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「ミュウツー!」
 少年の呼ぶ声に一度、ミュウツーは振り向き、しかし何も言わずに再び前方の敵を見据える。
 だが、少年の声に対する彼女の反応はそれだけではない。その紫の尻尾が、小さく左右に揺れる。
 ――心配ない。
 まるで彼女がそう言っているかのように思え、少年は言葉を詰まらせる。
 彼の足は、何故か微かに震えている。
 そうあの時の――邂逅の瞬間と同じように。

 一瞬の静寂。
 そしてミュウツーが拳を握り、
「認めろ、女」
 そう言った刹那、
 それは始まる。
 バトルフィールド――プール一杯に満ちる大量の水が、その形を維持したまま、
ゆっくりと中空に抜き出され始める。縦横高さそれぞれ50、25、10mに整形された水が、
その形を維持したまま、ゆっくりとプールから抜き出されていく。

 カスミには眼前の光景がとても信じられない。現実のものだとは思えない。
 それは明らかにあの白い人型のポケモン――ミュウツーと名乗ったそれが、引き起こした現象だ。
しかし何をどうすればそんなことが可能なのか理解できない。
いや、たしかにエスパータイプのポケモン(或はその技)ならば、少量の液体を固定したまま移動させることは可能だろう。
カスミのスターミーにしても、より成長しサイコキネシスを使えるようになれば、それぐらいのことは出来るはずだ。
 だがしかし、今現在たしかに展開されている「それ」の技は、プールの水そのものを操っている。
 それはもはや「段違い」などという形容のそぐわない、まさしく「桁の違う」、力。
 ――狂気の沙汰だ。
 カスミはもはや絶句するほかなく、その口元には、意図せず乾いた笑いが浮んでいる。

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 浮んでいく、大量の水。スターミーはその中にいる。
 十の足は微動だにせず、中心に戴く赤いルビーは、屈折した白を映し出す。
 絶句する主人の気配を察し、微かに残る野生の本能が発する警告を察し、しかしスータミーは、
明らかな抵抗を開始する。

「愚かな」
 敵――スータミーが水中で回転を開始した瞬間、ミュウツーは呟いた。
 と――まるでそれに呼応するかのように、浮んでいた大量の水は炸裂し、瞬時にその型を崩壊させる。

「うわぁ!」
「きゃあッ!」
 降り注ぐ水流に少年とカスミは声をあげ、反射的にその身を守る。だが、水流が過ぎた後の結果は対照的なもの。
一方はまるで何事もなかったかのように、他方は全身を打たれ濡れそぼち――そして彼らはそれが意味するところを、
全く同じように理解する。
 「あれ/ミュウツーはあの子/僕を守るだけの余裕がある」
 その理解は、確実に正しい。

 スターミーは、そうした事実も知らぬ気に、水鉄砲を乱射しながら高速で回転しつつ、
特攻をかける。

 ミュウツーはそんなスターミーに、少しだけ悲しげな視線を注ぐ。

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 高速の回転が止まったのは、ミュウツーの身体までほんの数センチの位置に近付いた時だった。
 牽制と目くらましのために放たれていた水鉄砲は、しかしミュウツーの身体を僅かに湿らせることすら出来ていなかった。
 スターミーは、まるで「そんなことは初めからわかっていた」とばかりに、
一瞬の躊躇さえ見せずに突っ込んでいったのだが、その身体の回転はミュウツーまであとほんの数センチの位置で、
停止した――いや、停止させられた。
 誰に? それはもちろん――
「認めろ」
 と、小さく呟く――白く輝く最強に。

 そしてスターミーは、いまや水の抜けた空のプールへと、その底のコンクリートへと、
爆発的な速度で叩きつけられる。

「認めろ」
 ミュウツーは、再度呟く。
 ほとんど同時に、今しがた叩きつけられたスターミーが、今度はゆっくりとした速度で、
彼女の前へと浮かび上がらせられる。十の足は痙攣し、中心のルビーには大きな亀裂が入っている。
もはや一見して戦闘が可能な状態ではないとわかるスターミーはしかし、
「認めろ」
 というミュウツーの声に反応したのか、そのルビーが一度、瞬いた。
 するとほとんど同時に、十の足の一つが破裂する。

 肉片と体液が軽やかに舞う中空で、彼女は小さく、呟いた。

「認めろ」

 その圧倒的な光景はたしかに――

 最強の証明、だった。

 九つの足の一つが破裂する。

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 最弱でい続ける、そんな存在があっていいはずはない。
 最弱を義務付けられる、そんな存在があっていいはずはない。
 あの緑中で私が愛した彼は、そんな存在として生まれてきたはずがない。

 八つ足の一つが破裂する。

 あの洞窟の中で出会った彼も、そんな存在として生まれてきたはずがない。
 あの時私の腕の中で頷いた彼が 最弱でい続ける存在であっていいはずはない。

 七つの足の一つが、破裂する。

 しかし現実はそう上手く行いかない。いくはずもない。
 ――ならばどうする?

 最強(私)が自ら――貴方に従おう。

 六つ目の破裂音が、ジムの中に響く。

 そうすれば貴方はもはや弱者ではない。

 割れたルビーの中に、その白は歪に映っている。

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「……もう……やめて……」
 スターミーの足がヒトデマンと同じ数にまで減った頃、
「もう……やめてよ………」
 ジムリーダー・カスミは泣き濡れるだけの、一介の少女になっていた。

 耳目を塞ぎ震えながらその場にしゃがみ込んだカスミを見、テレポートしたミュウツーは、
次の瞬間には少女の前に立っている。
 そして言う。
「認めろ」
 カスミにもはや闘う意志など残っているはずもなく――
「……負け、よ……私の……。だからもう……もう、やめて……やめてよ……」
 ジムリーダー公認の――強者の証たる――ブルー・バッジを、
白い化け物に投げつける。力なく。

 ミュウツーは、自身の身体に当たって床に転がるその証を拾い上げる。
サイコキネシスではなく、自身の身体を使って。

 青く光るバッジをしばらく眺めて後――彼女は、少年の方を振り向き、
僅かに浮翌遊してその傍らに向かう。

「あ……」
 息を呑む少年の眼前に辿り着いた彼女は、音もなく着地してそのまま膝を折り、
手に入れた証明を、ブルー・バッジを差し出した。

 そこでようやく、足の半減したスターミーが力なく落下し――
 ぐしゃり、と、潰れた。

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 潰れたスターミーに駆け寄るカスミをミュウツーの肩越しに目撃しながら、
少年は大きく喉を鳴らして、唾を飲もうとした。しかし口内はからからに乾き、
もはやわずか一滴の唾液すら分泌できないでいる――水を司るジムにいるのに?
 ――勝った。と少年は思う。
 自身の鼓動が、普段の数十倍は大きく聞こえている。まるで全力疾走をした後のように、
まるで大声で叫び続けた後のように、その胸の中で心臓は大きく――そして激しく脈打っている。
 ――僕が、勝った。
 そして同時に、少しだけ、「勝ってしまった」とも、思う。
 自身は何もしていないにも関わらず、結果として手に入れただけの勝利に、
少年はわずかに、少年の持つ倫理観はわずかに、嫌悪を感じている。
 ――が。
 それよりも、その心臓の高鳴りは、いじめられっ子の少年が感じるその胸の高鳴りは、

 ――自身が目にした、圧倒的な暴力への憧憬に起因するもの、だった。

 圧倒的な暴力を発揮した、白いイキモノが、眼前で跪きながら、はっきりと言う。
「我が名は、ミュウツー。最強と同義の存在。
 そして少年、貴方に従う一介のポケモン。
 受け取れ、強者の証を――

 我が主」

 幾度となく躊躇いながらも、少年は――自らの意志で――それを手にする。

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 彼女は自身の最強を証明し、そして少年に従うことでもう一つ事象を証明した。

 ――弱いままでい続ける、最弱でい続ける存在など、それを義務付けられた存在など、そんな生命など、
 ――この世にあってはならない。

 ミュウツーは少年に従う一介のポケモンとなった。
 少年はミュウツーを従える主となった。

 ジムリーダー・カスミを倒した最強のポケモンを使役する彼は――
 いまや最弱と対極の位置にいる。
  少年の手の中で、その証明は青く光っている。

 ただしそれが――少年の見た夢を叶えることになるとは限らない。

 ――たぶん、
 ――強くなりたかった。それで皆に認められたかった。

 夢を叶えたことになるとは、限らない。

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最終更新:2007年06月18日 13:56