どうやったのかはわからない。…でも、逃げたんだ。見張りの目を盗んで。」
彼はそう言って、また付近の林に入っていった。私はアークに近寄って行く。何もなかったように振舞おうかとも思ったが、たぶん、無理。
「アーク、その、昨日は…ゴメン」
私は途切れ途切れ言った。喉が焼けるように痛かった。
「ああ」
彼は言った。
結局帝国兵は見つからないまま、私たちは基地に戻った。6月も半ばを迎えようとしていた。
最終更新:2007年12月23日 10:01